一夜が明けた翌日。
慧音宅にて朝食を取った彼らは、食後の片付けの手伝いをした後、緑茶をすすっていた。
「……まあ、昨日の話の続きになるが……いいかな?」
湯呑とここではいうらしい陶器のコップを、カタリ、と居間のテーブルに置いた慧音が、真面目な顔つきになって話しかけてくる。
「ええ、構いませんよ。こっちもまだ訊きたい事もありましたし」
のんびりと、テーブルを挟んだ先でイオがそう返すと、
「そもそも、幻想郷というのは一体何なんですか?今まで生きてきて、そんな里の名前など、初めて聞きましたよ」
一転して、キリッとまじめ顔になって訊ねた。
「――君は、どう思ったんだい?ここに来てから今に至るまでの感想として」
「…………失礼だとは思いましたが、あえて申し上げます」
――管理された、箱庭なんじゃないかと思いました。
「っ!…………どうして、そう感じたのかな?」
「理由ですか……この子、ルーミアの存在です。彼女自身が自身も含めて危険だと言われているのに、妖怪でしたっけ?昨日も含めて今に至るまでそのような存在が里に襲って来ている様子がないこと。たまたま、気まぐれで襲わなかったとみる事も出来ますが……向うの事、昨晩お伝えしましたよね?」
イオに言われ、慧音が一瞬考えるそぶりを見せると、眼を見開き、
「――もしかして、ぎるど、と呼ばれるものだったりするかな?」
訊ねてきた彼女に、イオは静かにうなずくと、
「ええ……ここならば、多分何でも屋と呼ばれると思うのですが……犯罪行為以外の依頼を随時受け付けている所なんです。その受け付けられている依頼の中には、魔物討伐という依頼も含まれます」
そう、彼が元いた所は危険な世界。
弱肉強食が罷り通る、血を血で洗う修羅の世界なのである。
力無き者にとって、意志と自我を持つ魔物、ゴブリン、そしてオーガやドラゴンといった存在は、容易に人類に対する脅威になり得るのであった。
「――集落が襲われ、人型の魔物、或いは獣型の魔物によって人類が殺されていく様を見た事もあります。女性が襲われ、魔物の苗床にされてしまった風景も、見たくはなかったですが存在しました。……それに比べて、ここはどうでしょうか。脅威とされている筈の妖怪は、人里を襲う事もなく共に在り、こうして今僕の膝の上で眠っています。……人外と人間が、こうも双方共に、穏やかに過ごしている場所を僕は他に知りません」
旅の経験と共に告げられたその言葉は、かなりの説得力を伴い、慧音の息を詰まらせる。
「……確かに、管理というのは大当たりだろう。つまるところ、この世界は力を失った妖怪、神達の最後の楽園だと言われている。他にも、行き場を亡くした者たちにとっても……だ」
真剣なまなざしに戻り、慧音は続けた。
「――八雲紫。妖怪の賢者と呼ばれる彼女。そして――博麗の巫女、博麗霊夢。この二人によって、この世界が守られていると言っていい。彼女たちが張る二つの大結界が、外界とこの世界を切り離した事によって、この世界が存在しているんだ」
「んー……でも、それだけなら、妖怪だけの世界にすればいいんじゃないんですか?なんで、人間もいるんです?」
「それは……妖怪たちが、人間によって生かされているからだろう。君は知らないだろうが、かつて外の世界では神秘と幻想が充満していた。人々が自然に対して畏怖の念を持ったりすることで、妖怪や神が生み出されて来たのだ」
「あー……何となく、わかる気がします。僕の世界でも、多神教として崇められていますし、僕自身も、木属性を司る神様と、創世神様は信仰してました」
「ふむ……やはり、人によって形作られているのだな……と、それはともかく。こちらの世界では人が進化するに伴い、神秘を信じる者が減って行ったんだ。その事を危惧した存在が、ここでは妖怪の賢者と称されている、八雲紫だよ。彼女は現状を憂えて、こうして幻想を守るために、妖怪たちの食糧の意味も含めて、人間を引きこんだこの世界を創り出したんだ」
「……下手すれば神に近くないですかそれ」
偉業といえるその行動に、イオが頬を引き攣らせると、
「ところがそううまくはいかなかった。肝心の妖怪たちが管理されるのを嫌がってね。まあ、今になってはその不満も抑えられているし、強い妖怪たちによって統率されたから」
「だったら、今僕が此処にいる理由は何なんです?全然思いつかないんですけど?」
「そう、そこだ」
真面目な顔つきのまま、イオの言葉にうなずいた慧音は、
「此処に住む人間は元々住んでいたものか、それとも外からやってきたものかのどちらかしかない。――それも、世を儚んで死のうとした者たちが、ね」
「――それ言っちゃうと僕が自殺志望者になるんですが?」
「待ってくれ。例外があるんだ。――八雲紫が、君を連れてきた可能性だ」
爆弾を投げつけてきた彼女に、イオはすっかり忘れられてすねたルーミアが、イオの膝の間で背中を預けて来たのを撫でながら凍りつく。
――それでも、ルーミアの頭を撫で続けているのは流石としか言いようがないが。
「……えー、まっさかー。何で連れてくる必要があるんです?僕とその人、全く関係ないじゃないですか」
「――彼女が常々、言っている事がある。
――『幻想郷は全てを受け入れる……それはそれは、残酷なこと』
と。たまに、何処かから人間を引っ張り込んでは、この世界の人間の存続をしているんだよ。妖怪の、神の維持をする為だけにね」
「…………さっきの言葉、取り消します。――ただの、ハタ迷惑じゃないですかそれぇええ!!!」
わなわなと身を震わせわめく彼に、
「んー……うるさいぃ」
「あ、ごめんなさい」
寝言だろう、眉を顰めながら文句を言っているルーミアに、素に返ったイオが謝るという事件はあったものの。
「とにかく、単なる迷惑で此処に来させられたのだったら、帰らせて頂きます。あっちでやらないといけないこともあるんですよ」
「――だったら、博麗神社に向かうと良い。この里を出て、東の方角へずっと行けば幻想郷の出口にあたる彼の神社があるんだ」
「……歩いて、どれくらいかかります?」
ずっと、という言葉に反応してか、若干不安そうに尋ねたイオに、慧音が困ったような表情になると、
「あー……申し訳ない。実のところ、人里の警備を任されているものだから、あまりこの里の外に出るという事がないんだ。だから、ちょっと分からない」
本当に申し訳なさそうに謝ってくる彼女に、イオは慌てて手を振りながら、
「いやいや、泊めて戴いた上に食事まで戴けたんですから。これ以上は流石に甘えすぎになりますよ。大丈夫ですよ、行く先に妖怪が出たところで、僕にとっては魔物と同じような感じですから」
あっはっは、と軽やかに笑っているイオに、慧音はやれやれと首を振ると、
「ルーミア。起きてくれないか?」
と、えへへー、と笑顔を浮かべながら眠っているルーミアに、穏やかに声をかけた。
「んぅ……けーね、どーしたのー……?」
「すまないけれど、イオを博麗神社に送ってもらえないか?歩いて行く事になるんだけれど……」
「……うん、分かったー。空から行った方が早いけど、頑張って案内するよー」
眼を擦りながらも、それでもルーミアは快諾する。
立ち上がり、イオの傍で伸びをしているルーミアを眺めていると、ふと、先程の言葉に気になる単語があったのを思い出し、
「……空から行ける?あの、慧音さん……どういう意味なんですかそれ?」
と、慧音に向ってキョトンとした顔で訊ねた。
すると、彼女はぽんと手を打ち合わせ、
「――ああ、そう言えば。君はこの世界の常識を知らないんだったな。百聞は一見にしかずというし、一回外に出てみよう」
「は、はあ……?」
妙に浮き浮きとしている慧音に、イオは益々首をかしげるのであった。
――――――――
所変わり、寺子屋前。
「それじゃ、ルーミア……飛んで見せてくれるかい?」
「はーい。……それ~!」
フワリ。
舞い上がる綿毛の様に浮き上がったルーミアに、イオは心底から驚愕した。
「な、なななんだそれー!?」
「――あはは!いやーいい反応だね。改めて説明するが、この世界では実力者に範疇する者は、妖怪も人間も含めて空を飛ぶことが出来るんだ」
イオの驚愕に、心底から楽しそうに笑う慧音。
「……マジか。すごいなー」
「えっへん、どんなもんだい!」
(んー……やれそうかな?)
胸を張っているルーミアを見つつ、イオは静かにイメージを固め始めた。
そんな彼に気づかず、慧音が、
「大体、この世界で使われている力というのは、三つが主になっていてね。それぞれ妖力、魔力、霊力というんだが、妖怪たちの中には飛ぶことに特化した者もいるくら「……あ、出来た」……って、何やっているんだ君は」
楽しそうに説明している間に、いつの間にかイオが空を飛んでいる事に気づき、茫然とした様子で訊ねた。
「いやー、やってみたら出来ました。でも、意外に結構難しいですねえこれ。踏み込みから飛び上がった事はありますけど、大体すぐに落ちちゃうし」
ふわふわと、ルーミアのそれと違い不安定な自身の体に、イオは困ったように笑っている。
その様子に慧音は頭を抱えると、
「いや、それは飛ぶとは言わないだろう……全く、君は規格外の外来人だな本当に」
こちらが笑いたいくらいだよ、と慧音が愚痴っていると、イオはあわてて、
「ま、まあこれで行き易くはなりましたよね?元々、空から行った方が早いと仰ってたんですし」
「だからってすいすいと飛ばれちゃったら、けーねの顔が立たないと思うよー?ほら、見てよ。あのけーねがすっかり頭抱えちゃった」
「いやーあっはっは、いっそのこと、今まで持ってた常識捨てちゃおうかと」
呆れたように突っ込んだルーミアに、イオは半ばやけっぱちの様に思いでそう言い放った。いっそ、清々しいとさえ言えるほどに、彼の顔が輝いている。
その様子に処置なしとみなし、慧音が疲れたように溜息をつくと、
「では、頼んだよルーミア。そこの奇想天外な外来人を案内してあげてくれ」
「うん、行ってきまーす」
「今日、授業があるから来るんだぞー」
フワリ、と体の向きを変えて飛んでいこうとする彼女に、イオも慌ててあとからついて行った。
「うん、分かったーまた後でねー」
「さようなら、また、御縁があれば会いましょう……!」
手を振りながら飛び去って行った彼らに、慧音は少し眩しそうに眼を細めて見送ると、
(――にしても、あの賢者は何を考えているんだ?)
今までの外来人と、全く様相が異なる今回の外来人の来訪に、正直何かが幻想郷に迫っているのではないかと思ったものの、すぐにその想像を打ち消し、
(まあ、いい。ここには幻想郷最強たる、博麗の巫女『博麗霊夢』がいる。そうそう、変な事は起きないだろう)
そう考えると、慧音は今日も授業を行うべく、寺子屋へと戻るのであった。