パチリと目を覚ますと、知らない天井でした。覚醒しきっていない頭を抱えて、のそりと身体を起こします。真白のカーテンが揺れ、日光がじわりと目に染みました。腕からは管が伸びており、輸血、ではなく点滴でしょうか? どうやらここは病院のようです。
「……ヒミちゃん? あぁ、目を覚ましたんだね! 本当によかった……!!」
聞き慣れたあーちゃんの声。伸びてきた両腕を受け入れたところで、ん? と思います。柔らかい、そして大きい? ぼんやりと、癖で頭を撫でるとサラサラな長い髪が指の隙間を通り抜けていきます。んんん?
「あーちゃん?」
「うん、ボクだよ」
「トガはどれくらい寝ていましたか?」
「えーと、丸二日だね」
「……二年です?」
「ううん、二日だよ」
二日、なるほど二日ですか。二日で短かった髪が腰辺りまで伸びて、幼さの残る体躯が随分と発育の良い身体になったんですねぇ。
「いや、そうはならないでしょう」
「へ?」
少し身体を離してマジマジとあーちゃんを眺めます。怪我については治療済みなのでしょう、包帯などは身に付けていませんでした。そして、中性的な顔立ちはすっかり女性らしくなったように見えます。それに、子犬のようなわちゃわちゃした所作も鳴りを潜めて、大型犬のようなおっとりとした雰囲気を醸しています。何より特筆すべき点は、着ている雄英の制服がスカートになっていることでしょうか。
「あ、これ? いままでの服全部入らなくなっちゃったから、とりあえず制服だけ新しく買ってもらったんだ」
「よかったのですか、スカートで」
「うん、思ったよりヒミちゃんがボクのことを好きだったから」
「へ?」
「いや、なんでもないよ」
なんでもなくないと思いますが。スッと目を逸らしたあーちゃんをジトッと見つめます。
「それよりほら、仁兄ちゃんとマグ姉ちゃんがお見舞いに来てくれてね。フルーツたくさんあるよ、何食べたい?」
「そういえばあーちゃんには私の『好き』があまり伝わってなかったねぇ。どうしよっか、もっと行動で示します? ハグとかスキンシップだって結構してるけど、愛情表現といえばチウチウ……もたくさんしてたねぇ。じゃあ、まずはキスから始めましょうか」
「まって、嬉しすぎてボク死んじゃうから。ヒミちゃんの、その、想いはすっごく伝わったから、ね?」
耳まで真っ赤にして両手で顔を隠すあーちゃんカァイイです。でもこれについてはトガも反省したほうがいいところもあるのであまりイジメすぎいよう、話題を変えて、気になっていたことを尋ねます。
「それで、どうしてそんなに大きくなったのですか?」
「血は骨髄で作られるから、血液パック使って、さらにヒミちゃんの血もたくさん被って血が増えて、だから骨が伸びたんじゃないかって」
「じゃあなんで髪も伸びたのです?」
「急激な成長の副作用じゃないかって」
「そうかなぁ……そうかもぉ……?」
「真綿さんが『なっとーばい、気にすることなか』って言ってたよ」
「……それもそうですね!」
真綿ちゃんの寛容具合は人をダメにするソファ並みにフカフカでふわふわに包み込んでくれます。彼女のお部屋の家具もふわふわですごいですよ、すごくダメになれます。
枕なんかもふわふわしているほうが好きですね。轟家の枕は蕎麦殻なので、泊まったときはあーちゃんのおなかを枕にした覚えがあります。
「っ! そうだ、燈矢くん!」
「あぁ、燈矢兄ちゃんなら――」
「燈矢くんは今のあーちゃんを見てどんな反応をしましたか!?」
「そっち!?」
とっても重要なことですよ! 燈矢くんの怪我の具合はあーちゃんの表情でだいたい察しましたし! もうヒーロー活動が出来るくらいに回復しているのでしょう?
「え、えぇと、中々ボクがボクだって信じてくれなくて大変だったよ……?」
「そうですか! もっと詳しく聞かせてくださいね!」
「……ヒミちゃんって本当に燈矢兄ちゃんのこと好きだよね」
「それは違います」
すんっ、と真顔になりました。そういうのではないのです、お互い利用し合いながら愉悦し合っているだけなのです。そして、むすくれているあーちゃんカァイイです。でも、あーちゃんには言われたくないセリフだよ?
「焦凍は『お姉ちゃんだよ』『わかった、アイ姉』で済んだのにね」
「それはそれでどうかと思うのです」
そろそろ天然で片付けたらいけない気がしてきました。焦凍くん大丈夫ですか? 家族とお話していますか? トガはしていません。
さておき、丸二日眠っていたようですが、なんとか五体満足で元気です。頸動脈のところは深く切り過ぎていたようで痕が残りましたが、あーちゃんとお揃いなのでいいでしょう。
念の為の検査が一通り終わったら退院し、下宿先へと帰宅しました。真綿ちゃんに挨拶をしてから、自室に戻りホッと一息つきます。ここのおうちは落ち着きますね。
水でも飲もうかと冷蔵庫を開けると、銀色のパウチパックが目に止まり、ミネラルウォーターに伸びていた手が軌道を変えました。
「これ貰いますね」
「どうぞー」
パウチパックの中身はあーちゃんの血液です。一応、血液保管用の箱は別にありますが、暑いときは冷やしておくと被ったときに気持ちいいらしいです。
直接チウチウするのが一番ですけど、たまにはこういう風に飲むのもよいものです。ほら、お酒は器で飲むっていうじゃないですか、トガは未成年なので知りませんが、たぶんそれと同じ感じです。
蓋を外して、口をつけようとして、つるっと手が滑って、思わずパウチパックを強く握ってしまって、飛び出た血液が左手にかかりました。
「あ」
うっかりじゃ済まされないミスなのですが? 『ヒーロー殺し』の“個性”の件といい、気が緩むとトガは駄目かもしれません。
何が駄目って、トガは常日頃左腕をあーちゃんに『変身』しているのです。“個性”の訓練もありますが、トガにも血液の貯蔵限界があります。ストックされないだけで飲めはするのですが、使わないともったいない気がして、それに、最近は本当に自己嫌悪よりも相手への好意が強くなっていたと言いますか、私のことが好きなあーちゃんになることへの抵抗よりもあーちゃんになりたい気持ちが強いのです。
さて、言い訳はこの辺りにしておきましょう。それよりも、さっきから頭が大変なことになっています。『好き』という感情を液体して脳を浸しているような、骨の髄からピリピリと多幸感がせり上がってきます。これ変なおクスリとかではないですよね? うん、辺りには嗅ぎなれた血の匂いが漂っていました。
頭を抑えます。感情のリミッターが壊れているんじゃないかっていうくらいの奔流に押し流されて、思考回路はとっくのとうにショートしていますが、なんとか、ゆっくり考えます。まず、最優先にやるべきことは?
ドロリ、と左腕を融かしました。『変身』を解除したので『被血』も解除されますが、脈打つ心臓は相変わらずドラムロールです。鏡を見なくても、頬が真っ赤になっていると分かりました。
「ヒミちゃん、大丈夫?」
「!」
「あれ、顔が赤いよ? 熱でもあるのかな……」
キッチンで立ち尽くしている私を心配して、あーちゃんがとことこやってきます。そして、熱を測るようにおでこへ伸ばされた手に対して、私は思わず一歩下がって避けました。すると、いつもキラキラしていたあーちゃんの瞳から一瞬で生気が失せました。ビックリするほど絶望しています。
「ゴメンネ……ユルシテ……」
「違います違います! その、違うのです!」
理性でコントロール出来ない感情が、勝手に口を動かしました。
「あーちゃんが思った以上にトガのことを、す、好きで、照れちゃっただけです!」
あーちゃんはこてんと首を傾げると、少しして言葉の意味を理解したのか、目に光が戻ります。そして、溢れた血液を見つけて、納得したように頷きました。
「ボクの『好き』も意外と伝わってなかったのかー」
そう苦笑して、乾いてしまう前にと、絨毯に溢れた血液に触れて吸収していましたが、何か思い当たったようにパッと顔を上げます。
「……頭とか、大丈夫そう?」
「ちょっと、きついかもしれません」
「うん、だよね」
いや、悪口とかではなくてですね。感情の濁流が思考を邪魔してくるのです。言葉を思い浮かべようとすると、言葉にならない強い力で押し流されてしまいます。あーちゃんの一挙一動がああなるのも納得の一言です。
「ヒミちゃん、好きなものを思い浮かべて?」
「好きな、もの」
思い浮かべるも何も、目の前にいるので、あーちゃんをじっと見つめます。
「そうすると、好きなものに対して今までと違う考え方が出てこない?」
「……はい、ありますね」
あーちゃんの血液を被って生まれた感情は、あくまであーちゃんの考え方によるものです。つまり、この特大好意はトガに向けたものでして……う、ヤです! 確かにちょっとは自分を好きになりましたけど! そんな自己愛の塊を抱えるなんて私には重た過ぎます!!
そして、あーちゃん自身はあーちゃんに対してなんとも思っていません。トガに相応しい人間であろうとか、そういうことは考えていますけど、いざというときはトガのために命を投げ出すことすら当然に思っていて、私はムッとします。
でも、ヒミちゃんがこんなにボクのことが好きだなんて思わなかった。もし、ボクがいなくなったらヒミちゃんは悲しむかな? それは、嫌だな。という考え方も一緒に伝わってきたので、ここは何も言わないことにしました。いや、ということは血を被る前はあーちゃんがいなくなってもトガは何も思わないと思っていたのでしょうか? うん、思っていたのでしょう。やっぱり後で話し合っておきます。
「じゃあ、名前をつけようか。それは自分じゃない、別の人なんだよ。そうだね、ボクの血だしボクの名前とかつけてみたり」
「名前、では、あーちゃんで」
「ちなみにボクのフルネームって言える?」
「? 言えますよ。朱紅藍、でしょう?」
「おぉ、ボクたまに忘れちゃうんだよね。テストの時とかとても困る」
「えぇ……」
「ヒミちゃんの名前なら魂に刻まれているんだけどなー。渡我被身子って漢字で書けるよ!」
「……偉いねぇ」
「えへへ」
少し背伸びをして頭を撫でます。本当に大きくなったねぇ。では話を元に戻しましょうか。
「名前をつけて、それから?」
「あ、後はイメージかな。箱に詰め込むでも牢屋に閉じ込めるでも、どこかにしまっておけば結構楽になるよ」
「なるほど……トガもしまわれているのですか?」
「ううん、傍にいてもらってるよ、色々アドバイス貰ったりしてる」
「しまっておいてください」
「えっ」
「しまって」
「う、うん? ヒミちゃんがそう言うならしまうけど……」
「はい」
なんでって顔をしています。答えは嫉妬です。以上。
それよりも私はどうしましょうか、あーちゃんにそう言った以上しまわないのは気が引けます。イメージ……箱といえば、段ボール? いえ、それはあーちゃんが捨て犬みたいでヤです。牢屋は論外。普段の部屋は代わり映えがないですし、そうですね。
「あーちゃん、屋根の色は何がいいですか?」
「屋根って、家の?」
「はい、おうちです」
「んー、赤かな」
「わかりました」
真っ赤な屋根をイメージします。壁は白く、標識には『あーちゃん』の文字。そうして出来上がった犬小屋にあーちゃんを収めます、うん、カァイイ!
「あ、確かに考え方が分割したような、少し楽になった気がします」
「でしょ? たぶん慣れたら『ヒーロー殺し』のときみたいなこと、起こらなくなるんじゃないかな」
「……そうだねぇ」
幼いときも今も、他の人の血を被ったらあーちゃんがあーちゃんじゃなくなっちゃうんじゃないかって不安でした。しかし、実際に体験してみると分かります。“個性”が発動しているときも、まるきり人格が変わるんじゃなくて、ただちょっと……いえかなりですけど、影響を受けているだけなのです。根底にあるものは変わりません。
「頑張りましょうか」
「うん、頑張って“個性”を扱えるようになるよ。そうしたら、一緒に復籍しようね!」
「そうですね……ちょっとまって?」
学校に確認したら当然のように除籍になっていました。おのれイカレイザーヘッド!
この物語はトガヒミコを幸せにしたいという想いが九割九分九厘、大型犬系おっとりボクっ娘はいいぞという想いが一厘で構成されています。
オマケについて
-
ほのぼの雄英生活を送る
-
愛を確かめ合う(あーヒミR18)