始めに断っておくと、これは手慰みである。理論も根拠もまるで足りていない子供のお遊びのようなものだ。なにせ金が無ければ権力もない、しがないカウンセラーの戯言なのだから。
……金さえあればなー、血液とか買い込めるんだけどなー。金が無くともやろうと思えば手に入るが、あまりやりすぎると満足に研究が出来なくなる。過去の失敗から学んだ大切な教訓だ。それに、既に自分は“個性”研究者ではなく、“個性”で悩む人を支えるカウンセラーである。自己の欲求に伴う探求は控えよう。
ただ、カウンセラーとして対象者の“個性”について理解を深める必要がある。そのために実験調査を行い、その結果、自分の研究テーマの検証結果が集まるということがあってもおかしくないという、ただそれだけの話なのだ。
一般的に“個性”を成長させる方法は、筋肉トレーニングと変わらない、とされている。負荷によって筋繊維を傷つけ、超回復で筋繊維を強固にする。同様に、負荷によって個性因子を傷つけ、超回復で個性因子を強化する。
間違いではない。だがしかし足りていない。まず、成長というと“個性”の拡張ばかりが取り沙汰されるが、縮小、言い換えれば“個性”の制御こそが重要である。
“個性”は生まれつき備わっている身体機能であるゆえに本能的に扱い方を認識する。鳥が飛ぶように、魚が泳ぐように、人が歩くように、“個性”が扱えて当然だと思い込んでいる人間のなんと多いことか。“個性”発現から数世代しか経っておらず、その上、“個性特異点”を裏付けるデータは日々増えているというのに。盲目的すぎて愚かという言葉すら褒め言葉に思えるほどだ。
おっと……まぁいいか、何処に発表するでもなし、好きに書こう。
次に、精神が“個性”に与える影響について。こちらも“個性”が人格に与える影響ばかりが注目され、心理的要因によって“個性”を伸ばす方法はプラセボ効果や前時代的根性論に括られることが多く、これまで注目されてこなかった。
ただし、注目されていなかったとはいえ、心理的要因と“個性”の関連は自明であろう。例えば、被験体Tは感情の昂りに応じて“個性”の出力が増大する。であれば極論、常に感情を昂ぶらせる術を身につければ、“個性”の出力が底上げされると同義である。無論、具体的な方策としては愚策極まりない。
要は、“個性”の高負荷反復使用によって出力を上げるだけでなく、“個性”の制御とメンタルトレーニングを加えることによる効率的な“個性”の育成を行うべき、ということだ。
注意すべき点として、優先すべきは“個性”の制御である。国の統計によると“個性”暴走の原因の三割が心理的要因によるもので、本論で示す方法が“個性”暴走を誘発する可能性はゼロではない。
“個性”制御の具体的な伸ばし方は“個性”によって異なる。一般的に、最小の出力を安定して続けることが効果的だと言われている。発火系の“個性”を持つ被験体Tは低温かつライターほどの炎を複数維持、身体変化の“個性”を持つ被験体Hは身体の一部を変化させ保持する方法を取った。成果の一例をあげると、被験体Tは放出した炎の温度操作、被験体Hは身体のパーツをバラバラに変化させることが可能となった。
被験体Aは制御も何もないため割愛。
メンタルトレーニングの方法も筋肉トレーニングと変わらない。負荷を与えての超回復である。ただ、異形型“個性”を除き画一的な肉体構造と異なり精神構造は千差万別である。一人ひとりに向き合って、適切な負荷をかけ超回復に持っていく、これは一筋縄では行かない。
成功例は被験体Tである。被験体Tには親族の“個性”暴走の映像を視聴させることで負荷を与えた。これは被験体Tは“個性”暴走の予兆があったため、負荷を与えるとともに“個性”に対する恐怖や拒否感を抱かせることで無意識のストッパー生成を期待している。超回復としてカウンセリングを試みる前に被験体Hが接触、受け答えから精神面の回復を確認した。また、普段の被験体同士のやり取りから自身や“個性”に関わる肯定感は回復すると推測。観察の結果、トレーニング以前と比べて精神の安定と火力の増大が見受けられる。
対して、被験体Hはもともと“個性”カウンセリング対象者であることから両親からの抑圧および自己への嫌悪感と精神的負荷を抱えていた。超回復として家庭以外のコミュニティへの参加や自己肯定感の獲得を試みたが、本人がこれを拒絶。原因として被験体Aへの軽度な依存が見られた。よって、被験体Hの事例は意図的ではなく、事故による観測となった。被験体Aの“個性”と関わる事故のため、まず被験体Aについて解説する。
何事にも例外はあり、被験体Aの“個性”はどのような精神状態であれシステマチックに発動する。体内の血液量によって身体機能が強化され、血液量は食事・休養でも増えるが限界値があり、肌から血液を取り込むことで身体機能の強化可能な血液量まで増やすことが可能だ。しかしこれも、本人が常に自傷という手段を用いているため血液量が減り、いうなれば常に“個性”使用の負荷をかけている状態である。
であれば、真っ先に調べるべきは無傷の状態で血液を取り込んだ場合、身体機能がどこまで強化されるのか、である。この実験は著者自身の血液を用いて実施した。結論から言うと、身体機能の調査は中止せざるを得ないほど、精神状態に大きな変化が見られた。言動や仕草が著者と非常に似通ったものとなり、著者の趣味嗜好や思考パターンも言い当てる。記憶までは反映してはいないが、被験体Aの内面が被った血の持ち主に変化した、と言っていいだろう。この劇的な変化から、また元が両親の“個性”のハイブリッドであることから、身体機能の強化は副次的な効果で本来の“個性”の効果はこちらであろう。
“個性”を反映するかは不明である。自分は“無個性”であり、他の血を用いようにも被験体Aおよび被験体Hが強い抵抗を示したからだ。
また、時間経過で元に戻ったとはいえ、人格形成が不安定な幼少期ゆえか後遺症と思わしき形跡もある。強制はリスクが高いと判断した。
しかし、こうしてみると被験体Hと被験体Aの“個性”は正反対というか対比的というか、体内から血液を取り込んで外面を変化させる“個性”と体外から血液を取り込んで内面を変化させる“個性”。となると、副次的な身体機能の強化は被験体Hにも現れている可能性はないか? ……調べようにもこの一件で被験体Hはずっとこちらに警戒心を剥き出しにしていたからなー……
依存対象である被験体Aの変化は被験体Hに動揺をもたらした。それは大きな負荷となったが、それでも変わらず被験体Aが被験体Hに強い執着を示したこと、および時間経過による人格の復元により回復が見られた。以後、被験体Hは被験体Aの“個性”に限り、変化させた身体のパーツで“個性”使用が可能となった。
以上、“個性”の制御とメンタルトレーニングの重要性を十分に述べた。育成方法として画一的な方法とはならず、実施は難しいかもしれない。しかし、近い将来、“個性特異点”が待ち受けていることを考えれば、どれだけ手を尽くしても尽くしすぎるということはないだろう。
ふむ、こんなものだろう。被験体Tは高校進学を期に顔を出さなくなったし、被験体Hと被験体Aもいつまでもカウンセリングを引き伸ばすこともできず、一度担当が変更となったときにカウンセリングの必要なしと診断されカウンセリング終了となった。これが人事考査に響いて給与が減っている。必要な犠牲だ、気にしていない、社会が悪いのであって自分は悪くない、だから全くもって気にしていないが?
気にしていないといえば、被験体Hがこちらに警戒心を抱いてから謂れのない誹謗中傷を何度もしてきたものだ。中途半端だの小物だの事実無根な決めつけも今になっては懐かしさすらある。笑顔で思い返せるほどだ、あのガキ絶対許さん。
……気にはしていないが、気にさわったのは確かで、もし自分に裏社会を牛耳る人物とパイプがあれば売り飛ばしてやろうか、と思ったのはウソではない。ただまぁ、“個性特異点”と違って裏社会を牛耳る人物など、陰謀論めいたフィクションに過ぎない。しがないカウンセラーである自分は、これからもただ黙々と患者を診ていくのだ。
先生
自分が無個性だからこそ個性の研究に心を奪われていた人。研究職についたものの、虚栄心と劣等感と自尊心がブレンドされた精神性ゆえに飛ばされて現場で働くことに。それはそれで頑張ろうと、人生の再スタートを切ろうとしていたところ初手問題児にぶつかり挫折、やはり自分には研究が必要だと中途半端に小物らしく動いていた。悪運の強さか、はたまた矮小すぎて目に入らないのか、悪意に見つかることなく仕事を続けている。