架空原作TS闇深勘違い学園モノ   作:キヨ@ハーメルン

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第18話 中盤の難所 破

 正直なところ、私は私の前世を既に覚えていない。

 必死になって思い出そうとすれば点々と記憶を掘り出す事は出来るのだが、しかし、逆に言えばそのレベルでもう駄目になっているのだ。無意識に思い出すのは、身体を弄くり回された日々……そして、レナや教え子の事ばかり。

 私が私でなくなる日も、そう遠くはないだろう。

 

 故に、というべきか? ゲーム……この世界と極めて酷似しているゲーム『スカーレット・ダイアリー』についても、思い出せる事はかなり少なくなってしまった。隠しステージである天文台。そこで書き上げたメモを見返さなければならない事も、今や一度や二度ではない。

 だから、今から起こる戦闘について私が記憶している事は、全て伝聞だ。

 例えばユウ達主人公組の本来の動き。ドーントレス家主力軍と共に敵軍と真っ向からぶつかり、敗走。殿として防衛戦を行う事になった──この場面がゲームステージだった──事。私は、私は今回の戦場やユウの動きに関して、それしか知らないのだ。メモとして殴り書きされた一文しか、私は未来を知り得ていない。

 

 ──けど、それでも。

 

 出来る事はある。ここが王国の命運を決するターニングポイントの一つである以上は、必ず。

 それに、レナの運命が既に新しい兆しを、メモに書かれた未来を超え始めている事を思えば、あるべき未来を忘れてしまったのは……むしろ良いことなのだ。固定観念に囚われず、柔軟に最善を模索出来るという点に置いては。

 

 

「──うん? もう来たのか。今戦端が開かれたばかりだというのに……思ったより早い到着じゃないか。ユウ」

 

 自分のアイデンティティーが、そしてアドバンテージが無くなり始めている事を鬱々と確認する事、暫し。森林地帯の端っこでレナと共に息を潜めていた私は、ようやくユウ達を捕捉する事に成功していた。

 ゴーストの目に映る彼らは、どうにも全速力で林道を駆け抜けて来たらしく。肩で息をしながら魔王軍の背中を……いや、待て。人数が足りない。アリシアやサーシャ、エマ先生。女性陣の姿がどこにも見えないのは、どういう事だ? いや、まさか──

 

「襲われた、のか? それにしては落ち着いているというか、焦っている様には……ふむ。襲われて分断された訳ではない? だとすると、最初から部隊を二つに分けたとでも? 足の速い者とそうではない者で隊を分け、足の速い者達を先行させる。偵察はサーシャに任せ、終わり次第後続の援護に回せば……なるほど。教えた訳でもないのに、よくやる」

「……ニーナ?」

「ん? いや、問題無いよ。レナ。戦線に異常無し。今のは、ただの独り言だ」

 

 独り言だとも。そう軽い調子で言葉を回しながら、私は内心でいい機転だと頷く。それこそ、寮で点数争いをしていたなら十点をくれてやっただろう。そうウンウンと頷きながら、私は私で最終確認に入る。

 先んじて召喚しておいたグリフォンにまたがり、レナに改めて視線をやって小さく頷き合い。編成が完了している死霊部隊の待機命令を解除。部隊長として配置した死霊騎士……意思そのものが残留している気がしてならない帝国騎士達を森の縁まで前進させ、その旗下にある民兵スケルトンやスケルトンソルジャー等のスケルトン隊も後続に続かせる。今回もゴーストやゾンビは役に立ちそうにないので死蔵している為……これで、我々の突撃準備は全て整った。

 

 ──タイミングとしては、まだ早いが……

 

 私の仕事として最良なのは、ユウ達が魔王軍のケツを蹴り飛ばした後に敵を河川まで追いやる事。それが一番良い手なのは間違いない。敵がユウ達の攻撃に対応し始め、これが敵の策の全てに違いないと、そう高を括って油断した瞬間を突くのが一番堅実なのだ。

 だが、それではユウ達の負担が──レナが私から離れてくれない事もあって──大き過ぎる。

 彼の、彼ら彼女らの先生として……それは、許容できない作戦で。故に、その決断は自然と成された。

 

「……前進。前進だ。行くぞ! 前に出るッ!」

 

 突撃だ! そう声を張り上げながら杖を振り下ろし、用意した全軍を突撃させる。森の外、数百メートルの位置にいる魔王軍に対し、待ってましたと言わんばかりに遮二無二突撃していく死霊騎士とスケルトン達。

 バサリと森の上まで上昇したグリフォンの上から、私は彼らの勇姿を見る。声の一つも上がらぬ……しかし、鬼気迫る突撃を。

 

「始まったね……大丈夫? ニーナ」

「ああ……大丈夫だとも。レナ」

 

 賽は投げられた。作戦は開始され、引き返す事は出来ない。

 前進していく死霊軍を空から眺めながら小さく頷き合った私とレナは、ゆっくりと死霊軍の後方へと位置取り、慌てる事なく前進していく。そろりそろりと、少しづつ。

 だが、のんびりとしているのは私達だけ。死霊軍は我先にと魔王軍目掛けて突撃を敢行しており……あちらも、ようやくこちらに気づいたらしい。敵軍の左翼がにわかに浮足立ち始めた。こちらを向く者、魔法で射撃を行う者、そもそも我々に気づいて居ない者。各々がバラバラに迎撃行動を取り始める。目的の統一も、ロクに行われないまま。

 

「そんな有り様で!」

 

 なめるな! そう私が吐き捨てるのと、死霊軍の先鋒が魔王軍に激突したのは、殆ど同時だった。

 刺突、一番槍。最初に首級をあげたのは死霊騎士の一人。続いて戦果を上げたのも死霊騎士で、しかし、そこから先は判別がつかなくなってしまった。乱戦だ。

 槍が、剣が、あるいは魔法が。お互いの鎧や肉体に突き刺さり、火花を散らし、瞬きの間に消耗していく。血生臭い重装歩兵の戦い。それが今、そこら中で始まった。始まってしまった。

 

「ふん。剣と魔法の戦いにしては些か泥臭いが……戦争なんてどこもそんなものか。それより戦況は、優勢だな。まぁ、あれだけ準備して、不意まで突いたんだ。そうでなくては困るが、いや、ここはよくやっていると褒めるべきかな? 流石は帝国騎士だ、と……あー、レナ?」

「ん……? なに? ニーナ」

「うん。いや、なんでもないよ」

 

 剣戟の音が響く中。私は言ってから、失言だと気づいて。けれど今更何を言う事も出来ず。私は大人しく口をつぐんでしまう。

 かつての臣下達に、死してなお勇敢に戦う帝国騎士達に、亡国の皇女様は何か思う事はないのかい? なんて、そんな無神経な事を言える訳もなく。

 

 ──せっかくレナが気づかないフリをしてくれてたのに、私は……! 

 

 レナと帝国騎士達の関係がどの様な物だったのか? それは私のメモにすら書かれてない事だ。親しかったのか、会った事もなかったのか、それすら分からない話。

 しかし、何にせよ。私の口がレナの思い遣りを無駄にした事に違いはなく。けれど今更謝罪を口にすれば却って墓穴を掘る事になる私は……ただ自戒を、深く、深く刻み込んで、その上で強気に振る舞うしかなかった。この汚名は戦果上げる事で返上せねば、と。

 

「……ッ。今しか、今しか勝機はないんだぞ。ええい! 第三、第四小隊は強行突破を図れ! 右翼から前線を押し上げ、ユウ達と合流しろ! 第二はこれを援護。第五、第六小隊は後退。左翼側は後退だ! 後退っ! 第一小隊は左翼側を援護しつつ合流。このまま正面を死守しろ!」

 

 乱戦を制しつつある死霊軍に、その軍団長として私が魔力越しに出した指示は、斜線陣の応用だった。軍団を斜めにしながら進軍する斜線陣は古代ギリシアで生まれ、その後様々な応用と発展が続けられた古い陣形だが……だからこそ、というべきか。私はこの正念場でありきたりな戦術を選んだ。

 詰めの戦力であるユウ達がじわじわと前進を開始し始め、中盤戦が始まったこの戦場で。我々こそが、最も崩れてはならない戦力なのだと確信しているから。だが……

 

「敵の攻勢は苛烈なり……? それがなんだ! 右翼に予備戦力を投入する! 一気に押し切れ!」

 

 ユウ達が来る前に勝負を決してしまわなければ。そんな思いを無視する事は出来ず、私は念の為にとキープしていた予備戦力……スケルトンとリヴィングウェポンの二個混成小隊を右翼に投入。無茶を承知で強引な攻めに出る。押し切る以外に手はないと信じて。

 だが、いや、だというのに。足りなかった。まるで、全く、全然。

 敵の主力がインプモドキからレッサーデーモンモドキに変化しているせいだと分かっていても、スケルトンでは力不足だと理解していても、そもそも足りないのだ。手札が、そして力が。

 

 ──どうする? 

 

 どうすればいい? いや、言うまでもない。私に残された手は、もう移動の足として使っているグリフォンのみなのだ。

 そこに気付けば、判断は一瞬。私はそっと視線を地面へと下ろし、グリフォンを更なる低空飛行へ……着陸へと誘導。そのまま地面へと降り立たせる。

 なぜ地上に降りたのかと、そう不可解そうに眉をひそめるグリフォンから降りようとした……その瞬間。レナから声が掛かる。ニーナ、と。どこか引き止める様に、私の名を。

 

「レナに任せて。レナ、頑張るから。だから……」

「…………分かった。ここは任せるよ? レナ」

「! うん!」

 

 任せて! と。そう珍しく力強い返事を返し、笑みすら浮かべて闇精霊を束ねだすレナ。私の側でコウモリ羽を羽ばたかせ、白い髪を風になびかせる少女を戦地に送り出す事に迷いが無い訳では無かったが……それで戦術的アドバンテージを見失う程、私は愚かになれず。

 だから、きっと、これは既定路線だった。

 

「──闇よ」

 

 闇色の蝶が、羽ばたく。レナの意思のもと、その数と力を最大限に高められた彼らは、一つの雲となって死霊達の頭上を飛び去り、ゆるりとモドキ共の懐に潜り込んで──瞬間、爆散。ただ一撃の元に、世界を闇色に塗り潰していく。それはまるで、インクで他の存在を塗り潰すかの様に。

 

「流石……!」

 

 レナの十八番。闇精霊の羽ばたきが各戦線で綺麗に炸裂し、闇が輝く度にモドキ共の存在が闇に消え、あるいは弾き飛ばされ、次々と前線に大穴が空いていく。

 間違えようもない。ここが、攻め時だ。

 

「よし、グリフォン。今度こそ行って来い。連中をここで撃滅出来れば、魔王軍の侵攻計画そのものを頓挫させられるんだ……私の事は気にするな。遠慮もいらん。お前の全力で、勝負を決めて来い。……ん? あぁ、心配するな。私は死霊馬を召喚してそちらに乗り移……分かった分かった。そう怒るな。馬はやめよう。それでいいかい?」

 

 ホントに馬が嫌いなんだなと、そうため息を吐く暇こそあれ、私は分かればよろしいと言わんばかりのグリフォンから目をそらし、やむなく最近使える様になったばかりの死霊狼を脇に呼び出して、その背に飛び乗ってまたがる。

 正直なところ、狼は苦手になってしまったのだが……こんな土壇場でグリフォンの機嫌を損ねる訳にもいかない以上、我慢のしどころでしかなく。私はピンッと毛を逆立てる尻尾を落ち着けさせ、顔に笑みを貼り付けながら、それでも迷いなくグリフォンを送り出す。思う存分暴れて来いと。

 そうして、一拍。グリフォンの翼が遥か上空に消えた後、私はそっとため息を吐きながら護衛のリヴィングソードを一つ二つと召喚して……ふと、前線の死霊騎士から魔力越しに報告が上がる。ユウ達と、合流したらしい。

 

「確かだな? 間違いないな? よーし! よくやった! お前達はそのままユウ達学園組のサポートに徹しろ! 包囲を完成させるんだ。最大の獲物はこちらで片付ける。詰めの瞬間を誤るなよ? ……レナ! 前進するよ! 一気に攻めるッ!」

「ぇ、ニーナ!?」

 

 好機到来。この戦場の優勢を決するのは今しかない! 

 待ち望んだ確信を得た私は上空のレナに一声掛けた後、死霊狼を操って中央突破を敢行する。手勢のリヴィングソードは……魔力不足の為に二振りのみ。だとしても、いや、だからこそ私自身が突破口を切り開くのだと、私は躊躇いなく前線に首を突っ込む。真っ直ぐに。目減りしたスケルトン達の脇を駆け抜けて。

 

「各隊前進! 前進だ! 損害に構わず前進しろ! 待ちに待った反転攻勢の時間だぞ! このまま大将首を討ち取り、敵の侵攻計画を頓挫させてやれッ!」

 

 包囲殲滅。ユウ達が敵の後方に攻撃を仕掛け、連中の対処能力が飽和している今が、今だけが逆転のチャンスだ。

 そんな思いを口から叫びながら、私は振り返る事もせずただひたすらに死霊狼を走らせ、立ち塞がるモドキ共に槍を付き込み、あるいは死霊剣に斬り伏せさせ、無理矢理前進していく。食い破る様に、こじ開ける様に。後ろに続く死霊騎士やレナから援護を貰いつつ、浮足立って連携が崩れている奴を容赦なく葬って、強引に。

 

 ──行ける。押し勝てる! 

 

 反撃に突き込まれた槍が頬を裂き、射られた矢を脇腹に撃ち込まれながら、それでも私は笑みを深める。勝った、と。

 元より、側面から奇襲攻撃を仕掛け、今や全方位を取り囲んでいる我々の優勢は火を見るよりも明らかなのだ。障害になり得る大物もグリフォンの圧倒的な暴力と、武技に長けた死霊騎士達の手によって一方的に討ち倒されており。数が頼りの小物に至っては私と死霊、そしてレナの魔法によって容易く蹴散らされている。

 しかも敵側は奇襲によって受けた動揺から未だに立ち直れておらず。指示が混線しているのか、殆ど棒立ちに近いモドキ共は組織的抵抗が全く出来ていない状態で……案の定、というべきか? 気づけば、私達は敵陣の中央部まで踏み込んでしまっていた。後ホンの十数歩、死霊狼を駆けさせれば、それで大将首に手が届く場所に。

 

「ん……踏み込み過ぎたか? いや、しかし、こうも手応えが無くてはね。腕の一本は取られるかと思ったんだが、それも無いと来てる。居るのはただのカカシばかり……全く拍子抜けだ」

 

 正直、焦っている自覚はあったのだが……敵は我々の予想を遥かに下回る弱兵だったらしく、本当にこのまま勝ててしまいそうだった。思わず、気が抜ける程に。

 そうほぅと一息ついて、尻尾をゆらりとたらし。レナに気づかれる前にと、脇腹に刺さった矢を無理矢理引き抜いていた……その瞬間。ミミが、震える。

 

「……? 何だ?」

 

 スッ、と。急に冷え込んだ空気に気を取られ。私は深く考えるより先に、死霊狼の足を止めさせてしまう。何かが起きた。しかし、何が起きたのかと。

 そんな思いを感じたのは、私だけでは無かったらしく。ここまで抜けてこれた死霊騎士と、そしてレナまでもが私の側に身を寄せて、行き足を止める。何か妙だと。私に視線を寄越しながら。

 

「ニーナ、これ……」

「嫌な感じがするね……警戒は、怠らない方が良さそうだ」

 

 前言撤回。どうやら楽に勝たせてはくれないらしい。そう内心で嘆息しつつ、死霊騎士にレナを守る様に指示を飛ばした私の視界に、ふと、白い煙にも似た物が混ざり始める。いや、煙というのは正しくない。あれは……

 

「霧、か……?」

「うん。霧、だね」

「あぁ、そう見える。しかし、よりによって霧とは……ん?」

 

 視界に掛かるうっすらと白い気体。それが霧ではないかとレナと頷き合った、次の瞬間。霧は瞬く間に濃さを増し、視界全てを真っ白に染め上げてしまう。視界は、数メートルあるかないか。足元ですらハッキリ見えない程の、極めて濃ゆい霧。

 

 ──霧ステージだと!? いや、しかし、そんな情報は……

 

 メモに無かった。そう内心で断言しつつ、クラリと揺れる思考に上がるのは薄れた記憶。ゲームでは様々なデバフの掛かる霧ステージがあって、あれは酷く厄介だったなと。そんな事を思い出しはしたものの、だからこそ、疑問しか残らない。あれはまだまだ先の話で、こんな中盤で出てくる物じゃないはずだと。

 だがそうなると、この霧は自然現象だという事になるが……

 

「……いや、違うな。この霧は濃過ぎる。突如として広がった事といい、自然現象にしては不自然極まる代物だ。となると、やはり人為的な物。魔王軍の仕業か。撤退するにせよ、待ち伏せに切り替えるにせよ、この霧はあちらに利するものだしな。……ふむ。レナ。レナはこの霧、どう見る? 私には自然の物には思えないんだが、術者がどこに居るか、分かったりするかい?」

 

 何が原因で、というのは今更言うまでもないだろう。恐らく私というイレギュラーに過剰反応を起こした結果だ。私程度にビビリが過ぎるとため息を吐きたくなるが、今のところそれ以上に考える事は無い。

 いや、というよりも、余裕がなくなったと言うべきか。これが敵の策ならば、一刻も早く術者の位置を特定して撃破し、逆転の目を摘まなければならないのだ。霧の中で逆奇襲を受けるなんて冗談じゃない。

 そう思ったからこそ、私はミミをピンッと立てて警戒態勢に入りつつ、同時に──霧でよく見えないが──隣に居るであろうレナに声を掛けたのだが……待てど暮らせど声は帰って来なかった。小さな頷きも、曖昧な声すらも、何一つ。

 

「……レナ?」

 

 おかしい。何時もなら小さい返事が直ぐに帰ってくるのに。そう疑問が鎌首をもたげると同時、グラリ、と。あるいはブツリ、と。死霊との魔力的リンクが乱れる。

 いや──途切れた。

 

「なっ……!?」

 

 魔法的なジャミングだ! そう思考が追い付いた時には、既に遅く。護衛のリヴィングソードが、そして乗っていた死霊狼が、スゥーと虚空に消えていってしまう。

 自然、私は空中に取り残される形となり、ロクに受け身も取れないまま地面に落下。足を、そしてお尻を強打してしまう。特に千切れた足の断面──傷は塞がっているが、デリケートな場所に変わりはない──の痛みは一層酷く。まるでヤスリを掛けられたかの様な、身を削る様な痛みが痛烈に駆け抜けて。それに耐え切れなかった私は、思わず呻き声を漏らしてしまう。痛ッ、と。

 

「くっ……この、ぐらい! それより、レナ! レナは、レナは大丈夫かい!? レナ! …………レナ?」

 

 移動の足が無くなり、何も出来なくなったのを良い事に。私は大声を張り上げてレナの名を呼ぶが……やはり、返事がない。それどころか、辺りは不気味なまでに静まり帰っている。

 まるで、この真っ白な世界に、私だけが取り残されたかの様な……

 

「そんな、はず……えぇい! レナ! 居るんだろう!? どこだい? レナ! レナ!!」

 

 さっきまで隣に居たはずの、レナが居ない。

 霧の中で、私だけが孤立している。たった一人で、独りぼっちで。

 そんな分かりきった事から目を背ける様に、私は必死にレナの名前を呼ぶ。何度も、何度も、繰り返し。何も見えない、霧のベールの向こうへと。草葉の上を這いずって動きながら、どこに居るのだと。

 

「何が、どうなって、こんな。…………レナ。私、は……」

 

 この霧がどんな物なのか? キメラである身体が解析を終えてしまってなお、私は動き出せずに居た。

 レナが居ない。ただそれだけの事に気を取られて。

 分かっている。分かってはいるのだ。この霧がどんな物で、どんな効果があって、そのせいでレナが私から離れたのだという事も、全て。だが、どうにも。レナが自分の意志で私の側から離れたというのが、私の背筋を凍らせて──

 

「──軟弱になったな。私。お前は、そうじゃなかったろうに」

 

 孤独を友とし、死を良しとする。前はそうだったはずだ。何を恐れる事がある? 

 そう自分を叱咤してはみるものの……ミミも尻尾もへにゃりと倒れ伏したままで、立ち上がる為の足すら今は無く。私は杖に縋って、辺りを見回すしか出来なかった。まるで幼い少女の様に、あるはずもないモノに怯えながら。

 だからこそ、だろうか。私はソレに直ぐ様気づく事が出来た。視界の端。霧のベールの向こう……白い霧の向こうに現れた、その人影に。

 うっすらとしたシルエット。私と同じくらいの小さな背丈と、可愛らしくも凛々しいコウモリ羽。影となっているそれから分かる事なんて、それだけで。けれど、私にはそれで充分だった。何度あの少女を見たと思っている。後ろ姿も、そのコウモリ羽も、私は何度となく見てきて居るのだ。今更、霧で見えない程度で見間違うはずもない。レナだ。レナが、来てくれた! 

 

「あぁ、レナ。レナ! 良かった。本当に良かった。無事で何よりだ。嬉しいよ。けど……再会を喜んでいる暇は無いんだ。どうやら、我々は迷いの霧の一種に閉じ込められて居るらしいからね。視界を遮るだけでなく、魔力すらも遮断し、ヒトの感覚そのものすら狂わせる特殊な霧。早く対処しなければ逆転されてしまうだろう。だが、安心してくれ。対処法はもう分かっている。どこかに魔法陣か発生装置か……とにかく原因があるはずなんだ。それを破壊しよう。それでこの霧は直ぐに効果を失い、霧散する。ただ、死霊騎士も早晩魔力切れで送還されるだろうから……やれるのは、私達だけだ。難しいとは思うが……ん? レナ?」

 

 霧の向こうからゆらりゆらりと歩を進め、ゆっくりと私に近づいてくるレナに、私は尻尾をゆらゆらと揺らしながら、本当に無事で良かったと。そう胸の奥から湧き上がる安心感に急かされるまま、口を回して状況を説明する。もう安心だと、そう伝える為に。

 だが、しかし、それも途中まで。霧の向こうからやって来るレナの、その淀んだ瞳を見てしまえば……私の口は、自然と止まってしまう。なぜあの輝かしい赤月が、薄汚い色に塗り潰されているんだと。

 

「レナ? 大丈夫かい? 怪我は……無さそうだね。けど気分が悪いのなら、直ぐに退却した方が──」

 

 様子がおかしい。まさか負傷しているのでは? そうでなくとも霧で体調を崩してしまったのでは? 下級死霊を強制送還する程の霧だ。可能性はある。そんな思考に背を押され、私は思わずレナに手を差し出して──ギラリ、と。何かが光る。

 

「ッ……?」

 

 痛い。

 痛烈な感覚が、胸部に走る。身を引き裂かれるかの様な、焼かれた鉄を押し込まれたかの様な、おぞましい痛み。

 なぜそんなものが、レナの側で起こるのか分からないまま。コフッ、と。口から血が吹き出す。

 

「ぁ、ぇ……?」

 

 ぴちゃり、と。私の口から吹き出た血がレナの頬を汚して。あぁ拭き取らなきゃ、謝らなきゃ、許されない。激痛の中、そんな思考が困惑の後を追い……ふと、私の目が、それに気づく。

 それは、レナの手に握られた、一振りのサーベル。いつもレナが腰に装備している、儀礼用の、辛うじて実戦に耐えれる程度でしかない、細身のサーベルが……その刃が、私の胸に、深々と突き刺さっているのを。

 私は、見てしまった。

 

「なん、で……?」

 

 レナに、刺された。

 殺意を持って、明確に。刺されている。

 分からない。分からない。なんで、いや、そんな、駄目だ。分からない。分からない。分からない! 嫌だ! 

 

「れ、な……?」

 

 コフッ、と。再び血を吐きながら、私は呆然と問い掛ける。レナ、と。

 何で私を刺すの? 殺すの? もしかして、嫌いになったのかい? もう用済みなのかい? 私は要らないのかい? だから、殺すんだね? 私が、そうしたように。

 そんな言葉は、声にならず。私はサーベルがズルリと引き抜かれると同時、地面に倒れ伏す。血をべしゃりとまき散らしながら、何も出来ずに。

 

「あぁ……レナ」

 

 刺されたのに、殺され掛けているのに。私は、反撃しようなんて、欠片も思えなかった。

 だって、レナなのだ。レナが、そうしているのだ。反撃なんて、おこがましい。むしろ、抵抗すらしないべきだ。

 そんな思考が脳裏を走り。けれど、最後にレナの顔を見たくて……出来れば、なぜこんな事をするのか聞きたくて、私は地面に倒れ伏しながら、首を傾け、頭上のレナに視線を向ける。なぜ、と。

 

「なんで、こんな……」

 

 私の言葉足らずな声に返される言葉は、何もなく。

 ただ醜悪な笑みだけが、私を見下ろしていた。


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