王立魔法学園。かつて一人の賢者が設立したと言われるこの学園は栄えある王国の中心部、その中でも特に穏やかな場所にあった。開校当時から身分、国籍を問わず優秀な者であれば誰でも魔法を学ぶ事が許されたこの学園は……今や、国境線近くで血塗られた運命を辿り、最早マトモな者は近づかない場所になってしまっていた。
だが、それでも、この学園に利用価値がある限り、人が居なくなる日は無い。今年もまた、この全寮制の学園に入学式の日がやってきた。
「ここが、あの人が居る場所……」
開校当時の信念は既に無く。しかしそれでも真新しい制服に見を包む少年少女が馬車から降りて、ゾロゾロと足取り重く講堂へと進んで行く中……そこに、彼は居た。
足取り重い少年少女の中でも珍しい事に、足取り軽く颯爽と歩く少年。一見すれば……いや、二度見しようとも、何なら三度見しようと女の子にしか見えない彼は、その身体の細さに合っているとしかいえない魔法のレイピアを腰に下げ、真っ直ぐと前を向いて歩いていた。
魔物の群れに村を滅ぼされ、とある少女に救われた事でたった一人生き残った少年、ユウ。彼は彼女の思惑通り、この学園へと来てしまっていた。とある死霊術師にとっては、好都合な事に。
「王立魔法学園。聞いてはいましたけど、随分陰気臭いんですのね……まるで墓場の様ですわ」
「はい、何か嫌な感じがしますね……お嬢様。ユウ」
「うん。二人が入学してくれて助かったって思えて来ちゃうね。……思っちゃ、駄目なんだけど」
「気にしないで下さいな。ノブレス・オブリージュ。貴族の責務を果たしに来ただけですから」
「お嬢様の言う通りです。気にしないで下さい」
「……うん。ありがとう」
貴族の娘と、そのメイドだろうか? 金髪と青髪の麗しい少女達に囲まれながら談笑する少年は、その姿が中性的過ぎているせいか……少女三人が姦しくしている風にしか見えないものの。
それでも、彼女がこの場に居れば、内心でこう頷くだろう。お嬢様ルートは予想外だが、それ以外はだいたいゲーム通りだなと。
だが、少年と少女達のその後の会話は、どこぞの転生者の余裕ぶった態度を引き裂いてしまうものだった。何せゲーム通りの会話など、全くしてないのだから。
「それで、どなたなんです? ユウを救ったという司書の方は。領主の娘として、挨拶しない訳にはいきませんわ。あそこに先生方が何人かいらっしゃられますが……」
「うん。探してるんだけど……あの中には居ないね。外には居ないみたいだ。講堂の中かな?」
「それでは、講堂に向かいますか?」
「そうしようか。アリシアもそれで良いかな?」
「構いませんわよ。噂のニーナ女史が居ないのであれば、ここでウロウロしても仕方ありませんし……どうせ講堂には行かなければなりませんしね」
因果応報。コボルトも歩けば棒に当たる。原作に無い事をすれば、それだけ未来は変わってしまうのだ。今や少年少女の会話にゲームの面影は欠片も無く……ニーナ・サイサリスの話題で持ちきりだった。あの人は今どこに、と。
「しかし、聞くからに凄まじい少女ですわね。そのニーナ女史は。お礼の件が無くとも、是非お会いしたいですわ」
「お嬢様。相手は死霊術師です。ユウを救ったとはいえ、その様な事を生業にしているのも事実。分かっているとは思いますが……」
「分かっています。しかし、それを言うならわたくしは貴女を側に置いておけなくなりますわ。ユウが言う事だけで判断せず、貴女の言葉だけでもなく。先ずは実際に会って、わたくし自身の目で確認する。それはいけない事かしら? ねぇ? ユウ?」
「えっと、悪い事では無いと思います? いや、あの、サーシャさん。そんなに僕を睨まないでくれると……」
「サーシャ?」
「はて、何の事でしょうか?」
「全く、もう!」
和気あいあい。何とも楽しそうに談笑する少女三人……に見える集団。その集団を、もし件の少女が目撃していたら、どこぞの幼女軍人の様にムンクの叫びを披露してくれただろう。
どうしてこうなった! と。
しかし、どうしてこうなったかは明白だ。逆転時計や魔改造デロリアンの持ち主なら知ってて当たり前の話。
「んん。とにかく、講堂へ入ってしまいませんか? 周りの騎士達の視線も、少しキツくなってきましたし」
「……ユウ。もっと堂々としなさい。あの様な無駄飯食らいに気圧されるとは、それでもアリシアお嬢様の騎士ですか?」
「サーシャの言う通りですわ。ユウ。中央の騎士なんて気にしないでよろしくてよ。……とはいえ、無駄な諍いを避けるのも、また貴族の務め。ここは大人しく講堂に入るとしましょう」
南米で蝶が羽ばたけば、北米でハリケーンが起こる。人、それをバタフライエフェクトと呼ぶ。
要するに、三人の仲がゲーム開始時よりも良好なのも、会話にちょくちょくニーナの存在が出てくるのも、全て彼女の自業自得であった。
ニーナも蝶の羽ばたきの恐ろしさは良く知っていただろうに。今更両手の中指を突き立てても遅いのだ。
……しかし、なぜか件の少女はそこには居らず。
ユウ達一行が周りよりも一足早く講堂に入って、暫く。鎧を着た騎士達によって外に居た少年少女が講堂に無理矢理押し込まれ、整列も出来ない彼ら彼女らがわちゃわちゃとしたまま──ニーナが居たら皮肉がマシンガンの様に出てくるであろう状況のまま──入学式が始まる。
ニーナのお喋り並に退屈で長ったらしい校長先生のお話……は先代校長が戦死して以降、代わりが来ないので存在せず。
ただ一人、責任者として存命している生徒会長が壇上に上がる。半円状の大講堂。その最も目立つ場所に。そして、一拍。彼女はニーナと話すときよりも幾分硬い声で話し出す。ゆっくりと、不慣れな様子で。
「新入生の皆さん。始めまして。生徒会長の、レナ・グレース・シャーロット・フューリアスです。この度は、本学園への入学……えっと、ありがとうございます。戦局は今なお厳しい状況で、皆さんより上の上級生は私しか居ませんが、皆さんが生き残れる事を願っています」
終わります。そう言って雪の様な白髪を揺らしながら降壇するレナ元皇女殿下。
宮廷での教育が未了だった事が丸分かりな、そんな幼い少女に拍手喝采……したであろうたった一人の少女がここに居ない以上。レナの不慣れな感が強過ぎる、色んな意味で不安しかないスピーチに拍手を送る者は誰一人としておらず。
学園側に良い印象を持っているユウですら顔を引きつらせ、講堂全体に何とも言えない微妙な空気が流れた……その瞬間。鐘の音がゴンゴンと鳴り響く。
始業の合図、ではない。警報だ。
「──職員は戦闘配置。外の騎士を連れ戻して、講堂の防衛に回して下さい。新入生の皆さんはここから出ない様に」
凛、と。レナはまるで人が変わったかの様に職員へ指示を飛ばし、自分自身は足早に講堂を後にする。誰かの名前を呟きながら、どこか焦燥に駆られている様子で。
そんな冷静とも言える一瞬の立ち振る舞い。そして職員が慌ただしくも防衛の為に動き始めたのを見てか、講堂に残された新入生の間にどこか弛緩した空気が流れる。これなら大丈夫だと……ただ一人を除いて。
「そうか、入学式に出てないんだ」
「ユウ?」
「ごめん。アリシア、サーシャ。僕、ちょっと外に出てくる」
心ここにあらず。そう言わんばかりにフラフラと外へ出ようとしたユウの手を、メイドが、一拍遅れてお嬢様が掴む。
何をする気ですの? と、咎める様な声が出てくるのは当たり前で。しかし、当のユウには長々と答える余裕は既に無かった。何せ、命の恩人の危機を……聞いてしまったのだから。
「あの人は、ニーナさんは、外に居るみたいなんだ」
「外に? それは、確かですの?」
「うん、さっき生徒会長さんが横切ったときに聞こえたんだ。ニーナ、って。まるで心配する様な声が」
「それは……どう思います? サーシャ」
「状況は良くないかと。あの生徒会長と噂の司書がどの程度親しいかは分かりませんが……噂の司書はただの死霊術師。後方支援ならともかく、魔物の攻勢に真正面から立ち向かえるはずがありません」
焦って出ていったのは、素でしょうね。
そう言葉を結んだメイド……サーシャの言葉に、お嬢様……アリシアと、ユウは顔を見合わせてコクリと頷く。以心伝心。ニーナが見れば卒倒しかねない程に、息のあったそれに淀みは無く。
サーシャが小さくため息を吐いた事で、三人の意見はまとまってしまった。即ち……
「サーシャ。ユウ。続きなさい。ドーントレス家の淑女は、相手が魔物であろうと一歩も退きはしませんっ!」
「! はいっ!」
「お心のままに」
各々自分の武器をいつでも取り出せる様に準備しつつ、三人は新入生をかき分けて外へと向かう。
大講堂の大扉。そこを開け放ち、外へと飛び出した三人が見たのは……血だ。吹き上がる血しぶき。今まさに騎士の一人が討ち取られ、高々と首を上げられるところを……三人は見てしまった。
「ぅ……!」
「お嬢様! お下がりください。……ユウ!」
「はい! ここは僕が!」
まさかいきなりスプラッタな現場に出くわすとは思って居なかったのだろう。お嬢様であるアリシアは気分悪そうに口を押さえ、思わずといった様子で後退ってしまう。
それをカバーするのは短剣をどこからともなく取り出したメイドと、ユウだ。お嬢様とメイドが二人して後退する中、ユウだけはレイピアを引き抜いて半身に構える。来るなら来いと。
一拍。ギョロリと視線を走らせ、ユウを見つけたらしい魔物が駆け出してくる。後三歩、後二歩……と、そこまで来て。突如として魔物が飛び上がる。上からの奇襲。その高度変化にユウは──反応してみせた。
「やぁぁぁっ!」
刺突一閃! 更にもう一撃! 素早く振られた二度の刺突は、武器の性能も相まって魔物に致命傷を与え……スッ、と。一歩下がったユウの足元にべしゃりと魔物が落ちてくる。
心臓と頭。急所を刺し貫かれて即死した魔物の死体が。
残心。警戒を解かない様にしつつ、それでもひっそりと呼吸を整えるユウ。その判断は……正しい様で。周りの騎士を殺し終わったらしい魔物達が、ジリジリとユウに近づいて来ていた。その数は十、二十、三十……数えるのもバカらしい兵数だ。
「く、来るなら……来い!」
もう僕は負けない! そうレイピアを改めて魔物に向ける彼はたった一人で……否。もう一人ではない。
「アリシア・ドーントレス! 参ります!」
吐き気を淑女の意地で抑え込んだらしいお嬢様が、なんと大型のメイス片手に参戦してきたのだ。
彼女はユウの少し手前まで駆け抜け、瞬間、踏み込み。跳躍! 地が砕ける程の踏み締めから飛び上がった彼女は、そのまま地面に落下しながらメイスを振り下ろす。必殺の一撃は空を切り、しかし、地にブチあたったそれは大きな地響きを引き起こす! そして、一拍。何の手品か? 魔物共がいた地面が突如として突き上がったのだ!
槍の様に鋭く尖った土塊の剣山。そんなものに巻き込まれては、さしもの魔物も死ぬしかない。一部の頑丈な個体だけは耐え抜いたようだが、しかし、それでも魔物は当初の半分になっていた。
そして……参戦したのは、彼女だけではない。
「隙だらけですね。ウスノロ」
達人! いったい何時そこに移動したというのか? 大型の魔物の脳天にスタリと降り立ったのは、アリシアのメイド。サーシャだ。
魔物が彼女に気づいて振り落とそうと手を伸ばしたときには、彼女は既に飛び上がって退避していて……そして、仕事も終わらせた後だった。
ズルリ、と。魔物の首がズレたのだ。
あの一瞬で、しかも短剣で切り落としたのだと気づいた者が……果たして魔物の中に居たのか? それは定かではないが、しかし、彼女の奇襲によって大型の魔物の首は落ちた。一匹、また一匹と。
「サーシャさん、凄い……」
「でしょう? うちのサーシャは完璧ですのよ」
「そうかも知れません……あ、アリシアも流石でした! あれだけの一撃。流石はドーントレス家というか」
「ありがとう。ユウ。……思い出した様に言わなければ、完璧でしたわね」
「ぅ、うぅ……」
しょんぼり。そう肩を落とす男の娘の横に、ゆらりと姿を表すサーシャ。見れば、既に周りの魔物は全滅していた。
これで一件落着。そうユウとアリシアが思わず息を吐いてしまう中、サーシャの冷たい声が響く。状況は思ったより悪いのかも知れません、と。
「魔物の増援がこちらに向かって来ています。数は先程の比では無いでしょう。……どうされますか?」
「分かってて聞いているでしょう? サーシャ。勿論、ここを守りますわ。ドーントレス家の淑女として、退けぬ戦いです。魔物の一匹も、講堂の中へは通しません。ニーナ女史を助けに行きたいユウには、悪いですが」
「いえ、僕も賛成です。ここで逃げたら……それこそ、あの人に怒られます」
「……そう」
良い先生ですね。彼女は。
そう本人の居ない間に高得点をつける武闘派お嬢様は、従者二人と共に陣形を組む。ここは通さないと。不退転の決意で。
中央の騎士達がアッサリと全滅した今。新入生達を守れるのは、三人しか居ないのだ。
講堂防衛戦は、まだ始まったばかりだった……!
次回。ニーナ死す。バトルスタンバイ!