悪魔の薬売りは魔薬を運ぶ   作:月光画面

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傷だらけの薔薇

「魔流因子は覚えていますよね」

 

「あぁ、さっき教えてもらったからな……」

 

 魔流因子は魔素の流れ方、量、質、比率などが複雑に絡み合った魔素版のDNA、遺伝子情報の様なものらしい。これが少し違うだけで魔法が発現したり、全く違う体質になるという。ただDNAと同じように親から子へ引き継がれはするが全くの普遍というわけではなく外部からの干渉で変化する場合もあるらしい。

 と言うよりも魔獣の変異こそがこれで、詳しく突き止めれば魔流因子が大きく変異して成るものだという。だからこそ不可逆なのだとも。

 

「その魔流因子が、少しずつ変化していっていきますよ。その子の魔流因子と混ざり合うことによって」

 

「それは……どれくらい?」

 

 魔流因子が変化したとしても少量の変化ならば魔獣には変異しない。多少の変化として身体能力や免疫機能が変わるがそれもほんの数%の変化であり問題はない……と聞いている。

 

「その子がこのまま侵食の意を見せなければ3%の変化に留まり、流天さんの趣味に日光浴が追加されるだけに留まるでしょう」

 

「…………それくらいなら特に問題は」

 

「ですが、それはこの子がその意思を見せなければの話であり全くの危険がないという話ではありません」

 

 ……もし、この植物の魔獣が俺に完全に寄生しに来たら。

 

「最低でも35%、それくらいは覚悟しなければなりません。そしてそれは魔獣化のデッドラインでもあります。あなたでは抵抗は出来ないでしょう、やろうと思えば完全に乗っ取る事も出来る。常にあなたの心臓を握られている状態と同義です」

 

「それは……」

 

 迷う、知性があっても魔獣。人外の化け物でその内側から沸き上がるその本能によって生きている。信じる要素もあの彼女? の存在だけでこの植物の魔獣本体が友好的で在り続ける保証もない。

 知識が無い先程までなら無知ゆえに信じることが出来ただろう。今大丈夫なのだからこれからも大丈夫。そんな無根拠で信じたいものを信じて共にあり続けただろう。

 だが知ってしまった。魔獣の事を。

 

 だから迷う。この魔獣は信じても良いのか。

 その賭けは俺の命に見合うものなのか。

 

 悩み、苦しみ、助けを求めるようにして目線を向けてしまった。

 目の前の年下のようで自分とは段違いに確りとしており、たった数時間の間でついつい頼りたくなってしまう彼女の事を。

 見た目不相応な織音さんの凜とした姿勢で俺の答えを待っているのであろう彼女は仕方ないとばかりに、俺を叱るように静かに声を出す。

 

「決断しなさい。流天さん、あなたは今とても不安定な状態です混ざり合いの途中、無意識で感覚器官の共有も起きています。ですが今ならこの子との魔流因子の結合を緩めて引き剥がすことが可能、私が今後お手伝いできるかも分かりません。今しか無い、あなたが決めるのです」

 

 俺が、決める。

 当然だ、これは俺の事情で織音さんはただ善意で俺を助けてくれているだけだ。

 自分の事は俺が決めなければならない。でないと俺はこれから俺の事を信用できなくなってしまう。

 

 集中して思考する。

 魔獣化のデッドラインは30%前後。恐らく織音さんが言っていたデッドラインの35%は俺の場合という意味だろう。そしてそれが最低限、言葉を濁してくれてはいるが俺じゃ絶対に対抗できないと教えてくれているのだと思う。

 簡単なのはこの魔獣を切り離して生きていくこと。俺の理性はそれ一択しかないと囁いている。それしか平穏に生きる道はないと、お前にはもう一つは選べない、と。

 わかっているんだ、そんな事は、でもあの約束がある限り俺は…………。

 

 俺は、俺はどうする。

 

 視界の端に植物の蔦が映った。

 それは少しずつ収縮していき、俺の体に納まっていく。そして、完全に植物の蔦が消えた後胸ポケットに強烈な熱を感じた。

 それはあの種から発せられたもので……俺はその種を取り出す。

 

「それが核ですか」

 

 織音さんが何かを言っているが意識に入ってこない。

 

 完全にこの種に意識を吸われていく。

 

 そして……強烈な熱を発しながらちょっとした衝撃を発して俺の手から弾き飛ばされる。

 

「え」

 

 地面に種が転がる、そして小さな芽が芽吹きそれを伸ばして移動しようとする。

 俺から離れようと、移動しようとしている。

 

「…………」

 

 あの種が示してくれている意思表示は流石に分かる。どうしてそこまでしてくれるのかが分からないが今現状力もない状態で寄生先である俺から離れて心臓である核を晒してまでして示してくれているこの魔獣の意思を理解できる。

 そして同時に死にたくなるような不甲斐ない、自己嫌悪の感情が沸き上がる。

 

 織音さんは沈黙を保っている、いや保ってくれている。

 

 誓いを忘れていた訳じゃない。

 けれど怖かった。俺のせいで妹や回りの人が傷付くのが。

 だから迷ってしまった。

 だけど全部必要な事だったと思う。俺が馬鹿で愚かで薄情な事も自覚する事ができた。

 

 必死に距離を取ろうとする種の魔獣を拾い上げる。

 強烈な熱を発して俺の指が焼けるように痛いが気合いで優しく握り締めた。

 

「そちらを選ぶのなら、種を心臓に。服の上からでも問題ありません」

 

 織音さんの言葉に従い、未だに熱を発する種を心臓に持っていく。

 心臓に近づけていく内に熱は消えて、種はただ手の中に静かに収まった。

 

 そして種は、溶けるようにして俺の体の中に……消えた。

 

「…………これで核が内側にあるという本来の形に戻りました、これで流天さんの各種症状は落ち着くでしょう。そして……不安定がゆえに体外に放出していた不用意な魔素も落ち着きを取り戻す」

 

 確かに分かる、全身を隈無く巡るような自分ではない何かの存在を。完全とは言えなくてもそれを関知出来るようになった自分の感覚器官が増えたような感覚も。

 しかしそれはちっとも不愉快はなくむしろ逆で、力が漲る……とも違う、ともかく安心感のようなそんな心地好さを感じた。

 寄生…………いや、共生がまだ完全に終わっていないのだろう全身を巡る何かを感じながらも今回、不思議なくらい親切にしてくれた織音さんに向かい合う。

 

「あぁ、本当にありがとう……いや、ありがとうございました。感謝しかありません」

 

 織音さんは微笑んで、でも何故か寂しそうな表情をしながら目を瞑る。

 元々儚げな存在感だった彼女が更に朧気に見えていく……これは……? 

 

 混乱する俺を余所に織音さんは口を開く。

 

「今更敬語など必要ありませんよ、感謝は受け取りますが。それよりも……時間がありませんから手短に伝えます。良く聞いてくださいね」

 

 織音さんだけじゃない、周囲の光景もぼやけて、崩れていくような、いや違う風化していくようなそんな錯覚に囚われる。

 

「奥の扉を開けて右手の扉、その部屋の中にある本棚の二段目の裏にある隠し棚。その中にあるペンダントを持っていきなさい。あなたの役に立つ」

 

「待っ」

 

「次にこのメモ紙を持っていきなさい。あなたに直接教えたとは言えど完全に暗記することなどは難しいでしょう。大丈夫、分かりやすいように種類分けはしておきました」

 

「待って……」

 

「最後に、その子に名前を付けて上げてください。魔獣に関わらず名とはその根源に関わる大切なもの、一心同体であるあなたが名前を付けてくれる事をその子も願っています」

 

「待ってくれ!」

 

 話を聞かない、これは…………違う。もう聞こえてない? ただ一方的に話してるだけ? 

 

 織音さんが話している間にも風景の欠落はどんどん侵食している。

 この空間から弾き出されるような感覚。自分が異物であり世界が修正しているようだと感じた。

 

「でも決めるまで名前がなくては不便でしょうから仮の名前は必要でしょう。なので私が仮の名を与えてあげましょう」

 

 織音さんの姿は既に物理的に透けてきて、向こうも俺の姿を認識しにくいのか少しずれた場所に視線を向ける。

 

「スカーローズ。傷跡から咲く薔薇。素敵でしょう?」

 

 その言葉を最後に彼女は霧散し、周囲の風景も変わり果てた物に成り果てた。

 

 動けない。

 

 あまりの光景と展開に頭がついていかない。だが俺の中の冷静な部分が一番可能性が高い想像を俺の脳裏に弾き出す。

 

 あの場所は魔界だった。

 そう考えれば辻褄が合うのだ。

 不安定な俺の状態はいわば周囲に自分の存在を知らせる餌の様なもので、少しでも魔素溜まりに近付けばそれに影響される、呑み込まれるなどの現象が起きる。

 そしてこの場所。その近辺が魔界の領域だとしたら素人の俺が気づかない内に取り込まれてしまっていてもおかしくない。

 実際ここに来るまでに誰ともすれ違わなかった、それはただ単に運が良かっただけと解釈も出来るがもうその時点で俺が魔界に入っていたと考えたら理解できる。

 今も彼女が消えた理由としても、俺が昨日彼女と会っても普通に帰れた理由としても納得できる…………織音さんが魔界の主だとしたら。

 

 魔界の主。魔界が作り上げられてからそれに据えられるか、魔界を引き起こしてしまう程に力を持った存在であるかの2パターンがあるがこれは今関係はない。

 大事なのはある程度魔界の領域内の事象を操れるという事。

 今の状況的にその力で俺が魔界から追い出されたと考えたら方が自然に感じる。

 

 全部が全部正解だとは思っていない。むしろ間違いの方が多いと分かってはいるが自分を納得させるために理由を無理矢理付けて頭の中を整理する。

 

「一先ず…………今何時だ?」

 

 こうやって異常を肌で感じながらも平常を保てるのは慣れてきたからなのか、感覚の麻痺なのか。

 

「あぁ……やっぱり時間の感覚とかもずれてたりするんだな」

 

 まだ時間には余裕を持っていた筈なのに時計は夜の11時から始まるバイトの2時間前を指していた。

 

 ┗┓

 

 薬膳と緣が講義を続ける最中、同じ町の大衆向けのレストランの一席で三人の女性がドリンクを飲みながら談笑している。

 三人の内二人は少女とも言える容姿で、一人は鬼気迫る表情でスマホの液晶画面を覗き込み必死に操作している。

 もう一人の少女はその様子を見てため息と共に苦笑いを浮かべてその様子を眺めていた。

 そして対面に座る女性。その女性はその鬼気迫る表情で誰かにメールを送っている彼女に向かって少しひきつった苦笑いを浮かべながらも声を掛けた。

 

「どう? お兄さんと連絡はとれそう?」

 

 声を掛けられた少女の方は気が気でないのかその長い黒髪をはためかせる勢いで顔を上げて片手を突き出した。

 

「待って、待ってください……っ。兄さんがメールはおろか電話にすらでないなんて……今まで無かったのにっ!」

 

 祈るようにスマホを見詰める少女はぽんと肩に手を置かれてぴくりと震えた。

 手を置いた張本人である少女は笑いながら宥めるように言った。

 

「いや溜莉の兄ちゃんのシスコンっぷりは知ってるけどそんな毎回直ぐに出れるようなものでもないでしょ?」

 

 溜莉と言われた黒髪の少女……薬膳溜莉は首を大きく横にふって否定を示した。

 

「ありえません。兄さんがバイトの時間は把握してますし今日でもありません。夜の寝た後の時間でも無い上にこんな時間で後で折り返す等の返信がなかった事はありませんでした」

 

 まだ幼い時に一人で家に居るのが寂しかった時に思わず電話してしまったときも絶対に一声は声をかけてくれた兄が少しの返信も寄越さないというのはあり得ないと溜莉は熱を奮って説明する。

 

「いや……ブラコンぷりにも拍車がかかってるね…………」

 

「何ですって?」

 

「分かった分かったてば…………で、話を戻すけどこの指輪、間違いなくその兄ちゃんにも()()()()()()()()?」

 

 そう言って茶髪の少女……灯対ともかは()()()()()()()()()()()()を見せた。

 それに追従して対面に座る女性はその右手の小指に嵌められた指輪を見せるようにテーブルの上に乗せる。

 

「…………その指輪はなんだ、って直接聞かれましたので間違いないかと」

 

「それだとおかしいのよね……溜莉ちゃんはお兄さんの魔素を確認して、活性化はしていないって感じたのよね?」

 

「はい、少しぶれてた気もしますが疲れていたようなのでそれが原因だと思いますし」

 

 それに、と溜莉は続ける。

 

「言われてたあのバイトから支給されたベストにもそれらしきものが入っていなかったのでやっぱり兄さんは関わっていないと思います」

 

 溜莉は昨日の夜を思い出す。こっそりと、兄の仕事用のベストのポケットを漁った時のことを。途中兄が目覚めそうだったので急いで確かめたが確かに中には特別怪しいものは何も入っていなかったのだ。

 目の前の女性が教えてくれていた通り、四角いケースは合ったがその他には何もなく二つ目のケースや、その他の魔素が感じられる物は無かった。

 

「こうしていても仕方がないし……今日のところは解散ね。瑠璃ちゃんはお兄さんの連絡がとれ次第いつ空いているか確認しておいて。灯対ちゃんはこのまま私と一緒に来て訓練ね」

 

「はーい!」

 

「…………わかりました」

 

 女性はそう言って席を立ち上がり伝票を持ってレジへ向かう。

 残された灯対は席を出ようとするが一向に動かない溜莉に不思議そうに疑問の目を向けた。

 

「どうしたの? お腹いたいの?」

 

「違います」

 

「じゃあどうしたの?」

 

「…………何故か、嫌な予感がして」

 

 溜莉はスマホから目を離してレジの方向へ目を向ける。その先ある意味で先輩と言える女性が此方を見ながら会計を済ませている。

 

「私達が、『()()』を使えるようになって半年。頼れる大人が居て、あなたが居て、もう普通に生活できないって思っていたのに何だかんだと満たされていて……でも何だか出来すぎているような気がして」

 

「出来すぎているのなら良いことじゃないの?」

 

 席を立った溜莉の横を灯対ともかが通り過ぎていく。

 その光景を見ながら、何故か、心が不安を押し上げるのに耐えきれなくなって、誰にも聞き取れない程に小さく言葉を出した。

 

「だって、誰かが意図して作り上げたかのような平穏だったのに……それが崩れてきたように思えてしまって」


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