また君と、今度はずっと 〜If you can Cross to tomorrow〜   作:Simca Ⅴ

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 今回は重大なネタバレ要素を含みます。
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ちょっとしたおまけ④・「嵐を呼ぶ令嬢」

メジロシクローヌ(Mejiro Cyclone)

 

父・クロスクロウ

母・メジロラモーヌ

 

 2001年4月3日生まれ。葦毛。

 元メジロラモーヌの2001。厩務員たちからは「お嬢」と呼ばれていたが、本当の幼名は「晴嵐(セイラン)」。

 母親に似て美しい牝馬だが、気性の荒さも同時に受け継いでいて、やや短気な性格でもあった。

 この辺りをデビュー戦から2005年の秋まで主戦騎手を勤めた奥分が気に入り、老体ながらも熱中して調教に勤しんだ。幼名の「晴嵐」と気性の荒さを理由に馬名がメジロシクローヌとなる*1

 後述するクロススキッパーとオロールクロアットら他のクロスクロウ産駒と同様に、メジロシクローヌも調教師や騎手の言うことを理解できる賢さを備えていた一方で、主流である先行や差しといった戦法を調教で行おうとすると拒否して走らず、調教師を大いに悩ませた。代わりに逃げに特化した戦い方を好んでいた。

 特にその大逃げは、まるでメジロパーマーの走り方の生き写しのようだったとパーマーの元主戦騎手だった矢間田大成は後にコメントしているのだが、後述する戦績の結果、世間一般では「メジロマックイーンの後継者」と認知されてしまう結果となる。なお、それを聞いたメジロシクローヌは機嫌を悪くして一日調教を拒否したという逸話もある*2

 メジロシクローヌはその後、2003年6月のデビュー戦で7馬身差という圧勝を遂げて、続くOPのコスモス賞でも二着に大差をつけて圧勝を果たした。

 また、かつてメジロパーマーが挑んで惨敗した萩ステークスと京都2歳ステークス(両方ともOP戦)も完勝した。

 ここでG1での出走経験を積ませるという名目で朝日杯フューチュリティステークスにも出走すると、ここでは牡馬と牝馬の分け隔てなく、逃げのメイショウボーラーよりも前を走り、差しに入ってきたコスモサンビームも交わして1着をもぎ取り、無敗のまま2003年の2歳期を終える。

 3歳馬になると母と同じく牝馬三冠路線を歩むための調教が本格化し、初戦はチューリップ賞で迎える。

 このチューリップ賞では牝馬戦線においてライバルとなるスイープトウショウ(しかも騎手はあの生沿健司)と激突。ここでも大逃げを打ったメジロシクローヌだったが、出遅れたはずのスイープトウショウに追い込みで差し切られ、アタマ差の2着。ここで無敗記録は途絶える。

 だが、この敗北が余程悔しかったのか、桜花賞からはメジロシクローヌの逆襲が始まる。

 桜花賞ではスイープトウショウの他、ダンスインザムード、ムーヴオンサンデー、ダイワエルシエーロらと激突するのだが、なんとこのレースではメジロシクローヌが出遅れるアクシデントが発生。

 これによってレース展開はスローペースになったのだが、同じく後方追走になったスイープトウショウと最終直線手前で火花を散らし始めると状況が一気に変わる。

 スイープトウショウに一歩先んじてメジロシクローヌが追い込み体制に入るとそれにスイープトウショウが続いて一歩遅れてダンスインザムードが抜け出した。

 しかし、先頭を目指すスイープトウショウとメジロシクローヌの爆走の前にダンスインザムードは1馬身差まで詰めるのが精一杯だった。

 最終的にはアタマ差でメジロシクローヌがスイープトウショウを差し切り、騎手の奥分に初めての桜の冠を齎した。

 もちろん、続くオークスでも二頭は激突する。

 このオークスでは信じられないことに、桜花賞までゲート入りを嫌がっていたスイープトウショウが、生沿曰く、パドックでメジロシクローヌと対面した辺りからやる気をみなぎらせていた。そして先にゲート入りしたメジロシクローヌ(3枠5番)を見るとそれに続けと言わんばかりにゲート入りを嫌がるどころか素直に入った*3

 そして、結果は前代未聞のオークス同着勝利を果たした。

 その後、メジロシクローヌも秋華賞出走が確実視されていたのだが、突然に方針を転換し、菊花賞への出走にシフトした。

 菊花賞といえば、父のクロスクロウ、兄のクロススキッパー*4らが結局は出走の叶わなかったレースであり、この方針転換に日本の競馬界は上から下まで驚愕を受けることになる。

 理由は公になっていないが、奥分の提案だったとも、菊花賞以外への出走をメジロシクローヌが嫌がったという噂もあるがハッキリしていない。

 ともかく、スイープトウショウが秋華賞を獲った1週間後、ティアラ三冠を蹴ってでも菊花賞へ出走を果たしたメジロシクローヌの姿があった。

 家系や牝馬であることの不利などから、世間の注目を浴びる存在にはなれど、当日は6番人気に留まっていた。

 しかし、この菊花賞でも、メジロシクローヌはメジロパーマーを彷彿とさせる大逃げを披露した。

 第4コーナーを超えた時点でも追随してくるデルタブルースからは3馬身差がついており、そのままメジロシクローヌは1着でゴール板を駆け抜け、最終的にデルタブルースに5馬身差をつけて快勝した。

 これは1947年のブラウニー以来57年ぶりの牝馬による菊花賞優勝であり、1998年のセイウンスカイ以来6年ぶりの逃げ馬による勝利でもあった。そして、同じメジロの冠名を持つ競走馬としてはメジロマックイーン以来14年ぶりという快挙を成し遂げたため、世間一般では同じ葦毛であることからも「メジロマックイーンの再来」と持て囃された。

 また、クロスクロウ産駒としては初かつ唯一の菊花賞勝利馬となる*5

 その後、エリザベス女王杯を迎えるも、ここは疲れが残っていたためか12着と惨敗する。なお、スイープトウショウは最終直線でアドマイヤグルーヴを交わして1着になる。

 「メジロマックイーンの再来」という記事に気を良くしたメジロ牧場サイドは2004年末、天皇賞・春への出走を検討するのだが、年明けの1月に取り下げ、代わりに海外挑戦を掲げ、なんと、G3のダイヤモンドステークス、G2の東海ステークス、G1の帝王賞、そして、スーパーG2である札幌記念への挑戦を宣言し、これらを勝ち抜いてフランスの凱旋門賞に乗り込むことになった。

 

 そして迎えた2005年の凱旋門賞に日本中はヒートアップしていた。

 というのも、日本勢は2頭を送り込むことになったのだが、内訳はメジロシクローヌがJRA所属で、もう一頭のシムーンカルマが南関東所属、つまり、2005年の凱旋門賞は、後に「勝つのは中央の意地か、それとも地方からの下克上か」と語られるほど、中央と地方の対立を浮き彫りにさせた。

 レース展開は、メジロシクローヌが終始逃げを打っていた。

 

 実は2005年の東海ステークスと帝王賞についてだが、前者は小雨が降りしきる中、後者は当日の朝から昼まで降っていた雨の影響で馬場状態が悪く、この中をメジロシクローヌは駆け抜けて、東海ステークスでは2着馬に7馬身差をつけて圧勝し、帝王賞ではタイムパラドックスに3馬身差をつけて下す実力を発揮していた。

 また、札幌記念ではヘヴンリーロマンスからの追撃すら逃げ切り、洋芝の重賞を制覇してみせた。

 それらの経験が活きていたためか、足に絡みつきやすく日本馬にとっては走りづらいはずのロンシャン競馬場の洋芝をものともせず、ある時点まで2番手の馬に5馬身差以上をつけてメジロシクローヌは大逃げを発揮していた。

 しかし、残り500mのところで、猛烈な追い上げでシムーンカルマが食らい付いてきて、両者の激しい叩き合いになった。

 激しい接戦を凱旋門賞で繰り広げた日本馬二頭はそのままほぼ差のない状態でゴールを駆け抜けて行ってしまい、判定に30分以上を要することになった。

 結果的に、わずか1cmの差でメジロシクローヌが敗れたため、日本はおろか世界中から「同着でいいじゃん」といった声が上がったほどだった。

 

 この敗北と、鞍上の奥分の引退が重なったためか、メジロシクローヌはその後の10ヶ月に渡り、勝ち星を上げられない状態が続いたという*6

 

 奥分が引退した後のメジロシクローヌの鞍上については、しばらく拓勇鷹と生沿健司の2人が交互に務めていたが、最終的に現役復帰した細井舟子が2006年の宝塚記念から手綱を握ることになり、細井とメジロシクローヌのコンビで事実上の再浮上が始まる。

 

 凱旋門での敗北から調子を崩した結果、2005年の有馬記念は出走回避になり、年明けのOPである万葉ステークスに出走。しかし、ここでは辛うじて5着に踏み止まるも惨敗ぶりを見せ、去年は制覇したダイヤモンドステークスも3着という結果だった。

 ファンの間では引退も囁かれていたが、体に故障は無く、完全にメンタルの問題であると陣営側が判断していた。

 ここで急遽メジロシクローヌの次走をメジロ牧場側は天皇賞・春に定める。

 万葉ステークスでは拓勇鷹、ダイヤモンドステークスと天皇賞・春では生沿健司が騎乗して臨んだものの、天皇賞・春では出遅れ、終始中団付近で走る羽目になり、ディープインパクトに3馬身差もつけられて2着に沈んだ。

 そうして臨んだ次走は宝塚記念だったが、ここで騎手が細井に代わり、以後、メジロシクローヌが引退するまで定着した。

 2006年の宝塚記念は凱旋門賞に挑戦するディープインパクトの一強のレースと見做されていたせいか、一部を除いてやる気のなさが見られたほどであった。

 だが、このレースを勝利したのはディープインパクトではなかった。

 なんと、マイラーと見られていたはずのクロススキッパーが最終直線でディープインパクトに食らい付いて差し返し、そのまま勝利してしまった。

 この様子を見ていたメジロシクローヌは必死で付いて行ったが、結果は3着になった。

 しかし、このレースが大きな刺激になったためか、メジロ牧場は凱旋門賞への再戦を掲げ、次走の札幌記念をメジロシクローヌが連覇し、復活の狼煙を上げた。

 そうして迎えた二度目の凱旋門賞では、メジロシクローヌの他、日本勢からはディープインパクトと、2006年の大阪杯を制したノイジースズカが参戦。

 海外勢では特にアメリカ三冠を獲得したスペリオルワンダーが注目されており、1番人気に推されていた。これに対してメジロシクローヌは4番人気であった。

 だが、この凱旋門賞は、「まるで1年前の走り方を思い出したかのようだ」と言われるほどに、メジロシクローヌの大逃げが序盤から炸裂した。

 これにノイジースズカが追随し、スペリオルワンダーが中団に控え、ディープインパクトがいつも通りの追い込みを選択していたが、洋芝の上で繰り広げられているとは思えないようなハイペースで流れる展開となり、スペリオルワンダーもディープインパクトも第三コーナーを超えてすぐに加速するも、ノイジースズカは失速、スペリオルワンダーとディープインパクトも捉える事ができず、そのままメジロシクローヌは1着でゴールイン。

 そして、そのタイムは何と2分22秒93。この記録は2022年に至っても破られていないレースレコードになった。

 凱旋門賞を制覇した2頭目の日本馬となり、去年の雪辱を果たしたメジロシクローヌだったが、次走がエリザベス女王杯のため、メジロ陣営は慌ただしく帰国した。

 エリザベス女王杯ではフサイチパンドラ、そしてライバルであり戦友でもあるスイープトウショウから逃げ切って堂々の1着。牝馬として初のG1七冠馬になった。

 そのまま迎えた有馬記念では、スイープトウショウの他、ノイジースズカ、ディープインパクト、シムーンカルマ、ダイワメジャー、メイショウサムソン、オロールクロアット、そしてマイルを中心に八冠を獲得したばかりのクロススキッパーなどなど豪華な面々が揃い、観客動員数がなんと19万209人を数えた。これは1990年の有馬記念(オグリキャップの引退レース)を超える記録であった。

 結果だけ述べると、このレースで引退を宣言していたディープインパクトが有終の美を飾ることになったが、レース自体は終盤までメジロシクローヌとクロススキッパーの兄妹が引っ張り、これにノイジースズカも追随していた。

 終盤に入るとクロススキッパーが失速、代わりに後ろからシムーンカルマ、オロールクロアット、メイショウサムソンなどと共にディープインパクトとスイープトウショウが上がってきて差を詰めていき、ディープインパクトに抜かれた後は宿命のライバル、スイープトウショウと二番手争いを繰り広げたものの、結局はスイープトウショウに先着されて3着になった。

 だが、この激闘ぶりを見たとある観客がインタビューに応じた際、「1999年の有馬記念の再現を見ているようだった」と感涙しながら答えたという逸話もある。

 クロススキッパーと同様、メジロシクローヌも2007年内に引退が決定しており、最後に出走したG1レースとして天皇賞・春を勝利。

 兄のクロススキッパーのG1・8勝の記録に並んだ。

 そして迎えた2007年9月のOP戦、ゴールデンジェネレーションステークスを最後に引退。

 また、このレースで騎手を務めた細井も二度目の引退となった。

 

 なお、引退後は繁殖牝馬になったものの、スペリオルワンダー、ディープインパクトと同様にサンデーサイレンス系だったこと、またシムーンカルマの母がメジロシクローヌの父母であるエクスプログラーだったため、非サンデーサイレンス系、非パーソロン系の牡馬が必要とされたのだが……。

 

◎主な勝ち鞍

G1

○朝日杯フューチュリティステークス(2003年)

○桜花賞(2004年)

○オークス(2004年)

○菊花賞(2004年)

○帝王賞(2005年)

○凱旋門賞(2006年)

○エリザベス女王杯(2006年)

○天皇賞・春(2007年)

 

G2

○東海ステークス(2005年)

○札幌記念(2005年・2006年・2007年)

 

G3

○ダイヤモンドステークス(2005年、2007年)

 

OP

○札幌日経オープン(2004年、2007年)

○丹頂ステークス(2004年)

○万葉ステークス(2007年)

 

◎主な産駒

メジロクーパー(父・ダイタクヘリオス)

※主な勝ち鞍・NHKマイルC、ジャパンダートダービー、スプリンターズSなど

 

メジロパトリシア(父・メジロライデン)

※主な勝ち鞍・日本ダービー、天皇賞・春、凱旋門賞など

 

◎余談

 メジロシクローヌは「メジロマックイーンの再来」と持て囃されたのは前述の通りであるが、その気性の荒さと豪快な走りから「嵐を呼ぶ令嬢」と称された*7

 一度目の凱旋門賞での敗北と奥分の引退が不運にも重なったことで一時期イップスに陥りながらも、兄やライバルの存在、さらに、新たにペアを組んだ細井舟子らの奮起によって、二度目の挑戦で凱旋門賞勝利を果たした出来事が今ではシンデレラストーリーのような物語と見做され、「日本史上、最も記憶に残る凱旋門賞馬」として、2009年にJRAの顕彰馬に選ばれている。

 

 また、メジロシクローヌと、彼女の前年に凱旋門賞を制覇したシムーンカルマ、さらに後のハグロフォルゴーレ(2013年顕彰馬)やメジロクーパーらは皆、ダートレースを勝利してから海外レースでも勝利しているため、日本国内で2007年からJpnとして区分された地方ダートレースの地位向上に一役買い、2016年、ジャパンダートダービーと帝王賞はJpn1から正式に国際G1へと再昇格を果たし、特にジャパンダートダービーは2024年以降に開催時期が10月に変更となるも名前は変わらず受け継がれていくことが叶った。

 さらに、2015年に札幌記念がG1に昇格した際には「メジロシクローヌ記念」という副称がこの年に限ってだが与えられた(なお、この年の札幌記念勝利馬は、後に凱旋門賞を勝利するキタサンブラックである)。

 

 そして、一時は経営破綻が危ぶまれたメジロ牧場の立て直しにも貢献することとなり、九州の地でメジロ牧場が再開(俗に言う「第二次メジロ牧場」)し、オーナーブリーダーとして復権する足がかりにもなった。

 

 今日、メジロシクローヌの銅像は札幌競馬場の正門前に佇み、新たな旋風を待ち望んでいるという。

*1
「シクローヌ」は「サイクロン」のフランス語読み。

*2
実はメジロシクローヌは幼駒時代、脱走してはメジロライアンやメジロパーマーのいる馬房にわざわざやってくることもあったという。

*3
これ以降、スイープトウショウは後述する秋華賞を除き、メジロシクローヌが出走するレースではゲート入りを嫌がらなくなった。

*4
正確には異母兄弟であり、馬の世界では事実上の他人であるが、便宜上、こう表現する。

*5
クロスクロウは2001年9月25日に亡くなっており、産駒がメジロシクローヌ、クロススキッパー、それにオロールクロアットを含めて6頭しかいなかったためである。

*6
厩務員曰く、「凱旋門賞で負けてから札幌記念を勝つまでの間、ずっと落ち込んだ様子を見せていた」とのこと。

*7
尤もこの宣伝文句は「気象」と「気性」を掛けた、誰かさん(黒松義隆)の駄洒落から生まれたものであることは、後年、奥分騎手が著書に記している。




ウマ娘の新シナリオの内容が個人的にショックで不安なので、この際だからと全部ぶちまけることにしました。

本作のリテイク・大規模な修正を考えていますが、実行してもよろしいですか?

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