蝶に焦ぐ   作:赤穂あに

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※pixivからの転載です


華やぐ蝶を

 俺は針仕事が好きな二十歳男性。趣味と実益を兼ねて反物屋で働いている、行き遅れの独身だ。親父が、亡きお袋を想って針を刺しているのだろうと勘違いしていてくれるお陰で、ありがたいことにまだ実家暮らしが許されている。因みに、ご近所さんが俺を見る目は非常に白い。平成改め令和のこの世で鈍感力は大事。

 ……………………いや今令和じゃねえな、大正だわ。

 ん? あれ?? 令和ってなんだ? 平成も何? 俺の頭に流れてきた映像は走馬灯? というよりは、白昼夢だろうか。

 とうとう親父も堪忍袋の緒が切れて、俺を殺して無理心中しようとして、何故だか俺に噛み付いてきたりしたもんだから、俺もよくわからない夢を見てしまったのだ。きっとそう。多分そう。

 目の前で親父がぶくぶく沸騰したようにもがき苦しんで死んでいってしまったから、頭がおかしくなっているんだ。きっとそう。

「お怪我は……してますね、意識はありますか?」

 俺はきっと、随分と精神にきていたんだと思う。親父に噛み付かれて肉が削げた腿が痛いのかどうかも分からなかったし、爪で抉られた脇腹からどくどくと溢れ出る血液が熱いかどうかも分からなかった。意識が朦朧とするってやつだ。前後不覚、マジで死んじゃう五秒前。

 そんな時に、とびきりの美人が俺の身を案じて側にしゃがみ込んでくれたのだから、そりゃあもう、ぶっ飛んだ頭では湧いたセリフしか出てこない。

「女神か天使がいる……お迎えだ……。俺、死ぬんだなぁ……」

「……死にませんよ、助けますからね」

 とても助かる気はしなかったが、そこはもう、そのまま意識をスコーンと手放してしまった俺にはあずかり知らぬことである。何故なら人に聞いたところ、俺はひと月ほども眠り続けたそうなので。むしろ、よく死ななかったもんである。

 そうしてひと月眠り続け、体の軋みと共に起床した俺を待っていたのは、女の園……ではなく、蝶屋敷と呼ばれる立派な邸宅での暮らしだった。

 どうやらみんな、幼いながらも各々のやり方で鬼と戦う使命を背負っているようで、いい歳して呑気に独身貴族を貫いている俺はその話だけで目頭が熱くなったりもした。すごい立派。語彙力がスッカスカなことを今日ほど恨んだことはない。

 彼女たちは、腿の肉が削げた際に神経もいささか傷つかられてしまったらしい、杖なしでは歩けない体になってしまった俺のお世話もしてくれる。めちゃくちゃいけないことしてる気分である。いかがわしいことはなんもないけど、成人男性は大なり小なり心は汚れているので。幼女にお世話される成人男性という文言が全てダメ。アウト。出禁にしてほしい。

 俺にできることなんて、せいぜい生業にしてきた針仕事くらいのもんである。ほつれを繕ってやったり、おまじないのような意味を込めて見えないところに蝶の刺繍を入れてやったり。気休め程度の役割しかない。

 なので、いい加減家に帰ろうと思う。

「そういうわけで、お世話になりました。このご恩は一生忘れません」

「忘れないというのでしたら、どうかこのままここで働きませんか? 男手が必要な時もあるので」

「いやでも俺、足がこんなで役に立たないと思いますし」

「針仕事の手が増えるだけでも、大助かりです。ここには年中、傷付いた隊士たちが運ばれてきますから」

 ここは人の出入りがとても多い。救命病棟なのか? ってくらい、じゃんじゃか怪我人が運ばれてきて、分類されて、軽傷なら俺が手当てしたり、重症なら最悪そのまま死ぬ。それが鬼と戦う彼らの運命だそうだ。

 現場に立たない俺にはわからないことだが、鬼殺隊はそういう者たちの集まりだと、ここの子たちに教えてもらった。

 とても現実のこととは思えなかったが、気狂いのように俺に襲いかかってきた親父のことは忘れたくても忘れられない。あれと戦うなら、そりゃあ、バタバタ人も死んでいくだろうさ。恐ろしい話だ。

 そういう意味では、出ていかないというのは大正解なのだろうけど、それでもどうしてか出ていかなくてはならない気がした。

「ね、繍蔵さん。そうしましょう」

「……胡蝶さんがそう言ってくれるのなら」

 ご厄介になります。崩した正座から頭をひとつぺこりと下げて、俺はここに留まることにした。顔を上げると超弩級の美人がにこやかに笑っていて、美しいなと思ったけれど、同時になんだかとても怖いような気がした。

 

✳︎✳︎✳︎

 

 胡蝶さん改めしのぶさんはいつもニコニコと笑っている人だ。ああいう人のことを、おそらく朗らかと表現するのだろうが、俺にはどうにもしっくりこない。あの人は、一番外側の皮以外は、どうしようもなく苛烈なのだ。

 鬼絶対許さないウーマンで、狙った獲物は必ず毒殺。命乞いなどしようものなら、拷問の末に真の反省を見せろと笑顔で脅す。いや、こえーよ。普段怒らない人が怒ったら怖い、とはよくいうが、あれは違うだろう。彼女は、常に怒っている。

 アオイちゃんに聞いた。しのぶさんは両親を鬼に殺されていて、お姉さんと二人生き残って鬼殺隊に入ったのだが、そのお姉さんも鬼に殺され亡くなったらしい。名前をカナエさんと言って、いつも笑顔の優しい人だったそうだ。今のしのぶさんはまるでカナエさんの真似をしているようで、たまに、心配になるとか。

 だから私も鬼殺隊に入って、しのぶさまの力になるのだと、彼女は誇らしげに胸を張った。その姿が俺にはどうしたって不憫に見える。頭の奥で、ちりちりと焦げ付くような記憶があった。

 カナエさんを倒したのは、十二鬼月の上弦の鬼で、感情が無くて、誰も彼もをどこかしかバカにしている男だ。カナエさんはしのぶさんが彼に勝てないと思ったから、鬼殺隊を辞めるよう言い残して死んでいった。そういう経緯があって、しのぶさんはカナエさんの足跡の上を歩くように生きている。

「はあ」

 出来ればこんな話、俺は生涯思い出したくなどなかったよ。

「あら、帆暮さん。ため息ついてどうしました?」

「なんでもないよ、しのぶさん」

 いつも通りにこやかに、しのぶさんは生きている。薄ぼんやりとした直感で、その下で息をひそめる怒りを察知していた時とは違い、俺はもう、ただこっそり怖がるだけは許されない。なんてったって、彼女は俺の命の恩人だ。そしてその恩人は、いつか死ぬ。食われることが勝利条件だと言って、命を弾にして敵の心臓を穿とうとする。

 よっこいせ。杖を片手に、立ち上がる。爺さんみたいなこんな俺では、正直、肉壁にすらなりゃしない。食欲だって唆られないだろうから、身代わりにもなってやれない。杖がないと歩けないから、当然刀だって振れないし、なんにも、なんにもしてやれない。

 じゃあ、なんにもしなくていいのかよ。自問するまでも無くそんなわけはないので、じゃあどうするかって、俺に出来るのはまず、頭を悩ますことである。

 力で勝てない相手は、技術で倒す。古来から人間がやってきた営みだ。ありがたいことに、俺は元来平成生まれのここからすれば未来人。一般教養の範疇で、この時代の人が知らないことも知っている。

「がんばろ」

「帆暮さんはいつも頑張ってるじゃないですか」

「ありがとね。ところでしのぶさん、俺の足って、治らないにしてももうちょっと普通に歩けるようになったりしないかな?」

「できますよ」

「えっ! マジ?!」

「全集中の呼吸というものがあるのですが」

「むりです」

「せっかく恵まれた体躯をしているのにもったいない……」

 あわよくばここ特有の技術かなんかで、俺の体だけでもなんとかならないかなと思ったけど、駄目だな。この人鬼のように厳しいわ。

 

✳︎✳︎✳︎

 

 目の前で父が鬼に化け、その鬼に食い殺されかけ、見知らぬ女にその父とも鬼ともとれぬ何かを殺されてなお、彼は穏やかだった。

 引きずるようになってしまった足に恨み言などこぼさず、蚯蚓のように残った腹の傷跡に悲観もせず。使いっ走りのように居座ることを強要されてなお、彼はふわふわと笑っている。

 正直、その神経をいささかどころではなく疑っている。混乱で記憶が曖昧というならまだしも、彼は当時のことを鮮明に覚えているのだ。自分の身に起きた一連の出来事を正しく認識してもなお、ああもたおやか生きていけるのは何故なのか。とうてい、私には理解できない。

 両親を亡くし、姉を奪われた私に遺ったのは激しい憎悪だ。鬼が憎い。どうしようもなく。毒でもがき苦しむだけなど生ぬるい。地獄の業火で燃やされてしまえばいいのにと願うほどに、私の心は憎しみと怒りで常に燃えている。

 そんな私にあてられたのか。はたまた、私以上に腹の底に蝮を飲み込むのが巧みだったのか。

「なあ、しのぶさん。最近、誰にも内緒でよくないことをしているだろう?」

 いつもと変わらぬ日向のようなあたたかな笑顔で、彼は私の秘密を問い詰めた。心当たりはある。藤の花の毒を全身にまで行き渡らせて、己の身を毒の塊へと変える薬。ようやく試験段階まで持ち込めたそれを、私は先日とうとう口にした。今のところ、体に変調はない。

 知られるはずがないそれを、私は当然とぼけてみせた。こういう時に、してないと返してはいけない。それでは心当たりがあると答えているようなものだから、よくないことの詳細を逆に問うのだ。よくないことって何でしょう? 笑って返すと、彼もいつもと同じように笑って答えた。

「例えば、そうだなあ。アオイちゃんに内緒で夜中に饅頭を食べたとか」

 指折り数えて、彼は言う。怪我をしているのになほちゃんに黙っててくれるように頼むとか、熱が出ているのに検温を誤魔化したりだとか。三つ四つと指を折って、彼は視線をこちらに戻した。

「自分を食わせて、姉の仇を討とうとするとか」

 どうにもその笑い方が、鏡に映る自分のようで。私は、少しだけ苦しくなった。

「藤の花の毒を体に蓄える薬があるんだろう? 俺にもどうか飲ませてほしい」

「……この際、どこで知ったかなんて野暮な話はやめましょうか」

「おお。話が早くてありがたいね」

「でもダメです。これはまだ実験段階のもの。被験者にいったいどんな影響が出るか、わかりません」

「そんなことはどうだっていいんだよ」

 どうせ俺は戦えないし。そう言いながら、肉が大きく削げた脚をさすったのは無意識なのだろうか。指先が着物を歪ませて、彼の顔も同様に歪んだ。

「死んで食われて鬼を殺す手段だろう? 前提として死ぬんなら、影響なんて関係ない」

「ですが、」

 だからと言って、はいそうですかと渡すわけにはいかない。私がこの薬を飲むことと、彼が同じようにすることではまるで意味が違う。

 私のこれは保険だ。私の毒と、力と、技と。全てを足しても届かなかったその時に、私は自分自身を相手に打ち込んでその身を殺す。その為の、最期の手段として私は自分を毒にする。

 でも、何の力もない彼がこれを求めることは、単なる自殺だ。自棄になることを許してしまうだけの理由になりえて、なおかつ、結果をもたらすことも出来る。それこそ、命と引き換えに。

 もちろん、それを認めるつもりなどなかった。引き下がらないなら、肉体に理解させたっていい。彼は守られる側の人間なのだから。そう、思ったのに。

「そうか。じゃあ嫌な言い方をしような。俺の親父を殺したのはしのぶ、お前だろ? だから、俺はお前の言うことなんてきかないよ。戦えない俺はせめて、殺せる手段がほしい。いいから、俺にもそいつを分けてくれ」

 きちんと守れてなどいないからこういうことになるのだと、笑うのをやめた彼の顔は、ごっそりと感情が抜け落ちたようだった。

 

✳︎✳︎✳︎

 

「肺を鍛えるだけなら俺にもできるかなあ」

 カナヲが強く吹いて割れた瓢箪を片付けながら、帆暮さんはぽつりと呟いた。出来ないことはないと思ったのでそう答えると、返事がくると思ってなかったのか、はたまた、声に出していたつもりもなかったのか。パッと顔を上げてこちらを見たっきり固まってしまった。

「ですから、出来ると思います」

「え……、あれ、俺喋ってた?」

「ええ。小声でしたけど」

 なぜ、そうしたいかは聞かない。それを問いただすことは、とても残酷なことのように思えたからだ。

 帆暮さんは、足が悪い。杖があれば歩くことに支障はないが、速く歩くことも長く歩くこともできないのだ。一部の筋肉と神経が、ごっそり欠けているからである。それを補うために、肺を鍛えて、付随して体の機能を向上させたいということは、日頃の生活からも充分推測できた。

 彼は、一度座り込むと自力で立ち上がることが難しい。腰掛けた状態からであれば持ち歩いている杖一本でそれができるが、床に座り込んだり、高さが不十分な腰掛けからでは困難をきわめる。屋敷の誰かが二人掛かりで支えないと、立ち上がれないのだ。それを帆暮さんは、いつも気にしていた。

 感謝と謝罪を口にしては、もう二、三度謝罪をする。ごめんな、ありがとうなぁ。悪いなぁ、すまないなぁ。そうやって、申し訳なさそうに笑う。それを見るのは、とても、心苦しかった。見ている私がそう思うのだから、その心中は察するに余りある。

「もちろん、簡単なことではありません。基礎になる肉体が出来上がっているわけではないので、成果が出るのも遅いでしょう。ただ、上手くいけば順序は逆になりますが、体を鍛えることに繋がるはずです」

「そっかぁ」

「はい」

「……アオイちゃんには言ってしまうんだけどさ」

「はい」

「俺、歩けるようになりたいんだ。一人で、誰の手も借りずに」

「はい」

「なれるかなぁ」

「わかりません」

「下手な慰めがないのはありがたいね」

 瓢箪のかけらをちりとりに集め終わって、四つん這いの状態から立ち上がろうとする帆暮さんに肩を貸す。やはり謝罪と感謝をいくつも述べて、申し訳なさそうに笑った。

 肉が削げて筋肉も失われたその足を、肺を鍛えた程度でよくなるとは、正直なところ思えそうにもない。でも、どうしても否定はしたくなかった。

「とにかく、たくさん酸素を取り込むんです。毎日、何回も」

「ああ、やってみるよ」

「諦めたらダメですからね。やるからには、最後まで」

「うん。ありがとう、アオイちゃん」

 お礼なんて、言わないでほしい。だって私は、何にもしてあげられないのだから。こうやって体を支えてあげることはできても、息を吹く訓練を共にすることはできても、それは彼にとっては何の解決にもならない、その場しのぎだ。

 中途半端に期待を持たせて、曖昧に否定も肯定もしない。なんと浅ましいことだろう。熱くなる目頭を、強く唇を噛んで抑えつける。

「俺のことを考えてくれて、ありがとう。歯がゆいことを言わせてしまってごめんな」

 泣くな、泣くな。本当に泣きたいのは、私なんかじゃない。

 

✳︎✳︎✳︎

 

 帆暮さんは、ほとんど杖なしで歩けるようになった。肺と、筋肉増強の訓練が効いているのだと、しのぶさまは言っていた。片足は変わらず全体重を支えるには足りないけれど、全身の筋肉と体幹でそれを補っているらしい。

 歩くという単純な動作が、普通の人より何倍も大変であるということには変わりがないそうなので、気を付けて見ているようにとも言われている。

「帆暮さん、また大きくなりましたか?」

「え、ほんとう? 嬉しいなあ」

「本当ですよ、体重測ってみましょう」

 歩けるようになっても、帆暮さんは訓練を欠かさず毎日続けていた。やればやるほど体の調子が良くなると言って、無理をしていないかだけが心配だったけど、しのぶさまの検査でも問題ないと結果が出たので、みんなで見守ることにした。少しだけ平熱が上がっていたけれど、代謝がよくなったからで、それも体にいいことらしい。

 毎日毎日、訓練を続けている帆暮さんは、着実に体が大きくなっていった。たくさん食べれば筋肉をつくと聞いてご飯もいっぱい食べている。鬼殺隊の人と比べても全然見劣りしないぐらいに、立派な体だ。

「わあ! すごい! もうすぐ八十キロになりますよ!」

「おお〜! 我ながら頑張ったなあ!」

「あ……でも、これ以上筋肉をつけすぎるのはダメですね」

「そうだね。重くなって、反対に動きづらくなっても困ってしまうし」

 それは、しのぶさまが直接忠告していたことでもある。どうしても鍛えた分、一箇所だけ釣り合いが取れないところがある帆暮さんは、鍛錬の成果だとしても、過剰な体重増加は控えるべきだそうだ。けんけんの方が速く移動できるようになるかも、とふざけて言った帆暮さんも、しのぶさまの笑顔にすぐにその言葉を撤回した。

その約束が、八十キロ。そこまで鍛えるまで随分かかると言われていたけれど、もうすぐそこだ。きっと、私たちの知らないところでずっと頑張ってきたんだと思う。瓢箪も、随分と大きなものを割れるようになっていた。

 

「これからは、瓢箪の訓練だけにするよ」

「まだ訓練は続けるんですか?」

「うん。次はさ、走れるようになりたいんだ」

 

そうなったら、追いかけっこをしような。カナヲちゃんには勝てないだろうけど、アオイちゃんには追いつけたらいいなあ。そう言って、帆暮さんは足をさすった。そのくせがなくなる日がくればいいと思って、私は約束ですよと返事をした。

 

[newpage]

 

蝶屋敷に、一本の日輪刀が届けられた。私のものではないし、最終戦別に生き残ったアオイのものでもない。

アオイは、無事に選別で生き残りはしたものの、心が折れてしまっていたから、刀は受け取らないことにした。怖くて戦えないのなら、それはそれで構わない。それは自分で選び取らなくてはならない答えだから。請われても脅されても、結局、自分で決めるしかない。私も、自分で決めた。姉の思いを裏切って戦うことを。命を懸けて敵を打つことを。全て、全て。自分で決めたことだ。

 

「繍蔵さま、こちらがあなたの刀です。どうぞ」

「ありがとう」

 

ならば彼も、自分で決めてそうしたのだろう。選別に参加するアオイの送り迎えを申し出たのも、護身用として刀を貸してほしいと頼んできたのも、歩けるように努力したのも、走れるまでいたったのも、刀を振るほどに鍛え上げたのも、全て。

 

「なぜ、私に何の相談もせずに選別へ参加したのですか?」

「話していたら、俺は認められたのかな?」

「……いいえ、認めませんでした」

「そういうことだよ、しのぶさん」

 

鞘から抜かれた刀身は、ほんのりと赤く染まった。炎の呼吸の系統に適性がある証だ。だけど、燃えるような鮮烈さはない。受け取った当人は、なんとも才能がなさそうな色だなぁと呑気に笑っている。今までどこに隠れていたのか、鎹鴉がどこからともなく現れて、任務だ任務だと鳴き始めた。

ああ、そうか。彼は、戦うことを決めていたのか。

 

「今まで、お世話になりました」

 

それきり、彼は蝶屋敷に来ることはなかった。運び込まれてくることもなく、訃報も耳に入らない。それだけがせめてもの救いだった。

 

[newpage]

 

俺は歩けるようになった。

走れるようになった。

刀を振ることもできる。

独学だが、呼吸だって最低限使える。

他の武器だって用意して、あらゆる手段を揃えてある。

大丈夫、これだけあれば死にはしない。

いざとなれば、俺は毒の作り方も覚えている。

大丈夫、大丈夫だ。

あとは、生き残ればいい。

生き残れば、向こうが勝手に見つけてくれる。

招かれるのだ、あの地獄に。

生き延びろ。

それまで、何が何でも生き残るのだ。

そうして、俺は、必ず。

 

[newpage]

 

確証はない。可能性だって低い。俺が自力でたどり着けるのは所詮、敵の巣窟に招かれるところまでだ。招かれた先で、望んだ通りに事が進む可能性は低い。ただの運任せ。悲しいことに、俺は一人の鬼狩りに過ぎないから。

それでも、執念だけはある。なんとかして、恩人に報いろうと躍起になる、鶴もびっくりな執念だ。俺は、必ず、事をなす。代わりに何を失っても。あの小さな体をこいつにはやらない。

 

「はっ、はっ」

「君、弱いねぇ。肉付きの割には、動きが鈍い。なんでかな?」

「足が悪いんだよ。並程度にしか走れない」

「へえ! それで鬼狩りだなんて、大したもんだ!」

 

まるで俺を讃えるような言葉を吐くこいつに、俺は勝てない。勝てるはずはない。

日輪刀は皮膚を割くことすらできない。銃弾は体にめり込むだけで、首を吹き飛ばすなんて夢のまた夢だ。傷をつけるすべがないから、俺はこいつに何もできない。一方的に切り刻まれて、死んでいくのがせいぜいだろう。

肺が痛い。呼吸が苦しい。酸素を上手く取り込めなくて、目の前が霞む。死ぬ。そう遠くない内に俺は死ぬ。それはいい、ちっとも構わない。ただ、死ぬだけで終わるのだけが問題だった。

 

「腕の筋肉が、足と比べ物にならないくらい発達しているね。均整は取れてないけど、君が頑張ったことはよく分かる」

「そりゃあどうも」

「うんうん。お礼も言えるなんて、立派だなぁ」

「急に、なに」

「頑張った子には、ご褒美をあげないとね」

 

常に優しく歪んでいた口元が、一層曲がる。男は美味しくないんだけど、そこで差別しちゃあダメだよね。ぶつりと、肩から先の感覚が途切れた。何一つ目で追えない、何一つ体が反応しない。俺が弱いからだ。そんなことは知っている。

 

「女ほどじゃないけれど、鍛えた体っていうのは栄養豊富なんだよ」

 

むさぼり食われる自分の左腕を眺める。血が失われていく感覚だけが鮮明で、俺はたまらずほくそ笑んだ。

 

[newpage]

 

腕を二本、足を一本。残った片足は大きく肉が削げていて、恥知らずな鬼はそれを見てなんと涙を流したりもした。こんな状態で戦っていたのかい。可哀想に、よく頑張ったね。もうすぐ楽になるだろうよ。大丈夫、最後は俺が全部綺麗に食べてあげるよ。君は俺の中で永遠になるんだ。なんて。冗談じゃない。お前の永遠なんて、俺は認めないし、俺の恩人なんてもっと認めない。お前はもうすぐ死ぬんだよ。そう言ってやれたならよかったのに、とどめを刺されるその前に、格好良く助けが入ったものだから、俺は呼吸による止血に務めた。

 

[newpage]

 

肺が凍るという忠告を受け、カナヲと二人、間合いを詰めすぎないよう戦うこと十数分。鬼の頭が腐ったように溶けだし、目玉が床に転がった。毒が効いている証で、彼が屋敷を去ってからも、絶えず藤の花を摂取していたことを悟る。

己の身を食わせ、鬼を謀る。私が常に考えていたことが有用なのだと、最悪な形で知ることとなった。初めて切り落とした鬼の首は、呆気ないほど簡単に地に落ちた。気分は、最低だ。

 

「女神か、天使の、お迎えだな……」

 

初めて会った時と同じような戯言を吐きながら、帆暮さんは笑った。おびただしい量の血を辺りに撒き散らして、生きているのが不思議なほどなのに、なんとも呑気なその様に、どうしようもなく苛立ちを覚えた。

苛立ちを隠すこともなく、喋らないよう進言する。いいから変わらず、呼吸で血の巡りを緩やかにしてほしい。知らない間に立派な剣士に成長してしまった彼の努力を、自分で無駄にしないでほしかった。それなのに、彼はちっとも忠告に耳を貸さないで、しみじみとした声色で語るのだ。

 

「助けてもらった日を思い出すなあ」

「お願いだから喋らないで」

「しのぶさん、」

「喋るな!!」

 

堪らず怒鳴りつけると、包帯を巻くカナヲの手がびくりと震えた。落ち着け、落ち着け。感情を制御しろ。焦るな、怒るな、戸惑うな。やることをやれ。いま、私がやるべきこと。目の前に、倒れたこの人を。

 

「ひどいことを言って、ごめんな。親父と俺を助けてくれて、ありがとう。しのぶさんが元気なら、俺は嬉しいよ」

 

優しく、残酷な、この人を。私は、助けなくてはならないのに。

静かにしてと涙を流しながら頼むカナヲに、彼は笑った。俺はいいから、しのぶさんを助けてやってくれ。ふざけるな、私のいったいどこを見て、あなたより具合が悪いというの。いったい何が平気だというの。どうして、そんな風に笑えるの。ねえ、帆暮さん。やめてよ。お願いだから、やめて。平気だなんて、言わないで。

 

「全然、ちっとも。痛くないんだ」

 

だから、大丈夫だよ。彼は笑う。いつだって笑っていた。辛い時も苦しい時も、死の間際でさえ、彼は笑うのだ。そんなこと、ずっと前から知っていた。

 

人のために笑うこの人の、偽りの怒りに気付けなかった。あの日の自分を、私は決して許しはしない。

 

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