蝶に焦ぐ   作:赤穂あに

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繍蔵帆暮(ぬいくらほぐれ)
特技裁縫、趣味刺繍、仕事針子の草食系男子。
最高記録は184cm78kg、わりかしゴリラだった。
現在の状態は不明。


蝶を誘うは枯れ尾花

 長い長い夜が明けた。全ては日に焼け焦げて、失ったものは多くとも、我らは悲願を成し遂げた。

 遺体が残った者は少ない。一人で負ければそのまま食われてしまっただろうし、一人で生き残ったとて、しかばねになった者たちを庇う余裕などなかった。全ては最も永い夜の帳に隠されるように消えてしまった。

 足の裏で土を踏める者だけが、塵になっていく風景を見た。多くの鬼殺の隊士たちの夢は、今、叶ったのだ。

 全てが終わり、悲願も果たした。憎い仇は腐りながら灰に散った。愛する弟子ともども五体満足で、最上に近い終わりだと言える。己の死を覚悟して、弟子の光を失う恐怖にも怯えていた先日までが嘘のような、最良の終焉だと、そう思う。

 それなのに。何の感慨もわいてはこない私は、まだ笑えているのだろうか。

 

✳︎✳︎✳︎

 

 鬼殺隊という非公式の組織が、千年の宿願を果たしてすぐさま解体されたかと言えば、もちろんそうではない。

 公に認めていないだけであって、政府は鬼の存在を認識していたし、だからこそ見て見ぬ振りで今までやってこれたのである。鬼は滅んだのでじゃあさようならと、そういうわけにはいかなかった。

 彼らは、認めていない存在に怯えていた。本当かどうかと猜疑的であったし、それを裏から執念深く問い質してきた。

 そういった社会的な側面で、鬼殺隊は解体が遅れていったのとはまた別の側面で、私の屋敷は以前変わらぬ面持ちをしていた。倒す敵というものは消え去っても、人の肉体に残された爪痕はそう簡単には消えない。蝶屋敷では、最後の決戦で負った傷を癒すべく、床に臥せっている者も数多くいた。

 腕を無くした者、内臓まで裂かれた者、血を流しすぎた者。多種多様の症状で、それでも見事に永らえた者たちで溢れかえっていた。中には、どう足掻いても治らぬ者もいる。ただ、それでも誰も悲観していないという事実が嬉しくもあり、終わったという実感でもあり、何故なのかという疑問でもあった。

 疑問は、いつだって時の経過とともに怒りになり、憎悪に変わる。そんなことは、身を以て知っている。だから、考えないようにしていた。

 有り難いことに──有り難かってはいけないが、考え込むいとまはなかった。山の様な患者たちが、疑問を膨らませる余地を奪っていく。でもそれは、ほんの一時しのぎにしかならなかった。

 生きている彼らは、体がどんどん良くなっていく。無くなった手足が戻ることはなく、臓器の欠けた状態で生きることになる者もいたが、それでも、誰かの助けがあれば生きていけるまでには回復した。

 生家に帰る者もいた。新しい土地で生きていくことを決めた者もいた。

 鬼殺の任に就く必要がなくなって、全ての隊士は新しい人生を手に入れた。そうして、少しずつ屋敷は静かになっていって、私は、目をそらすことができなくなっていった。

 何故なのか。どうしてなのか。何を間違えてしまったのか。考えたって無駄なのに、どうしたって思考が巡る。

 両親を亡くしたあの時のように。姉を亡くしたあの時のように。亡くした人を意味もなく想う。

「こんにちは、しのぶさん」

「あら、炭治郎くん。どうされました? カナヲに用事でしょうか?」

「その……前にした、鬼と仲良くするお話。できなくなってしまったので」

「……こういう形でできなくなったのであれば、それは姉も願ってもないことだと思いますよ」

 いつぞやの、月の夜に語らった時を思い出す。あの時の私も、絶え間ない疑問と呪いで埋め尽くされていた。

 姉が死ななければならなかった理由。殺されなければならなかった理由。哀れだと、仲良くしたいと願って死んでいくしかなかったのかと。

 全てが納得できなくて、考えることしか出来ずに、それでも、結局答えは出ることはなくて。縋るように彼に託した。私の偽りの願いを、己の真の望みとして成し遂げると言い切る目が眩しかった。その眩しさから目を背けて、背中を陽だまりに晒すような、そんな安堵の中で呼吸をしたかった。

 彼は、不思議な子だ。素直で、直向きで、嘘がつけず、優しい。そうあることはとても難しいというのに、そうあるのは当然だと言うように生きている。

 優しくて、優しくて、人のことばかりで、自分の身を顧みなくて、そういうところが、嫌になる程、似ていると思う。

「でも、その」

「? なんでしょう?」

「俺、自覚がなくて」

「おや、どこか痛めてますか? それとも、病気かしら?」

「しのぶさんが俺を見て怒る理由が、わからないので、聞きにきました」

「……私が、炭治郎くんに怒っている、ということですか?」

「俺を見ると、怒ったにおいが強くなるので、たぶんそうなんじゃないかと」

 心当たりはある。この子を見ると、どうしたって重なる。あり方が、どこか被って見えてしまう。そうしてまた、腹の中で怒りが募る。どうして、どうして、どうしてなのかと。

 赤い、太陽のような瞳がこちらをうかがっている。他意のない言葉は、正しく私を慮ったゆえのものなのだろうと確信できる。確信して、一つだけ気付く。

 彼は、この子に似ているのではないことに。

「ごめんなさいね。そんなつもりはなかったのだけど、今は少しだけ、落ち着くための時間が欲しい」

「しのぶさん……」

「自分でも、測りかねているのですよ。だから、まだ、なんと言えばいいのかわからない」

 答えを見つけたら、必ず話すからと約束を交わし、彼と別れる。幾度となく名残惜しそうに顔を向ける姿は、似ても似つかない。

 私は、それを笑顔で見送った。絶え間なく笑って見せた。そうだ。彼は、いつも笑っていた。絶えず笑顔で過ごしていた。穏やかで優しく、あたたかな人ではあったけど。似ているのは、あの子ではない。

 彼は、私に似ていた。

 

✳︎✳︎✳︎

 

 彼が私に似ているのではないか。そう思ったのは、二度目だった。藤の花の服毒を問いただされたあの日に、彼が腹の中で飼っている憎悪のようなものを垣間見て、私のようであるのではと考えた。

 私が鬼を憎むように、彼も私を憎んでいるのではないかとそう思った。それに関しては、異論はない。私はまさしく親の仇に他ならなくて、殺してやりたいと思われたって仕方がないことをした自覚はある。他になすすべがなかったという事実は、彼にとっては所詮言い訳にしかならない。

 彼は、死に物狂いで自身を鍛えた。歩き、走り、刀を振るった。そうして屋敷を去った時、私は思い違いをした。行き場のない怒りを私にぶつけるわけにもいかず、考えた末が鬼殺の道になったのだと、そう思った。

 だから、毒を欲したのか。だから、刀を欲したのか。だから、ここを出て行くのか。あらゆることを勝手に納得し、勝手に自分の中で咀嚼した。

 どうにか、私を憎んでくれていればいいと思った。そうであれば、這ってでも永らえるはずだと、腹に巣食う自分の鬼がそう囁く。私が仇を討つためだけにこの身に呪いを宿したように、果たすまでは死なぬだろうと。

「師範、あの、どうかされましたか?」

 惚けるように思考の海に沈んでいると、愛弟子に声をかけられた。そういえば、この子もかつては笑っていることしかできない時があったなぁと思い出す。言われないと何も動かなくて、指示されていないことはコインの裏表で決めていた。

 この子を変えてくれたのは、他でもなく太陽の瞳なのだろう。あたたかな光で、少しづつ溶かされたこの子は、笑っている時が随分と減った。無理に笑っている必要がなくなったのだと思うと、これほど嬉しいことはない。

「なんでもありません。少しだけ、考え事ですね」

「私、その、役に立たないかもしれないけど……悩んでいらっしゃるなら、私」

「悩んでいるわけではないのですが」

 そうだ、悩んでなどいない。それは無駄に終わるから、悩むことなどしていない。だからやはり、これは考え事なのだろう。なぜという、答えのない問いかけ。答えの出せない、しこりだ。

「炭治郎が」

「炭治郎くんが?」

「泣きながら怒ってるって」

「……そう」

「帆暮さんが死んで、師範が、泣いていないので」

 うまく泣けない時は苦しいのだと、そう言ってカナヲは泣いた。その体を抱き寄せて、背を、頭を撫でる。思い出すのは、姉の墓前で冷や汗を流すカナヲの姿だ。心に体がついていかずに、硬直していたあの子は今、私を思って泣いている。

 喜ばしく思うのだ。素晴らしいことだと感動している。それなのに。

「ごめんなさいね、カナヲ。心配かけて」

「いまは、私のことじゃ、ないです」

「ふふ、そうですね。炭治郎くんにも言いましたが、もう少しだけ待ってほしいの。本当に、申し訳ないのだけれど」

「……師範が、そう、おっしゃるなら」

 笑う。笑ってみせる。まだ笑える。どうしてだろう。

 どうして、こんなに変わらず振る舞えるのだろう。

 

✳︎✳︎✳︎

 

 彼が私に似ているのか、はたまた炭治郎くんに似ているのか。どれほど考えようと答えは出なかった。

 それも当然だ。振り返ってみれば、私は彼のことなどほとんど知らない。任務の帰りに立ち寄った町で、死にかけていたところに居合わせたから助けた。そうして屋敷で引き取って、役に立つと思ったので共に暮らした。それだけ。

「あなたは、なにを考えていたんです?」

 目の前の石に語りかけても、返事は来ない。多くの人と共に名前を刻まれた彼は、これから先、誰に語り継がれるわけでもなく、鬼殺の任に殉じたことだけを残していく。骨もなく、遺品もなく。遺族もなければ友もわからず。彼は、ひっそりと消えていく。きっといつか、私も彼のことを忘れていくのだろう。

 意味もなく花を手向けて、墓地を去る。考えても理解できるはずのない彼のことを考えながら、日が傾いて人のいない道を歩く。習慣とは恐ろしいもので、日が暮れ始めたというだけで左手は腰の得物を探そうとするが、肩透かしを食らったように何も引っかからない。当然だ。帯刀する意味はもうないのだから。

 毒の調合をする必要もなくなったし、毒を飲む必要もなくなった。色々な習慣がもはや不要のものとなって、私は改めて今後のことを考えなければならなくなった。ようやくではあるが、鬼殺隊の解散の目処が立ったからだ。鬼の存在を知っていた全てのものが、とうとう鬼の存在が消え失せたのだと信じるにいたったという。

 めでたい話だ。あの一夜が、名実ともに報われる日が来た。来てしまった。

「カナヲ」

「師範」

「明日には出て行くのでしょう? 最後に、話をしませんか?」

「はい」

 鬼殺隊がなくなって、カナヲは新しい人生を決めたようだった。コインは未だに持ち歩いているようだったが、その内、戸棚の片隅にでも追いやられる日がくるのだろう。その頃には、私はもうこの子の側にはいない。代わりに、この子が側にいたいと望む人がいてくれる。それは、堪らなく幸福なことだ。

「墓参りに行ってきました」

「……はい」

 誰のとは言わなかったが、カナヲは理解したようだった。彼の墓前で、何か気付くことがあるのではと期待していたのだが、そんなことはなかった。もしかしたら、私はまだ彼が死んだということを認めていないのかもしれない。

 遺体はなく、骨も埋められず、遺品もなければ、彼を語らう相手もほとんどいない。彼が生きていたという証が、あまりにも乏しかった。それでいて、死んだ証もまともに目の前に差し出されずにいるものだから、諦められないのかもしれない。そう、思った。

「でも、駄目ですね。まるで実感が伴わなくて、あまり意味はありませんでした。そんなことに時間を割いていたら、あっという間にあなたの旅立ちの日です」

「師範は、私がいなくなったら寂しいですか?」

「……ええ。でも、それ以上に喜ばしいです。あのカナヲが、自分で決めて、ここを去る。炭治郎くんのおかげですね」

「師範のおかげです」

「……私は何もしていませんよ。炭治郎くんをきっかけに、あなた自身が頑張った」

 息をすることが生きることだと勘違いをしていた頃とは比べるまでもなく、カナヲは変わった。姉がてきとうに発した言葉通りのきっかけなのは少しだけ笑ってしまうけど、結局、変わったのはカナヲ自身の力に他ならない。

「師範が……しのぶ姉さんが」

「私が?」

「厳しくしてくれたから。カナエ姉さんは、甘やかしてくれて。だから、私は変われたんだと思います」

 私を買ってくれてありがとう。微笑むカナヲに、私は笑って返すことができただろうか。自信がない。

 

✳︎✳︎✳︎

 

 カナヲの言葉を思い返す。厳しくしてくれた。甘やかしてくれた。どうやらそれが、カナヲを救ったものであったようだった。彼女にとっては、そうだったのだろう。私はそれを望んでおこなったわけでも、姉もそうなると知って取った行動ではないにしても。私たちは、あの子の人生を正しく買い取れていたようだった。

 誇ることではない。だって私はあの日からずっと、そんな大それたことを考えてカナヲと過ごしてきたわけではないのだ。拾った責任、継子としての役割、家族としての僅かな希望。

 私にとっての大切なものを優先して、あの子に接してきた。もちろん、ぞんざいに思ったことなどなかったけれど、姉と同等以上に扱うまでには随分と日がかかった。

 なるほどたしかに、私はカナヲに厳しかっただろう。甘やかすのはもっぱら姉の役割であったから、口やかましく叱ったことの方が圧倒的に多い。姉が亡くなった後にはそういう頻度も低くなったものの、その頃にはやはり、私はカナヲにとって姉というよりは師であった。

 私があの子に与えたのは、己を叱責してくれる人がいるという安堵だったのかもしれない。その対極に姉はいて、甘やかしてくれる人がいる安寧を与えていた。死してなお、姉は姉であった。人は、死んだぐらいではどうにも消えてくれないらしい。

 

 そんなこと、私だって知っていた。

 

 カナヲが残していったものを処分する。持っていくには大きすぎる家財に、もう使うことはない隊服や修練用の衣類。主を失った道具は埃を被り傷むより他はない。そうなる前にと、自分の不要になった物と合わせて処分する。

 何度も何度も繕われた衣類は、それでもしっかりとほつれる事もなくそこにあった。二度と袖を通すことのないそれを、出来るだけ視界に入れないようにまとめる。屋敷中にある衣という衣が全て、名残だと気付いてしまう。裂けたまま繕われることがなくなった隊服の裏地のそのまた内側に、蝶の刺繍が顔を出していた。

 

 死んだ程度では、消えてくれないのだと。そんなことは、ずっと昔から知っている。

 

 絶対に普段は見えないところに入れた蝶の刺繍は、願掛けだ。彼が誰にも伝えずに、私が皆に蝶の髪飾りを贈ったように、彼は蝶の刺繍を隠していれた。それを知ったのは、彼が屋敷を去った後だというからなおのこと滑稽である。彼は、こんなに、人に甘い。

 私にも甘かった。父親殺しを咎められたのは唯の一度で、それさえも死の間際に、彼は笑って許してしまった。優しくて、厳しくて。そうしていつも、笑っていて。

 ああ、やはり。彼はきっと私には少しも似てなんていないのだろう。ずっとずっと、彼は人のためにあった。私のために優しく、私のために厳しく、私の願いに倣って死んでいった。死んでしまった。

 その身をもってして鬼を殺して、私がそうしたかったのに。まるで、それを知っていたかのようだ。

「ひどい人ですね、帆暮さん」

 何も残っていない。彼の残滓はこの世にない。死んだかもわからない、なんてことは言えない。

 遺体がない。骨もない。でも、私は脈の止まった彼の死に顔を確かに見た。看取ったのだ。他でもない、私が。あの、地獄のような夜の中、地獄の業火で焼いてやろうと憎んで憎んで呪った鬼の腐った体を横目にも見ずに、私は、彼の命が散る様を見届けた。見届けてしまった。助ける術がなかったから。

 人はとても、簡単に死んでしまうのだ。大切な人ほど、あっけなく。私を置いて、死んでいく。いつもいつも、そうなのだ。

「ひどい」

 あんなに甘やかしてきたくせに、最後にひどい遺言を残して死んでしまったひどい姉さん。

 あんなにひどいことを言っていなくなったのに、最後にむごたらしいほどに優しい言葉を残して死んでしまったひどい帆暮さん。

 どっちも許してやれないほどに、ひどい仕打ちをするものだと、そう思う。どうして、私を追いかけさせてくれないの。なんで生きてくれなんてことを言外に言うの。大切な人がいないのに、その敵討ちすらもうないのに。私は、どうやって生きていけばいいの。

 

 蝶の刺繍がむき出しになった私の隊服。切り裂かれた蝶の羽織。夥しい量の血を吸って、赤黒く固まったそれらだけが、この世に残った唯一だった。




生死不明if。
公的に死亡確認が取れてないので行方不明ですが、失踪宣告っていつの時代からあるんですかね。
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