蝶に焦ぐ   作:赤穂あに

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蝶の止まり木

 姉と同じ制服を着たかったから。それも、できるだけ長い間。

 

 私の進路の決め方は、とても褒められたものではないのだとわかっている。それでも何故か、掻き立てられるようにその隣に向かって歩いてしまうのだ。

 わからない。わからないが、ふとした時に迫る恐怖が私を駆り立てる。その人が、いつまでだって隣にいるなんてことはないのだと。

 夢を見た。中身は覚えていないけど、きっといつも同じ内容なのだろう。恐ろしい夢、辛い夢、苦しい夢、悲しい夢。楽しくも明るくもないことしか、目元に残った跡は教えてくれない。

 

 

 

 とうとう姉と進路を分かつ時が来てしまった。姉が医学部のない大学を選んだ時、私はようやく姉の隣ではなく自身の将来を選んだ。正しい、選択をしたのだと思う。

 医者になりたかった。それは子供の頃からの夢で、人の命を救える人間になりたかった。こぼれ落ちる命が耐え難かった。

 どうしてそんなことを思うのか、制服の時と同様に私はその執着の原因を知らない。自身の感情に、昔から説明をつけることが難しいことが多かった。

 そう思う、そう感じる、そう考える。その根拠を、私はいつだって言語化することができないでいた。

「そんなものだろ、感情なんだから」

「あなたは少し、投げやりぎみですけど」

「ハンデ持ちだからな。堅実に公務員にでもなっておくよ」

「なれそうですけど」

「けど?」

 なんだと目線で促す彼にも、答えることができなかった。だっておかしいだろう。ハンドクラフトが向いてそうだとか、それこそなんの根拠もない。

 

 

 

 気付けば私は、無根拠な感情に動揺することはなくなっていった。そんなものだろうと無愛想ながら慰めてくれた彼を思い出しながら、医者として過ごす日々は充実していた。忙殺されそうではあるが、それ以上に自分含めて誰も彼も生きていることを実感できた。

 人は簡単に死んでしまう。でも私の力で少ないながらも助けられる命がある。繰り返される毎日が、そのまま自身の活力に変わっているのがわかる。

 満足していた。姉だって、時間が合えば昔と変わらず顔を見ることも話をすることも食事を共にすることもできる。隣に立たずとも、近くにいることなど簡単なのだとようやく理解した。

「最近楽しそうだな」

「ええまあ。忙しくはありますが」

「体壊すなよ」

「壊れかけのメンテナンスをサボってる人のセリフとは思えませんね」

「俺はいいんだよ」

 引き摺る足を棚に上げて、彼は笑った。そういえば、久しく顔を見ていない。お互い暇ではない身になってしまったのだから当然だが、たまには食事に誘ってみようか。

 

 

 

 彼からは引っ越すという簡素なメッセージだけが届いていた。夜勤明けの非常識な時間帯に電話をかければ、結婚適齢期の同僚にしつこく友人を勧められて辟易したとのことだった。

 三十路も近く、気持ちは理解できるがこちらに向けるなというのが彼の言い分だ。なかなか見に覚えのある話に耳と頭が痛くなった。公務員、医者。肩書きは確かに魅力的なのだろう。

「仕事はどうするんですか」

「こっちにさ、衣類の修繕を専門にしてるところがあるんだよ」

「衣類?」

「針仕事だな」

「まあ」

 そんなことできたのかと、動かそうとした口は思いもよらぬ言葉を発した。

「確かに得意でしたよね」

「……何言ってんだおまえ」

「……何言ってるんでしょう。すみません、夜勤明けで」

 早く寝ろと切られた電話が、彼と話した最後になった。

 

 

 

 俺の声は上ずっていなかっただろうか。それだけが心残りだ。

 

 布を構成する糸の色、材質、細さを理解する。糸が通る向きを読み取る。他の繊維を邪魔しないか想像する。そうした細やかな工程を経て、少しだけ哀れな姿になった衣服は元の姿を取り戻す。これは虫食いとかの穴あけの場合。

 染み抜きやカビ取りなど、依頼によっては取る工程が全く異なる──なんていう俺の現職の詳細はどうでもいい。誰も興味ないだろう。俺しか興味がない。

 せめて嘘をつくべきだったか。そんなこといくら考えたところでもう遅い。俺に今できることは何もなく、せいぜいいるかも怪しい神様とやらに祈るだけだ。どうか、彼女が何も覚えていませんように。

 どうか、何も思い出しませんように。

 どうか、何も起きませんように。

 どうか、幸せでありますように。

 どうか、どうか。

 あいも変わらず記憶があることしか取り柄のない俺のささやかな願いが、どうか聞き届けられますように。

「糸暮くん、ちょっといいかい」

「はい、なんでしょう」

 俺はもう帆暮じゃないし、彼女はもうしのぶじゃないのだから。




現パロもどき。
因みにこの呼び出しは来客で来たのはもちろん彼女です。なんやかんや結婚します。


繍蔵糸暮(ぬいくらしぐれ)
前世と前々世の記憶と足に障害のある一般人。公務員としてモテすぎたので世俗を捨てて職人になった。前テレビで見た「虫食いの穴も生地の糸とかを完璧に縫い合わせることで無かったことにする職業」の人になったけど名前がわからんからみんなググってほしい。すごいぞ、虫食いの穴がなかったことになってた。すごい。

彼女
胡蝶よしの
前世のなんかうっすらとした強迫観念を引き継いでるだけの美人女医。モテる。一生思い出さないけどたまに泣きながら起きる。主がよしよししてあげろ(過激派)
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