また君と、今度はずっと 〜If you can Cross to tomorrow〜 作:Simca Ⅴ
去年は後半にかけてホントろくなこと無かったから、今年は良い年になってほしい。
#01『
『ウマ娘』
人とは異なる耳と尻尾を持ち、人間を軽く凌駕する身体能力を持った、謎の多い種族───。
この世界には、
例えば、僕のようなウマ娘が存在している。
僕の名は……ウマ娘としての名前は、「クロススキッパー」。
それが異世界より賜った、「もう1人の自分の名前」……らしい。
ウマ娘とは、この世界とは異なる、別世界の魂を持って生まれてくると言われている。
彼女たちは、太古の遥か昔から、途方もない時間を人間と共に過ごし、交わってきた。
彼女たちは、走るために生まれてくるという。
いつの頃からか、人々はウマ娘が競い、走る姿に熱狂するようになっていた。
それは現代においても変わることなく、むしろより熱い娯楽として洗練されていった。
そんなウマ娘と人間が交わって世界を築いて幾数世紀。
数々の対立や差別もありながら平和な世界が訪れて既に4分の3世紀以上の歳月が流れた、とある年の11月29日の日本。
府中の東京レース場を舞台に繰り広げられていたのは、日本のウマ娘レース協会(URA)、俗に言う「中央」の主催するG1レース、「ジャパンカップ」。
この格式あるウマ娘レースは、かつて日本のウマ娘たちを刺激させる実力向上を目的に設立された大規模レースであり、参加するウマ娘たちの国籍は日本の内外を問わない日本初の本格的な国際G1レースでもあった。
やがては世界でも活躍できる日本のウマ娘の誕生を目指していたが、その成果は時として振わず、無常にも世界の大舞台で敗れ去った者たちも多かった。
しかし、この年のジャパンカップを先頭で駆け抜けた芦毛のウマ娘は、その勝利から約
そのテレビ中継を、僕は何度も何度も繰り返して見てきた。
【大記録達成です!!】
大歓声に沸くスタンド、掲示板には1着に「10」の数字が点灯していた。
【ジャパンカップ! 芦毛のヒーロー! 刻む爪痕はオグリキャップの敵討ちかッ!!】
ゴール板を一番最初に超えたのは、毛先が黒っぽい、真っ白なウマ娘。
両耳には、白い十字架のようなマークが描かれた黒い耳カバー。
右耳には赤紫のリボンが結ばれており、前髪の左側には、
そんな彼女は、ターフの上で仁王立ちし、放心状態に陥っていたようだったが、すぐにも紫を基調とする勝負服を着た黒髪の少女と、濃い茶髪をした赤と黄色の情熱色が目立つ勝負服を着た、マスクを付けた少女たちが駆け寄り、何かを話していた。
彼女たちに言われて白髪の髪をした少女は掲示板を見てハッとする。
そして、一瞬間を置き、
【……よっッしゃあああぁァアアアアッッッ!!】
高々と拳を天に突き上げて吼え、ガッツポーズをする葦毛の少女。
これに観客席からはさらに「ワァァァァァァッ!!」と熱烈な歓声が上がり、実況は大興奮でその様子を伝えた。
【クロスクロウ咆哮ォ!! クロスクロウ、ガッツポォーズ!!! 沈黙を超えた勇姿を焼き付けるは、永遠に語り継がれる伝説の日曜日───!!!】
それが、僕の憧れたウマ娘の伝説───。
───それから数年が経ち、僕の目の前には、学校のものだと一目で分かるものの実に巨大な校門がある。
校門のすぐ横の表札には、「日本ウマ娘トレーニングセンター学園」とある。通称「中央トレセン学園」とも呼ばれているここは、日々人々をレースで沸かせる強者たちが集い、伝説の生まれる場所……。
……この日、一人のウマ娘が中央トレセン学園へと足を踏み入れた。
そのウマ娘こそが、僕。
「クロススキッパー」だ。
でも……入学できたことや、
だけど……本当に僕なんかがこんな所にいて良いんだろうか?
中央トレセン学園に集うウマ娘たちは、全国からの生え抜きや上澄みたち。
例え名門であろうと寒門であろうと、だからと言って中央に入学出来るかといえばそうでは無いし、そのまま中央で実績を上げながら在籍し続けることは更に別次元の話。
ここは実力主義の世界だ*1。
果たして、僕のようなウマ娘は場違いではないだろうか?
……なんて、数学の授業中に考えていた時。
「えーと、この連立方程式の解は……クロススキッパーさん?」
中等部1年D組の教室。
数学の教師が、どこか上の空だった尾花栗毛のウマ娘に回答を指名した。
「おい、スキッパー。おい」
隣にいた赤寄りの栗毛のウマ娘が肘で小突いて注意すると、
「……え? あ、はい!?」
漸く我に返った尾花栗毛のウマ娘。
「……クロススキッパーさん、この連立方程式の解は?」
黒板に書かれていたのは、
y=3x-9
2x+y=11
という式。
これに対して尾花栗毛のウマ娘───クロススキッパーは、
「えーと……x=4,y=3,です!」
「……あぁ。正解よ。次からは集中するように」
「は、はい」
しかし、ダイワメジャーはチラッとクロススキッパーの机の上に広げられているノートを見て気付く。
それは、「連立方程式の説明」こそちゃんと書かれていたが、先ほどの問題の計算式は、全く以て
(……え? まさか?)
ダイワメジャーはここで何かを察した、のだが……。
「メジャーちゃん? メジャーちゃん?」
そう声を掛けてきたのは、件のクロススキッパー。
「え、何だ?」
クロススキッパーはダイワメジャーの肩をツンツンすると、そのまま人差し指で前を指す。
するとその先には、
「はぁ〜……ちゃんと授業を聞かないとテストの結果がどうなって知らないわよ?」
数学の
ところで、テストの結果が悪いとどうなるか……。
まだ中等部1年生で、デビューする前でなら影響は無さそうだが、もしこれでメイクデビューして、オープン戦以上のレースに出走するようになってから、テストの結果が悪ければ?
当然追試だし、その追試も悪ければ再追試……と、赤点を抜け出せるまで延々と追試のループが続くらしい。
それがG3以上の重賞出走などのタイミングでその負のループを抜け出せなくなったなら?
想像するのも恐ろしい結果になる、とは、そういえば
……従姉さん。
……そうだよ。今更だけど僕は問いたい。
「どうして……?」って……。
その日の放課後。
「……で、スキッパー。お前一体数学の時間に何考えてたんだ?」
隣の席にいたダイワメジャーは、クロススキッパーにそう問いかける。
なお、今日の日直はキングカメハメハと、トウショウナイトの二人であり、1年D組の教室には彼女たち4人しか残っていなかった。
「え? ……何のこと?」
「とぼけても無駄だぞー。明らかにお前、上の空だったじゃねーか」
「で、それに釣られたダメジャーまでもが先生に注意されてたと?」
「……んだよぉ、キンカメ。……その通りだよ、悪いかよ」
「まぁ、感心しないね。授業に集中できないってことが、そのままレースに影響したらどうする?」
「はぁ? 勉強とレースは別物だろ?」
「いや、ボクは同じだと思うよ。レースも勉強も、「目の前のことにいかに集中できるか」が肝だと思うし。……だからこそ」
すると今度はキングカメハメハ───鹿毛の髪色に、浅黒い肌をしたウマ娘の視線がクロススキッパーに向く。
「スキッパーちゃんが一体何を悩んでいたのかがボクも気になるところなんだ」
と、キングカメハメハも、ダイワメジャーと同じ疑問に行き着いた。
二人からの刺さりそうな視線、さらに、話を聞いていたトウショウナイトはいつの間にかクロススキッパーの後ろに回り込んでいた。
……これは逃げられない。そう悟ったクロススキッパーは、観念したかのように、
「……クロスクロウ、って知ってるよね?」
ようやく絞り出したその一言は確認を含む問いかけだった。
3人は顔を一瞬だけ見合わせてから頷いた。
それを見たクロススキッパーは、……まだクラスメイトになってから数日しか経っていない間柄とはいえ、これまで黙っていたことを自白した。
「……あの人ね、僕の
「「「……えぇー?」」」
それを聞いた3人は少々驚きを以ってその言葉を受け止めるも、真っ先に驚きを隠せず質問をぶつけてきたのはダイワメジャーだった。
「つまり、スキッパーのお従姉さんが、あのクロスクロウ!?」
ちなみに、クロススキッパーは
その際にクロススキッパーは、
⦅ぼ、僕はいとこのお従姉さんのように、立派なウマ娘になります!⦆
と宣言していた。
その場でその「クロススキッパーの従姉」の名前を誰も尋ねなかった。精々クスクスという含み笑いが聞こえた程度であり、クロススキッパー自身も恥ずかしくなったのか慌てて着席してしまったため、それ以上は何も言わなかったし、ここで明かされていなければ、そのまま忘れられたはずだった。
「……そういえば、クロスクロウって、現役時代のインタビューで、「家族にオレはここにいるぞ!って伝えるためにG1を走ってる」って言ってたけど、そのご家族の一人が君だったの?」
トゥインクルシリーズへの憧れがこの中では一番強いと自負しているキングカメハメハは往年の名選手についても関心を寄せて詳細を調べるのが趣味と言っても過言ではなくなっている。
そんな彼女でも、まさかクロススキッパーがクロスクロウと血の繋がった姉妹であるなどとは予想できなかった。
繰り返すが、「クロスクロウ」。
その名は言わずと知れた、今や日本ウマ娘レース史における伝説に刻まれているウマ娘であり、黄金世代のうちの一人と称されている。
戦績は、13戦7勝。
その7勝中、国内G1が3勝。そして、日本のウマ娘として初めて
そんな彼女とかつて肩を並べて鎬を削りあった他の5人を含めて、世間は彼女たちを「黄金世代」と呼んでいた。
この「黄金世代」に含まれるウマ娘たちについてはその人数は人によってまちまちだ。
7人だったり、8人だったり。中には「10人!」と答える人もいる。
だが、
話を戻すが……そのクロスクロウは、肝心のKGⅥ&QEを勝利するものの……その後、何らかの理由でレースに出れなくなってしまったという。
G1を4勝、しかもそのうちの一つは日本のウマ娘がかつて栄冠を手に出来なかった歴史あるイギリスG1のレースを獲得した歴史的快挙。……それを果たしたはずのウマ娘が忽然と姿を消してしまった。
当時のマスメディアは大騒ぎになったのだが、数年もすると流石に他の話題に埋もれていく。
当然、クロススキッパーも従姉の消息は気になっていたが、これまで中央トレセン学園に入学するためのトレーニングに集中していた関係で、調べることもままならなかったのだった。
そして、
「クロスクロウが実は引退していたなんて……イギリスで療養しているとか、そんな話を聞いていたはずなのに……?」
クロススキッパーが数学の時間に何を悩んで上の空だったのか。
その理由をスキッパーは簡潔にこう答えていた。
⦅
その答えに対してトウショウナイトは、まさに「聞いてた話と違う」と言わんばかりの顔を浮かべていた───。
───だが、クロススキッパーが入学式翌日に経験したことは、もっと複雑で、知り合ったばかりのクラスメイトには明かせないほどに筆舌に尽くし難い出来事だった。
入学式を終えた次の日の放課後。
新入生たちは寮へ、自分達の部屋へと行く者、先輩たちの走行練習を見るために練習コースへと観戦に向かう者など足向きは様々だった。
そんな中で一人、クロススキッパーはチーム[ミモザ]の部室を探していた。
ところが、チーム棟を探し回っても、その名が見つからなかった……。
そんな時にあるチームのサブトレーナーから衝撃の事実を告げられてクロススキッパーは、……
「沼崎トレーナーとクロスクロウさんは中央トレセン学園にもういない?……それって本当ですか……?」
[プロクシマ]、[シリウス]、[ベテルギウス]、[アルデバラン]、[ライジェル]、[セントーリ]、[ベガ]に[アルタイル]などなど。探した中には有名チームもあったのに、肝心の[ミモザ]がないとはどういうことだ……。
チーム棟をウロウロしていたところ、あるチームの部屋から出てきたウマ娘のサブトレーナーと遭遇した。部屋の表札を見ると、あの[リギル]だった。
「……残念ながら本当だ」
苦虫を噛み潰したような顔をする、メガネを掛けたウマ娘は、これまでチーム[ミモザ]への入部を希望してきたウマ娘たちに尋ねたように、今回のウマ娘にも
「君の名前は?」
それはとてもシンプルな問いだった。
それに対して畏まった様子で答えたクロススキッパー。
「僕の名前ですか? ……あぁ、申し遅れました! 僕の名前はクロススキッパーっていいます」
「クロススキッパー……君が」
「クロススキッパー」。その名を聞いたリギルのサブトレーナーは、……これまでのチーム[ミモザ]への入部希望者たちとは明らかに接し方が変わった。
「……僕のことを知っているんですか?」
「あぁ。君のことは君の従姉さんから話を聞いている。……君に伝えなければならないこともあるのでな」
「……そういえば、サブトレーナーさんのお名前は?」
今更だが、名前を聞いていなかったため、改めて尋ねると、
「これは失礼を。私の名前は
「新堀……瑠奈……トレーナーさん?」
その顔をよく見ると、クロススキッパーどころか、恐らく日本全国のほとんどの人が何者か気付くだろう。
「……あの、えっと、確かあなたは……」
「……そうだな。やっぱり気付いてしまうか。そう、現役時代に"シンボリルドルフ"と名乗っていたウマ娘は私だ」
どこかで見覚えがあると思ったら、新堀サブトレーナーの正体は、やはり日本史上初のクラシック無敗三冠を含む、G1七勝をあげた“皇帝”シンボリルドルフその人である。
現役時代のバチバチした雰囲気*2が若干落ち着き、眼鏡を掛けて、緑のジャージ姿という出立ちだった。
「君が探しているチーム[ミモザ]とクロスクロウと沼崎トレーナーのことなのだが……」
新堀サブトレーナーことシンボリルドルフは、とても言いづらそうな様子ではあったが、……封印してきた事実を語らねばならないと覚悟を決めた。
「……すまないが、直ぐに理事長室へ来てほしい」
「え、理事長室へ……?」
「あぁ。ついてきてくれ」
シンボリルドルフは、チーム[リギル]の部室を後にする際、扉に鍵を掛ける。
ルドルフは
チーム棟から10分ほど掛けてルドルフとスキッパーが辿り着いたのは、中央トレセン学園の理事長室。そこには大扉が待ち構えていた。
ルドルフがノックし、
「理事長。新堀です。クロススキッパーをお連れしました」
〈うむ、入ってほしい〉
「失礼します」
大扉を開けて、ルドルフとスキッパーが部屋に入ると、全身緑色の装束に身を包んだ女性が側に控える形で、帽子を被り、前髪に白のメッシュが入った明るい栗毛色の少女が中央トレセン学園理事長の席に座っていた。
「歓迎! クロススキッパー。私はこの中央トレセン学園の理事長、秋川やよいだ」
「あ。あぁ、理事長……面接の時以来ですから、お久しぶり、ですね」
「うむ。突然に来てもらって、驚かせたようで申し訳なかった。……ここに来てもらったのは他でもない。チーム[ミモザ]と、沼崎トレーナー、それに、君のお従姉さんであるクロスクロウがどうなったのかについて、だ」
緊張で思わず唾を飲み込むクロススキッパー。
対するやよいは机に両腕で頬杖をつきつつ、側に控えていた秘書らしき女性に目配せをした。緑色の装束に身を包んだ秘書の人は、それに反応して、直ぐ横の資料棚を開けて何かを取り出した。
ルドルフはその間にクロススキッパーを応接間のソファーに誘導し、やよいも席を立ち、クロススキッパーの対面に座った。
そして、彼女たちの目の前の机の上に、数十通にも及ぶ手紙の束が置かれた。
「これを君に渡したいんだ」
「僕に、ですか……?」
手紙の一つを手に取ったクロススキッパーは、差出人の名前を見た途端、目を見開いた。
「え……!?」
そこに書かれていたのは、「クロスクロウ」。
他ならぬ、クロススキッパーの従姉の名前であり、送ってきた場所の住所と一緒に日付も書き込まれていた。
その手紙は今年の3月に送られてきたもの───より具体的に言えば、クロススキッパーが中央トレセン学園に入学する2週間ほど前の日付が書かれており、しかも、消印からして国際郵便でもあった。
「差出人の住所は……ユーゴスラビア!?」
ユーゴスラビア。
アドリア海に面している国であり、その政治体制は立憲君主制社会主義国という、他に類を見ない複雑な国家体系を持つ連邦共和国である。
西にイタリア、南はギリシャとマケドニアに接し、北にオーストリアとハンガリー、北東にルーマニア、東はブルガリアと国境を接している。
クロススキッパーはまず思った。
何故、従姉はユーゴスラビアなんかにいるのか。
ユーゴスラビアを含めて、東ヨーロッパの国々ではウマ娘レースがあまり盛んとは言えないからだ。
もちろん、レースやレース場も存在こそすれど、日本で耳にするような……下手をすればネットを調べて出てくるレベルに留まっているような平地の
なお、ユーゴスラビアはサッカー
「驚くのも無理はないだろう。……実は、君のお従姉さんと沼崎トレーナーは今、ヨーロッパを転々としてURAの広報活動に従事しているんだ」
「URAの広報活動……!?」
「そうだ。きっと君も知っているかと思うが、今の東欧には平地を舞台にした国際G1レースがない。……しかし、ルーマニアに、セルビア、ハンガリー、ポーランドなど、これらの国ではかつて平地の競技レースが繁栄していた。そこで現地のウマ娘協会から、
「……元?」
「……こんなことを話さなければならないのは不本意ではある。が、事実として言わなければならない。君のお従姉さんであるクロスクロウは、キングジョージ6世&クイーンエリザベス・ステークスを勝利した後、呼吸器不全を患ってしまったんだ」
「呼吸器不全……え、じゃぁ……」
辛い顔をして、やよいは首を横に振った。
「……残念ながら、競技者としてのクロスクロウは引退を余儀なくされてしまったんだ」
「そんな……でも、何故今までそれが……僕どころか世間一般にも知られていなかったんですか!?」
「……クロスクロウからの要望だったんだ」
あまりにも大きすぎる事実故に何故自分が知らなかったのか。
そのクロススキッパーの疑問に答えたのは、彼女の隣に座ったシンボリルドルフだった。
「クロスクロウは、彼女自身が呼吸器不全を患ったこと、レースから引退せざるを得なかったことを、
「そんな……どうして……?」
「……その答えはきっと、この手紙の中にある」
「え……? この中に……?」
クロスクロウが送ってきたと思われる数十通の手紙の束。
これを全て読み切るには相当な骨が折れそうだと悟った。
「この手紙には、彼女の現地での活動記録と、君ら従妹たちへのメッセージが含まれている」
「直近の記録では、クロスクロウさんはベオグラードにいるという手紙を送ってきてくれました。……これから彼女の手紙は、あなたの寮の部屋に届くように手続きをしておきますけど……どうします?」
理事長秘書である駿川たづながそう尋ねてきたものの、クロススキッパーは、直ぐには答えられなかった───。
───手紙のことについては、3人にはもちろん言わなかった。
だが、クロスクロウが呼吸器に障害を負って引退を余儀なくされたことと、ヨーロッパの何処かに今もいることについては言及した。
引退の件が告げられるまでクロススキッパーは、従姉といつか同じレースを走ることを夢見ていたが、それが粉々になってしまったばかりか、沼崎トレーナーがここ三年近く公の場に姿を現さなかったのも、チーム[ミモザ]が無くなってしまったことも知らなかった。
そこでふと、キングカメハメハが疑問を口にした。
「……そんな重要なこと、ボクたちに言ってもいいのかい?」
クロスクロウが呼吸器不全で引退───その事実は、今の今まで、約三年間に渡って隠されてきたことだ。
最重要機密もいいとこだ。聞いちゃいけないことを聞いてしまったような気不味さが漂うのだが、
「……従姉さんの引退はどうせ近い内にURAが発表するんだから、ちょっと早いぐらい、なんてことはないでしょ?」
「「「……」」」
クロススキッパーが少々ヤケ気味に捻り出した言葉は震えていた。
気付けば、机の上に液体が滴った。
「あれ……?」
「!」
その元を辿れば、その液体の正体はクロススキッパー自身がいつの間にか流していた涙だった。
泣き出したクラスメイトに少なからず3人は動揺し、トウショウナイトは慌ててポケットを探ってハンカチをクロススキッパーに貸し、その涙を拭わせた。
「……ナイトちゃん、ありがとう」
そう礼は言うものの、クロススキッパーの涙は止まる気配がなかった。
「……つまり、ホッパーは、お従姉さんがそんな状態で引退してしまったから、自分は競技ウマ娘としての道を歩むべきか、それともトレーナーとしての道を歩むかを今この段階で悩んでると?」
ハンカチを差し出したトウショウナイトは、夢破れたクロススキッパーが次にどんな進路を取るべきか迷っていることに言及する。
問われたクロススキッパーは渋々頷くのだが、これにダイワメジャーが呆れて溜め息を漏らす。
「おいおいスキッパー、今アタシら中等部1年生だぞ? レースを走るかトレーナーになるかを考えるにはまだ早すぎるぞ?」
一方キングカメハメハは一定の理解を示しつつも、やはりダイワメジャーと同じく溜め息を漏らす。
「将来のことを考えることは確かに重要だとボクは思う」
「だがよ」
「そう、ダメジャーの言う通りでもあるとボクも思う。これがもう2、3年してからならともかく、
「……だよな。キンカメの言う通りだとアタシも思うぜ?」
「不思議な感じだね。入学式したのって先一昨日だったもんね」
キングカメハメハと意見が一致したことにダイワメジャーは一瞬、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、すぐに気を取り直して同意した。
そしてトウショウナイトの言う通り。今日の授業より3日ほど前がちょうど彼女たちの入学式だった。
「……ホッパー。気を落とさないで。ね?」
「そうそう。まだこの段階でレースに走れないって決めつける必要はないと思うよ?」
「目標なんて後からついてくることもあるしなぁ」
「……みんな、ありがとう……」
トウショウナイト、キングカメハメハ、ダイワメジャーの3人が三者三様に励ましの言葉を投げかけてきたが、当然ながらクロススキッパーの気分は晴れないままだった。
数時間後。
栗東寮のとある角部屋。
「ただいま帰りましたわ」
ドアをノックしながらそう言って部屋に入ってきた芦毛のウマ娘。
前髪の一房が真っ白だが、それ以外は薄紫掛かった銀髪であり、左耳には銀のリングから円に3枚羽のプロペラファンが付いたような飾りが垂れ下がっている。
両揉み上げは白い帯をリボン結びにして纏めていた。
目元は丸みを帯びてるが吊り目がちで勝気な印象を与える。
「……ラン、おかえり……」
「おかえり……じゃないですわ。フジキセキ寮長から聞きましたわよ? 夕飯も食べず、お風呂も入らずに部屋に引き篭っているって。それに、今の私の名前はメジロシクローヌです。いつまでも幼名呼びは、その……恥ずかしいのでご遠慮願いたいのですわ」
「……ふふっ……」
「な、何がおかしいんですか!?」
「ふ、……いや、なに、その、孤児院にいた時から君はだいぶ「お嬢様」になったなぁ、なんて……アイテッ」
「余計なお世話ですわ」
思わず吹き出したクロススキッパーに、布団の上から空手チョップを叩き込む、ルームメイトのランこと、メジロシクローヌ。
なお、
メジロシクローヌ の からてチョップ
(クロススキッパーの)
こうか は ばつぐんだ
「茶番はここまでにして?
「イテテ……全く、
「ほらとっとと出てきなさい」
そう言いながらメジロシクローヌは布団を被ろうとするクロススキッパーから毛布を引っぺがして取り上げた。
すると芋虫のように縮こまっていたクロススキッパーもベッドシーツ上でその姿が露わになった。
「あーぁ、やっぱり。制服を着たままでしたわね?」
「……」
そうメジロシクローヌが呆れたかのように言いながら溜め息を吐いても、クロススキッパーは微動だにしなかった。
「ほら、何を拗ねてますの?」
そう言いながら芋虫のように縮こまっていたクロススキッパーを、慣れた手つきでベッド上に体育座りをさせた。
「全く、これが仮にも
メジロシクローヌはクロススキッパーを姉と呼び、
逆にクロススキッパーはメジロシクローヌを妹と呼ぶ。
もう気付いているかもしれないが、この二人は姉妹だ。
それも実際に血を分けた存在だ。
だが、ある出来事が原因で、二人は幼い頃から、それぞれ違う家に引き取られて暮らしてきた。
クロススキッパーが養子として引き取られた一方で、メジロシクローヌが引き取られていったのは、その冠名でも明らかなように「メジロ家」である。
メジロ家。
その名はこのウマ娘世界の日本において知らぬ者はいないほどの名門貴族である。
天皇家に仕えていたウマ娘を始祖とする……らしいが、その話は今は置いておこう。
「……ラン。
「何を突然? ……そうですわね……。
「……まだ君が3歳ぐらいのことだね、それ」
「突然どうしましたの? あなたがお従姉さまの話題を突然に出すなんて」
話をはぐらかそう……としているような感じの話の振り方ではないと感じる。
しかも、自分が覚えているかどうかも怪しい従姉の話題をわざわざここで出してきたのは、何かある。メジロシクローヌ自身の勘がそう告げていたが、間も無くその勘が当たっていたと知る。
「……」
「……」
再び訪れる静寂。しかしそれは暫しのものに過ぎず。
「……キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス。3年前の」
「!」
メジロシクローヌは、
クロススキッパーが自身の耳をビクンッとさせたということは、恐らくは図星だったのだろう。
自身が朧げにしか覚えていない
そして、メジロシクローヌが今、口にした名詞「キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス」───それはレース名である。それも、
1951年の創設以来、日本のウマ娘たちが幾度か挑戦するも敗北に涙を飲んできたレースだった───クロスクロウが勝利して道を切り開くまでは。
「あのレースなら私も見ましてよ?
「……ラン?」
メジロシクローヌが言葉に詰まった様子だと感じたクロススキッパーは顔を上げた。
が。
「み、見ないでくださいまし!」
そう言われて折角上げた顔を、今度はメジロシクローヌの手によってベッドシーツに押し付けられるクロススキッパー。
解せぬ。理不尽だ。
「あ、も、申し訳ありません……」
照れ隠しのための反射的な行動でそんな状態になってしまったクロススキッパーの姿を見て我に返り、慌てて彼女の頭から手を離した。
再びクロススキッパーが顔を上げると、メジロシクローヌは、興奮と恍惚の表情を浮かべていて、赤くなった顔を隠しきれていない事がハッキリと分かった。
「……ううん、気にしないよ。むしろ、ランのそんな顔、久しぶりに見たかもしれなくて安心した」
そうクロススキッパーも微笑み、メジロシクローヌは再び照れ臭くなって顔を赤くする。
ハッとしてプイッ*5とそっぽを向き、
「わ、私のことは良いんです! それよりも、問題はお姉さまの悩みのことですわ」
「……悩み?」
「おとぼけも大概になさってくださいません? お姉さま。私たちの
「!」
どうしてそのことを知ってる?
そう問おうとして笑みが消えたクロススキッパーに先回りして、
「何故私がそんなことを知っているかって? ダイワメジャーさんたちからお聞きしましたわ。「たった三日でクロススキッパーがレースに出るのをやめるなんて言い出した」、「同室の君なら何とかできない?」とか言われて。全く困ったお姉さまだこと」
口では呆れたかのように言うものの、誰かに頼られたことについて何処か嬉しそうな照れ顔を一瞬していた。残念ながらその瞬間は背を向けていたためにクロススキッパーは見ていなかったが。
すぐに顔も声も真面目に真顔になり、姉の痛いところを突き始めた。
「その事実から導き出されるのは、確かにあなたの夢が粉々になってしまったことも悩みの一因でしょう。けれども、実は
「……」
そう言われて、クロススキッパーはさらに俯く
そして、俯いて、たどたどしいながらも静かに頷いた。
クロスクロウ。
クロススキッパーとメジロシクローヌの従姉妹。
本人は「無名の凡人」と自称しながらも、G1を4勝してみせた。れっきとした強者である。
それも、その内の一つは国際G1であり、世界にその強さを証明した。
……しかし、それを勝利したものの、彼女の競技ウマ娘としての人生はそこで止まってしまった。……いや、クロススキッパーにとっては受け入れ難いことに
「……ねぇ、ラン。君は《夢のお告げ》って信じる?」
「夢のお告げ? ……だいぶオカルト染みてますわね*6」
静寂に染まったクロススキッパーとメジロシクローヌの部屋。
ポツリポツリと、クロススキッパーは、こんなことを言った。
「……従姉さんが故障した原因。もしかすると僕かもしれないんだ……」
「……え?」
突然の姉の告白に、妹は目を見開く。
どういうことだ? 話が繋がらない。
続け様に、クロススキッパーが言った。
「……僕が幼い頃に見た奇妙で嫌な夢。凄く変な夢だけど、今でも細部を思い出せてしまうんだ」
その内容を静かにメジロシクローヌは耳を傾けて聴くことにした。
「……どういう夢でしたの?」
「凱旋門賞……。ランはそこを目指しているんだよね?」
「え、えぇ、もちろん!」
突然にメジロシクローヌは自身の将来の目標。
即ち、『日本で最初に凱旋門賞を制覇したウマ娘になる』ということを改めてクロススキッパーに尋ねられて勢いよく肯定する。
中央トレセン学園に入学して早々にチーム[プロクシマ]の入団テストに応募しただけあって向上心が強く、負けん気も強い、じゃじゃウマ。それがメジロシクローヌだ。
そんな彼女ですら、次にクロススキッパーが言及した一言には血の気が引いてしまった。
「……僕が見た悪夢では凱旋門賞は血の池になっていたんだ」
……チノイケ……、いえ、血の池?
「……え?」
一瞬、メジロシクローヌも何を言われたのか理解が追いつかなかった。
クロススキッパーは言った。
「……夢の中で、従姉さんは、凱旋門賞を走っていたんだ。モンジューやエルコンドルパサーと一緒に」
「それって……」
黄金世代と呼ばれたウマ娘たちのシニア一年目の頃───つまり、今からおよそ三年前のレースだとメジロシクローヌはすぐに理解した。
「その夢で見た従姉さんは……異常だった。周りのウマ娘たちを巻き添えにしかねない危険な走り方をしていて、まるでヤケでも起こしているかのようだった。でも終盤にモンジューとエルコンドルパサーを差し切って……」
「勝った……んですの?」
「……」
メジロシクローヌに問われてクロススキッパーは何とも言えない表情になる。
……そして、頷きながら、ポツリポツリと、呟くように答えた。
「……確かに夢の中で、従姉さんは凱旋門賞のゴール版を真っ先に駆け抜けていた。でも、そのまま転んで、起き上がれず……」
「そんな……」
「……ロンシャンのターフが血に染まって、従姉さんの首は折れていた。……そこで僕が見た悪夢は終わって、飛び起きたんだ」
夢の中の出来事とはいえ、いざ想像すると衝撃的な光景であることに変わりがない。
それも、自分の
「……え、待って。その夢を見たのって……?」
メジロシクローヌには一つ思い当たることがあり、それを察したクロススキッパーもその推測を肯定して頷いた。
「……確か、クロスクロウお従姉さまは一回、「凱旋門賞挑戦」を掲げてらしたわね」
思い出した。
三年前だ。
中山レース場で行なわれたG2レースのアメリカJCC。
ここではタマモクロスとダイナカーペンターが阪神大賞典でやったように、G2では二例目の同着勝利を、クロスクロウとスペシャルウィークが決めてみせた。
その記者会見の場で、クロスクロウは高らかにこう宣言した。
⦅オレの次の目標? そりゃ凱旋門賞だ!⦆
この宣言に翌日のウマ娘レーシング新聞と世間は大騒ぎになった。
それと同時に、同じレースに出走する予定でいたエルコンドルパサーにとっては宣戦布告に近い内容でもあった。
……だが、その3週間後。
日本からヨーロッパに行く直前のインタビューに答えたクロスクロウは、
⦅あぁ、悪いね。凱旋門賞じゃなくてイギリス行く⦆
⦅オレはイギリスのキングジョージ6世&……なんちゃらっていうG1を勝利してくるぜ!⦆
そう啖呵を切り、TWA*7の747に乗ってイギリスに行った。
……結局はあれがクロスクロウにとって日本国内最後のインタビューになった。
そして、クロスクロウはキングジョージ6世&クイーンエリザベス・ステークスを走って勝利し……引退を余儀なくされた。
「従姉さんが凱旋門賞に行くって聞いた時、どうしても止めなきゃって思ったんだ。……さっきの夢の内容も教えたんだ。ついでに僕は、電話口でこう言っちゃったんだ。『従姉さんにはイギリスのキングジョージ6世&クイーンエリザベス・ステークスを獲ってきてほしい!』って」
やはり側から見れば俄には信じ難い話だ。
それを従姉は信じてくれた。
だが、残った結果は……あの悪夢よりマシとはいえ辛勝に変わりがない。
その事でクロススキッパーは自分自身を過度に追い込んでいる様だった。
「だから、もし、あの時僕がフランス行きじゃなくて、従姉さんの海外挑戦自体を止めてさえいれば……」
「お姉さま」
再び俯きそうになるクロススキッパーの両頬に、メジロシクローヌは両手を添えて自身に向き合わせた。
「クロスクロウお従姉さまが故障したのはスキッパーお姉さまのせいではありませんわ。むしろ、お従姉さまを凱旋門賞に行かせていたら、それこそあなたの見た悪夢と同じ様なことが起きていたかもしれません」
「……何故わかるの?」
そう問われて、メジロシクローヌ自身も冷静になる。
しかし、それと同時にどこからか自信が湧き上がってきて、こう答えた。
「……根拠はありませんわ。でも、
「……」
クロススキッパーはここで意を決したように、メジロシクローヌに尋ねた。
「……ねぇ、ラン。僕、レースを走っても良いのかな? 従姉さんとはもう一緒に走れないし、その……」
「さっきも言ったように、あなたのせいでは無いでしょうに。既に
「……」
「……あなたの夢が粉々になってしまったこと。それ自体には同情致しますわ。けれども、そこから如何にして立ち上がるかが重要ですわ」
「……これだと、どっちが姉か妹か分からなくなるね」
「全くですわ。……あとお姉さま」
メジロシクローヌは自分の私物を漁ると、黄色いプラスチック製の桶に入ったシャンプー、リンス、ボディソープのお風呂セットと、バスタオルをクロススキッパーに纏めて投げ渡した。
「わっ?」
「……割と臭いがキツイのでお風呂入ってきてくださいまし。寮の大浴場はまだ開いてらしてよ?」
それが不器用な我が妹なりの気遣いだと理解したクロススキッパーは、「……わかったよ、行ってくる」と言いつつも、
「……ありがとう」
そう小さく呟く様に礼を言い、部屋を出ていった。
「……ふんっ。全く世話の焼ける姉上ですわね……」
そう呆れつつも、メジロシクローヌの口元は密かに吊り上がっていたのは内緒である。
クロススキッパーの秘密①
実は、ハーバード大学の卒業資格を持っている
「またかよ!」って怒られそうですが、ウマ娘編を一話からまた書き直しており、それに伴い、(新)と旧版をほぼ削除いたしました。
ただし、今回は投稿する前に数週間をかけて修正を繰り返してから仕上げてまいりましたので、今度こそはまともな仕上がりになっているはずです。
しばらくは一週間に一回ペースで投稿する予定です。
本作のリテイク・大規模な修正を考えていますが、実行してもよろしいですか?
-
はい
-
いいえ
-
その他(コメント欄へ)