また君と、今度はずっと 〜If you can Cross to tomorrow〜 作:Simca Ⅴ
実馬編のクロススキッパーは2003年のクラシック三冠レース、メジロシクローヌは2004年のティアラ三冠レースに出走しているので……ということは、同世代の「あのウマ娘たち」の存在を絡めないわけにはいかない。
修正前の話ではその接点を生み出せずにお流れになっていましたが、今回こそ拾いました。
その分、文章量も多いので、長いですがお付き合いくださいませ。
4月4日、クロススキッパーがチーム[ライジェル]の部室から戻ってきた夜のこと。
「……えぇー!?ライジェル入りを決めた!?」
「シーッ。声が大きいよ?」
驚愕のあまり大声が出てしまった
ここは角部屋だが、隣部屋にはあのアローキャリーとデュランダルがいる。
隣人を起こしたくないので、メジロシクローヌも声量を下げて尋ねた。
「……一体、どういう風の吹き回しですの?」
「どういう、って……」
「お姉さま。昨日と今日の言動を覚えていらっしゃらないの? レースで走ることすら迷っていたのに?」
「……確かに。言われてみればね」
改めてクロススキッパーは考えた。
メジロシクローヌの言う通り、クロススキッパーはほんの数時間前まで競技ウマ娘としての道をこのまま歩んで行くべきかを悩んでいた。
ところが、チーム[ライジェル]の部室での出来事から何かが変わった気がした。
まるで、どんよりとした曇り空が一気に晴れたような錯覚を覚える。
すると、アメトリンの色をした目のメジロシクローヌが、自分の目を覗き込んで来ていることに気付く。
「……そんなに見つめてどうしたの?」
そう問われたメジロシクローヌは、その後に一拍置き、安堵の表情を浮かべて溜め息を吐いた。
「いえ……やはり、気のせいではありませんでしたわね」
「え? 何が?」
すると今度は腕を組んで微笑む。
「だって、ここ数日のあなたの目、冷めた目というか濁った目をしていましたもの」
それは……とても心当たりがあるクロススキッパー。
「でも今のあなたの目は、入学初日に戻ったかのように、透き通った琥珀色をしています。ということは、何か良いことがあったのでしょう?」
そう言われると、クロススキッパーの目の輝きが増した。
「うん、うん! そうなんだ! 実は僕、チーム[ライジェル]でフレアカルマさんに会ったんだ!」
「フレアカルマさん? ……確か、お従姉さまのメイクデビューで競っていて、それから何故かあなたがどハマりしてファンになってしまったあの人?」
「そう! その人!」
一応知ってる名前が出てきて、少々うんざりしながらも渋々状況を整理しつつ尋ねると、興奮した様子でクロススキッパーが応じた。
メジロシクローヌはそれに対して苦笑する。そして内心こう思っていた。
(あ、地雷踏んだ)と。
「今日行ったチーム[ライジェル]でね! フレアカルマさん、サブトレーナーをしていたんだ! チームの他の人やチーフトレーナーの矢萩さんも
しかし、今言ったワードの中で、今度はクロススキッパーがメジロシクローヌの地雷を踏んづけることになった。
「
「え、だって、ラン、チーム[ライジェル]にパーマー先輩がいるって知っていたんじゃぁ?」
「それはそうですけど……! まさか、まさかまさか! あんなにウジウジイジイジ悩んでいたお姉さまがチームに加入することを即決して帰ってくるだなんて!? しかも、それがよりにもよってチーム[ライジェル]に! そんなこと微塵も思ってませんでしたわよ、むきぃー! 羨ましいったらありませんわ!! あーもぅ、「パーマーお義姉様やラモーヌお義姉様を超えるため」とか! 「甘えるの禁止」とか! 変な意地張るんじゃありませんでしたわ……むぐっ!?」
「シーッ! 静かに……!」
自分以上に興奮し始めたメジロシクローヌを見て、一周回って冷静になったクロススキッパーは、さすがに五月蝿くなり始めた彼女の口を急ぎ手で塞いだ。
それで漸くメジロシクローヌもヒートダウン。
お互いに興奮状態が収まった状態になってから……クロススキッパーが切り出した。
「……確かに僕はチーム[ライジェル]に入りたいって思えたけど、トレーナーさんから、「模擬レースを走ってからだ」って言われたんだ」
「模擬レース……!」
その単語が出てきて、メジロシクローヌもそれを失念していたことに今更気づいた。
「ぁぁぁぁっ……私ったら、何ていう早とちりを……」
すると、クロススキッパーが困った顔をしてこんなことを言った。
「……それなんだけど、僕には実感が湧かないんだ」
「実感が湧かない? どういうことですの?」
「……多分、ランはメジロ家の養子になってからレースに出るためにレーシングコーチのような名門家お抱えのトレーナーさんみたいな人に鍛えられてきたかもしれないけど……」
「それはお姉さまも同じではなくて?」
そもそも中央トレセン学園に入学するには学力だけでなく、身体能力の有無も重要になってくる……たまに例外もいるようだが*1。
ならば、実技試験を通過できるだけの脚力は
対してクロススキッパーは俯いてしまう。
「……え、違うのですか?」
「……実は二番目だったんだ」
「え?」
「一緒に試験を受けた娘でね……表情が読めない不思議なウマ娘がいたんだ。その娘に負けて……」
「はぁ……2着なんて結果、何てことないですわよ」
「いや違くて……」
「え?」
メジロシクローヌは姉が模擬試験で2着だったと解釈したが、クロススキッパーは言いづらそうに、しかし正直に言おうと訂正した。
「……ビリから2番目だったんだ」
「Oh……」
その、まさかの答えにメジロシクローヌはただただ頭を抱えた。
「何でそんなことに?」
「えっとその……緊張していたこととか……僕の場合、レーシングコーチの指導を受け始めたのが10歳頃からだったし、それまでまともに
「あぁ……その……なるほど……」
メジロシクローヌは、納得できたような、できないような、曖昧な返事しか口に出来なかった。
納得できた点は、そもそも中央トレセン学園を目指すウマ娘たちというのは、名門か否かに限らず、子供の頃から公園や、ウマ娘競技レース場の一般開放日*2のコースを走ることを繰り返して成長するものだ。
クロススキッパーの場合は彼女が養子になった家の跡を継ぐことを幼い頃から教え込まれてきて、そこに「中央トレセン学園への入学」という選択肢がたまたま存在しないまま10歳にまで育ってしまったので、中央トレセン学園へ入学するための実技試験はまるで一夜漬けか付け焼き刃に等しい状態で臨む羽目になったのだろうということだ。
しかし、我が姉の走り方がそこまでヘボだったのか? その点がメジロシクローヌには納得できなかった。
確かに、実妹のメジロシクローヌの目から見ても、実の姉のクロススキッパーは頼りない感じであることは否定できないが、こう見えても大学生並みかそれ以上の頭脳の持ち主であることは知っている。だからこそ、実技でブービーだったという話が納得できないというよりは信じられないという感じだった。
微妙な空気になってしまったので話を戻すことにした。
「……脱線してしまいましたわね。それで……フレアカルマさんと実際にお会いしていかがでしたの?」
「うん……お従姉ちゃんから聞いていた通り優しい人だった」
少ししんみりしながらも、頬を薄紅色に染めるクロススキッパー。
そんな彼女の顔を見るのはメジロシクローヌにとって……、
「……そんな顔をしているのを見るのは
「え? そんな顔って?」
「もう。とぼけるのはおよしなさい」
呆れながらも、メジロシクローヌは核心を突くことにした。
「皐月賞。4年前の」
「!」
「そのレース映像を見る度にお姉さまは……今さっきみたいな顔をしていましたわよ?」
「え? ええ!? ええぇ……ホントにぃ?」
「私が嘘ついてどうするんですの? 本当ですわよ。お姉さまがそんな顔をしているのは、クロスクロウお従姉さまのレースを見ている時以外では初めてのこと。少なくとも私が知っている限りでは、ですが」
「ん゛〜〜〜〜〜〜///」
薄紅色の肌が余計に赤く染まり、途端にクロススキッパーは胸の内から恥ずかしさが込み上げてくる。
こう、なんというか。
まるで見られたくない恥ずかしいものを見られてしまったような気持ちにクロススキッパーはなってしまう。
ここに追撃のような一言をお構いなしにメジロシクローヌは叩き込んだ。
「惚れた人がいるチームですものね。そりゃ、チーム加入を即決したのも当然ですわね」
「ほ、惚れた!? だ、誰が誰にっていうのさ!?」
「決まっていますわよ。あなたが。フレアカルマさんに。惚れている。でしょう?」
「かぁ〜〜〜〜〜〜///」
恥ずか死。それが実在するものなら今のクロススキッパーの状態だろうか。
ベットの上で悶えてる我が姉の姿を見ている内に、
「……ふふふ」
「ひ、ひっどい……。人の弱点を突いてきて笑うなんて……」
思わず笑いが漏れたメジロシクローヌ。
「ふふ……そんな姿を見せるあなたを初めて見たモノですから」
7年近く一緒に暮らしたことが無く、それ以前でも、きっと見たことがない自分のたった一人の実姉の一面を見れて、無性にメジロシクローヌからは笑いが漏れた。
「……はははっ」
「な、何がおかしいんですの?」
「ははっ。う、あや、ランだって、この学園に来てから笑った顔を見せてくれなかったなぁって、今更だけど気付いたんだ。はははっ」
「……ふふふっ、確かに」
互いに笑い声を漏らしながら、静かに時間は過ぎていった───。
───中央トレセン学園に所属し、尚且つ芝を走るウマ娘たちにとって、一生に一度しか通れない、誰もが足を踏み込もうとするであろう
それは二種類存在する。
即ち、トリプルティアラと、トリプルクラウン*3。
この内、後者のトリプルクラウンことクラシック三冠はスタミナ勝負を要求される三大競走で組まれており、内訳は皐月賞、日本ダービー*4、菊花賞、この全てを制することを「三冠達成」と呼ぶ。
その格言もずばり、
皐月賞は「最も速いウマ娘が勝つ」。
ダービーは「最も運のいいウマ娘が勝つ」。
菊花賞は「最も強いウマ娘が勝つ」。
こう言われる由縁は、まず皐月賞の場合、2000mで施行されるのが伝統となっている*5。
この「2000m」という距離は、皐月賞を走るより前だと、ジュニア期の芙蓉ステークス(OP)や京都ジュニアステークス(G3)などや、クラシック期に入ってからは弥生賞(G2)などで経験することになる長さである。
そして、クラシック期の4月という時期のウマ娘たちは本格化を迎えたばかりであり、体が出来上がっていない場合が多い。それ故、皐月賞を走るウマ娘には、それを制覇できる
「速さ」とは、当然足の速さを指す。
では「早さ」は? というと、それは成長が早いかどうかを指す。
2000mは、腐っても中距離だ。
走り切るには、足の速さだけでなく、ある程度のスタミナとパワーが無ければゴールを先頭で駆け抜けることはできないだろう。
クラシック二冠目として次に待ち受けるのは、日本ダービーである。
距離は2400m。ここからはスタミナが確実に備わっていないと厳しくなる。また、パワーもかなり重視されていた。
特に、昔々の日本ダービーは20人以上から30人ものウマ娘が一斉に出走していたという、今では考えられないほどの規模で行なわれていた。
20人、ないしは30人の頂点に立つために。
そのバ郡から抜け出せるだけのパワーと、運の良さが備わっていなければダービーウマ娘の称号を得るには遠く感じたことだろう。
今でこそ安全性が考慮された結果、出走可能人数は18人に絞られているが、2400mという距離はクラシック期のウマ娘たちにとってはこの時点で最長距離である。
そして、クラシック三冠の最後のレースとして控えているのが菊花賞。
クラシック期に挑めるG1レースとしては最長距離であり、その長さは実に3000mに及ぶ。
皐月賞と日本ダービーの間が一ヶ月半ほどしか離れていないのに対して、日本ダービーから菊花賞までは4ヶ月半から5ヶ月ほど間が開く。
クラシック三冠に挑むウマ娘たちは、夏合宿などで菊花賞を走り切るのに必要なスピードとスタミナを磨き、体を鍛え上げる。
菊花賞は、京都レース場の外回りのコースを舞台に行なわれるが、そのコースレイアウトもまさに過酷だ。
スタート地点こそ第3コーナー手前の上り坂の途中から始まる。
坂の頂点は第3コーナーであり、ここから第4コーナーにかけては下り坂で、そのままスタンド前の直線に入るのだが、当然こんなもんで終わりではない。
スタミナが備わっていなければ体力を持っていかれて疲労度が増す。仮にその状態で首位をキープできたとしても、最終直線に入る前に失速が始まり、最後の400mで差し返されるだろう。
余談だが、ほぼ同じコースレイアウトでさらに200m距離を伸ばした天皇賞・春というレースも存在するが、これはひとまず置いておく。
その天皇賞・春に比べれば”僅かに”易しいとはいえ、まさに菊花賞というレースはクラシック期のウマ娘たちが同世代のみで経験するレースの中では最も過酷であり、「最も強いウマ娘が勝つレース」の格言通りである。
しかし、この三冠レースの内、最もウマ娘たちの間で人気のあるレースといえば、何と、日本ダービーである。
近代のウマ娘レースが確立されたのは、18世紀後半のイギリスでのこと。
今や最も古いウマ娘レースで現存するものといえば、イギリスのセントレジャーステークス。距離にして2921mであり、これは今の日本における菊花賞のモデルレースとなっていた。
なら何故、菊花賞ではなく日本ダービーが日本のウマ娘たちにとっての憧れになるのか?
実は、日本での三冠レースの内、最も早く創設されたのが日本ダービーであり*6、前述の通り20〜30人のウマ娘が出走していた時期も存在していたため、その当時はクラシック期のウマ娘の頂点を決めるに相応しいレースとして崇められていたという。
その後、菊花賞*7、続いて皐月賞が創設されて、1980年代のグレード制導入に伴い、これら三つのレースがG1に区分され、日本における「クラシック三冠レース」という扱いになった*8。
それでも、日本ダービーは日本最古のクラシック競争としての立場は揺るぎない。
だが、その日本ダービーに挑む上で、ほとんどのウマ娘たちはクラシックの一冠目を賭けて、「皐月賞」に出走している。
これは何度目かの皐月賞での話。
今でこそ「黄金世代」と呼ばれた
そして、クロススキッパーにとっては、大切な思い出もあるレースでのこと───。
───桜の満開時期も既に過ぎて葉桜になり始めている4月半ばの中山レース場。
本日注目の重賞は、クラシック三冠の一冠目を掛けたG1、皐月賞。
出走時刻が刻一刻と迫る中、ウマ娘たちがパドックでお披露目をしている。
中には今日がG1初出走という者もいて、ソワソワする者、胸のドキドキを抑えつつ小さく手を振る者など様々だった。
そのパドックを見たがっていた一人の幼いウマ娘。
その娘がパドックへと足を向けたとき、アナウンスが流れた。
『順番が前後しますが、8枠18番、スペシャルウィーク!』
今日の皐月賞はバ番順ではなく、人気順によるパドックでの紹介だった。
が。
白と紫を基調とする勝負服を着た前髪に白いメッシュの入った黒鹿毛のウマ娘、スペシャルウィークもその「G1初出走組」の一人であった。
当然、落ち着きが無い、どころか、
『8枠18番、スペシャルウィーク!』
「わわわぁっ!」
パドックでカッコ良く決めようとしたスペシャルウィーク。
足がもつれて躓いて。
スッペンペン、もとい、スッテンコロリン、である。
「あ、あははは……」
力無く笑いながら立ち上がり、少し恥ずかしそうに観客へ小さく手を振る。
観客からも思わず忍び笑いが漏れていた。
『今日の一番人気ですが、ちょっと落ち着きないですねぇ』
『彼女にとってG1の舞台は初めてですからね。きっと緊張しているんだと思いますよ』
解説者からのフォローはあったものの、パドックであれだけ派手にすっ転んだわけで、やはり最初から最後まで締まらず、恥ずかしさを拭えないスペシャルウィークであった。
余談だが、ここでパドックに引っ込んだ後、スペシャルウィークは
そんなスペシャルウィークの自爆の一部始終を見逃した幼いウマ娘が最前列まで来た時、ちょうどパドック上には、ミントグリーンの耳カバーと雲を模した耳飾りを右耳に付け、これまた風や雲をイメージしたかのような白い勝負服に身を包んだ葦毛のウマ娘が姿を表したところだった。
そこでアナウンス。
『2枠3番、セイウンスカイ、二番人気です!』
『前走の弥生賞ではスペシャルウィークに差し切られて惜しくも二着でした』
『ただ、今回がG1初出走とのことですが、そうは感じさせないほどに落ち着いていますね』
周りからの視線もどこ吹く風と言わんばかりに飄々とした表情で、しかし同時に落ち着き払った態度で自身をアピールするセイウンスカイ。
パドックから見ている観客たちに微笑みながら手を振ったのを見て、幼いウマ娘も思わず振る。
セイウンスカイは遠目にそれを見て、ファンサービスも兼ねて手を振り返した。
思わず幼いウマ娘の顔から笑みが溢れたのを見届けると、セイウンスカイはパドック裏へと引っ込んでいった。
『えぇ、続いて、本日の
パドックでワッと歓声が漏れる。
そこには髪の毛から勝負服まで、ほぼ全身真っ白な出立ちのウマ娘がパドックのお立ち台に上がって来ていた。
十字マークの入った黒のイヤーカバー、右耳の赤紫のリボン、ルビー色のキリッとした釣り目。
勝負服は、南十字星をイメージした赤いマークが描かれた黒のインナーシャツ、その上から大きなXの字を模した金縁に紫の帯が縫い付けられた上着を着込み、茶色い細ベルトの下に上着の色とほぼほぼ同化している白いスカートを履いている。
靴は黒。その上から太ももまでを覆う白いタイトブーツにも金色の十字を模した飾りが光っていた。
最前列で見ていた幼いウマ娘は、その姿を見て頬を赤くして見惚れてしまっていた。
『会場が盛り上がってまいりました』
『前走の
『朝日杯は凄かったですよね、逃げと追い込みを組み合わせた幻惑逃げ。それがここでも見られるか注目したいところ……ですが、やはり2000mという距離に不安が残ります』
『なるほど、確かに……ホープフルステークスでは朝日杯から2週間を挟んだものの疲労が抜け切らず、それでも同じ条件のグラスワンダーに競り負けていましたからね』
今日出走の18人の内、実はG1を勝った経験があるのはクロスクロウだけ*9。
しかし、この時点でのクロスクロウは「1600mが得意距離=マイラー」と見られていた。
解説にもあるように前走のホープフルステークス(G1)*10では、クロスクロウたっての希望でグラスワンダーとの二戦目に臨んで、グラスワンダーもたった2週間で疲労が抜け切れていない中、東条トレーナーに直談判して同じレースに出走。
最終的には、クロスクロウの逃げにグラスワンダーが適応した結果、差し切られて負けていた。
その後、色々とゴタゴタがあったのだが、ここでは割愛させていただく*11。
観客に向けて大きく手を振るクロスクロウ。
見惚れてボーッとしていた幼いウマ娘は、それを見てハッと我に返り、両手を大きく振りながら叫ぶように声援を送った。
「頑張ってーっ!! お
その声に周りにいた大人たちは驚く。
しかし、一番驚いたのは、その声援を受けたクロスクロウだった。
驚きを隠せない表情を一瞬するが、すぐさまその幼いウマ娘に向けて、大きくガッツポーズを見せて声援に応えてみせた。
その幼いウマ娘───クロススキッパーは、先ほどのセイウンスカイの時とは比べ物にならないほどの満面の笑みを浮かべて両手をこれまた大きく振る。
そんなクロススキッパーを名残惜しそうに見て、一度か二度振り返りながら、パドックの奥へとクロスクロウは戻っていく───。
───そうして流れるレースの映像と実況音声。
【セイウンスカイ、ゲートに入り辛そうです】
【今係員が背中を押します】
セイウンスカイがゲート入りを嫌がってる様はレース映像にも鮮明に残っていた。
毎度のように彼女はゲート難持ち*12の気があるためかゲート入りを嫌がっている。残念ながらその癖は今も変わってないらしい。
【10番クロスクロウ、12番キングヘイロー、続々とゲート入りします】
それに対して他のウマ娘たちはほぼスルリスルリとゲート入りしていく。
【最後に、17人の枠入りを確かめて悠然とスペシャルウィークがゲートに入りまして───】
全員がゲートインしてからスタートの合図が出るまでの間が永遠に感じた。
「まだか?」と誰かが焦れるか否かというタイミングで、ガシャンッとゲートが開く。
内枠の3番にいたセイウンスカイはベストポジションを陣取っての逃げを試みようとした───のだが。
【スタートしました! おっとセイウンスカイ、ちょっと出遅れたか】
【ハナを奪ったのは2番コウエイテンカイチ、2番手に12番キングヘイロー! 少々遅れたが3番手に3番セイウンスカイが続く!】
このレースでのセイウンスカイは、何と少し出遅れた。
そのミスを埋めるべく加速しようとするのだが、先行策を選んだはずのキングヘイローが
思ったように前に出れなかったセイウンスカイの悔しそうな顔。
スタンドの最前列でレースを観戦しようとやってきた幼き日のクロススキッパー。
彼女の目の前で18人のウマ娘たちが今まさにスタートし、正面スタンド前の直線を駆けて行った。
好スタートを切り損ねて
差しを選択したスペシャルウィークはかなり後ろの方だ。
そしてクロスクロウは、
【4番手には……おおっと10番クロスクロウも上がって来ているぞ? これは朝日杯の再現か!】
その実況を聞いてか聞かずか、前を走っていたはずのキングヘイローとセイウンスカイが思わず振り返り、そして、二人ともギョッとした表情をしていたのが正面スタンド前のモニターにしっかりと写っていた。
ちなみに。
ウマ娘世界ではIT産業がかなり早く発達した故、レースを走るウマ娘たちを様々なアングルから余すことなく映像に収めるために内ラチと外ラチ、それぞれ2機、計4機のドローンが彼女たちを追尾している。
ウマ娘たちのレースでの平均時速は約70km前後。ドローンは彼女らを追尾するためにそれ以上のスピードを発揮できるように設計されていた*13。
こうしてウマ娘視点での走りを映像に収めることで、観客たちはレースの臨場感をリアルタイムで体験できるのだから、最高のエンターテイメントを提供される、最良のファンサービスと言えた。
またここで記録された映像は後年、思い出のレースを何度でも振り返りたい場合や、あるいは
なんと言っても、4番手に付き、正面にセイウンスカイとキングヘイロー、そして先頭を逃げているコウエイテンカイチらを鋭い視線で見据えながら第1コーナーに入っていくクロスクロウの映像が正面スタンド前のモニターに映し出され、観客たちも沸き立つ。
両耳に白の十字マークが入った黒のイヤーカバーと、右耳に付けている赤紫のリボンがハッキリと正面スタンド前のモニターに映っている。クールで整った顔立ちに据わった目をしたクロスクロウの姿に見惚れる者も決して少なくはなかった事だろう。
あっという間にクロスクロウはセイウンスカイを、続いてキングヘイローを並んで追い越した。
なお、映像ではこのすれ違う数秒の間で彼女たちが何かを喋っているようにも見えたが、残念ながら集音マイクの類はドローンに未搭載のため、彼女らの会話の内容は観客が知る由もない*14。
【第1コーナーに入ります。先頭はコウエイテンカイチ、2番手に上がってきましたクロスクロウ。キングヘイロー、一旦下がり4番手。3番手にはセイウンスカイ、正面の様子を窺いながら前を狙っているぞ。先頭集団は間も無く第2コーナーへ】
第2コーナーの直前で、セイウンスカイはクロスクロウを射程圏内に捉えた。
そのまま
セイウンスカイはここでクロスクロウが
【第3コーナーのカーブに向かって残り800通過!………だが!?】
だが。
走ってる本人たちからしたら、クロスクロウの背中がどんどんと遠くなるような感覚であるが、モニターにはクロスクロウが失速どころか、グングンと加速している姿がハッキリと映し出されている。
セイウンスカイの「……あれ!?」と言わんばかりの困惑した表情まで漏らすことなく全て。
なお、今更ながら唐突に言わせてもらうが、皐月賞は本日の第11レースだ。
第1から第11レースまで、全てを一日で同じレース場で消化しなければならない。
これがどんな弊害を生むかと言えば、
【クロスクロウが今垂れるコウエイテンカイチを交わして悠々と
【グリーンベルト以外はバ場が荒れています。足を取られないか心配です】
そう。
同じレース場を舞台にするならレースによっては同じコースを使わざるを得ないし、全11レースの開催を一日のスケジュール内へ収めるためには各レースの時間間隔も短くせざるを得ない。つまり、芝を張り替えてる時間などない。
よって、皐月賞の前に10レースも行なわれた中山レース場は、皐月賞が始まった時点で既に
ところが。
この日の皐月賞を行なった時、皐月賞のコースとほぼ被った内回りのレースといえば、第4レースの未勝利戦(芝1800m)か、第7レースの湾岸ステークス(芝2500m)ぐらいであり、他のレースはダートか、もしくは皐月賞でいうところの2000mコースの向正面よりさらに外側に膨らんでいる外回りコースを使用した1200mか1600mぐらい*15*16。
つまり、この日の皐月賞で使用される
その上、皐月賞はウマ娘18人で競うことになる関係上から、他のコースよりも幅を広げなければならなくなる。
つまり、それは使われていない芝の道=グリーンベルトが出現するわけで。
セイウンスカイはこれを使って向正面で加速してそのまま逃げ切り勝利を決めるつもりだった。
ところが、クロスクロウに頭を押さえられたことでこの作戦は破綻。
さらにコウエイテンカイチが垂れて壁になってしまったことで荒れたバ場へ出ることを余儀なくされた。
クロスクロウはその間に息を入れてどんどん加速していき、そのままレースは最終局面へ入っていく。
【残り400m、第4コーナーカーブ、そのままスタンド前直線に入ってクロスクロウ先頭! セイウンスカイが2番手を追走しキングヘイローもそれに続くが……おっとここで大外を回ってきたスペシャルウィークが上がってきた! 誰がクロスクロウを捉えるのか!?】
懸命にクロスクロウを追い抜こうとするセイウンスカイだったが、クロスクロウも譲らず右へ左へ体を揺する。だが、セイウンスカイからは4バ身差は開いている。つまり、
【クロスクロウ、完全に抜け出した! 3番手、今スペシャルウィークに変わった! だが、2番手との差は2バ身残したまま縮まらない! そのままゴール!!】
白い星がゴール板を駆け抜けた。
クロスクロウはガッツポーズをしながらゆっくりと減速していき、電光掲示板には1着に「10」の数字が灯る。
続いて2着にはスペシャルウィークの番号である「18」が灯るものの、1着との差は「1 1/2」。つまり、クロスクロウへ僅か1バ身半まで差を詰められていたことが、映像にもしっかり残っていた───。
───ピピピピッ、ピピピピッ、
聞き慣れた目覚まし時計の電子音に右手を伸ばそうとしたら、何かが自分に縋り付いてて右腕が動けないことに気付くクロススキッパー。
フリーな左手で被ってる布団を引っ
「……はぁ〜……」
呆れると同時に安堵したような溜め息を吐いた。
自分の右腕に縋り付いていたのは、メジロシクローヌだった。
……思えば、孤児院にいた頃は一緒のベットで寝ていたことを思い出し、懐かしくなるクロススキッパー。
5、6歳の頃にお互い別々の家に引き取られ、特に
手紙でやり取りこそしていたものの、実際に孤児院以来で顔を会わせることになったのは
お互いに別人に思えるほど変わったように思っていた。
……けれども。
今、自分の目の前で寝息を立てている芦毛の少女を見る限り、この姿は、
いそいそと右手に比べてリーチが短い左手を伸ばして、目覚まし時計のアラームを切った。
すると、メジロシクローヌも起き出して、大あくびをした。
「ふあ〜ぁ……」
そうして二人はモソモソと渋々とベッドから起き上がる。
メジロシクローヌはまだ寝ぼけているようだった。
カレンダーは、4月8日月曜日だった。
「新入生諸君。今日は一日体力測定だ。それと同時に身体測定も一緒に行なうが、まぁ、気を楽にしてくれ。恐らくは小学校に通っていた時に受けたものとほぼ同じだと思う」
今年度の入学生、その数は500人を超えている。
体育館の広さも、さすがはマンモス校と名高い中央トレセン学園といったところであり、500人の生徒が一堂に会してもその8倍の人数が入ってもなお余裕がある巨大さだった。
ただ、今は日光が差し込む天窓にはカーテンが掛けられ、500人の新入生たちに対して、体育館の壇上から成人したウマ娘がこれから行なう体力測定についてマイクとプロジェクターを使って説明している最中だった。
彼女はいわゆる、「教官」の一人である。
教官とは、トレーナーがいないウマ娘たちを指導する立場にいる人々であり、トレーナーが就くまでの間、大人数のウマ娘たちを指導して基礎トレーニングを積ませる役職である。
教官の指導を受けてから専属トレーナーやチームトレーナーの担当ウマ娘になり、それからG1で活躍するウマ娘たちも多い。
ちなみに、体力測定の内容は、握力測定、反復横跳び、立ち幅跳び、長座体前屈、上体起こしにシャトルラン……つまり、人間とウマ娘の種族差を考慮した違いこそあれど、基本的に内容はほぼ同じである。
その目的は、ウマ娘である生徒自身に、自らの体力・運動能力がどのくらいあるのかを数値という形ながら確認させ、またそれらの総合評価から本格化がどの程度進行しているか、始まっているのか、それとも本格化がまだ起きていないかを判断するための指標を打ち出すことである。
ウマ娘用のパラメーターで評価することにより、もしも評価が高ければ、本格化が起きている可能性が高いことを同時に示唆していることになる。
さて。
時間をいきなり飛ばすが、翌日の朝のホームルーム時。
その結果がどうなったかというと……。
「うっわぁ……!」
ちなみに、評価はA+が一番高く、E−が一番低い。
肝心のクロススキッパーの評価はというと、
「おぉう……これはやっぱり本格化来てるんじゃない?」
「握力A、立ち幅跳びと反復横跳びがB +とB、シャトルランがB−……」
「前屈と上体起こしはA+……ふーん、やるじゃないか」
クラスメイトのトウショウナイト、ダイワメジャー、キングカメハメハの三人に結果を見せたらこの始末である。
ちなみに、三人の評価はB判定であり、クロススキッパーだけが唯一A判定。
ただしこれは三人が能力的にクロススキッパーに劣ってるという意味ではなく、単に、「本格化しているか否か」を表す指標に過ぎない。
B〜C判定の場合は、「本格化はまだ訪れていないが、半年から1年以内に来る可能性が高い」という意味合いになる。
「クロススキッパー、ダイワメジャー、キングカメハメハ、トウショウナイト。四人ともちょっと来てくれるかしら?」
体力測定の通知表を突き合わせていたら、担任の先生から呼び出し。
そのまま四人がゾロゾロと職員室までついていくと。
「「……あっ」」
職員室に数十人のウマ娘たちが集められていたが、その中にメジロシクローヌがいた。
「これで全員揃ったわね。何故集まってもらったかっていうと、あなたたちには
「え? 今週の金曜日に一斉にやるはずでは……?」
メガネを掛けた黒髪で低身長のウマ娘がそんな質問を投げかけると、
「ここに集まった娘たちはみんな体力測定の結果がBからA判定のはず。ということは本格化が近いってこと。……本格化が始まると体の成長が一気に来るのはみんな知っているわね? そのコントロールとトレーニングにはトレーナーの存在は欠かせないわ。トレーナーがいない状態で自己管理するのは危険と言ってもいい。その状態で誰かの指導や監督もなく、レースを走るために鍛えようとすると、体に歪みが生じてしまう。それが怪我や、最悪の場合は命に関わる状況にもなりかねない。だからこそ、今すぐにでも学園のトレーナーにアピールする必要がある。模擬レースの日程が早まっているのはそれが理由よ」
クロススキッパーの担任はウマ娘であり、それ故か、その説明には妙に強い説得力があった。
「まず、自分が走りたいコース……この場合は芝での短距離・マイル・中距離・長距離の四種類と、ダートでの短距離・マイル・中距離の三種類。これらのいずれかを申告してもらい、枠番はくじ引きで決めるわ」
そう言われて、クロススキッパーは周囲にいたクラスメイトやメジロシクローヌたちと顔を見合わせつつ、申告書を渡されて……。
「ぐぅ……やっぱマイルは競争率ヤベェな……」
「中距離も似たようなものだしなぁ……」
「「「はぁ〜ぁ……」」」
昼休み。食堂に一堂に会した5人は申告するコース内容に頭を悩ませていた。
特に、距離が被ったダイワメジャーとキングカメハメハとトウショウナイトの3人はついつい溜め息を漏らしてしまう。
日本のウマ娘レースにおいて、芝のマイルや中距離はG1の数が最も多く、これらの中にはティアラ三冠の全レースと、
クラシック三冠は「王道路線」とも言われており……王道ということはつまり、競争相手が多いということでもある。
その大盛況ぶりと歓声に触発されて、クラシックやティアラの三冠の頂きに手を伸ばすウマ娘たちもまた数多い。
「……なら、私は
「「「「へ?」」」」
何とも間抜けな声を出した四人だったが、メジロシクローヌはさっさと申告書を書き上げてしまった。
彼女が第一候補として選んだコースは───芝の長距離だった。
正確には、芝2600mコース。
「
「そうよ。……みんなと同じことをしていてもつまらないでしょう?」
「「「……」」」
ダイワメジャーのツッコミをあっさりと受け流したメジロシクローヌに、「他の選択肢」が思い浮かばない面々は沈黙する。
だが、彼女の目配せを受け取ったクロススキッパーも、申告書を書くことにした。
「……僕もこうする」
「……どうしたの?」
トウショウナイトに問われて、クロススキッパーは申告書に書いた第一候補から第三候補を見せると、
「……おい、マジかよ」
「いくらなんでもこれは……」
「えぇ……?」
メジロシクローヌ以外の3人が思わずドン引いていた。
クロススキッパーが走りたいコースに挙げた候補というのが、
「芝・1300mの短距離」
「ダート・1500mのマイル」
「それに、ダートの1000m……?」
「……え? そんなにダメなの?」
「いや、別にダメってわけじゃないが」
「その、意外すぎて……」
「スキッパーは「皐月賞を走りたい」って言ってたから、てっきりクラシック三冠の中距離か、もしくはマイルの1700mを選ぶもんだと思ってた」
ホッとしたような、ガッカリしたような。3人からはそんな微妙な空気が漂ってきたのだが。
「あー! いたいたいた!!」
そんな空気を吹き飛ばす騒がしい乱入者が現れた。
「ちょっとシクローヌ! あんた申告書にはちゃんと芝のマイルか中距離って書いたんでしょうね!?」
「残念でした。長距離にしたわよ」
「ちょ、長距離を選んだの!? そんなの絶対許さないんだからね! 模擬レース、あたしと勝負しなさいよ!!」
「い・や・だ」
「はあー!?」
「す、スイープさん。気を鎮めてください」
乱入者は魔女を思わせるストローハットを被ったウマ娘であり、そのウマ娘を何とか宥めようとする、低身長でメガネを掛けた黒髪のウマ娘。
申告書を受け取った際に先生に質問していたウマ娘だった。
いきなりやってきた彼女たちの存在にクロススキッパーたち4人は面食らって置いてけぼりにされていた。
「あの……ラn、じゃなくて、シクローヌ……さん。この人たちは?」
他人の目がある中、慣れない敬語でメジロシクローヌに尋ねるクロススキッパー。
すると、メジロシクローヌがその乱入者に対してか、クロススキッパーに対してかは分からないが溜め息を吐く。
「はあ〜ぁ……このちんちくりんはスイープトウショウさん」
「ちんちくりんって何よ?」
「事実でしょう?」
「むぅー!」
「あ、あの、シクローヌさん……」
「あぁ、この人はゼンノロブロイさん……二人とも私のクラスメイトですわ」
……さっきの溜め息は僕に対してだったか。とクロススキッパーは一人で納得する。
何故ならメジロシクローヌは、スイープトウショウというウマ娘を少々煩わしいように思いつつも、内心揶揄って遊んでいるような態度に見えたからだ。
その一方でゼンノロブロイに対してはカラッとしている。
……こんな反応は、彼女がメジロマックイーンについて言及した時と似ている。
つまり、メジロシクローヌにとって、ゼンノロブロイはライバルのような存在だと認識しているようだった。
「ロブロイさんは模擬レースどうするんですか?」
「えっと……そうですね……私も長距離にしようかなと」
「はぁ!? じゃ、じゃぁ、あたしだって……!」
「あなたはマイルや中距離が適正でしょうに」
「むぅー! フンッだ! シクローヌの分からず屋!」
「そう臍を曲げないでよ、
「……本番って何よ?」
「あなた狙っているんでしょ? ティアラ三冠」
「! ……えぇ、えぇ、そうよ。シクローヌ! 桜花賞、絶対あたしが勝つんだからね!」
「その言葉、そっくりそのままお返しするわよ。桜花賞、私だって負けないんだからね? ……さて、早いところ申告書出してこなきゃ」
そう言って、メジロシクローヌは席を立ち、一路職員室に書類を提出に行った。
乱入してきたスイープトウショウとゼンノロブロイも一緒に食堂を後にする。
残った4人の内……トウショウナイトとキングカメハメハとダイワメジャーは、クロススキッパーに視線を向けた。
トウショウナイトが切り出した。
「……で、ホッパー、君はどうするのさ?」
「どう、って?」
「そりゃ、クラシック三冠のことだろうが」
「そうだよ。ボクらが激突する大舞台……そこに君がいないなんてのは考えられないなぁ」
「いや、でも、うーん……その前にメイクデビューや重賞を勝ち上がらないと何とも……」
「何だよ、自信ないのか?」
「最大限頑張ってはみるけど、オープン戦かG3を走り切れればいいかなって……皐月賞に出走するのは確かに夢だけどさ……ダメだった時はごめんね」
そう言ってクロススキッパーは席を立ってしまった。
「……あいつ、大丈夫なのかね?」
「だね……
「こればっかりはどうにもできないけど……一体、
「さぁな。メディアが情報を垂れ流すまであたしらは黙ってるしかねぇよ……」
この3人が「
……今それを知ってるのは、URA上層部の限られたメンバーと、クロススキッパーと、その話を聞かされた3人、それに、ダイワメジャーから事情を聞かされるも同じく口の硬いメジロシクローヌ。
幸いにも彼女たち4人とクロススキッパーの口が硬かったお陰で情報は漏れていない。
……まだ彼女たちは知らないが、あの事実が公表されるのはもうすぐ先の未来である。
翌日の放課後。
火曜日に模擬レースの申告書を配られたウマ娘たちが中央トレセン学園の練習コースに全員集まっていた。
その数は100人にも及んでいた。
「こんなにいるんだ……」
クロススキッパーは観覧席からその様子を見て、直ちにグラウンドへ向かおうとしたのだが、あまりの人数に気圧されていた。
そんな時だ。
「ひゃうっ!?」
「ほうほう……このトモ……粗削りではあるが、中々良い速筋だなぁ……」
後ろ手に誰かが自分の太ももを触り始めたことに、思わず背筋が凍るクロススキッパー。
だが、後ろ蹴りが出る前に、
「ゴルシちゃんキーック!!」
「ぶゔぉっ!」
横からやってきた別のウマ娘にその人物は思いっきり蹴り飛ばされた。
「ったく、またかよおめーは! ホントに懲りないな! ……大丈夫か?」
「あ、はい」
自分のトモを触った不審者を蹴り飛ばしたのは、長身の芦毛のウマ娘だった。
ちょっと遅れて黒鹿毛のウマ娘がやってきて、相手はこちらを見ずに平謝りしてきた。
そして、そのウマ娘を見て、一目でその人物が誰なのか、クロススキッパーにはすぐ分かってしまった。
「すみません! 私たちのトレーナーさんがご迷惑を……」
「え……バンちゃん?」
「……え?」
頭を下げていた黒鹿毛のウマ娘が顔を上げると、
「え!? ホッパーちゃん!?」
ホッパー。
それはクロススキッパーの幼名であり、それを知っているのは彼女と幼い頃に出会ったことのある人物たちに限られる。
運命の悪戯とでも言うべきか。
幼い頃に出会った二人はこうして先輩と後輩として中央トレセン学園で再会することになったわけだが。
「バンちゃん!? わわっ、ホントにバンちゃんだ!」
「久しぶりだね! あ、あと、今の私はスペシャルウィークっていうんだよ!」
「スペシャルウィーク? ……あ! え、っと、確か、皐月賞でお従姉ちゃんと競っていたよね!?」
「え、お、お従姉さん?」
「何だぁ? スペ、知り合いなのか?」
再会を喜ぶ二人に、芦毛で長身のとぼけた雰囲気を醸し出すウマ娘がそう尋ねると、
「あ、はい、ゴールドシップさん。この娘、ホッパーちゃんって言って、私が幼い頃、近くの牧場にいた子なんです」
「は、初めまして、ゴールドシップ
「お、おう、よろしくな。……ははっ、ちゃんとした挨拶をされるなんて滅多にないことだから驚いちまったぜ」
「いててて……」
「あ、トレーナーさん。ダメですよ、いきなり触っちゃ」
「いやな、つい気になるトモを見つけるとあぁなっちまうもんでな……」
「ったく、いつかセクハラで捕まっても知らねぇぞ」
「……で、その子がスペの知り合いだって? 名前はなんて言うんだ?」
「えぇ、今の僕は「クロススキッパー」って言います!」
「ほぅ……クロススキッパーか」
「クロススキッパー……クロ……もしかして、ホッパーちゃんのお従姉さんって……?」
スペシャルウィークの脳裏に浮かんだのは、かつてクラシック三冠を競った旧友。
見目麗しく穢れのない白に近い芦毛を靡かせたことから世間では「白銀の英雄」と謳われた。その名を───、
───ピンポンパンポーンッ
『模擬第1レース開始10分前になりました。短距離・芝1300mへ出走のウマ娘さんたちはゲート前にお集まりください』
「あ、いけない。行かないと」
「あっ、ホッパーちゃん!」
「ごめんね、バンちゃん、また今度!」
自分が走る模擬レースのことを(不審者の出現で)失念していたクロススキッパーは、呼び出しのアナウンスが入ると慌てて地下バ道へと駆けて行った。
なお、模擬レースにおいてパドックでのお披露目は省略されている。
「なぁゴルシ。今、アナウンスで何て言ってた?」
「あぁ? 短距離の芝1300mって言ってたな」
「……ほぅ、なるほど」
「あの、トレーナーさん、もしかしてホッパーちゃんを?」
スペシャルウィークとゴールドシップのトレーナーらしき男性は目付きを鋭くさせ、頬が思わず吊り上がった。
「そうだな、スペ。クロススキッパーって言ったなあの子」
「あ、はい」
「出来ればうちに欲しいな」
「トレーナーさん……!」
「……でよぉ、トレーナー。お前の見立てだとあいつは?」
「そうだなぁ……まだ実際に走っていないから何とも言えないが。俺の勘では
「スプリンター……やっぱ、お前はトレーナーなんだな」
「当たり前だろうが。俺を何だと思ってるんだ?」
「セクハラ大魔神」
「妖怪お触り男」
「はぁ〜ぁ……」
自分の教え子たち二人に完膚なきまでに言い負かされたチーム[スピカ]のトレーナーは溜め息を漏らすしかなかった。
間も無く模擬レース、第1レースが始まった。
【さぁ、ゲートが開いた、模擬第1レーススタートです。各ウマ娘バラバラのスタートを切りました】
ガチャンッとゲートが開き、ウマ娘たちがほぼ一斉にターフの上へと飛び出していくのだが、ゲート練習に慣れていない新入生のウマ娘たちは、そのほとんどがまごついて出遅れる。
そんな中で先陣を切って逃げに転じて、後続をどんどん突き放していくウマ娘が現れた。
【おぉっと!? そんな中で先陣を切って突っ走っていくウマ娘がいたぞ、10番クロススキッパーだ、出遅れもなく後続のウマ娘たちをどんどんと突き放していく!】
「行け行けクロススキッパー!」
「あいつ、逃げが得意だったんか」
「しかもゲートで全く出遅れなかったね……」
次走、次々走に出走を控えるクラスメイトのキングカメハメハ、ダイワメジャー、トウショウナイトたちの応援が観覧席から飛んでくる。
ゲート訓練も大して行なっていないはずのクロススキッパーは、ゲートで全く出遅れることなく、綺麗にスタートダッシュを切り、
【間も無く第1コーナーに入ります。先頭は10番クロススキッパー、このままリードを保てるか。2番手にマルブツタイクーン、3番手に───】
実況がレース展開を追いつつ名前をコールしていく。
観覧席から見ていたウマ娘の中には、次の一声に驚いた者が数人いた。
【───9番手にスイープトウショウ、ここにいた!】
「「「「え?」」」」
スイープトウショウが短距離レースに出走していることに、キングカメハメハとダイワメジャー、トウショウナイト、そしてメジロシクローヌは気付いていなかった。彼女たちの目線は全て先頭を突っ走るクロススキッパーに注がれていたのだから無理もない。
慌てて出走表を見直した四人は、確かに模擬第1レースの7番にスイープトウショウの名前があることにやっと気付いた。
そして短距離レースはあっという間に終盤へと差し掛かる。
【さぁ、最終直線、各ウマ娘たちがラストスパートに入った! 依然として先頭はクロススキッパー、苦しいが粘っている! しかし、後方から一気に追い込んできたぞ、スイープトウショウ! ゲートでの大幅な出遅れも何のその! 天才少女がここまで食らいついてきた! 残り200m、スイープかスキッパーか、スイープかスキッパーか! 並んでゴールイン! スイープトウショウのほうが体勢有利か?】
観戦席の前に作られた簡易的な電光掲示板、3着まではしっかりと表示された。
「はぁ……はぁ……はぁ……つ、強いね……君……」
「ふふん、ね、私すごいでしょ!」
クロススキッパーも薄々気付いていた。この勝負は負けたと。
間も無く1着と2着も表示された。
その着差は「ハナ差」。
1着に点ったのは「7」、2着に点ったのは「10」だった。
この模擬レース、スイープトウショウの勝利だったというわけだ。
「……全く、お姉さまったら何やってるのかしら」
全力で走ったせいかターフの上に寝転がっていたクロススキッパーに、スイープが手を貸して起こした。
その結果に少々頭を抱えつつも、少しホッとした様子をメジロシクローヌは見せた。
この後事件が起きることも知らずに。
ちなみに、観覧席でこのレース模様を見ていたチームトレーナーや新人トレーナーたちがスイープやスキッパーのスカウトに行くのだが……。
「ふん! あんたたちなんてあたしの使い魔に相応しくないわ!」とスイープは揉みくちゃにされて不機嫌になってその場を後にし、クロススキッパーはスカウトにやってきたトレーナーたちを断りきれずに困惑していた。
そんな時だ。
「こっち」
そう言いながら差し出された手を取り、クロススキッパーは人混みを脱出した。
そのまま、クロススキッパーは観覧席からレースを見ていた矢萩たちの元へと連れて来られた。
「はぁ……はぁ……はぁ……いやぁ、大変だった……」
「おうスキッパー。良い走りっぷりだったぞ」
そう言って矢萩とサブトレーナーのフレアカルマが差し出してきた濡れタオルとスポーツドリンクをスキッパーは受け取るのだが。
「……あ!」
「どうした急に……あ!?」
自分を人混みから助け出してくれた人物にお礼を言おうと顔を合わせたクロススキッパーと、そのクロススキッパーが何に驚いたのか分からなかった矢萩がそのウマ娘に視線を移すと、なんと彼も驚いた。
「
「むぅ……ユニはクリンゴンじゃないよ……?」
「え、今のクリンゴン語?」
「???」
矢萩の問いに、ユニと名乗るウマ娘はムッとし、クロススキッパーはというと、矢萩が口にした言語について「何で知っているの?」と言わんばかりの顔をする。
一人だけ、ポツンと……もとい、ポカンとしたフレアカルマは矢萩が何を言ったのかは理解できなかった。
しかし、状況だけは分かった。
「えっと……チーフ、この娘、お知り合い?」
「知り合いっていうか……何週間か前、残業してたらだな……」
───数週間前。
中央トレーナー試験の数日前。
「いやぁ、お前たちすまないな」
「いいえ、たまには残業も悪くないと思いましてね、あ、あははは……」
「むぅ……」
実はチーム[スピカ]の沖野トレーナーはその日、貧乏くじを引いた。
その「貧乏くじ」とはつまり、トレーナー用入試問題のチェックだった。
中央トレセン学園のトレーナーを志す者は毎年750人を超えるが、その内で一発合格出来るのは多くても20人ほど。
大半は「超難関」と称される試験問題に弾き返され、残りは、秋川やよい理事長や、その秘書である駿川たづなとの面接に合格出来た者しか、中央トレセン学園の門をくぐることを許されない。……その中でもほんのごく一部は記念受験と称して、資格だけ獲ってトレーナー業に就かない者も稀にいる。例えば矢萩のように。
また、サブトレーナー試験は中央トレーナー試験に比べると難易度が少々落ちるが、こちらも600人が受験して合格できるのは多い年で80人ほど。
……受験者の比率が逆転しているのは、中央トレーナー試験を受ける者の何割かはサブトレーナーからの昇格を目指しているからである。
とはいえ、サブトレーナーから中央トレーナーになるには、実務経験が5年、または10年必要という条件を満たせれば、あとは面接で昇格も可能というシステムをここ数年で導入しており、中央のトレーナー不足に何とか歯止めを掛けようとURA上層部も努力していた。
話を戻す。
ここにいるトレーナー3人は難易度ドS級の超難関試験を突破した上で、理事長との面接でも無事に合格した者たちばかりであるため、試験内容に目を通すと、見覚えのある問題ばかりだった。
彼らが行なっているのは文の誤字脱字の修正と問題の答え合わせだったのだが、内容と量の多さに沖野と矢萩の脳裏に試験を受けた時のトラウマがフラッシュバックする中で、矢萩のトレーナーオフィスの隣人である
「……先輩、終わりました」
「はぁ……? 終わったって、もう、なのか……?」
沖野は「信じられない」と言わんばかりの顔をするが、射手園の机を見ると、彼がチェックを担当していた分野の問題は全て「チェック済み」と書かれたバスケットの中に入っていた。
「……僕、帰ってもいいですか?」
「いやいやいや、そんな早くは……」
沖野は見落としがないか射手園がチェックした問題をダブルチェックするが、
「……ホントだ、全部終わってるな」
「だから言いましたよね」
射手園は少し不機嫌そうな顔をしていた。
「……なぁ、射手園くんは何を怒っているんだ?」
「マヤノちゃんとのデートの予定をキャンセルする羽目になったから」
「……あぁ、なるほど」
トレーナーと担当ウマ娘というのは、本来は教師と生徒という関係性であるため、矢萩が言うような行ないは本来であれば不適切な行為として非難轟々なのだが、射手園とその担当ウマ娘であるマヤノトップガンの仲睦まじさや生い立ち、彼と彼女が何故ここにいるのか。
その理由を知る者は涙し、知らない者であっても、二人の醸し出す雰囲気から反論する気が起きなくなる。
それ故に、彼とマヤノの関係は暗黙の了解の元で成り立っていたのだが。
「まぁ、俺が無理言って連れてきたんですがね……」
「お前なぁ……」
しかし、実際には矢萩が、「俺と沖野さんだけじゃあ終わらねぇ!手伝ってくれ!」と。
もはや歳上としても先輩としての威厳もなく、兄貴風を吹かせる余裕すらない有様で射手園
しかも、「ディ○ニーランドの入園チケット二人分」という賄賂で釣っていた。
帰られちゃまずい。まだ仕事残ってんのに。
矢萩がそんなことを考えた時だ。
「……!?」
「「……!」」
屋上から、この世のものとは思えない変な音がした。真っ先に気付いた射手園が二人に尋ねた。
「……今の聞こえましたか?」
「あぁ……」
「3人一緒に、ってことは幻聴じゃなさそうだな……」
そこで3人は静かにジャンケンをして、一人チョキを出した矢萩が負ける結果になった。
渋々と、「見てきます」と言って部屋を出ていく彼は、懐中電灯と屋上の鍵を持って様子を見に行った。
そうして屋上に辿り着き、扉の鍵を開け、そこに居たのは。
「あっ……」
「……」
見知らぬ少女が空を見ながら立っていて……金髪で……一見するとウマ娘のようだが、耳の色や形がややおかしいような気がした。
……もしや耳カバーだろうか? ツインターボやサイレンススズカみたいな。
「……」
矢萩に気付いたか否か、それは定かではないが、少女は両手を空に掲げる。
真っ先に彼は思った。
……ここ確か、4階か5階相当の高さだよな?
いくらトレーナーとしての経験が浅くても、1階から5階まで飛び上がれるほどの脚力を通常のウマ娘は持ち合わせていないのはわかっている。
「……となると、転送装置*17でも使ったのか?」
「!」
「……あっ」
矢萩が口にしたのは、架空のテクノロジーの名称だった。
わかりやすく言えば、目の前にいるあの奇妙なウマ娘は「空中から突然現れた」ということになる。
だが、そんな単語を口にしたことを屋上にいた謎のウマ娘に気付かれた。
目が合った。……シチュエーションはまるで「未知との遭遇」とかSFホラー映画みたいな状態だったのだが、そんな彼女の目を見ると……不思議だが、正体は不明ながらも周りに危害を及ぼすような存在ではないことを矢萩は直感できた。
というわけで、謎の未確認ウマ娘に接触を図る矢萩だったが、
「あ、えっと……
そう声を掛けた相手は、キョトンとした。
一瞬後、矢萩は悶絶した。
(しまったあぁぁぁぁっ! 緊張して何言ってんだ俺、クリンゴン語じゃ通じねえぇよ!?)
「……? ネオユニヴァースと……交信したいの? それが……INTIなら」
INTI……が何だかは矢萩には分からないが、確認のために問う。
「お前さん……ネオユニヴァースって名前なのか」
「ポジティヴ」
……「YES」ってことだな。
じゃぁ、まずは目的を聞かないとな。
「えぇと……ここで何しているんだ?」
大方星でも見にきたんだろうか。
……今宵は天の川が綺麗だな、なんて思っていたら、
「断絶……を埋めていたの。来訪した音階は……『お気に入り』だから。深層への共鳴は『安らぎ』になるよ」
ネオユニヴァースは辿々しくもそう延べた。
「断絶に音階に、深層への共鳴……」
何のことだかさっぱり。
「あなたの所属は……『調教師』。もしくは、『トレーナー』と呼ばれている?」
「あぁ。一応そうだ」
矢萩がそう答えると、ネオユニヴァースは頷き、
「……トレーナー……合致する存在ならば、ネオユニヴァースは、『求める』をしたい……」
「はぁ……?」
合致する……つまりは、相性の良し悪しのことだろうか。
再びネオユニヴァースは夜空を見上げたので、矢萩も釣られて見上げた。
「なぁ、ネオユニヴァース、お前さんのトレーナーは……って、あれ?」
目を離した瞬間に、ネオユニヴァースの姿は消えていた。
まるで、暗闇に溶けるかのように───。
「……ってことがあってだな」
「はぁ……なんで、スタートレック?とかいうSFドラマに出てくる架空の言語でいきなり呼びかけたりしたんですか……」
「転送ビームみたいな音がしたんだから、宇宙人か何かだと思うじゃねぇか」
初対面でいきなり架空の宇宙言語をぶつけるってないわー……と、フレアカルマも呆れ顔。
同じようにネオユニヴァースもスンとしていたが、クロススキッパーはここで今の今まで見落としていたある事実に気付いた。
「……あれ? ユニちゃん、君、ジャージはどうしたの?」
ネオユニヴァースの姿は、他のトレセン学園生たちが着ている赤いジャージではなく、純白でふんわりとした雰囲気の……明らかに私服だった。
『模擬第2レース、中距離グループ①・芝2000m、間も無く出走時刻です』
そのアナウンスが入った途端、ネオユニヴァースの視線がレースコースに向く。
そして、ポツリポツリと呟くように、こう言った。
「……競走、をする」
「「「え?」」」
そう言い残して、ネオユニヴァースはターフへと向かっていくのだが。
「あ、あぁ、待って待って」
フレアカルマが慌ててネオユニヴァースを呼び止めると、彼女は自身の着替えが入ってる鞄から、ジャージ一式を取り出した。
さいたまトレセン学園の紺色のジャージであるが。
「これを着てから出てね」
「……うん」
ジャージを渡されたネオユニヴァースは、突然に上着を脱ぎ始め……、
「おぃ、マジかよ……」
「わぁっ……」
矢萩は呆れつつ慌てて目を逸らし、クロススキッパーはそんなネオユニヴァースの大胆な行動に顔を赤らめる。フレアカルマはネオユニヴァースが着替えているのを、バスタオルを被せて周りから見えなくする。
そうこうして1分経ったかぐらいで。
「着替え終わった……うん、ピッタリだよ、ありがとう」
「……ふふふ。どういたしまして」
ジャージに着替え終えたネオユニヴァースは、模擬レースに参加するために、再びターフへと駆けて行く。
……ここからでも、ゲート前に集まったキングカメハメハやダイワメジャーたちから不審がられているのが見える見える。
「……あの娘、まるでカーマ・カメレオンみたいだなぁ……」
走ったせいか、ネオユニヴァースの大胆な行動のせいか、少し疲れた顔を見せるクロススキッパーがそんなことを呟いた。
「それを言うなら
「トレーナーさん、それは言い過ぎですよ」
「……すまん、だが、他に例えようがなくてな」
そうこうしている内に、ゲートが開いて、ウマ娘たちが一斉にターフの上へ飛び出して行く。
序盤からネオユニヴァースは周りのウマ娘たちに囲まれてしまっていたのだが、
「……あの時と同じだ」
「あの時?」
レース展開を見ていたクロススキッパーが言及した一言に、矢萩は「何のことだ?」と問いかける。
「……実は僕、彼女と入試の時の模擬レースでやり合ったんです」
「……はぁ!? おい、聞いてないぞ」
「言おうとしたんですがタイミングを逃しました。……あの時、僕は中距離部門でエントリーしていたんです」
そうしてクロススキッパーは苦い敗北の記憶を思い出す───。
───あの時、僕は差し脚での勝負に賭けていたんです。
僕の体力だと、2000mはギリギリ走れるかどうか、って「先生」に教わっていたから。
それで、僕は好きな逃げではなく、差し脚で体力を残しつつ、最終直線でみんなを抜き去るつもりでした。
でも、僕は周りの娘たちに囲まれて抜け出せなくて焦ってしまって……。
そんな最中、ユニちゃんも同じ状況にいたのに、最後の最後まで冷静に走って、最後の最後で前の子を交わして先頭でゴールしていた───。
───今、クロススキッパーが言った通りに目の前の模擬レースも同じように展開し、2000mの模擬レースの結果は、キングカメハメハやダイワメジャーたちを差し脚と末脚で抜き去って先頭でネオユニヴァースが1着をもぎ取って行った。
「信じられない……」
「あのウマ娘は一体どこから現れたんだ……!?」
「あの紺色のジャージは……中央トレセン学園じゃなくて地方か?」
圧巻の走りを見せた
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「THRF*18……でも、とっても、KELT*19だったよ……」
「な、何言ってるんだぁ……?」
2着3着でゴールしたキングカメハメハとダイワメジャーは息を切らしてターフの上に寝転がってしまっていたが、対照的に余裕のある様子のネオユニヴァースは、そんな彼女たちに手を貸して起こした。
「……また勝負したい、ってこと?」
「……はぁ?」
「ポジティヴ、だよ。……GENY*20だね、大王」
「……! ……あぁ、もちろん!」
ネオユニヴァースが何を言いたいのか理解したキングカメハメハは、彼女と握手し、ネオユニヴァースも実際のレースでの再戦を誓う。
しかし、ダイワメジャーだけは状況を理解できずに置いて行かれていた。
その状況を仁王立ちして見守っていた矢萩と、ネオユニヴァースがクラスメイトたちを圧倒した様子に何とも言えない顔になるクロススキッパー。
「……すげぇな。ネオユニヴァースは」
「えぇ……勝てる気がしない。皐月賞と日本ダービーではきっと僕にとって最大の障壁になる……入試の時はそう思ったんです」
「中距離部門にエントリーしたのはそれが理由か。それは分かった。……じゃあ、何で今日は短距離レースに出たんだ?」
「……『先生』に前言われたんです。〈君はスプリンターかマイラーが合ってる〉って」
「先生?」
「僕が2年間お世話になったレーシングコーチです」
レーシングコーチとは、言うなれば、ウマ娘の基礎的なトレーニングやレースでの走り方の基本を教える家庭教師のようなものであるが、この世界では別段珍しくない存在だ。
何なら、トレセン学園大学部で将来トレーナーを志望するウマ娘がレーシングコーチのアルバイトをしていることもたまにある。
しかし、名門の出ではない、それでも中流階級出身のウマ娘たちはというと、大抵は独学か、金銭的余力があれば、レーシングコーチを雇って、基礎を一から学んでからトレセン学園に来ることもある。
名門の出でもなく、中流階級の家庭であればそれぐらいが金銭的にはやっとといったところだろう。要は、名門のウマ娘を指導している
「……なるほどな。俺よりは優秀そうだ。会ってみたいもんだよ」
矢萩は、自身よりもクロススキッパーの特性を見事に見抜いた彼女の「レーシングコーチ」に感銘を受けた。
それと同時に「まだまだ俺は半人前だな」と自身を戒めた。
「えぇ……いつか会って欲しいです。トレーナーさんにも、フレアカルマさんにも」
それが一体どれぐらい先なのかはわからない。
だが、矢萩はまだこの時気付いていなかった。
まず、クロススキッパーが非凡な才能の持ち主であることはわかっていたが、彼女の家庭環境が特殊であることを。
そして、彼女を鍛えたレーシングコーチとの遭遇は、彼らが思うよりずっと早く訪れるであろうことを。
評価・お気に入り・感想お待ちしております。
いただければモチベーション上がるので、是非ともよろしくお願いします!
ネオユニヴァースの語彙については、pixivにて梅雄/うめおさんが投稿されている、「ネオユニヴァースの語彙を整理してみた。」を参考にさせていただきました。
それにしてもスペシャルウィークの幼名が今頃出てくるとは思わなんだ。