三歳のときのお話です。
猫に噛みつかれたのか、烏に啄かれたのか、血塗れになっている小鳥さんを見つけました。両手でそっと拾い上げると、血がぬるりとして気持ちよかったです。
私は満面の笑みを浮かべます。カァイイなぁ、カァイイなぁ。パパとママにも見せてあげよう。
きっと喜んでくれるはずだと、無邪気に、無謀に、無知蒙昧に信じて駆け出した私の前に、彼女は現れました。私と同じくらいの背丈の女の子。
「わ、いいなぁ!」
彼女の視線は小鳥さんに向いていました。私は血のように紅い彼女の髪に目を奪われていました。
「いいな、いいな」
彼女は好奇心旺盛なワンちゃんのように顔を近づけて、そこでようやく、私は幼子らしく、この小鳥さんは私が見つけたのだと隠すように両手で包んで背中に隠しました。そのときには、女の子はキラキラとした目で私を見ていて。
「わたしもそうなりたい!」
満面の笑みで、言いました。私とは違う、花開くような笑みなのに、どこか私に似ている笑みだったと、今でも思います。
次に会ったのは、車の中でした。何かしらをやらかして、ただ何が悪いのかも分からず、手首につけられた手錠が可愛くないとふて腐れていたような気がします。後部座席に押し込めるように乗せられると、先客がいました。きょとんとしたのも一瞬で、相変わらず人懐こいワンちゃんのようにやってきて。
「おそろいだ!」
手錠を鳴らして嬉しそうにしていました。右手には包帯が巻かれて、血の匂いがしています。運転していたのは彼女のお父さんで、助手席に私のお父さんが乗っていました。難しい顔をして難しいことを話しています。
「どこに行くのかな? 遊園地かな? プールかな?」
病院に向かっているにも関わらず、楽しいお出かけだと信じて疑わないワンちゃんと同じ顔をしていました。ここで私は、ワンちゃんはワンちゃんでも彼女は賢くない方のワンちゃんだと認識しました。自分の尻尾を追いかけてクルクル回るに違いない、その様子を思い浮かべるだけで、思わず笑ってしまいました。
「被身子!」
怒鳴り声に肩がビクッと跳ねます。お父さんがこちらを見ていました。車の中が急にシンとしずかになります。彼女のお父さんは運転に集中していて見ていなかったのか、困惑しているようでした。肝心の、確実に私の笑顔を見ていたであろう彼女は、ポカンと口を開けています。そのまま、シートベルトをゆるゆると伸ばして私の耳元に口を寄せました。
「おっきな声。おトイレに行きたいのかな?」
それならパパに言えばいいのにね、そういう彼女の顔は本気でそう思っているようです。彼女は賢くない方のワンちゃんではありません。本当の本当にお馬鹿なワンちゃんです、叱られたことに気付かないくらいの(今回叱られたのは私ですが)。
「お名前、ヒミコちゃんっていうんだ! わたしはアイ! ねぇねぇヒミちゃんって呼んでもいい?」
大人達の様子にまるで気づかない彼女は、手錠のついたままの手首をぶんぶん振りながらニコニコ笑顔で首を傾げます。縦に頷いて、真似っ子して私も愛称で呼ぼうと少し考えて、特に捻りもなく『あーちゃん』と呼んでいいか尋ねました。すぐさま頷いた『あーちゃん』とお話していれば、いつの間にか、目的地に到着していました。
病院です。それもかなり大きな。ここに来てようやくあーちゃんはこれが楽しいお出かけではないと気づいたようで、絶望を隠すことなく表情に出しています。その表情に緩みかけた頬を抑えて、笑わないように口元をきゅっとしました。
連れて行かれた先にはお医者さんがいました。優しそうなお婆ちゃん先生です。しばらくお父さんとお話してから、私にもいくつか質問をします。血を飲みたいか、飲みたくなるのはどういうときか、飲んだとき身体に変化はないか。答えるたびに、お父さんが厳しい視線を私に向けてきます。幼心に何かを間違えた、と思いました。ただ、その後に差し出された輸血用の血液を舐めた幸福感で、少しだけ忘れることが出来ました。でも、個性を調べるためなので、ほんの少しだけです。それから知らない人に"変身"して、私の個性が『変身』だと判明しました。その時の私は、知らない人よりももっとカァイイ子になりたいなぁ、と鏡を見ながら思っていました。
お父さんは来る前よりもますます難しい顔をしています。そういえば、泣きながら引き摺られていったあーちゃんはどうしてるだろう、待合室で足をプラプラと揺らしながら思いました。
赤ん坊の泣き声が聞こえます。同時に窓が割れる音も。後から聞いた話では、赤ちゃんの“個性”による事故だったそうです。
「い゛っ!?」
声がしました。もうすっかり聞き慣れた声です。病院に着くまで、車の中でお話していた子の声。私は、お父さんの制止の声を振り払って、走り出しました。
窓の近くには血を流している人が何人かいて、大人達が慌ただしくしています。辺りを見回すと、赤髪の女の子も蹲っていました。近寄って顔を覗き込めば、涙目ながら笑みを浮かべています。
「今だー!」
突然立ち上がったあーちゃんは私の手を取って走り出します。追いかけてくる人はいませんでした。当然ながら元気な子供よりも怪我人を優先しているようです。
「脱出大成功!」
人気のない中庭まで走ってきてぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねています。右腕には大きなガラスの破片が刺さっていて、つぅと流れた血の跡が手のひらで擦ったのか、引き伸ばされていました。血にまみれた立ち姿を眺めて、カァイイなぁ、と吐息を漏らします。
少しだけ血を舐めたことで、物足りなさがありました。近くにはお父さんどころか大人は誰もいません。血を飲みたい、チウチウしたい、その欲求を遮るものはありませんでした。
「ヒミちゃん?」
あーちゃんの右腕からガラスの破片を抜き取ると、流れていた血の量が増えました。口角が上がるのを我慢せず、そのままガラスの破片をあーちゃんの首筋にあてます。プツリ、と皮膚が裂け、血管を断ち、血液が吹き出ました。あーちゃんの顔と肩口に、盛大な血飛沫がかかります。髪にかかったはずの血液は赤色に紛れて目立ちません。その分、白い肌には赤が映えました。
あーちゃんはぼんやりと私を見つめています。呼吸が早く、口を開けてハッハッと息を吐いています。一度ぎゅっと目を閉じて、それから、目を開くと同時に口も開きました。
「カックイイ!!」
こてんと、首が傾きました。そんな私にお構いなく、あーちゃんはワンワン騒いでいます。
「車のときも思ったけど、ヒミちゃんの笑顔ってとってもカッコいいね! しかも、血みどろになったわたしを変な目で見ないし! しかもしかも、血みどろになるのを手伝ってくれるし!」
藍色の瞳は初めて会ったときと同じくらい、いえ、それ以上にキラキラしていました。
「わたし、ヒミちゃんのことすっごく好き!」
そのとき抱いた感情が何だったのか、私はずっと、わからないままでいるのです。