夜空に星辰が輝く夜。
ここ数日続いた調査作業が一通り終わり、次の動きを見据えて学園の者達が各々眠りについている天文台……その一室で、眠る事も出来ず、頭を掻きむしり、苦しげに息を吐く幼い少女が一人。
「違う……お前は私じゃないッ! 私は私だ。私はニーナだ。ニーナ・サイサリスだ……!」
いったい何があったと……いや、何に手を出したのか? その少女は怪しげな魔導書や無数の薬瓶が散らかった部屋の中央で、うずくまって震えていた。闇の向こうのナニカに怯える様に、そしてそのナニカを否定する様に、ただひたすらに言葉を積み重ねながら。違う、違うと、ただそれだけ繰り返して。
もし、普段の彼女を知る者が居れば、あまりのやつれぶりに言葉を失った事だろう。普段浮かべている腹立たしいまでの余裕顔は影も形もなく、ただでさえ濁りがちな瞳は、今や何も映してはいないのだから。
「黙れ、黙れ……! 私の代わりが、お前達なんかに……!」
ミミと尻尾をしゅんと力なく垂らし、頭痛に耐える様に頭に手を当てながら、長い黒髪を弱々しく振り乱して。ニーナはただ否定の言葉を積み重ねる。そうしなければ、こちら側に手を伸ばしてくるナニカに呑み込まれてしまうと言わんばかりに。
だが……ナニカとの戦いは、旗色が悪いのだろう。ニーナの独り言は次第に小さくなっていき、遂にはうわ言を呟くだけになっていく。黙れ、黙れと。苦痛に歪んだ顔で、ナニカを否定し。同時に、誰かの名前を……声にならない声で叫ぶ。
助けて、と。
あるいは、最後に一目だけでも、と。
一人だけでは勝ち切れず。かといって、その誰かの手を煩わせたくもない……そんな自己の値段を低く付け過ぎるニーナの悪癖は、案の定彼女を何度目かの死の瀬戸際へと追いやって──ふと、部屋の扉が開く。遠慮がちに、ホンの少しだけ。怒られたら直ぐにしめるからと、そう言いたげに。
「ニーナ……居る?」
しゃらり、と。白銀の輝きが月明かりに照らされる。
鈴の音の様な穏やかな声と共に扉を開けたのは、ニーナの……友人、あるいは、親友。もしくは、恋人。レナ・グレース・シャーロット・フューリアス、その人だった。
「ぐっ、ぅあ……」
喜ばしき尋ね人。恐らくニーナが最も待ち望んでいた少女が部屋に現れて……けれど、当のニーナは既に意識を失い掛けていた。
影から聞こえる呼び声を拒絶出来ず、その痛みに耐えかねて。
遂に奪われてはいけないモノに手を掛けられたニーナに、余力なんてものは欠片も無く。お喋りどころか、返事をする事すら出来ず、床の上でうずくまって微かな悲鳴を上げるしかない……そんな弱々しい少女の姿にレナが気づいたのは、当たり前の話でしかなかった。
「ッ!? ニーナ! ニーナッ! しっかりして!」
「ぁ、ぁあ……? れ、な? 何で、ここに……」
様子がおかしい……いや、それ以上にただ事ではない気配を感じ取ったのだろう。レナはニーナの側に素早く駆け付け、その身を抱き起こして声を掛け続ける。
ニーナ。ニーナ、レナが分かる? と。
吐息が、そして肌の温かさが伝わる距離からの呼び掛けは……少女の失われた気力を取り戻すに、充分だったようで。ニーナの瞳が、焦点を結ぶ。
「──あ、あぁ、大丈夫、大丈夫だとも。そう不安そうにしないでくれ、レナ。心配要らないよ。私は元気だとも」
にへら、と。どこか弱々しい、穏やかな笑みを浮かべながら、ニーナはレナに大丈夫だと、問題はないと、そう……嘯く。ちょっと魔法の取得に失敗しただけなんだと。
余裕なんて無くても、助けてと叫びたくても、それでも自身の事を脇に置き、レナに心配をかけまいとする一心から出たその演技は、普段のレナならそうと分かっていながら流されていただろう完成度で。
だからこそ、レナは、今日のレナは、退けなかった。
「……嘘つき」
「っ……」
ニーナに突き刺さったのは、レナの口からは聞きたくなかった言葉。
嘘つき。ただそれだけの言葉に打ちのめされたニーナは、二の句が継げないまま、息を呑み。それでも少女は何も言えない。言えやしない。普段のお喋りが嘘の様に、沈黙するしかなかった。
出来るのは、許しを請う罪人の様に……レナを、月夜に照らされた白雪の少女を、見上げる事だけ。許してとは口が裂けても言えず、ただ、どんな罰が下るのか……そんな事に、怯えながら。
「れ、な。わ、わたし、私は……ちがう、違うんだ。大丈夫。大丈夫だ。私はまだ、まだレナの、レナの役に……!」
「ニーナ。……もう、いいの。もう大丈夫だから、そんな顔、しないで?」
「ッ……まっ、待ってくれ。違う、違う! 私はまだやれる。まだやれるから、だから、だから!」
「そう、だね……ごめんね。気づかなくて」
「…………ぇ?」
何を。
いや、何に気づかれたのか?
無数にある隠し事。打ち明けたくて、けれど出来る訳もない後ろ暗い秘密が次々とニーナの頭に浮かんでは消えていく。
前世の事、性別の事、生まれの事、実験体、隠匿、未来、死霊、殺人、窃盗、暗躍、怨嗟、苦痛、不調、嘔吐、傷跡、機能不全……そして、許されない恋心。
何一つ、どれ一つ、どんな些細な欠片であっても気づかれてはならない無数の秘密。そのどれに気づかれ、どんな悪感情を持たれ、どう断罪されるのか? 思わずギュッと目をつむり、首を絞められる幻覚から目を背けるニーナは……ぽふ、と。やわらかい感覚に包まれる。
首を絞められた訳ではない。硬い床に叩きつけられた訳でもない。いや、むしろニーナは丁寧に横にされていて……その上、その枕は。
「レナ……?」
「ごめんなさい。ニーナ。レナ、なんにも分かってなかった。ニーナはずっと、ずっと、苦しかったのに。助けて欲しかったのに」
ごめんなさい。そう謝罪の言葉を口にしながら、幼い吸血鬼は親友の頭をゆっくりと撫でる。自身の膝を枕にして、ゆるり、ゆるりと、子供をあやす様に。
もう大丈夫。何があっても守ってあげる……そんな包み込む様な、苦しみとは真逆の、穏やかな暖かさ。それに心が落ち着くのは、人として当たり前の事で……だから、なのか? ニーナを苦しめていた声が、息苦しさが、痛みが、すぅーと退いていく。無くなった訳ではない。けれど、暫くは顔を出せないだろう程に遠い場所へと追いやられたのも、また事実で。
レナに頭を撫でられながら、ニーナは思わずにはいられなかった。なんと、情けない事かと。
──また、助けられちゃったな……
いったい、これで何度目だろうか? 彼女に助けられたのは。あの日も、あの日も、あの日も。ずっと助けられてばかりで……本当は助けたいのに、それすら満足に出来なくて。
「私、私は……」
「……うん。なに? ニーナ」
「私は……!」
レナが助けてくれた事、苦しみが遠ざかった事。それらにケチを付ける気なんてニーナには欠片も無い。むしろ万歳三唱してレナを讃えたいのが本音だった。
だが、同時に。こんな有り様では、男として酷く情けないのも確かなのだ。
男たるもの苦痛の一つや二つ歯を食いしばって耐え、誰の手も借りず、誰にも気づかせず、自力で解決し、それを誇りもしない事。誰かに頼ったり、甘えたり、まして助けられるなんぞ、恥というものだ。潔く腹を切るべきだろう!
……そんな古い理想論が頭から離れず、しかも自身の今の性別を意識していないニーナは、レナの気持ちに寄り添えない。寄り添えるはずがない。
「違う、違うんだよ。レナ。謝るのは、私の方だ」
「ニーナ……?」
「全部、全部私が、私が弱いから……!」
レナの役に立てない。レナに迷惑を掛けてしまう。そんな嘘偽りない言葉は喉の奥につっかえて出てこず、その代わりとばかりにポロリ、と。小さな涙が溢れる。悔しさから、情けなさから、弱さの証が。
「ぅ、ぁあ……なんで、なんで私は、こんな、こんな。違う。違うんだ。レナ、私は、私はこんな、こんなはずじゃ……!」
「ニーナ……」
もっと上手くやれるはずだった。
もっと役に立てるはずだった。
迷惑なんて、掛けるつもりはなかった。
スマートに、完璧に、何の遅滞も抜かりもなく、仕事を完遂出来るはずだったのだ。だってニーナ・サイサリスは最強のホムンクルスで、死んでも良い駒で、何より。彼女には原作知識が、未来の知識があるのだから。ミスなんて、あって良いはずがない。
──身体は人間じゃなくて、ドーピングまでされて、その上、未来まで分かっているのに、この程度なんて……!
認められるはずがない。許せるはずがない。
身体が女の子だ、とか。記憶はボロボロで役に立たない、とか。ロッジに近づいたせいで症状が悪化している、とか。戦闘力的にはレナ以下だ、とか。出来ない理由は、言い訳は、軟弱な事に幾らでも浮かんでくる。
だが、いや、だからこそ、ニーナの自罰的な思考は止まらない。そんな弱さを強調する様な言い訳では、彼女は止まれない。だって、知っているのだ。悪とは、弱さから生じるもの全てである……そんな偉人の言葉を。
そう、悪いとは、弱い事。弱さとは、悪い事。
ならば、失敗ばかりで役立たずの軟弱者、ニーナ・サイサリスは? レナにとって何者なのか? その評価は、信頼は、どこまで堕ちるのか。
「──まだ、まだやれる。私は、まだやれるよ? レナ。大丈夫、大丈夫だ。心配しないでくれ。私はまだ、レナの役に立てる。今度こそ、完璧にやってみせる。嘘じゃない。嘘じゃない! 本当だ! 本当なんだよ! そんな目で見ないでくれ……! 確かに、今日また失敗した。こうして迷惑を掛けてる。でも、でも私はまだレナの役に立てるよ。役立たずなんかじゃない。今度こそ、役に立てるんだ! 完璧に、何の失敗もなく! 確かに、確かに天文台はこんな有り様だったけど、ロッジにはレナの役に立つ物が間違いなくある! 準備も完璧だ! それにロッジには私の、私より凄い私の代わりだって! お願いだ。お願い、します。ロッジまで、ロッジまで待って下さい……!」
「……ニーナ」
「嫌だ。嫌だ! 止めてくれ。止めてくれ! レナ、レナ。お願いだ。お願いだから……! 言わないで、言わないでくれ。分かってる。分かってるよ。聞こえてるよ! 頭に、頭に響くんだ! ずっとずっとずっとずっと、頭の中に! お前は、私は、でも、でも! 君からは、聞きたくない。お願いだ。お願いします。す、捨てるなんて、お願いだから……!」
「ニーナ。ニーナ・サイサリス」
「ッ……! ぅ、ぁ、ぁぁ……」
ニーナの自己軽視は、そこから生じるありとあらゆる無理、無茶、無謀は、行き着く果てまで行き着いたのだろう。
レナの膝枕から滑り落ち、白い少女の制止の声も聞かず、ミミを塞いで、頭を床に擦り付けて。そうやって幻聴や幻覚、ついには現実からも目を背けて錯乱する彼女の姿を見るまでもない。部屋に散乱する危険な魔導書や、怪しい魔法薬が示す様に、ニーナ・サイサリスは……とうの昔に、限界だったのだ。
あの夏の夜空の頃、いや、あるいは、二人が出会ったその日には、既に……壊れていたのだろう。正気を装いながら、その実、心の深いところはヒビ割れていて。だから、幼い吸血鬼の姫君が、暗闇の中、ただ一人隣に居てくれた親友に掛ける言葉は……決まっていた。
「違うよ。ニーナ。ニーナはもう充分──」
頑張ってる、そう事実を告げようとした……その瞬間。こふっ、と。ニーナの口から赤い液体が吐き出る。咄嗟に口元を抑えた彼女の手をベッタリと汚したそれは、その忌まわしくも愛おしいにおいは血液……吐血だ。
「ニーナッ!?」
口から溢れた血の量は微小。それでも、自身の生まれを……吸血鬼としての性を受け入れ切れていないレナには、それは、強烈過ぎた。
牙が、うずくのだ。
大好きな、たった一人の、二度と得られないだろう親友が、レナをレナとして見てくれて、ずっと一緒に居てくれると約束してくれた少女が、血を吐いているのに。苦しげに咳をしているのに。
助けなければ、いけないのに。
──噛みたい。血を、吸いたい。
弱々しいあの少女の、その白い肌に牙を突き刺し、赤い血を、ニーナの命をすすりたくてたまらない。
いっそ、殺してしまいたいぐらいに。
吸血鬼の、おぞましい怪物としての本能。それをギリギリで押し留められているのは、レナ・グレース・シャーロット・フューリアスの類まれな精神力と、何より、あの子は絶対に死なせない……そんなニーナへの想いがあればこそ。
だが、そうしてレナが必死に自分自身と戦っているうちにも、ニーナはゴホ、ゴホと咳き込みながら、時折血を吐き出し、命を削っていて。それでいて、どこかへと手を伸ばしていた。まるで生き足掻くかの様に、救いを求める様に。あるいは、用意した打開策を示す様に。現に、その手の先にあるのは……
「薬……? ニーナ、どれ? どの薬!?」
「あ、あおの……」
一筋の光明。差し込んだその光を武器にレナは自身の怪物性を斬り捨てて、途切れ途切れに言葉を繋ぐニーナの視線の先を追う。無数の薬瓶。中身がある物、無い物。赤、白、緑。無数の選択肢の中に、一つだけ、一見すると汚れたサファイアにも見える青い……見るからに身体に悪そうな錠剤が入った薬瓶が見えた。
迷いは、ある。あんな怪しげな薬を、聞いた事も無ければ見た事もない物を、あんな物を、ニーナに渡していいのかと。けれど、本格的に血を吐き始めたニーナを黙って見ている事も出来なかったレナは、部屋の隅に転がっていたその薬瓶を手に取ってニーナに渡してしまう。
これは良くない物だと、直感がささやいているのに。
「ありが、と……れな」
気管支が傷ついているのか? ゴホゴホと。時折血を吐きながら、それでもレナに一言礼を言ったニーナは、薬瓶の中にあった青い錠剤を……口に流し込み、噛み砕く。
レナが水を取ってくる、なんて言う暇もない凶行は……どうやら、正しい使い方だったらしく。ニーナの咳がゆっくりと収まっていく。
いや、それどころかみるみるうちに体調が改善されている様にも見えた。肌色が、目力が、何より、ニーナ・サイサリスの魔力が。瞬く間に回復してたのだ。異常な、それこそ吸血鬼としての直感が、警鐘を鳴らす程の速さで。
──使わせちゃ、いけなかった……?
レナは、レナという吸血鬼の事が好きじゃない。大好きな人はそこも好きだと言ってくれるけど、レナはレナの吸血鬼の部分は全く好きではないのだ。
戦いには役立つし、殺し合いの場では頼りもするけど、それだけ。間違っても日常的な場面で頼りたい存在ではなかった。
……けれど、今回ばかりは。吸血鬼としての直感を信じた方がいい気がしたのだ。理由は、分からないけれど。何となく、そんな気が。アレを飲み続けるという選択肢は、決して良い結果に繋がらないと。今すぐ止めなければならないと。
だが……当の本人に、その気はまるでないらしく。ニーナは呑気にもホッと息を吐く。良かったと、最初からこうするんだったと、そう言わんばかりに。
「あぁ……静かだね。うん、スッキリした」
この手に限る。硬い床に寝そべりながら、そう言って弱々しい笑みを浮かべるニーナは……レナの不安げな視線に気づいたのか。いつも通りの笑みと声音で聞いてもいないお喋りを始める。あの薬の事かい? と。
「あれは、鎮静剤……みたいなものさ。ここのところ、持病が悪化し続けててね。あぁ、気にしないでくれ。昔は、よく飲んでたんだ」
また必要になっただけだよ、と。そう言っていつも通りの笑みを浮かべるニーナを、レナは、否定してしまいたかった。そんなはずない! と。あるいは、誤魔化さないで! 私を頼って! と、そう思いの丈をそのままぶつけてしまいたかった。ずっと一緒に居てくれるって、約束したのに……と。
けれど、今夜のニーナに、弱りきった親友に、あまり強い言葉をぶつける気になれなかったレナは、つい、視線をそらしてしまい……当然の如く、薬瓶以外の物が目についてしまう。それは部屋に無数に散らばる物の一つ。レナの記憶が確かなら、それは、その本は。
「あの魔導書……危ないって、触っちゃいけないって、ニーナが言ってたやつじゃ。なんで、ここに。まさか、ニーナ?」
「ん、あぁ……そのグリモアか。いや、うん。そうだね。危険な物だよ。ただ正確には、適性の無い者が触れるとロクな事にならない、だけでね? 死霊術師として天性の才があれば……いやまぁ、あったとしても死者の声に引きずられたんだけど。私からすれば、今更だしさ」
今更? そう嫌な予感を伴う言葉に疑心の目を向けるレナを、幸か不幸かニーナは見ておらず。余計な言葉を更に重ねてしまう。
大丈夫だと思ったんだよ、と。
「幾らロッジが近いって言っても、死者の声とか、幻聴とか、そんな物はいつもの事だし。それならいつも通り薬と魔法で誤魔化せると思ったんだ。まぁ、私は私が思うより弱かった……というより、耐用年数が近いみたいでね。この様さ」
情けないったらないね? そう自嘲する様な弱々しい笑みを浮かべるニーナに、レナは、咄嗟に言葉を返せなかった。
ニーナの瞳に、光が無かったから。
責任感と無力感に押し潰されて、絶望だけが広がった……真っ黒な目。夜空の様な輝きを失った、泥にも似たそれは、いつかどこかの鏡で見た物で。
その闇に、レナは、何も言えなかった。更なる力を求めた結果、その力に飲み込まれそうになった……要約すればそういう事らしい、ニーナのふざけた言葉に、レナは曖昧な相槌を返すしかなかったのだ。なんで? と、疑問を抱えたまま。
──無理しないって、約束したのに。なのに、なんで、なんで、こんなになるまで……
無理、無茶、無謀。決して思慮が足りない訳でも、無策でもないのに、なぜかニーナの行動には常にそれらが、死と絶望の気配と共にまとわりつく。
思えば、最初からだ。レナはニーナに、何もしていないのに。何もしてあげられなかったのに。ニーナは最初からレナに尽くしてくれた。恐るべき、亡国の吸血鬼の友達になってくれたのだ。……無謀にも。
そして、ニーナは友達として、精一杯の手伝いをしながら、わざわざ夜の話し相手にもなってくれた。戦場でも、レナの負担が減るやり方を真っ先に選び続けてくれた。……無理をしてでも。
その結果、ニーナはバリスタの矢で城壁に串刺しされ、その身を食われて。あるいは病に犯され、生死の境をさまよい。果てには両足を失いすらした。……無茶に無茶を重ねて、血溜まりに沈んだ親友の姿を、レナは生涯忘れないだろう。自らの手で首を絞めたあの過ちと同じ様に。決して。
「なん、で……」
失ってはいけない。そう感じた。いや、そう感じている。ニーナを失えば、レナは二度と、誰とも、話をする事すら出来ないと。分かっている。
けれど、レナはどうすれば良いか分からない。
離宮に軟禁されていた頃、人の噂話から聞きかじったあれこれは全て試した。人として、友達として、親友として引き止めて。それでも足りないなら女として引き止めすらした。同じ時間を過ごし、話をして、趣味を共有して。夜になれば同じベッドで寝て、時には────そう、あの夜に、あの夜からは、キスまで捧げている。大好きだと、ずっと一緒に居たいと、そう間違いなく伝える為に。
「なんで……!」
けれど、駄目だった。ニーナの無理は、無茶は、無謀は、何一つ改善されなかったのだ。いつも通り、何も変わらず、ニーナは誰に頼る事もなく、弱音すら吐く事なく、お喋りなクセに口を閉じたまま、軽々しく死地へと踏み込もうとする。
だから、という程の事ではないけれど、レナはニーナに頼って貰える様、色んな事を頑張ってはみた。勉強だけじゃない。苦手なお茶会やダンス、交渉術や書類仕事。何となくでやっていた戦闘も、本気で、全力で……いや、ニーナの様に、死力を尽くして頑張る様にした。
だが、しかし、レナはニーナの様にはなれず、吸血鬼としての圧倒的な力も……むしろ夜になる度にニーナを傷つけてしまう。なのにニーナは、変わらずレナの側に居て、それどころか見たこともない新しい魔法を、星の魔法をプレゼントしてくれて。
──レナは、レナは。どうすればいいの? どうやって恩を返せば良いの? どうすれば、ニーナを救えるの? 何をすれば良いの? 何をすればニーナは……レナと一緒に、居てくれるの?
ニーナと一緒に居たい。
ニーナを死なせたくない。
願い事はそれだけなのに、それだけの事が、酷く難しい。当のニーナがこちらの事なんてお構いなしに死に急ぐのが悪い……訳でもないのが、更に事態をややこしくさせる。もしそうなら、監禁してしまえば済む話なのに。
魔王軍。邪教徒。貴族連合。レナだって、自分とニーナを取り巻く戦局は分かっているのだ。ニーナと一緒に大陸の果てまで逃げても、いつか二人まとめて殺される事ぐらい、理解している。
だから、もう戦わないで……とは、言えない。ニーナ・サイサリスという駒は、良くも悪くも重いから。
けれど、もう無茶しないで、と。そう言った程度では、ニーナは止まらない。止まってくれない。不自然なまでに重い責任感と無力感に押し潰され、孤独に戦い、死んでいく事が妥当だと信じているニーナは、甘さを許さないから。
──もっと、強く。強くなれれば、一緒に居れるのかな……?
ニーナを包み込んで、守れるくらい、強くなれれば。あるいは立ち塞がる敵を一瞬で蹴散らせる力があれば。そうすれば、叶うのだろうか?
周りが見えない程の暗闇の中に来てくれて、ずっと側に居てくれた女の子……生まれて初めての、たった一人の親友と共に過ごす。一緒に居る。ずっとずっと一緒に、穏やかに過ごす。そんな夢は、力さえあれば、強くなれば、叶うのか?
そう、例えば、ニーナが用意してくれた星の力。重力魔法。あのニーナが誇らしげに、レナにしか扱えないと渡してくれたあの強大な力を、この身の全てを捧げて星の支配者になれば……あるいは。
「……レナ?」
「…………何でもない。ねぇ、ニーナ。一緒に寝よ?」
良いよね? と。そう半ば押し切る様な形になりながら、レナはニーナを抱えてベッドへと潜り込む。
やるべき事は、未だおぼろげでよく見えない。けれど、いや、だからこそ、今は、目を離したらいっつも死にかけてる親友に、いっぱい、いっぱい伝えたかったのだ。レナがどれだけ一緒に居たいと思っているのか。レナがどれだけ心配で、不安で……何より、ニーナの事が大好きなのか。イマイチ分かってくれない鈍い親友に、本能のまま、直感がささやくまま、ありのままを。
「ん、ぅ。レナ、くすぐったいよ……」
ニーナのもふもふで温かなミミに触れて、つい頬を緩めながら、レナはニーナをギュッと抱き締める。絶対に離さないと、そう言外に示す為に。
……月の光が差し込む夜は、まだ始まったばかりだった。
とうの昔に身体も心も限界で、ついに正気すら失い始めたお喋りクソ女VS並大抵の“覚悟”では足りない事に気づいてしまった皇女殿下。ファイ!
なお結果。
◇
ニーナの魔法薬。
天文台の死霊術師、ニーナ・サイサリスが夏の終わり頃から常飲している深い群青色の錠剤。別名、汚れた蒼玉。使用すると一時的に魔力と精神耐性が向上し、死へと誘う死者の声を遠ざける事が出来る。
当人曰く、死体の味がする劇薬。
他に類を見ない奇妙な魔法薬であるが、この魔法薬はニーナ・サイサリスのアレンジ品であり、大元のオリジナルは教団本部で開発され、魔力器官の異常発達と霊的感応性上昇を目的に、日常的にN−200シリーズへ投与されていた薬品である。
欠点として多種多様かつ致命的な副作用が伴うのは間違いないのだが、具体的にどの様な副作用が起きるのかは全く分かっていない。しかし、これを作成した狂信者と少女は奇しくも同じ言葉を口にしたという。
どうせ死ぬのだ。知る必要などあるまい。