執務室の窓から見える大樹海の拠点は、入植したころの姿とあまり変わっていない。
ガンツと拠点の間の開拓が進むにつれ、この拠点は静かな城下町としてのたたずまいを見せていた。
拠点からガンツに至る区間はすべて緑豊かな大都市へと変貌して、繁栄の中心はそこにある。かつての城塞都市はいまや樹海都市ガンツと呼ばれ、大昔に大樹海の魔物を防ぐために作られた城塞はもう過去の遺物だ。
クレリアがもうすぐここに来る。
クレリアが即位してから二十年間、俺は四半期ごとに大樹海の拠点とスターヴェークの間で移動することとし、俺が不在の間はセリーナとシャロンが交代で次席指揮官として常駐していた。
クレリアがこの拠点に来るのは、避暑という名目で滞在する二か月だけだった。
クレリアのナノムの通信機能はスターヴェーク奪還後まもなく、アンロックして、コミュニケーターも持たせているから、距離が離れていても絆は揺らぐことはなかった。
扉を開けてクレリアが入ってきた。
相変わらずノックもせずに。これだけは治すつもりもないらしい。
「皆の姿が見えないが……」
「さあ? 秋の大市の件でカトル商会に出かけたのかもしれない」
「ところで、何の用?」
「船が来たんだ」
「……そう」
俺と出会ったころとほとんど容姿の変わらないクレリアの姿が動きを止めた。真正面から俺を見つめている。
これまで折にふれて少しずつ俺の”大陸”については話していた。星々のことや俺の故郷、そして星をめぐる船のことを。ナノムが精霊様の眷属などではなく、単なる道具であることも。時間をかけて、ゆっくり理解の灯がともるまで……。
俺がFTL通信を発信してから、「いつかくる迎えの話」として伝えていたから、大きな驚きはないだろう。だから、今回のこともわかってくれるはずだ。
「話せる範囲でいいから話してほしい」
「少し遠出になるけど、樹海の湖まで出かけないか。考える時間が欲しいんだ」
「わかったわ」
◇
城館から北に続くなだらかな坂を馬に乗って移動する。
「ここに初めて来たときは、規模に驚いたけれど、今のガンツの繁栄を見ると静かなものね」
「大樹海の資源を取引する商人くらいしか来ないからね」
その窓口となるのがカトル商会で、いまや大陸有数の商会の主となったカトルとその妻カリナ。この街の繁栄の多くは二人の尽力によるものだ。ガンツは今では旧ベルタ王都に匹敵するほどの繁栄を遂げ、商業ギルドはアリスタさんが父の跡を継ぎ、辣腕を振るっている。
樹海に続く北門が見えてきた、通り過ぎる人々は銀採鉱場のセシリオ人関係者だろう。人々は俺に静かに目礼を返してくる。俺もクレリアも、彼らが以前のように仰々しく跪いたりするのはやめてもらっている。クレリアはスターヴェーク王都では頂点に君臨する女王ではあるが、ここでは少しは肩の荷を下ろしたいらしい。
「新しい任務を指示されたよ。どうやら俺の故郷には戻れそうもないな。任務を受ける条件として、惑星アレスを本拠地にする。だから任務が終わったらまたここに戻ってくる」
「アラン、私も一緒に行くわ」
「スターヴェークの女王様が政務を投げ出すのかい? 長い旅になるぞ」
「ベルタ王国の併合も一段落したし、あとは息子たちに任せたわ」
クレリアに忠誠を誓ったライスター卿は、スターヴェーク王国に正式に新しい宰相が決まるまで執務にあたってくれた。
卿の客観的な視座は王国の発展に多大な寄与をしてくれたといっていい。特にベルタ王国併合はライスター卿の知見がなければ成功しなかっただろう。卿が亡くなってからも子息アベルが王国内で貴族として活躍している。
スターヴェーク王国がベルタとセシリオ王国を併合の後、この大陸にはスターヴェーク王国、アラム聖国、そして俺の十年以上にわたる秘密裏のテコ入れで巨大な商業国家となったデグリート海洋王国の三国になっていて、互いに良い意味での競争関係を維持している。ただ、科学の発展はごくゆっくりだ。
アラム聖国は俺が旧王族と王城を消滅させたせいで、復興にはかなり時間がかかってしまったが。
「まだ問題がなくなったわけじゃない」
「ルドヴィーク家の再興は、スターヴァイン王家としての責務よ。あれだけは心残りね」
クレリアは亡き叔父と別れる際、ルドヴィーク家の再興を約束していたが、長いこと果たせずにいた。クレリアは俺たちの末の娘をルドヴィーク家の末裔に降嫁させる計画を立てたが、当の本人が頑として反発し、クレリアとは結構やりあってしまった。
俺は娘の意思を尊重し、行きたくもない嫁に行く必要はないと考えていたから、まとまるはずがない。
「どんな任務なの? 私にも手伝える?」
この惑星を成功例と認めた惑星システム、女神ルミナスのメッセージを携えて、バグスを作り上げた銀河環境システムの本拠地に向かうミッションだ。だから、こう言いかえることもできる。
「女神ルミナスの福音を延べ伝える……とでもいうか」
「ほんとうなの?」
ちょっと驚いた顔をしたクレリアは、すぐに俺が冗談を言っているのではない、ということを理解したようだ。
「アランは結局、入信しなかった。婚儀でもアトラス教会にどれだけ寄進が必要だったのか覚えているでしょう」
もう昔のことじゃないか、とは言えない。それに寄付金のほとんどの出資は俺だった。
「アランにその大役を務め切れるかしら? 私の協力なしには難しいのではなくて?」
「とても危険な任務なんだ」
「なおさら私が行くべきでしょう?」
こんな話は毎度のことだ。俺がデグリート海洋王国に乗り込んで改革を断行するときも、ゲイツ王国の鎮圧に向かった時も、大樹海の奥深くで見つかった迷宮探索のときも……。
「これまでも無事に帰ってきたじゃないか」
「私はスターヴェーク王国の執政を息子たちにゆだねた。けれどのんびり隠居するつもりはないわ。アランの与えてくれたこの長い寿命の尽きるまで、王国の……、いいえ、この大陸のために尽くしたいの」
「それは俺だって同じだ。けど……」
「けど、なに?」
「これから覚えなきゃならないことがとんでもなくある。もしかしたら途中であきらめることになるかもしれない」
「アランを支えるのをあきらめたりはしない」
繰り返されるこんなやり取りに何の不快感もない。むしろ彼女の気持ちがありがたい。
だからこそ、これは俺から言い出すべきなんじゃないかな。
「クレリア、一緒に来てくれないか」
「もちろん」
クレリアの顔には一片の迷いもない。実のところ、俺はクレリアの決心が嬉しかった。確かに困難な旅になるだろうが、そばにいてくれるだけでどんなに心安らぐことか。
しばらく馬を走らせていくと、湖が見えてきた。かつては鬱蒼と樹木が茂っていた湖畔は広場になっていて、この湖畔公園は拠点の市民たちの憩いの場だ。
そしてこの湖より先は、採鉱所以外は保護区域として、ドラゴンの楽園となっていた。そう、グローリアにもようやく子供ができたのだ。”族長の義務”とやらで俺とイーリスが惑星中を駆けずり回って、ドラゴンの集落を見つけるたびに、族長と戦う羽目になったのも今ではいい思い出だ。
「アラン、湖畔広場に天幕のようなものがあるけど」
巨大な天幕にはスターヴァイン王国の印が描かれている。大きな行事の時に使う天幕だ。
馬のいななきが聞こえたのか、天幕から人々が現れた。
セリーナ、シャロン、そしてエルナ。実体化したイーリスもいる。航宙軍兵士の遺伝子から生まれた兵士も数人いる。
カトルとカリナのほかに、イーリスの指導の下で優秀な教師となったマルティナ、そしていまや大陸有数の魔術師となったメラニーもいてこちらに手を振っていた。
「いったいこれは……」
「お見送り、だな」
俺はクレリアが俺と一緒に行くことを確信していたから、あらかじめセリーナには連絡を頼んでおいた。
突然、天から咆哮が響き渡った。見上げると二頭の巨大なドラゴンと、ずっと小さなドラゴンが羽ばたきとともに降りてくる。グローリア、グレゴリーそして二人の間に生まれた子供だ。
『族長っっ……!』
グローリアは子供が生まれてからはますます体が大きくなったが、子ドラゴンを目に入れても痛くないようで、子供が少し成長するたびに俺に報告してきたっけ。
『セリーナから話を聞きました。長い旅に出るんですってね』
さすがに自分も行きたいとは言わないか。もう子供がいるからな。とはいえ、三匹……いや三人の見送りは嬉しい。
着地した三人に俺とクレリアは近づいていく。
『グローリア、私はアランとしばらく旅に出るわ。必ず帰ってくる。ほかのドラゴンたちとこの拠点を守ってほしい』
「はいっ!」
真新しい航宙軍の制服をまとったセリーナとシャロンが近寄ってきた。
「アラン、まもなくシャトル機が到着します」
「二人とも残りたければ、残ってもよかったんだぞ」
「まさか。アランが行くなら私たちも絶対に行きます!」
「戻れない任務でもないですし、不在の間はイーリスに任せました」
「これからもよろしく頼む」
「「了解!」」
俺のいない間、実体化したイーリスはスタンドアロンで動くことになるが、メンテナンスや緊急時には惑星上空に展開する護衛艦隊に救援を仰ぐこともできる。能力的に言って拠点の運営を任せることに不安はない。
クレリアが近衛の制服を着たエルナに向かった。
「エルナ、私と一緒に来てくれるか」
「すでに護衛隊長は後任に任せました。クレリア様が向かわれると聞いてどうして安閑としていられるでしょうか」
エルナも思い切ったことをする。近衛の隊長職としてこの十年、愛着もあったろうにあっさり捨ててきたようだな。
上空でステルスモードを解除したシャトル機が突然視界に入ってきた。俺たちが偵察ドローンを組みなおしたつぎはぎシャトル機とはちがって、空力学の極致ともいえる流麗な姿が日の光で輝いている。
ゆるやかに着地したシャトル機はハッチを開けた。
乗り込みつつ振り向くと全員の笑顔が目に入る。俺たちの新たな門出を祝福してくれているようだ。
「行きましょう、アラン」
クレリアは俺の腕にそっと身を寄せて囁いた。
「ああ。シャイニングスターも全員集まったしな」
俺たちが乗り込むとシャトル機は滑らかに上昇していく。スクリーンに大樹海からガンツに至る緑豊かな都市が、ガンツの旧市街が、そして美しいアレスの大地が小さくなっていく。
クレリアも仮想スクリーンのその映像に見入っているようだ。
しばらくして、シャトル機の外部カメラは進行方向に切り替わって、息をのむほど美しい航宙艦を映し出す。
新生イーリス・コンラート号。この最新鋭の艦にはすでにイーリスが再構成されている。クレリアには改めて紹介しないといけないな。
惑星アレスに科学と魔法の調和をもたらした俺たちは、星海へと乗り出していく。
新たな冒険がこれから始まる。
伊藤 暖彦 先生 著 「航宙軍士官、冒険者になる」
二次小説、「惑星アレスの魔女」
「完」