悪魔の証明とはその名の通り、悪魔みたいなものです。
『ない』ことを証明することは難しい。例えば『白いカラスは存在しない』ということを証明するには世界中のカラスを調べなければいけない、という話です。ちなみに白いカラスはいるらしいですよ、日本で見つかった個体は“個性”も持っていただとかなんとか。
でも、カラスといえば黒、という常識には敵いません。目の前に白いカラスがいたとしても、『普通カラスといったら黒だよねぇ』という考えを多くの人が持っています。
正しいとか間違っているとかではなく、数の問題です。社会的存在である人間にとって数とは大いなる力なのです。多数決パワー、少数の存在は圧殺されます。数が多ければ多いほど、それは普通で、常識で、少ないものを磨り潰すことに躊躇いを覚えません。
一人じゃ何も出来なくても仲間がいればどんな行為も出来るのです。それが絆ですか? 正義ですか? 随分と、カッコ悪くないですか?
……少し感情的になりすぎました。こういうときはあーちゃんの話でもして気を紛らわせましょう。そういえばいつだったか、あーちゃんとこんな話をしました。
「数が多ければ普通なの? じゃあ仁兄ちゃんにヒミちゃんを増やしてもらってヒミちゃんだけの国を作ろうよ! そうしたらヒミちゃんが普通になるね!」
「普通にヤです」
建国初日に国民同士の殺し合いが起きて国が消えて無くなりますよ。何をどう考えたらそんなことが思いつくのでしょうか、たぶん何も考えてないんじゃないですかね。
さて、一息いれたところで、引き続き昔話を続けましょう。今回は小学生になる少し前のお話をしようと思います。
でもですね、幼い頃の話って、幼い自分を思い返す必要があって、どうにも気恥ずかしさが勝ります。それよりもっと最近の話をしません? あーちゃんのトマト嫌い克服大作戦だとか、オール仁くんサッカー大会だとか、マグ姉主催のファッションショーだとか、焦凍くんに燈矢くんの猫耳写真を見せたときの反応だとか、そういう話をしませんか? 駄目です? そっかぁ。
きっかけはランドセルでした。両親が買ってくれた真っ赤でカァイイそれに、私は思わず笑顔でお礼を言いました。そして、両親の複雑そうな表情を見て、直ぐに笑顔を隠します。気が緩んでいた、気をつけないと。ちゃんと笑顔が隠せているか不安で、俯きながら謝罪の言葉を述べました。
両親はそんな私におずおずと「大丈夫、あなたは頑張っている」「今度から気をつけよう」と声をかけました。あれ、と首を傾げます。てっきり、いつもの調子で叱られるとばかり思っていました。そういえば、しばらく叱られていなかったな、と気がつきます。家ではずっと両親の目から逃げるように隠れていました。カウンセリングでの出来事は、この様子だと知らないみたいです。
途端に、胸の中でドロリとしたものが湧き出ました。変わっていない自分と変わってしまった両親の態度に気持ち悪さを感じます。隠せば無いものと同じではありません。隠したところで有ることに変わりないのです。そんなことに、ようやく気づきました。
遊びに行ってくるね、そんな言い訳と共に逃げるように家から飛び出しました。何も考えずに走り出せば、辿り着くのはいつもあーちゃんと遊んでいる公園で。彼女は一人、ブランコに腰掛けてぼんやり宙を見上げていました。
「おろ? わーい、ヒミちゃんだ!」
「……その顔、どうしたのですか?」
「あ、これねー」
こちらに気づくといつものように駆け寄ってきます。しかしいつもと違って、ニコニコと普通の笑顔を歪めるように、頬が赤く腫れ上がっています。
「お母さんに叩かれてさー」
「え」
「叩かれるのはやだね、痛いだけで血も出ないし」
つまらなそうな顔で、心底どうでもよさげにボヤきます。感情表現の激しいあーちゃんには珍しい、冷たい表情をしていました。
「どうして、叩かれたんです?」
「なんかねー、『女の子がそんな怪我をしてどうするの』だって」
首元を撫でる彼女の手元を見れば、いつも巻かれていたはずの包帯が外れています。私がつけた切創が綺麗に残っていました。苦虫を噛み潰して舌の上で転がしている気分です。こんなことなら最初から隠せる位置につけておけばよかったと考える自分の思考に対して、あまりにも嫌悪が湧いて。
そんな私の思考を打ち切るように、あーちゃんは柏手を打つように手を鳴らしました。
「だからわたし、いいやボクね、男の子なるんだ!」
「んん?」
そして次に思考が『何言ってるんでしょう、この子』に染まります。あーちゃんと話しているとよくあることです。
「女の子は弱くて守られる存在だから、血を流しちゃいけないんでしょ? じゃあ、男の子は強くて守る存在だから、血を流したって構わないんだ」
胸を張って、自信満々に、そうかなぁ? という感じのことを言います。
「だからボクが男の子になってヒミちゃんを守るよ! ヒミちゃんが笑顔でいられる世界にしようね!」
「……あーちゃん、昨日はどんなアニメを見ました?」
「男の子がボロボロになって褒められるアニメ!」
「そっかぁ」
夕方くらいにやっていたアニメでしょう。主人公がヒロインに『僕が君を守るよ。君が笑顔でいられる世界にしてみせる』と言っていました。確かにその主人公がボロボロになっていましたけど、褒められていましたっけ? 敵が『やるなヒーロー!』みたいなことは言ってましたけど、味方はみんな悲しんでいました。
「ね、早速マグ姉ちゃんに男の子になる方法を聞きに行こうよ!」
「今からですか? マグ姉は仁くんのお隣さんですから、かなり遠いですよ?」
マグ姉は優しくてお話していて楽しいお姉さんです。身体は男の人なので、あーちゃんはマグ姉に相談したいのでしょう。
ちなみに仁くんはビックリするほどお人好しです。初めて会った日からカウンセリングついでにちょくちょく遊びに行っていますが、いつも邪険にせず相手してくれます。それにマグ姉が行き倒れていたのを介抱して、就職先まで斡旋したらしいです。仁くん曰く、助けたのはたまたまで、就職先もちょうど仁くんの職場が人手不足だったから、らしいですが。どうにもお人好しすぎていつか詐欺にでもひっかかりそうです。マグ姉に見守ってもらうよう伝えておきましょう。
それはさておき、仁くんたちの家は病院の近くです。病院は私たちの家から車でしばらくかかるほどの遠さです。
「歩いていったら日が暮れちゃいます」
「ボクがヒミちゃんおんぶして走るよ」
あーちゃんはスカートを少し捲くって、太腿あたりをハサミで切りつけました。痛みで涙目になりながら、その場でぴょんぴょんと跳ねます。
「これで仁兄ちゃんのバイクくらいの速さで走れるかな」
「外で“個性”を使っちゃダメって言われませんでした?」
「へ? うーん、言われてないよ、たぶん!」
カウンセリングのたびに言われています。ただ、このときの私の心中は複雑で、それこそ友達とおバカなことでもやって気晴らしをしたいなぁ、という想いが無きにしもあらず。つまり、あーちゃんの背中に乗りました。
「安全運転でよろしくねぇ」
「任せて、無事故無違反!」
既に違反はしていますが。
ところで、ここで少しあーちゃんの“個性”について解説しておきましょうか。カウンセリングを半分諦め始めてきた先生がカウンセリングもそこそこに私たちの“個性”について調べていたので、結構詳しいんです。
『被血』。血を被れば被るほど強くなるとは彼女の言ですが、より正確に言うと血を肌から吸収して血液を増やすことで身体能力を上げています。なんでも彼女の父親は『吸水』、母親は『増血』らしいので、まさしくハイブリッドな“個性”です。
そんな彼女が怪我をするとどうなるでしょう? 流れ出た血が吸収され、より多くの血が作られます、ただ傷の回復力は常人と変わりないため、血は流れ続け、肌から吸収されて、血が増えて、ということです。“個性”で作られる血液よりも多くの血を流すと不味いですが、少なくとも頸動脈から血を吹き出すくらいなら元気に庭を駆け回っていました。あと、肌から血を吸収しているときは痛みを感じなくなるらしいです。
さて、なんで急にこんな解説をしたかといいますと、血液は全身を巡るからです。あーちゃんはどこを怪我しようと全身が強化されます。脚を強化するために脚を傷つける必要はありません。ましてや外で少しとはいえスカートを捲る必要は全くもってありませんでした。女の子男の子以前にその辺りはきっちり言い聞かせておきます。服ごと『変身』するため裸んぼにならないといけない私じゃあないのですから。
「あら、二人ともいらっしゃい!」
マグ姉の家につきました。突然の訪問にも関わらず、笑顔で出迎えてくれます。
「おじゃまします!」
「おじゃましまぁす」
挨拶は大事です。笑顔でハキハキ、マグ姉は微笑ましそうに私たちを見ています。始めは、仁くんにもマグ姉にも威嚇代わりに笑顔を見せたものです。二人ともあっさり受け入れるものですから、試しに幼稚園でも少し笑ってみたりしまして……はい、やめましょうか、この話。
「ってアイちゃんケガしてるじゃない!」
「いつものことだね!」
「そうだけど! ほっぺたのは血が出てないでしょ?」
「それはいつもと違うね! でも大丈夫!」
あーちゃんはブンブンと頭を振って、大丈夫だとアピールします。むしろ大丈夫じゃなさそうに見えますが、マグ姉は引き下がってくれました。
「それより、マグ姉ちゃんに質問!」
「なにかしら? 何でも聞いてちょうだい」
「男の子になるにはどうしたらいいの?」
「あらまぁ」
マグ姉は少し困ったような笑みを浮かべます。
「なりたいの?」
「なりたいよ!」
「そうねぇ……」
あーちゃんの真剣な眼差しを受け、マグ姉は少し考え込みます。そうして、ゆっくりと言葉を紡ぎました
「その気持ちがあるなら、アイちゃんはもう男の子よ。無理に自分をどうこうする必要はないわ。自由に、ありのままの自分でいればいいの。周りの人に……色々、言われるかもしれないけれど、私は味方よ。何でも相談してちょうだい?」
「うん! ありがとうマグ姉ちゃん!」
「ありのまま……じゃあ、わたしかな? でもボクの方がいいなぁ」と呟くあーちゃんにどれだけ伝わっているのか分かりませんが。
「ヒミコちゃんも。素敵な笑顔の女の子なんだから、そのままでいいのよ?」
マグ姉はとっても、優しいです。
あーちゃんが好きです。あーちゃんみたいになりたいです。仁くんが好きです。仁くんみたいになりたいです。マグ姉が好きです。マグ姉みたいになりたいです。
でも、みんなにはなりたくありません。私のことを好きだと言ったり、受け入れたり、そのままで良いと言う人になりたくないのです。
私は、私が、大嫌いです。
いくらみんなが優しくしてくれても、お父さんとお母さんの言葉がいつまでも頭にズシリと乗っています。カウンセリングの先生が、何度も何度も、私は『普通』じゃないと突きつけました。どんなに隠してしまおうと、心の澱みはそこに有るのです。普通の、常識で作られた、大多数による世界が嫌いです。
……いつか私が『普通』になって、大多数に加われば世界を好きになれるでしょうか? 私自身を好きになれるでしょうか?
そんな、叶いもしない夢物語を、胸の奥底に抱えていました。