東方剣神録   作:上田幻

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武稽古を終え、一息入れようと天狗三人組とイオはイオの家の居間へと移動していた。
かなり激しい稽古だったこともあり、イオは兎も角三人組はどうやら疲れているようで……?


第五十五章「語り合うは新たな友」

 

「……うぅ……えらい眼におうた……」

――カリスト宅、居間の卓袱台の上で、白雨がぐったりとしながらぼやいていた。

「ははっ。いや、マジで御苦労だったな、白雨」

思わず、と言ったように笑う木葉も、やはり、鍛練がかなりきつかったと見え、焦げ茶色の眼が、何処かぼんやりとしているようだ。

 時はお八つ時。

 計二時間程の修錬は、こうして疲れ果ててはいるものの、彼等にとっては十分な収穫だったと言えよう。

「お待たせー。人里で買ってきた饅頭だよー」

御茶と共に現れ、イオがニコニコと笑いながらお盆を持ってきた。

 見れば、そこには上質な和紙で包まれた小さめの直方体とも言える物体が皿の上にそれなりに盛られており、傍らに、湯呑に入れられた煎茶が静かに湯気を立てているのが見える。

「おぉ!何処の甘味だ?」

娯楽が少ない幻想郷において、甘味は男女区別なく好まれているものである故に、木葉がぼんやりとした様子から立ち直って、嬉しそうに身を起こした。

「ん、優吾ってさっきの道場でしゃべってた奴がいたでしょ?話を聞いたとこによると、アイツの実家が遠藤屋って甘味処をやってるみたいでさ。美味しいって評判みたいだから買ってきたよ」

ほらさっさと体起こして、白雨。

 邪魔になっている白雨の体をぺいっとどけ、イオが湯呑を置きながら説明する。

 うぐぁ、と悲鳴を漏らし、床に投げ出された白雨がようやく体を起こすと、

「……会うてからこの短時間で、えらい遠慮のうなって来たなぁ……」

「ん?うーん……なんかさ、白雨って遠慮しないでもいいかなって想わせるとこがあってねぇ……何でだろ?」

「あー…………うん、まぁ。仕方ねぇなそりゃ」

「しゃあないあらへんやろ!?いや、別にワイだって遠慮せんでくれた方が嬉しいけど!」

小首を傾げているイオに心当たりのありそうな木葉が苦笑して、白雨が柳眉を逆立てて怒った。

「――波長でも合ったんじゃないのか?少なくとも、俺はそう考えているが」

と、そこへ、今まで静かに坐していた橘高が、口の端に笑みを浮かべながらそう告げる。

「結構珍しい感じだよなぁ。こうまで遠慮しないで言い合えるのってよ」

「あはは、僕もそう思うよ。何分、なんか知らないけどやたらと周りが女の子ばかりだし」

「……おんな、のこ?」

白雨が首を傾げて不審そうに呟いた。

「…………なぁ、イオ?ワイ、イオの近くにおる女性関係考うてみたら、結構な年のおば「それ以上いけない」――はっ!?」

鋭い口調で白雨の言葉を遮り、イオが背中にどんよりとしたオーラを纏わせると、

「白雨、世の中の女性ってね。何時までも若く見られたいのが大半だってこと、忘れちゃいけないよ?殊更、年に関することにはね」

それで何度僕が吹っ飛ばされる羽目になったことやら……。

 イオが嘗て出会った少女達の中でも、年齢に反してかなり大人びた容貌を持つ、とある賢者の姉である彼の少女を思い出して、実感ましましでそう告げる。

 増してや、最近関わるようになってきた周囲の有力者達の少女達も、見た目にそぐわぬ年齢の持ち主なのだ。

 下手なことを言って粛清されるのだけは勘弁してほしい……イオは切実にそう思った。

「そ、そぉか……すまんかったなぁ、えらいこと訊いて」

「ん、構わないよ。――でも、弐度としないようにね?でないと……紫さんが何処で聞いてるか、分からないし」

あの人、偶にスキマをこっそり開いて聞いてる時があるからさ。

 きょろきょろ、と辺りを警戒しているイオに、三人揃って青ざめた。

「……本気で言うとるん?あの賢者が盗み聞きしとるって」

「本気も本気だよ。なんせ、能力が能力だし……何処で何を聞いていても可笑しくないから、ね?」

しーっと何処か子供のように指を立てて唇に当てたイオ。

 それに、こくこくと三人が青ざめた表情のままで頷いた。

 

――閑話休題。

 

「……でもまぁ、これで文にも周りが女ばっかりだって言われなくて済んだや」

「あん?そりゃどういうことだ?」

木葉がよくわからなさそうにそう尋ねると、

「ん、なんだろねぇ……会う人会う人大体が女性ばっかりだからさ。僕だって不可抗力なのに、僕の所為にされるんだよ?」

理不尽だと思わない?

 唐突に始まったイオの愚痴に、三人はそれぞれ顔を見合わせると、

(……なぁ、もしかしてこいつ気づいていないのか?)

(明らかに、焼き餅焼いとるよなぁ……?)

(というか、分かり易いだろう。どうして気づいていないんだ?)

こっそりと視線を交わし合い、そして木葉が恐る恐る訊ねる。

「……なぁ。射命丸のお嬢がそう言うってこと……どういう意味か考えたことあるのか?」

「??どういうこと?」

彼の問いに、イオが小首を傾げてそう問い返した。

 その様子に橘高が言い難そうな表情で、

「その、なんだ……焼き餅焼かれてるって思わないのか?」

「はぁ?」

素っ頓狂な声を上げ、イオが理解しがたいと言わんばかりの顔になる。

「何を思ったのか知らないけど、文とは普通に友達付き合いさせてもらってるだけだよ?というか、あんなに綺麗な子なんだし、付き合ってる人とか、もしくは許嫁みたいなのがいるんじゃないの?」

この間天魔様の娘さんだって知ったしさ。

「……あー……」

イオの言葉に、白雨が何処か理解した、というような表情になった。

(……つまり、恋人とか居るやろうから、そう考うたちゅうことか)

「「「……はぁ……」」」

「な、何だよ三人共」

揃って溜息を吐かれ、イオは動揺する。

 そんな彼に、三人は再び顔を見合わせると、

「……まぁ、イオがそう思うのだったらそうだろうよ」

「おう、せやせや」

「こういう話は、傍観者からすればいい酒の肴だしなぁ」

明らかにニヤニヤし始めた彼らの様子に、イオがぴきり、とイイ笑顔で青筋を立てると、

「……へぇ?こりゃあまた鍛錬に戻ることになるけどいいの?」

「それは勘弁してや!?」

「だったらとっとと吐くんだ。何を隠してるのさ?」

不機嫌な表情になったイオが、三人にずずいっと詰め寄った。

「あー……まぁ、もう少し周りの関係に眼を配れってとこかな」

「そうだな。概ねそれに尽きるだろう」

木葉と橘高がそう言い合い、けして、一人の少女の恋心を明かすことはしない。

「ま、そんなことよりもうええ時間やし、二人共もう帰らん?そろそろ仕事に戻らなあかんし」

先程イオに脅されがくがくふるふると震えていた白雨が立ち直り、すくっと立ち上がりながら他の二人の天狗へ声をかけた。

「むぅ……ホントに何隠してるのさぁ?」

「そりゃあ、言っちゃあいけねぇ奴だな。ま、悩みまくれ。そうすりゃ分かる……かもしれねえしよ」

「……どうあっても言わない、ってことなんだね。…………はぁ、分かったよ。じゃ、見送るね」

どうしようと彼らはけして明かさぬであろうとイオは分かり、溜息をつきながらもこの世界に来て出来た友人達を見送ろうと立ち上がる。

 そして、

「また、道場でな」

「体に気をつけるのだぞ」

「ほな、またなぁ」

口々に言いながら、天狗の三人組は立ち去っていくのであった。

 

――――――

 

「……ふぅ。うん、やっぱり同性の友人と喋ってると落ち着くなぁ」

ぽつり、とイオが彼らを玄関先まで見送ってからそう呟く。

 と、そこへ、

「イオ、只今ー」

という声と共に、ぼすっとイオの腰に抱き付く誰かが来た。

「およ?ルーミアお帰り。楽しかったかい、寺子屋は」

「うん!何時もと同じぐらいね!」

子供の姿に戻っているルーミアが、えへへ、と頬を若干照れくささで赤らめながらそう答える。

 そして、何故かイオが玄関先にいることに気づいたのか、表情を不思議そうなそれへと変えると、

「お客さんでも来てたの?」

「ん?ああ、友達だよ。まぁ、今日出来たばかりの友達だけどさ」

ニコニコと、嬉しそうな表情をしているイオに、ふぅん……とルーミアが呟くと、

「……取り敢えず、女友達じゃなさそうなのは分かった」

「あはは、何を言ってるのさ。男の友達だよ、天狗のね」

「…………それだけで十分あり得なさそうなことなんだけど」

今度は何やったの?

 ジト眼になったルーミアが、腰に抱き付いたまま上目遣いで見やった。

「最初は僕に師事したいなんて言ってくれてさー。なんか怪しいと思ってよくよく聞いてみたら、最終的に友達になりたいから此処に来たって言われてね」

「うん、待ってよ。そこからどうして友達になりたいに行ったの?」

ぺしり、と突っ込みを入れ、ルーミアがますますジト眼になって詰め寄る。

 だが、イオは小憎らしいことに小首を傾げて見せ、

「…………なんとなく?」

「文に報告しておくから覚悟しておいてね?」

「えええっ!!?」

即座に告げられたその言葉に、イオは理不尽だと騒ぐのであった。

 

 

――一方、此方は天狗の三人組。

 ばさり、ばさりと翼をはためかせ悠々自適に飛んでいる彼らは、その羽ばたく様とは裏腹にかなり神妙な顔つきであった。

「……イオってよ……やっぱ、いい奴だよな」

「ん、せやね」

「だな。……正直、個人的にはずっと交流を続けたい。それに、アイツならば、射命丸の御嬢を任せられるやもしれん」

 

――だが、それは同時に妖怪の山内部の勢力図を、変動させることになりうる。

 

「「……」」

橘高が最後に告げた言葉に、しかし、他の二人は否定しない。

「……どうする?一応、俺達の立場はイオが我々の組織に入ってくれることを想定した立場だ。そして、射命丸の御嬢が出奔をされないように反対する立場でもある」

「……わっかんねぇよ」

愚痴るように、木葉がぼやいた。

「正直に言やあ、任せられる奴ではあるし。俺達に完璧に撃ち勝って見せられる以上、実力は多大にあると見ていい。だが……仮に、俺達の中に入れたとしても、他の天狗がどう言うか……アイツと御嬢の会話を見てる奴がいれば、好意的に捉えられるだろうが、

侵略と捉える奴だっているかもしんねぇ」

参ったな……難しすぎる。

 がしがし、と己が修錬用の木刀を握る手とは逆の手で、頭を掻き回す木葉。

 と、そこで今まで黙っていた白雨が、

「……いっそのこと、大天狗様に言うたらどやろ?」

と提案をしてきた。

「アホか。何故、態々大天狗様に言わなければならん。確かに、射命丸の御嬢をよく見ておられたのは分かっているがな……恐らく、あの方は御嬢が出奔されたとしても、どうにでもなると言うだろう」

「……そっか、それもあったな。困った……いい考えが出てけぇへん」

うんうんと唸りながら考える三人組だったが、そこで木葉が、

「取り敢えず考えるのやめて、早く帰らねえか?このままだとどんどん暗くなってくぜ?もう夕方なんだしよ」

と、赤みを帯びてきた空を指し示してそう告げる。

「……こんな時間にまでなっていたか。急ごう、遅れると食堂が閉まりかねん」

「そりゃあかん!今日の夕食楽しみにしとるのに!」

ブォッ!!

 慌てまくった表情の白雨が、一目散に空を駆けた。

 その姿に苦笑しながら、二人も後を追う。

 

――そして、辺りに静寂が訪れるのであった。

 

――――――

 

――そして、一夜明けた翌日。

 イオは、何処となく気分がいい状態で眼を覚ましていた。

「……ふぁあ……ああ、今日もいい天気だねぇ」

少し、欠伸を噛み殺しながらも、イオが窓の障子を開けてそんなことを呟く。

 実際、彼の言うとおりに晴天が広がっている空は、昨日のこともあってか、イオを少なからずうきうきとさせてくれた。

「どんな朝食にしようかなぁ……味噌汁に長ねぎと豆腐を入れるのは当然として、ご飯があって……おかずは、そうだなぁ……」

体を起こし、取り敢えず普段着に着替えながらイオは考える。

 そうして、思いついた食事内容を実行に移そうと、襖を開き廊下に出た時だった。

「……イオー?もう起きてるー?」

階下から、聞き覚えのある誰かの声が聞こえる。

「んん?何だろ……誰が来たのかな?」

不思議に思ったイオが、すたすたと歩き始めるのにそう時間は掛からなかった。

 そして、いざ階下に降り、玄関まで歩いてみた所で、

「――何だ、文か」

「何だとは何よ。全く」

憤然とした様子で、射命丸文が腰に手を当てて土間に立っていたのであった。

「おはよ、文。今日はどうかしたの?」

「……貴方に呼び出しがかかってる。――大天狗様から」

「……へ?」

ぱちくり、と目を瞬かせ、イオが素っ頓狂な声を上げる。

「そりゃまた……いきなりどうしてさ?」

「――月の旅行の件よ。貴方、それで大天狗様が警戒してるわ」

「…………ちょっとまって。なんで僕が月に行くって知られてるの?」

何時の間にか私生活の一部分が流出していることに、今更ながら驚いてイオが訊ねた。

 すると、射命丸が溜息をついて、

「……三日前、貴方が八雲紫に言われて決めた時から少しして、あの方の元に八雲藍が現れ、一通の手紙を渡したそうよ。そこに、今回貴方が同行することが書かれていたらしくてね。何故かそれで大天狗様が真っ青になっているわ」

「………………なんか、聞く限りだと妙に焦ってる気がする。分かった。朝食今から作るから、文も一緒に食べる?」

真剣な眼差しで何かを考えてから、イオはふわっと微笑みを浮かべ、そう射命丸に問う。

 思わずそれに見惚れかけ、一瞬で我に返った彼女は、

「お願いしようかしら。食事してるだろうから、その後で来て欲しいとも言われてるし。何よりも、今日はじっくり腰を据えて話す心算らしいからね」

「ふぅん、そう……あ、じゃあ居間で待っててね。すぐに作るから」

ルーミアー?起きてるなら早く来てー。

 階上へそう声を掛けたイオが、すっと眼差しを鋭くさせながら台所へと向かった。

 その様は、まるで戦場へと赴く兵士のようであったという。

 

――――――

 

――そして。

 依頼、その他もろもろをゴーレム達にお願いしてやってもらい、イオは妖怪の山へと射命丸と共にやってきていた。

 以前のようにばさり、と翼をはためかせて現れた犬走椛に、

「お呼ばれに預かりました。大天狗様に御目通り願えますか?」

と声をかける。

 すると、椛は居ずまいを正し、

「お待ちしておりました、イオ殿。大天狗様からは事前に御話を伺って居りますゆえ、すぐにご案内致しましょう」

「……宜しくお願いします」

一礼する彼女に、イオは小さいが一応は組織のトップとしての威厳を醸し出し、言葉を紡いだ。

 直ぐに空を駆け始めた彼女に、同じように追随しながら、

「何やら、緊急を要するということで、食事を済ませてから、とるものも取り敢えずという感じで参りましたが……僕が月へ行くことに関して、何か言われておられますか?」

「……独り言、のようなものは呟かれておられました。ただ、何を仰っていたかは……」

前を飛びながら、椛が後ろを振り向きつつそう告げる。

「そうですか……はてさて、何を言われることやら……」

ぽつり、とそう呟くイオに、そこで初めて、傍に来ていた射命丸が口を開いた。

「――イオ。私は天狗屋敷に着いたら別行動になるわ」

「ん?あぁ、流石に文は大天狗さんの所には行けないよね」

「ええ。……後で、ちゃんと教えなさいよ。何があったのか知りたいし」

心配そうな表情を見せる彼女に、イオはにっこりと笑い、

「大丈夫。もう、黙ってるなんてことしないから」

と、誓う。

 割とあっさりとした口調こそあれ、だが、彼はこの誓いをしっかりと貫く心算だった。

 例え、何らかの裏事情を聞かされたとしても……それは、変わらないだろう。

 穏やかな彼の表情に、射命丸は一瞬口ごもったようだったが、直ぐに首を振ってみせると、

「それじゃ、気をつけて行きなさいよ?」

「分かってる。――じゃあ、椛さん行きましょうか」

言葉少なに会話を交わし、そこでは射命丸と別れた。

 風が唸る音を聞きながら、

「……宜しかったのですか?」

と、椛が何処か言い難そうな、何かを案じているかのような表情で尋ねる。

「まぁ、会うだけですから。それに、後でちゃんと教えてあげないといけませんしね……文って、自分が外れてるのは嫌みたいで」

くすくす、とイオが楽しそうに、擽ったそうに笑った。

「後で、なんか御菓子でも作って持っていこうかな、なんて思ってます」

「…………(なんというか、誠に御馳走様です)」

「……ん?どうしました?」

傍から見て惚気ているようにしか見えないイオに、椛がこっそりと呆れて見やれば直ぐに反応を返される。

 完全に表情を無のそれへと変えた椛は、

「……いえ、何でもございませんよ」

とだけ告げると、一層の勢いを上げて空を飛んでいくのであった。

 

――――――

 

――天狗屋敷・大天狗鞍馬の執務部屋。

 

座卓の近くに据え付けられた、対面式座配の座布団が敷かれたこの部屋は、以前イオが訪れた喫茶室とは異なり、正しく『仕事部屋』と評せる場所であった。

 とはいえ、客を招けないという程ではなく、程々に装飾も凝らされており、壁には掛け軸の水墨画が、或いは竹で出来た一輪差しがワンポイントのように点在している。

 座卓の上に幾つか書類らしきものが点在しているのを視界の端に認めながら、イオはそんな対面式の座布団の上に、下座で座っていた。

「……お呼ばれに預かりました。おはようございます、大天狗さん」

静かな声でそう挨拶をかけた相手は、若干瞑目をしてから、

「……うむ。朝早くから申し訳ないのう。じゃが、緊急を要することなのでな」

と、以前の老父のような温かな視線とは異なった怜悧なそれでイオを見据える。

 そんな彼の様子にイオは緊張を幾らか持ちながらも、表面上は穏やかな笑顔のまま、

「ええ……何でも、僕が月へ旅行することになったことについて訊きたいことがおありだとか」

と、本題に移った。

 すると、話しかけた相手――鞍馬は、静かに息を吐くと、

「――はっきり言おう。どうか、月へ行くことはやめてくれんかの?」

「……そりゃまた、どうしてですか?一応、僕は何でも屋として彼女達の護衛の依頼を請け負ったんですけれど」

「ああ……やはり、そうじゃったか。普段お主が自分から危険へと近づかん者であるのは分かっておった……。じゃが、言っておくぞ。――月人は余りにも……不味い」

何かを案じている鞍馬が心底から沈痛そうな面持ちになり、イオへ月に行くことへの危険さを訴える。

 余りに様子が異なる彼に、イオが静かに驚きを眼に宿して、

「……一体、何を経験されたので?」

「……それは「それ以上はなりませんわ、大天狗」……賢者か。何用ぞ……お主が入って良い場所ではないわ」

すぅ……と気配も音さえもなく現れた妖怪の賢者に、大天狗が怒りで猛禽の瞳となって睨み据えた。

「だが、それよりも儂の言葉を遮ったこと――これではっきりした……龍人殿が、何も知らされていないということが。何を考えている……八雲紫よ……!!」

ぶわり、と妖力がふんだんに撒き散らされる。

 怒りが頂点を突き放しているように見える彼の様子に、並々ならぬ理由があると、イオは感じ取った。

「……僕としても、理由を聞かせて戴きたい。貴方が何らかの思惑があって、月旅行へ同行させようとしているのか……如何も護衛をさせるという時点で、きな臭い匂いがしてくるんですよ。あの場では何も言えませんでしたがね」

鋭い眼差しをしているイオが、そう言って更に眦を吊り上げる。

「何を隠されているのか、教えて頂いても宜しいのではないのですか?一応、何でも屋としては依頼を遂行する心算で行きますが……僕は、貴方の操り人形でも、藍さんのように式神をしている訳でもないんです。説明が、余りにも足りなさ過ぎる」

それは、かなり真っ当な正論であった。

 紫もそのことはよく分かっているのか、先程まで浮かべていた笑顔が消え、淡々とした無表情へと変貌を遂げている。

 だが……言葉を、紡ぐことはしなかった。

「……」

黙したまま語らぬ彼女に、イオは痺れをきらし、

「……どうあっても答えない。――いえ、寧ろ答えられないと言った方が正しいですかね?ということは……あくまでも、先入観に寄らずに僕自身の眼で確かめろ……そういうことですか?」

考えられる視点から、熟考に熟考を重ねてそう尋ねる。

 その言葉に、鞍馬が眼を見開くと、

「……儂の言葉を遮ったのも、嘗ての戦いを挑んだ者がどうなったのかを教えぬのも、全部龍人殿が眼を以て判断せよというつもりか。――ならぬ。ならんぞ八雲紫よ……あれは、そんな物で推し量れる程、生易しきことではないわ……!!」

激昂する大天狗に、しかし紫は瞑目しているがままだった。

 だが、沈黙を貫いていた彼女が、漸く口を開く。

 

「――大天狗の言うとおり……確かに生易しきことではないですわね」

 

「分かっておるのなら、どうして――「それが、幻想郷にとっての最善であると、考えたからですわ」……何が、何が最善じゃ。むざむざ、若者を……死地へと追いやることの何処が最善なんじゃ……!!」

ドゴオッ!

 強大な膂力で以て部屋の床を叩き、鞍馬は血を吐くようにして叫ぶ。

「お主も、嘗ての戦いを知っておる筈……!!あれで、嘗て地上において力を誇っておった強大な妖怪が、全員彼奴等の攻撃で屍を晒すのみだけじゃった!そなたも、危険な眼にあったのじゃぞ!!同時に思い知った筈じゃ!――あれは、あの場所は干渉すべき所ではないと!!」

すぅ……と、イオはその言葉で眼を静かに細めた。

「……聞く限り、どうにも危険過ぎる場所のようですが……戦いがあったと仰いましたね?どんな戦いだったのですか?」

「……貴方が知っても「まだそれを言うか妖怪の賢者よ!隠しきれぬ物ではないぞ!!」……はぁ。全く……」

怒りも露にしている鞍馬に、紫は心底やりにくそうに苦笑する。

 同時に、この若き青年を亡くしてはならないと鞍馬が強く感じていることも、察しながら。

(……まさか、此処まで心配しているとは……)

射命丸と交流をかわしていることを知っているが故なのか。

 彼の必死さが伝わるこの様相に、紫は仕方なさそうに眉根を下げると、

「……知ってはならぬこともあるからこそ、私は止めたのだけれど。先入観を持つことなく、彼の月人を見て考えてほしいと思ったまで」

ぞくり、と雰囲気を激変させた紫が、イオに向かってそう告げるが、彼はそんな彼女の様子にもけしてたじろぐことなく見つめ返し、

「仰りたいことはよくわかりました。――ですが、だからこそ、歴史を知らざれば先入観を持つことさえ出来ません」

「――もういい。私は止めた……後は大天狗にでも訊きなさい。知りたかったことならば、大天狗に訊けば分かることよ……勝手になさい」

ふん、とそっぽを向いて紫が不機嫌そうになると、そのまま隙間をずわり、と開いて姿を消していった。

 場の雰囲気が元に戻りつつあることを悟ったイオが、漸くホッと一息吐いて、

「……あそこまでしつこくされていたのは、かなり珍しかった気がしますねぇ」

と言うと、陽だまりのような笑顔でおっとりと笑う。

 一気に周囲の雰囲気がほんわかとしたそれへと変貌を遂げようとしているのを感じながらも、鞍馬は苦笑して、

「……全く。結局お主の心を変えられなかったのう」

と呟いて見せた。

「あたり前でしょう。色々と混ぜ合わせると不味い子もいるんです。護衛もそうですが……僕としては、皆が喧嘩をしないようにという方が大きいですね」

「…………その言葉、あの少女達に訊かれんようにの」

さて、とそこで鞍馬がぽんと膝を打つと、

「そろそろ、気になったのではないかな?――嘗て起こった、『月面戦争』について」

「……しっかり、拝聴させていただきますよ。どうしようもなく気になっているものですから」

「そうじゃろう……ふむ。では、述べようか」

一つ深く頷いた鞍馬が、一瞬瞑目してから告げる。

 

「――あれは、幻想郷に結界が張られる前のことじゃったかの……」

 

穏やかな語り口で、嘗て、鞍馬が、八雲紫が、そして数多くの強大な妖怪達が傷つき倒れ伏した、語られぬ歴史であった『戦争』のことを……話し始めるのであった。

 

 




強い制止も余所に、イオは古の記憶を覗き見る。
嘗て、妖怪の賢者が判断を違えた、とある戦いの記憶を――。
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