あの人が行方不明らしい。へえそう。特に何の感慨もなくそう言えば、工藤くんはたいそう不満気に文句をこぼした。どうやら、既に数名に同じようにあしらわれているらしい。
そんなの当然でしょう。三十も超えたいい大人が、自分の意思で姿をくらましているのだから外野がどうこういう問題ではない。
だいたい、殺したって死ななそうな人だ。心配するのもお門違い。何も言わずに消えた人に、こちらから何か言うことなどない。
そもそも、あの人はお姉ちゃんが死ぬことになった原因の一人でもある。私とあの人がお姉ちゃんを殺した。手を下したのがジンだとしても、その付け入る隙を生んだのは間違いなく私たちだ。
私がお姉ちゃんを組織に繋ぎ止め、あの人が組織に取り入るためにお姉ちゃんを利用した。利用されたお姉ちゃんは、NOCを手引きしたと言って無理難題を押し付けられて、工藤くんの目の前で死んでいった。
そんな人の心配を、私がすると思っているのかしら。
「なんだよ、オメーだって世話になっただろーが」
「ストーカー被害にも遭ったのだけど?」
「いや、だからそれは」
私のため、と彼は言うのだろう。しかし、あの人はそう言わなかったことを、工藤くんは知らない。
あの人は全てが終わった後、包み隠さず全てを伝えてくれた。盗聴盗撮ハッキング、ストーキング行為に以下自主規制。怒りで震える私に対して、申し訳ないことをしたと、あの人は目を伏せた。私の命を守る為だったと。私の為にならないことをしたと。はっきりとそう言った。
あの言葉の真意を、未だに掴めないままでいる。
「君の命を守る為とはいえ、君の為にならないことをしたと、猛省している。命以外で、なんでも望む償いはしよう」
「私の為にならないって」
「君は、死にたがっていただろう。そんな人間を死なないように見張っていたのが俺だ。到底、君の為ではあるまいよ」
そう言って穏やかに笑った顔は、ディスプレイ越しでなら何度と見たことがあった。あまりに台詞とそぐわない顔で、情報が一瞬合致しなかったけど。
お姉ちゃんのケータイの画面だったり、送られてきたメールの添付画像だったりで幾度となく見せつけられた顔だ。お姉ちゃんと笑うあの人は、穏やかな顔をしていた。
たった一人の姉を奪い取る存在として、いつだって目の敵にしてきたあの人は、それでもきっと誰より姉を愛してくれているのだと。そう信じていた。今でも、結局、それだけは疑えない。
あの人の口から直接、お姉ちゃんを利用したのだと告げられても。助けなかったと、見捨てたのだと伝えられても。私は、お姉ちゃんの目から見たあの人をいつも見ていたから。
『大くんはね、すごく優しいの。きっと、志保も好きになってくれるわ。だって彼ね、目をそらすと微笑むのよ。照れ屋で、可愛いの』
お姉ちゃんが見せてくれるあの人の写真は、いつもカメラを見ていなかった。隣か、近くにいるお姉ちゃんを盗み見ている。カメラに向かって揃って写真に写っているものなんて、ただの一つも笑っていないのに。
顔を背けている時に見せるあの顔が、何を言われたってあの人の素顔だった。慈愛に満ちた顔だった。お姉ちゃんの幸せを、願ってくれている顔だった。私と同じ顔だった。
「ねえ、工藤くん」
「どうした?」
「あの人、幸せだったのかしら」
お姉ちゃんの幸せを祈る傍らで、あの人自身はどうだったのだろうか。そんなことを、ふと考えてしまう。
潜入捜査中だったのだから、自身の幸福など二の次に動いていたに違いないが、それでも。さなかにあの人はお姉ちゃんに慈愛を向けてくれた。目的が取り入ることだったのなら、あの顔を直接目を見て向ければ済む話だ。
それなのに、いつだってあの人は陰からお姉ちゃんを見守った。悟られないように。あの不器用な人が、それをあえてやったとは考えづらい。だから、何度考えてもあの顔は真実で、その度にわからなくなる。
「明美のことで、俺から君に何か弁明をすることはない。ことさら、話すべきこともないからな」
そう言えば、その台詞を聞いた降谷さんが殴りかかろうとしたこともあったかしら。なんて、どうでもいいことに思考を割り振る。きっと私自身も、目をそらしたいのだと理解している。だってあの顔は、いつも写真で見た顔だったから。
「私、あの人のこと嫌いよ」
「……そうかよ」
「ええ。嘘が上手い男は、不愉快だもの」
あの人は、何を考えているのかわからない。きっとみんなが同じような言葉を吐くのだろうけど、私は少しだけ意味合いが違う。
あの人は、一個人として何を望んでいるのかがわからない。私が出会った頃はもちろん、組織の壊滅を熱望していたのだと思う。車に跳ね飛ばされてでも取り入って、その縁を足掛かりにコードネームまでもらったのだ。そこに嘘偽りをはないのだろう。
ただ、どうしても考えてしまう。あの穏やかな顔の意味を。お姉ちゃんの幸せを願ってくれた顔を。それを本人に見せてくれなかった意味を。
怖いのだ。
だって、ああやって誰かを慈しんでいる顔は、自らの幸福を忘れている。
それはいつだって、間違いなのに。
まるで私を見ているようで