「……おおぅ。こりゃまた、雅な御庭ですねえ」
「ふふっ。ありがとうございます。当家の庭師が丁寧にそろえているんですよ」
邸内を歩くうち、縁側と思しき所に出たイオがつぶやいた感想に、目の前を歩く少女は嬉しそうに笑いをこぼしながら告げた。
キュッキュッと鳴る縁側の廊下を歩きつつ、夏真っ盛りにある生命力あふれる庭の花を眺めながら、
「ここまでされるの、かなり時間と手間がかかったんじゃないですか?」
「さあ、私は庭師ではないので何とも。でも、彼らが楽しそうに剪定をされていたりする姿はよく見かけましたよ」
「なるほど、好きこそ物の上手なれですかねぇ。あんな見事な枯山水、初めて見ましたよ」
そう言ったイオの言葉に、彼女の背中がぴくりと反応して、
「……貴方の世界にも、枯山水はあるんですか?」
「んー……正確には、ある列島諸国にと言う所でしょうか。僕の故郷であるクラム国という東国があるんですけど、そのさらに東にある洋上に、この幻想郷と同じような文化を持つ諸島があるんですよ。あそこはまさしく、風光明媚なところでしたねえ」
およそ七年間の旅の中で訪れた、緑溢れる彼の地を思い出しながらイオが穏やかに笑うと、彼女が考えこむような気配がしてから、
「もしかして、その諸島には魚を生で食べる文化も……?」
「お、よくご存知ですねえ。確かに、彼らの食文化にはそう言うのがあります。とはいえ、本当に生で食べるわけではなく、こちらで言う醤油でしょうか、魚を発酵させて作ったとされるものにちょっと漬けて食べてましたねえ。正直、初めて見たときは驚きましたよ。大抵の所だと串に刺して焼いたりして食べるのが普通でしたから」
あの美味しさは筆舌に尽くしがたい。
ちょっぴり思い出してジュルリ、とよだれが出そうになるのを抑えつつ、イオはそう言ってほほ笑んだ。
そんなイオの言葉に、彼女は益々思考の海に沈んで行きながら、
「そう、ですか……」
と呟くのみであった。
――やがて、かなり屋敷の奥まった所にまでやってきた彼らは、とある一室の前にてその足を止める。
目の前で止まった彼女につられるようにして立ち止まったイオは、障子と呼ばれるドアのようなものが連なる周囲を見回しながら、
「え、と……ここが御当主のお部屋ですか?」
「はい、少々準備がございますので、中にお入りになってお待ちください」
此方を向き、深々と一礼した彼女に言われ、イオは恐る恐るながら中に入って行った。
目の前に広がるは、イグサ香る畳の部屋。
ある種、此処は当主と客人が会う客間のような部屋なのだろう、少し広々とした空間に色々な意匠を拵えた柱や欄間、そして掛け軸などの芸術品が目を引いた。
特に、掛け軸の方は水で薄めた墨を使ったのであろうか、見事なまでに濃淡を描き分けた絵画となっている。
(……ふーん。こっちの世界にある絵画って、大体こういうのばかりなのかな)
池を、花を描ききったその絵画に、まじまじと視線を寄せながらイオがそう思っていると、ふと、入ってきた方から誰かが近づいて来る気配がした。
(およ、御本人きたかな?)
とりあえず、座って待っていようと入った所の近くの畳に、正座で来るのを待っていると、すぐに障子が開かれ、そこから先程の少女が入ってきてイオの目の前に座る。
一瞬、何故かその事に納得がいきかけて、慌てて素に戻ると、
「あの、まだ何か?」
と尋ねた。
すると、彼女はにっこりとその幼いようで何処か大人びた顔に笑顔を浮かべると、
「大変、長らくお待たせいたしました。私が稗田阿求、この家の主でございます」
と告げた後、深々と一礼をしたのであった。
―――――――――
「……なるほど、どうも門番さんの様子がおかしかったのでなんだったんだろうと思っていたら、貴女が御当主だったんですね」
そりゃ挙動不審にもなるわけだ。
納得がいき、うんうんと頷いているイオに、当主――阿求が苦笑して、
「申し訳ありませんね。流石に色々とあるものですから、どうしても貴方の人柄を図りたかったもので」
「かまいませんよ。いくらこの人里が外に出ない限りは安全であるとはいえ、どうしたって思惑が絡んでいるんでしょうから」
そう、幾ら慧音が紹介者だったとしても、能力を持つ人間と言うのは、容易く脅威になり得るのだ。
たとえ、その人間が善性だったとしても、である。
そのあたり、イオは七年間の旅の中で色々な人間と関わってきたために、事情を察する事も出来た。
「――長老衆にでも、頼まれましたか?僕の素性、そして危険性を探るように、なんて」
差し出された茶を飲みながら尋ねた彼の一言に、笑顔だった阿求が凍りつく。
だがすぐに元に戻って、
「何の御話ですか?私は唯、あなたに幻想郷縁起の、『英雄の章』に載せても大丈夫かどうかで、貴方をお招きしたのですが」
「くすくす……別に構いませんよ。僕の素性を知りたければ存分におたずね下さい。その方が貴女にとっても都合がよろしいでしょう?」
笑みを漏らしつつそう告げたイオに、それでも阿求は笑顔のまま、
「はてさて……とはいえ、教えて戴けるんでしたら、私としては願ったりかなったりです。あの、『幻想郷最速の新聞記者』にも話は伺いましたけれど……やはり、本人に聞いた方が正確性は上がりますからね」
「まあ、色々とカムフラージュにはなるでしょうね、あの新聞の記事を見ると。事実はしっかり書かれているものの、誇張した表現なども結構ありましたし」
正直、イオはそんなに好戦的な性格でもないのだが、あの新聞はその思いを裏切るかのようにかなりとんでもない事を書いていたりするから性質が悪すぎる。
とはいえ、逆にそこまで書かれると弱小の妖怪は容易に襲ってこないようにはなる為に、結果としては助かってはいた。
――助かってはいたが、だからこそあの新聞の書かれようにはちょっと腹も立つ訳で。
「……ま、阿求さんが求められている以上、僕はただ普通にあり続けるだけですよ。さて、じゃあ僕の素性と、恐らく本当の正体と思われるものについても述べていきましょうか」
「っ、どういう意味ですかそれは」
いつもののんびりとした笑顔のまま、恐らく阿求にとって予想外であっただろう事実を告げられ、困惑している彼女にイオは構わず続けた。
「――まず、初めにお伝えしておきます。実のところ、僕は純粋な人間ではありません。おそらくではありますが……龍人と呼ばれる、向こうの世界での亜人種にあたると僕は考えています。まあ、そうはいっても先祖返りしたタイプだと思ってますけど」
普通に考えて、この蒼い髪と金の眼はあり得ないですからね。
イオはそう言って、何の準備もしていないであろう彼女に、怒涛の事実を叩きこもうとしていく。
慌てて彼女がメモ帳らしき物を開いているのを流し眼で確認しつつ、イオはなおもつらづらと自身の事について述べていった。
――曰く、彼の能力は『木を操る程度の能力』であること。
――曰く、彼の特技としては、一刀流、二刀流の剣技であり、共に最高峰の技術を持っていると自負している事。
――曰く、自身の記憶が、十三の年より以前がないこと。
――曰く、持っている技術の一つに魔眼、そして闘気術がある事。
その他、魔法をある程度行使できること、元の世界において『疾風剣神』の異名を持てるほどには剣速が速いことなどを伝える。
「――大体、こんなもんでしょうかね……おや、阿求さんどうされました?」
目の前でかなり疲れたような表情をしている彼女に、イオはその原因であることを自覚しつつも、笑顔でしらじらしくもすっとボケたように訊ねた。
すると、彼女はうつむいていた顔を上げ、その眼を生ぬるく湿ったものに変化させながら、
「……あの、イオさん?いくらなんでもこんなに怒涛の勢いで言われても」
「え?慧音さんから阿求さんは完全記憶能力をお持ちでいらっしゃると聞いたんですけど?」
何を仰る阿求さん、とばかりににこにこしたままイオがそう告げると、とたんに引き攣った表情になった阿求が、
「……あー、もしかして、お怒りになられています?」
「怒る?なぜです?僕は貴女が知りたいと思っている僕の事を淡々と述べただけですよ?なぜ怒るという言葉が出てくるんです?」
おかわりの茶を飲み干しながら、なおもニコニコと笑顔を浮かべて言うイオに、ますます阿求の顔は引き攣って行く。
(あー……対応、まずったかなぁ。イオさん、多分だけど、色々と警戒されているのに結構傷ついてるみたい。とはいえ、長老衆の方は、ねぇ)
何でも屋としての、依頼報酬の金額などの設定においても、かなり良心的で信用が出来る上に、好感も持てるけれど。
やはり、力を持っている……この事実が、彼の事をよく思わない者にとっては邪魔であるのであろう。実際、長老衆の中においても、彼が幻想郷の、ひいては人里の平和を打ち壊すのではないかと恐れているものさえいたのだから。
(でも、当の本人はそれを嫌がっている……と)
どうにも、里の人々と仲良くしたいという空気がよく感じ取れた。
同時に、それは難しいだろうとも考えている。
(……二十五歳と話には伺っていたけれど……かなり、老獪ねこの人は)
よほど、政治的な分野での経験を積んで来たと見た。
(もしくは、それが積める環境におかれていたか……かしらね)
ちょっぴり、まだひきつっている笑顔を浮かべながらそう思っていると、イオは深くため息をついてから、
「……ねえ阿求さん。腹、もう割って話しません?一応、このような会話は以前にも経験がありますから対応できますけどね……黒いのは嫌いなんですよ」
――結局、人里での僕の評価は一体どうなっているんです?
「っ!」
「里の方々を見れば、僕の力を歓迎してくれている人が大半ですけど……それでも、忌み嫌い、僕を妖怪と思っている人がいる。同時に、何となくではありますが……神様のように崇めている人も、いると思います。――ですが、長老衆の人たちだけは、一貫した態度です……怖れ、恐怖。その感情しかないんですよ」
そのくせ、取り込もうだとか考えているのか、お見合い話だとか、年頃の女性がいる家へ依頼で行かせたりしたりしてますけどね。
すっかり不機嫌そうな顔になって言うイオに、阿求は一見笑顔ながら内心かなり冷や汗を流していた。
そんな彼女に頓着せず、イオは不機嫌そうな顔を崩さぬまま、
「大体、僕はまだ結婚するつもりはありませんよ。そう言うのは、お互いが本当に好き合っていなければ、とてもじゃないですが生活なんて続かないと思いますしね」
そう言う訳なので、長老衆にはそう言っておいてください。
言いたい事を全て言い切ったとばかりにそう告げたイオは、最後に残っていた茶を一気に飲み干し、ふう……と深く息をつく。
「……あの、イオさん。本当に申し訳ありませんでした。長老衆の方へは、私の口からそうお伝えいたします。それでなんですが……もう少し、貴方の事を教えて戴いても構いませんか?たとえば、こちらに来る前におられた、貴方の世界の事だとか」
「…………まあ、別に構いませんけど。正直、話す事結構ありますよ?それこそ、一日だと足りない位に」
「ええ、大丈夫です。今回の幻想入り……珍しいを通り越してイレギュラーに近いですから。こちらのほうには、何の説明もありませんでしたしね」
若干、すねたような表情になって阿求がそう言うと、イオは訝しげな顔になって、
「……?八雲紫はどうなんです?あのスキマが何か言いそうなものですが」
「――一切、何も。それどころか、貴方が人里に暮らされてからはずっと音信不通です。
今までだと、毎日とはいかなくとも、たまに来ては私とよく話したりはしていたのですけどね」
ちょっと寂しそうな表情を浮かべながら、阿求がそう告げると、イオは訝しそうにしていた顔を、何処か思考の海に入り込んでいるような顔に変化させると、
「……ふむ。あの幻想郷を一番に考えている大妖怪が、ねぇ……」
と、呟くようにして言葉を漏らした。
八雲紫によって此処に連れて来られた……イオとしてはそう考えているし、慧音も最初会った当時はそのように告げられ、そこには何の疑いもない筈……である。
阿求の言うとおりに、自身が連れてきたことなど……ましてや、それなりに話す仲であるというのなら、言わなければいけない要項であろう。
それが道理であり、通さなければならない筋だとイオは思うからだった。
(ま、妖怪の考えることだしねぇ……人間の言う事なぞ、歯牙にもかけてなかったりするかもね)
湯呑を持ったまま、イオはなおも思考を明後日の方に向けている。
そこへ、阿求が吹っ切れたような表情になって、
「さ、もうその事はよろしいでしょう。イオさん、私の幻想郷縁起の為にも、ぜひとも教えてください!」
と、わくわくしたようにそう告げるのであった。