毎年、年始では恒例になっているが。それ以外のときでも不定期にやっており、その時々で景品の内容は違うのであった。
今回の特賞は……トゥインクルシリーズ、ジャパンカップの観戦指定席のチケット。
レース場にも入場規制なんてものが敷かれているこのご時世。こんなレアな物を目玉にされちゃ、引かないわけにはいかないでしょ。と、私はガラガラするやつの前で腕まくりをする。
まあ、これは運試しだ。次に私が出場するレース、阪神JFに向けての。私にとっても、出走する皆にとっても初めてのG1。その趨勢を、ひとつここで占ってみるというわけだ。
まあ、にんじん一本でも出れば御の字でしょ。
カランカランカラン!
「おめでとうございま~す! 特賞が出ました~~!!」
えっ?
季節は秋。東京、芝の2400m。このジャパンカップというレースは「世界に通用するウマ娘育成」の理念の基、世界各国の有力ウマ娘たちに招待状を送って開催されるのだが。近頃は海外から参加するウマ娘の数もめっきり少なくなってしまった。
なぜかと言えば、今や日本のウマ娘たちは世界に引けを取らない実力を持つので。かつてのように海外のウマ娘が楽に勝てるレースではなくなっているから、というのが一説だ。芝の質もレース展開も異なる、勝ちの目も少ない遠い地のレースへ、彼女たちはわざわざ長旅をしてまで来たがらないのだ。
ということはつまり。ジャパンカップの当初の理念は、既に達成しているとも言えるのだろう。
つまり何が言いたいのかといえば。シニア級唯一の、クラシックディスタンスG1であるこのレースは。日本で最も強いウマ娘を決定づけるのに、相応しい舞台なのであった。
近年のウマ娘史で最も歴史的な日というのは、まさに今日この日なのだろう。胸に手をおいた程度ではこの高鳴る気持ちを抑えきれず、立っているだけで息が荒くなってしまう。
商店街の福引きでたまたま観戦券を当ててしまい、今度私が出場するジュニアクラスのG1に向けて弾みにでもなればと、この世紀の決戦を直接見に来たのだが、むしろ間違いだったかもしれない。自分が走るわけでもないのに心臓が破裂しそうだ。周囲から抑えきれない小さな歓声が溢れたことで、私はようやく我に返った。大舞台の主役たちが本馬場へと入場してきたのだ。
その栄光に輝いたのは、日本ウマ娘において八人目。中でも同じ頂に至ったのは、かのシンボリルドルフとディープインパクトの二人だけ。無敗の三冠ウマ娘、コントレイル。
その栄冠を頂いたのは、日本ウマ娘において六人目。中でも無敗で至ったのは史上初、前人未到の無敗のトリプルティアラウマ娘、デアリングタクト。
そして、それら無敗の王者二人を迎え撃つ、現役最強のウマ娘。歴代最多G1勝利、一昨年のトリプルティアラの戴冠者。皇帝を超えた八冠ウマ娘、女王アーモンドアイ。
曇り空の下。昨今の情勢のおかげで大きな声を出せないファン達は、拍手を持って彼女たちを迎え入れる。歴史に残る大決戦をこんな静かに見守らなくてはいけないのは残念だが、それでも現地で見られるだけでもありがたいのだ。抽選に当たらず、来られなかった者もいる。
そんな中で、今のご時世では福引で温泉旅行を当てるより入手するのが難しいと言われる、トゥインクルレース現地観戦チケットを手に入れてしまった私は本当に幸運なのだ。
ゲート入りが始まる。あの狭い箱の中で、彼女らはどんな気持ちでいるのだろう。
ゲートが開いた。
「…………強烈な一人旅! 白い勝負服のキセキが逃げて、逃げて、逃げまくって最後の直線を迎えます! アーモンドアイは前から4頭目、アーモンドアイは前から4頭目! そして仕掛けてきた5番のデアリングタクト! その外から、バ場の真ん中からコントレイルだが、頑張っているのは4番のキセキ! そして二番手、まだかなり差がある、15番のグローリーヴェイズ! それを追いかける2番のアーモンドアイ! アーモンドアイが二番手に上がって前を追っている! さらにそこから6番のコントレイル! コントレイル! その二人内側には空色のリボンのデアリングタクト! 三冠ウマ娘の共演だ、三冠ウマ娘の共演! そこにグローリーヴェイス、カレンブーケドールも来ているがアーモンドアイ! アーモンドアイです!
……見事に有終の美! お見事2番のアーモンドアイ! そして最後は三冠ウマ娘の争いになりました。歴史に残るレース、歴史を作ったウマ娘がゴール前の攻防……しかしそれを制したのはアーモンドアイ!」
ゴールの瞬間は歓声ではなく、大きな拍手で持って迎え入れられた。私も手のひらが痛くなるほど叩いた。自身に発破をかけるために足を運んだこのレースだが、やはり間違いだった。こんなに気が高ぶってしまっては、本番のレースでは掛かりすぎて今日のキセキさんのような大逃げをしでかしてしまうかもしれない。いや、キセキさんは掛かっていたわけではなくれっきとした作戦なのだが。
いや、むしろ今日は掛かろう。あえて入れ込みに入れ込んで、全て出しきった上で明日からの調整に望むのだ。そうでなければ、この気持を抑え込んだままではどうにかなってしまう。ひとまずウイニングライブまでには少し時間があくので、それまでレース場近場のグルメでも。楽しむことにしよう。……しかし、その前にやるべき事がある。
レース場の観客席にいた、一際目立ったウマ娘の元へ歩み寄る。レース場に着いた時にも、レースを観戦していた時にも、ずっと目の端に捉えていた白いウマ娘。私は彼女をよく知っているが、彼女は私を知っているだろうか。まあ、それに関してはどちらでも良い。今、私を知ればそれでいいのだから。彼女も近づく私に気づいたようだ、視線が合う。隣りにいた眼鏡のウマ娘もこちらを見た。この子の事もよく知っている。私は二人に微笑みかけて口を開く。
「こんにちは。はじめまして、ソダシさんにメイケイエールさん。私はサトノレイナス。今度の阪神ジュベナイルフィリーズじゃ一緒に走ることになってるんだけど……今のうちに挨拶だけでもと思って。よろしくね?」
二人のうち片方。鹿毛のウマ娘は、はっとした表情を浮かべた。私の名前を知っていたのだろう。
そしてもう片方。芦毛よりもなお白い、輝くような純白のウマ娘は、にこりと笑って私に答えた。
「ええ。はじめまして、サトノレイナスさん。今度のジュベナイルでは私が勝つから、よろしくね」
ぴきっと、私の笑顔も固まってしまったように思う。なんてことだ、遠回しに宣戦布告に来たら逆に直球で殴られてしまった。
「いや……その。それは……違うかな? 勝つのは私だって、そう言いに来たのに……先に言われちゃったな」
なんとか取り繕い、ふふと笑ってみせる。ソダシも笑顔を見せているが、目が笑ってないぞこの子。脇にいるメイケイエールが「な、仲良くしようよ~……」とおろおろしているが、この子はなんだかレース動画で見た印象と違って見えるな……。周囲の人たちも、私達を興味深げに眺めていた……いや、なんかさっきより人増えてない?
「おい、あれもしかしてソダシじゃないか?」
「あの白毛で連勝してるって噂の……」
「ほんとだ、本当に真っ白だ……!」
「一緒にいる子は誰だ? 喧嘩か?」
世界的に見ても希少な白毛のウマ娘。有名人のソダシが、何やら他のウマ娘から喧嘩を売られているぞと野次馬が集まってきたのだ。私だってここまで場を緊迫させるつもりはなかったのに、この真っ白ウマ娘。儚げにも見える色の薄さとは裏腹に、思いの外負けん気が強かった。
ソダシは周囲に手を振って「それじゃ、ごきげんよう。次は阪神で会いましょ」と行って立ち去っていった。群衆がソダシのために道を開き、それを慌ててメイケイエールが追っていく。……注目を浴びるのなんて当然、といった様子だ。白毛で未だ無敗でとは言え、たった三戦でもうアイドル気分というわけか。
……いいや、注目される者の心構えができている、ということなのだ。あれだけ注目を浴びていればプレッシャーにもなろうものだが、今話した限りではまるで気負った様子もなくケロリとしていた。スターの器なのだ。
ぐっと拳を握る。見た目でちやほやされているだけでは、レースには勝てないことを教えてやる。ジュニアクラスG1で勝利し、真のスターになるのはこの私。サトノレイナスなのだ。
そう意気込んだ私は、レース場の外でサッと食事を済ませた後。アーモンドアイ、コントレイル、デアリングタクトの超豪華センターのライブを見るために急ぎ足で会場に戻るのだった。
そこでサイリウムと応援うちわを振り回すソダシたちと早くも再開してしまったのは余談である。
ついでに、九冠ウマ娘となったアーモンドアイによるウイニングライブチケットの売上額は、キタサンブラックの有馬記念ライブを抜いて歴代一位だったのだとか。
阪神ジュベナイルフィリーズ当日。中央トレセン学園の食堂には、昼食時でもないのにたくさんのウマ娘たちが集まっていた。G1レースの時は毎回、食堂のモニターにレースの中継映像が流れるからというのがその理由だが。昨今は流行り病が流行しているせいで(なぜだかウマ娘には感染しないようだが)、レース場では厳しい入場規制がかけられているせいもあった。
行きたくても現地で見られないのだ。ジャパンカップの時などは全校生徒が集まっているんじゃないかと言うほどにぎゅうぎゅう詰めになっていたものだ。今日は流石にそれほどではなかったが、それでもいつもより多くのウマ娘がモニターを見ているように思った。
それもそうだろう。今日出走するのは、世界的に見ても希少な白毛のウマ娘。史上初の白毛ウマ娘によるG1制覇の期待がかかったレースである。
「おっ。オグリ、こっちやで!」
オグリキャップが声の方を振り返ると、タマモクロスが机をバシバシを叩きながら自分を呼んでいるのが目に入った。同じ席につくと、タマモクロスは身を乗り出して話しかけてきた。
「どうや、オグリ。今日出てる中では誰が気になる?」
「そうだな……あまり見れていないが、サトノレイナスという子は強そうだった。それと、ヨカヨカという子も気になる。九州から来たんだろう? 頑張ってほしいな。それと、ソダシという子は綺麗だと思った。真っ白だ。タマはどうだ?」
「ウチはメイケイエールとかもええと思うで。まあ、もうちょい落ち着いて走れれば完璧やと思うんやけどな」
そんな話をしながら、二人はモニターを眺めていた。パドックの上に立っているのは、黒地に黄色い刺繍が施された布をかぶったウマ娘。布の下から伸びた白い手が、勢いよくそれを取り払えば。現れたのは、髪も肌も勝負服も雪のように真っ白なウマ娘。ソダシがその場に立っていた。
「白毛初G!ウマ娘なるか!」というテロップがタイミングよく画面に現れる。
「ハッピーミークはトィンクルシリーズには出とらんからなあ。せやからなんや、世間では『白毛は走らへん』とか言われとるらしいで。思い出すなあ、オグリ。ウチらがまだトゥインクル走っとった時も、『芦毛は走らへん』ってさんざん言われとった。なんや、白い毛に恨みでもあるんかっちゅーねん」
「そうなのか。『白毛は走らない』……確かにあまり見ないからな。しかし最近、白毛のウマ娘が重賞を勝ったという話も聞いた気がする」
「そうやでオグリ」
ぴっとタマモクロスが指をさす。
「白毛っちゅうのはそもそも数が少ない。世界のウマ娘全体を見ても0.04%とかしかおらんらしいで。せやのにもう重賞を勝っとる子がおるっちゅうんやから、こらエラいことやで。レースちゅうんはそもそもが負ける子のほうが多い。生涯に1勝もできんウマ娘が、トレセンだけでも何人おるか。そんな中で、そもそもめったにおらん白毛の子を『走らへん』なんて言うんはナンセンスやで。『白毛は走らへん』やなくて『白毛はおらん』。これが正しい」
タマモクロスは一度コップに口をつけて一息つくと、すぐにまた話し始める。
「最近よう話に上がる白毛の一族。知っとるやろ? トレセン学園でも片手で数えられるくらいしかおらんのにあの連中は、この短期間で二人も重賞ウマ娘を出しとるんやで。1勝だけでも難しい、重賞を取れれば上澄みのトゥインクルシリーズで。そう考えたらむしろ……」
「……『白毛は、強い』……?」
二人は再びモニターの方へと目を向けた。レース場では、本馬場入場が始まっているようだった。
鮮やかな緑の勝負服を纏ったサトノレイナスは、静かな気持ちでターフの上に立っていた。観客たちの声もほどんど聞こえてこない。……それはまあ、やはり昨今の流行り病のせいで、入場規制が敷かれて声を出すことも制限されているからなのだが。
あのジャパンカップの日にはしゃいで発散したおかげで、今こうして落ち着いた気分を保てているのだ。……関係ないかな? まあいいや、今日のところはそういうことにしておく。
このレースのためにやれる事は全てやってきたのだ、後は結果を出すのみである。周囲を見れば、他のジュニア級ウマ娘たちの緊張した面持ち。ここにいる全員が、初のG1レースの舞台である。サトノレイナスはその中でも特に目をつけている、有力なウマ娘たちを見やる。
シゲルピンクルビー。重賞戦線で好走を繰り返すシゲルピンクダイヤを姉に持つ、期待のウマ娘。
ヨカヨカ。九州生まれで中央までやってきた珍しいウマ娘。九州生まれの子が中央で重賞を取った記録は今のところはないが、彼女はその初めての栄光を期待されている、実力あるウマ娘だそうだ。
エイシンヒテン。未勝利を脱するのには手こずったようだが、前の2戦では見事な差し脚を見せている。
ユーバーレーベン。前走は振るわなかったようだが、その前のレースでは後方からの豪快な追い込みを見せ、白毛のソダシにクビ差まで迫ったウマ娘である。艶のある青鹿毛の髪を風に揺らす彼女は、緊張しているのか気合が入っているのか、どこかよく分からないぽやっとした表情でいる。なんだろう……とにかく入れ込んでいないなら、強敵になるかもしれない。体も前走と比べると、随分と引き締まっていた。
メイケイエール。重賞を含めた、3戦無敗のウマ娘。前に東京レース場であった時も、今日のパドックでも、どこか控えめでおしとやかな印象のあった彼女だが。本馬場に出てからは、どうにも様子がおかしかった。
「フゥ……フゥ……!」
息は荒く、目は剣呑な光を放ち、乱暴に足踏みを繰り返す。これだ、私がレース映像で見たメイケイエールはこうであったのだ。彼女の走りはさながら暴走機関車。目の前のものを全て踏み潰す勢いで、ペースもへったくれもなくレース中ずっと掛かった状態で走り抜き、それでいて勝利してしまう。恐ろしい素質のウマ娘なのだ。むしろ普段があんなにおしとやかだという事にびっくりしたくらいだ。
そして、ソダシ。メイケイエールと同じように、重賞を含めた無傷の三連勝。一番人気になっているのは白毛の珍しさからだけではなく、勝ちきれると期待されるだけの実力もあるからだ。その真っ白なバ体は、ターフの上に立つだけでも絵になっている。
……いや、これはカメラを意識して立っている? 観客席から覗くカメラは、殆どがソダシの方を向いている。カメラを前にすると緊張するウマ娘も珍しくないが、ソダシは臆することなく、むしろ見せつけているようだ。撮られ慣れているのだ。
ソダシと目があった。お互いわずかに笑みを覗かせ、しかし言葉はかわさない。今日のサトノレイナスは2番人気。ソダシも意識しているのだ。……まあ、意識されているのはソダシからだけではないが。四方八方から飛んでくるこの視線は、私がこのレースでいかに注目されているかを表している。何度も言うが、今日の私は2番人気なのだ。
深呼吸を一つ。大丈夫、この緊張はいい緊張だ。
『どうでしょうか、ソダシはゲートに入るでしょうか』
様子がおかしい大外のメイケイエールから最初にゲートに入れられ、それから順番に入っていくのだが。ソダシは順番になってもなかなかゲートに入ろうとしなかった。ふと、彼女にまつわるある噂を思い出す。
ソダシの母も白毛のウマ娘でトゥインクルシリーズを走ったこともあるようだが、嘘か真か開く前のゲートに体当りして無理やりこじ開け、顔面を血まみれにして走り出したそうだ。
まあ流石に大げさに話を盛っているだけだろう。ソダシも押されてゲートに入ったあとは、大人しくしているようだ。
全員がゲートに入ったらすぐスタートだ。
『九州ウマ娘初のG1勝利も目指すヨカヨカ、ゲートに収まって。最後にフラリオナです』
最後のウマ娘が入った。ぴりりと場の空気が変わる。この瞬間はスタッフも、観客も、実況放送も黙り込む。
たった一瞬の、張り詰めるような静寂。
ガシャコン
私達は一斉に飛び出した。
『スタートしました! ちょっとバラついたスタート、メイケイエール、ダッシュがつきません!』
ちょっと出遅れてしまった。いや、私としてはすぐに出たつもりだったのだが、他の子達のスタートが上手かったのだ。ソダシを含めて、スタートが早かった子は約半数くらい。他は私と似たりよったり。大丈夫、まだまだ巻き返しが効く。メイケイエールなんかは最後尾、1馬身ほど遅れているのだ。
位置をとるために少し前に出る。しかし前には行きすぎない。私が得意なレース展開は中盤足をためてからの直線勝負、後方から一気に追い抜く戦法だ。どうせ直線勝負なら、多少出遅れたところで問題にならない。
私は、前もって考えていたプランの一つ。ソダシの後ろにつける形となっていた。
『3人が出ていきますが、真ん中からはサルビアか。外から九州ウマ娘のヨカヨカ行く! ヨカヨカが行きました、果敢にハナを奪っていく!』
私は馬群の中ほどを走っていた。最高ではないけれど、次点くらいでいい位置だ。馬群もそれほど詰まってない。仕掛けどころになれば抜け出せるだろう。内には少し前めにリンゴアメ、外にはアオイゴールドとナムラメーテル。
蹄鉄の音が耳に響く。芝がはげて土がはね、今日はじめてお披露目した新品の勝負服が汚れていく。特に馬群の中にいれば、尚の事だ。
後ろは見ず、前を走る真っ白いウマ娘を見る。勝負服に入っている黒と黄色の差し色が、またその美しさを際立たせている。頼むよソダシ、私が勝てるかどうかは、あなたにかかってるんだからね。
私の前に、私より速い末脚を持つウマ娘はいない。この位置ならば、後ろから私より速い末脚を持つ子がいたとしても追いつけない。
注意するべきは、このままソダシの後ろをマークし続けることだけ。
私が勝つ。
『前半の半マイルを46秒から7秒。 それほど速いペースではありません!』
放送席の実況が聞こえてくる。私の体内時計も同じくらいを数えていた事に安心する。ラップタイムの計測は基本だと、さんざん叩き込まれたおかげだ。特に後方からのレースの時は、スローペースに気をつけるべし。足を残した先行ウマ娘達に追いつけなくなる。
このくらいならば、きっと前と後ろの有利差はほとんどない。
私が勝つ。
第四コーナーでバ群が大きく広がり、最終直線だ。
『ウマ込みの中ソダシ! ウマ込みの中ソダシ! その後ろにサトノレイナス! 人気の二人、まだウマ込みの中にいる!』
私の目の前で、白い尾が左右に揺れる。視界に映るものが真っ白すぎて、目が痛くなりそうだ。
たしかに私はウマ込みに揉まれている。右にも左にもウマ娘がいて、私から動くことはできない。
今先頭で並んでいるのがポールネイロンとヨカヨカ、エイシンヒテン。この三人の間には抜けられる隙間がある。この三頭の後ろに陣取っているのが、私の前にいるソダシだ。ソダシはこのウマ込みを抜けられる位置にいるのだ。ソダシが抜けた、その後ろを私が付いて一緒に抜ける。私の道を、ソダシに作ってもらう。
その後に、千切る。
私が勝つ!
『先頭は、おおっとヨカヨカだ! 九州ウマ娘の夢を載せてヨカヨカ先頭2バ身のリード! 外から来た来たメイケイエールだあっ!』
「だああああああっ!」
大外から先頭のヨカヨカに向けて、猛烈な勢いでメイケイエールが上がっていくのがちらりと見えた。しかし、気にしている余裕はもうなくなった。前にいるソダシが動いている。ポールネイロンとエイシンヒテンの間をするりと抜けて、白いバ体がストライドを大きく伸ばす。
ここだ。
ピッチを上げる。ソダシが間を抜けたことで、更に開いた隙間に滑り込む。ソダシの真後ろから、内ラチ側へと走り込む。前に出ていたサルビアとソダシに挟まるように追い上げる。
全てが作戦通りだった。私の目の前にはもう、立ち塞がる者は誰もいない。
『真ん中ソダシか! 内からはサトノレイナス、その外にはメイケイエール! 更にはユーバーレーベンも差を詰めてくる!』
私がウマ込みから抜けると同時に、メイケイエールの更に外。大外から上がってきたユーバーレーベンが見えた。先頭はメイケイエールに変わり、ヨカヨカはまだ二番手粘っている。しかしソダシの足色は良く、たった数歩でそれらを追い抜いた。
先頭はソダシになった。
私はピッチを更に上げる。
ヨカヨカを追い抜く。
メイケイエールをかわす。
ユーバーレーベンに追いつかせない。
そしてソダシに並びかけた。
ばちり。白い髪。白い肌に流れる透明な汗。長いまつ毛まで真っ白いソダシの、黒く大きく開いた瞳と目があった。目の下に黒いほくろがあることを、今始めて知った。
瞬きの間もない一瞬の交錯であったが、その瞬間。体の中に火花が散ったかのような熱を感じた。残り100m、まだ抜けない。ソダシのスピードが更に上がっている。予想以上の粘り。だが、それでもだ。
一歩を踏み込み追い上げる。
二歩を踏み込み更に詰める。
三歩を踏み込み、並びかけた。
一歩の速さが違うのだ。私のほうが早い。私が強い。
私が勝てる!
四歩目。踏み込んだ瞬間。私の体は確かに先頭を走っていた。
差し切った。
「私の勝ちだ、ソダシ!」
しかし。純白の光は、その輝きを一切曇らせず。
私の視界から消えることはなかった。
「っ……!?」
その輝きは、私の隣でより強い光を放つ。
一歩進めども差は開かず。
次の一歩では、再び私たちは並んでいた。
まさか。完全に差し切ったのに、冗談だろ。
ゴールはもうすぐそこだ。差し返されてたまるものか。
ピッチを上げる。上がっているのか? いや、意地でも上げる。一歩でも多く、一歩でも早く!
ストライドの長いソダシより、私の一歩のほうが早いのだ。差し返させない。むしろ私が差し返す。私が勝つ、私が勝つ。
一歩。この一歩、一歩で!
『サトノレイナス、ソダシ! ソダシかサトノレイナスーっ! 白毛ウマ娘の夢か、それとも内からサトノ家か! 接戦、大接戦!!』
わっ、と様々な音が耳の中に流れ込んできた。抑えきれない観客席の歓声、響く実況の声、遠くの拍手の音、後続のウマ娘たちの足音。既に歩くほどの速さでしか足を動かしていないのに、耳が風を切る音がゴウゴウとやたら大きく聞こえた。
真っ白いウマ娘が嫌でも視界に入ってくる。彼女は、火照って薄くピンクがかったその顔に。汗が流れる肌に、乱れた白髪を貼り付けたまま、楽しげな笑みを浮かべていた。
その表情があまりにも美人すぎて、私も釣られて笑ってしまった。大きく脈打つ心臓の音が耳の中に響いている。酸欠で頭がばかになっているのかもしれない。とにかく今は、勝ち負けなんかの事はすっかり忘れており、楽しい気分でいっぱいなのだった。
掲示板の表示は、5着にヨカヨカ。4着にメイケイエール、3着にユーバーレーベン。1着と2着は写真判定となっていた。
「わあ、レイナスちゃんと一緒のライブするのは初めてだあ。うれしいな」
ウイニングライブ、ステージ裏。既に日は暮れたというのに、たくさんのファンたちが私達のためにレース場に残ってくれていた。
このユーバーレーベンという娘は、喋り方までぽわぽわと独特であった。この子、私とソダシにクビ差まで迫る激走を見せておきながら、ちょっと休んだだけでもうピンピンしていたのだ。スタミナがある。本来の適正は、もっと長い距離にあるのかもしれない……少なくとも2000m以上。
ソダシよりも、私の向かう路線に立ちはだかってくるかもしれない。
「私も、あなたと踊れてうれしいよ。にしても……」
私は周囲を見渡す。スタッフの皆さんがせわしなく準備をしてくれており、沢山の人が行き交っている。しかし、この場において一番重要な人物が見当たらなかった。
「ソダシさんは一体いつになったら来るのかな。もうライブがはじまる時間なのに。まさか、何かトラブルでもあったんじゃ」
「ソダシちゃんはいつも準備が丁寧なんだあ。前の時もこのくらいだったから大丈夫だよお」
ちなみに、このいかにものんびりしているユーバーレーベンは、私が準備を整えるよりも先にステージ裏で待機していたのであった。
「当然でしょう? ファンは美しい私達を見に来てるんだから。身だしなみは時間の許す限り、徹底しなきゃ」
その声とともに、スタッフの間を縫ってようやくソダシが現れたのだった。流石にギリギリだった自覚はあるのか、つかつかと忙しない早足でだ。
「もう、遅いよソダシさん! あなた抜きで始めなきゃいけないかと思ったんだから」
「間に合ってるんだから、ぐちぐち言われる筋合いはないわ。むしろあなたは、もうちょっと時間をかけて土を落として来たほうがよかったんじゃない?」
じろじろと私を、点検でもするように見ながら、ソダシは言い返す。
私も自分の勝負服に目を落とす。髪は整えたし顔も洗ったし、土の一欠片も残さず払ってきたのだから、それこそそんな目で見られる筋合いはないと思うのだが。……まあ、確かに、土が付いていた部分にうっすら残った跡などは、ちょっと払ったくらいでは落ちなかったのでそのままにしてあるが。……あっ、芝草がひっついてた。
その点ソダシは、見る限り土の跡や砂の一粒すらも残っている様子がない。まあ、確かに、身だしなみに関しては、言うだけのことはあるかもしれないな。
私の目線に気づいたソダシが、得意げな顔を向けて軽くポーズまで取ってみせた。むむ。
「ほーらー、そろそろ時間だよお」
そんなことをしているとユーバーレーベンが、私達の手を取ってステージへと引っ張った。
「ケンカは口でするより、レースでやったほうが楽しいよお。これからティアラ路線で何度も走るんだから」
「……そうね、口げんかなんてしてもしょうがないわ。レースより先に、まずはパフォーマンスで負かしてあげる」
手を引かれながら、ソダシは自分の白い髪をかきあげる仕草を見せる。
「私のバックダンサーよろしくね、二人とも」
「ふん。センターのあなたより目立ってやるから」
ステージの上で、真ん中にソダシが立つ。右手側に私、左手側にユーバーレーベン。ステージが明るくなると同時に曲が流れ、私たちは歌い出す。
客席では青と緑、そしてひときわ多い白いサイリウムが波のように揺れ動く。紙吹雪が舞い、4着以下のウマ娘たちも皆で歌って踊る中で。やはりその中心にいるソダシこそが、その日は一際輝いて見えたのだった。
彼女ともう一度走らなければならない。そう私は思った。
サトノ家の悲願である日本ダービーをとるためにも、本当は三冠路線に行くつもりだったのだが。しかしまずは、その前に彼女を倒せなければ。ダービーなぞ取れっこないと、そう思ったのだ。
ティアラ路線ウマ娘の台頭著しい昨今。今年もまた、きっと強いのはティアラ路線の方だ。
私は来たるクラシック戦線に思いを馳せながら、今日のところは。ソダシを目一杯引き立てるために踊り、歌うのだった。
『わたしの目標……ですか。そうですね……。現役最強、とか……無敗の三冠、とか……。そういう、強いウマ娘さんたちと走って……勝つことができれば、幸せだなって思います』
『決まってるっしょ。日本と、世界のすっごいレースにいっぱい出る! そんで勝つ! 偉大なるウマ娘王に、私はなる! ……ふざけすぎ?』
『贅沢なことは言いません、姉さんに恥ずかしくない走りを。それと、ボクが一番尊敬している方の……忘れ物を、拾いに行く。それだけです』