散々殺して踏み付けてきたクセに、いざ自分の番が来たらぴゃーぴゃー泣き喚く。そんな救いがたい寄生虫を処理した……その翌日。
私は最悪な目覚めを迎えていた。
目が覚めるなり……いや、それ以前から湧き上っていた強烈な吐き気。それを飲み下す事に失敗し、我慢出来た数瞬の間で洗面台に──文字通り──転がり込めたのは不幸中の幸いでしかなかった。
「ぅっ、ぉぇ……」
大して詰まってもいない胃袋の中身を洗面台にぶちまけつつ、私はベッドに撒き散らさないですんだ事に安堵して……再度、びちゃびちゃと吐瀉物を吐き出しに掛かる。喉元まで上がってきた吐き気に負けて……いや、我慢する事も出来ず。
──この部屋には、誰も居ないから……
まだレナが戦場から帰って来ておらず、やむなくグリフォンを飛ばした後に一人で就寝したのは、この場合幸運でしかなかった。おかげでみっともないところを目撃されずに済む。
そう安堵したのが悪かったのか? 私は三度目の嗚咽を漏らして……けれど、唾液以上の物は出てこなかった。どうやら、胃の中が空っぽになったらしい。
「……なんて、軟弱な」
あぁこれで楽になった。そう湧き出てきた感情を殴り飛ばしつつ、私は吐瀉物を洗い流して証拠隠滅を図る。口も念入りにゆすいで、誰にも気づかれない様に。
──後は朝食に香りの強い物を取れば……
臭いで気づかれる事もない。そう計画を立てはするものの、どうにも食欲がわかない事に気づいてしまい……私は思わずため息を溢してしまう。重苦しい、嫌悪感が滲む物を。
あぁ、全く。人間というのは、なんと救いがたい寄生虫なのか。必要だからと、そうしないと安全が確保されないからと、安全保障上の問題から同族を殺しておいて……その次の日に、このざまだ。
「必要だった。あれは必要な事だった……!」
そう納得したはずだ。私は。今更、何を言う必要もない。
今後の安全保障の為に。全てはレナの為に……いや、自分の為に。あれは必要な事だった。どうしても、絶対に、何が何でも。
「殺して、奪って、踏み付けて……それで自分だけは助かるなんて思ってる、身勝手な奴らだぞ。なんの罪もないレナを、私利私欲の為に謀殺する様な悪党だ。悪党だったんだ。それに私が殺さなくても、どの道後で奴らは殺されるんだ……!」
いったい、何の問題があるだろう?
ゲームの中の話とはいえ、奴らは私に取って仇にも等しく、シナリオ通りなら早晩始末される程度の連中……人を殺したというよりも、部屋に入り込んだ害虫を処理した様な物だ。それこそ、ゴキブリに殺虫剤を噴射した程度の話でしかない。あぁ、そうだ。何の問題もない。問題なんてあるはずがない。何度も何度も考えたんだ。問題なんて一つとしてありはしない。
戦争中に誰かが死ぬなんて当たり前の事。大戦以前の古いパラダイムの中での殺し合いとはいえ、戦争である事に変わりは無い。なら誰かが死ぬのは自然な事だ。
君主論にも粛清の必要性は書かれているし、私はそれを代行したに過ぎない。
連中は裏切り者だ。殺されるだけの理由があったし、それに実際に手を下したのは私じゃない。私は指示を出しただけだ。
私は、私は……!
「……くそったれ」
最悪だ。どこまでも、最悪の気分だった。
あまりにも酷い気分のせいで、どうしてもその場から動く気になれず……足が無いせいで立つ事すら出来ない私は、魔法が解け、カクンと腕の力が抜けると同時に床に転がって。
再度魔法を掛け直して洗面台に這い上がる事も出来ないまま、私は無様に床に転がって天井を見上げる。ボンヤリと、何も考えれないまま。
そうして…………あぁ、いつまでそうしていたのだろうか? 私はふと、時間だと、そう呟く事が出来た。もうすぐ、レナが帰ってくる時間だと。
「迎えぐらい、いかないとな……」
面倒な仕事を押し付けたのだ。それぐらい出来なくてなんとする。そう自分を叱咤して、私はのろのろと自分の車椅子目指して移動を始める。起きがけにそうしたように、這いつくばって、足が無いなりに、全速力で。
──これじゃ、まんま犬だな……
両手と、千切れた両足。四足で移動している私は、さぞ滑稽だった事だろう。首輪も、ミミも、尻尾も、全て揃っているのだから。
そんな事を自覚して、にも関わらず魔法すら使わずにそのままよじ登る様にしながら車椅子に乗ったのは……きっと、この最悪な気分のせいだった。
「…………」
そうして私は、車椅子に乗って一息つけたせいか。思わず目を閉じてしまう。何もしてないのに疲れてしまったと。
そして、直ぐに後悔した。
聞こえてくるのだ。目を閉じれば、闇の底から怨嗟の声が。私が殺した──
「──やっぱり、ロクでもなかったな」
死霊術師の才能。継ぎ接ぎの肉体。どちらが作用したのか、あるいは両方なのか? それとも単に私の頭がおかしくなっただけなのか?
……いや、何にせよ、踏み潰すだけだ。圧し殺すだけだ。覚悟は、とうの昔に出来ているだろうが。今更弱音を吐くな。そう内心で吐き捨てて、私は車椅子を転がして建物の外へと向かう。そろそろ帰ってくるはずのレナと教え子と同僚を迎えに行く為に。
そうしてコロコロと車輪を回し、亀の歩みで玄関まで来て……不意に、玄関扉が開く。
──別荘の管理人か?
あるいは掃除の人間か、伝言を頼まれた使いっ走りか。まさか──貴族を殺ったのは魔物だという──偽装工作が見破られ、捜査の人間が突入してきた訳ではないだろう。そんな思考が一瞬走り、しかし、それらは直ぐに否定された。
珍しい事に、良い方向へと。
「……レナ?」
「あ、ニーナ」
日光を遮る為だろう。大量の闇精霊に守られながら、いそいそと別荘の中に入って来たのは……白髪の吸血鬼、レナだ。
驚いているのか? すんだ赤い瞳は大きく見開かれ、しかし麗美なコウモリ羽はパタパタとどこか嬉しそうに揺れていて。あぁ、何か良いことがあったんだなと邪推した次の瞬間、彼女はズイッと私に顔を近づけてくる。不思議そうな……いや、不安げな表情で。
「あー、レナ? どうしたんだい? そんなに顔を近づけて。いや、その、そんなに見つめられると、流石の私も気恥ずかしいんだが……」
「ん……ごめんね。でも、ニーナ、大丈夫?」
無理してない? と、そう赤い瞳を不安げに落としながら問うてくるレナに、私は言葉を返す事が出来なかった。まさか、臭いに気づかれたのかと、そんな動揺から口を閉じてしまったが為に。
やはり香水ぐらい常備すべきだったか。そう反省する暇もなく、レナが言葉を繋げてくる。顔色が悪いよ? と。
「気分が悪いなら、休んでた方が……」
「……あぁ、うん。実は昨日、少し寝付きが悪くてね? 少し寝不足気味なんだ。顔色が悪いのは、たぶんそのせいだろう。大丈夫だよ。大した事はない。それより、レナの方こそ大丈夫だったかい? 指揮や引率……はエマ先生がやっただろうけど、全体の把握と護衛は大変だっただろう?」
舌先三寸。どうやら体調が悪い事は見抜かれてしまった様だが、ゲロった事がバレてないなら軌道修正のしようはある。そんな思考が走ったのはホンの一瞬で、しかし、それが出来たのなら後は簡単な事だった。
私の口は脳ミソが深く考えるより先にペラペラと喋り出し、即座に話題をそらしに掛かったのだ。レナの方は? と。
「ううん、レナは大丈夫。エマ先生と一年生の皆が頑張ってくれたから……苦戦は、しなかったよ?」
「ん、そうなのかい? 何だかんだ生き残ってきたエマ先生はともかく、一年生がねぇ……ふむ。もう少し詳しく話を聞いても良いかい?」
「ん、良いよ」
コクリ、と。そう小さく頷きながら快い返事を返した後、自然な形で私が乗っている車椅子を押し始めるレナ。
普通なら固辞するところなのだが……生憎、すれ違いざまにサラリと流れた雪の様な白髪に目を取られていた私に断る様な暇はなく。私はあえなくそのままの形でレナから詳しい話を聞く事になった。
吐息の掛かる距離。レナの息遣いがミミで感じ取れてしまう位置関係はひどくくすぐったかったが……それで私がレナの声を聞き漏らす訳も無く。私はなるほど、そうなんだね、と相づちを打ちながらレナの側で起こった事を一つ一つ把握していく。
そうして、暫く。リビングで一息ついた頃には、私は私の居ない戦場を理解するに至っていた。
──なるほど、全て予想通りか……特にバッドステータスを発症していない今のレナが居れば問題無いとは思っていたが、いや、ともかく一安心だな。
レナ曰く、作戦は滞りなく成功。王国の防衛線を浸透突破してきた敵軍団の先鋒を捉える事に成功した学園側は、終始優勢に戦局を運ぶ事が出来たらしい。
まぁ、奇襲効果が薄れた後は数の差から押され気味ではあったらしいのが……それはあくまでコントロール可能な範囲での話でしかなく、もっと言えば予定通りですらあったとの事。臨機応変に行われた戦術的後退とそれに伴う遅滞防御や、複層を前提とした防衛線の事前準備と構築等があれば、難なく対処出来る程度の攻勢だったらしい。
「ふむ、なるほど。万全の態勢で疲弊した敵軍を迎え討った形か。お疲れ様だね。レナ。私は諸用で動けなかったし、助かったよ。……しかし、聞くぶんにはかなり入念に準備して戦闘に望んだみたいだね? ドーントレスのオヤジさんの手配かい?」
「? ドーントレス家はアリシアしか居なかったよ? アリシアは最前線で頑張ってたけど、指揮は……あんまりしてなかったかな」
「……ふむ? ではエマ先生が事前に準備をしたのかい? 教養豊かな女性だとは知っているが、よもや軍事的な教養まで持っているとは……予想外と言ってしまうのは、エマ先生に失礼か」
「ううん? エマ先生の指示じゃないよ? 前線で個別に指揮を取ったり、色々頑張ってはいたけど……」
「ふぅん? ドーントレス親子もエマ先生も全体の作戦指揮を取った訳ではないと。なら、レナが頑張ったんだね? 流石はレナだ。やはり任せて正解だったよ」
「レナ? レナは何もしてないよ。戦いはしたし、援護もしたけど、指示は出してない」
「…………じゃあ、なにかい? 全部偶然なのかい? 戦術的後退による遅滞防御も、複層前提の防衛線も、全部偶然の噛み合わせだと? そんな訳がないだろう。レナ、正直に言ってくれ。怒らないから。そんな入念な準備が必要な作戦となれば、素人の手には負えないのが普通だ。となれば、誰かが横から手を出して全体を整えたのは間違いない。レナ。それはいったい、誰の仕業なんだい?」
「えっと……えっとね。今回も作戦を準備したのは、ニーナだよね?」
「……はい?」
私が? 無くなった足の材料欲しさに強盗殺人を敢行していた私が、レナ達の戦闘に?
あり得ない。私は人を殺して、盗んで、レナにさえ嘘をついているようなクズなのだ。そんな奴が彼女達の助けを、出来るはずがない。……そう口にしなかったのは、単に私が喋るより先に、レナがその口を開いたから。ミミに心地よい声が、スッと入り込む。
ニーナ先生に教えて貰った通りにしただけって言ってたよ、と。
「私が、教えた通りに……? すまない、何の話だい? 今回の戦闘に関して、私は直接関与してないんだが……」
「ん。レナの生徒の……えっと、ユウ? って子がそう言ってたよ? ニーナに教えて貰った事だからって」
「…………まさか、私の薫陶、だとでも?」
「んゅ……そんな感じ、かな?」
馬鹿な。そう言いたいのを何とか我慢し、私はその代わりとばかりに目を覆ってため息を吐く。そんな事があり得るのか? と。
レナが口にした事は、つまり……あれだ。学力テストの問題を見て、これ昨日予習した奴だ! となったと言っているに等しい。まぁ、学力テストは人が作っている物だし、問題の使い回しや流出も多い。そういう事もあるだろう。
だが、しかし、ユウが直面したのは学力テストではなく魔王軍との戦闘だ。命を懸けてコンマ一秒を争う場に置いて、予習が……私の授業が役に立つ事などあるのだろうか? 否。あり得ない。あり得ない、のだが……レナがそうだと言っている事に反論するなんて、私に出来るはずがなく。私はただそうなんだねと──不承不承ながら──頷くしかなかった。珍しい事もあるものだ、と。ささやかな皮肉を付け足しつつ。
──まぁ、確かに? ユウにはゲームでの小技や、次の戦闘で注意すべき事をさり気なく教えてはいるから、可能性はゼロではないけど……
しかし、それはゼロではないだけで、ほぼあり得ない……いわば天文学的確率なのだ。ユウが私の──我ながらクソ長いと自覚している──お喋りを、毎回キッチリ聞いている訳がないのだから。
そう内心で自虐しつつレナの発言を否定し、けれど当人にはそれを告げれないまま……私は紅茶を用意すると言ってキッチンに向かうレナを、その後ろ姿を見送る事になる。
風に流れる艷やかな白髪。パタパタと楽しげに羽ばたく蠱惑的なコウモリ羽。神秘的で、幻想的で、けれど当人はとても小さく、華奢で、愛らしい。まだ幼い子供の様に、けれど夜になれば──
「──いや、何を考えているんだ。私は」
夜になれば? レナが、なんだと言うのか。
いや、確かに。確かにレナと私はそういう関係にはある。いっそ淫らなまでの夜の関係。だが、それは、いや、そこに愛とか恋だとかいう物は存在しないのだ。あれは一瞬の治療行為。
それを間違えてはいけない。
私はレナを自由に扱える訳ではないし、その思いをコントロールできる訳でもない。彼女は私の所有物ではないし、将来を約束している訳でもない。
「思い上がるなよ。私。現実だけを見据えるんだ」
女性というのは、その生物学上、並びに文化人類学上、そういうじゃれあいを男性以上にコミュニケーションの一つとしやすい種であるのは、既に人類史が示している通りだ。
だから、じゃれあったからといってそういう関係になれたとは限らないし、何よりも、レナの場合は事情が事情。吸血の必要性とその反動を考えれば、あれに深い意味はなく、むしろレナ自身疎ましい感情があってもおかしくはない。
──こうして友人関係が出来上がっているのが、奇跡なんだ。
本当に。そう内心で嘆息して、私は更に自虐を積み重ねる。こんな人殺しが、今更何を期待しているのだと。
あれはレナに喜んで欲しいとか、気に入って欲しいとか、そんな理由でやったんじゃない。私がそうすべきだと思ったからそうしただけで、その結果レナに嫌われても、それは、自己責任だ。
だってそうだろう? 私はレナにとって友人の一人でしかない。少なくとも、レナは私の事を…………愛しては、いないのだから。
「したくもない隠し事が、また増えた……か」
そう呟いて、しかし、私は直ぐに笑顔を顔に貼り付ける。紅茶を用意しにキッチンへと向かったレナが、パタパタと嬉しそうにコウモリ羽を動かしながら戻って来た為に。
その上機嫌を、何よりレナの顔に浮かんだ──ゲームでは片手の数程しか見られなかった──微笑みを曇らせない様に、私は必死に言葉を滑らせる。
紅茶の出来を褒め。そういえば敵軍の攻勢が手薄に感じたと言うレナの相談に乗り。ようやく足を生やす目処がつきそうだと報告して、異様なまでに喜ばれ。
そうして、そのままの流れでレナに手伝って貰いながら足を生やす準備を進めていれば、いつの間にか時刻は夜になり。私はレナの誘いを断り切れず、今日も私はレナと同じベッドに入る事になる。
血と嘘に塗れた、汚れた身体で。
だから、だろう。血を吸われて、頭がボンヤリした瞬間。奥にしまっていた疑問が表に出てきて、私を支配したのは。
──私は、ここに居て良いのか?
髪の色と同じ真っ白な心を持った、純粋無垢な吸血鬼の少女。月の様に幻想的で、こんな私の話を嫌がらずに……いや、むしろ楽しそうに聞いてくれるお姫様。私の、私の好きな人。私の命と引き換えにしても、何ら惜しくない愛しい少女。レナ。レナ・グレース・シャーロット・フューリアス。
彼女に、私は相応しいのか? と。
これ以上、彼女を汚す気か? と。
今すぐ、消えるべきではないのか? と。
自身の内から湧き上がるその声に、私は、私を自覚してしまう。綺麗な少女とは真逆の、薄汚い自分を。ニーナ・サイサリスは、レナ・グレース・シャーロット・フューリアスに……きっと、相応しくは、ないのだと──
パートナーが好き過ぎて幸福恐怖症を拗らせ、デストルドーを発症する女。ニーナ・サイサリス。
自爆準備、ヨシ!
カットシーンを寄越せと言われたので。
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