――和気藹々と、イオが自身の休暇を楽しんでいたそのころ。
天狗達による定期的に開かれている会合が、天狗屋敷内、大会議室にて開催されていた。
平面としては長方形である木造の床の上、キチンと設えてある茣蓙が、上座である一段上の天魔が座るべき場所である所から、互いに壁際で平行になるようにして弐列敷かれている。
上座にはもちろん、天魔であるところの射命丸暁がゆったりとした正装で以て静かに茶を喫しており、一段下がった傍らには一番の右腕であり、多くの天狗達が慕う大天狗――鞍馬が、右膝の傍に刀を置き、腕を組んで静かに瞑目していた。
「――では、これより定例会議を行わせて戴く。先ず、妖怪の山近辺においては、現状目立った妖怪は生じておらず、白狼天狗達の迅速なる対応によって侵入者を阻むように対処されている。ただ、近日において少しばかり見逃せないことが起きた」
司会役を務めているのであろう、大天狗や天魔と同じ鴉天狗と思しき天狗が、その琥珀色にも似た瞳色を光らせ告げる。
「……所謂、『龍人』殿のことである」
「「「「「……」」」」」
茣蓙の上に座り、大天狗までとはいかずともそれなりに歳月を経た天狗達は、その報告に対し、一様に司会役を任じられている天狗を見るか、天魔と同じように茶を飲んでいた。
「無論、彼の人が此処に来る前、妖怪の賢者によって予め通達が成されていたことは周知のことであろうが。――事の問題は、そのような些事にはない」
少し、言葉を切り、一息に告げる。
「我々の内部に、彼の青年を招きいれること……あたうるか否か……」
「――待とうか、木葉(このは)」
だが、その文上を遮る、一人の天狗が現れた。
「……大天狗様」
その言葉を発した天狗である、鞍馬を見据え、木葉と呼ばれた男の天狗は静かに呟く。
「この議題……それはもう、散々にやってきたことじゃろう。皆もまた、色々と申したいこともあったが、結局静観するとの結論に落ち着いたではないか。何を蒸し返す必要があるのかな?」
静かな物言いながら、鞍馬は薄らと半眼を開き尋ねる。
「……確かに、その通りでは御座いましょう。なれど……彼の青年が、この天狗の組織に入る可能性が、まだ無くなったわけでは御座らぬ」
「ほぉ?」
「よく御存じの筈……あの自由を謳歌する、御嬢のことを」
「……」
木葉が鞍馬に向かい、真剣な眼差しで以て根拠を提示した。
大天狗とまでは行かずとも、十分にベテラン天狗に当たる彼のこの言葉に、ざわり……と、静かなどよめきが起こる。
しかし、そのどよめきは驚きではなく、納得が齎すものであった。
――そんな彼らのざわめきを、鞍馬は一蹴する。
「……だから?それがどうしたというのかな?」
「――ッ!ふざけている場合では……!」
飄々とした物言いに、流石に怒りの声を上げようとした木葉だったが、
「そんなものあの子が此処を飛び出して向こうに行ってしまったら何の意味もない」
「……」
唐突に、天魔――暁が静かに告げた言葉に、一様に静かになる会議室。
その言葉に頷かざるを得ないものがあったためだった。
古参の天狗達の中で思い起こされるのは、かつて起こった彼女の怒りによる大騒動。結果として、この天狗屋敷を一度立て直さざるをえない被害になったことは、彼らの中でも一番に記憶が生々しいものだった。
「……天魔様。なれど、文様がいなくなることは……」
恐る恐る、木葉がそう言葉をかけると、
「あら……すると、木葉は私達がこの程度のことで揺らぐようなものであると、本気で思っているのかしら?」
「――ッ。申し訳御座いませぬ……」
嘲笑とも、憐憫の笑いとも取れる彼女が浮かべた笑みに、思わず背筋を凍らせた木葉は、静かに平伏する。
「……埒があかないのう。どうじゃ、一度此処で頭を冷やさぬか?彼の青年のことよりも、他にも懸案があることじゃろうしのう」
絶妙なタイミングで、鞍馬が言葉を告げた。
すっと立ち上がった彼が、静かに天魔に向かって立礼すると、すすすと隙のない動きで以て退室していく。
それを見てか、天魔も同様に席を外すようだ。
居座る天狗達を睥睨し、すらりと伸びあがるようにして立つと、此方は優雅に歩み去って行った。
……ガタリ、と引き戸式の木造扉が閉められてから。
「……ぷはっ」
と、誰かが詰まっていた息を吐きだす。
「……木葉。もう少し、真面目な空気を保てないのか?」
呆れたような口調と共に、すぱん、と軽く彼の頭を叩く一人の天狗。
「し、仕方ないだろう!あのときの天魔様の目つき、本気で怖かったんだからな!?」
今までの口調は何処へやら、木葉が若々しい青年の言葉遣いで、恐らく友人であろうその天狗に向かって叫んだ。
「ああもう……怖かった」
そう言って体を抱き抱えるようにしてさすっている彼に、話しかけた天狗はというと深い溜息をついている。
「全く……普段から真面目にしておれば、木葉も良く見られるだろうに」
「しょうがないだろ……橘高(きつたか)」
じゃれ合っているとしか見えない彼らに、ジト眼で誰かが割りこんだ。
「あのなぁ……お前等、さっきまでの雰囲気返せや。真面目にやっとったんが馬鹿らしゅうなってくるんやけど?」
焦げ茶色の髪に琥珀色の瞳持つ木葉と、艶々とした長い黒髪に灰色の瞳を持つ橘高と呼ばれた天狗が、微妙に訛っている彼の言葉を聞き、後ろめたそうに顔を背ける。
そんな二人の様子に、深々と溜息をついた方言口調の彼は、
「兎も角、天狗社会が変化するかもしれへん事態なんや。幾ら、天魔様が違うと言うてはっても、それはどうしようもない事実なんは確かやろ?」
「……だが、どうするんだ?噂に聞く限り、彼の龍人殿はほぼ自給自足の上、名誉にも戦いにも何ら反応しそうにないんだがな、白雨(はくう)」
「……ついでに、女にも滅多に心を動かす様はないときてる。まぁ、人格としてみれば、この上ない程にいい奴なのはわかるんだけどなぁ」
頭の上で両手を組み、木葉がいっそ性格が憎らしければ良かったのにとぼやきながら、目の前で唸っているアルビノの白髪に紅き瞳を持つ鴉天狗の青年を見ていると、
「……一回、彼の青年と話をしてみないか?」
と、静かな声音で、橘高が案を挙げた。
既に、他の天狗達が居なくなった大会議室の中で響いたその言葉に、白雨、そして木葉も揃って眼を丸くさせ、
「せやけど……どういう名目で会う心算なん?生半な題目掲げとったら、あっちゅうまに制裁加えられへんかな?」
「そうだな……むぅ、ならばこれはどうだ?」
そう呟くようにして告げた橘高が、顔を近づけろと合図し……ぼそぼそと自分たちだけに聞こえる声で以て提案する。
――そして。
「……ふぅん、確かにそれだったらいいな。次いでに俺達も強くなれそうだし」
「妖怪相手やし、あんまり期待出来へんかもやけど……それで一回やってしまおか」
決意が込められた眼を輝かせ、ひっそりと三人の鴉天狗達が動き出した。
――そんな様子を、一人の天狗が能力で隠れ見ていることに、気付きもせず。
「……大天狗様にお知らせせねばならないな……」
ばさり、と白き白狼の翼を広げ、犬走椛が飛び立っていった。
――――――
――永遠亭、異世界より来たりし青年の部屋にて。
「……だからよ、この術式はこうなってこう動くんだって」
「あら?だったら此処はこうした方が魔力の節約になるんじゃない?」
「……そっか……そう言う手もあったな。済まん、これで結構やり易くなるぜ」
銅色の髪を持つ青年が、永遠亭の薬師である八意永琳の協力を受けながら、静かにしかし熱い議論を交わしていた。
卓上に、魔法陣が描かれた羊皮紙らしきなめされた紙を前に奮闘する傍で、永琳が薬をためすがめす見ながら、時折指摘をする様子が妙に様になっている。
「……」(ぱりぽり)
そんな二人の姿を開かれた襖の向こうから眺めながら、永遠亭の主たる蓬莱山輝夜は、人里のものと思しき煎餅を頬張っていた。
むしゃむしゃ、ごくり、と喉が鳴り、飲み下されてから、
「……何だか、あの二人凄くいい連携しているわよね」
と、若干呆れたようにも見えるその目つきで、傍らに控える兎耳の少女――鈴仙へと、ぼやいてみせる。
話を振られた彼女は、何処となく不満そうに見える輝夜の様子に苦笑しつつ、
「あはは……何分、思考回路が似ているんだと思いますよ。どちらも、天才なんて呼ばれてるんですから」
「……むぅ。ちょっと詰まらないわ」
口先を尖らせ、輝夜が言葉通りに詰まらなそうな表情になった。
そして、
「あーもう……なんか面白いことないかしらねぇ~。あの馬鹿妹紅も最近はなんか変に突っかかって来なくなってきちゃったし」
あーあーたーいーくーつーと、卓袱台の上に寝そべり、不貞寝をし始める。
かつて、古き都の中において絶大なる美貌故に持て囃された姫とは思えない、それでいて一番に彼女らしい行動であった。
「姫様……」
流石の鈴仙もその行動には呆れるしかない。
とまぁ、そんな風にして穏やかに時が過ぎた頃だった。
「――ラルロス。貴方の親友は元気にしているのかしら?」
ぽつり、と永琳がラルロスに向って問いを放つ。
ちょうどそのとき、彼は新たに魔法陣を描き上げていた所であり、
「あん?なんだよいきなり」
と、羽根ペンらしき筆記用具を片手に、永琳の方を向いた。
その視線の先にいた彼女は、そんな彼の様子に動じることなく泰然としており、
「別に、何かしらの意図を企てている訳ではないわ。ただね、最近此処にやってくるようになった患者さんからは、龍人様という言葉をよく耳にするようになったものだから」
「……そういや、あいつ人里じゃあそう呼ばれてたか。まぁ、上手くやっていけてるようではあるみたいだぜ?偶にあっちいくことがあるが、悪い噂を聞いたためしがねぇな」
人里じゃあ獲れねえ、鹿肉やら猪肉やら狩ってきているみてえだしよ。
再び作業に戻ったラルロスが、かりかりと音を響かせながら特に考える様子もなくそう答えると、永琳はそのまま黙りこんでしまう。
「??一体どうしたのよ、永琳。妙に考えてるじゃない」
不思議そうな表情で、輝夜が行儀悪くのそのそと這い這いしながら、そう訊ねた。
「あの龍人、基本的に無害な奴でしょ?何か考える要素でもある訳?」
「……姫さんよ、アイツ曲りなりにも剣術では最高峰の腕持ってんだが」
呆れたようにそう突っ込んだラルロスだったが、彼女はそれを華麗にスルーして、
「ねぇねぇ、どうしたのよ本当に」
と、永琳の服の裾を引っ張りながら、彼女に問い続ける。
ぴきり、と無視された形のラルロスが憤然として息をつき、猛然とした勢いで再び魔法陣へと体を向けた、そのときだった。
「――いえ、大丈夫よ。あの子は只の好き隣人であると再確認出来ただけだから」
「……その言い方……まるで、今までアイツを仮想敵として見ていたと言ってるように聞こえるが?」
親友の話題であるためか、再び体を向き直してそう問うラルロス。
意外なことに、親友が敵性存在であるかのように言われていた点について怒っている様子はなく、ただただ冷静な光がそこにあった。
そんな彼の言葉に、月の頭脳はふっと苦笑して、
「何もそんな真剣な眼になる必要はないわ、ラルロス。私達は、曲りなりにもかつて異変を起こし、八雲紫を始めとする異変解決者達――イオも含む、ね――に退治されることによって、この幻想郷に真に住人として認められた。……でもね、それはあくまでもこの幻想郷の住人として認められているだけで、余り、人妖と関わりを持たなかったのが現状ね。まぁ、医者と薬師が余り表に出しゃばるようなことはないのは確かだけれど」
つらつらと述べていく彼女に、しかし周りの者たちは口を挟むことなく、真剣な眼差しをしている。
そんな彼らを見廻しながら、
「そんな折……ラルロス、貴方がこの永遠亭に研究室を構えたわ。目的としては、貴方が此処に残していったあの魔法陣の監視である訳だけれど……それは、副次効果を齎すことになった」
――イオ=カリストという、幻想郷の勢力の一角が、接触をするようになったのよ。
「……アイツはそんな堅苦しいことなんざ、考えちゃいねえぜ?単純に親友が世話になってるから、その礼も兼ねて依頼を受け付けてくれてるんだろうさ」
「フフ……でしょうね。何ら後ろ暗いことをしていないから、仮想敵性勢力である此処を訪れることが出来るわけであり、各勢力がそのことを聞いたとしても、あっさり警戒を緩める程度には――イオ=カリストという存在は認められている」
無作為の行動である筈が……何時の間にか浸透している。
(……本人はあれで、なんでもないように振舞っているのだから、恐ろしいものね)
仮にも幻想郷の有力者の一角を気取れる筈の実力者であるが……上層部の中では信頼に値すると認められ、ある種の特異点として在り続けられる彼には、その行動の本意が天然であれ、作為であれ、侮り難い人物であると伺わせるのだ。
「……難しく考えるのは仕方ねえかもしんねえが……アイツ平和主義だからな……?」
やれやれと言わんばかりのラルロスが、再び煎餅を齧り始めた輝夜には妙に印象に残ったと、後に彼女は述懐した。
――――――
「――ふぅ……今日も今日とて、花達がやたらと咲き誇っているわね」
幻想郷――遥か東に在りし、神が宿る社。
名を博麗と号する、幾らか古びているその神社の母屋の縁側で、いつものように彼女が茶を喫していた。
毎度、イオが妖怪退治をする度に持って来る賽銭や、自家製の野菜や保存できるよう加工された肉類のお陰で、彼が来る前とは殆ど比べものにならない程に現在の生活は充実しており、正直に言えば、彼が来るのを心待ちにするくらいには、彼を友と思えている。
とはいえ、博麗神社の主たる巫女――博麗霊夢は、その心中を詳らかにすることは無いだろうが。
「――おぉい、れいむー」
のんびりとした幼き声がすると共に、フゥ……と何かが萃まる気配がすると、霊夢のすぐ傍に角を生やした幼女が出現した。
言わずもがな、幻想郷から消えたとされる大妖怪の一角、『鬼』である伊吹萃香である。
「……まぁた、この酔いどれ幼女は。何?酒でもせびりにきたわけ?」
だが、霊夢はやや面倒そうな表情を浮かべ、傍に座って瓢箪から酒を飲んでいる彼女にいい顔をしていないようだった。
それもそのはず。
彼女がこうして現われるのは、何時だって霊夢が何処かから酒を入手してきた時に現われることが多かったからだった。
「おぃおぃ、ヒドイねぇ……只遊びに来ただけだって思わないのかぃ?」
とはいえ、そんな霊夢の態度に何ら含むものは無いらしく、けらけらと萃香は笑うばかり。
少なくとも、霊夢が苛立つことなぞ意にも介してないことは明らかだった。
にやにやとして見つめてくる彼女に、不機嫌そうな表情になった霊夢は、
「アンタが酒以外で用事のあったことなんてあった?大抵私がイオにもらった酒だとか、人里の酒を買ってきた時ばかり現われてるじゃないの!」
「おぉっと、流石に今回は別だぜぃ?その証拠に、今日は酒を買っても、もらってもいないだろぅ?」
食えない笑顔を浮かべながら、萃香が霊夢に向かって煽るようにして告げる。
とはいえ、確かに今日だけは霊夢は彼女がやってくる用事など他に思いついていない為、仕方なしに溜息を深くすると、
「……じゃあ結局何の用事よ?言っておくけれど、詰まらない用事だったら退治するから」
じっとりとした眼つきで、何時の間にやら大幣を構えて萃香と向き合った。
「おおこわいこわい。……まぁ、なんだ。そんなに身構えるようなことじゃないさね。――紫から伝言だよ」
「……あのスキマが伝言?何があったのよ?」
「さぁね。空をふらふら漂ってたら紫の奴が現れて、霊夢に言付けたのさ」
――『カミオロシの修行を始めろ』だとよ。
「……まぁた、何か企んでるわね……たく、今度は何をしでかす心算なのやら」
益々不機嫌そうな表情に変化した霊夢が、大幣を下げ、憤然として腕を組む。
「先だってこの花ばかりの異変の前にイオが暴れたばかり……それだって、勝手に始まって勝手に終わったことだし。何で用意しなきゃいけないのよもう」
むっすりとした表情で、霊夢がぼやいた。
「私に訊かれても困るぜぃ。ただ伝言頼まれただけだしさぁ」
けらけらと再び笑いながら、萃香がからかう様にしてそう告げる。
「むぅ……その他は?何か言ってた?」
考える素振りを続ける霊夢がそう問えば、萃香は一瞬空を見上げると、
「そうだねぇ……ああ、こんなことを言っていたか」
――『月が……近くなる』とね。
「月ぃ?……嫌な予感してきたわね……」
思いも寄らないその言葉に、霊夢は言葉通りに嫌そうな表情になった。
「まぁ、考えるのは自由さね。紫に言われた通りにしてやんな」
「全く、もう……他人事だと思って」
じとり、と目つきを生温い物に変えながら、霊夢は仕方なさそうに溜息をつくと。
すくっと立ち上がり、博麗の秘術が仕舞われた倉庫へと向かっていくのであった。
――――――
――此処は、境界が齎す、世界と世界の狭間。
――何処にでもあり……何処にでもない。
――ただただ、虚無ばかりが広がるのみ。
――なれど、働きかけるものありけり――。
「――首尾の方、どうなったの?」
紫にも、赤にも、蒼にも……とにかく千変万化していく空間の中、ひっそりと涼やかな女性の声が響いた。
しかし誰も、その声に応える者などいない筈が、凛とした声音がその静寂を打ち破る。
「……全て、順調に御座います……紫様」
白面金毛九尾。
艶やかな狐の尻尾を九本も持つその妖怪は、誰かの式神であることを示す紙が縫い付けられた帽子を被っており、その主と同じように唐風の服を着用していた。
――八雲紫の式神たる、八雲藍。
肉食たる獣であるが故の縦に切れあがった瞳孔に、彼女の主である紫の姿を映しながら、静かにその指示が下されるのを待っていた。
ぱちん、とその紫の持つ扇子が開かれ、すす……と口元まで上げられる。
「ふふ……スキマで覗いてみれば、あの子もカミオロシの修行を始めたようだし。イオも、此処暫くは休みを取っている。首尾良く運べば……巻き込めるわね」
くすくす……と何時になく大妖怪の気迫を洩らしながら、紫はそう嘯いた。
「ですが……大丈夫なのですか?『月へ侵入する』など」
だが、彼女の部下であり大切な家族でもある藍が、不安を口にする。
ちらり、と紫がそちらを見やれば、その言葉通りに不安そうな表情をする藍と眼があった。
「まぁ、あの時かなりの大打撃を食らったしね。――言わば雪辱戦とも言っていいわ。とはいえ、あの時とは違ってイオがいることだし……あの綿月の妹とどんな勝負をすることやら」
ふふふ……と黑い笑顔を見せる紫。
「やはり、『綿月依姫』と戦わせる心算でございましたか」
「当たり前でしょう?以前月に侵入した時は本当に危なかったもの。よもや、浄化の焔で焼き焦がされかける羽目になるとは……思いも寄らなかったしね」
まぁ、お陰で幻想郷に無用な争いを齎すであろう妖怪達は少なくなったけれど。
酷薄な笑みを浮かべ、紫は嘲笑した。
――さて、此処で説明しよう。
彼女たちが言う、『月への侵入』……それは、かつてこの幻想郷が出来た、或いは出来上がりつつある頃に起こった出来事である。
当時、八雲紫は人間と妖怪が共生する世界――つまりは現在の幻想郷を指すのだが――を創り上げる際、並々ならぬ苦労をしていた。
というのも、人間という存在なくしては妖怪という存在が存在出来ないこと……そのことに、当人ならぬ当妖怪たちの中において、嫌がる者が出てきた為である。
それは、主にして男の妖怪が殆どであった。
……妖怪という存在のなかにおいて、男の妖怪というのは存外にして少ない。それは大概性質として好戦的であるが故に、数を減らしていったからというのも原因の一つ。
反面、女妖は見目麗しい者が殆どであり、性質的にも争いを好むことなく種の保存へと特化していた。
それ故に、幻想郷の人妖の構成は女妖が大半を占めているが現状なのである。
「……吸血鬼の小娘もどうやら以前の月の異変で、あの薬師がいたという月に興味を抱いたようだし……これで、こっそりと外の世界のロケットの仕組みを書いた本を入れておいたのが効を奏すわ」
「後は……どの位舞台に上がる者が増えるのかでしょうね」
「あら、大丈夫よそれは。イオが付いていく時点で、ほぼ集まっているも同然だから」
安心しなさい、と嘯く紫に、藍は未だに不安そうではあるものの取り敢えず頷いて見せるのであった。
――――――
――妖怪達の密やかな思惑を知ることなく、人里の寺子屋では何時ものように騒がしい授業が行われている。
普段、妖怪と人間とを分けて行われているそれは、どうしたことか、今日に限って異なる種族で教室が賑わっていた。
「――はいはい、授業を始めるぞ!」
ぱんぱん、と両手を打ち叩きながら、寺子屋の教師である上白沢慧音が教室に入り、黒板の前に立つ。
少しばかりざわめいていた彼らは、その言葉でようやく静かになっていった。
その様子に満足そうな表情を浮かべて頷いた慧音は、こほん、と咳払いをすると、
「さて、今日皆に集まってもらったのは他でもない。いつもであれば、妖怪や人間それぞれで授業を分けてきたが、今日は皆で受けてもらうことにした。というのもだな……」
と、そこで言葉を区切った彼女が教室全体を見回す。
「皆、改めて訊くまでもないことだが……此処は、いや、この世界は一体なんだ?」
「……???」
「なんだって……慧音先生、『幻想郷』でしょ?」
彼らにとってみれば当たり前過ぎるその質問に、むしろ意図が読み取れずに生徒達が困惑した。
だが、慧音はそれににっこりと満面の笑顔を浮かべて頷くと、
「ああ、確かに。この世界は『幻想郷』だ。――『妖怪と人間が共生する』……な」
「あれ?」
「う~ん……?一体何が言いたいんだよ慧音!」
三対の氷翼を煌かせ、チルノが頭から湯気を出しかけながらそう問うと、
「あ~……うん、まだ分からないか。もっと言ってみるぞ?――『妖怪と人間が仲良く出来る世界』だろう?」
流石に此処まで言っても分かってもらえなかったことに少々気が落ち込みつつも、慧音が何とかそう言葉を紡いだ途端。
「あ、そうか!今日の授業、妖怪も人間も一緒に遊ぶってこと!?」
がたがたっ、と音たてて立ち上がりながら、寺子屋の授業が終わった後イオの道場に通う習慣がある少年――心太が、きらきらと眼を輝かせて叫んだ。
普通であれば、大人たちが眉を顰めるようなその言葉に、しかし、慧音は深々と頷いて、
「――ああそうだ。偶にはこんな授業もあった方が皆も喜ぶと思ってね。さて、そういう訳で今日は何をして遊ぼうか」
普段授業で宿題を忘れた者に対する粛清の時とは大幅に異なった笑顔で、静かに彼らに尋ねる。
「サッカーしよう!」
「えーでも、下手に蹴りが強いとボール壊れちゃわない?」
「大丈夫!イオ兄が作ってくれたボール、何かの樹液で出来てるみたいで、やたらと跳ねるから!」
「……むぅ……逆に危ない気がするのは気のせい?」
ガヤガヤと騒がしくなってきた彼らの声に、慧音は苦笑して、
「ほらほら、楽しみなのは分かるが、ちょっと落ちつこう。――それで、さっかー、だったか?それで遊びたいのは何人いるのかな?」
と、再び両手を打ち鳴らしながらそう尋ねると、すぐさまばばっと手が沢山挙がってきた。
ひーふーみー、と数えながら、慧音はその手の中にチルノ達妖怪が幾人か混ざっていることに気づく。
「チルノ……大丈夫なのか?」
思わず、と言ったようにそう尋ねてくる慧音に、チルノは何時ものように何故か自信満々な笑顔を浮かべて頷くと、
「だいじょーぶ!あの何でも屋から色々と教えてもらってるんだ!弾幕ごっこも楽しいけど、最近はサッカーもやるようになってきてるし!」
正しく天真爛漫といった風で、きらきらと笑顔を輝かせていた。
「はぁ……この状態だと、言っても聞かなさそう。仕方ないし、僕もやるよ」
そんなチルノの様子に、色々と突っ込みたいのを堪え、リグルが何時もの燕尾服めいた服装でそう告げる。
その様子に何時もチルノと一緒にいる大妖精が苦笑して、
「あ、あはは……ちょっと、私は無理かな。そんなに体が動くわけじゃないから」
「私もちょっと遠慮したいかな。この後も屋台を引かなきゃいけないし」
そういう訳だから、私は向うの女の子達とまま事でもしているよ。
そんな風に告げて、タッタッタと立ち去ったのは、ヤツメウナギを捌き蒲焼きなどにして作っているミスティア。
やはり、衛生的な面も考えているのだろう、今にも駆け出さんばかりの男子たちとは別に、大妖精と共に、女子が集まっている方へと向かっていた。
若干、その様子を見送ってから、チルノはよぉしっと声を上げ、
「じゃあさ、どういうふうに別れる?じゃんけんで勝った方と負けた方にする?」
と、周囲の子供達に話しかけていく。
楽しそうに笑い、交流を交わすその様は、幻想郷を体現しているかのように鮮やかで……何よりも、失い難いものを、慧音は感じていた。
「……随分とまぁ、遊んでるねえ」
その様子を微笑ましげに眺めていた慧音に、ふと、一人の女性が話しかけてきた。
ざく、ざく、と土が踏み固められる音を敏感に聞き取りながら、
「おや……妹紅じゃないか。人里に来ているとは珍しい」
背中まで伸びる白銀の髪を持つ赤白の服を着ている友人に、慧音が表情を緩ませてそう言うが、彼女は苦笑するままに首を振って、
「いや、たまたまだよ。ちょいと足がこっち向いただけだって」
「それでも、来てくれたのは嬉しいよ。……今日はどうした?」
「――まぁね。暖かい季節になったもんだから、散歩するのもいいかなって思ってさ」
イオ&ラルロスと戦った時の迫力などなかったかのように、妹紅はにへらと笑う。
「ほぉ……いつもあの永遠亭の姫と戦ってばかりだった妹紅がね。ふふ……そうそう、あの何でも屋のイオも、ここ数日休みを取っているんだ。知っていたか?」
くすくすと、楽しげな笑みを洩らしながら慧音が告げたその一言に、妹紅がやや嫌そうな表情になると、
「よしとくれよ。アイツの話題は」
と苦々しそうに文句を言った。
その様子に、明らかに原因を知っているかのような、正しく、西洋の童話に出てくる猫のような悪戯っぽい笑顔で、
「ふふ……どうした?」
「どうしたもこうしたも……この間の冬のとき、アイツに私のこと頼んだの慧音だろ?」
「そうだな……何時も私の言うことを聞いてくれない妹紅が悪いんだぞ?そうでなければ、私だってイオに頼むなんてことしなかったさ」
寺子屋の脇にある母屋の縁側から、子供達の騒がしくも愛おしい歓声が聞こえてくるのを聞きながら、慧音はやや口先を尖らせてつーんとそっぽを向く。
そんな彼女の様子に、慌てたように妹紅が手を振り、
「わ、悪かったって。アイツに頼んでくれた薪は本当に助かったよ。でもよ、正直あの何でも屋と顔を合わせるのはちょいとな」
「そりゃあ、それだって妹紅が悪かったじゃないか?イオが言っていたぞ、『露出狂の変態』だとな」
「くっ!!?アイツめ……私をそんな眼で」
「言っておくが……私も同感だからな?何でも、イオとラルロスだったか、友人の男と戦ったら服が燃え尽きて、素っ裸になった状態でイオに詰め寄ったんだろう?そりゃあ、客観的に見ても変態以外の何者でもない」
「わ、私のせいじゃない!アイツ等が無駄に強力な攻撃仕掛けてきたのが悪い!」
まるで駄々っ子のように、妹紅が慧音に向かって抗議するが、
「だったら永遠亭のあの姫と戦わなければいいじゃないか」
という言葉に轟沈した。
静かになった妹紅に、慧音はふふん♪とやや勝ち誇ったかのような表情を浮かべると、
持って来ていたお盆から湯呑を持ち上げ、すす……と静かに飲み始める。
悔しそうな表情を浮かべていた妹紅はというと、既にお盆の上の湯呑に手を伸ばしており、やけ酒でもするかのような飲み方で茶を飲んでいた。
子供達が一旦休憩をしにいったのか、若干静かになった広場を見ていると、先程まで騒がしかった筆頭の妹紅が言葉を放つ。
「……なぁ、慧音。あの何でも屋……人里じゃあどういう扱いされてるんだ?」
静かな調子で放たれたその言葉は、確かに慧音の耳に届いた。
真剣な眼差しで問うてくる彼女の顔を横目で眺め見やりながらも、慧音はそうだな……と呟き、
「――ある人にとっては、『命の恩人』。――ある者にとっては、『己が実権を奪わんとする者』。そして、何よりも。大地を耕す者にとっては、『神』にも等しい人物だな」
と、再び騒がしくなってきた広場を見ながら、そう答える。
「……ふーん……」
「……しかし、またどうしてそんなことを?」
何処か上の空のように返事をする彼女に、やや訝しそうに慧音が尋ねると、
「私があの竹林に迷いこんできた奴を案内してるの、慧音は知ってるだろ?そいつ等、よく案内の途中で話してくれるんだ。最近の作物の育ちはどうだの、あそこに住んでる長老がどうだの、ね。聞く限りじゃ、あの何でも屋、色んな所で噂されてるみたいだよ?」
「……なるほど、な。ふむ……」
妹紅の齎してくれたその情報に、慧音が腕を組んで考え始めた。
――実の所、イオの立場はかなり微妙だ。
何でも屋という職種である関係上、イオの雇い主は其れこそ千差万別。上位の実力を持つ妖怪が雇い主になることもあり、また、人里の警護を任されている慧音さえも、彼女の授業の手伝いとして雇われることもある。
しかし、それでも彼は己が心情に従い、明らかに『悪』であると断定できる依頼はけして受付けなかった。
――寧ろ、率先して人攫いなどの悪業を積む集団を退治していると言っていい。
彼女の言葉にあった、『命の恩人』……それは、文字通りの意味であった。
……だが、それ故に……。
「……長老衆は、危険視する」
「ん?なんか言った?」
小さく呟いたその一言に、偶々声が聞こえたのかひょっこりと妹紅が声をかけてきた。
縁側の上で行儀悪く胡坐をかいているその姿に、若干苦笑しつつも、
「いや……イオは大変だな、とそう言ったんだ」
と言葉を返すのだった。
――――――
――揺らめき、歪み、ひっそりと企む者達。
そんな彼ら、彼女らの雰囲気を知ることもないイオはというと……。
「――兄様!一緒に弾幕ごっこやろう!」
「ぉお!?ちょ、流石にいきなりスペル出されても困るんだけど!!?」
吸血鬼の妹が放つ、逃げ道が閉ざされたスペルから逃げ惑っていたのであった。
危険視したり、何処か憎めない奴だったり。
天狗の新聞や直接の関わりで、妖怪は困惑し、人間は戸惑う。
それはそれとして、友好を結びたいと願う者もいる。
感情を、思考を持つ以上、好意も嫌悪も等しく存在する彼らは、これから先イオにどのように接していくのであろうか?