また君と、今度はずっと 〜If you can Cross to tomorrow〜   作:Simca Ⅴ

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この子は、スマートファルコンとコパノリッキーの間の世代の馬ですね。
軽い気持ちで描き始めただけなのに、気付けばハグロフォルゴーレやメジロクーパーよりも内容がめっちゃ濃くなってやがりました……。

また、活躍した時代背景故に、一部不愉快な単語が混ざることはお許しください。

※2023年3月20日追記……項目として「主な勝ち鞍」を追加の上、各グレード毎のレースに分類しました。

あと、活動報告にて、アンケートを設置させていただきました。
何卒よろしくお願いします……!


ちょっとしたオマケ③・「浦和の桜吹雪」

ハルノウラワ(Haruno Urawa)

 

父・キングヘイロー

母・ハルウララ

 

 2008年2月29日生まれ。

 高知競馬のアイドル馬、ハルウララの初子であり、牝馬。

 名前の由来は、母の名前と(名義上は揚羽 梓が所有した)ハルウララの共同馬主(2005年〜)になったハグロ商事のオーナー(厳密には黒松重源(ちょうげん)の息子である義隆)が「浦和とウララって(響きが)似てないか?」という思いつきから名付けたため、父であるはずのキングヘイローの影が薄くなってしまった。

 

 名前の通り、オーナーはハルノウラワを浦和所属にするつもりでいたが、ハルウララの初子の噂を聞きつけた高知競馬場の関係者からの懇願で、新馬戦までは高知所属とした。

 余談だが、ハルノウラワの新馬戦はダートの短距離走(1300m)であるにも関わらず、高知競馬場におけるこれまでの新馬戦の売り上げ記録を更新したことは言うに及ばないが、その記録は2023年に至っても13年間破られていない不動のものとなっている。

 

 この新馬戦でハルノウラワは鞍上に生沿健司を迎えて逃げ足を披露。

 後続の馬たちはハルノウラワに一馬身差まで詰め寄るものの、結局は逃げ切り勝ちを決めて痛烈なデビュー戦を飾った。

 その後、オーナーの希望によって浦和へ所属を変更し、鎌倉記念を逃げ切り勝利した。

 しかし、次走のローレル賞からは鞍上がキングヘイローの主戦騎手も務めたことがある福延悠一に交代している。これは、新馬戦で鞍上を務めた生沿騎手が、そのリソースの多くを同世代に中央でデビューしたオルフェーヴル*1に費やす必要性に駆られたためだった。

 ローレル賞では残念ながら掲示板外という惨敗、ハイセイコー記念では一着馬のセルサスにハナ差で敗北していたが、陣営は2歳馬としての最終目標を川崎開催のJpn1全日本2歳優駿に定めていた。この時点で既に4戦2勝であった。

 福延に交代してから敗北続きであったが、オーナーに福延を鞍上から下ろす意思は無かった。むしろ、キングヘイローの主戦騎手を長年務めていた福延の腕に信頼を寄せていたことや、何より、ハルノウラワ自身が福延のことを好んでいる様子から、仮にこのまま重賞を勝てないとしても、ハルノウラワが走れる間は福延を主戦ジョッキーから降ろしたくなかった。

 それだけに、結果を出さなければならないというプレッシャーを福延も感じていた。

 そのような中で迎えた全日本2歳優駿では、ハルノウラワと福延は後方に位置取る競馬を展開した。

 しかも、レースに不利な大外へ行ったため、これには「勝負を捨てた」と見なした観客からの響めきが止まなかった。

 ただし、このレースは進行する内に先行集団が固まり、先頭は抜きつ抜かれつの展開を繰り広げていたため、後から言えるのは、もしハルノウラワが内側を走っていたならこの馬群を抜けられなかった可能性が高い(なお、福延騎手は出遅れを認めたが、ハルノウラワ自身が大外に行くことを選択したため、無理に内側へ行くよりはハルノウラワに逆らわず様子見したという)。

 外から先行で走っていたビッグロマンスがキスミープリンス、リアライズノユメ、ガムランら三頭をちぎって行くが、ここで大外を回っていたハルノウラワがラストスパートで加速してきており、ビッグロマンスが先頭に立った時間はほんの僅か。

 ゴール直前で大外から飛んできたハルノウラワがアタマ差で進出し、一着をもぎ取って行った。

 その後、ハルノウラワは2011年内の最終目標を浦和記念と定めて、2月に開催されたユングフラウ賞では出遅れ無しでの逃げを披露し、追い縋ってきたクラーベセクレタからも一馬身差をつけての快勝。

 桜花賞*2への優先出走権を手にして陣営が喜んだのも束の間、東日本大震災発生による影響で同賞が開催中止になる憂き目に遭う。

 あまりにも突発的な出来事であったため、ハルノウラワ陣営は、3月から4月は競争へ出走せず、東京プリンセス賞、ないしは関東オークスへ直行することをオーナーと相談したが、そこへ広島の福山競馬場から、なんと、「若草賞」への出走を提案された*3

 ホームグラウンドである浦和から、福山競馬場のある広島までは遠かったものの、ハルノウラワはガレる事なく福山競馬場のダートに登場した。

 結果は先行で走ったハルノウラワが兵庫のリジョウクラウンを抑え込んでの一着。

 ここでハルノウラワ陣営は、ジャパンダートダービーへの参戦を決め、前哨戦として関東オークスに出走すると、ここでも逃げを披露してみせるが、ハナ差で二着馬のカラフルデイズに迫られていた。

 ハルノウラワは結果的には勝利していたが、最後までレース展開が読めないその走りから玄人好みの競走馬となる。

 それでも、中距離でも落ち着いて走れば充分に勝利に届くと陣営も騎手も確信して迎えたジャパンダートダービーでは、ユングフラウ賞で対決したクラーベセクレタと再び激突した。

 クラーベセクレタ陣営は最初からハルノウラワを警戒して走り、終盤では、大井の長い最終直線に入った段階で既にハルノウラワには一馬身差まで迫っていた。

 逃げ切り勝ちを狙ったハルノウラワだったが、この最終直線の肝心なところでスタミナが切れて競り合いに対処できず、最後の最後で半馬身差を付けられて逆転負けを喫した。

 ところが、検量でクラーベセクレタからは禁止薬物が見つかり、ハルノウラワは繰り上げで一着という扱いの苦い勝利となる。

 

 やはりダートの短距離、マイルがハルノウラワの適正距離だと痛感した陣営は、次走を川崎開催の戸塚記念(2100m)ではなく大井開催の黒潮盃(1800m)とした。

 

 ここでハルノウラワは、オオエライジンと運命的な出会いを果たす。

 この二頭は父が共にキングヘイローなのだが、パドックで出会った途端に、オオエライジン*4がハルノウラワとじゃれつこうとした。

 ハルノウラワもこれに応える形でグルーミングを始めてしまい、これには両陣営共に手を焼いたのだが、レースではこの姉弟による真剣勝負が観客を魅せた。

 最終的にはオオエライジンを抑え込んでハルノウラワが勝利し、黒潮盃はキングヘイロー産駒がワンツーフィニッシュを決める形になった。

 

 2011年内の最終目標は当初、浦和記念としていたが、ハルノウラワが短距離やマイルが得意なことを考慮すると、12月開催のジャパンカップダート*5が適切だと判断したため、目標を変更することになった。

 そこで、次走の候補を9月のオーバルスプリント(旧テレ玉杯)、東日本大震災の影響で急遽東京開催になったマイルチャンピオンシップ南部杯(以下「MCS南部杯」)のどちらかとした。

 ところが、2011年には新しくJBCレディスクラシック(2011年は大井開催でダート1800m)が新設されたため、日程に余裕のないオーバルスプリント、及びMCS南部杯への出走を止め、こちらへの出走を最優先目標にした。

 すると、このJBCレディスクラシックではJRA所属のミラクルレジェンドと激しく競り合うこととなり、1分49秒4を記録して一着になった。この記録は2014年に同じダート1800m(盛岡開催)で勝利するサンビスタが1分49秒3で更新するまでレコードタイムのままだった。

 

 なお、件のMCS南部杯ではドバイワールドカップ二着馬となったトランセンドが勝利したが、このトランセンド、JBCクラシックでもなんと天敵と見做されていたスマートファルコンを撃破してみせて、G1級重賞の三連勝が懸かっているタイミングで、国際招待競走でもあるG1ジャパンカップダートに出走することになる。

 ハルノウラワにとっては初の中央G1ダート競走への出走であり、トランセンドとの激しい競り合いを繰り広げたが、腐っても鯛、流石にドバイワールドカップ二着馬の実力は伊達ではなく、最終的にはハルノウラワを差し切ってトランセンドが連覇を達成した。タイムは何と1分48秒5であり、この記録は2023年に至っても破られていない(なお、2019年にはクリソベリルがレコードタイ記録を出している)。

 

 ジャパンカップダートでの激闘は消耗が激しかったことや遠征も続いたため、翌年は地元の浦和でゆっくりと始動していくことになった。

 迎えた2012年は報知グランプリカップに出走し、ハルノウラワはこれを快勝し、幸先のいいスタートを切る。

 2012年の前半期は、地元浦和の重賞であるさきたま杯を念頭に置いていたが、この年の前半期についてオーナーの黒松義隆は、「ハルノウラワにとっての招待試合が連続しててあの時はとても忙しかった」と後に振り返っている。

 というのも、2011年の末辺りに高知競馬場より「黒船賞」についての情報がオーナーの元に舞い込んできていた。

 また、4月には兵庫のオオエライジンの陣営から「帝王賞」への出走か否かを問われた(理由は、後述の逸話を参照)。

 そのため、オーナーは2012年前半期の出走ローテを、ニューイヤーカップ→黒船賞→さきたま杯→帝王賞とすることにした。

 ニューイヤーカップを快勝したその足で黒船賞のために約2年ぶりに高知へと向かったハルノウラワだったが、新馬戦で集まったよりもさらに大勢の人々がハルノウラワを歓迎した。

 それは2012年の黒船賞の売り上げにも反映されている。

 ハルノウラワは、この3年前に同競走を勝利したハグロフォルゴーレほど知名度は高くなかったものの、売り上げは5億2474万200円を記録し、半妹のハルフカシが後年に記録する5億9963万7300円が君臨してもなお2021年までは歴代売り上げ第3位にいた。

 ハルノウラワはそのまま黒船賞に臨むはず……だったのだが、なんと、ここで帝王賞で一緒に走るはずのオオエライジンも合流した。

 オオエライジンは去年の直接対決のリベンジとして逃げを打つハルノウラワを差し足で捉えて、最後にはハナ差で逆転したため、ハルノウラワによる高知開催競争の連覇には至らなかった。

 それでも、オオエライジンと共に(高知競馬場運営側の強い要望によって)ウィナーズサークルに上がることをハルノウラワは許され、関係者と共に二頭が収まった写真は翌日の高知の地元新聞だけでなく、全国対象の優○や、競馬○イト、日刊けいばなどの競馬有力紙の一面を飾った他、○日新聞や、読○新聞、日本経済新聞など一般の新聞の一面や二面にも写真付きで記載された。

 特に読○新聞では、「ハルウララの初娘、執念の二着」、「姉弟によるワンツーフィニッシュ!」という見出しが踊っており、母・ハルウララと同じようにハルノウラワは一躍、一般大衆においてもアイドルホースとして認知されるようになった。

 そして、その場で大々的にハルノウラワとオオエライジンは帝王賞への出走を表明し、両陣営ともに引くに引けない展開となった。

 なお、オオエライジンの次走である兵庫大賞典、及びハルノウラワの次走であるさきたま杯は共に、前者は歴代の兵庫大賞典の売り上げ記録を更新(3億4万6500円。なお、2023年現在でも歴代2位)し、後者のさきたま杯も5億4120万1500円の売り上げを記録した。こちらは2023年に至っても、さきたま杯のレース単体売り上げでは過去最高額であり、未だに記録は破られていない。

 そして迎えた帝王賞。

 当日の天気は晴れで良馬場。平日の夜開催であったにも関わらず、同競走の売得金は18億334万9800円の新記録。これは翌年(後述)に抜かれるが、当日の来場者も26894人を記録した。

 ハルノウラワは中距離での距離適性に不安があったため、いつもの逃げではなく、全日本2歳優駿を思わせるような後方からの競馬に切り替えた。

 それを見た事情通の競馬ファンからは「福延のヤツ、本気だな」という一言が漏れた、という逸話がある。

 全日本2歳優駿では出遅れの結果、後方待機から一気に捲り上げる展開としたが、今回は出遅れもなく出走し、中盤までスタミナを温存する作戦を取った。偶然にもハルノウラワはオオエライジンと並走する形となり、ハルノウラワが残り800mほどでロングスパートを掛け始めるとオオエライジンもハルノウラワに釣れられて前方へと進出開始していった。

 先頭集団はランフォルセ、エスポワールシチーらが引っ張り、三番手にゴルトブリッツが控えているような状態で終盤まで続いたが、そこに外からオオエライジンとハルノウラワが差してきた。

 それを見たランフォルセとエスポワールシチーが慌てて加速を始めるが、ロングスパートによってスピードを乗せてきたハルノウラワと、その後ろにピッタリと続いたオオエライジンに追い付けたのは三番手にいて温存していたゴルトブリッツのみ。

 最後の100mでは三頭が横並びになる叩き合いの展開となり、ゴールした時には三頭のいずれが勝利したのか分からないほどの横並びでゴール板を通過したため、写真判定で約20分が掛かるような前代未聞の状況となった。

 最終的に、ハルノウラワはたった3cmの差でオオエライジンには勝利していた、……のだが、ゴルトブリッツに結局差し切られて帝王賞の栄冠を手にすることはできなかった。

 帝王賞での消耗が激しいと判断されたため、夏の間は休養となり、復帰戦は昨年出走を諦めた9月12日開催のオーバルスプリントとした。

 ここではアースサウンドによる追撃を逃げ切って堂々の一着。同競走における初の牝馬勝利になったのだが、実は同じオーナーの所有するハグロミッシーレ(父・クロススキッパー)も3歳馬ながら三着に入っている(なお、このたった約二週間後の9月30日にハグロミッシーレはスプリンターズステークスに参戦してロードカナロアやカレンチャン、そしてメジロクーパーらと接戦を繰り広げてここでは四着になっている)。

 さらにMCS南部杯にも参戦するが、ここでは帝王賞で四着に沈めたエスポワールシチーとの競り合いに負けてハナ差の二着であった。

 ここで年内の最終目標は、オオエライジン、及び、去年のジャパンカップダートで圧倒的な強さを見せたトランセンドも出走を表明した東京大賞典とした。

 MCS南部杯の後にはやはり浦和記念が控えていたものの、2012年も泣く泣く出走回避を決断した。

 トランセンドは直前のジャパンカップダートではまさかの最下位(16着)に沈み、2012年はこれまで一着を取れていない良いとこなしの状態だったため、陣営は引退を決断していた。

 そのため、この東京大賞典が引退レースとなったのだが、中団に控えていたオオエライジンとハルノウラワが帝王賞でも見せたロングスパートでの加速を始めたことに触発されたせいか、最終直線でこの二頭に抜かれそうになったところを二の足を発揮して差し返してみせた。

 そうしてトランセンドが有終の美を飾っての引退を決めたが、ハルノウラワとオオエライジンの決着はまだ付いていなかった。

 そこで2013年、オーナーの悲願であった浦和記念を、ハルノウラワとオオエライジンの頂上決戦の場とした。

 

 しかし、2013年は川崎記念、かしわ記念などにも出走するが、前者はハタノヴァンクールの追撃を振り切れずに二着。

 後者では覚醒したハグロミッシーレに敗れての三着に押し込まれた。

 そして2013年の帝王賞は売得金が18億1758万2400円を記録し、去年の姉弟対決に続き、中央の三冠馬オルフェーヴルのダート挑戦という話題から売り上げを更新した*6

 しかし、ここではメジロクーパー、ホッコータルマエ、そして、オルフェーヴルらに競り負けての六着と惨敗し、段々と勝てなくなっていることを嫌でも陣営側は実感していた。

 そのため、2013年内の引退をオーナー側が真剣に考え始めるのだが、ハルノウラワの物語はここで終わらなかった。

 二度目のMCS南部杯では去年の覇者エスポワールシチーと終始逃げでの勝負を敢行し、ハナ差で一着をもぎ取って雪辱を果たした。

 そのまま迎えた浦和記念では、再びの姉弟対決に浦和競馬場が大いに沸き立った。

 ここでは1勝1敗2引き分けという状態だったオオエライジンに対して、三馬身差を付ける堂々とした勝利を見せた。

 この勢いに乗って東京大賞典にも出走し、ここではハグロミッシーレとのリベンジとなった。

 結果はかしわ記念での雪辱を果たすかの如く、ハグロミッシーレに二馬身差を付ける勝利。

 これを見たオーナーはハルノウラワの引退を撤回した。

 しかし、その引退撤回も虚しくなる出来事が約半年後に起こってしまう……。

 

 ハルノウラワは2014年、メジロクーパーとメジロパトリシア(共に母親がメジロシクローヌ)の兄妹対決が繰り広げられたフェブラリーステークスに参戦するも、結局は三着に終わり、かしわ記念ではコパノリッキーの豪脚の前に五着と敗れた。

 

 それでも、オオエライジンとの対決を楽しみにしていた両陣営により、帝王賞への三年連続出場を決める。

 2014年は1()2()()立てによる競争となり、ワンダーアキュートやコパノリッキーら、ダートの新星王者たちが集い、激しい先行争いに終始する展開になる。

 しかし、ここでオオエライジンを悲劇が襲う。

 レースの終盤、第4コーナーから直線に入り、先頭でコパノリッキー、ワンダーアキュート、そしてハルノウラワらが争っているところ外から差しに行こうとしたオオエライジンは左前球節部完全脱臼に陥った。

 ハルノウラワはオオエライジンの嘶きを耳にして振り返ってしまい、スピードを落としてしまう。彼女に見えたのは、痛がるオオエライジンが外ラチに突っ込んでいく姿であった。

 ハルノウラワの2014年の帝王賞は八着だったが、ゴール板を超えてからハルノウラワは慌てて引き返し、オオエライジンの元に駆け寄ったが、運命は残酷だった。結局、オオエライジンは予後不良の診断となり、ハルノウラワは最愛の弟を目の前で失うことになってしまった……。

 

 これが原因でハルノウラワはレースへの出走を怖がるようになり、次走のオーバルスプリントではゲートから出遅れて最下位となった。

 鞍上の福延は一部の心無い人物たちから批判を受けるのだが、福延自身は、ハルノウラワが「もう走りたくない」と主張しているのを理解していた上、その原因もよく理解していた。

 それは皮肉にも、ハルノウラワとオオエライジンの様子を微笑ましく見守っていた競馬ファンたちも同じく感じていた。

 ハルノウラワの引退を切り出すのは心苦しかったが、見かねた岡嶋調教師が福延と話し合い、オーナーも交えた相談の末、ここが辞め時だと早々と決断し、ハルノウラワは2014年10月27日を以って現役を引退した。

 この日は、福延が2010年のローレル賞でハルノウラワに初騎乗した日でもあり、引退式は長年ハルノウラワがホームグラウンドとしていた浦和競馬場で行なわれたが、(後述の理由によって遅れるが)2017年になって、改めて新馬戦と黒船賞で出走した高知競馬場でも引退式が行なわれた。

 

 引退後のハルノウラワは、オオエライジンの死によるストレスから現役時代のピーク時とは比べ物にならないほどに痩せ細っていたが、一年を掛けてメンタルをケアして順調に体重を増やし、落ち着きを取り戻した2017年頃、高知競馬場で引退セレモニーを行ない、戻ってきた後にハグロ牧場で繁殖牝馬となる。

 そして、2018年には待望の第一子であるハクロホウ*7(父・トランセンド)が生まれている。

 ハクロホウは2023年のフェブラリーステークスを福延の騎乗で勝利し、彼に現役最後のG1勝利を齎すことになった。

 他の産駒には2019年生まれのウラワノスミス*8(父・オルフェーヴル)などがいる。

 

◎主な勝ち鞍(生涯成績28戦15勝)

○GⅠ

・東京大賞典(2013年)

 

○JpnⅠ

・全日本2歳優駿(2010年)

・ジャパンダートダービー(2011年・一着入選馬失格による繰上げ勝利)

・マイルチャンピオンシップ南部杯(2013年)

 

○JpnⅡ

・関東オークス(2011年)

・さきたま杯(2012年)

・浦和記念(2013年)

 

○SⅡ

・ユングフラウ賞(2011年)

・黒潮盃(2011年)

・オーバルスプリント(2012年)

 

○SⅢ

・鎌倉記念(2010年)

・ニューイヤーカップ(2012年)

 

○SPⅢ

・若草賞(2011年)

 

○重賞(当時格付け未定)

・JBCレディスクラシック(2011年)

 

◎逸話

 パーソロン系の血が入った気性難のハルウララと、同じくヘイロー系の血が入った気性難のキングヘイローという配合に、どのような気難しい馬が生まれるのか、と生産牧場でもあるハグロ牧場の関係者も戦々恐々としていたという。

 しかし、生まれてみると、厩務員や騎手の言うことをよく聞く従順で人懐っこい性格の牝馬であった。

 

 ただし、鞭を嫌がり、生沿騎手は一度振り落とされたことがある(なお、振り落としてしまった後、ハルノウラワは気不味そうに生沿騎手の顔を舐めまわしたという)。

 このため、福延騎手は鞭を極力使わない騎乗に苦労した。

 2歳期の2連敗で福延は主戦騎手の座を降りようかと悩んだほどであったが、オーナーである黒松義隆からの必死の説得で考えを改めた。

 福延曰く、「手のかかる娘か姪っ子みたいな存在」、「実際に娘が出来たらこんな感じなんだろうか」とのこと。

 

 普段は人懐っこい馬だが、一度レースで走り始めたら、逃げを打てばスタミナが切れるまでフルスロットルになる。

 しかし、全日本2歳優駿で見せたような大外からの差し逃げも得意だった。

 

 同じ父を持つオオエライジンとは仲が良く、その姿は競馬関係者たちからは「姉弟」と称されていた。

 

 そんな二頭のエピソードは現役時代の成績を語る上でも事欠かないが、特に二頭の関係性を示したエピソードがある。

 それは、二頭が初めて出会った黒潮盃において、レースが終わってオオエライジンが兵庫に戻ろうとしたら、ハルノウラワはオオエライジンの手綱を咥えて離そうとしなかったという。

 この様子が印象深かったオオエライジン陣営は翌年、帝王賞への出走を決めるとハルノウラワ陣営に同競走へ出走か否かを問うことになった。

 

 この二頭の仲睦まじさは有名であったが故に、ハルノウラワの引退理由に競馬ファンたちは納得する一方で皆、嘆き悲しみ、涙した。

 

 2014年の帝王賞でオオエライジンが予後不良によって亡くなった現場に居合わせたハルノウラワはとてもショックを受けたらしく、輸送中でもストレスを感じることなくガレなかったのに、この時ばかりは食事が喉を通らない状態が数週間は続き、あっという間に痩せ細ってしまったという。

 これがほぼ原因でハルノウラワは前述のように引退せざるを得なくなった。

 

 トランセンドについては、初対面時はハルノウラワが接触を怖がっていたが、2012年の東京大賞典では隣のゲートに入ったトランセンドに対して逆に嘶いていた。

 これがどうやらトランセンドのやる気に火を付けたらしい。

 

 その後、トランセンドは引退して種牡馬になったが、その翌々年にハルノウラワも引退。

 2017年5月頃の種付け時、両者は行為が終わってもお互いに中々離れようとせず、厩務員らを困らせたというエピソードも残っている。

 

 また現役時代、同期のオルフェーヴルとは放牧地で仲良くなり、たまたま居合わせたオオエライジンとオルフェーヴルの間を取り持ってトリオになった。

 

 

◎ウマ娘ハルノウラワ

 

【挿絵表示】

 

【挿絵表示】

 

 現役時代は新馬戦の時は高知、その後は引退まで浦和所属であり続けたため、アプリゲーム版『ウマ娘プリティーダービー』ではそれを反映してか、「高知で生まれ、浦和で育った」という経歴を持つ。

 漫画版『ウマ娘プリティーダービー ハルウララがんばる!《リテイク版》』では「さいたまトレセン学園からの転入生」として登場する。

 

 漫画版でもアプリ版でも共通していることは、キングヘイローに強い憧れを持ち、ハルウララは親戚のお姉さんに当たるとのこと。

 そして、(史実の福延騎手との繋がりが元ネタらしく)パパ大好きっ子である点だ。

 また、幼い頃に一緒だった妹のような幼馴染といつか一緒にまた走りたいと願っているが、この幼馴染がオオエライジンのことかどうかは未だ言及されていない。

 

 アプリ版では1.5周年以降からはキングヘイローの取り巻きの一人として登場するが、ハルウララの育成シナリオにも登場するようになる。

 特にハルウララのクラシック期12月後半からシニア期1月後半にかけての育成イベントではハルノウラワが事実上出ずっぱりになっており、プレイヤーとハルウララを説得して「東京大賞典」、もしくは「チャンピオンズカップ」に出走する選択肢を与え、事実上のシナリオ分岐になる。

 (東京大賞典を選ぶと最終目標が「東京大賞典に出走」に変化し、スキル「中距離直線○」のヒントレベルが3上がる。チャンピオンズカップを選ぶと最終目標が「チャンピオンズカップで1着」に変化し、スキル「マイルコーナー○」のヒントレベルが3上がる)

 これは実馬のハルウララについて、「騎手や調教師たちはハルウララをなるべく勝たせようと努力していた」というエピソードに基づいている。

 

 ただし、ハルノウラワには新馬戦にまつわる重要かつ特殊なエピソードがあるためか、あるいは浦和競馬場と密接な関係がある故か、もしくは戦績のほとんどがアプリ版ウマ娘にレースとして未実装なためか、アプリ開始時から登場しているにも関わらず、2023年3月の時点でも育成実装されていない、ある意味悲運のウマ娘かもしれない。

 

 母親のハルウララや、同じく高知競馬場を盛り上げた存在のハグロフォルゴーレですらアプリ2周年の時点でウマ娘として育成実装されていたというのに……。2022年8月のレース場追加で高知や浦和が無かったことにファンがガッカリしたのも頷けるだろう。

*1
ご存知のように、後に中央クラシック三冠馬。なおこの世界では2013年の凱旋門賞勝利馬。2012年はS騎手を振り落とした状態で一着になってしまい、翌年に勝利を飾るまで「幻の凱旋門賞馬」とネタにされる。

*2
中央の芝G1桜花賞とは異なる。浦和開催のため、「浦和桜花賞」、また出走資格は南関東競馬会所属の3歳牝馬に限られているため「南関東桜花賞」ともいう。

*3
2011年に同競走は地方競馬全国交流競走になっていたため、東海・北陸・近畿地区所属馬だけでなく、南関東所属馬たちも参加できるようになっている。

*4
2008年5月1日生まれ

*5
後の「チャンピオンズカップ」(2014年〜現在)

*6
なお、ここでのオルフェーヴル陣営の2013年は、まずフェブラリーステークスを出走して勝利し、次に前年のリベンジを兼ねた天皇賞・春も勝利。年内三戦目が帝王賞であり、この次に札幌日経オープンへ向かい、その後に凱旋門賞を勝利している。

*7
命名は宮崎美鶴によるもの。由来は浦和名物の和菓子から。

*8
父の名のオルフェーヴル(Orfevre)はフランス語で「金細工職人」を意味するため、英語で「職人」を意味する「smith」を命名に使った。




Q:なんでウマ娘のキングヘイローとハルウララって同室なの?

A:きっとハルノウラワみたいなキングヘイロー産駒のハルウララの子供が大活躍した世界線がある……のかも?

本作のリテイク・大規模な修正を考えていますが、実行してもよろしいですか?

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