「もしかして燈矢兄は……猫又なのか?」
焦凍くんに燈矢くんの猫耳写真を見せたときの反応です。焦凍くんの天然っぷりはあーちゃんのお馬鹿っぷりに引けを取りません。
「その発想はありませんでした」
「聞いてみる」
「あっ」
止める間もなく、焦凍くんは燈矢くんに電話をかけると一言二言やりとりし、こちらを見やります。
「ヒミ姉、燈矢兄が今から電話するって」
「ですよねぇ」
このあと滅茶苦茶電話がきました。
さて、こんな話をしていることからお分かりでしょう。燈矢くんのお話、飛ばしません? いや本当、かなり本気で。燈矢くんだって曲がりなりにもヒーローなんですから、過去の話を暴露されるとメディアイメージ的に困りますよね? え、私の嫌がる顔が見れるなら別にいい?
焦凍くん! 燈矢くんが猫耳つけてニャーニャー言ってる動画をお送りするのでご家族で観てくださいねぇ!
はい、というわけで中二ヒーローオッドアイに引き出されるレベルの黒歴史についてお話しましょう。……ヤだなぁ。
幼い私はふわぁと欠伸を漏らします。いつものカウンセリングではなく定期検診でやってきた病院は、いつも以上に退屈でした。
ようやく終わった検査に思いっ切り伸びをして、あーちゃんは終わってるかなぁと辺りを見回します。残念ながら姿は見当たりませんでしたが、遠くからあーちゃんの声が聞こえました。
「なれる! 絶対なれるよ!」
弾むソプラノボイスは、憧れのヒーローを応援する少年のような熱を纏っています。聞き慣れたはずのそれに首を傾げ、隠れ癖をそのまま抜き足差し足忍び足に変えて声の方向へと歩いていきました。
「燈矢兄ちゃんはオールマイトを超えるヒーローになれる!」
(あーちゃんと、白髪の男の子?)
場所は病院に付属している図書室です。子供向けの絵本から“個性”の専門書まで揃っていて、誰でも自由に利用できます。
あーちゃんはこちらに背中を向けていて、白髪の男の子はこちらを向いています。なので白髪の男の子の表情は見えるのですが、なんでしょう、サンタさんからリクエスト通りのプレゼントを貰ったはいいものの実際に手にしてみたら思っていたものと違ったような、そうでもないような、よく分からない表情をしています。またあーちゃんが変なことを言ったのでしょう、とフォローについて考えながら、声をかけようとあーちゃんの横顔を見ます。
そこでようやく、あーちゃんがキラキラとした目で、白髪の男の子を見つめていることに気が付きました。
彼女、いえ彼はよくあんな目をします。純粋に、心から、好意を抱いているのだと分かる目を、私はよく知っています。常日頃向けられていますからね、本当、カァイイです。でも、知りませんでした。あの目を他の人に向けることもあるのですね。ふぅん。
「あーちゃん」
「うわっ!?」
「あ、ヒミちゃん! 燈矢兄ちゃん、この子が――」
「そろそろお迎えが来ますよ、検査着も着替えないと」
「ありゃ、もうそんな時間かぁ」
私の声に驚いている男の子のほうを見ないようにして、あーちゃんの手を引きました。残念そうに眉を下げる彼は、すぐパッと顔を上げて、もう片方の手を大きく振ります。
「またね、燈矢兄ちゃん。さっき言ってた修行のこと忘れないでよ!」
繋いだ手を、より強く握りました。
「さっきの男の子はお友だちですか?」
「ん、燈矢兄ちゃんのこと?」
所変わって更衣室、カーテンで仕切った一画で果物ナイフをあーちゃんにサクサクと刺しています。検査着は汚れないように脱いでいるので安心です。
「友だちというより師匠かな? 修行してボクも燈矢兄ちゃんみたいになるんだ!」
「……へぇ」
ザクリ、と深めに刺したナイフを抜くと真っ赤な血がトクトクと流れ出ました。床に滴り落ちることがないよう、溢れた血を指で掬って舐め取ります。
「あーちゃん、その燈矢くんについて詳しく教えてくれませんか?」
私はニッコリと笑いました。
数日後、実際に会ってみよう、と言い出したあーちゃんに背負われて瀬古杜岳という山にやってきました。遠目に見ても分かる大きさの炎が上がっています、あれ、山火事とか大丈夫なんでしょうか?
「うわ、本当に来たのかよ。しかも増えてるし」
「来たよ! よろしくね!」
「トガです、よろしくおねがいしますねぇ」
「……訓練の邪魔だけはするなよ?」
目は口よりも物を言います。口ではぶっきらぼうなことを言いつつ、目は優しく……ないですね。気にはかけているけれど、そこまで気にしていないような、意識から外そうと意識している? うーん、燈矢くんは複雑で分かりにくいです。カウンセリングの先生とか分かりやすいですよ、最近はすっかりモルモットを見る目をしていますから。
リュックサックからレジャーシートを取り出して隅っこの方に広げます。家から持ってきた水筒とお菓子も取り出して、燈矢くんから放出される炎を眺めます。ハッピーターン美味しいです。
「すげェくつろいでやがる……」
はい、今の気分はキャンプファイヤーです。橙色の炎がキレイですねぇ。チラリと隣を見れば、あーちゃんが真剣な顔で燈矢くんを見ています。あ、私の視線に気付いてふにゃっと笑いました、カァイイ。
「ボクも燈矢兄ちゃんみたいな修行したいなぁ」
「うーん、たぶん彼が今やっているのは“個性”を最大出力で使って出力を底上げする訓練ですよね。あーちゃんの場合は全身血塗れになったりするといいんでしょうけど、流石に隠しきれないのでダメです。他の訓練を真似しましょうね」
「他の訓練?」
あーちゃんはコテンと首を傾げます。
「燈矢兄ちゃんはずっとアレやってるって言ってたよ?」
「……はい?」
火傷するくらいの火力をさらに上げ続ける? コントロールの訓練もせずに? 指導役の大人もいなく一人で?
「焼身自殺でもするつもりですか、彼」
「燈矢兄ちゃんなら大丈夫だよ!」
「いえ、あのエンデヴァーでさえ一度、自分の炎で死にかけていますからね?」
「は?」
冷たい声が飛んできたのは、轟々と燃えている炎の中からでした。
「おまえ、トガだっけ? なんだよ今の話」
「なにって、“個性”暴走の話です。聞いたことありませんか?」
「……ない。ガセだろ」
「や、本当だと思いますよ。映像で観ましたもん、あーでもそっかぁ」
その映像を観せられたの、先生がカウンセリングと研究の間で揺れてる不安定なときでしたからね。本当は観せちゃいけないものだったのかもしれません。あの病院そういうとこあります、というか子供に人が燃えている映像を観せないでください。
それにしても、燈矢くんがこのままウェルダンになったら困り……困りませんね、むしろ……いやいや、あーちゃんが真似したら困ります。うーん、なんでこの子、燈矢くんに憧れたんでしょう? いえ、私の笑顔をカッコいいとかいう感性の持ち主ですから変な角度で琴線に触れたのでしょう。困ったワンちゃんです。
ということで、燈矢くんの焼身自殺を止めないといけません。半信半疑どころか疑いと苛立ち混じりの目を向けられているので、言葉での説得は無理そうです。となると、うーん、とりあえず先生に頼んで燈矢くんにも映像を観せてみましょう。先生はモルモットが増えて幸せ、燈矢くんは自分が何をしているのか理解できて幸せ。世界は平和になります!
と、考えていた時期が私にもありました。
「お父さん……」
え?
「この人、燈矢兄ちゃんのお父さんなの?」
「…………あぁ」
ええ?
「よく燃えてるね!」
待ってください。そういうの先に言ってください。
「俺もこうなるんだろうなァ……失敗作だもんなァ……」
オールマイトを超えるヒーロー、エンデヴァーの子供、失敗作……あ、ヤです。ヤな感じに点と点が繋がります。あと燈矢くんの目が死んでいます。
先生! 映像切ってください先生! 違います、音量が小さいわけではないんです! 音量上げないで! 子供に父親の断末魔を大音量で聞かせないで!
身振り手振りは意思疎通に向かない。トガは学習しました。
「……見ていられない、ってのは分かった」
燈矢くんの瞳から、ポロポロと涙が溢れます。
「それでも俺は、お父さんに見てほしいんだ」
……正直、燈矢くんのことは好きではありません。しかし、今回のことについては、こう、流石の私も申し訳ないと思っています。それに、親へ向ける複雑な目は、私に勝手な親近感を持たせるのに十分でした。そして、先程の「よく燃えてるね!」と発言した瞬間にあーちゃんの口は両手で塞いでいます。なので、私が口を開きました。
「今の君が見ていられないなら、見られるようになればいいんです」
どの口が言うのか、自嘲しながら続けます。
「まだ君は、何者にもなっていないでしょう? オールマイトを超えるヒーローになりたいのでしょう?」
あーちゃんは君ならなれると信じています。期待を裏切らないでくださいね、ヒーロー。あぁ、そうだ。
「ほら笑いましょう、燈矢くん。ヒーローはいつだって笑顔ですよ?」
そんなことを、笑顔を隠して、なりたい普通になろうともしない私が言うのでした。