東方剣神録   作:上田幻

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第五十七章「聞こゆるは玉兎の嘆き」

 

――射命丸と妖怪の山で別れてから、翌日。

 イオは、何時もとは異なる、静かな朝を迎えていた。

 季節は、皐月へと移行し、昨月はあんなにも咲き誇っていた花達もようやく色を落ち着かせ始めており、陽射しが少しずつ暑さを増すようになっている。

 故に、イオの服装も春物から夏物へと変え始めていた。

 以前、射命丸が迷惑をかけた呉服屋で、紺色の麻服の背中に登り龍の白抜きがなされた上着と、同色の袴に近い、裾が広がったズボンのような服で、イオはのんびりと通りを歩いている。

 どうやら、ちゃんとした目的地があるようだったが、何やら、あちらこちらで覗きこんでは何かを考える素振りを見せていた。

「おぉ!何でも屋の兄ちゃんじゃねえか!今日は鹿肉のでけえのが獲れたからよ、安くなってるぜ!」

「へぇ……これは、いい肉ですねぇ」

「へっ、それが自慢だからな!んで、どうすんだい!?」

偶々立ち寄った精肉店で呼びかけられ、イオは昼と夜はどうしようかと思い悩む。

 そんな時だった。

「――あら、そこにいるのは何でも屋のイオじゃない」

何となく聞き覚えのあるその声に反応し、イオがそちらへと振り返ると、

「およ?鈴仙さんだ。おはようございます」

「うん、おはよ。……何してるの?」

ひょこり、と特徴的な長い耳を覗かせつつ、鈴仙がその紅い眼で彼の前を覗き見ると、

「何だ、只のお肉じゃない。立ち止まって考えるほどなの?」

「そりゃあ、いい肉ですし。僕、自前で料理も出来ますから、結構気になるんですよこの辺りはね」

「ふぅん……あ、そうそう。師匠が貴方を呼んできて欲しいって言われてたんだったわ。ちょっと置き薬とかの様子を見たら、そのまま一緒に付いて来てもらっていいかしら?」

ぽん、と両手を打ちながら告げられたその言葉に、若干イオは面くらい、

「いいですけれど……もしや、薬の材料集めの依頼ですか?」

「ううん、違うの。此処ではちょっと話しにくいからね……また、後で」

そう告げると、彼女は精肉店の店主に頭を下げ、たたた……と忙しそうに駆け去っていく。

 当然、残されたイオは困惑すること頻りだった。

(……何があったんだろ?緊急性の高い依頼は今の所ないし……はてさて?)

きょとん、と首を傾げ考える様子に、店主が恐る恐る、

「おーい、兄ちゃんどうするんだい?」

「あ、すみません。えーと……じゃあ、これとこれで」

「あいよぉ!毎度!もひとつこいつもつけてやるよ!何時も世話になっているからな!」

「おぉそれはありがとうございます。また、来ますね」

にっこりと笑い、差し出された肉と代金を交換する。

「もっといいの揃えておくからなー!」

ぶんぶん、と手を振る店主にやや苦笑を浮かべつつも、イオはさて、どうするかと考え……取り敢えず、鈴仙が必ず立ち寄るであろう稗田邸へと足を運ぶのであった。

 

――――――

 

「――へぇ。それで此処までいらっしゃられたのですか」

「ええ、それに、此処最近阿求さんにも御話出来ていなかったようにも感じたものですからね」

ちょっと夏用の御菓子の作り方も、教えようかとも思っていましたし。

 ギュッピーン!とそこで目の前の少女の眼が光り輝き、

「ほう、ほうほうほう!どんな物か教えて頂けますか!?」

「お、落ち着いて阿求さん……眼、眼が危険な輝きになってますよ!」

ずずいっと座ったまま詰め寄られ、イオは若干冷や汗を流しながら押し留めようとするが、乙女の甘味に関する欲求はかなりのものであるために……、

「甘いものが欲しいんです!水羊羹も美味しいんですけれど!」

と、阿求が止まらない。

「わ、分かりましたよ。――あのですね、これは西洋の御菓子なんですが……あの、紅魔館のメイド長である咲夜さんに教えて貰ったものなんですよ」

「……なんと。では……!?」

「あいすくりーむ、というのですけれど……氷菓子に分類されるんでしょうね。牛乳を原材料としたかなり贅沢なものですよ。一回、咲夜さんから頂いた時は本当に美味しかったですねぇ」

「……うぅぅ速く!はーやーくー!!」

聞きながら我慢ならなくなってきたのか、潤みかけた眼でイオを睨み、ぽこすかと叩き始めてきた。

「……段々、阿求さんが子供っぽくなってる気が「焦らさないで下さいよぉ……」わ、分かりましたから!そんな服を引っ張らないでくださ「失礼しまーす……オジャマシマシター」あぁっ!?何時の間に鈴仙さんが!?ちょ、阿求さん離し……!!?」

押し倒されかけているイオを見て、そっと障子を閉めていった永遠亭の薬師の弟子に、イオが冷や汗を流しながら慌てまくるのであった。

 

――閑話休題(カオスから生還)。

 

「……で。何でアンタが此処まで来てるのよ」

先程までの騒動が忘れられない故か、かなりじっとりとした眼つきでイオを睨み据える鈴仙。

 まぁ、彼女がそう言うのも無理はなかった。

 何せ、一見して年下の少女に襲われている青年の図という、余りに危険な絵が展開されていたのだから、『変態ではないのか?』という疑いを持たれるのも仕方ないだろう。

 だが、イオには当然言い訳もあって、

「あのですねぇ……僕が望んでああいう風にしたと思ってるんですか?違いますからね?あれは単純に阿求さんが暴走したんです。というか、別に僕何もしてませんし、悪くないですよね?」

疲れたように眉間を揉みながら、イオは心底からうんざりしたように訊ねた。

 その傍ら、稗田阿求が何をしていたのかというと……、

「………………」

顔を真っ赤に染め上げ、羞恥心で悶えまくっているようだ。

 その様子を横目で見やりながら、イオが呆れかえった表情で、

「というか……阿求さん、最初に出会った時はあんなにも思慮深い方かと思っていたのに……最近は何でああも子供っぽく」

「悪いですかぁ!?女の子にとって甘いものは死活問題なんですよぅ!?身近な人に作れる人がいたら頼むのは当たり前じゃないですかぁ!!!」

再び阿求がぽこすかとイオの肩の辺りを叩き始めた。

「……で?結局イオが此処に来たのはどうして?」

至極あっさりと無視した鈴仙が、未だにぽこすかと叩かれているイオへそう尋ねると、

「いやぁ、単純に先読みで行動しただけですよ。鈴仙さんが置き薬をされる所は大体わかるので」

といっても、近所付き合いの関係で知っただけですが。

 そう言って苦笑するイオに、

「別にあのまま待ってくれていても良かったのに。今日はそんなに置き薬を代える必要性がなかったしね」

「そうもいきませんよ。あのままぼーっとしていたら、多分何だかんだ理由をつけられて御店の人のお手伝いをする羽目になっていたかもですし」

お手伝いをすることには特に何もありませんけど、流石に人を待っていますから。

 おっとりと笑いつつ、約束を優先するということを述べるイオ。

「……一応、私が話すことには月のことも含まれているのだけれど」

「おや?そうだったんですか。僕の月旅行のことを事前に阿求さんに言っておこうと思ったまでのことだったんですが」

きょとん、と首を傾げてみせた彼に、鈴仙はやれやれと首を振って、

「割と洒落にならないことも含まれてるのに……って、いいわもう。これ以上時間を取られる訳にもいかないし」

単刀直入に言うわよ?

鈴仙が鋭い眼差しとなり、きっとイオを見据えると、

 

「――永遠亭に、月の兎がやってきたわ」

 

「…………ふぅむ。どうやらのっぴきならない事態になっているようで」

告げられた直後から、すこし長い時間考えた末に、イオはぽつりとそう呟いた。

 黙っていた阿求が驚きで顔を強張らせながら、

「ちょ、ちょっと待ってください。イオさんの月旅行へ行くという発言もそうですけれど、月に兎なんているんですか!?」

「……でなかったら私がいないわよ。元々私だって、月にいたんだから」

「あっはっは、言われてみればそうですねぇ。まぁ、色々と事情は伺いましたけれど……その、今回月から来られた兎さんは、どういう方なんですか?」

「そのことも含めて、永遠亭に来て欲しいの。貴方に話さなければならないこともあると師匠も言っていたから」

鋭い眼差しのまま、鈴仙は凛としてそう告げた。

「そうですか……では、参りますよ。阿求さん、後で必ず調理法を御教えしますから、ちゃんと待っていて下さいね?」

「えぇ!!?い、今教えて下さらないのですか!?」

「いや、先程も申し上げたと思うんですが」

先約があるんですよ――そう言って、イオはやんわりと阿求を剥がすと、近くまで来ていた女中に抱かせ、自身はそのまま立ちあがる。

「さて、と……どうなることやら」

そんなことを呟きながら。

 

――――――

 

――中天、永遠亭。

 晴れ渡った青空を遮り、青々と茂る迷いの竹林の中において、イオはゆっくりと歩いていた。

――その横に、鈴仙を伴いながら。

「そもそも、今回どうして月の兎さんが来られる羽目に?あの結界の関係上、ピンポイントでこの幻想郷に来れる可能性は極めて低かった筈ですが」

「……さぁね。だけど、これだけははっきりと言えるわ。――まだ、師匠と姫様の居場所がばれた訳ではないとね」

たった一人で此処にやってきたそうだから。

「ふぅん……?」

その言葉で、イオの脳裏に幾つかの可能性が少しばかり上ってきた。

 だが、彼はそのことを横を歩く少女に告げることなく、ただ歩いていく。

(……ラルロスとよく話しておいた方がいいかな)

そんなことを考えながらも、イオは真っ直ぐに永遠亭を目指すのであった。

 

――――――

 

――同時刻、某所。

「……ふぅん……どうやら、御誂え向きの駒が出てきたようね?」

暗闇、或いは、群青か、紺色か。

 言葉で言い表し難い色合いの空間に、そんな声が響いた。

「はてさて、永遠亭の薬師はどのように判断するかしら」

――抹殺か。

――それとも、敢えて生かし連絡役とするか。

「……まぁ、いいわ。態々境界を開いて招きよせた甲斐があった。良い感じにあの兎が持っていた物も博麗神社に落ちたことだし……これで、策が動くわね」

ぱちん、と開かれた扇子を口元へ運び、隠して見せる。

「滞っていた物語の歯車が、音を立てて動き出す。――若き龍人よ、貴方はどのように動くのかしらね……?」

「――何でもいいけれど、紫?傍から見て変よそれ」

「……もうちょっと、雰囲気を持続させてよ。――幽々子」

ぽぅ……と、空間が、先程の不可解なそれとは別の、生命を感じさせない灰色の空間へと変化した。

 雰囲気をぶち壊しにされ頭を抱える妖怪の賢者に、白玉楼の主人――西行寺幽々子はおっとりと笑って、

「あらぁ?変な物を変と言って何が悪いかしら?さっきの貴方を見たら、あのイオ君だってそう言うと思うわよ~?」

「あのねぇ……まぁ、いいわ。それで……幽々子も動いてくれるのね?」

「えぇ♪他ならぬ親友の頼み、喜んでやらせてもらうわね~」

うふふ、と亡霊でありながら、何処か春爛漫の如き暖かな笑顔を浮かべ、幽々子は楽しそうに笑う。

「有難う……これで、二重にも三重にも策が回ってきたわ。――後は、イレギュラーな事態にならぬよう、考えなければならないけれど……」

「……あんまり、根を詰めないでね~?紫が倒れてしまったら、元も子もないわよ~?」

「分かっているわ……今回のことは、正直博打が大き過ぎて……特に、彼の綿月の妹とイオが『どれだけ戦り合えるか』を念頭に考えないといけないし」

やり過ぎても警戒されるし、変に負けてしまってもそのまま侵攻されるかもしれないし。

と、八雲紫は色々と頭痛を堪えているかのような表情でそう呟いた。

 だが、その心配を打ち消そうとしたのか、幽々子がおっとりと笑うと、

「――大丈夫よ~。イオ君、妖忌から免許皆伝貰った私に対して、一歩も退かなかったのよ~?戦う手段を選ばなかったなら、誰に対しても引かないと思うわ~♪」

思い付く限りだと、イオ君容赦ないしね~。

ふふふっと楽しそうな笑顔を浮かべている幽々子。

「笑いごとじゃあないわよ、幽々子。あの子も、大事な幻想郷の住人なのよ?それも、結構重要な立場にいる、ね」

あの子にもし何かあったら……パワーバランスも、感情面でもおかしくなってしまうわ。

「だけど、それでもあの子をちゃあんと、幻想郷に住まわせているんでしょう?だったら必要経費と思わなくちゃ」

「くっ……他人事だと思って」

無責任にニコニコと笑う幽々子に、紫が若干恨めしげな表情となるが首を振り、静かに溜息をつくと、

「ともかく。幽々子はあの子達が先に侵入を果たしてから、私の力で送るわ。好きなように動いて、飲み物でも食べ物でもかっぱらってきなさいな」

「承知いたしました~♪ふふふ、腕が鳴るわ~……!」

可愛らしくガッツポーズを決める、既に亡者になりて遥かな時を経た筈の少女に、紫はやや複雑そうな表情になるが、何も告げることなく静かにスキマで消え去った。

……静寂が訪れる、相も変わらずの生命感が薄い白玉楼の空を眺め、幽々子が呟く。

「大丈夫よ、紫。貴方の子供にも等しい子達を……ちゃあんと、信じて上げなさいな」

先程までのおっとり加減さが見られた表情とは、完全に別物の、言わば母親のような慈しみを感じられる笑顔で、彼女は呟いたのであった。

 

――――――

 

「――御邪魔しまーす。何でも屋、イオ=カリストにござい~」

「……貴方、そんな風に入ってきていたかしら?」

「いえ、単なるオチャラケですが何か?」

「…………何だろう、すっごく張り倒したい気分になってきたわ……」

あっけらかんとして笑うイオに、ふるふると鈴仙が身を震わせてそう呟く。

 見ていて腹が立つようなこんな悪ふざけをかなり久しぶりに見た気がした。

(しかも、こっちが腹を立てると自覚した上でやってるのもね!)

ぎらん、と眼光鋭く睨みつける鈴仙。

 だが、彼はあっさりと受け流し、

「いや~そんなに緊張で固くなっていてもしょうがないですから。こうして知らせを受けた以上はもう後手に回っている訳ですしね。ほら、リラックスリラックス」

と、見ていて憎らしくなるほどにニコニコと笑っていた。

 だが、同時に精神をかなり落ち着かせてくれているのも確かだったため、鈴仙は礼を言うよりも睨みをもう一度きかせることで不問にする。

 そして、入った玄関で一声を上げた。

「――師匠ー?何でも屋さんを連れて来ましたー」

すると、襖が開かれる音と共に、永遠亭の薬師である八意永琳が中から出てきたのである。

 淡々とした表情でちらり、と鈴仙の傍らに立っているイオを見やると、

「……御帰り。その様子だと、特に何も言わないで連れてきたようね……良いわ、中へお入りなさい。――龍人の青年よ」

「ええ、御邪魔しますね……色々と教えて頂きましょうか」

殊更ニッコリと笑い、イオは音さえ立てることなく上がり、ふらり、と永琳の後を追うのであった。

 

――病室。

 幾つか並べられたベッドと思しき寝台の一つに、体を横たえている一人の少女がいた。

 薬草の匂いと、治りつつある包帯から僅かに血の匂いもさせている、垂れ気味のモフモフとしたウサミミ少女は、寝台に仰向けになりながらぼんやりと宙を見つめているようだ。

「――ふん、どうやら容態はいいみてぇだな」

と、そこへぶっきら棒ながら少し安心した素振りの、若い青年の声が掛かった。

 体がまだ微妙に痛む為に、ゆっくりとしか動けないそのウサミミの少女が横を見やると、そこには若干不機嫌そうな表情の、銅色の青年が立っている。

「……あの、何方ですか?」

若干、怯えたような表情の彼女に、青年――ラルロスはああ、と表情を少し柔らかくさせると、

「――ラルロス=クロム・フォン・ルーベンスだ。ラルロスと呼んでくれればいい。それで、だ……御前さんの名前を教えてくれねえか?」

と尋ねるのであった。

 

「――何処から来たんだ?見た所こっちじゃあ見かけねえ顔だしよ」

「そ、外からです!」

「だから、場所だ、場所。場所の名前さえ言ってくれればいいんだ」

「あう……い、言えない、というか信じてもらえないから無理です!」

「はぁ……ったく。じゃあ、改めて名前だ。お前さんの名前を聞かせてもらえるか?」

「あ、あのそのうぅ……ぃです」

「は?」

「だから!名前持っていないんです!」

「はぁ?おかしいだろそれは。孤児だったのか?」

「そ、そのあのうぅ…………」

「……もしかして、記憶でも失くしたか?」

「!そ、そうです!記憶無くて……」

「――だそうだぜ?八意永琳さんよ」

「――え」

疾風怒濤の勢いで終わった尋問に近い質問の後に訪れた驚愕に、少女は音たてて固まる。

 だが、状況は彼女に余裕をけして持たせなかった。

「……困ったわねぇ……色々と訊きたいことがあったのだけれど」

「だなぁ……御得意の薬でどうにかならねえのか?」

「分かっているでしょうに……人間、ましてや妖怪に分類される玉兎の脳であっても、未知の部分だって未だにあるのよ?弄繰り回したら……その子、廃人確定ね」

「ぴぃっ!!?」

恐怖の余り変な悲鳴が出た。

――ではなく。

「な、ななな何で此処に罪人の筈の『月の頭脳』が!!?」

「……どうだ?」

「……どうかしら……まだ確定は出来ないわね」

特徴的な永琳の二つ名を聞き、即座に鋭い眼差しとなる二人。

 同時に、少女の顔がすっかり蒼へと変貌していった。

(マズイマズイマズイ……!というか、ホント何で此処に!?)

混乱の極地に至り、少女はどんどんパニックに陥っていく。

 

――そして、更なるカオスが投入された。

 

「――はいはい、何でも屋のイオが通りますよっと」

「だ、誰ですか貴方!?」

ふざけた言葉遣いで入ってきた蒼紺色の髪に金色の眼を持ち、龍の鱗を散りばめた白い肌の青年が入ってきた為に、思わず悲鳴のように声を上げる少女なのだった。

 

――合掌(どうしようもないカオスに)。

 

――――――

 

「――で、改めてだ。お前さん……記憶を失くしているんじゃないだろう?」

「……うぅ……は、はい」

静かなラルロスの問いに、体を少し起き上がらせた少女がこくり、と未だに涙目のままで頷く。

「何?この兎さん記憶喪失を装ってたの?」

くすくす、と若干嘲笑を浮かべたイオがそう尋ねると、ラルロスは少しばかり苦笑して、

「まぁ、俺は身近にそういう奴がいたから気づけたが……普通の奴だったら何か言いたくないことでもあるんだろう、位で済ませてたな、多分」

「へぇ……仮病で誤魔化そうだなんて、随分人を馬鹿にしているね?」

ぞくり。

 珍しく怒りを露にするイオに、ぽん、と肩に手を載せて牽制し、ラルロスは目の前で突然の殺気に怯えている少女を眺めながら、

「やめとけ、イオ。お前が自分の記憶に関してまだ色々と思うことがあるのは分かってる。だが、ソイツは何もお前の事情を知っちゃあいないからな?」

「……ふん。――で、結局幻想郷に侵攻してくるんですか?」

「それを今から訊こうと思っていたのよ。……貴方、どうして此処にやってきたの?どうにも、型が古い船を引っ張り出してきたようだったけれど」

静かな眼差しとなった永琳が、淡々とした口調で彼女にそう尋ねると、

「………………もう、月での暮らしが嫌になっちゃったんです」

随分と長く間を空け、やっと落ち着いた表情、だが酷く沈んだそれへと変わった少女がぽつり、と呟いた。

「おやおや、とんでもない言葉が聞こえてきたけれど……そりゃあまたどうしてだい?」

呆気に取られたイオが、少しばかり頬を引き攣らせながら問いを投げると、彼女がばっと顔を上げ、

 

「――来る日も来る日も、単調な訓練に御役目を淡々とこなさなければならない、そんな辛さ……考えたことありますか?」

 

「……ふぅん……ということはだ。自分に与えられた役目やら役割やら全部放り出して逃げてきただけなんだね」

「っ、は、はい。そうなります……」

「――永琳さん。月の兎さんって、こういう性格の子ばかりなんですか?」

何か、拍子抜けしたなぁ。

 疲れたように眉間を揉みながら、イオがぼやくようにしてそう尋ねる。

 見ていて分かるのだ……彼女が、如何に臆病で小心者であるのかが。しかも、恐怖の余りに逃げる算段を十分につけて動いてしまっている点でも、大天狗の話に聞いていたような強さというのが全然感じられなかった。

 基から、養父に戦士として鍛えられたイオとしては、中々もやもやとさせる何かがある。

 複雑そうな表情となって彼女を見ているイオに、永琳は苦笑して、

「……そもそも、私達が月に住んでいるのは地上の穢れがない場所を求めていたから。人間と妖怪の戦いは容易に穢れを生み出す故に、遠距離で抹殺することを選んだから、どうしたって性格としては臆病にならざるを得ないのよね」

「あー……ナルホド。遠距離特化なのか……それだったらまぁ、分からなくもないかな」

森の狩人だって、近接ではあまりに怖くて出来ないから、遠くから撃って獲物を殺す訳だし。

 中々に物騒な単語を口にするイオに、ラルロスがすぱんと何処からともなくハリセンを取り出して突っ込みを入れ、

「阿呆。怪我人いんのに、そんな物騒なこと言ってんじゃねえ。……たく。で?結局お前さんは名前とか持っていないんだな?」

「はぃ?い、いや、持っていませんよ?部隊長とかの偉い人だったらともかく、下っ端程度の玉兎に名前なんか与えられませんから」

「随分と不便だなそりゃ。……なぁ、永琳。名前、付けてやれねぇか?このまんまじゃ、こいつとかあいつで済ましそうだしよ」

やれやれ、と首を振ってみせるラルロスに、永琳は苦笑して、

「あら、随分と優しいこと。この子に懸想でも抱いたの?」

「馬鹿か、分かってて言ってんだろう。――どうにも話に聞いてた、イオがマリアに名前貰った時と状況が似てたもんでな。親友の俺としては、見過ごせない部分があるんだよ。――イオも、分かってんだろう?」

「…………」

親友の青年の言葉に、だが、イオは壁に寄り掛かったまま答えなかった。

 何処となく不貞腐れているようにも見える彼に、ラルロスは苦笑するも肯定したと見なし、

「……じゃあ、どんな奴にすっか。お前さんが帰る帰らないにせよ、名前は必要だしな」

「え……いいん、ですか?」

「もう、一人位匿っているから変わらないわ。鈴仙・優曇華院・因幡という子なのだけれど……まぁ、あの子も貴方と大して理由も違わないし、逃げてきたのも一緒よ?」

「……え?」

ぱちくり、と眼を瞬かせ、ポップイヤーのウサミミ少女は困惑する。

 自分一人と思っていた玉兎が、もう一人いる……その事実に対して、彼女は困惑せざるを得なかった。

 無理もない、何故なら彼女は一人で大脱走を果たした訳であり、それ以前に脱走に成功した玉兎が近くにいるなどと想像できるはずもない。

 困惑すること頻りな彼女を余所に、彼女の名前を決める会議は淡々と進められていた。

「……じゃあよ、『カナリア』はどうだ?」

「駄目ね……それ、鉱山でのガスを監視する為の鳥の名前でしょう?色々と不吉過ぎるわ」

「ダメか……永琳はなんか思い付いたか?」

「『レイセン』……鈴仙をカタカナで呼んだだけのシンプルな物だけれど……どうかしら?」

「……それ使い回しじゃねえか」

「あら?私の教え子達に生存を知らせる良い切っ掛けになるじゃないの」

「いや、そもそもアイツの名前も永琳が付けたんだろうに」

と、休みなく続けられていた会議が一旦止まる。

 呆れたような表情で頭を抱えているラルロスと、何処となく黒さがかいまみえる笑顔を浮かべた永琳を余所に、イオはそっぽを向いていた。

 喧喧囂囂となっている永琳とラルロスの白熱した議論を余所に、少女は恐る恐る言葉をかけてみることにする。

「……あの、宜しいでしょうか?」

「……何?質問だったら余り答えられないけど」

「いえ、その……此処は、一体何処なんですか?」

「あー……ラルロス、そんな簡単なことも教えてなかったのか。――ま、これ位はいいかな。――此処は、『幻想郷』……人間と妖怪と、神が共生する幻想の世界だよ。――改めて、紹介をしておこうかな。僕は、イオ=カリスト。龍人という亜人種最高の人間にして、この世界で唯一の何でも屋だよ。宜しくはしないけれど……まぁ、頭の片隅にでも置いといて」

酷く冷たいような、それでいて芯に何かを感じさせるそんな声。

 未だ名を持たざる少女は、ごくり、と生唾を飲み込むのであった。

 

――――――

 

「――結局、『レイセン』に決めたのな」

「いい名前でしょう?……まぁ、それはともかく。レイセン、貴方これからどうしたいの?私としては、月に送り返してあの子達に連絡を取りたいと思っているのだけれど」

一頻りラルロスと歓談(もしくは論争とも言う)を繰り広げた永琳が、改めて少女――レイセンの方を向くとそう尋ねてきた。

 何処となく上の空であった彼女が、その言葉で我に返り、

「……え、えっと……あの子達、というのは……?」

「あら、私の教え子達よ。綿月豊姫と依姫の二人のことね」

簡単に言ってのけてみせる彼女に、さぁ……、と青ざめるレイセン。

「……無茶言ってやるなよ。レイセン、月から脱走してきたんだろ?だったら、今コイツがどんな立場に立っているのか……十分分かってる筈だ」

だが、ラルロスがレイセンの頭にぽんと片手を置き、宥めるようにして永琳へと声をかけた。

 何時になく咎めるような視線を送る彼に、若干永琳はむっとしたが、すぐに溜息をつくと、

「あのね、私に余裕がないことを分かって言っているのかしら?此処にいるイオもそうだけれど……妖怪が私の故郷に向かおうとしているのよ?焦っても仕方がないじゃない」

 

「――ええっ!?」

 

『全く困ったわね』という副音声が聞こえてくるような声音なのに、内容が恐ろしく物騒なその言葉に、レイセンが思わず声を上げる。

「い、一体それはどういうことなんですか!!?」

治りつつある体を少しだけ動かし、眼だけが焦燥を帯びて詰め寄るレイセンに、ラルロスは首を竦めて、

「ああ、済まねえな……こっちの都合でよ。この間、俺達が無用な騒ぎ起こした所為である妖怪が興味を持っちまってな……聞いて驚け、『吸血鬼』だ」

「ひ、ひぃっ!?」

益々蒼白になるレイセンに、再びラルロスが首を竦めて、

「だがよ、お前さん何もかもが嫌になった口なんだろう?だったら、こっちに居ればいいんじゃないか?言っておくが……此処は、争い事からは遠い所にある。無論、意志ある者である以上、他人との折衝はどうしたって起こるがな。だが、それでもかなり平和な場所だ。――どうする?」

「……か、考えさせてもらう、というのは」

真っ青になったまま、レイセンがそう尋ねるが、イオが一刀両断にばっさりと斬った。

「悪いけど、そんなに時間の余裕もないよ?」

だって、三ヶ月後には月に向かって出発してるだろうから。

 巻き込まれた当人ではあるが、それでも色々と計画を順調に組み上げているのだ。

 イオの言葉でレミリア達が止まらない以上……せめて、航行途中に攻撃を受けることのないように、そして、着陸体勢に入った時に船が大破することのないように動いていたのだった。

「……随分と想定外の速さだな」

「僕も驚いてるよ。……でも、ね……幻想の力って不可能を可能にするくらい、とんでもない物なんだね。――霊夢がやったこと聞いたら、ラルロスも驚くと思うよ?」

カミオロシの言葉が告げる、本当の意味を知ったイオが親友に向かってそうぼやく。

「まさか、あんなことが出来るとはね……向こうの世界じゃ、まず聞かない技術かな。

別の意味で、神様の御力を御借りすることはあるだろうけどさ」

色々な示唆を含んだその言葉に、ラルロスが一瞬眼を細めてから直ぐに見開いた。

「……マジか。俺達の世界じゃあ、加護位しか頂けないのに」

「どうにも……マジらしいよ。えらく人間に好意を持ってる神様が多いね、この世界は。

まぁ、僕達の世界ももしかするとそうなる可能性はあるかもだけどさ「あ、あの」?何?」

「先程から、一体何の話を……?」

永琳は黙りこんだまま、イオの告げた言葉を反芻しているように見えたが故に、色々と混乱してきたレイセンが訊ねてきたのである。

「ん、あぁそっか。流石に訳が分からなかったね。――でもまぁ、想像はついたんじゃない?」

 

――神降ろしのことだよ。

 

「……!!?」

ぱくぱく、と驚愕で口を開閉させるレイセンに、イオは意地悪たっぷりに笑うと、

「まぁ、幻想郷の外の世界じゃ、こういうのはよくあることだったみたいだけど。遥かその昔、邪馬台国という国に女王卑弥呼、いや巫女なのかな?ともかく、神に御伺いを立て、そして願う。霊夢がやったのは、そんな古来の巫女が行ってきたことをやった……僕としては、そう考えるけどね」

永琳先生は何か思う所があるみたいなようだけど。

 若干、悪戯っぽさが含まれたその笑顔で、永遠亭の薬師を見やった。

 その言葉に、永琳はフッと眼を開き、

「……まさか、その方法で船を作ろうとはね」

――恐らく、住吉三神。その辺りの神々かしら?

彼女が告げた神の名に、イオはぱちぱち、と手を叩き、

「ええ、一寸の間違いもなく大正解ですよ、先生。此方ではどうやら航海に纏わる神様のようだけれど……どうやら、此方の考えようによっては、かなり大雑把であっても分かって戴けるみたいで。宇宙でしたっけ?そこを飛ぶのも一つの航海でしょ、そんなことを霊夢は言っていましたねぇ」

なんというか、此方の神様達は本当に人間に対して愛情が深い。

 くすくす、と楽しげな笑顔を見せるイオに、ラルロスは呆れた表情となり、

「確かに、俺達の世界じゃ考えられねえことだな。少なくとも、遥か昔に生まれ出でたことは書かれてあっても、現状人間に対しその姿を見せることなく加護を与えてくれるからよ」

神話には姿の全貌みたいなのは捉えられてるんだがな。

 そんなことを、ラルロスが呟いた。

「ふふ、だったら霊夢に頼んでアルティメシア世界の神様呼んでもらうのも面白いかもね。それこそ、神代の時代の物語なんてのも教えてくれるかもだしさ」

「お、そりゃあいいな!――その代り、すげえ代償支払わされそうだが」

「僕の料理何週間分と後は御賽銭かな。それくらいちゃんとしてあげれば、霊夢は喜んでするかも。……うん、ちょっと現実的になってきたねぇ」

和気藹々と談笑するイオとラルロス。

 本来ならば、故郷への侵入者である筈の彼の、余りにも屈託のない笑顔に永琳も毒気を抜かれたように苦笑していた。

「……全く。貴方……本当に月に行く心算なのね?」

「ええ、まあ。とはいえ……可能な限り、戦闘を避ける心づもりでいますけれど……やっぱり、それには永琳先生の手紙が事前に必要だと思って此処に来ました。恐らく、紫さんは僕とその教え子さんと戦わせようとでも考えているかもしれないですが……こうして考えるのも彼女にはイレギュラーでしょうけれど、まぁイレギュラー上等です。というわけで、一応、僕は何でも屋として護衛任務に携わりますが、紫さんの操り人形という訳じゃあないですし、ご安心下さいな」

「――参ったわ……流石にそこまで言われてしまうとねぇ……でも、あの吸血鬼達のことはどうする心算?」

額に手を遣りながら、永琳がそう尋ねると、

 

「絶対に前には出させませんよ。幾らでも死にそうな伏線があるのに、早々前に出す訳がないです」

 

きっぱり。

 いっそ清々しいまでのその言葉の言い切り様に、一旦は驚きで眼を丸くさせた永琳がその後とうとう笑声を響かせ始めた。

 くっくっく、と喉の奥から漏れ出るその笑い声に、イオが若干脹れっ面になり、

「何がそんなに可笑しいんですか?」

とジト眼になって突っ込んだ。

「い、いえ別に貴方を馬鹿にして笑った訳じゃあないわ。貴方の不戦主義が……あの妖怪の賢者にとってはどのように映るのかと思うとちょっと、ね。まぁ、元より貴方と私の教え子の妹の方を闘わせたいとは私だって思っていないわ。――いいでしょう。私から貴方に渡す手紙、書かせてもらおうかしら」

「……有り難うございます。まぁ、もうちょっと言うなら、そこの兎さんが戻られる決心をつけられていたら良かったんですが。――そうすれば、永琳先生の無事も知らせることも、事前に其方に観光客が来ることも教えられますしね」

ですが、余り高望みはしませんよ。

おっとりと笑う、何時もの様子に戻った彼が告げると、

「では、永琳先生。お手紙が出来ましたらラルロスに言って下さい。僕のゴーレムが送られて来ると思うので、その子に渡してくれたら幸いです」

それじゃあ、失礼しますね。

にっこりと殊更に深い笑顔を浮かべたイオが一礼し、ぎし、ぎし、と木造の病室の床を軋ませながらも退室していく。

……恐らく、何時ものように依頼を遂行しながら、のんびりとその時を待つ心算なのだろう。

「……ふふ。ラルロス?」

「…………なんだ」

「あの子、悉く色々な上層部の思惑を擦りぬけているように見えるわ……ちゃあんと、他の組織にも根回しをしているようだし、多分、予測不可能なまでになってるんじゃないかしらね」

彼が立ち去っていった方向を眺めながら、永琳が苦みが強い笑みで呟くようにしてラルロスに告げた。

 すると、ラルロスは肩を竦めて、

「向うの世界でも同じような感じだったぜ。何せ、イオを囲いたいと考える奴は数えきれない程いたしな。まぁ、万事がお人好しなアイツだから、この世界じゃあなるべく他の組織のことを慮ってくれてるんだが。――向こうじゃあ、完全に関わりを断つようにしていたんだよな」

そもそもが、イオが嫌う、権力を振り翳すような貴族ばかりだったからよ。

「ふぅん……そうなのね」

永琳はそう、伏し目がちに呟くのであった。

 

――――――

 

「――あら、イオじゃないの」

「やっほ、霊夢。修行の方はどんな調子?」

肩掛けに色々と食材と御賽銭用の金銭とを入れ、イオが鳥居の下に立って手を振ってみせる。

 そして、ゆっくりと周りを見回して静かに息を吐いた。

 普段、ぼろぼろが目立つ本殿の前に、霊夢が神降ろしを行う為の儀式場が設えてあり、

平面上では正方形にみえるその囲いに、榊と呼ばれる結界の材料とも言うべきものが四方八方に吊り下げられ、霊力と思しき密やかな輝きが、結界を形作っているのをはっきりと周りに示している。

 イオに声を掛けられた当人はというと、大幣を肩でとんとんとさせながら、

「どんな調子も何も……はっきり言って面倒以外の何物でもないわ」

「あはは、霊夢にとってはそうだろうね。――もしかして、今回何か感じていることでもあるの?」

よいしょ、と一声漏らしながら、イオが賽銭箱近くに肩掛けを下ろし、そう訊ねてみると、彼女は嫌そうな表情になって、

「……嫌ーな感じがね。――イオ、はっきり答えて。今回のこれは、『侵略』でしょう?」

「ふむ……そうだね。『一面だけを』見るんだったら」

何処となく含んだものがあるかのような彼の発言に、霊夢の眉が若干上がった。

「……やっぱり、何かやってたのね」

「やってた、というより状況が動いたんだよ。――永遠亭に月から兎さんが逃げてきた」

「ふぅん……そう」

「永琳先生は、その兎さんを使って今度の月旅行が『侵略』ではなく『観光』になるよう取り計らってくれる。確約も貰ったし、僕自身も向こうの人宛てに手紙を貰うことになっているから」

恐らく、霊夢が危惧するようなことにはなりえない可能性が高まってきた。

 持参してきた竹筒の水筒を開け、くいっと飲み干すとそう告げる。

「霊夢は、今回のこと……自分達が悪であると自覚しているから、そんなに嫌そうな顔になるんだろうけど。これだったら、観光だから戦う必要も阿る必要もないわけだ。寧ろ、遊び相手になってくれるかもね?」

兎さんから話を聞いたけれど、どうやら月の兎さん達は単調な訓練に嫌気が差しているみたいだからさ。

 言外に、『スペルカードルール』の布教をしようと言っている彼の言葉に、霊夢が眼を大きく見開いた。

「……よくそこまで考えついたわね」

「紫さん、どうも僕を侵略戦争の要として見ていたみたいだから。色々とぷっつんと来ちゃってね……引っかき回してやろうかと」

自分の眼で見て行動しろって紫さん当人から言われたしね。

ふふふ……と、黒い笑顔を浮かべるイオ。

 常の温厚な彼とはまた違った様子に、霊夢は少々顔を引き攣らせたが、

(……まぁ、紫の奴にはいい薬になるかしらね)

何しろ、本来戦いを好むような性格でない者を引き摺りこんだのだ。そりゃあ誰だって怒る。自分だってブチ切れる。

 縁側に用意していた緑茶を注ぎ、自分の湯呑を傾けながら霊夢は徒然としてそう思った。

 そんな彼女に眼を向けずに縁側に同じように座ったイオが、

「……大天狗さんとね、交流を交わす機会がそれなりにあるんだけどさ。その人に今回のことで呼び出されたんだよね。――月へ行ってはならぬ、よしんば行くにしても戦いを避けよって口を酸っぱくさせて言ってきたんだよ」

「アンタがそこまでの人脈というか妖怪脈?を築いてたのは驚きだけど……天狗の上層部がそんなことをアンタに言ったの?」

天狗は人間に対しては見下し、侮蔑の表情を浮かべるというのに。

 今度こそ霊夢が驚きで染まった表情を向けると、イオはニコニコと笑い、

「文のことで世話になってるからね。まぁ、僕の心情としては親戚に挨拶しに行ったようなものかな?」

「……なんか、結婚を報告してるかのような物言いね」

「そんな訳ないだろ。親友には違いないけど、文とは普通に友達関係を続けてるだけだよ。それに、結婚とかの話題ってどうしたって色々と利権も絡むからさ」

勢力図を塗り替えてしまうことにもなりかねないからね。

 飽くまでも中立である、そうイオは断言した。

「ま、話を戻すけどさ。僕、大天狗さんが過去に経験されたことから言ってくれてると分かったもんだから。それに、嫌な予感もなんかしていたしね。どうも戦わされそうな雰囲気もしたし、どうせだったら皆で楽しめるようなことになればいいかなって」

紫さんにはかなり歯痒い思いをさせることになりそうだけどさ。

くすくす、と楽しげな笑いを響かせるイオは、常の考えてなさそうなそれとは一線を画している。

「そういうわけだから、そんなに焦らなくても大丈夫かな。もし、戦いになったとしても僕が最前線に立つから安心してね?」

そもそも、護衛として雇われてるわけだし。

次いでのように聞かされたその言葉に、霊夢は驚きを通り越して呆れ顔となった。

「……なんというか、二重三重の構えね」

「そんなこと言われてもねぇ……そもそも、護衛の依頼を受ける心算はなかったんだよ?霊夢やら魔理沙やら、知ってる人が乗り込むって聞いたから、そんなことになっただけでね。そうじゃなかったら静かに人里で依頼でもやってた。こうなった以上、僕は本気で戦いを回避する方向で動くから、紫さんに会うことあったらそう言っておいてね?」

僕は、あくまでも中立なんだからさ。

 がらがら、と賽銭箱の中に今日の分の金銭を入れ、イオは肩掛けごと霊夢に渡す。

「ま、覚えてたらそう言っておくわ。何時も食料入れてくれてありがとね」

「――天変地異でも起きるのかな?なんか、今とんでもない一言が聞こえた気がする」

「あぁ?私が御礼言ったら可笑しいの?」

ぎらん!と眼光鋭く睨みつけられたが、イオはくすくすと笑って、

「冗談だよ。……出会った頃より人間らしくなってきたって思ったからさ」

じゃね、体を冷やさないようにしなよ?

たん、と奇麗な音と共に石畳の上に降り立ち、イオはすたすたと歩み去って行った。

 ふん、と鼻息も荒い状態だった霊夢だが、静かに湯呑を傾けるとそれも消える。

 そして、呟いた。

 

「――紫。聞いてたんでしょ?出て来なさいよ」

 

「……」

唐突な妖怪の賢者の登場に、しかし、霊夢は戸惑うことはしない。

 それどころか、若干ニヤニヤとした表情で、

「……で、イオがああ言ってたけど。紫としてはどう思ってるわけ?」

「……別に、どうとも思ってはおりませんわ」

「ウソでしょ、それ。表情が幾らなんでも硬すぎるわ。思ってもなかった反撃で驚きまくってるんじゃない?」

無を通り越して虚無になっている紫の表情に、霊夢はニヤニヤと相変わらず挑発するような笑顔でそう尋ねた。

 そこで、紫がようやく表情を苦笑のそれへと変え、

「――参った、とは言いません。だけどね……まだ、勝負は始まってさえもいないわ。私にだって、嘗ての戦いに対する意地もある。策も、考えている。あの、永遠亭という月に対する厄ネタが存在する以上、どうしたって月から侵略される可能性は皆無ではないのよ」

「ふぅん……でも、イオは言ったわ」

 

――『本気で戦いを回避する方へと動く』って。

 

「……ふふ。これはもう、あの子と私の一騎討ちになりそうね」

面白い……受けて立とうではないか。

 何時ものように扇子を開き、静かに仰ぎながら紫はそう呟く。

「霊夢、私達の戦いは介入しなくとも構わないわ。どちらにせよ、神降ろしの修行に集中して貰わなければならないから。手を抜いては駄目よ?」

「はいはい、十分に分かってるわよ。じゃ、またね」

「ええ、体に気をつけなさいな」

挨拶を返してくれるまでになった彼女の様子に、紫は嬉しそうに笑いながらもフッと気配を消したのであった。

 

 




さぁさぁ、話がどんどん複雑化していくZE☆
いやまあ、書いてたらこんなことになってたんですorz
キャラクターが勝手に動くって、こういうことなんですねぇ。
健全だった話が、もう何が何やら。
そんなこんなで混乱している作者ですが、また次話をご期待下さい。
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