背筋が震えるほど澄んだ空だった。あそこからは、俺の姿はよく見えるのだろうか。子供のような理論だ、人が死んだら空に行くなど。それでも俺には、もうそれくらいしか縋る道がなかった。
綺麗な空の下で、俺が殺してきた人たちに見られながら静かに生きる。ここは空気も澄んでいて、都会のような背の高い建物もない。きっと向こうからは、俺の無様な姿がよく見えることだろう。
そうであればいいと、強く思う。
何も望まず、許されず、静かに生きる。出来るだけみっともなく。俺が誰より救えなかった二人に見張られながら。そんなことをする人間ではないと知りながら。俺は自己満足にここで生きる。そして、静かに死ぬ。
それだけが俺の願いだった。誰の手向けにもならない、贖いだ。
彼が言うように、みすぼらしいというのならこれ以上の言葉はない。俺はそうして、死んでいく。
「みすぼらしく見えるのなら、何よりだ」
今ここで。もしくは、今まであったどこかの節目で。死んでしまうという選択肢だってあった。しかし、それは選べない。死んでしまうことは簡単だと、死にたくなるほどよく知っている。
そうして俺は、数えきれない命を奪ってきた。必要な数だけ殺してきた。必要ない分も、殺したかもしれない。もう、とうの昔にわからなくなっている。
だから、俺は死を選べない。死にたいからこそ、死ぬわけにはいかなかった。俺の命は、俺の望みを叶える為にあってはならない。
「お前の、みすぼらしい姿を見て、誰が喜ぶんだ」
「……誰も、喜ばないだろうな。君だって、そんな趣味はないだろうし」
「じゃあ何のためだ。何のために、お前はこんなところで生きている」
「俺のためだよ。俺はもう、自分のためにしか生きられない」
「こんなところで生きるのが、お前のためになるのか? 違うだろう。お前は、贖罪と言った僕の言葉を否定しなかったな。お前がここで生きると決めたのが贖いのためだというなら、それは」
「彼のためではない。君のためでもない。俺のためだ」
「ふざけるなよ、赤井秀一。何がお前のためだ。僕はそんなこと認めない。ヒロを言い訳にして、こんな」
「俺が許しを乞いたいのは君じゃない」
「死んだ人間じゃあ、お前を許すことすら出来ないだろう!」
「だから、許されなくて構わない。許されたいわけじゃないんだよ、降谷くん。俺は、ここで、静かに、生きたいんだ」
俺が許されたいのは、今を生きるこの彼ではない。俺が許しを乞うのは、俺が殺してしまった人たちだけ。そしてその人たちは、もう俺に何かを言うことはない。
責めていないことなどわかっている、許していることも知っている。それでも俺は、全てが終わった今こそ、その言葉を聞きたかった。
聞けない言葉を永遠に求めながら、俺は虚しく侘しく生きていく。それが、俺に選べるただ一つの、命の使い方だった。
「だから、帰ってくれ。君の嫌いな男は、ここで勝手に生きていくよ」
彼には悪いことをしたと、思うのはこれで何度目だろうか。そんなことを思える有り難さに、少しだけ俺の心は救われる。
そうして次には、俺の心だけが救われてしまうことに矛盾を感じる。彼は、唯一無二の存在をなくしているというのに。俺はそれを悔やむことで、悔やめる相手がいるということに救われてしまう。侮辱だった。
俺は彼が生きていることに安堵して、彼を追い込んだ過去から少しだけ目をそらしてしまう。そんなことは、許されない。
他の誰が会いに来たとしてもどうとも思わなかっただろうに。どうしてよりにもよって君が来てしまうのだろう。これも、俺への罰なのだろうか。
帰れと告げて、彼は顔をかすかに前に倒した。長めの前髪に隠れて、彼の表情がわからなくなる。強く握られた拳は震えているが、それがどういう感情から来るものなのか、俺にはわからなかった。ぽつりと、彼が何かを言った。聞き取れなかった俺は、反射的に彼の名前を呼んだ。
「…………るさい」
「降谷くん?」
「うるさいって言ってんだよ!!」
ゴッ。鈍い音を立てて、震えていた拳が真っ直ぐ頰に飛んできた。とても痛い。何をするんだと抗議するのはお門違いだということだけはわかったので、黙って彼の言葉に耳を傾ける。彼の口からは、懐かしい名前が転がり出た。
「ごちゃごちゃごちゃごちゃ、うるさいんだよ! 隠居か? 隠遁か? 勝手にしろ! お前がどう生きようが僕の知ったことか! けどな、お前がその引き合いに僕の幼馴染たちを利用するって言うなら、話は別だ。ヒロはお前を恨んだりしないし、明美はお前の幸せを呪ったりしない。自己満足に生きるのも結構だが、それを二人のせいにするな!」
だいたいなぁと、降谷くんの勢いは止まらない。殴られた頬はじんじんと痛むまま、彼の言葉を聞きもらすなと責めてくる。よく聞けと、訴えてくる。明美の名前まで持ち出されて、俺はそれに従うしかない。
そうか、君は、彼女とも親しかったのか。あの、泥に埋まるような日々の中で、変わらずいた彼女と。
「僕はお前が嫌いなんだよ!」
「……それは知っているが」
「そういうところもだ! ……とにかく、僕はお前が嫌いだが、僕の幼馴染たちはそうじゃない。そして、二人を揃って知っているのはもう、この世に、僕とお前しかいない。わかるか、赤井秀一。お前が罪滅ぼしだとか贖罪だとか言って引きこもるとな、僕の中の大事な二人が生きた証が一つ消えるんだよ。ふざけるなよ。お前には何が何でも真っ当に生きてもらう。僕の幼馴染を、お前の身勝手で消すな!」
「明美も、君の幼馴染だったのか」
「そうだ。僕の大切な友人だった。……そして、僕も、彼女を救えなかった」
「降谷くん、それは」
「違わない。僕だって、明美を助ける道はあったはずだ。でも、出来なかった。力が及ばなかった。ヒロも、僕の不注意で死んだも同じだ。お前だけのせいじゃない」
「でも、君のせいじゃないだろう」
「なら、お前のせいでもないはずだ」
だったら。
「誰のせいでもないんだよ、赤井」
そんな言葉は、嘘だった。
「ヒロは、僕の不注意と、お前の油断と、ヒロの決断で死んだ。明美は、僕の力不足と、お前のきっかけと、明美の決断で死んだ。二人とも、決めたのは自分自身だ」
そうだとしても。
「ヒロは死ぬ直前、僕に連絡を取ってきた。逃げ場はあの世しかない……遺言だな」
やめてくれ。
「明美は、お前に何か残さなかったか?」
責めない言葉が、俺の心臓を静かに止める。
大くんへ。
久しぶり、お元気ですか?
私は無謀だけど、賭けに出ます。
これで私も立派に犯罪者です。
大くんとおんなじになりました。
これで、あなたの気持ちが少しはわかるのかな。
今はまだわかりません。
無事に全部終わったら、一度会いたいです。
会って、名前を教えてください。
あなたの名前を呼ばせてください。
P.S.
それと、会ったら告白するので覚悟しといてください。
ずっとあなたが好きです。