贖い   作:赤穂あに

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穏やかに生きている

 

「世良が、半熟卵がなかなか成功しなくて意固地になってたのを見て色々目が覚めたって言ってましたよ」

 白けた顔を見せながら、コーヒーを飲みにやってきた新一くんは手元のストローでほとんど黒色の液体をかき混ぜた。カラカラとグラスに氷がぶつかる音が耳に心地いい。今日はよく晴れたあたたかい日で、彼が飲んでいるものと同じアイスコーヒーがよく売れる。

「ははは。あの時より成功率は上がったぞ。食べていくか?」

「結構です」

「遠慮しないで、俺の奢りだ」

「秀一さんすぐに誰彼かまわず知人に奢るのやめてください、バイト代から引かれてるんですよ?」

「その分また稼げばいいだろう?」

「バイト代もらう気ありますか?」

「もらえたらありがたいなぁ」

「う〜〜〜ん、この人大丈夫なのかしら……安室さんとは別の意味ですごいわ……」

「気をもむだけ無駄ですよ梓さん」

 考えたってわからないことはあるんだと、とても平成のシャーロック・ホームズとは思えない発言をした新一くんは、慣れた手つきでスマホを操作しながらストローを咥えている。行儀が悪いとは思ったが、彼ももう高校生。喉に突き刺さるような事故には繋がらないだろうと信じて、放置する。

 発言から察するに、彼もどうやら俺の変わりように色々と考えを巡らせたらしい。家族以外はおおよそ彼のように何があったのかと訝しむか、特に深くつっこまずに受け入れるかのどちらかなので、その反応が目新しいということもない。

 特に彼は、真実を暴くのが仕事であり使命でもある探偵だ。探らずにはいられないのだろう。その点に関しては探られて痛い腹があるわけでもないので、答えられることには全て答えてきたが、その結果、彼は考えたところで仕方がないという結論に至ったのだろう。

 正直なところ、その決断は俺にとって意外であった。言葉を選ばずに言えば、もっと問答無用で古傷までまさぐってくるイメージがあった。もっとも、そうされたところで俺の古傷は彼には開けないので、構うことでもないのだが。

「あんなに根掘り葉掘り聞いてきた口から出る台詞とは思えないな」

「FBI辞めてフリーター生活選んだ人に言われたくない」

「FBI?!」

「その前に山籠りしたらしいし」

「山籠り?!」

「俺の赤井さん像はもうめちゃくちゃ……考えるだけ無駄……」

「君は俺に夢でも見ていたのか?」

「……けっこう見てた」

「それは光栄だ」

「FBIと山籠りってなに? え? 秀一さんが辞めたのってFBIなんですか? え? FBIって山籠りするの?」

「ははは」

「はははじゃないんですけど!?」

 一人で何人分も騒ぎ立てる梓さんを放置して、客が帰ったばかりのテーブルを片す。日本人の大半は必要以上に荒らさないので助かる。過剰に綺麗に使いすぎのような気がしなくもないが、こちらとしては仕事が減るのだから素直に感謝しておこう。

 カラカラと、ドアベルが鳴る。いらっしゃいませと顔をそちらに向ければ、見慣れた赤茶色の髪が揺れていた。新一くんとは異なる制服に身を包んだ志保だった。

 工藤くんと、落ち着いた声が彼を呼ぶ。どうした? と、こちらも落ち着き払った様子で彼女に応え、自身のとなりのカウンター席へと促す。するりと足がカウンターと椅子の足の間に収まって、アイスコーヒーひとつお願いしますと梓さんに告げた。

「こんにちは」

「ええ、こんにちは」

 空いたグラスやお手拭きの残骸をトレーの上に詰め込み、カウンターの中に戻る。水出しコーヒーをグラスに注ぐ梓さんの隣で洗い物をしながら、手元に降り注ぐ水柱に目を落とした。食洗機を使うのは繁忙時だけなので、客が一組しかいない今、カウンターから離れるにもこの洗い物が終わってからでないと理由がつけられない。

 手早く片し、志保のもとにアイスコーヒーが届けられる頃、ちょうど蛇口を捻ることができた。柔らかいタオルに二、三度手を押し付けて、買い出しに名乗りをあげる。

「じゃあこれ、お願いしますね」

「承った」

 エプロンを外し、カラカラと、先程聞いたより大きなドアベルの音を背中に受けながら、店を出る。そのあと、二人がどのような会話をしていたのかはわからない。

 

✳︎✳︎✳︎

 

 露骨だなと、行儀悪くストローを口に咥えたまま話す工藤くんに、行儀が悪いわよと真っ先に言ってしまったのは最早くせみたいなものだった。

 それなりに長く、幼い友人たちに囲まれて生活していたせいで、躾みたいな台詞がすぐに口をついて出てきてしまう。その度に彼は懐かしそうに少しだけほころんで、わりーわりーと、ちっとも悪びれずに謝罪するのだ。

 今日もその通りの会話が続いて、ストローはグラスへと帰っていく。私は、露骨だと言った彼の言葉へは応えないまま、そのまま本題に入った。

「これ、この間の」

「おっ! さすが宮野」

「さすがじゃないわよ。こういうことやめたら?」

「オメーも気になるだろ?」

「別に」

「いとこなんだろ?」

「らしいわね」

「らしいって……」

 スクールバッグから小型のノートパソコンを取り出して、そのまま彼に見せびらかしていたUSBを差し込む。出てきたファイルはひとつだけ。赤井秀一が世良秀一になった経緯だった。あの人はそのあたり、特に隠すつもりもなかったようで、手続きの詳細もその後の行動もあっさりと見つかった。

 例の作戦のちょうど終わり頃、改名の手続きを完了させ、同時進行でFBIの退職手続きの申請と受理がおこなわれた。作戦自体は日本での決行となったので、一度アメリカに帰国。そのままとんぼ返りする形で日本に入国。改名手続きが完了していたため、その頃にはすでに赤井秀一から世良秀一へと名前を改めている。これにより上手く追跡をかわし、そのまま東北の山中に拠点を移した。

 それより後は、誰もが知る通りだ。降谷さんが山から引き摺り下ろして、その足でアメリカに飛び立ち、数日経たずに戻ってきて、ポアロでバイトを始めた。

 どうやら、安室透がいなくなったことによる榎本さんへの影響を鑑みた結果、護衛のようなものが必要だろうと判断されたらしく、あの人はそれを引き受けたようだ。彼の今の収入は、バイト代ではなく公安の協力者としての部分が大きい。

「うーん、本人に聞いた内容と一緒だな」

「そりゃそうでしょ。あの人が嘘をつくメリットがないもの」

「信用してんだな」

「疑うことに意味がないだけよ」

「あのなぁ、オメーがそういう態度だから赤井さんもああなんじゃねーの?」

「あの人、日本に来てからはずっとあんな感じよ。当たり障りなくっていうのかしら」

「話したりしねーのか?」

「世良さんとは少し話すようになったけど、それくらいね」

「そっちのが意外だな……」

 あの人が帰国してからしばらく、世良さんはよく落ち込んでいた。兄が兄だと思えないようなことを言って、そんな風に思う自分を恥じたり、悔いたりしていた。しかし、それもついこの間までのことだ。

 彼女も結局、工藤くんのように考えたって仕方がないと変なこだわりをやめて、気軽そうに笑うようになった。過去は過去と割り切る強さを垣間見た私は、なんとも言葉が出なかった。

 私は結局、あの人に一番聞きたかったことが未だに聞けずにいる。

「工藤くん。あの人から何か、お姉ちゃんの話って聞いたことある?」

「……流石にねーよ。俺から聞ける話題でもねーし」

「そうよね」

 さすがにそのレベルの倫理観はあるようで安心したわとコーヒーを細いストローから吸う。白いストローの中を、濃い茶色の液体が登ってくるのを視線で追いかけながら、すこし乾いた口の中を潤した。

 喉を鳴らして、食道を冷たい液体が落ちていくのを感じながらもう一口。冷えていく胃の中のように頭も冷えてくれればいいのにと思いながら、胃に飲み物を送り込む。

 こんなこと、冷静じゃない時に聞こうものなら、下手をすれば翌日には新聞の一面に載る。返答次第では私はそれこそ手段を問わないだろう。

 あの人は、お姉ちゃんを愛していたのだろうか、なんて。

 それ自体を結局一度も疑えないまま、あの人は穏やかに緩やかに日々を過ごし始めていた。それを私自身、憎らしく思っているのか、安堵しているのか。それもまた、いくら考えてもわからない。

 それならば聞けばいいのだと、そんなことは理解している。それでも、聞くのが怖かった。否定されると思ったわけではない。拒絶されると考えたこともない。

 それでも。あの穏やかな人が、その様に相応しく生きていくというところに、要らぬ波風を立ててしまうのではと恐れている。だって、お姉ちゃんはそんなことを望まないから。それでも。それでも。

 愛してくれていたのならば、傷を引きずって生きてほしいと望んでしまう私がずっといるのだ。そんなこと、どうしたって言えなかった。

 

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