サイレンススズカは亡くなった元トレーナーが残したメモを解いていく。

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私が知っている、知らない彼

 私の元トレーナーが亡くなった。

 そのことを知ったのは、アメリカのレース場でオールドフォレスター・ターフクラシックスステークスに勝利してライブが終わったあとのこと。

 ライブ衣装から動きやすい深緑色をしたジャージに着替えてから、控室で今のトレーナーと勝利の喜びを分かち合っていたときにスマホのメールで知った。

 肺がんが原因で32歳の若さでこの世からいなくなった。

 彼は病院嫌いだったから原因がわかったときには進行が進んでいて、6か月前に入院していたのは知っていた。

 でもそれは元トレーナーからではない。彼とはあまりメールをしなかった。理由はお互いに離れたから話したいことがなくなったからだと思う。

 

 でも病気を教えてくれた、私と同い年である彼の妹さんからはよくメールのやりとりをしていた。

 その妹さんから来たメールには、あとで葬式の日付を送ると書いてあった。

 彼が亡くなったことについて現実感がなく、自分で動くこともおっくうだから今のトレーナーに、自分が住んでいるアパートの部屋へと送ってもらった。

 部屋に入って着替えずにベッドへと行って倒れ込む。

 今は何もやりたくはなく、ぼぅっとしていたい。

 

 ―――サイレンススズカ。それが私の名前。

 

 亡くなった彼の初めての担当ウマ娘で、G1やURAのレースに勝利したウマ娘。

 走る姿から異名は『音速の貴婦人』とつけられるほどに早さには評価があった。

 テレビCMでは『速さは、自由か孤独か』というキャッチコピーがあるぐらいには人気になったと思う。

 私はただ先頭の景色を見るために走っていただけなのに。

 

 その走っていたいだけだった私を支えてくれたのが、トレセン学園で出会った彼だ。

 出会った当時は新人トレーナーで私より10歳上の人だった。

 とにかく体調や怪我をしないことを重視する人で定期的な病院や温泉へ連れていかれたのをよく覚えている。

 今の私は22歳だから、彼は32歳でいなくなってしまったのはずいぶん早いなぁなんて思う。

 入院するぎりぎりまで3人の担当ウマ娘の練習を見ていたと聞く。

 思い返すと、彼は日本にいてよかったと思う。最後まで自分の夢を続けられたから。

 それというのも、私がアメリカに来るときに彼を誘ったから。

 断られたときは、恋愛という意味で好きだから告白もした。いつも私のために一生懸命で、私がやりたいことを全力で応援してくれた、あの人に。

 

 でもダメだった。

 彼は私に親友以上の感情はあるものの、恋人未満だった。それに彼の夢は学園に入学してくるウマ娘たちに希望をみせることだったから。

 だから希望を持ってアメリカに行く私にはついていけないと。

 そう言われた日の夜には大泣きして目を赤く腫らした。思えば、彼は私に1度も好きだという言葉を言ってくれなかったんだから、考えてみれば答えはわかっていたはずなのに。

 振られた2日後には私も落ち着いていて、以前のように接することができたけど。

 

「……亡くなったんだ、あの人」

 

 ベッドで昔のことを思い出しながら初めて口に出したけれど、どこか納得していない自分がいる。

 すっきりしない感情だけれど、昔の楽しかった頃や辛かったことを思い出しているうちに私は悲しい気持ちで寝てしまった。

 もっと彼とのまぶしかった記憶を思い出していたかったのに。

 

 ◇

 

 彼が亡くなってからの翌日に妹さんからメールが来た。

 それまでの私は泣くわけでもなく、走る意欲が少し下がったくらいで練習を続けていた。

 メールの内容は葬式をする日付で、2日後と書かれている。

 仕事やレースで忙しい場合は後でもいいとあったけど、私は行くと決めて行動を始める。

 

 今のトレーナーさんにスケジュール変更を伝えて了承を得たあとは、すぐに飛行機のチケットを取った。

 あとは旅行鞄に荷物を詰めてそれから……葬式というのがどういうのかわからない。

 走ること以外は昔も今もトレーナーさんたちに任せることが多かったから。

 葬儀の服やマナーはどうすればいいかな、と1人部屋の中でぐるぐると左回りを早足で歩いてしまう。

 そこで彼の妹さんに電話をした。日本とは時差が大きいけれど、彼女は面倒くさがらずに私の疑問に答えてくれた。

 香典や着ていく服、マナーについて。

 服はアメリカで使う機会があった物を持っていくとして、あとは日本で準備をしたほうがいいらしい。

 

 そして私はその日の夜に、キャリーバッグを持って日本行の飛行機へと乗った。

 前に日本へ行ったときは、彼が6か月前に入院したとき以来。

 飛行機の中で考えるのは彼のこと。あれから時間は経っているのに、亡くなったという事実にまだ現実感がない。

 彼は誰かを驚かすのが好きだったから、これもそうかなと思っている部分がちょっとだけある。

 トレセン学園にいた頃は、フジキセキと一緒に人を喜ばすサプライズをしたことを思い出して笑みが浮かぶ。

 時々ゴールドシップに誘拐されては仕方ないという笑みを浮かべている彼を、私が回収するのはよくあることだった。

 

 昔の楽しかった頃を思い出しているうちに飛行機は空港へと着陸する。

 1年ぶりの日本。でもそんなに長く離れていたわけでもないから、特に感慨深いものはない。

 空港近くのホテルに泊まって、翌日には教えてもらった彼がいる場所へと行く。

 式場では彼の遺影を見ながら、会ったことがある家族の方々と挨拶をする。

 そうして式場を出て、5月の過ごしやすい風と暖かい晴れの空を感じながらも空虚な気持ちのまま。

 

 日本の空はアメリカと変わりがないな、と思っていると私の前に1人の女性が来た。

 背が私より少しだけ低く、セミロングの黒髪をした小柄な人は彼の妹さんだった。

 黒い喪服を来た妹さんは軽く私へと頭を下げる。

 

「おひさしぶりです、スズカさん」

「はい、おひさしぶりです」

 

 そう軽く挨拶をしたあとに妹さんは「兄からスズカさんが来たら、これを渡してくれと言われました」とその言葉と共に渡されたのはマンションの鍵だった。

 不思議そうに受け取ると、なんでも部屋の中にある物の処分と欲しいものがあるなら私に持っていって欲しいそうだ。

 彼の部屋に泊めてもらうことはあったけど、日本を出る時にコップや食器は全部片づけたはず。

 こういう時は家族の人に任せるものだけど、最初に部屋を訪れる人は私がいいと言い残していたらしい。

 

 人に見られるとよくないものがあるのかなと思いながら喪服からカジュアルな私服へと着替えた私は、東京にある彼が住んでいたマンションの1室を訪れた。

 ここに来るのは実に4年ぶりで、トレセン学園を卒業して以来。

 1LDKの広さがある、小さくも広い部屋。

 その扉を前にするとなんだか緊張してしまう。

 彼が私に片付けて欲しいものはいったいなんだろうと考えながらも、彼の物を片付ければ亡くなったことを素直に受け入れるに違いないと思った。

 

 ひとつ深呼吸をしてから、鍵穴に鍵を差し入れるとゆっくり回して扉を開ける。

 そこは4年前の景色で、今の景色だった。

 懐かしい匂いと、ほこりっぽさがある部屋。

 カーテンは閉められていないから、廊下の奥にある部屋は明るい。

 扉を閉め、暗くなった玄関を明るくしようとしてスイッチを点ける。

 玄関と廊下部分に明かりが点くと、私がスイッチを押した場所にメモ書きが貼られていた。

 四角形で手のひらサイズのメモ用紙。

 それには『来てくれてありがとう』とボールペンで書かれてあった。

 裏返してみると『あなたがサイレンススズカでなかったら、この先にあるメモは無視して欲しい』と。

 

 彼は直接ではなく、こういう間接的に私にお願いをしたいみたいだと気づく。

 でもだからといって、面倒ごとを押し付けるわけではないと思う。

 いったい私に何をさせたいんだろうと不思議に思いながら、メモをそのままにして靴を脱いで部屋へと上がる。

 

 昔の記憶を思い出しながら、部屋へ入ると懐かしさがこみ上げてくる。

 本棚やテレビの配置は昔と変わっていない。小さなものは変わっているけど、私が来ていた頃とほとんど同じ。

 そして一緒に食事をしていたテーブルには、玄関のところにあったのと同じメモが。

 近寄って手に取ると『突然だがクイズに付き合って欲しい。俺の好きなゲームはなんだった?』というのがあり、首を傾げる。

 最初の流れからすると、私に物を片付けて欲しい、今までありがとう、とそういったものになると思っていた。けど違った。

 

「この言葉のとおりにすれば、何かあるのかしら?」

 

 私は謎解きをする前に部屋の窓を開けて換気をしてから探し始める。

 テレビが置いてある大きめなテレビ台の下。そこにはPS4のゲーム機とゲームソフトが置いてあった。

 彼は格闘ゲームやシューティングゲームが大好きで、よく私もやっていた。

 あまり上手ではなかったけど、彼と一緒に遊んでいる時は悩みも忘れて楽しんでいたのを覚えている。

 その遊んだ時を思い出しながら、膝をついて縦に置かれているゲームのタイトル名を見ていく。

 

「えっとKOF、サムスピにブレイブルー。それとギルティギア……。そう、あの人はギルティギアを気に入っていたと思う」

 

 彼と私がよく遊んでいたのがギルティギアという格闘ゲームだった。

 そのタイトル名がついたソフトは見つけたものの、バージョン違いで3つある。シリーズのどれか1つを遊んでいたけど、どれかがわからない。

 ひとまずはその中で新しそうな作品を手に取ってケースを開く。

 その中にはメモがあって『これはお前と一緒に遊んだことはなく、遊べなかったのが残念だ。さぁシリーズ最初に発売したのを探せ』とあって、少しいらっとしてしまう。

 言いたいことがあるなら、素直に教えればいいのにと。

 メモに言われたとおりの作品を開くと、やっぱりメモがあった。

 

『この作品が俺とお前が仲良くなるきっかけだった。その時の俺たちはコーヒーを飲んでいたな。スズカはミルクと砂糖をたくさん使ったお子様舌だったが』

 

 次のメモはこれで正しかった。でも私はお子様舌ではない。そもそもコーヒーをブラックなんかで飲む人がおかしいと思う。

 あんな苦いだけの物のどこがおいしいんだろう?

 それに大人になった今の私は違う。今ではポーションミルクを1つ入れるだけの大人の舌だ。

 ぺしぺしと残されているメモ用紙を手で叩き、彼が生きていたら目の前で堂々とコーヒーを飲むところを見せたかった。

 あの人はからかって来たが、一緒にゲームをしてコーヒーを飲む時間はいつだって楽しかった。

 コーヒーの思い出はいいのだけど、次の場所の指示が見つからない。

 メモ用紙を裏返しても何もなく、彼の書置きはもうこれでおしまいかなと少し残念な気持ちになる。

 でもサプライズ好きの彼の性格だとまだ終わりじゃない気がして、コーヒーに使うマグカップを入れて置く食器棚へと向かう。

 棚の扉を開け、中を探すと彼が愛用していたマグカップの中にメモが2枚あった。

 

『ここを見つけるとは。スズカ、結構俺のことを好きだったろう?』

 

「告白したのだから、私があなたを好きなのはわかっていたでしょう?」

 

 彼は当時から乙女心というのに鈍かった。

 私の好意は信頼だけで、恋愛感情だったというのは告白の時にわかったとのこと。

 と、いうことはこのメモを書いた時点では私がどれだけ好きだったかを理解しきれなかったことに、あきれて小さく笑ってしまう。

 もし鋭かったら別な困りごとが起きていたと思うけど。

 

 彼が鋭かったのはウマ娘の体調とコーヒーのことだけだった。

 怪我には敏感だし、不調と思えば私がどれだけ走りたがっても止めていた。

 強引に走っていったときにバイクで急いで追ってきたときは驚いて足を止めたぐらいに熱心な人だった。

 コーヒーのほうも強引で、自分で豆から挽いたのを私だけでなくエアグルーヴやスペちゃんにも飲ませていた。ブラックじゃなく、きちんと甘くしたのをだけど。

 飲ませるのが好きな彼がいるから、コーヒー好きなウマ娘たちは彼と仲がよかった。それはもう私が嫉妬するほどに。

 

 何度目かの懐かしさを感じたあと2枚目のメモを見る。

 

『次は俺の部屋だ。写真が置いてあるから眺めてくれ。それと写真立ての裏も』

 

 メモどおりに彼がいた部屋に行くと、私の記憶とはだいぶ違っていた。

 あの頃は色々と物が散らかり、本棚の本も整理しきれていなかった。

 でも物は綺麗に並べられていて、壁に貼られている写真には私と私じゃないウマ娘の写真が数多くあった。

 数えると8枚だ。そのうち私のは5枚。

 飾られていた私の写真はツーショットに、タイキやフクキタルと遊んでいるところ、ライブで歌っているところだった。

 残りの3枚のほうはどれもツーショットで私の知らない子たち。きっと私がいなくなってから彼に指導を受けた子たちだと思う。

 

 どの子たちもデビュー戦や未勝利戦に勝った時の写真だ。みんなが明るい笑顔で見ている私までもが笑みを浮かべてしまう。

 私がアメリカで走っているあいだに、彼は3人の子を育てていて嬉しい気持ちと同時に私以外の子を見ていたということには少し嫉妬してしまう。

 私だけを見ていて欲しかった。

 でもこれは私のわがまま。彼のやりたいことを考えない自分勝手な想い。

 私の初恋は振られたけど、長いこと彼への思いが忘れられずにいた。

 男には興味ないという雰囲気を出していたから、同性愛かと思われて男の人が好きな自分にはメディアで騒ぎ立てられて大変だったこともあったけど。

 

 壁の写真を眺め終わると、次は写真立てだ。

 倒れて置かれている写真立てを立て直すと、そこに写っていたのは私がアメリカでのレースで勝った時のものだった。

 写真が取られた位置は遠く、お客さんの1人として来ていたのがわかる。

 私がアメリカで最初に走り、そして勝ったシービスケットハンデキャップのレースにこっそりと見てくれたことが嬉しい。

 でもそれならそれで、言ってくれれば時間を取って会ったのにという不満もある。

 

 じっとその写真を見ていると、アメリカ行きはついてきてくれなかったけど現地に行ってまで見てくれたことがすごく嬉しくて耳や尻尾が自然と喜びで揺れてしまう。

 写真を2分か3分ほど見たところで本題を思い出して、裏を見る。が何もない。

 それもそのはず。そもそも裏返しに置いてあったのだから、ないことは最初から気づけたはずなのにすっかり忘れていた。

 はずれて落ちたのかな、とあたりを見回すも見つからない。

 それなら写真立ての中かも、と思って中を開けると写真の裏に文字が書かれてあった。

 

『最愛のウマ娘 サイレンススズカ』と。

 

 この写真と言葉。彼がどれだけ私を愛していたかがわかる。

 その愛情は親愛のかもしれないけれど、彼が私を好きだという明確な意思がわかったことが嬉しい。

 

「ほんと、バカな人。こういうのは生きているときに言って欲しかったのに……」

 

 私にはトレセン学園内でのウマ娘として興味がないのかな、とアメリカに行く前はそう思っていた。

 段々と興味を失ったのかな、と思っていた。

 でもそれは違くて、彼には彼の。私には私の夢のために違う道を歩いただけの話だった。

 当時18歳だった私にはわからなかったけど、22歳になった今ならわかる。

 彼なりの愛し方で私を好きでいてくれたのだというのを。

 友達以上恋人未満。でもそう呼ぶのはきっと正しくなくて、一緒に頑張ってきた私たちの関係を表現するのなら戦友なのかもしれない。

 または娘、妹という言葉もあるけれど。

 でも私は彼の戦友でありたい。だから、亡くなった彼が私を大事に想ってくれていたことを嬉しく思う。

 

 そして、彼が亡くなったと聞いて初めて涙が出ている今。

 その涙は写真の裏に書かれた文字を見るのすら難しくなるほど、たくさんの涙があふれ出てくる。

 写真立てを置くと、急に彼が恋しくなった。

 耳で声を聞きたい。言葉をささやいて欲しい。彼の体温や匂いを感じたい。

 でもどれもが今はできない。

 彼の物をどれか持って帰ろうかなと部屋を見渡すとベッドがあったことを思い出す。

 すぐに飛び込むようにしてうつ伏せになり、匂いを嗅ぐ。

 ほんの少し、わずかだけれど彼の匂いがした。

 昔と同じ彼を私は感じている。

 

「今度会ったら逃がさない」

 

 私が死んだ時には彼に会い、1度は蹴ってからでないと感情は抑えられないと思う。

 それからはもうどこにも行かないようにぐるぐると縛って。

 ひとしきり泣いて、目を赤くしたあとは気分が落ち着いてきた。

 彼の続きのメモはないかなと探すも他にはなかった。でもそのおかげで懐かしいものが見つかる。

 私のトレーニングメニューの記録や、彼の練習メモだ。初めて見るのもあり、私のことをどう思っていたのかが嬉しい。

 大体は私が走りすぎないようにするにはどうすればいいか? 怪我をしないようにするには? と悩んでいるものだった。

 そして続きではないけど、他のメモも見つかった。それらは私が間違った場所を探した時に、次に探す場所を教えるものだった。

 

 そのメモを探している時に、彼が担当していた3人のウマ娘の名前がわかった。

 それなら、あの人がどういう人生を生きてきたかを知りたい。

 彼が目指した夢は叶ったのかどうかも。

 

 私は彼の遺品として、私の写真が入った写真立て。それと私のことを考えてくれたノート2冊を持ち帰ることに。

 部屋から出たあとに妹さんに電話して、用事が終わったことと遺品を持ち帰る許可をもらった。

 彼が私に残してくれたものは、愛の告白のメッセージと同じくらい重いものだった。

 日本にいても私をずっと見続けてくれて、きっと亡くなってからも見守ってくれそうな気がしている。

 

 アメリカに戻る前にトレセン学園へ行って、彼が残した夢がどういう形になったかを見に行こう。

 そうしてから、私は私のためにアメリカで走り続けよう。

 彼と会ったときに自信を持って生きてきたと言えるように。



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