相談したいことがある。そう言われて勇んで兄さんの職場に足を運べば、なんというか、けっこうな惨事が広がっていた。
店は繁盛しているなんてものではなく、お昼時ということを差し引いても大混雑していて。それを兄さんはまあ手慣れた様子でさばいていくのだけども、終始心ここにあらずといった感じにアンニュイなため息なんかを意味深についたりするものだから、言葉を選ばず言えば、まあ、結構な数の女性にすごく騒がれていた。
生涯職には困らないだろう美丈夫な兄に遠い目をしつつ、僕は大人しく隅っこの方でそのざわめきが収まるのを待つ。
淹れてくれたコーヒーがとても美味しくて、甘いクリームをふんだんに使われたパンケーキによくあっている。舌鼓を打っていれば待つ時間はそんなに苦ではない。
そもそも、兄さんが僕に相談したいなんて言ってくれたのだから待つ時間すらも嬉しさでそわそわして仕方がなかったのだけども、ともかく。ほとぼりが冷めるには結局四時間ほどかかってしまい、ようやく兄さんが一息つけるようになった頃には、もはや夕方に差し掛かるような時間になっていた。
「すまないな、随分と待たせた」
「いいよ。コーヒーもケーキも美味しかったし」
「最近なぜかやたらと混むんだ……」
「あ、自覚ないんだ?」
「? なにがだ?」
「ううん、別に。それでこそ兄さんって感じ。……で、どうしたの? 改まって相談って」
「秀吉、おまえ、由美タンのどこがすきだ?」
「えっ全部だけど……なんの話?」
「志保にな」
「ああ、志保ちゃん。なに言われたの?」
「明美のことを愛してたかどうか聞かれたんだが」
「……うん」
「俺にはわからなくて、答えられなかったんだ。というか明美に限らず、異性をそういう意味で見たことがあるのかどうかも、わからなくなってな」
「うん」
「身近にそういう話を聞けそうなのが秀吉くらいしかいなかった」
「そう……。まずは友達作ろうね、兄さん……」
そう言いながらも、僕も友人に関してはあまり人のことを言えないことを思い出しつつ、コーヒーを一口すする。鼻を抜ける香りが心地よくて、器用なのか不器用なのかわからない兄さんに少しだけ笑ってしまう。
志保ちゃんと明美さんのことは、おおよそだけ話を聞いていた。母さんと同じ薬を飲んでいたこと、隠れて生きていたこと、明美さんと兄さんが付き合っていたこと、明美さんが死んでしまったこと。
きっと僕が知らなくていいことを除いたら、これだけしか伝えられなかったんだろうということはわかっている。だから僕もそれ以上のことを聞いたりはしない。だから知り得た中で、僕は兄さんの悩みをひもとかなければならない。
まず、なぜ志保ちゃんは兄さんにそんなことを聞いたのか。付き合っていたのだから、ふつうに考えたら兄さんは明美さんのことがすきだったはずだ。聞くまでもない。だけど、聞かずにはいられなかった。
それはつまり、ふつうに付き合っていたというわけではない、ということになる。そうなると、どうだろう。兄さんは好きでもない相手と付き合っていたことになり、そして、その相手は今、この世にいない。
もしかして、それすらも兄さんのせいだとすれば。
志保ちゃんの疑問はもっともだ。血を分けた姉は、付き合っていた相手のせいで命を落とした。ならばせめて、愛してくれていればと願う。真っ当な感情だ。
僕としては、到底信じられる話ではないのだけど、あの頃の兄さんを思えば否定することもできない。やりかねないという危うさは充分にあった。でも、それでも、兄さんは兄さんだ。
「こう言ったらあれなんだけど」
「なんだ?」
「愛してたよって、取り繕っておこうとは思わなかったの?」
「……ただでさえ、不誠実だったんだ。これ以上それを重ねるわけにはいかない」
「そっか」
じゃあ、兄さんはきっと、明美さんのことをこの上なく愛していたんだろうね。僕は確信を持ってそう言った。どうしてわかるのかと目を丸くする兄さんに、僕は笑ってしまう。どうしたって笑えない結果だったけど、少しでも兄さんが楽になればいいと、僕の願望に沿った笑顔で、言う。
「兄さんは、万人に優しい人ではないから」
だからきっと、死んでなお心を砕くというのなら。きっと明美さんのことを愛していたのだろう。そしてそれに気が付けないというのなら。きっと、それに気が付くこと自体が、兄さんにとって辛いことなのだろう。
でも、それでも知りたいと願うのなら、僕は、できるだけ苦痛を取り除いて伝えてあげたいと、そう思う。
「故人に想いを馳せている時点で、きっと、言い表せないほどの感情は、あったと思うよ」
喉に流し込んだコーヒーは冷めていて、舌に広がる苦味は美味しいとは形容しがたかった。
簡単なことに気付いてしまえば、あとは全て芋づる式に明らかになる。
俺はわからなかったわけではなく、わかりたくなかっただけだ。認めてしまえば、取り返しがつかない、だけではなくなる。
俺は自分の選択で、見捨ててはいけないものを見捨てたと、改めて思い知ることになる。守らなければならない人を、見殺しにしたと。突きつけられる。
笑えない。どうしたって笑えない。笑えないのに、もはや、俺は己の愚かさに嗤うしかない。