学園一同から背を押されたレナが来た道を引き返し、ニーナが居るはずの培養室へと戻る……その道中。珍しい事に、というべきか。それとも当然の事だがというべきか。先を急ぐレナに障害や妨害は何一つ無かった。
行き脚を鈍らせる些細な迷いは勿論。普段ならあってもおかしくはない何かしらのトラブルや、敵対勢力の襲撃も、全く、どこにも、影すら見えなかったのだ。……とはいえ、今回に限って言えばそれも当たり前の事なのだろう。何せこの単調な造りのロッジに迂回路なんて物はどこにも見当たらず、その上そのド真ん中では今この瞬間も、ニーナの同僚と教え子達が決死の覚悟で防衛戦を展開しているのだから……レナを妨害する何か、まして敵がこの後方に入り込む余地など欠片もありはしないのだ。
だから、そう、だから後は一人ぼっちで絶望した挙げ句、また良からぬ事をやらかそうとしているニーナを──他でもないレナが! ──説得して、馬鹿を止めさせて、落ち着かせて。そうやって一息ついてから、返す刀で襲撃者を撃退すれば良いだけ。ただ、それだけの事のはずで。
あぁ、故に。レナはその可能性を見落としたまま、現実と直面する事になる。部屋に飛び込めば、ニーナが待っている……なんて、甘えた考えしか思い浮かんでいなかった少女には、辛い現実と。
「ニーナ! …………ニーナ?」
息を切らしながら培養室へと飛び込んだレナを迎えたのは、稼働中の培養槽と、それを支える機械の音だけ。ニーナが居るはずの培養室は、しかし、無人だったのだ。
ゴウン、ゴウン、と。重苦しい機械の音だけが響く薄暗い部屋。そこで息をしているのはレナだけで、他の人影と言えば……まだ培養槽の中に居る、ニーナそっくりで、けれどニーナよりも幼いホムンクルス。ニーナが230番と呼んだ子のみ。
「……?」
おかしい。そんなはず。まさか、いや、違う! そんなはずない! これは、そう、ちょっと部屋を間違えただけ。大丈夫。ニーナは大丈夫。
そう自分でも信じていない言葉を繰り返し、いつかの日と同じステップ──困惑、懸念、恐怖、現実逃避──を踏んで心を守りながら、けれど、それでもレナはニーナを探して部屋の奥へと足を進めていく。頼りない明かりに照らされた床を踏みしめ、薄暗がりに目をこらし、聞き慣れない重低音に耳を傾け、そうやって少しづつ感覚を研ぎ澄ませて……ふと、気づく。機械音とは違う、かん高い金属音が、鈍い衝撃音が、別の、そう、隣の部屋から聞こえてくる事に。
「……ニーナ?」
そっちに居るの? そう呟きながら、けれど、嫌な予感に背を蹴り飛ばされて、レナは駆け足気味にその部屋の扉へ向かい……見慣れない横開きの扉を、半ば飛び付く様になりながらも押し開ける。
ニーナがそこに居る、そんな直感を信じて。
果たして、瞬間、目に付いたのは培養室よりも一段と明るい寒色系の光と……散らかった長机や椅子、踏み荒らされたガラスの破片に何かの書類だった。どうやらここは執務室かそれに準ずる場所だったらしい。そう他よりも少しだけ高い天井に視線をやりながら、レナが内心ここならニーナが居るかも知れないと頷いていると──キンッ、と。かん高い金属音が部屋に響き渡る。それは、戦場に慣れてしまったレナに取っては聞き慣れた音。今更間違うはずもないそれは……
──剣戟の音……?
でも、なんで?
ここに敵は来れないはず。そんな思いから出た思考は、しかし、直ぐに中断される事になった。闇の向こう。明かりが途切れている方から何かが、いや、誰かが吹き飛ばされて来たのだ。その誰かは長机を粉砕しながら床へと叩きつけられ、うめき声を上げて……気づく。濡羽の様な黒い髪。狼のそれに似たミミに尻尾。学園の司書服と特徴的な槍杖。何より、その小柄な誰かの発する声は──
──ニーナ……!?
間違いない。ニーナだ! そう喜びが湧き上がる反面、同時に、レナは困惑せざるを得なかった。なぜ、ニーナが傷付いているのか? と。
いや、怪我の度合いはそこまで酷くはない。目立つのは砂や埃等の汚れであり、怪我らしい怪我も頬や腕、足等に負った浅い切り傷のみ。だが、確かに、ニーナは誰かに傷付けられていて……その誰かにレナが怒りを覚えると同時、事態が動く。長机に叩きつけられたニーナがゆっくりと立ち上がったのだ。その目に微かな、しかし確かな戦意を燃やしながら。
「ゲホッ、ゴホッ……くそっ、流石は幹部格。できるな。……だが!」
まだ死ぬ気は無い! そう声を張り上げながら三本もの死霊剣を同時に呼び出し、間髪入れずに彼らを闇の向こうへと送り込むニーナ。その動きに淀みは無く、ただいつも通りの鋭さがそこにはあった。
だが……しかし、敵対している何者かは只者ではないだろう。普段なら直ぐに聞こえるはずの肉を引き裂く音は全く聞こえず、代わりに死霊剣が弾かれる金属音が闇に響く。なんとも鮮やかで軽い、まるでこの程度は容易いと言わんばかりのそれが。
現に、送り込んだはずの死霊剣の一本は天井に深々と突き刺さり、もう一本は長机を引き裂いて床へと突き立てられ、最後の一本は……狙ったのか、ニーナの元へと。
「っ!」
危ない! なんて叫ぶ暇も無かった。
だが、ニーナはこの状況を予測していたのだろう。彼女は顔を歪ませながらも、跳ね返された死霊剣を即座に送還してみせたのだ。一秒にも満たない早業。曲芸にも近いそれを難なくこなしてみせる親友に、レナは少しだけ誇らしさを感じ……けれど、同時に驚愕せざるを得なかった。あんな曲芸を強いられる程の敵が、いつの間に、と。
──侵入は、防げてるはず……!
なんで! と、またしてもそう叫びたくなったレナの考えは、間違っていないはずだった。何せこのロッジはその造り上、地上からここまで殆んど一本道な上、その途中にはエマ先生と後輩達による絶対防衛線が引かれているのだ。ネズミの一匹、二匹ならまだしも、これだけの存在がこの短時間で抜けて来られるはずがない。
だが、しかし、現に敵はここに居て。あろう事か、ニーナを圧倒していた。死霊達を容易く蹴散らし……あぁ、なんと、声まで掛けてくる。情けないとは思わんのかね? と、闇の向こうから、声が。優しさの欠片も無い冷徹な、人間の声が。
「それとも、貴様の実力はそんなものかね? であれば、吾輩は余計な無駄骨を折った事になるな。この程度ならばノーム気取りのモグラ共だけで充分だった事に……あぁ、見えている。全く手ぬるい。実に手ぬるい攻撃だ。貴様は今まで何を学び、何を経験し、何を実践して来たのかね? 守りの術式も、回避運動も甘い。それでは三手で抜かれるぞ。それと反撃が遅い。あくびが出る遅さだ。羽虫ですら殺せまい。牽制、制圧射撃に至っては殺意を感じられん。そんなしなびた攻撃で何をどうしたいのだ? あぁ、減点だ。今ので死角をついたつもりか? 想像力が足らんぞ。217。あれでは意味がないと、何故分からん?」
全く、これでは時間の無駄ではないか。そう冷え冷えとした声を放つ誰かは、闇の向こうから現れたそいつは、一人の……人間の男だった。
闇と同じ色のローブに身を包み、体型どころか武器まで隠している謎の男。その所属は勿論、種族さえも分からないそいつは、その顔も大きなフードで覆ってしまっている為に視線も感じ取れず、何をしてくるか全く分からない……何もかもが正体不明のジョン・ドゥ。そんな予想外の誰かに、レナの思考は、止まってしまう。
誰?
敵なの?
いったい何者?
疑問が疑問を呼び、それはやがて疑念へと姿を変え、それら多くの謎が足を縫い留める。そんな状況にあって変わらないのは、やはり、ニーナだった。忌々しげに顔を歪めながらも、それでもニーナは笑ってみせたのだ。このくらいなんて事はないと、そう言い聞かせるかの様に。
「はっ、たかがカルティストの幹部が、さっきから随分と偉そうじゃないか。今ので私を圧倒したつもりかい? だったらその御高説は引っ込めたまえよ。恥をかくぞ? それとも、やはりあれかい? 出世でもしたのかい? だとしたらご祝儀をくれてやるよ。そこに棒立ちになりたまえ。一番大きいのをくれてやるから」
「ふむ。興味深い提案だが、生憎その手の貰い物は受け取らん事にしているのだ。賄賂は汚職の始まりだからな。それと、我が教団をたかがと笑うのは結構だが、そのたかがカルティストに造られたのは誰だったか……あぁ、217。お客人だ。彼女は、貴様の友人ではなかったかね?」
迎えてやったらどうだ。そう煽るような言葉を発する誰かの声に釣られてか、ニーナがチラリとレナの方へと視線を寄こし……瞬間、目が合う。目が合ってしまう。期待に満ちたレナの目が、困惑と恐怖に濡れたニーナの目と。
「ニーナ……?」
「レ、ナ……? なん、で。ここに……」
「ふむ? あぁ、なるほど、なるほど。あれが連中が自慢していた、真祖モドキか」
しかし、それにしては魂の定着率が高いが、などと。レナの方に顔を向けながら、けれどレナに視線すら見せないソイツが、レナを値踏みしてくる。まるで高価な絵画かツボを見るかの様な目で。
不躾な、けれど過去に慣れてしまったはずの気配に、思わずレナが気圧されて。それでも事態は止まらない。止まるはずがない。値踏みが終われば、次は取り引きの時間なのだから。
「まぁ、いい。どの道、あの吸血鬼も捕獲対象。まとめて片付けてしまっても構いますまい」
「……ッ!? 貴様ッ!」
やらせるかァ! と、そう吠えたニーナが脇目も振らず駆け出して、槍杖を上段から叩き付けると同時、激しい金属音が部屋に響く。
ぶつかり合う刃金と刃金。ニーナの槍杖とかち合ったのは……槍だ。男の身の丈と殆んど変わらないだろう、小ぶりな黒い短槍。それが、あちらの得物らしい……と、そこまで思考が追いついて。それでようやくレナはハッと正気付く。
あぁ、確かに掛ける言葉は未だに見つからない。それどころか怖がられすらしている。けれど、やるべき事は、明白だった。
「ニーナ!」
呼び掛ける声はただの意思表示。理由なんてどこにもない。いや、考える必要が無い。だって、ニーナはまた危機に陥っているのだ。訳の分からない部外者に襲われて、怪我をして、それでも立ち上がって戦っている。
なら、彼女の友達として、親友として、やるべき事は一つだけ。ニーナを傷付ける奴は、ニーナを殺そうとする敵は──
──精霊よ。深淵の精霊よ。古の盟約に従い、我が声に応え、我が敵を……
滅せよ。
そう、消えてしまえと。ただ敵の消滅を願う純粋無垢な必殺の意思と共に放たれたのは、座標指定型の重力魔法だ。仮想的な重力子に直接干渉し、瞬間的に超重力を発生させる事で目標を空間ごとねじ切り、破壊する、防御不可能な力学魔法。予兆も予備動作も殆んど無いが故に避ける事も叶わない確殺の一撃は、しかし──こちらを一瞬だけ見咎めた敵が、ぬるりと数歩引き下がる事で不発に終わる。
黒い星は何も無い空間を抉り抜き、ただ空気の破裂音だけを残して消え去ってしまったのだ。避けれないはずの一撃が、避けられてしまったから。
「ッ……!?」
「闇の……? いや、一瞬だが力学系の式が見えた。であれば、なるほど。重力魔法か。しかしあれの使用者は絶滅したはずだが……ふむ? ほう、これは、代入式が違う? しかも虚数空間への干渉値が低い。だがそれでは、いや、そういう事か。強度の高い仮想粒子を代入対象にしているな? それに力学系の式を組み合わせて……なるほど、そういうやり方もあるのか。なるほどな」
興味深い式だ。そうブツブツと呟きながら、平然と重力魔法の連打を避け続ける男は……やはり只者ではないのだろう。フードの奥でどんな目をしているのか? どんな顔をしているのか? そんな事すら明らかにはしない正体不明のジョン・ドゥは、しかし、間違いなく歴戦の戦士ではあったのだ。
そして、もう一つ。確かな事があるとすれば、それは興味の対象が変わったという事だろう。鬱陶しいだけのニーナではなく、当たれば確殺の魔法を撃ってくるレナに、標的を変えたのだ。あちらの方が厄介だと。あちらを主に相手取るべきだと。
それは、恐らく正しい。だからそれを保証するかの様に男からの殺気が、寒気が、得体の知れない魔力がレナにぶつけられるのも……それをニーナが看過できないのも、当たり前の話でしかなく。
「どこを見ている! 貴様の相手は……この私だろうがッ!」
乾坤一擲。再び吠えたニーナが死霊剣を召喚しながら男へと飛び掛かり……けれど、それでどうにかなるなら決着は既についているはずで。
案の定、ニーナの攻勢は軽々と受け流されてしまう。死霊剣は明後日の方向に弾き飛ばされ、当のニーナもまた相手の体勢を崩す事すら出来ず、鍔競り合いに持ち込まれ……少しずつ、押し込まれていく。体格や筋力、そして技量の差によって、ジリジリと。
勿論、それをよしとするニーナではない。ないが……しかし、現状余裕があるのは当然ながらあちらの方であり。唯一助けに入れるレナもまた、頼りの魔法が魔法だけに迂闊に撃つことすら出来ないでいた。まして、それが避けられた魔法となれば、尚更に。
となれば、レナに残された手はあまり多くなく……
──普通の闇魔法? ううん、それじゃ決定打にならない。……ならサーベルで?
近接戦を、突撃してニーナの援護を? と、そうニーナなら即断即決しただろう考えが浮かび、けれど、レナは直ぐにその甘い考えに否を突き返す。ニーナを圧倒する槍使いに、レナがサーベル片手に突っ込んだところで勝てない……どころか、ギリギリで持ち堪えているニーナの邪魔をしてしまいかねない、と。
その思考は間違いなく冷静で、そして正しかったのだろう。けれどそうしてアレコレと迷っているうちにもニーナは少しずつ押し込まれていて、今や相手に煽られすらしていた。いい加減飽きてきたな、と。
「くっ、言ってくれるじゃないか……! 言うに事欠いて、飽きたとは!」
「ふん、飽きて何が悪い。やる気のない攻撃、寝ぼけた回避、隙だらけの防御。たとえ吾輩でなくても飽きて当然だと思うが? それとも、何かね。この吾輩が、いつまでも貴様の自滅願望に付き合うとでも? だとすれば嘆かわしい話だな。217。紛いなりにも最高傑作である貴様がそれでは……亡霊共も報われまい」
「…………はっ、何の話だい? 確かに私は217だが、だとしても、誰の事を言っているのかサッパリじゃないか。全く、壊れた時計ですら一日二回は役に立つっていうのに、幹部様の脳ミソはそれ以下らしいね? 水に投げ込んだらプカプカ浮かぶんじゃないかい? えぇ?」
「……ふっ。自覚があるようで結構。まぁ、もっとも、それに振り回されている側の意見は知らんがね」
そら、仕切り直してやろう。そう嘯きながら力任せにニーナを振り払い、場を仕切り直すジョン・ドゥは……しかし、両者の間が開いたその瞬間。袖口から何かを抜き放ち、即座にニーナ目掛けて投擲してくる。
刹那。体勢を崩されたニーナの反応は間に合わず。けれど、いや、だからこそ、ずっと機会をうかがっていたた少女の反応が場を駆ける。レナが選んだ魔法は、基礎的な魔力障壁。展開先は勿論、たたらを踏まされたニーナの眼前。猶予は一秒も無く、間に合うかはレナ次第で──
「ッ……!?」
その結果は、かん高い音を立てて弾かれ、地に落ちた黒い刃が示す通りだった。
ニーナを守りたい。その思いを力に変えようと奮闘した日々は無駄ではなかったのだ……と、そうレナが自分の頑張りを自分で認められる暇は、幸か不幸か存在しなかった。レナの思考よりも早く、ニーナがレナと、そう呼んでくれたから。
「助かったよ。ありがとう」
「! うん……!」
お礼の言葉。小さく息を吐き、肩をなでおろしながら伝えられたそれは、些細な事で。あぁ、けれど、少女にはそれで十分だったのだろう。言いたい事も、聞きたい事も、伝えたい事も、幾らでもあるけれど。けれど、レナは、ただその一言だけで全てを飲み込む事が出来たのだ。
勿論、後から言いたい事は全部言うし、聞きたい事は根掘り葉掘り重箱の隅をつつく様に聞き出すつもりなのは変わらない。けれど、今は、今だけは、何も聞かず、何も問わず。ただ二人肩を並べて戦おうと、そう思えて……だから、あるいは、故に。ジョン・ドゥの槍先は二人に向く。今更連携を密にしたところで結末は変わらないと、そう言わんばかりに。
「ふむ、揃って吾輩に楯突くか……まぁ、良かろう。老人共の書いた脚本通りに踊るのも、ノーム気取りの能書きにも、まして愚か者共の尻拭いにも飽き飽きしていたところだ」
来るがいい。少しは楽しませて見せろ。そう気負いすら見せずに挑発する男の誘いに乗ったのは、やはりというか、ニーナだった。
紫電一閃。牽制の雷撃を放ちながら死霊剣を召喚し、そのままレナの援護を受けつつ突撃する彼女に迷いなんてものは無い。あるのはただ必殺の意思だけで……だからこそ、なのか? 再び槍をぶつけ合い、数合打ち合ってみせる両者の天秤は、明らかに男の方へと傾く。ジリジリと、少しずつ。だが確実に。
「……っ!」
「押し切れん。そんな顔だな。217。吸血鬼の援護があれば戦況がひっくり返るとでも思ったか? ふっ、馬鹿馬鹿しい。なんとも愚かな……あぁ、しかし、今まではそうだったのも確かか? 奇術師気取りの霧や、調教師気取りの家畜番なら、どうとでもなったのだろうな。だが、吾輩は違う」
「違う、だと? はっ、何を偉そうに……!」
「あぁ、違うさ。そして偉そうなのではない。吾輩は偉いのだよ。少なくとも貴様では、吾輩に勝てんのだからな!」
この道理が分かるか! そう吠えながらニーナを蹴り飛ばし、再び場を仕切り直した男は……不様に転がるニーナを見る事もせず、けれどレナの重力魔法はキッチリ避けながら、再び口を開く。貴様は何も知るまい、と。嗤う様に、あるいは、誘う様に。
「なぜ致命傷を受けてなお戦闘行動を続行出来るのか? なぜ強烈無比な紫電を無詠唱かつ媒体無しで放てるのか? そしてその槍術の由来は、どこにあるのか? 疑問に思った事はないのか? その答えを……考えた事はないのか? 217!」
「……あるさ。そしてその理由も知っている。私がキメラだと……そんな事は分かっているさ! 今更、貴様に言われるまでもないッ!」
「あぁそうだ! 貴様はキメラだ。しかもありふれた人間の死体や木端魔獣のツギハギではない、貴重な幻想種の死体を使ったな!」
貴様は何も知るまい! そう吠える男の声は明らかに興奮の色を帯び始めていて、しかし、同時に、ニーナを酷く責めている様でもあった。
何も知らずに、よくものうのうしていられるな、と。そう言わんばかりに。
「我らの夢、我らの望み、我らの業! 貴様は何一つとして知りはしまい? そう例えば……貴様の心臓が、竜の心臓だと。それもこの大陸に二つとない雷公竜の心臓だと! 貴様は知らんだろう!? あの気高く誇り高い雷竜の、その中でも最も強靭かつ貴重な繊維が、貴様の心臓に使われているのだ……ロールアウト時、貴様の心臓の割合は死体四割ホムンクルス五割、そして竜の心臓が一割といった具合だったが、今では七割、いや八割は竜の心臓と化しているだろう。そこから生み出される生命力、魔力、運命力は、今も貴様を生かしている。死に体となったその身体を、今もな!」
心当たりには困るまい!? そう嗤う様に問い掛けてくる男の問いに、ニーナは、ニーナの答えは……無かった。あったのは、視線の移動。ホンの一瞬、目を閉じるその瞬間に、少しだけレナの方を見たのだ。聞かせたくはない……いや、言いたくないと、そう言外に告げる様に。
けれど、そうやって口を噤んだニーナの努力は、しかし、ジョン・ドゥからすれば無意味な抵抗だったのだろう。彼は我が意を得たりと言わんばかりに頷き、槍の切っ先をレナへと向け……まるで罪人を告発するかの様な物言いで前置きを言い放つ。そう、その吸血鬼だ、と。
「全く、吸血鬼に血を吸わせるとは、無茶をした物だな? まして手加減のやり方も知らん小娘に好きに吸わせる等……自分がどうなるか、予測できんかった訳でもあるまい?」
「ッ……」
「……? ニーナ?」
なんだ、知らんのか。そんな嘲笑の声が、部屋に響く。これは意外だと。あるいは、そんな事も知らないでいたのかと。そう言わんばかりの嗤い声は、しかし、直ぐに冷たい声へと変わる。全ては現実を突き付ける為に、教えてやろうと前置きまでして。
「貴様はその小娘の命をすすっていたのだ。血ではない。血は媒体でしかない。レナ・グレース・シャーロット・フューリアス。貴様はその小娘を愛しているだのなんだの言いながら、実際は──」
「っ!? 貴様! 喋るなッ! 喋るなァァァ!」
鋭い制止の声。それ以上言わせてたまるかと言わんばかりのそれが響くと同時、紫電と死霊剣が空を駆け、その直ぐ後を鬼の形相を浮かべたニーナが追い掛けていく。全ては余計な雑音を終わらせる為。愛しい少女に、知らなくてもいい事を悟らせない為に。
だが、気迫だけで勝てるなら、既に決着はついているはずで……
「それ以上ッ!!」
「貴様もだ! ニーナ・サイサリス! いったいどれほど不様をさらせば気が済む!? 貴様の槍術は我流ではない。師も居れば祖も居る、れっきとした伝統槍術だ……それをよくも、よくもそう独善的に振るってくれたな! 恥を知れ! 俗物が!」
「なにを! 俗物は、貴様だろうに!」
「お前よりはマシだとも! 分からんか! まだ分からんのか!? 貴様の槍術の元となっているのは共和国百式槍術……貴様らの言うところの滅亡した古代文明。そこで脈々と受け継がれていた伝統的な槍術だ。護身に重みを置き、裾野を広く持った事で武芸者は勿論、民間人にも多くの使用者が居た、体系化された武術だ! 貴様の思い付きの品ではない! 共和国軍人を愚弄するのも、大概にして貰いたい物だなッ!」
「グッ……この、言わせておけばいい加減な事を、ペラペラと!」
石火一閃。袈裟斬りに振り下ろされたニーナの槍杖は、しかし、液体が流れるかの様にぬるりと受け流され。むしろお返しとばかりに男の蹴りがニーナの腹部へと突き刺さり……蹴り飛ばされたニーナを見ることもなく、男が再び吠える。いい加減なのはどちらだ! と。
「現実を直視する事すら出来ん小娘が、何を偉そうに! 分かっているはずだ。吾輩は何一つ嘘を言っていないと、貴様は分かっているはずだ! 目をそらすな。目をそらすな! 理解しているはずだ。感じているはずだ。分かっているはず……いや、分からないはずがないっ! 貴様と吾輩は鏡合わせだとな!」
「……っ」
「? ニーナ?」
「分からんか? 分かりたくないのか。ならば言ってやろう。貴様の持つその槍術、そのオリジナルは吾輩であり、吾輩の物だとな! ……いや、槍術だけではない。貴様の持つ言語能力、作法、歩法や回避のクセまで、元となったのは吾輩だ。吾輩なのだ!」
知らんだろうな。だが分かるはずだ! そう吠え叫ぶ男は槍先をニーナに向けつつも、その視線を……一瞬だけ部屋の外へ、培養槽が立ち並ぶ部屋の方へと向ける。
まだ分からないフリを続け、醜態を晒し続けるのならば、こちらにも考えがあると言わんばかりに。
……いや、考えなんて生優しい物ではない。男が、ジョン・ドゥが、その槍先を下ろして、代わりに口にした言葉は。分かりやすく言ってやろうと前置きしてまで放った声は、どこまでも冷たく、凍りついていて。
「217。いや、ニーナ・サイサリス……親なきホムンクルス。どうやら貴様は自分が自分だけで生まれてきたと思っている様だが、それは違う。子は、親なくして生まれない。それがどんなに醜い繋がりでも、どんなに唾棄すべき血でも、たとえ呪いと言われようとも、子は親なくして生まれないのだ。たとえホムンクルスであろうとな。分かるか? ニーナ・サイサリス」
「…………今更、生物学の話か? それとも私の親が培養槽だという話か? ハッ、どちらにせよ言われるまでもない話だな。今更だ。……それで? そんな話を持ち出して、何が言いたい。貴様。まるで会話が繋がってないぞ。コミュ症か? それともヒマか? どちらにせよ、哀れな事だな。笑ってやるよ」
「ふっ、それはどうも。……しかし、ヒマ、ヒマか。確かに、吾輩は少しばかりヒマを持て余しているな。だからこそくだらない報告を聞かされ続け、その果てにこんな場所に派遣された挙げ句、再び貴様と顔を合わせる事になった訳だが……あぁ、そうだな。それは認めよう。だが、それは話の半分でしかない。そう、半分だ。そしてその半分こそ、吾輩がここに居て、こんな事をしている理由でもある……さて、では本題を、貴様の親の話をしよう。吾輩の目的。そして貴様が、吾輩に勝てん理由の話をな」
「……?」
「今度は、何を……いや、まさか」
困惑、懸念……そして、恐怖。まだ形になっていないそれが、けれど確かに脳の端が震えるそれにニーナもレナも動けずにいる中で。ジョン・ドゥは小さく頷く。その恐怖を肯定するかの様に、確かに貴様の親は培養槽だと。
「だが、それは片親の話……母親の話だ。貴様を妊み、育み、産んだ母親が、冷たい培養液と機械であると、その程度の話でしかない。そして、それだけでは生命は完結しないのだ。完成しないと言い換えてもいいな。それで生み出されるのは感情無き人形であり、機械だ。技術者は落胆し、我々は理解を拒み、あの方ですら革新的な解決を諦めた。……分かるかね? ニーナ・サイサリス。たとえホムンクルスといえど、人を人として生み出したければ、血が、繋がりが、背景が必要なのだよ。故に技術者も我々も、あの方ですら妥協した。母親を機械とするなら、そうせざるを得ないとな。分かるか? やはり分からんか。全く、察しの悪い小娘共だ……」
「むぅ。また、訳の分からない……んぅ? ニーナ? どうしたの? ニーナ? ニーナ!?」
「……そうか。そういう事か。プロジェクトの最終工程、あの空白は、クソッ、だとしたら、私は、私は? あぁ、最悪だ…………ははっ、ごめん。ごめんよ、レナ。私は、私は……」
「ククッ、クククッ、クハハハッ! ようやく理解したか。217。そうだ。培養槽が貴様の母親ならば──」
「──貴様の父は、この吾輩だ」
静寂、恐怖。場を支配したそれは数秒続き。そして、それを最初に破ったのは、レナだった。
嘘だ、と。
それは小さな呟き。けれど白い少女は確かに男の言葉に否を突き返したのだ。黙してうつ向く親友の肩を支えながら、そんなはずはないと。今まで頑張って来た愛しい少女の親が、お前みたいな外道のはずがないと。あるいは、この優しい黒い少女の親が、子を虐める様な奴であるはずがないと。
だから、いや、だからこそ、レナは続けて喉を震わせる。嘘だ、と。より強く、断固として。
「嘘だ……そんなの嘘だッ! お前みたいなのが、ニーナの……っ! そんなはず、ない! ニーナは、ニーナは……!」
「ニーナは、何かね? そのホムンクルスの事を、皇女殿下はどれだけご存知かな? ……ふっ、何も知るまい? あぁ、知るはずがない。聞いた事があるはずがない。自身がバケモノだと告白するバケモノ等、居ないのだからな。そうだろう? 吸血鬼。お前がその小娘の命をすすっていたのを自覚しておきながら、何も伝えなかった様に、その小娘もまたお前に何も言わなかっただけの話だ……ふむ? 嘘だと言いたげだな? 言いたければ好きに言えば良いが、しかし、残念な事に吾輩の話に嘘偽り等一つもないのだ。言う必要がないからな。これも所詮は余興、戯れに過ぎんのだから……とはいえ、確かにこの話は少し難解過ぎたかも知れんな」
親に捨てられた吸血鬼には、さぞ難しい話だっただろう。そう哀れみをみせながら言い放つ男に……返される言葉は何も無かった。ニーナもレナも、返す言葉を持っていなかったのだ。
愛された記憶は無く、反論に足る証拠も希薄な為に。
だから、男が勝ちを確信した様子で再び槍を構えたのも、それを迎え打つ二人の様子が弱々しいのも、全ては道理でしかなく。運命は、きっと、既に定まっていた──