恋人に振られた男のお話です。
薬物の話題がでるので苦手な方はご注意ください。

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君に堕ちる

 歩く、歩く、歩く。

 夜の繁華街を当てもなく進む。居酒屋で散々酒を飲み酩酊しながらも、まだ飲み足りない。今日は限界までアルコールを摂取したい。風俗店の勧誘を何度も無視しながらふらふらと歩く。キャッチの声も遠ざかり、気が付くと人気のない裏路地に出ていた。

 ───どこだここ……

 引き返そうにもどちら側から来たのかはっきりと思い出せない。辺りを見回してみても知らない景色ばかりだ。どうせ帰り道もわからないなら進んでしまえ、そう思いながら前へ歩く。

 しばらく歩くと一軒のバーを見つけた。店の前には“BAR fool”という文字とともにピエロが描かれている。

 愚か者。今の自分にはお似合いの店だと思いながら扉を開ける。

 

 「いらっしゃいませ、お好きな席へどうぞ」

 

 出迎えてくれたのは初老のバーテンダー。裏路地にあるからなのか、あまり繁盛はしておらず客はまばらに座っている。

 カウンターに座りながらメニュー表を探すが、それらしきものは見当たらない。

 

 「君、この店は初めて?」

 

 後ろから突然話しかけられた。驚いて振り向くと薄紫のショートヘアがよく似合う美人な女性だ。

 

 「は、はい」

 「このお店メニューないから最初は戸惑うよね。マスター、いつものやつ2つ!」

 

 女性はバーテンダーに注文をすると勢いよくこちらに振り向く。髪が揺れ、微かに柑橘の香りが漂い鼻腔をくすぐる。

 

 「そういえばどうして君はこんなお店に来たの?」

 「これといった理由は特に……ふらふらしてたら偶然目に留まって……」

 「へぇ……色々あったんだね」

 「はは、まぁ……」

 

 話しながら数時間前のことを思い出して気が落ち込む。

 

 「よし! 今日はお姉さんが奢ってあげよう、じゃんじゃん飲め!」

 「いや、今日会ったばかりの名前も知らない人にそんな……」

 「そっか。私は神崎栞、栞でいいよ」

 「あ、自分は坂本圭太です」

 「これで知らない人じゃないね!」

 

 そんな強引なと断ろうとも思ったが、落ち込んだ様子の俺を励まそうとしているのだろうと思い素直に受け入れることにした。

 

 「ではお言葉に甘えて……ありがとうございます」

 「よし! さーてなにを飲んでもらおうかな~」

 

 

 

 

 

 「もう飲めない……」

 

 何杯飲んだのか全く覚えていない。隣では俺の倍は飲んでおきながら、また新しい酒を頼んでいる。

 この人は一体何杯飲むつもりなんだろうか。

 早速新しく出てきた酒をほとんど飲み干している。

 

 「どんどん飲みますね……」

 「ん? まだまだ飲めるよ~。圭太は……ダメそうだね」

 「はい、すみません」

 「こちらこそごめんね、ちょっと飲ませすぎちゃったかも」

 「いえ……」

 

 正直ちょっとどころではない。多分これ以上飲んだら全部出てくる。

 

 「今日はこのくらいにしておこうか。家まで帰れそう?」

 「頑張ります……」

 

 席を立ち出口へと向かう。しかし酔いで足元がおぼつかない。ふらふらと歩くが急に視界が横になった。

 

 「いってぇ……」

 「大丈夫!?」

 

 どうやら転んでしまったらしい。頭を強く打ったようで右側頭部に痛みが走る。起き上がろうにも腕に力がはいらないどころか、意識は遠のいていく。暗転する意識のなかで一人の女性が脳裏を横切った。

 

 

 

 

 

  「別れよっか」

 

 2年間付き合っていた彼女にそう告げられた。

 何故、何か悪いことをしてしまったか、何がいけなかったのか、様々な疑問が頭に浮かんでそれらは消えないままぐるぐると駆け回る。

 

 「な、なんで……?」

 

 声が震えていることを自覚しながらも理由を聞く。恐ろしくて仕方がない。もう戻れないのではだろうか、今まで通りにはなれないのだろうか。

 彼女は口を閉じたまま視線を左下に移し、どう伝えようか迷っているように見えた。

 

 「……好きな人が出来たんだ」

 

 帰ってきたのはシンプルな言葉。しかし心を砕くには十分すぎるほどの破壊力を持った言葉だった。

 視界が歪む。膝から下の感覚が無い。地面に立っているのかすら怪しくなってくる。

 

 「あ、でもあなたのことを嫌いになったとかじゃないの! 本当だよ!」

 

 必死にフォローを入れてくるが、なんの慰めにもなりやしない。まだ直してほしかった部分や嫌いな部分などを言ってくれた方がマシだ。これではどんなに自分が頑張ってもどうしようもないということを突き付けられているだけだ。

 

 「そ……そっか……あー、がんばってな……」

 「圭太……」

 

 

 

 

 

 「香奈!」

 

 跳ね起きる。嫌な夢を見てしまった。つい昨日のことだ、そうすぐには忘れられないだろう。それよりもここはどこだろう。初めてみる部屋で、自分の部屋どころか置いてあるものを見ると男の部屋でも無いように思える。

 

 「あ、起きた?」

 

 部屋の扉を開けて出てきたのは昨日一緒に飲んでいた栞さんだった。手にはマグカップを持っており匂いからコーヒーが入っていることがわかる。

 

 「栞さん……」

 「結構勢いよく頭ぶつけてたけど、大丈夫?」

 

 そう言われて頭がまだ少し痛むことに気が付いた。ぶつけたことによる痛みにもただの二日酔いの痛みにも感じる。ただ日常生活に支障をきたすほどの痛みではなかった。

 

 「はい、なんとか大丈夫そうです」

 「それはよかった。昨日は飲ませすぎちゃったし、責任感じてたんだよね……」

 

 そういって彼女はバツが悪そうに視線を逸らす。

 

 「いえ昨日は酔いたい気分だったので、むしろ助かりました」

 「そう? ならよかったぁ」

 

 栞さんはほっと胸を撫でおろし、思い出したように顔を上げる。

 

 「そうだ! 朝ごはん作ったんだ、食べるでしょ?」

 「はい、ありがとうございます」

 

 目玉焼きにウインナー、みそ汁に白米と日本の朝ごはんのお手本みたいな朝食が出てきた。

 

 「おいしい……!」

 「よかったぁ。普段人に食べてもらう機会がないから心配だったんだ」

 

 目玉焼きは黄身が半熟で、ウインナーは塩コショウが効いており白米によく合う。こんなしっかりとした朝食も久しぶりだ。

 

 「そういえばさっきの香奈って誰?」

 「んっ! ごほっ!」

 

 起きた時の言葉を聞かれていたとは思っておらず、咳きこんでしまった。

 

 「あはは、ごめんね。聞くつもりはなかったんだけど、ついね」

 「いえ、あんな大声を出した自分にも責任はありますから……」

 「それで、誰なの? 話したくないなら無理にとは言わないけど」 

 

 秘密にするのはここまで迷惑をかけた栞さんに悪い。落ち着くために水を一口飲み、話を始める。

 

 「なるほどねぇ、それで酔いたい気分だったのか」

 「はい、まぁそんな感じです」

 

 沈黙。すこし気まずくなってしまった。

 

 

 「ねぇ、その元カノのこと……忘れたい?」

 

 栞さんが口を開く。忘れられるものなら忘れたい、だけどそんなことができるのだろうか。

 

 「ほんとにできるのかって思ってるでしょ?」

 「……はい」

 「できるよ」

 

 静かに、キッパリと言い切った。香奈との思い出、良いものも悪いものもたくさんある。2年間のもの全部捨てるのは躊躇う。けれど今感じている心の痛みを消せるのならば、それも悪くないのかもしれない。

 

 「…………忘れたいです」

 

 こぼれた声は思っていたよりも弱々しく、か細いものだった。

 

 「うん、よく言えました。ちゃんと言えて偉いね。ちょっと待ってて」

 

 そう言うと彼女は奥の部屋に入って何かを探し始めた。数分待っていると栞さんは小さな包みを持って出てきた。

 

 「それは……?」

 「これを飲めば忘れられるよ。本当はそこそこの値段するんだけど、今日出会ったのもなにかの縁だしあげるよ」

 

 明らかに怪しい。恐らく合法的なものではないだろうと直感が告げている。本能がそれを飲んでしまえば戻れないと警告している。

 だが今はそんなことよりも心の痛みを消したい。この欲望に逆らうことはできない。手を伸ばし栞さんから包みを受け取る。受け取ってしまう。

 包みを開けると白い錠剤が入っていた。覚悟を決めて錠剤を口に含みコップに残った水で流し込む。

 

 「……!」

 

 飲み込んだ瞬間、体の芯から熱くなり汗が噴き出る。目の前がチカチカと明滅し、脳からは危険信号が出ているがそれも気持ちよさに変っていく。

 

 「どう?」

 「めっちゃ気持ちいいですね、これ」

 

 俺の言葉を聞き栞さんは微笑んだ。天使のように。

 

 

 

 

 

 あれから1週間、何か悲しいことがあったような気がするけど何も思い出せない。まぁ忘れているということはそんな大事なことでもないのだろう。

 と思っていた途端、体に寒気が走る。まだ夏だというのにこんな寒気が急に来るだろうか。

 

 「……あっ」

 

 思い出した。思い出してしまった。痛い、痛い痛い痛い。心が痛む。脳に女性の姿がフラッシュバックする。彼女は、彼女の名前は……ダメだ、思い出すな。思い出したらダメだ。体が思い出すという行為自体を拒絶している。

 またアレを飲まなければ。早く早く早く。

 走って栞さんの家へと向かう。幸い道に迷うことなく栞さんの家にたどり着くことが出来た。インターホンを鳴らす。

 出てこない、もう一度鳴らすが結果は同じ。はやくアレを飲め、体が催促しているように寒気は増していく。

 もう一度鳴らそうとしたとき、後ろから声がかかる。

 

 「圭太くん?」

 

 薄紫のショートヘア、柑橘の香り。待ち望んだ姿があった。

 

 「栞さん! この前のやつをください!」

 「え、えぇ!? んー、とりあえず中入ろうか。てきとうな所座ってて」

 

 誘われて栞さんの家へ入る。栞さんはそのまま奥の部屋に消える。テーブルの前に正座して待つ。

 

 「とりあえずこれね」

 

 奥から出てきた栞さんに錠剤を受け取り、そのまま飲み干す。

 体の寒気は収まり

 

 「それで大事な話なんだけど、これ結構するって言ったでしょ?」

 「……はい」

 「実は私、これを売って生活してるから君からもお金を貰いたいんだけどお金って持ってる?」

 

 お金。頭の端に追いやっていたものが突きつけられる。ただのフリーターの俺に大金を用意することはできない。

 

 「すみません、待ってないです……」

 「まぁそうだよね。ちょっと待ってて」

 

 栞さんはそう言うと、携帯を取り出した。今時ガラケーなのかと訝しんでいると、インターホンが鳴る。

 

 「お、来た来た」

 

 栞さんがドアを開けると、黒いスーツを着た男が立っていた。2人が小声で何か話している。聞き取れはしなかったが、あまりいい話をしているようには思えない。話が終わったのか栞さんはこちらを振り向いた。

 

 「それじゃ行こっか、圭太くん!」

 「ど、どこへ……」

 「んー、いいところ?」

 

 マズイ、なにか根拠がある訳ではなかったが明らかに着いていったらマズイことだけはわかる。今なら2人の隙間をくぐり抜けて逃げられるかもしれない。

 ───今しかない

 再び2人が話を始めた隙を見計らって走り出す。

 

 「あっ」

 

 栞さんの横を通り、黒スーツを押しのけて外へ出る。大急ぎで階段を下り道路へ出た。しかしそこには3人の黒いスーツを着た男達が立っていた。

 立ち止まってしまった瞬間、黒スーツの1人が俺を取り押さえた。

 

 「もう、逃げちゃダメでしょ。圭太くん」

 「ぐっ、離せ!」

 

 栞さんは取り押さえられた俺を悪魔のように微笑みながら見下ろしている。

 じたばたと体を動かそうとするが、びくともしない。何とか逃げようと努力するが何もできず体力だけが無駄に消費されていく。

 

 「ごめんね、これも私の仕事だから」

 

 首筋に電流が走る。オレンジの匂いがふっと香り、意識は暗闇に飲まれた。

 

 

 

 

 

 

 目が覚めると手術台のようなものに体が固定されていた。周囲には手術着を着た人が数人立っていた。

 

 「おい、なんだこれ……」

 

 俺の問いかけに反応することはなく、淡々と刃物を取り出した。銀色に煌めく刃を腹にあてがい滑らせていく。激痛が走る。腹が割かれ、内臓を取り出される。痛みで意識が飛び、痛みで意識を戻される。

 地獄のような時間が続き、やがて二度と戻れないような闇に飲み込まれそうになる。

 消え去る意識のなか、思い出したのは栗色の髪の毛。もはや顔を思い出すことはできないが大切な人。大切だった人。

 

 「香奈……」

 




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