また君と、今度はずっと 〜If you can Cross to tomorrow〜 作:Simca Ⅴ
アメリカ同時多発テロ。
2001年9月11日に発生したこの出来事は、まさしく人が引き起こした災害級の人災であり、アメリカだけでなく、世界中が衝撃を受けた。
それは、日高の小さな牧場も例外ではなく。
「いいか、絶対にクロスクロウとクロススキッパーには雄馬さんが亡くなったことを知られないようにしろ」
「そうは言いますけど、わかるんですか?」
牧場長は悲報の一報を聞いてすぐさま、厩務員たちを母屋に集めてそう厳命した。
まだ経験の浅い厩務員の一人がその厳命に「解せぬ」と言わんばかりの様子で反論するが、牧場長はきっぱりとこう言い切った。
「あぁ。実は解っちまうんだよあの馬は……」
牧場長はここにクロスクロウが来た時から、あの馬の特殊性というか
やろうとすれば脱柵など簡単に出来てしまう上に、
極め付けは、今年の正月にはまた脱柵したと思えば、母屋で習字を書いていた子供の手から筆を半ば奪うような形で口に咥えたかと思えば、半紙にデカデカと、
「うまぴょい!」
と、殴り書きしてみせた。
そのクロスクロウの息子クロススキッパーも、その賢さを父から受け継いだらしく、馴致は普通の馬よりもあっという間に終わってしまったし、厩務員や、度々牧場に顔を出してくる臼井調教師の指示にも素直に従う上に、特に臼井調教師にはすごく懐いていた。
ということは、クロスクロウ並みに馬離れした頭脳をしているとか、あるいは人間臭い感じになっていても不思議ではない。
そもそも、今のクロスクロウの体調は良い日と悪い日の落差が激しく、ここでメンタルをより悪化させるような知らせを耳に入れさせてはならない。
少しでもクロスクロウを延命させて、一頭でもこの馬に子孫を残してやりたい───それこそが雄馬と美鶴の宮﨑親娘にとっての望みだった。
その意思を尊重したいし、馬を預かっている以上、例え余命があまり残されていないことが分かっていても、その命の炎が消えないように全力を尽くしてきたのだから。
それを、どこの馬鹿が引き起こしたか分からない、どうせくだらない理由であんな凄惨な事件を起こした輩のせいで消させてなるものか。
……牧場長は決意と共に、そのような静かな怒りをその時は抱えていた。
史実通り9.11があった世界に生まれ落ちた上に、まさか馬主さんの親娘まで亡くしてしまうことになるなど、この世界に転生した時は想像すらしていなかった……というか、アメリカに行くなら絶対止めたのに……。
『その、ドウジタハツテロ? って話をクロの耳に入らないようにすればいいの?』
『そうなんだ。おじさん……』
あの衝撃的な映像を見た後、僕は厩務員さんに慰められながら、少し長い時間放牧された後、同じ放牧地にスペおじさんがやってきたので、事の顛末を(馬の頭脳で理解できるように省略した箇所こそあれど)全てを話すことにした。
アメリカという国で酷い事件が起きたこと。
そのせいで大勢が亡くなったこと。
そして……雄馬さんと美鶴ちゃんが亡くなり、僕の馬主さんがいなくなってしまったこと。
特に、雄馬さんは
今、お父ちゃんは病床に伏せっている。そんな最中にこんな悪い知らせを耳にしたら、間違いなく身が持たない。それを特におじさんに力説して、他の馬にも同じ話を通してもらえるようにお願いするしかなかった。
『それにしても、アメリカでそんなことが……。確か、アメリカって、グラスくんやワンダーアゲインちゃん、エルくんの生まれ故郷だったはず……』
ぽつりぽつりとスペおじさんが呟いた名前は、実は僕にも聞き馴染みのある
グラスくん───これは「グラスワンダー」のことだ。
昔々、同じアメリカ生産馬のマル外*1故に、ついぞ日本ダービーのターフを踏むことの叶わなかった"怪物"という渾名で知られた競走馬マルゼンスキーがいた。
そのマルゼンスキーと似た経過を辿ったことから後継の"怪物二世"として知られるようになり、アイビーステークスと京成杯の頃にはお父ちゃんにとっての"越えられなかった壁"であり、宝塚記念ではスペおじさんをちぎり倒して。マイルから中距離まででかなりの強さを誇ったマイル王であり、"異次元の逃亡者"サイレンススズカと共にマイル界の二大スターの座を争った存在。
幾度となく、スペおじさんとお父ちゃんから聞かされてきた
お父ちゃんは「グラスの存在が無かったら俺は逃げと追込みが得意なウマだと自分で気付かなかったかもしれないし、俺はここにいなかったかもしれない」と、よく教えてくれた。特に朝日杯ほどグラスと本気でやり合えたレースは無かったかもしれない、と……どこか遠い目をしながら話していたほど。
お父ちゃんにとって1番の無念は、1999年の有馬記念に出走出来なかったこと。ここでグラスワンダーとまた対決したかったし、最後に一緒に走れるチャンスだろう、と考えていたらしいから。
エルくん───きっとこれは「エルコンドルパサー」のこと。
グラスワンダーと同じくマル外の馬ながら、グラスワンダー以上にマイルと中距離のレースで無類の強さを誇り、芝とダート、馬場を問わずに強い勝ち方をする馬だとお父ちゃんは教えてくれた。
また、本来であれば、イギリスG1を戦った後に、お父ちゃんも出走するはずだった凱旋門賞で2着に敗れた馬。
その敗北がよほど悔しかったらしく、凱旋門賞での引退を撤回して1999年の有馬記念に急遽出走。
黄金世代が上位5着を独占していた中で4着に敗れたものの、凱旋門賞の憂いを吹き飛ばせたらしく、今度こそ本当に勇退していったという。
……この辺りは僕の知ってる歴史とかなり違ってる。僕の知ってる歴史では
そして、ワンダーアゲインさん。
スペおじさんが春から夏にかけて
そのワンダーアゲインさんは、何と、グラスワンダーの妹さんだったのだとか。
無事受胎出来たかは分からないものの、産まれたら競走馬として活躍するかもしれないとのこと。
うーん……確率は低いだろうけどいつかは会ってみたい。
だって、スペおじさんの子供ってことは、僕にとってのイトコみたいなものだもん。
……だけど、馬主さんがいなくなった
前世で聞いたことあるのは、例えば、競走馬のオークションみたいなのがあって、それで値が付かなかった馬は
『それにしても、ユウマさんとミツルちゃんが亡くなっただなんて……ホッパーくんこそ、これから大変になるのに、本当に君のお父さんには何も耳に入らないようにしろ、ってこと?』
……いかんいかん。こんな時に弱気になってどうするんだ。
それに、まだ僕には別の道があるかもしれない。
『いいんだ、おじさん。もしかしたら、雄馬さんの後を継ぐ人が僕の馬主になるかもしれないし、オークションみたいなところに行くかもしれないし。……最悪、お肉になるかもしれないけど』
『何だって?』
『……ごめん、なんでもない。とにかく、今のお父ちゃんに悪い知らせを耳に入れるのはNG。お父ちゃん、そもそもメンタル強くないでしょ?』
『それは……まぁ……うん……確かにそうだけど……』
我が甥ながら、実父に容赦がないなー……。スペおじさんことスペシャルウィークはそんなことを思った。
そのスペシャルウィークは、現役時代、特にクラシック期のほとんどのレースで、クロスクロウと同じレースに何度か一緒に出走したことがある上に、同じ臼井厩舎の隣同士で、クロはスペにとっては兄貴分みたいな存在でもあった。
そんな間近でクロが一喜一憂する様子を見ていたり、接してきたり。そうしてきたからこそ、今さっきの甥による容赦ない指摘に反論出来なかった。
だが、それでもだ。これだけは言わねばならない。スペは意を決して、甥を諭した。
『でも、ホッパー。いつまでも悪いニュースを隠してはおけないよ?』
『それはわかってるけど……』
伯父からの指摘に、これまた甥のホッパーは反論できなかった。
……本当にどうしよう?
どう誤魔化すべきか。
なるべく明るいニュースはないものか……。
……あ。そういえば、スペおじさん、子供ができるかも?って言ってたっけ。
……そういえば、お父ちゃんも
『───ホッパー、ホッパー?』
『……ん?』
気付けば、僕は自分の馬房に戻っていた。
そして、お父ちゃんに話しかけられて我に返る。
……お父ちゃん、また酸素呼吸器をつけてる。大丈夫だろうか?
状況を一瞬見失っていて何と答えるべきか迷っていたら、お父ちゃんが突然頬を吊り上げてこんなことを言ってきた。
『今お前、ニヤついてただろ?』
『え!?』
え、ヤバっ、顔に出てた!?
『何か良いことでもあったのか?』
『……』
……そう言われて、返事に困った。
今日は今朝から良いことなど一つもなかったはずなのに。
……けれども。
『……実はスペおじさんがね』
『スペがどうした?』
『ワンダーアゲインってお馬さんとの間に子供が産まれるかも、って言ってたんだ』
『え、今か?』
『違う違う。産まれるのは来年だって言ってたんだ』
『なるほど? ……つまり、スペおじさんの子供が産まれるのが楽しみで仕方ないんだな?』
『う、うん! 』
『そうかそうか。その気持ち。俺にもわかるぞ!……ゲホッ、ゴホッ……』
『あ、あぁ、お父ちゃん、興奮しちゃダメだって……』
『大丈夫、これぐらい……グアァッ』
咳き込みながらも、お父ちゃんはこんなことを言ってきた。
『ゲホゲホッ……。実はな……俺も去年牧場を留守にしている間に、
『え、じゃぁ!?』
『そう。多分、お前の兄弟姉妹はもう産まれてる頃だと思うぞ? 特に、メジロって冠名を背負うことになる馬とかがお前の目の前に現れるかもしれないし……一頭は海を超えてイギリスに行ったとか聞いてる』
『名門メジロとイギリスに僕の兄弟が……?』
まだ見ぬ兄弟の存在をお父ちゃんから聞けたのは収穫だったと同時に、何処か感じていた孤独感が、一気に吹き飛んだ。
クロスクロウの産駒が産まれることなくそのまま時が流れてしまった世界からやってきた僕にとって、この世界は未知のことだらけだ。
もちろん、僕が学んできた歴史の知識は決して無駄にならないとは思う。
でも、「クロスクロウ産駒」というのは、その道筋は一寸先は闇だ。
だからこそ、落ち込んでばかりもいられない。
誰かがこんなことを言っていた。
《たとえ闇に閉ざされても、人は必ず何か喜びを見つけ出し、微笑みを取り戻せるものだ》
と。
その通りだと思う。
先がわからない不安こそあっても、希望を捨ててはいけないんだと。
……しかし、そうは思っていても、やはり「その日」は訪れてしまった。
ごめんなさい。
もう少しだけ続きます。
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スポ根!
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ハッピーエンド!
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曇らせ、鬱展開……
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