五月の終わり。
間もなく春が終わろうとしている今日この頃。穏やかな……あるいは弛緩した空気の漂う学園で、私はただ一人苛立ちにも似た感情を抱いていた。
「いや、あるいは……」
恐怖の裏返しなのか? そう何の気なしに呟きながら、私は城壁の上へと顔を出す。前回の襲撃の爪痕が──バリスタによって開けられた穴も、私がぶちまけた血の跡も──そのまま残るその場所で、私はあの日と同じ様に北側を睨み付ける。
相変わらず機関銃も鉄条網も無いものの、縦深だけは拡大した塹壕線。各所に配置についたスケルトンや生ける武器共。今のところ平穏そのものの澄み渡った空。そして、その果てに居るだろう……魔王軍の侵攻部隊。
「来る。来るはずだ。ゲームでのタイミングや日付、そして昨夜行ったスケルトンによる浸透偵察。その結果得られた敵軍の集結状態を戦術的に判断するに、大規模侵攻が発生するのは間違いなく今日のはず……なんだが。うーん? 間違ったかな? もう既に人事は尽くしてしまったんだが」
人事を尽くして天命を待つ。ことわざにもある通り、私はやれる事を粗方やってしまった後だ。塹壕線の拡張や死霊部隊の事前配置は勿論、事前の作戦プランや取り得るオプションの準備まで終わらせてしまっている。
例えば主人公君ことユウ、そしてそのヒロイン候補であるアリシア──仲直りはした。やはりというか、つい皮肉混じりになってしまったが──やサーシャを含む他の生徒達には出来るだけの授業を行い、戦力の底上げや意識改革を行った。ユウやモブ生徒はともかく、アリシアやサーシャに教えられる事なんてたかが知れているが……それならそれでとユウとアリシア、あるいはユウとサーシャの絆イベントを誘発させてみたり、あえてプレッシャーをかける事で両者の会話──嫌な奴への悪口というのは、やはり蜜の味なのだ──を増やしてみたりと、現時点でやれる事はやりつくしたと言えよう。
同僚との連携も……まぁ、ボンクラ共が初撃で全滅しないようにそれとなく、かつ程よく分散させたし、エマ先生には私の代わりにモブ生徒達を率いられる様、全員強制参加の大きな実技授業をしてもらっている。たった今襲撃されても、即座に応戦出来る様に。
「そして、レナ。ゲームでも大活躍した、この大規模侵攻一番の要。あの子の調子も悪くは……いや、まぁ、なんだ。良すぎるぐらいだからね? 死亡フラグもここでは立たないし、ゲーム以上に強くなっている節もある。彼女に関して何も心配要らないというのは……気楽と言えば、気楽だけども」
だからといって彼女に頼り切りでは男として立つ瀬がない。敵がどう動くにせよ、やれる事をやらねばならないのだ。そう思考を打ち切ろうとした私の脳裏に横切る、毎夜の恥態。
夜になる度に私の元を訪れ、血を求め、血に酔う彼女の姿。そしてそれに狂わされ、一方的に攻められる私の……
「煩悩ッ!」
退散! この瀬戸際で何を考えているんだ! 私は!
そう尻尾をブンブン振り回し、湧き上がった感情を発散させて…………暫く。ようやく落ちついた私は、咳払いをしてから改めて懸念を口にする。天気は大丈夫だろうかと。
「雨には、ならないはずだが……」
気象衛星は勿論、自然科学や統計学が未発達のこの世界で天気予報なんぞ出来る訳もなく、私はおぼろげな記憶に頼るしかなかった。ゲームでは暗雲こそ出ていたが、雨は降っていなかったと、そんな主観的に過ぎる話を。
客観性に欠けた……しかし普段ならそこまで気にしない話を、なぜ気にするのか? そう聞かれれば答えは決まっている。この大規模侵攻が序盤の山場であり、天候次第ではレナに重傷を負わせかねないからだ。
「桶狭間の戦いで雨が降らなかったら? とか、そういう話よりも事態は少しばかり深刻だからな。何せ真正の吸血鬼は流水も弱点……雨が降り出したせいで大火傷を負い、地面に墜落。そのまま身動きすら取れず、再生能力を封じられたまま、なぶり殺しにされる可能性は確かにある。その危険性は銀の弾丸にすら匹敵するだろう……」
意外と知られていないのだが、吸血鬼というのは日光だけでなく流水……雨や川、あるいは海すらも弱点な種族なのだ。基本的には身動き出来なくなる程度ではあるが、個体によってはシャワー程度の流水で重傷を負ってしまう事もあり、日光と同じレベルで気を使わなければならない要素だと言えよう。
とはいえ、吸血鬼が流水を弱点とするのは、流水が邪悪な物を洗い流すから。そういう理由から流水が弱点とならない場合もあり──そもそも吸血鬼に関する情報は後世の創作や地域格差が多く、判別しづらい──またレナがどこまで“邪悪な吸血鬼”なのかが不明な事もあって、どの程度まで気にするべきかイマイチ不明瞭なのも事実。しかし、同時に全くのノーダメージというのは考え難く、そもそも私自身、死霊術で呼び出せるアンデッドの中に雨が駄目な奴が居たりと、雨天はあまり望まないのが正直なところだ。
由来不明の紫電も、まぁ、雨となると狙ってないところに感電して行きそうだしな……と、そんな事をツラツラと考える事、暫し。空に動きがあった。
「──ん? 来たか」
澄み渡る青空。それを覆い隠すかの様に、北側からもの凄いスピードで暗雲が広がって来たのだ。魔力の乱れ、あるいは大気汚染というべきか? 年単位で吸い込むと健康被害が発生すると言われるそれが、学園の目前まで……いや、その頭上を通り越して広がっていく。
大規模侵攻。その始まりだ。
「日付はあってたらしいね。しかしこれは、あー……そうくるかぁ」
面倒だね。そうため息を吐いた私の遥か頭上。空に立ち込める暗雲。そこから飛び出してくる様に飛来して来ているのは、悪魔の群れだ。といっても真正の悪魔は一匹もいない、モドキの群れだが……その数が半端ではない。前回見たインプモドキが山程。そしてそれ以外にもチラホラと大きな個体が見受けられ、あれは、遠くてよく分からないが……もしやレッサーデーモンだろうか? 中盤の小ボスとして私に凡ミスを強いてきたのは、嫌でも覚えている。
インプモドキを更に強化した様な能力を持つ奴は、出てくるだけで面倒な奴なのだ。終盤にもなると雑魚同然だが、この序盤で出てこられると……吐き気すらしてくるのが本音だった。
「ゲームだとレナが一人で対応してたんだろうけど……正気かい? いや、正気じゃないね。狂気の沙汰だ。ボンクラとほぼ全てのモブ生徒がここで死滅する訳だよ。生き残れるはずがない。ましてや、ああもキッチリと全縦深に攻撃を仕掛けられればね」
既に学園上空。警戒ラインギリギリまで入り込んでいる奴らの布陣。そして地平線の彼方から姿を現した敵主力軍。前回よりも徹底されたその戦術を言葉に当てはめれば、これはエアランド・バトルであり、同時に限定的な縦深攻撃でもあった。
勿論、その規模は極めて小さい。しかし航空戦力や空挺部隊による前線を飛び越えての全縦深の攻撃、それによる指揮能力の撃滅と脆弱な後方部隊の撃破、主力軍と連携しての挟撃、及び航空優勢を確保した後の浸透強襲突破、それに継ぐ包囲殲滅、橋頭堡の確保と開口部の拡張……この場合は学園全域に対する攻撃、学園に隣接する周辺施設への牽制攻撃、空挺部隊による奇襲攻撃に混乱する学園の包囲、組織的抵抗力を失った教員と学生の各個撃破、残存人員の殲滅と奴隷化、学園周辺の制圧と戦力的空白化。一人として生き残りを許さないあちらの戦い方は、戦術的には極めて近代的だと言えよう。カタフラクトやテルシオがせいぜいで、散兵戦術すら取れない王国軍と比べれば雲泥の差だ。月とスッポンとすら言える。
──まぁ、たまたまだろうけど。
連中にタイムスケジュールを合わせる様な脳ミソはない。これは平面平押しの規模が大き過ぎて、結果的に縦深攻撃に似た攻勢になっただけだ。
そう内心で呆れつつ、しかし、私は状況の悪さを確り自覚していた。縦深戦術理論は近代戦術理論の中でも極めて効果的な勝てる理論の一つだ。それを結果的にとはいえ敵が行使して来たとなれば、取れる手段は殆どない。勿論、縦深戦術にも弱点はある。しかし孫子の兵法に則ればその弱点はむしろ戦争の常でしかなく、縦深戦術が孫子の兵法に則った基本にして強力な戦い方である事は自明の理であり……つまり、何が言いたいかといえば。
「私、早まったかなぁ……これ」
勝てるのだろうか? いや、勝てたとしても私は生き残れるだろうか? 逃げ場を許さない縦深攻撃の真っ只中に、こんな最前線に居て。
そう思いはするものの、今更下がれるはずもなく。私はバリスタは無いはずだからと、そんな希望的観測で自身を慰めるしかなかった。
ゲームでもあったフリーマップ。そこに背景としてバリスタが置かれているのを思い出し、現実となったこの世界でもどこかにバリスタを隠し持っているんじゃないかと、レナを誘って深夜のデー……もとい威力偵察を行ったのは、今や不幸中の幸いでしかなかった。あの夜──学園に持って帰れる物でもないからと──破壊したバリスタが、敵の砲兵戦力の全てのはずだと信じて。
「懸念があるとすれば、現地で組み上げた物にしては確りして……いや、そうだね。あれはどこか正規の場所で作られて、そこから運んできた様にしか見えなかった。それに現地にあった大きな足跡と、ゲームで出てくる敵を考えれば……」
この戦いで、今度こそ私は死ぬかも知れない。
それでも、ここで死んだとしても、レナを無傷で帰還させられればその後も何とか生き残ってくれるはずだと。そう悔いは残らないはずだと意地を張ってみせる私のミミに、鐘の音が響き渡る。
警報だ。開戦の狼煙だ!
こうなればウダウダと考えてる暇はもうない。直ぐにでもエマ先生が主人公君達を含む生徒達を統率し、肉盾……失敬。ボンクラ共が全滅する前に防衛戦に入ってくれるはずだ。そしてレナも飛び起きて戦闘態勢に入るだろうし、この私も……ようやく彼女の役に立てる!
「最近……というより、登用試験からこっち、レナに良いところを全く見せれてなくてね。前回はスケルトン隊の方が活躍してたまであるし、当の私は血液ウォーターサーバーぐらいの使い道しか示せてなかったんだ。汚名返上。今回は確り活躍して、レナに良いところを見せたいんだよ。どんなにカワイイ身体になろうと、夜にどれだけ鳴かされても……私は、これでも私は、男でね!」
どれだけ女の身体に馴染もうと、結局私は私でしかない。惚れた少女に役に立つところ見せたいと、それで命を張るぐらいには……まだ男なのだ。私は。
黒狼族の少女ニーナではなく、たった一匹の男として戦場に立ち。私は愛用の杖を召喚して、そのまま死霊術の行使に入る。
スケルトンは全て出撃済みだが、万が一に備えて残しておいた生ける武器共を手始めに数体。そして……カンッ、と石突きを床に打ち付ける。出番だぞと、寝てる獅子を蹴り起こす為に。
「いつまでふて寝してる気だ……幻獣王! 私がくたばったらお前もくたばるんだぞ! いいからさっさと、力を貸せぇぇぇ!」
いつまでもふてくされてるニートに払う敬意無し! 微妙に抵抗している王様を無理矢理引きずり出しにかかる事……たっぷり十秒。根負けしたのか、戦場の何かがお気に召したのか。ようやくグリフォンが召喚に応じてくれた。
闇色の魔力をまとって、羽ばたきながら私の横に降り立つ幻獣グリフォン。私の切り札。何十日ぶりかの、重役出勤だ。
「……今度は、勝ちに行くぞ」
「クルルゥ」
なら問題無い。そう言いたげに鷹揚に頷くワシ頭に、私は内心でそっとため息を吐く。私がくたばったらコイツも道連れだというのに、よくもまぁここまで緩慢さにも似たプライドを保てる物だと。
私のプライドなんて、レナのうるんだ瞳に一発で消し飛ばされるというのに。流石は王様というべきか? そう呆れた視線をグリフォンに向けて……瞬間、頭上に影が差す。真上、レッサーデーモン!
「グリフォン!」
悪魔めいた槍を突き入れてきたソイツを杖で迎撃しつつ、私は容赦なくグリフォンをけしかける。殺してこいと。
瞬間、待ってましたと言わんばかりに離陸したグリフォンは、行き掛けの駄賃とばかりに私と鍔迫り合いを演じていたレッサーデーモンを爪で引き裂き、そのまま悠々と空へと上がっていく。曇天に舞うグリフォン。鋭い空中機動を見せながら悪魔モドキを蹴散らす王に長期休暇のなまりはないようで……どうやら、今回は頼れそうだった。
「とはいえ……まぁ、抜けてくるよねぇ。知ってるとも」
ナギナタを構える様に杖を持ち、キッと空を睨む私の前に一匹二匹と悪魔モドキが抜けて来る。グリフォンに引き裂かれ、叩き落され、あるいは風の魔法に撃たれて地に落ちていく仲間には見向きもせずに。
この世界の人々の恐怖の象徴を模した化け物共が、物騒な槍をその手に、醜悪な笑みを浮かべながら。
「まるで私程度はなんとでもなると言いたげだね? まぁ、確かに身体はちんちくりんで、肉だって柔らかい。頼りのグリフォンも……まぁ、数に追われて忙しそうだし? 私なんて簡単に愉快なオブジェに出来ると思うのも仕方がない話だ。けど、その油断が命取り……そら今だ、斬り裂いてやれ! リヴィングソード!」
悠々とスキを晒す私に喜々として槍を突き入れようとしてくる悪魔モドキ共は、しかし、私がその瞬間を待っていたとは思わなかった様で。地面に転がってゴミのフリをしていたリヴィングソードに、その土手っ腹を次々と貫かれていく。突如として跳ね上がり、飛来した死霊剣によって。
「ん、と、セィッ!」
グリフォンが、そして死霊剣が次々と怪物を葬りチリへと返し。それでも抜けてきた奴を杖であしらい、刃金で貫き、あるいは控えさせていた予備の死霊剣で斬り伏せさせ。
私は私らしく、あるいは死霊術師らしく姑息に流れを操ってみせる。この序盤の山場。ここ一番の大舞台で、少しでも活躍してやろうと。
「さて、悪魔モドキ諸君。ハズレくじで申し訳ないが……私の相手をして貰うよ? あぁ、当然ながら拒否権は無いので、悪しからず」
カッと石突きを地に打ち付け、予備の生ける武器共を呼び出しつつ、私は連中を煽るように笑みを浮かべて、尻尾をゆるりと振って見せる。
全ての悪魔モドキをレナのところに行かせる訳にはいかないと、そんな決意と共に。