また君と、今度はずっと 〜If you can Cross to tomorrow〜   作:Simca Ⅴ

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 姉妹作「浦和の桜吹雪」の影響もあって、ここで公開しているハルノウラワとメジロクーパーの経歴紹介とはまた中身が変化しますので、繋がらないと思っても気にしないでください。

 あと、新たにアンケートを設置しました。
 よろしくお願いします。


ちょっとしたオマケ⑤・「メジロの女爵」

メジロパトリシア

 

父・メジロライデン

母・メジロシクローヌ

 

 メジロパトリシアは2010年3月31日に生まれた日本の競走馬であり、牝馬。後に繁殖牝馬。青鹿毛。

 半兄には短距離とマイルの他、ダートでも数々のG1級レースで白星を挙げたメジロクーパー(父・ダイタクヘリオス)がいる。

 オーナーは当初「メジロスターリング(由来はイギリスのレーサー、「スターリング・モス」より)」と名付けるつもりでいたが、生まれたのが牝馬であったため、今度はスターリング・モスの妹パット・モス・カールソンに因んで「メジロパットモス」という名前を思い付き、幼名も「パット」、「モスちゃん」と呼ばれていた。

 ところが、正式な馬名登録がその後数ヶ月は滞った。というのも、オーナー本人が「語感がイマイチ」だと悩み、馬名登録に二の足を踏んでいたことであった。

 そこで、ライバルではあるが馬主業の先輩である黒松義隆たちと相談した結果、パット・モスの本名である「パトリシア」を使ってはどうか、と提案された。

 冠名を繋ぐと「メジロパトリシア」となり、この名前は意外にも中央に登録された競走馬での記録が存在しなかったため、オーナーは義隆の案を二つ返事で採用した。 

 調教をいざ始めてみると、メジロパトリシアは早くも父父のメジロパーマーの血が覚醒し、なんと芝1600mで1分29秒9を記録する爆走ぶりを新馬戦直前の最終調整時に出してしまったという(ただし、これは調教時にたまたま出たタイムだったことから公式記録ではない)。

 デビューはやはりというか、半兄のメジロクーパーと同じく8月の小倉競馬場で行なった。

 鞍上は半兄のジャパンダートダービー時の相棒だった和多龍二。以後、二戦だけマルコ・デモーロ、さらに拓勇鷹が代打で騎乗した場合を除くと彼がメジロパトリシアの主戦騎手を勤めることになる。

 肝心なデビュー戦の結果は、メジロパトリシアが他馬を圧倒しての大差で勝利してみせた。

 ただし、その代償としてメジロクーパーに比べると回復が遅いという欠点を抱えていたため、小倉2歳ステークスへの出走や、その後に計画していた京都2歳ステークスへの出走、賞金額の不足などから阪神JFへの出走計画が頓挫することになった。

 その代わりに翌年、3歳期を迎えるとG3の京成杯に出走して勝利し、ここからメジロパトリシアは牝馬路線ではなく三冠路線へと舵を切った。

 手始めに3月の弥生賞を勝利するが、陣営は疲労具合に懸念を示し、皐月賞への出走を取り止めてニュージーランドトロフィーへ出走。ここで一ヶ月しかレース間隔が開いていない中で1600mを無事に走り切り、疲労度合いもそこまで酷くなかったことから遂にG1の初舞台として日本ダービーへと出走した。

 日本ダービーまでに既に4戦を経験していたものの、11〜16番人気の間を前日から推移していた(最終的な当日のオッズは12番人気だった)。

 しかし、その控え目な人気とは裏腹に、それまでの4戦での実力が本物だったことを日本ダービー本番で証明してみせた。

 中盤までは抑え目の逃げで先頭を走っていたが、向正面に入った辺りから加速を開始し、大欅を越えて第4コーナーを過ぎた辺りで2番手のアポロソニックとメイケイペガスターから10馬身以上の差を付けていた。

 その姿にサイレンススズカやその娘のノイジースズカがオークスで見せた走りを思い浮かべた観客たちの間からはどよめきと同時に割れんばかりの歓声が響いた。

 最終直線では2番手にキズナが上がってきて4馬身差まで詰められるものの、先頭でゴールし、メジロ冠の競走馬として初めての日本ダービー制覇を果たした。

 その後の進路だが、菊花賞や秋華賞へ直行ではなく、大井で開催のジャパンダートダービーに出走し、ここでは競走相手を寄せ付けない大逃げを披露して勝利。半兄のメジロクーパーに続いての兄妹による制覇、及びメジロ冠の競走馬による2年連続での同競走勝利を飾った。

 前哨戦はスルーして夏から10月に入るまでは只管に調教の日々を送り、ついに迎えた10月20日の菊花賞では牝馬でありながらも並み居る牡馬たちを蹴散らし、淀の坂すらモノともせずに大差を付けての1着。母・メジロシクローヌに続いて、また日本競馬史上唯一の母娘による菊花賞制覇という歴史的快挙を達成した。

 しかし、その後のローテーションは意外な方向へと舵を切る。

 なんと、12月末の東京大賞典に出走し、ホッコータルマエと接戦を演じての2着でキャリア初の黒星を喫する。

 翌年はフェブラリーステークスで再始動し、兄のメジロクーパー、前走で敗北したホッコータルマエ、さらにコパノリッキーやハルノウラワ、オオエライジン、そして兄のメジロクーパーなどの錚々たる面々が一斉に集う激戦の最中、8番人気ながらも好走した。

 その次は天皇賞・春、帝王賞といった具合に、母のメジロシクローヌを(なぞ)るかのようなローテーションでレースを重ね、この内、2014年の天皇賞・春ではフェノーメノからの追撃を逃げ切って勝利するが、帝王賞ではオオエライジンの故障に動揺したためか5着に沈んだ。

 その後は暫く競走に出て来なかったのだが、11月の浦和記念で復帰して勝利すると、12月は再び東京大賞典に挑んだ。

 帝王賞のトラウマがあったせいなのかは不明だが、2014年の東京大賞典では出遅れからのスタートになった。だが、向正面で徐々にペースを上げていくと、第3、第4コーナーで一気に8頭をゴボウ抜きし、先頭にいたコパノリッキーと2番手に控えていたホッコータルマエに追い付き、最終直線で二頭を差し切ってみせた……が、2着だった。

 2015年からは東海ステークス、ダイヤモンドステークスを勝利後、海外遠征を開始し、手始めにシンガポールにて5月に開催されていたシンガポール航空インターナショナルカップ(G1)を勝利。クランジ競馬場での同競走最後の開催での勝利を掴んだ(ただし、2017年からは日本の小倉競馬場で復活。開催は3月初旬に移っているが、同競走は現在も存続している。また、2017年から2024年まで同競走には副題として「クロススキッパー記念」が付いていた)。

 その後、6月までにはイタリアへと渡り、ミラノ大賞典を勝利、続けてフランスに渡ると凱旋門賞にも挑戦した。

 年末までに日本へと戻ると、何と陣営は、東京大賞典と有馬記念の両方に出走を登録するという前代未聞の行動に出る。

 この陣営の動きには批判が殺到したが、これに対してメジロパトリシアと陣営は、結果的に実力でその声をねじ伏せた。

 まず有馬記念では兄のメジロクーパーと共に終始、ゴールドシップなどの他馬を圧倒する激走のまま先頭で競り合うが敗れるも、5着以内の好走ぶりを見せた。

 それでも尚、その二頭の勇姿にはダイタクヘリオスとメジロパーマーを彷彿とさせた姿に、観客たちの興奮は醒める事なく、その二日後に迎えた東京大賞典では万雷の拍手を以てメジロパトリシアは迎えられた。

 その結果は、ホッコータルマエ、ワンダーアキュート、そしてコパノリッキーらを抑えての堂々の1着。

 有馬記念と東京大賞典を同年で立て続けに走って好走し、その内の片方を勝利した唯一の競走馬となる。

 翌年はその無理なローテの影響を鑑みた陣営が四ヶ月間の休息と放牧を経た後、5月の平安ステークス、6月の帝王賞の後に引退という決断が下された。

 

 引退後は繁殖牝馬となり、初仔はトウショウナイトとの間に生まれた「メジロラウダ(メジロパトリシアの2017)」がいる。

 その他にも、トランセンドとの間には「メジロヌヴォラーリ」、ホッコータルマエとの間には「メジロヴァルツィ」、ワンダーアキュートとの間には「メジロファンジオ」という具合に産駒も多数輩出しており、ほとんどが(地方含めて)G3級以上の重賞を勝ち上がる活躍を見せていた。

 特にメジロラウダは、2020年の皐月賞と日本ダービーでは惜敗に終わるレースを繰り広げるも、北関東菊花賞とチャンピオンズカップを勝利し、さらに2021年のシンガポール航空インターナショナルカップ・クロススキッパー記念(G1)で親子制覇を果たすことになる。

 ちなみに、このメジロラウダの名前の由来はF1レーサーのニキ・ラウダ氏であり、生前のラウダにメジロの若手オーナーがわざわざ手紙を送って命名の許可を取り付けたという逸話が残っている。

 

◎逸話

・メジロパトリシアがデビューする前後の2012年当時、メジロ牧場のオーナーはメジロクーパーに日本ダービー勝利の可能性を託していたが、肝心のメジロクーパーは皐月賞でゴールドシップに敗れており、芝の中距離では自慢の逃げ足もスタミナ切れで失速して保たないという弱点が露呈していた。この点は母父のクロスクロウの欠点が浮かび上がっていたような状態であり、騎手の和多の意見などを取り入れた結果、日本ダービーへの出走を取りやめてジャパンダートダービーへ転換させていた(なお、メジロクーパーは2012年の同競走を先行集団での待機から最終直線での加速で最後の300mを逃げ切り勝利している)。そのため、メジロパトリシアは結果的に兄の雪辱を晴らしたと同時に、メジロの若きオーナーの夢を見事に叶えてみせたばかりか、ジャパンダートダービーも勝利したため、「ダブルダービー馬」の称号も手にすることになった。

 

・世間では上記の命名の逸話から噂に尾鰭背鰭が付いて「牝馬が生まれたことにオーナーがガッカリしていた」とも後々言われていたが、これについてはメジロ牧場のオーナーが部分的に否定している。

 オーナー曰く、「牡馬が欲しかったのは確かに事実だが、ガッカリはしていない。ただし、用意していた馬名が使えなくなって頭を悩ませる羽目にはなった」、また、「どんな成績を残すにしても、なるべく最後まで面倒を見る。オーナーとしての馬名選びはその第一歩だと思っている」とも述べている。

 実際、オーナーは牧場へ顔を出すと、必ずメジロクーパーとメジロパトリシアの兄妹がいる時は自ら餌を与えに行くほどに愛着があったという。




 筆者のSimcaVです。
 姉妹作の『浦和の桜吹雪』を含めてどれだけの方が購読されているかはわかりませんが、一年ぶりに戻ってまいりました。

 アンケートについての詳細は『活動報告』にて。

本作のリテイク・大規模な修正を考えていますが、実行してもよろしいですか?

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