また君と、今度はずっと 〜If you can Cross to tomorrow〜 作:Simca Ⅴ
気が付いたら、真っ白い空間に俺はいた。
……馬の姿のままで!?
「やぁ、お主も来たか」
え?あれ、あんたいつぞやの神様じゃねーか!? 顔無いのに何でわかるんだ俺……?
「そりゃわかるじゃろ。そもそもお主を馬にしたのはわしじゃぞ?」
その神様だが、前に見た時は後光が指してたために顔はわからず影だけしか見えなかった。
今俺の目に前にいるその神様だが、相変わらず顔が見えない……ってか、ちょっと待て。まるでウマ娘のアグネスタキオンに怪しい薬飲まされたタキトレみたいになってんぞ!?
程よく眩しくない程度だけど!!
「む? 失礼なことを言うとるなぁ?」
あれ、聞こえてんの?
「筒抜けじゃ。そもそも今のお主は馬の姿じゃろ? 人の言葉を喋れるような口の作りをしとらんからな、今は心の声を直接聞き取る設定にしとるんじゃよ」
じゃぁ、も一つ……いや二つほど聞いても?
「何かな?」
俺は今ウッマの姿で、神様はコタツみたいなもんでゆったりしてますけど……?
「おっと、すまんかった。ふむ……やはりちと不便じゃよな。ぬぅ、どうせなら人型にするかの……」
神様らしき人はそう言いながらコタツみたいなものから「よっこいしょ」と言いながら立ち上がり、俺に触れた。触れられた途端、光と暖かい空気に包まれて……。
「さて、できた。目を開けなされ」
光と暖かさが無くなると、
「あれ? 人間の視界だ……あれ? 俺の声……」
目を開けたら何故か前世の人間時代と同じような視界になってて、言葉を発してみれば、何故か女の子っぽい声がした……。
「え? これ、俺の声?」
「鏡を見てみるか、ついでに姿見で全体を」
神様が指を鳴らすと俺の目の前に姿見が突然虚空から現れた。
それを見た俺はさらに困惑する。
全体的に髪の毛は新雪のように真っ白で、毛先は黒っぽい。
目は吊り目でルビーのように赤い。
そして何故か頭の上に馬の耳、お尻からは馬の尻尾が生えていて、極め付けは、着ているのは長袖の……、
「え、お、俺がウマ娘になってる!? しかもこれ! トレセン学園の制服じゃねーですか!?」
「ピッタリじゃろ? まぁ、これはちょっとある人に頼み込まれてしまってなぁ……」
「それって、そこでお酒を片手にコタツの上で突っ伏してる人の依頼だったりします?」
そう。二つ目にしたかった質問はそれだ。
どこか見覚えのある頭頂部を晒した中年っぽい親父が缶チューハイやらビールの空き瓶やらを周りに撒き散らしたような状態でコタツの台の上に顔を突っ伏して寝ている、片手には……おいおいスピリタス*1ってラベルに書いてあるし……。
「その通りじゃ。……ったく、いつまで寝とるんじゃ。おい、雄馬、雄馬よ、さっさと起きんか!」
そう言って神様はコタツの台に突っ伏していた男を揺り起こそうとする……普通ならこんなに深酒した上にスピリタスまで飲んでしまっていたら、吐いて大惨事ならまだかわいいもの。急性アルコール中毒で即座に病院行きだ。ところが。
「……んだよ、神様よぉ……、酒でも飲まなきゃやってられんわボケェ……!」
「いいから起きろ。クロスクロウを連れてきてやったんだぞ!」
……って、ちょっと待ってよ、ちょっと待ってよ、『雄馬』って……宮崎のおっさんじゃねーか!? なんでこんなとこにあんたが居るんだよ!? つーかここ何処だよ!?
なんて思ってる間に、おっさんがようやくコタツの台の上から顔を上げてきた。
「……おおぅ……クロスクロウか、お前……」
「一応……そう。……みたいだ」
すんげぇ気まずい。ウッマとしての姿しかおっさんは知らんはずなのに、こんな姿で現れたらさすがに引くだろ*2。
俺が戸惑って、なんか気恥ずかしい気持ちになってたら、おっさん、深酒したとは思えない様子でコタツからすっくと立ち上がってきた*3、そして、ジロジロとウマ娘になった俺の姿を見つつ、俺の周りを一周した。あのねぇ、俺、見せもんじゃないんですけど?
「……クロス」
「……何でしょう?」
するとおっさん、神様に何やらアイコンタクトをして、神様が頷くと、途端俺に抱きついてきた!*4
突然のことに俺はビックリして固まる。すると、おっさんの啜り泣く声が頭の上の方についてるウマ耳から聞こえてきた。こっちはまだ慣れないが、人間の聴覚では拾えないような小さい音でもさすが拾えた。
おっさんはひたすら、「俺が悪かった、すまなかった」と謝っていたが、その謝罪先であるであろう俺には何のことかさっぱりわからない。
「神様……ねぇ、これ、改めてどういう状況か教えてくんない?」
「そうじゃった、そうじゃった。説明し忘れとった。クロスクロウ。すまないがお前さん、亡くなったんじゃよ」
「…………………………………………はい?」
ごめん、全くわからない。
「どういうことかもっとkwsk」
「お主、馬生やってた時に呼吸器系統を患っとったじゃろう?」
「……あぁ」
忘れたくても忘れられるかそんなもん。
そもそも俺は、イギリスでキングジョージ6世&クイーンエリザベス・ダイヤモンドステークス……っていう、長ったらしくも由緒正しく格式ある(らしい)あのレース、あれを日本馬として初めて制した。
だが、その代償は大きかった。
最後の直線。確かあの時に叩き合ったのはデイラミっていう俺と同じような葦毛の白馬だった。接戦だった。絶対にハナは譲るまいと足を踏み込んだ時だ───何処かの血管がはち切れるような音がした。それでも、栄光まで後少し、こんな所で止まっていられない、踏ん張れ、力の限り地面を蹴れ俺!
そうして俺は最後のたった10cm。デイラミよりも先にゴールしてやった!
……だが、そのレースの後から、俺の体調はどんどんおかしくなった。
寝ても治らない、食欲も戻らなくて、レースから三日経った日にはいい加減異変を放置できなくて、すぐに臼井さんを呼んだ。生沿もだ。
で、俺を診断してくれた美人のイギリス人女医が「呼吸器系統にダメージがあります。引退させないと長生きできません」とか言ったらしい。
それで俺は宮崎のおっさんの判断でその場で引退が決定したし、それから二ヶ月後、日本に戻ってきて引退式で軽く走った時でさえ1200mも無かったのに息切れしてたし───あれが今でも悔しい。あれさえなければ、凱旋門賞でエルやモンジューをブチ抜けたかもしれない*5し、何より、同期のやつら───エルだけじゃない、スペやキング、スカイやグラス。それにサイレンススズカ先輩たちと一緒に走れる最後の
……あの呼吸器系統のダメージは忌々しいし、忘れたくても無理だし、後悔だらけだ。
「……つまり、俺の呼吸器が逝った?」
「だからそうじゃって言っとるだろうて」
「……」
ここに来る直前の記憶だと、俺は確か……息ができなくてずっともがいていたな……。馬房が五月蝿いってんで大洋牧場の牧場主さんと、息子のウマ……馬主になった美鶴嬢ちゃんが『ホッパーくん』と呼んでた仔馬と、その仔馬を世話してくれた厩務員のおばさんが駆けつけてくれた、そこまでは覚えてる……そっか、俺、自分の馬房で窒息死しちまったのか……。
「そっか……俺、天寿を全うできずに死んじまったんだな……」
「そうじゃな……」
「……つまり、ウマ娘の世界に転生できても、記憶は引き継がれない、ってことか」
「そうなるんじゃよ。すまぬな……」
「そうか……」
「……クロス、お前はさっきっから何を言ってる?」
宮崎のおっさんそっちのけで神様と俺がトークしたが、そうだよな、おっさんは知るはずないもんな。
……だから、1から全部説明するか───。
───説明終わった。つーかーれーたー!!*6
「……つまり、クロス、お前は前世が人間で、その時の記憶があって、それを持ったまま競走馬のクロスクロウに生まれ変わった、と、そういうことか?」
「まぁ……うん、大体そんな感じ」
「そうか……だからか。馬にしては賢すぎると思った」
すっげぇ今更感する。だが、ごめんよ、こんなこと話したら研究機関で俺、
「だがな、そこの神様が未来で面白いものが流行ってるって教えてくれた。知ってるか、『ウマ娘プリティーダービー』を」
「知ってるも何も、前世の俺の競馬知識は全部そこからなんだけど?」
「そう…か……」
明らかに宮崎のおっさんが一瞬ガッカリしたような顔をした、と思ったら次の瞬間、目を輝かせながら。
「でだ、神様に頼んでみた。『うちのクロスクロウがそのウマムスメとやらになったらどうなるのか見せてください』ってな!」
「おっさーん……」
思わず天を仰いだ。辺り一面真っ白で天も地もないが。そうか、つまり俺がウマ娘の姿でここにいるのはあんたの仕業かチクショーメ!
「というわけでこうなったのじゃよ」
「こうなったのじゃよ、じゃねーよ!! せめて前世の俺の姿に……」
「お前、前世も男だったんだろ? むさ苦しい男ばっかじゃ華が無いだろ!」
「そうじゃよ、美人さんになれたんだから良しとしなさい」
「理不尽だ!! というか俺の視界に入るのは結局ゲーミングフラッシュしてる神様とむさ苦しい宮崎のおっさんだけじゃねーか!! 何これ地獄か!? ……って、ちょっと待った! 神様、ここ死後の世界っつったっけ!?」
「あぁ、正確にはあの世とこの世の狭間みたいなところじゃがな」
そこで俺、頭を一瞬冷やしてから恐る恐る分かっちゃったことを尋ねてみた。
「……じゃあ、つまり、宮崎のおっさんまで何で死んでるの?」
「「…………」」
その質問に二人は沈黙してしまうが、すぐに頷いた。
やはり気不味い……。
「……俺の死因は嫌というほど分かった。おっさん、一体何があったんだ?」
「……お前さんが未来の人間ということは、2001年9月11日に何が起きたか知ってるな?」
「2001年9月11日……?」
2001年9月11日……2001年9月11日……何だったっけ、えっと、3.11……は2011年だし……あ。
「アメリカ同時多発テロ……え……おい、ちょっと待て、まさかおっさん……」
「……あぁ。テロに巻き込まれてしまってな……」
聞きたく無かったぜ、そんな話……いや、ちょっと待て。
「じゃぁ、美鶴嬢ちゃんは!? おっさん、嬢ちゃんと一緒に旅行に行くとか言ってたよな!?」
「あー……あぁ。確かにお前にそんな話をしてたな。心配するな、美鶴は無事だ」
「断言できるのかよ?」
「あの子はテロが起きた時、日本に帰っていた」
「ホントに? ……ってか、何でアメリカに行ったんだよ? 言ってくれたら止めたぞ俺……」
「言ってなかったか?」
「そもそも何でアメリカに行ったのか、その目的を教えてくれよ?」
「そりゃ、お前さんの種付け交渉のためだ。ケンタッキー州まで行ってきた」
「お相手は?」
「ワンダーアゲイン。あのグラスワンダーの実妹だぞ!」
「……マジかよ……」
危うく親友の姉妹をNTRしました、Part2になるとこだった……。*7それも、あのグラスの妹さんだよ……最後にグラスと顔を合わせた時がアレだっただけにキャンディさんの時以上にめっちゃ気不味いんですけど……。
「……その帰りだった。テロに遭遇したのは」
宮崎雄馬は、ゆっくりと語り始めた。彼自身がどうして死んだのかを───。
───話は2001年9月8日から始まる。
場所は、アメリカ合衆国ケンタッキー州ルイビル国際空港の出発ロビーにて。
「冗談じゃないわ!!」
日本語で、大声でそんなことを言った一人の日本人女性。
その言葉がナイフのように突き刺さるのは、目の前にいる男性。
近くのベンチに座っていた少女はショックを受けたような顔をしていた。
「このままあなたとニューヨーク観光!? 美鶴を連れて!? 嫌よ!」
「でも、梓……」
「うるさい! あんな鬼ババァを押し付けてくれたせいで私は鬱になってたのよ!? あなたと離婚してから、あんな鬼ババァのことなんてさっさと忘れたかったし、美鶴にひもじい思いをさせたくない、だから仕事に打ち込むしか無かったの! なのに、今更何なのよ!? 通訳の仕事を依頼されたから私は引き受けただけ! これ以上あなたと馴れ合う義理はないわよ!」
そこまで言うと、女性───名を「
「頼む、梓、待ってくれ!」
雄馬の制止する声も虚しく、梓は娘の美鶴を連れてさっさと雄馬の元から去っていった。美鶴は雄馬に振り返るが、梓に引っ張られるままその場を去るしかなかった。
『出発ロビーで男女が喧嘩している』、という通報を受けた空港警備員が現場に到着した時には全てが終わっていた。精々、燃え尽きたような顔をした雄馬がベンチに座っていただけである。
……しかし翌日。
「
「OK!」
雄馬はニューヨークにいた。
しかもここは、マンハッタン区にある
「
「Thank you」
デジカメで自らの写り具合を確認すると、雄馬は頬を吊り上げた。その後はデジカメで屋上からの絶景を撮影し、満足した様子で雄馬はビルを降りて行った。
そんなこんなで、10日の夜を迎えた。ホテルの一室で電話が鳴り、受話器を手に取る雄馬。既にベッドに寝転がってる状態だった。
「What……? Who is it?」
『えっと……お父さん?』
聴き慣れた声に雄馬は途端に意識を覚醒させ、ゆっくりと起き上がりながらベッドに座った。
「もしもし、美鶴か? どうやって?」
『お父さんの会社の秘書さんにお願いしたら、この番号を教えてもらってすぐに掛けたんだ。今大丈夫? 起きてる?』
「あぁ、今……起きたよ。じゃぁ日本に着いたんだな?」
『うん、ついさっき家に帰ってきたところ』
「……お母さんは?」
『仕事に行ってる』
「そうか……」
ルイビルで別れた後。梓は帰りの航空券を変更し、アトランタ経由でデルタ航空を利用して羽田に戻ったというのは秘書から既に聞いていた。ホテルの時計を見ると夜の9時を指していた。
「今そっちは朝10時だろ? 学校はどうした?」
『昨日の夜、日本に帰ってきたばかりだよ? じいじとお母さんが休みなさいって。お母さんだって仕事なのに……』
「そうか……結局行ったか」
『うん』
「……美鶴。本当にすまない」
『今更謝らないでよ』
「でも……」
『じいじとお母さんが、お父さんと仲が悪いままなのは私もわかっていたから。だけど、ぶっちゃけて言うけど、あれはやっぱり無かったと思うなぁ。サプライズでニューヨーク観光なんて。話を聞いたらじいじがかなり怒ってた』
「……悪かったよ、でも、久しぶりに家族三人で旅行に行けると思うとつい、な」
『……ふふふ』
「どうした?」
『いや。お父さん、何だか変わったなって。私やお母さんのために時間を作ろうとしてくれるなんて。常識がないところは相変わらずだけど』
「ははは……」
雄馬は痛いところを再度突かれて力なく笑った。
『……ねぇ、お父さん。あの事、お母さんにそろそろ話した方がいい?』
「んー……まだにしよう。お父さんが日本に帰ったら話す」
『わかった』
「明日朝早い便に乗らないといけないんだ。だから」
『うん。おやすみ』
「おやすみ。愛してるよ」
『……ふふっ。うん。気をつけて帰ってきてね』
そこで電話は終わる。再び雄馬は眠りについた───。
───そこまでで、雄馬は語るのをやめた。
「……その後は……?」
「……」
「あ、すまんおっさん、悪ぃことした……」
続きを促そうとしたクロスクロウだが、死んだような目をして落ち込んだ顔をした雄馬を見て、すぐにそれをやめて謝った。
「「……」」
非常に気まずい空気が流れる。白い空間は沈黙に包まれていた。
「……全く、こんな空気は適わんな。こうしよう」
神様が指を鳴らすと、三人がいつの間にか腰掛けていたコタツの前に、古いブラウン管テレビが台に乗った状態で現れた。
「え? テレビ?」
なお、右からウマ耳の生えた美少女、おっさん、初老の老人の姿をした神様。そして、彼らの目の前にブラウン管テレビ。実にシュールな光景だ。
「テレビでも見ようかの」
神様が何処からか出してきたリモコンでテレビのチャンネルを替える。ニュース、バラエティ、ドラマ、アニメ……。気のせいか一瞬ウマ娘のシーンが映ったように見えたクロスクロウだったが。すぐに気付く。
「これ、ただのテレビじゃないよな……?」
「その通りじゃ。このテレビは優れものでな。例えば、クロスクロウ。其方が前世で見た記憶をより鮮明にアナライズして映し出すことも出来るのじゃよ。雄馬。お前の記憶もそうだ。そして、現在進行形の出来事に限って、地上……要は、其方たちがここへ来る前の「生前」の世界を見ることができる」
「ん……つまり……どういうことだ?」
「周りくどかったか。すまんかったの。つまり、このテレビは其方たちが亡くなってからの地上の様子をリアルタイムで見れるんじゃ。お主らと関わりのあった
そう言いながら、神様はリモコンを雄馬に差し出した。
「雄馬……其方の口から語るのが辛くとも、それでも何があったのかを知ってもらいたいのならば、これでチャンネルを変えてみればいい」
リモコンを受け取った雄馬。神様から言われたことに戸惑いながらも、おっかなびっくりでリモコンをテレビに向けて、チャンネルボタンの「+」を押した───。
───2001年9月29日。京都某所の葬儀場。厳かな雰囲気の中、木魚と僧侶の唱えるお経の音が響き、誰かの啜り泣く声がわずかに聞こえ、お香の臭いが充満していた。
葬儀の参列者の内、親族の席には、宮崎美鶴と、その母・揚羽 梓の姿もあった。
他にも参列者には、宮崎雄馬と生前交流があった人々や、彼の持ち馬でもあったクロスクロウを通じて知り合った人々もいた。
……葬儀の写真には、いつもの見慣れた仏頂面の雄馬の顔が使われていた。
参列者全員によるお焼香もそろそろ終わるという頃。参列者のヒソヒソ話をついつい美鶴は耳に拾ってしまった。
「クロスクロウも亡くなったとか……」
「え、マジかよ……それ……?」
「今朝の新聞に載ってたよ……」
「あの馬……俺も好きだったな」
「ジャパンカップは熱かった……」
「その次の年のジャパンカップではスペシャルウィークが日本総大将の襷を受け継いでモンジューを下してたしなぁ」
クロスクロウ───
その名は聞いたことがある。
でも、あの人と別れて、オニババに居座られてからの私は競馬に一切の興味を失ってしまった。
最後に競馬関連のことで覚えているのは─── 競馬新聞なんて、トウカイテイオーが二度目の骨折をした辺りから読んでいなかった。あれも原因で急速に私の競馬への熱は冷めてしまった。
それから何年か経ち、オニババは死んだ。
これであの人とも会わなくて済む、なんて考えて少し清々していたけれども───。
あれは2年前の7月末だったと思う。既に夜11時半を回っていて、父も母も寝静まってる時間だった。
そんな時に居間テレビの明かりが点きっぱなしになっていた。
「行け、クロ!!」
美鶴のそんな声が聞こえたものだから、思わず私は居間に乗り込んで、
「美鶴、一体今何時だと思っているの……っ!」
夜中なのに五月蝿いことを注意するつもりだった。録画したアニメでも見ているのだろうか? と注意するときこそは思った。
ところが、美鶴は何とあの頃家に導入したばかりのケーブルテレビを着けて、あろうことか競馬中継まで見ていた。
「え、競馬……!?」
「あ、お、お母さん……」
美鶴が競馬中継を見ていたことに私は少なからずショックを感じた。
一方で美鶴は私が居間に乗り込んできたことに驚いていた。
お互いに沈黙してしまうが、
『デイラミ、クロスクロウ、デイラミ、クロスクロウ、クロスクロウが僅かに伸びた! そのまま二頭、もつれたままゴールイン! これは分からないぞ、両者一歩も譲らずゴール板を駆け抜けた! あぁっと写真判定のランプが点きました───』
レースが終わったタイミングで私はテレビを消した。
「お、お母さん……」
「美鶴! あなたなんで競馬なんて見てるの!?」
思わず私は深夜にも関わらず怒鳴ってしまった。
「梓……何だいったい?」
その声に気付いた父を起こしてしまった。
「お父さん……美鶴がね……」
事情を話すと父は、
「美鶴……しばらくテレビ禁止じゃ!!」
「……!」
美鶴は父にそう怒られて、何も言わなかった。ギュッと口を縛るように、何かに耐えてる様子で、今にも泣きそうな顔をし、居間から出て行き、自分の部屋に戻って行った。
そしてあの後、何故海外の競馬中継なんて見ていたのかを問い質したものの、美鶴は何も答えてくれなかった。
いつの間にか、私も美鶴が深夜に競馬中継を見ていたことを忘れていった───数週間前にクロスクロウの名前を聞くまでは。
何故私がその名前を聞くことになったのか、その原因はやはり美鶴とあの人だった。
後で美鶴に白状させたことだが、実はあの競馬中継を見るよりさらに一年ほど前から、美鶴はあの人やあの人の持ち馬であるクロスクロウに興味津々であり、私が知らない間に親子仲を修復していたらしい。
アメリカからの帰りの飛行機でそれを聞かされた私は、美鶴に思わずこんなことを言ってしまった。
「なんて勝手なことを!」と。
美鶴は私に怒られて泣いていた。
……でも、後から思うと、あの時の私はあまりにも感情的になり過ぎていたんだと反省した。
私にとってのオニババはあの人にとって実の母親。その実の母へ無関心な夫に嫌気が差して私たちは離婚して他人になった。
しかし、美鶴にとって雄馬は「他人」ではない、「血の繋がった実の父親」だ。
あの人は正直言ってロクデナシだった。でも、美鶴にとっては大事な父親であることに変わりがない。そんな事実を見落としていた。
それに私は連日仕事ばかりで、母親らしいことを出来ていなかったように思う。
事実、私はここ数ヶ月世界を飛び回って、私が働いてる銀行の海外支社や取引先への挨拶回りや査察に忙しかった。それが終わってやっと日本に帰ろうというときに上司に無理やり仕事をねじ込まれて───言われるがままケンタッキー州のとある牧場に行ってみると、そこであの人が美鶴と一緒に待っていたという有様だった。
確かあの時、あの人の交渉相手だった馬主は、「ワンダーアゲイン」という牝馬を所有していて、あの人の持ち馬である「クロスクロウ」をその交配相手にすべく種付け料の交渉をしていた。学生時代にアメリカ留学していた私はワンダーアゲインの馬主さんとあの人の間で通訳をする人材に打って付けで、良いように使われたわけだ。
……日本に帰ってきて改めてあの時のことを思い出すと、機内で美鶴に怒ったのはどう考えても八つ当たりだった。
日本に帰ってきてすぐ仕事に行って、その最中にそんな大人げないことをしたことに気付くと、当然、家に帰ってから、美鶴に謝った。
すると美鶴はクロスクロウについて熱く語ってくれた。
何でも、クロスクロウという馬をあの人が買い取って競走馬に仕立てたのは、まさか自分の存在を私と娘にアピールするためだけだったというんだから……。あの人の行動パターンからすれば別に驚きはない。ただいつものように、「何でこう、あなたは毎回毎回ズレたことをするの?」と呆れたものだった。まるで「恋のB級アクション」って曲を体現したような人だったし。
でも、娘はこのクロスクロウという馬のことを語りだすと目を輝かせていた。
……こうなると、私はもう娘を怒れない。
思えば、私たちが離婚をした時から、この娘の笑顔を見ていなかった気がする。
ちなみに、ワンダーアゲインの馬主と交渉中に途中で種付け料について娘と雄馬が口論になってたけど……こればかりは雄馬に軍配を上げた。娘は200万円でいいってゴネてたけど、雄馬は500万円が最適だと言ってた。聞けばクロスクロウの戦績は少なくともGⅠを4勝以上。しかもその内の二つだが、片方は1998年のジャパンカップ、もう片方はイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベス・ダイヤモンドステークス、それも後者に関しては日本馬初の栄冠を故国に持ち帰ってきた大手柄ときた。
さらにその血統、特に母方にはスピードシンボリや、ニホンピローエース、ヒロヨシ、テイトオー、アカネテンリュウにハクセツなどなど。日本の大昔の競走馬たちの名前が軒を連ねていた。
まるで日本の血統が集約された配合には目を見張ったもの。……コウタローがいれば個人的には完璧だった。
これならクロスクロウの活躍を直に見ていなくてもわかる。500万円でも安いぐらいだと思った。
そしたら娘。
「父さんこそ前にクロスクロウの種付け料を最初「1億だ!」とか言って会社の副社長さんだか秘書さんに怒られてたクセに」と。
……そんな呟きが聞こえて思わず雄馬に視線を向けると、彼の目は泳いでいた。なお私は呆れながら彼の脛を軽く蹴ったのを昨日のことのようによく覚えている。
それからあの人が日本に戻ってくるのを待とうとした矢先に、こんなことに───。
「確かクロクロの馬主って宮崎雄馬さんだったっけ?」
「その娘さんが引退後に馬主引き継いだとか聞いたけど」
「親父さんと馬をいっぺんに亡くすとか……可哀想に……」
話がそのまま雄馬の家族である自分たちに向けられてくるのは自然な流れだろう。だが、
「雄馬さん、テロを阻止したんですって……」
「生きて帰ってきて欲しかった……」
「そもそもなんで一人でアメリカへ?」
「奥さんが子供を連れて先に日本へ帰ってしまったらしくて……」
そのヒソヒソ話は、当然だが自分の耳にも入ってくる。
(私のせいなの……?)
梓は周りから責められてると思い込んでしまった。
「夫を見捨てた元妻だ」と。間接的に言われてしまっているようにも感じた。そんな時だった。
「おい! さっきっから黙って聞いてれば! お前たち、まるで梓が悪いとでも言いたげじゃないか!」
それを聞いていた老人がそんなヒソヒソ話をしていた一団に突っ込んで行き、怒鳴り声を上げた。
「な、なんですか?」
「あんた誰!?」
「わしは揚羽
「お、お父さん……」
梓は慌てて興奮する父親の幸六の手を引っ張ろうとするが、それを幸六は振り払って、今度はその怒りの矛先を雄馬の遺影に向けた。
「大体なんなんだ!? あんな身勝手で自分勝手で自分の馬を客寄せパンダにするような男のことを何でお前たちはそこまで祭り上げようとするんだ!? そんなにこいつが偉いのか!!」
仏頂面の雄馬の遺影に向けてビシッと指を差し、今にも頭の血管がはち切れんばかりの形相で参列者を睨む。
「こいつはな! 自分の母親の面倒も碌に見ず、その母親もどうしようもない女で、そんな女を娘と孫娘に押し付けて姿を消していたクズだ!! 死んだところで俺は悲しまないからな!!」
幸六の激白に葬儀場はシンと静まり返り、参列者たちも唖然とする。思わず警備員たちですら固まっていた。
「挙句、あいつ、馬主業に手なんか出しやがって! 何が梓と美鶴を呼び戻すため、だ! たったそれだけのために馬に走らせて日本を散々揺さぶった挙句、何勝手に死んでやがるんだ!!」
幸六は雄馬の遺影に向き直ると、お焼香を片手に思いっきり握りしめて、
「何が英雄だ! 誰もお前のことを知りもしない! わしに言わせれば、お前は、ただのロクデナシな大馬鹿者だ!!」
そう言って手に持っていたお焼香を雄馬の遺影に向けてぶちまけた。
だが、そこまで散々暴れておきながら、次の瞬間には、幸六は床に膝をついて、四つん這いになり、床を片手で叩きながら、「この馬鹿野郎ぉっ……! クソッタレがぁ……!!」と次の瞬間には嘆いていた。
その後、幸六は警備員に葬儀場から連れ出された。
幸六の怒りは尤もだったし、彼の言う通り、この件で梓には何ら責任はない。ヒソヒソ話をしていた一団もいつの間にか葬儀場を去っていた。
しかし、父親の激白は梓の曇りを晴らすことはできなかった。
むしろ、悪化しているかもしれない。
梓はこう考えていた。
……確かにこんなことになるぐらいなら、ニューヨークに一緒に行くべきだっただろうか?
……いや、テロに巻き込まれていたかもしれないことを思うと、間一髪だったのだろうか?
私はどうすれば良かったのだろうか……。
……お通夜でも、告別式でも、それらが終わって家庭裁判所に訪れた時でさえ、自問自答は晴れないままだった。
「失礼します。……奥様ですか?」
「……確かあなたは大川さん? ……こんなところに、一体何の用ですか?」
雄馬の葬儀の時に初めて顔を合わせた時。
この大川さんは、宮崎商事の社長秘書と名乗った───元夫の雄馬の会社の名前が出てきて思わず身構えてしまった。
あの時もそうだけど、ここでも少し嫌な態度を取ってしまった。やはり「雄馬に関わると碌なことにならない」という拒否感は簡単に払拭はできないみたいだった。
しかし、大川さんはそんな私のつっけんどんな態度に顔色一つ変えなかった。
そして、裁判官立会の元。私と美鶴と大川さん、それに宮崎商事の顧問弁護士の目の前で雄馬の遺言書が開封され、その内容に目を通すと……。
「……え? これ本気……?」
「お母さん、どうしたの?」
受け取った雄馬の遺言書を、今度は美鶴、大川さん、そして顧問弁護士の四人で共に見た。
「……え? 『俺(雄馬)が死んだら宮崎商事の経営権を元妻の梓に譲る』……って、え……っ!?」
娘が遺言書の内容を口に出したことで、やはり中身は見間違いではなかったことに漸く私は気付いた。
その他諸々、色々と雄馬の遺言書には細かく指示が書かれていた。
「……ぷっ」
突然、娘が吹き出した。……あなた、自分のお父さんの遺言書を見て、何がそんなに可笑しかったの? 私より仲も良かったくせに。……あの人に対する愛情なんて冷めていた。なのに何故か一瞬私はイラッとして、ついつい美鶴を睨んでしまった。
「あ、ご、ごめん、お母さん。でも、最後の文、ついつい笑っちゃって……」
そうして美鶴が見せてきた遺言書の最後の部分───雄馬が慌てて書き足したと思われる筆跡と文面が。
そこにはこうあった。
『最後に、美鶴と梓へ。クロスクロウとその子供たちをどうか大切にして欲しい。クロスクロウのお陰で俺は美鶴との絆を取り戻せた。あの馬は俺にとって恩人だ。だから、彼らが穏やかに余生を過ごさせてほしい。
P.S.なお早川牧場を買収しておいた。俺が死ぬ前に整理出来なかったら申し訳ないが、あとは二人に任せた。大川秘書にも頼って欲しい』
とのこと。
そこまで読み込んで、思わず梓は噴き出した。
「ふふふっ……まったく……あなたって人は毎回毎回どこかズレてるんだからぁ……うぅ……」
しかし、笑いは次第に涙に変わっていった……。
今作に望むものは?
-
コメディ!
-
シリアス……!
-
スポ根!
-
哀愁……
-
ハッピーエンド!
-
曇らせ、鬱展開……
-
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