贖い   作:赤穂あに

3 / 26
メアリー・世良の愛する息子

 秀一は優秀ではあるけれど、それをひけらかすようなことはあまり好きではない子だった。物静かで、落ち着いた子だった。

 四つ下の秀吉もよく似た子で、秀一は秀吉が何か成果を上げれば諸手を挙げて喜んだし、秀吉もそんな兄を尊敬し褒められたくてチェスや将棋に打ち込んだ。

 穏やかな子供達だった。私と夫の間に生まれた子とは思えないほど、荒事の出来ないような子たちだった。

 しかし、いつからだろう。あの子は、秀一は徐々に変わっていった。

 武術を習いたいと言い始めた。私や夫のように強くなりたいのだと言った。わがままなど一つも言ったことのない愛する我が子の望みを、私たちは喜んで受け入れた。元来器用な子だったので、すぐに上達した。

 射撃に興味があると言ったので、こちらも教え込んだ。シャーロック・ホームズを読み始めた。

 緩やかに緩やかに、あの子は変わっていった。悪いこととは露ほども思っていなかった。あまり物事に執着のない子供だったから、あの子の中に特別なものが出来るのならきっと幸福なことなのだろうと信じていた。

 それは間違いだったのだけど。

 あの子がハイスクールに上がる少し前のことだった。夫の最期のメールに従い、日本に移り住んでいくらか経った時のことだ。あの子にとっては、将来のことを考え始める年頃だったと思う。

 真純が生まれる、ほんの少し前のことで、あの子はかつて習い事をねだった時と同じように、アメリカに留学したいと言い始めた。状況が状況なだけに、すぐさま背中を押してあげられなかったのは仕方のないことだった。家族を守れるのは私しかおらず、いつ何処で何が起きるか一切の予想が出来なかった。所属先にも今は頼れない。

 少しだけ、正常な判断能力を欠いていたのだと、今は確信できる。

「安心してくれ、母さん。俺は自分の身一つくらいなら自分で守れる。父さんと母さんの自慢の息子だろ? アメリカで学びたいことがあるんだ。出産を控えている今、ろくな手伝いもせずに悪いが、頼む。大丈夫、定期的にきちんと連絡は取るし、目的が済んだら必ず合流するさ」

 穏やかな笑みを浮かべて、あの子は私が安心するような顔と言葉で自分の意思を押し通した。

 どうして、私はあの時あの子の言葉に頷いてしまったのだろう。どうして、私はあの時あの子の顔に安心などしてしまったのだろう。夫との宝物を守れるのは、もう私しか居なかったのに。

 

 あの子は約束通りに月に一度は手紙を送ってきた。私宛てと秀吉宛て。しかし、真純がそれなりに大きくなった頃に回数は減り、個別宛てではなくなり、こちらが幾度となく催促をしてようやく一度返事を寄越すという形に変わっていった。異常というほかなかった。あの子は、約束を違えたことなど一度もない。誰よりも不安がったのは秀吉だった。

 あの子に何かあったのではないかと、心配している旨を手紙に認めていた。そうすると、手紙の返事はすぐに送られてきた。ますます異常だと、秀吉は何度か泣いた。変わってしまったのに、変わっていない。姿が見えないことも、不吉な予感を増長させた。

 秀一は、約束を違える子ではない。それでも、約束を違えた。家族に要らぬ心配をかける子でもない。それなのに、私にも秀吉にも要らぬ心配をかけさせた。心配している旨を伝えれば安心させるようないつもの手紙が届いた。あの子は何も変わっていないのに、何かが歪んでいるようでただ不安だった。

 そしてその不安は、最悪の形で的中した。

「母さん、俺はFBIに入る」

 七年ぶりに顔を合わせた秀一は、最早別人になっていた。真純に興味を示さなかった。皮肉な言葉が増えた。こちらの心配を意に介さなかった。

 誰だ、この男は。

 血の気が引いた。一度も手を上げたことなどなかったが、ふざけるなと殴りかかった。殴り返された時は思わず呆然とした。

 ショックで固まっていると、秀一は少しだけ眉を寄せた。見覚えのある仕草だった。武術を習い始めた頃に、怪我をして帰ってきた秀一が見せた顔だった。秀一が怪我をして、反射的に顔を曇らせた私を見て、あの子がした顔だ。私を心配させたことに、あの子は傷付いたのだ。

「あなたは、それでいいの?」

「そうすることが俺の使命だ。母さんも、父さんの死の真相を知りたがっているだろ」

 そうして秀一は、宣言通りFBIに入った。夫の死の真相を突き止め、根源たる組織を叩き潰し、私の身体をも元に戻した。良かったと微笑んだ秀一の胸の内を、結局、私は最後まで理解してあげられなかったのだろう。

 だから私は、最愛の息子を失ったのだ。

 人知れず消えてしまったあの子の心を、私は何も分かっていない。

 

 

 

私のあの子




俺は、親不孝者だ。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。