また君と、今度はずっと 〜If you can Cross to tomorrow〜 作:Simca Ⅴ
Simca V(シムカ・サンク、もしくはシムカ・ファイブ)と申します。
あらすじにも書かせていただいたように、これは、スタークさんの作品である「また君と、今度はずっと」の『【Ep.47】混交!』から分岐した作品です。
この度、掲載許可をいただきましたので、本日(2022年7月10日)を以ってお披露目させていただきます。
#00『とある終わりから始まる物語』
傷跡を残して早逝した英雄がいた。その馬の名は──────。
「古の日本競馬たちの血を以って、イギリスにその名を轟かせた」
2000年。冬が迫る10月の北海道日高町のとある牧場でのこと。
「それ、頑張れ、もう少しだぞ!!」
ある馬房では厩務員の男性と、獣医の男性が出産直前の一頭の栗毛の牝馬に付きっきり。
馬房に数人の男女が詰め掛け、その様子を静かに見守っていた。
しかも、その様子を見守っているのは彼らだけではない。
その母馬が産気付いてから、自分たちの馬房からその様子を見守るように見ている牡馬も二頭いた。
そこに、二人の男女がやって来る。
その二人は親と娘ぐらい歳が離れているように見えた。
そんな親娘がやってくると、片方の牡馬、葦毛の馬が静かに嘶いた。
「おー、よしよし……いい子だ」
男は嘶いた葦毛を優しく撫でつつ、近くにいた別の厩務員にやや音量を落として尋ねた。
「……どうだ、生まれたか?」
「これは……宮崎さん、娘さんも。まだですね……あの通り奮闘中で。破水してもうそろそろ30分ですし……」
「そうか……」
「……ねぇ、どういうこと?」
中学生か高校生ぐらいの娘は父親に尋ねる。すると、
「美鶴。馬の出産ってのは30分を超えてくるとお腹の子の生死に関わる何か異常事態が起きてるってことになる。ましてやオースミキャンディは今回が初産と聞いてるからな」
「初産で時間が掛かるってこういうこと……?」
「そうだ。尤も、あの子が無事生まれて母体も無事なら、次の子を産むときはもっとスムーズになるはずだ」
そんな会話をしている側で、
「よし、やったぞ、足と頭が出てきた!」
「ゆっくりと引っ張れ! もう少しだぞキャンディ頑張れ」
母親であるオースミキャンディという名の牝馬は難産に嘶いて馬房の藁の上を今にも転げ回りそうな状態だった。
しかし、厩務員と獣医が我が子を慎重に自分から取り出そうとしているのはわかっているため、必要以上に暴れていないようだった。
牡馬たちも「頑張れ」「しっかりしろ」と言わんばかりに嘶き、それが段々声量も大きくなっていく。
「そのまま、そのまま……!」
だがその苦痛も峠を越した様子であり、あとは何ら抵抗もなく仔馬はスルリと母の産道を抜けた末に藁の上に降りた。そんな我が子を見たオースミキャンディ。羊水でヌメヌメとした仔馬の体を舐め始めると、間も無く仔馬は口から羊水を吐き出した。
牡馬たちはそれを見て安堵したような嘶きを漏らすと少し静かになった。
そして、20分もすると、
「おぉ……」
「やった。立ったぞ!」
「奇跡だ、奇跡の子が生まれた!」
見守っていた厩務員たちは一斉に……母馬や仔馬、それに他の馬が驚かないよう静かに歓声をあげて喜びを分かち合った。
奇跡の子。
そう呼ばれたこの仔馬の誕生を心待ちにしていたのは厩務員たちだけではない。
「美鶴、おめでとう。あれはお前の馬だ」
「私の……馬」
父・雄馬は、それまで見せたことの無いような優しい笑みを浮かべて、立ち上がったばかりの仔馬を見ていた。
そして娘・美鶴はこの仔馬の馬主になることが決まっていた。
とはいえ、美鶴は学生身分であり、馬主資格を持っているのは依然として父の雄馬だったが。それでも、目の前で生まれた命に特別な思いが自然と込み上げてきた。
そんな時だ。
「お? おいおいおい、何だ、お前たちも気になるのか?」
先ほどから出産を見守っていた二頭の牡馬たちが、近くにいた厩務員の襟首を後ろから口で掴むと、それに気付いた雄馬と美鶴がそれぞれの馬の頬を撫でて宥めつつ、牧場長である男性に視線を向けた。
すると、
「……しょうがないな。今回だけですよ? 本来なら他の牡馬が仔馬を殺しかねないのに……」
「この子たちがそんなことするはずないです」
美鶴はこの二頭を信頼してそうすっぱりと言い切ってしまった。雄馬は「やれやれ」といった様子だった。
暫くして、二頭の牡馬たちは馬房を出され、オースミキャンディと仔馬のいる馬房に連れてこられた。
牡馬たちは生まれたばかりの仔馬を愛情表現として舐めていた。
「それにしても、奇跡の子か……」
「そう呼ばれるのはある意味当然かもしれませんね……下手すりゃ何年か前にオースミキャンディが焼け死んでたかもしれないのに、それをあのクロスとスペが救ったんですもん、そして、今回生まれたのはクロスの子で、スペはこれで叔父さんになった。こんな巡り合わせ、奇跡としか言いようが無いです」
雄馬が感慨に耽っていると、牧場長がそんなことを言った。
何を隠そう、今仔馬を愛でている牡馬たちだが、まず片方の黒鹿毛の馬は1998年の日本ダービーを制し、1999年のジャパンカップではフランスから挑んできたモンジューを下した″日本総大将″スペシャルウィーク。
そしてもう片方、葦毛の馬は1998年の皐月賞を制し、1999年のイギリスでキングジョージ6世&クイーンエリザベス・ダイヤモンドステークス(略してKGⅥ&QEステークスとも言う)を勝利して日本初の栄冠を持ち帰った″日本馬の英雄たちの末裔″クロスクロウ。
ちなみにオースミキャンディはスペシャルウィークの半姉にあたるため、彼らは、息子であり甥っ子の誕生を祝いながら一夜を過ごすことになった。
それは1年近く前のこと。
『そんな……クロ、ウソだと言ってください!』
1999年10月10日。東京競馬場の地下馬道。一見すると牝馬に見紛うような、綺麗な栗毛の牡馬が、厩務員に連れられていく葦毛の牡馬に対して嘶いていた。
嘶きは人には鳴き声にしか聞こえない。だが、馬たちにとっては会話も同然の行動である。
葦毛の牡馬は名残惜しそうに栗毛の馬に振り返りながら、嘶いた。
『……ごめんなグラス……俺、もう走れないんだ……』
『そんな……どうして?』
『走ると胸や喉が痛くなるんだ……お医者さんから、「引退させたほうがいい」って忠告されて、宮崎のおっさんが決めて……』
『そんなの聞いてない! 今年こそ一緒に有馬を走るって約束していたじゃないですか!!』
『そんな事、忘れる訳ないだろ!! ……ゲホッ……』
「クロス、大丈夫か? おい、誰かその馬を引き離してくれ」
グラスの無念そうな顔……スペもこの前同じような顔をしていた……。分かってる、分かってるさ、俺だって、お前たちとジャパンカップや有馬でまだまだ戦いたかった……。グラスだけじゃない、去年菊花賞で走れなかった
『イギリスでのレース、聞きました……。勝ったって。勝って日本初?の栄冠を手にして帰ってきたって、なのに……!』
悲しそうな顔をする我が親友、グラスワンダー……。今さっき毎日王冠で勝ってきたばかりの彼を、俺から引き離すように向こうの厩務員が引き綱を持ってグラスを連れて行こうとする。
グラスは最初抵抗したが、すぐにも落ち込んだ様子で、厩務員に引かれるがまま俺の元から去っていった。
俺はこのまま馬運車に乗って、何処かに行くらしい。
毎日王冠、今日の第11レースの後に行なわれたのは、俺の引退式だ。
調教師の臼井さん、俺の主戦ジョッキーを務めた奥分さんと生沿、それに、馬主の宮崎のおっさんとその娘の美鶴嬢ちゃん……。彼らだけでなく、今日レース場に詰め掛けた11万人が見守る中、生沿を背中に乗せて俺は1500mくらいを軽く走った。
1500m……前はこんな距離、大した事なかったのに、今だとまるで息が続かない。
もう3ヶ月も前のことだが、俺は、イギリスで戦っていた。
その名も、キングジョージ6世&クイーンエリザベス・ダイヤモンドステークスというレースで俺は勝った。イギリスといえば、競馬発祥の地、その本場で俺はこう言われた。
″無名の英雄″。
我ながらかっこいい。
それに、このKGⅥ&QEステークスって、凱旋門賞と同じく、かつては日本馬が勝利したことのないレースだったらしい。
その栄冠を手にして祝賀ムードで帰国できると思った。
でも、あの2406mを走り切った後から俺は調子がおかしかった。そこから息切れに陥って、気を失って……。気がついたら獣医のおねーさんがいた。なんのご褒美? と一瞬喜んだのもの束の間。その女医さんは俺に残酷な事実を突きつけてくれた。
英語はわからん、でも、言われたことは覚えていた。それを日本語で分かりやすくいうならば、「無理が祟った事による心肺機能の低下」ということだった。
その診断結果を聞いた馬主である宮崎のおっさんは、即座に俺の引退を決めたらしい。
引退という言葉に絶望しそうになったが……俺は種馬になるらしい。
だが、同じ厩舎のスペにしかそれを教えられなかったし、スカイとキング、それにスズカにもマンボ経由で話しただけ。エルはまだフランスから帰って来てないから話せてないし、スカイとは去年の菊花と天皇賞・秋のすれ違い以来、マンボ経由では全く会話もしてくれない……思えばこのまま直に会えないまま引退か……。キングとスズカからは質問攻めというか「まだやめないで」とせっつかれてしまった。やめてくれよ……俺だって本当ならまだ引退したくなかったんだ……。
グラスにも話は行っていたはずだが、それから顔を合わせるのはあれが初めてだった。正直、会いたいような会いたくないような……そんな気持ちがグルグルした状態でグラスが毎日王冠を制する様子を俺は見ていた。
グラス……お前はやっぱ強いよ……。
俺がもし健康体だったなら……お前を追い越してゴール板を真っ先に駆け抜けて行けたと思う。
それどころか、有馬でお前やスペやキングやエルやスカイ、スズカ先輩……それに
有馬に至っては2年連続でグラスとの約束を果たせないまま終わってしまった……。
馬道を抜けて、後ろを振り返ると、グラスの後ろ姿は小さく見えた。
でも、またあいつは俺を振り返ってきた。……泣いてるのがハッキリ見えた。
やめてくれよ……。
「おい、クロス、乗るぞ? ……何だお前、泣いてるのか……?」
馬運車で待っていた宮崎のおっさんがそんなことを言った。そして俺が鼻先を向けると、察してくれた。
「あぁ……グラスか。グラスが気になるんだな……?」
グラスだけじゃない。スペもスカイもキングもエルも……。あいつらがガッカリした顔を思い浮かべる度に、走ったせいだけじゃない、何かにこうキュッと胸を締め付けられるんだ……。
「さぁ、名残惜しいがもう行こう」
そうして俺を乗せて行く馬運車が向かう先にあるのは何だろうか?
あぁ、そういえば、現役を退くってことは、それ即ち、あいつらとはもう2度と会えないかもしれないってことだよな……。やだ、まだ引退したくない……。
………………………………
………………………
………………
………。
……ぃたぞ、着いたぞ。
何だ……?
「着いたぞ、クロス」
そう誰かに呼ばれて俺は目を覚ますと、馬運車の後ろ扉が開いており、厩務員らしき人が俺の引き綱を持ってるのが見えた。
いつの間にか俺は寝てしまっていたようだ。
ゆっくりと身体を起こし、厩務員の人に引かれるがまま馬運車を降りると、そこには見覚えのある光景があった。
燃えた厩舎は取り壊されていたが、そこは……。
「日高大洋牧場へようこそ、クロスクロウくん?」
前に会ったことのある牧場長さんが俺にそう言った。
「……変な気分だなぁ。わざわざ馬に挨拶をするなんて」
……こらそこ聞こえてるぞ。抗議ついでに土抉ってかけてやる。
「や、やめろよ」
「ほら言っただろう? クロスは人の言葉がやっぱり理解できるんだよ」
若い厩務員に対して牧場長さんが「そら見たことか」と言わんばかりな反応をし、宮崎のおっさんはうんうんと頷いている。
それにしても宮崎のおっさん、最初に会った時に比べて変わったよなぁ。今はだいぶ雰囲気が丸くなったっていうか。憑き物が落ちた顔をしてるなぁ。
そうこうしている内に、俺は放牧地の柵に入れられた。
それも、「日高大洋牧場」のだ。
これが意味することは、俺の今年の越冬地は、スペの生まれ故郷ってことだ。
「にしても、本当にやるんですか?」
「ええ。早いに越したことはないですからね」
「季節外れということも考慮して種付け料を半額にしてもらいました。むしろ半額でなくてもあの血統表を見たら安すぎると感じるぐらいなのに。でも……繁殖期を過ぎてる状態で果たして受胎できるかは分かりませんよ?」
「……その場合は種付け料はいらないからオンシーズンにもう一回頼みます」
「……わかりました」
牧場長さんと、宮崎のおっさんがそんな会話をしているのが聞こえた。……種付け料を半額にした? 季節外れ? どういうこと???
『はーい』
『ん? やぁ……あぁ! キャンディさん!?』
隣の放牧地の柵越しに挨拶をしてきたのは栗毛の牝馬。
何を隠そう、この人……いやこの馬が、スペシャルウィークの半姉、その名を「オースミキャンディ」という。縮めて俺は「キャンディさん」と呼んでいるんだけど。
『もー。さん付けなんて堅苦しー! キャンディって呼んでよ、私の旦那様!』
はぁー……全くどうしてこうなった。
だが、スペシャルウィークに纏わる逸話を知る者であれば、「オースミキャンディ」の事を多かれ少なかれ知っているはずだ。その死因も。
………………………………。
………………………。
………………。
………。
あれは1998年も終盤に差し掛かった頃のこと。
俺はジャパンカップで優勝した。
だが、すっかりレース疲れが出て、有馬記念に出場する気も起きず、一足先に療養を決めた。
聞けばスペもジャパンカップで四着にこそなったが疲れが溜まっていた。
いよいよ1998年もあとひと月で終わるところまで迫ったある日のこと。
年末の有馬記念のことでスペと、マンボと。それに連日の取材攻勢で俺たちの馬房に癒しを求めてやってきた生沿と大いに盛り上がった時。
『ところでだけどスペ、なんかこう……』
12月って何かあったっけ?
そう問おうと思ったが、言葉が出かかって、あることを思い出した。
『ん? クロ? どうしたんです?』
そういや、怪訝そうな顔で俺を見てきたスペに聞きたいことがあった。
『……なぁ、変なこと聞くけどさ。スペ。お前の生まれ故郷って「日高大洋牧場」だったよな?』
『ヒダカタイヨウボクジョウ? ……あ! ヒダカ牧場のこと?』
『そうそれだ!』
さすがに正式名称を覚えるのは馬には難しかったか。俺だって前世で自分家の住所覚えるの大変だったもん、そりゃそうか*1。
「え? 日高大洋牧場?」
そう問いかけてきたのは生沿。やっぱ知ってる人がいるのは心強い!*2
『生沿なら知ってんだろ?』
「え、あぁ、うん。一応聞いたことは」
『ヒダカ牧場かぁー。お母ちゃん元気かなぁ?』
「……あ! そうだ。こういうのはどうかな?」
そこで生沿、ナイスアイディアを出してきてくれた。
要約するとこうだ。
①ジャパンカップで俺たちは疲れてる。
②生沿は取材攻勢から逃れたい
③療養兼スペシャルウィークの里帰り
その提案を聞いたらスペはもうノリノリのニコニコで、仕舞いには「クロ、一緒に行きましょう!」と推された。
……俺が言い出したこととはいえ、そんなあっさり他人を自分の実家に上げていいものだろうか? お兄ちゃんは心配になるぞ*3。
一応、「それ大丈夫なん?」って聞いたら、「でもクロは僕の友達だし、僕が生まれ育った牧場のことも知って欲しいなって。それに、あそこにはお姉さんもお母ちゃんもいるから」と返ってきた。おめーは小学生か!*4
あ、でも、俺も前世で子供の頃友達を家に呼ぶ時はおんなじノリだったなぁ、そういや。
スペが思いの外ノリノリだったこともあって、早速、生沿は宮崎のおっさんと臼井さんに療養先として日高大洋牧場を提案してくれた。
俺とスペも是非行きたがってると話してくれたらしく、数日後には俺たちの北海道行きが決定した。
……なお、マンボには「療養のために北海道へ旅行に行きます。1月か2月には戻ります」とグラスたちや他の親しい馬たち宛に伝言を頼んだ。
ちなみにスペが言ってた「お姉さん」というのは十中八九オースミキャンディだろ、と悟った。と同時に、俺が前世で学んだ通りのことが起きるとすれば……。
それを思い出したら、もう療養先を迷わなかった。
12月の頭に俺たちは生沿や調教助手さんと、何故か臼井さんまで一緒に日高大洋牧場へとやってきた。
『北海道よ、俺は帰ってきたーぞー!!!』
『クロ、五月蝿いです』
『あ、ごめん』
晴れてるとはいえ、牧場には雪が残っている。しかし、広大な牧場と草葉の匂いに、俺の馬の本能が刺激されて止まなかった。のだが。
『……ん?』
視界にふと、栗毛の馬が見えた。
快活で元気よく放牧地を疾走している。
『なぁ、スペ。あれが君のお姉さん?』
『んん? いや、知らない子ですね』
「ん? あの栗毛の馬が気になるのかクロ?」
気にならないと言ったら嘘になるので思いっきり「うん」と頷いた。
牧場スタッフの皆さんは変な目をしてこっち見てきたが、俺たちのやり取りを臼井さんが察してこう言った。
「あぁ、あの馬か。アグネスデジタルだよ」
ほうほう、アグネスデジタルね……。……え? え、待って、アグネスデジタル!? デジたん!!? 実馬デジたんが何でここに!?? ホワァイ!!??*5
「あぁ、臼井さん」
「牧場長、どうです?アグネスデジタルの様子は?」
40代ぐらいの中年のおっさんが臼井さんと顔を合わせるなり話を始めた。
やれ、「体質は丈夫」だの、「性格は大人しい」だの、「買って正解でした」だの聞こえてきたが、そんなことはお構いなしに、俺が向かった先は、当然放牧地にいるデジたんである!
『デジたーん!!!』
『ファッ!?
「あぁ、あいつ何やってんだ!」
「大変、デジタルがびっくりしちゃった!」
臼井さんと牧場長さんたちが狼狽したデジたんを落ち着かせに行き、目を離した隙に俺に逃げられたことで生沿と調教助手さんが軽く叱られ、スペからは「あーぁ、またですか」と呆れられた。解せぬ。
とはいえ、後々になって理解したけど、体がガッシリしてる見慣れぬ年上の馬が、デビューすらしてない年下の馬に突然駆け寄ってきたらそりゃビックリするよな。
すまん、デジたん!
後で当然、デジたんに謝りに行ったが、彼の口から出てくるのは英語だけ。
一応、聞き出せたカタコトの日本語ではこう言ってた。
『ア、アノ、ボクノふぁんッテ仰ッテクレルノハ嬉シイデスケド、新馬戦モマダノコンナ地味ナ若輩者ナド、道端ノ石コロミタイナ扱イデ構イマセンノデ、ドウカ、オ気ニナサラズニ……』
……おっま、あれだけ尊死しまくってて推しを語り尽くしてたやん、日本語で。ウマ娘でそんなキャラだったやん。なんか違くね?*6
それにファーストコンタクトがあれだっただけに、やけに怖がられてるなぁ……。
やっぱあかんかったか……。つーか、自分でやっといて何だけどこれは凹む……。
『くぉらぁ!! デジタルちゃん泣かせたのはどこの馬の骨じゃぁ!!』
そうこうしていたら、別柵から嘶き声が響いた。
目が合った。
栗毛だ。凄まじい形相でこっちを睨んでくる一頭の牝馬がいた。
『おーまーえーか!!!』
『ヒィーッ!』
睨みながらにじり寄ってくる。
思わず逃げ出しそうに、後退りしそうになる俺。
しかし、
『おねーちゃーん!!』
別方向からスペが叫びながら近寄ってきた。
『ん? あれ、あなた……オトウトくん!?』
『スペシャルウィークっていいます! おねえちゃん、お久しぶり!』
『スペシャルウィーク? へぇ……立派な名前を貰ったんだねオトウトくん』
『うん!』
『ってことは何か? お前、私の可愛いオトウトくんまで虐めてたってことか……!』
『わ、違う違う違いますって!!』
『あ、おねーちゃん、違うよ違う、クロは僕の友達だよ!』
『……友達だって?』
『うん!』
スペがあまりにも笑顔で答えたものだから、スペのおねーちゃん(仮)さんはすっかり毒気を抜かれて頭を冷やしてくれた。
その間に事情を説明すると。
『なるほど。デジタルちゃんに挨拶をしようしたら、怖がられてしまったと』
『面目ない……』
『ははは。いいっていいって。こっちも勘違いして悪かったね。申し遅れたわね。私の名前はオースミキャンディ。お前さんがスペって呼んでるオトウトくんのおねーちゃんだよ』
『あ、俺、クロスクロウっていいます』
やっぱりこのウッマがスペの半姉、オースミキャンディさんだったか……!
このスペのお姉ちゃんに何が起きてしまうか。
俺の知ってる歴史では、それは1998年12月18日未明。
オースミキャンディの
スペの姉の存在を思い出すと、すぐにこの悲劇のことも思い出した。
半ば忘れかけていただけに、あそこで思い出さなければ救うチャンスは無かったと思う。なんで俺っていつもこうなんだろう?*7
ということで善は急げ。
出火原因に思い当たるものが無いかを調べなければ。
で。
説明がややっこしくなったけど、すぐにオースミキャンディさんのいる厩舎の外側を見させてもらい、ついでにチラッと中も見たけど、そしたら火災の原因になりそうなものを見つけた。電気回路が弾けるのか、それとも干し草乾燥機が出火原因か……。少なくともこの二つは要注意だろう。
何せ、馬生やってて嫌でも気付いたのは、厩舎や馬房ってのは燃えやすいものが山ほどあることだ。*8
しかし、このスペの生まれ故郷で起きた火災の原因は結局わからん。前世でちょっと気になってふと寝る前にスマホでググったのが運の尽き、気付いたら朝になってたことしか覚えてないし。*9
原因がわからないとか勘弁してくれよ、対策しようがないじゃんか……。
……なんて馬房をウロウロしていたら、ある悪知恵を思いついた。
これをやったらここの厩務員や牧場長がしばらく苦労することになるかもだけど……命には代えられないや!
早速、行動開始。
自分が競走馬として走っている間に、幼い頃に世話を焼いてくれたティーヌさんが故国に帰ってしまったと聞き、ションボリウィークしてるスペ*10を、まずは元気付けて説得。ついでにデジたんにも協力をお願いしてみた。
次に、繁殖牝馬のオースミキャンディさんたちが放牧されてるタイミングを見計らって、俺とスペとデジたんでオースミキャンディさんに話しかけて、他の牝馬さんたちともある程度仲良くなってから、俺が馬房からの脱走方法を教えた。特にメジロウェイデンさんが脱走の上達の速さを見せた時は驚かされた*11。
そして。
ここではどうなったか。
結果は───。
火災が発生してすぐ、俺とスペとデジたんは馬房を抜け出し、スペとデジたんは牧場の人を呼びに行き、俺はキャンディさんを助けに行った。
するとだ。
俺が現場に着いた時は既に繁殖牝馬の厩舎では炎が上がっていて、すぐにキャンディさんやウェイデンさんを探した。
そうこうしている内に助けを呼びに行ったスペとデジたんと生沿とその他牧場の人たちが合流。
俺が知っていた歴史とは異なり、消火活動が早く行なわれたことで繁殖牝馬の厩舎は全焼を免れた。
そして、それは夜の闇の中で見覚えのある栗毛と鹿毛の牝馬、他にも数頭を見つけた。
脱走癖がこんな役に立つなんて思わなかったが……。
『助けてくれてありがとう』
ウェイデンさんとキャンディさんたちにお礼を言ってもらえた。結局、俺が伝授した脱走方法で厩舎から逃がせたのは11頭。4頭は厩舎に残されたままだったが何とか無事。それでもあの中には20頭がいたのに……。*12
その翌日、キャンディさんたちのいた厩舎は半壊、焼け跡から残りの5頭が出てきたのは何とも言えない悲しい気分になった。
だが、これでスペにとって悲しいことを少しでも防げた。それだけは慰めだ。
ちなみに、有馬記念は日高大洋牧場で、厩務員さんや牧場長さん、それに臼井さんや生沿と、スペやデジたんやキャンディさんも一緒に、牧場の事務室から馬房にテレビを持ち込んでもらってみんなで見ました。
グラス、やっぱりお前は強かったぞ!
………。
………………。
………………………。
………………………………。
で。それから10ヶ月経ってキャンディさんたちと再会したわけなんだけど……。
俺は種馬で、キャンディさんは繁殖牝馬。
(ちょっと待って。親友の姉とNTRするなんて、いったいどこの昼ドラだよ……?)*13
そう思ってた時期が俺にもありました。
1999年末に無事受胎が確認されてホッとしたのも束の間、それから二ヶ月経たずにスペが故郷に帰ってきて、とんでもなく申し訳ない気持ちになって、事情を全部話してとにかく平謝りしようとしたら、
『え!? つまり僕、クロの子供から見たら叔父さんになるんですか!? 最高です!』
と言って、めっちゃ喜んでくれた。肩の荷が降りた。
ちなみに、前に牧場長と馬主さんが話していた「季節外れ」というのは、実は日本での馬の繁殖シーズンは2月から9月らしい。*14で、俺がキャンディさんに種付けしたのは12月……。馬の妊娠期間は11ヶ月だというから、俺の初めての産駒が生まれるのは2000年の10〜11月頃になるわけだ。
大抵は繁殖シーズン中に種付けして、年が変わる前にある程度成長させてから競走馬にする。つまり、例えばこの子の
ただし、宮崎のおっさん曰く、俺の最初の子供を美鶴ちゃんの乗馬用に確保したいらしく、それで競走馬にするかどうかは別段拘らないみたいだ。でも、出来ればこの子には俺より勝って欲しいな……。
きっとスペも同じことを考えてくれてるはずだし……。子供がG1とはいわず重賞を勝って自慢してくれるまで、俺も何とか長生きしたいもんだよ。
そして、春が来ると、俺は北海道を中心に色んなところへ種付けに行った。
その内の何頭が受胎できたかはわからない。
けど、これで少しでも「俺が生きた証」を残せるといいな……。
改めまして。Simca Vです。
原作である「また君と、今度はずっと」を読ませていただいて、スペちゃんやクロちゃんやグラスたちの青春グラフィティには一時期とても胸を熱くしたものでした。
甘酸っぱく、どこかギャルゲーのような雰囲気もありつつ、儚く静かに破滅への道を歩んでいく……しかし、切なさだけでなく、時折見せるギャグとの配合がストーリーをシリアスにしすぎない絶妙なバランスの上に成り立っていて、いつの間にかお気に入りに登録し、寝るのも忘れて読み耽っていたこともありました。
現在進行形で「また君と、今度はずっと」は展開しているため、今後も目が離せません。
しかし、自分はある時思ってしまいました。
わかりやすくその考えをまとめると。
「もしもクロスクロウが(少なくとも種牡馬生活に至れるまでは)生き延びるとすればどうするか。またはどうなるか?」というもの。
そのアイディアを温め始めて、スタークさんとも何度か打ち合わせを重ねに重ねて、稚拙ながらも物語を構築し始めたのがこのシリーズを描くきっかけになりました。
それを始めたのは今や2ヶ月以上も前。
そこから序章を仕上げるまでさらに1〜2週間を要し、5月末にはこの序章のプロットは完成していました。
それ故、なるべく最新話とも擦り合わせられるように意識して仕上げさせていただきました。
この物語におけるクロスクロウは、凱旋門賞を出走することなく引退していますが、この回でも描かれているように、イギリスGⅠを日本馬として初めて制覇した代償として、呼吸器の一部に不調を患い、長距離を走れなくなってしまうという結末になってしまいました。
つまり、産駒を残せるだけの時間的猶予があっただけであり、残念ながら、ハッピーエンドというわけではありません。
この回の冒頭に登場したクロスクロウ産駒の初の一頭(母・オースミキャンディ)のように何とか彼は子孫を残すことができたものの、その産駒が果たして競馬界でも活躍するかどうかは別問題でもあり、この初産駒が生まれるまでに宮崎親娘は様々な所に声を掛けて、あるいは声を掛けられて、クロスクロウの子孫を一頭でも多く残そうと奮闘していました。
……でも、このクロスクロウの初産駒の子。
父親が不屈さを見せたなら……ただでは起き上がらない気質もきっと遺伝してるかもしれません。
ちなみに、このシリーズの副題「If you can Cross to tomorrow」とは、直訳すれば「(もしも君が)明日へと渡れたなら」となります。この意は……シリーズが完結するまでには明かされていくと思います。
今作に望むものは?
-
コメディ!
-
シリアス……!
-
スポ根!
-
哀愁……
-
ハッピーエンド!
-
曇らせ、鬱展開……
-
その他(コメント欄か活動報告へ)