また君と、今度はずっと 〜If you can Cross to tomorrow〜   作:Simca Ⅴ

41 / 58
 アプリ版ウマ娘、三周年、おめでとうございます。

 今回は新キャラ特盛でお送りします。
 また、史実とは異なる歴史を辿った国の話も登場します。

 ちなみに、今回は遅ればせながらseason3でやって欲しかったことが主軸になっています。

※2024年5月14日追記……セイウンスカイ、ヒシミラクル、天井トレーナーの人間関係、及びニューマーケットトレセン学園の制服に関する記述をちょっと修正


#11『クロススキッパーとプールサイドのひと時(イギリスからやってきた金縁の星)』※挿絵あり

 4月某日。日本で皐月賞が終わり天皇賞・春が開催されるまでの間の平日夜。

 イギリスから日本に向けて飛び立ったブリティッシュ・エアウェイズのA380も、所要時間、約13時間に及ぶフライトの3分の1をこなした頃だった。

 

『向正面中間を通過。ホーマンウイナーと、さらにその後ろにノーリーズンが続いています』

 

 空飛ぶホテルとも称されるA380。そのファーストクラスの一席で、スマートフォンの録画映像を見ている1人のウマ娘がいた。

 既に夜で機内は暗く、機内食による夕食の時間も終わっている。

 なので他の乗客を起こさないよう、録画の音声はイヤホンで聞いていた。

 

『1000mは1分を着る形になりました。ここから後半戦。ゼンノカルナック、チアズシュタルクここまでが集団で、2バ身後ろにモノポライザー。ここに居ましたタニノギムレット! サスガと並んで残り800m切りました。あとはヤマノブリザードが終始外を回って後方から3番手。そしてローマンエンパイアはまだ最後方の位置、3コーナー回っていきます。さらにファストタテヤマ、3コーナー回っていきまして、さぁ前頭はメジロマイヤーダイタクフラッグが並びかけて、タイガーカフェ3番手。内にバランスオブゲーム、外からジリジリとシゲルゴットハンドが上がってきて第4コーナー───』

 

 それを見ていたウマ娘は思うところがあり、映像を少し巻き戻してから止める。

 彼女は日本のウマ娘レースのとあるサイトをスクショした画像を一旦見る。

 

(確か、このレースの1番人気はタニノギムレットとかいうウマ娘だったはず……)

 

 そして、中断させたレースの映像に戻るが、彼女は自分が気にしているタニノギムレットがどの位置に居るかを探す。

 すると、

 

(あ。いた。ここだ。……この時点で先頭から9バ……いや、10バ身は離れている。こんな所から本当に届くのか?)

 

 目当てのウマ娘を映像の中から見つけて、そのウマ娘を目で追いつつ、ズームを元に戻して、映像を再生する。

 

『───シゲルゴットハンドが上がってきて第4コーナー。そしてバ群は一団になって第4コーナー回ってきました。大外にタニノギムレット、モノポライザー、回ってきている! 直線コース入りました、先頭はダイタクフラッグに変わりましたが、2番手からノーリーズン! ノーリーズンが抜けてくる!』

 

 レースはいよいよ終盤戦へと入っていき、観客席からの歓声も一段とボリュームを増す。

 と、ここでタニノギムレットの動きを映像上でマークしていたスマホの所有者は気付いた。

 

「!」

(ここで仕掛けに入ってる!?)

『残り200を切ってノーリーズン、タイガーカフェ、そして追い込んできたサスガ、大外からはタニノギムレットが現在4番手───』

 

 レースもいよいよ大詰めという時に、隣から肩を叩かれた。

 

「……クロア様。まだ就寝なさらないのですか?」

「ナタリア……うーん……今良いところだったんだけどなぁ……」

 

 「クロア」が肩を叩かれた方に目を向けると、同じ服装をした別のウマ娘がおり、少々呆れたような顔をしていた。

 

「日本まではあと8時間程で到着です。この間に寝ておかねば明日に響きます」

「わかっているよ。でも寝る前にこのレース映像をどうしても目に焼き付けておきたくて……」

「はぁ……結果なら既にご存じでしょう?」

「着順ならわかってる。でもこのレース展開を君ならどう見る?」

 

 クロアはナタリアに、そのレース映像を見せた。特に、このレースの一番人気だったタニノギムレットを指し示す。

 ついでにクロアは終盤戦を通しで見たかったので、再び、先頭集団が第4コーナーを回ってきた時点まで巻き戻す。

 

「ここにいるのが、今年の皐月賞で一番人気だったタニノギムレット。君ならどう見る?」

「うーん……先頭から10バ身は離れています。これで勝つのは難しいかと」

「そうか。私もそう思った。だけどね……」

 

 そう言ってクロアは自身がつけていたイヤホンの片方をナタリアの片耳につけさせる。

 そして映像を再生する。

 

『───シゲルゴットハンドが上がってきて第4コーナー。そしてバ群は一団になって第4コーナー回ってきました。大外にタニノギムレット、モノポライザー、回ってきている!』

「よく見てて」

 

 クロアはナタリアにタニノギムレットの動きに注目するようにそう言う。

 

『直線コース入りました、先頭はダイタクフラッグに変わりましたが、2番手からノーリーズン! ノーリーズンが抜けてくる!』

 

「……あっ」

「やっぱり気付いた?」

 

『残り200を切ってノーリーズン、タイガーカフェ、そして追い込んできたサスガ、大外からはタニノギムレットが現在4番手だがちょっと苦しいか! さぁ先頭は───ノーリーズン、ノーリーズン1着!!』

 

 ノーリーズンの勝利に観客席からは「おー!」とか「あぁぁ……っ」といった歓声が聞こえ、同時に嘆声も漏れていた。

 

『ノーリーズンやりました、15番人気からの下剋上! 先行集団で粘っていたタイガーカフェを2着に、大外から追い込んできたタニノギムレットを3着に抑え、皐月賞の栄冠を手にしました!』

「……確かに、すごい追い込みでしたが」

「わかってる。確かにタニノギムレットは敗けた。でも、このレースを勝利したのは15番人気のウマ娘だった。信じられる?」

「えぇ。そりゃ1着ですものね」

 

 そのナタリアの解答にクロアは溜め息を吐いた。

 

「はぁ〜……」

「クロア様、何か?」

「あぁ、いや……確か日本ってパート1国だったはずでしょ」

「授業で習いましたね」

「つまり、日本のターフ()のG1競技は世界レベルということ*1。そんな中で低い人気のウマ娘が下克上を果たすなんて滅多にないことだというじゃないの」

「まぁ、大体そうですよね」

「それに、3着と敗れはしたけど、タニノギムレットの追い込みも中々にいい切れ味を見せてくれた。しかも、例え敗者であろうとも、彼女は決して心折れていない」

 

 映像では、最初は感嘆の声が響いていた観客席からも徐々に勝者であるノーリーズンを讃える声と拍手が巻き起こっていた。

 その一方、激戦を制したノーリーズンというウマ娘はクタクタでターフの上に横たわってしまったのだが、そんな彼女を助け起こしたタニノギムレットの姿も映っていた。

 

「それどころか1着のノーリーズンに負けず劣らずに堂々としている。……こんなウマ娘が私たちが行く先に待っているんだ」

 

 そう言われると、ナタリアもようやくクロアの言わんとすることを理解した。

 

「……あぁ、クロア様のお気持ちが理解できた気がします」

「でしょう? 君も感じるはずだよ。……さすがはあの()()()()()()()()()……。この興奮は、イギリスとも東欧のレースとも違う……!」

 

 ナタリアとクロア。この時、お互いの胸の内に芽生えていたのは───滾りだった。

 しかし、ナタリアは一瞬にして頭を冷やして理性を取り戻し、席のそばに置いていた鞄からアイマスクを取り出し───。

 

「……あの、クロア様。差し出がましいですが、これを」

「……そうだった。もう寝る時間だった。ごめんね、ナタリア」

「いいえ。殿()()()。これも私の務めでございます」

「……よしてよ。その呼び方はここでは禁止でしょ」

「殿下こそです。これから行く日本には()()()()()()()()()()()()()()。気を引き締めて頂かねば困ります」

「むぅ……私はあくまでニューマーケットトレセン学園の生徒の1人に過ぎないんだけどなぁ……」

「……クロア様」

「わかっているよ。……おやすみナタリア」

「おやすみなさいませ」

 

 (やれやれ。厄介な役を仰せ使ったものだ)と、クロアは内心思った。

 しかし、あくまでも自分の役割を理解している身としては、今更留学ついでに与えられた仕事について文句を言っても仕方がない。

 それに、日本に行けばタニノギムレットだけでなく、()()()()()にも久しぶりに会える。

 そんな期待を胸に秘めつつもアイマスクを目元に充てればクロアはあっという間に眠りに落ちていった。

 


 

 天皇賞・春でライスシャワーが勝利を飾った次の日。

 中央トレセン学園の位置する府中一帯は雨だった。

 

「くぁー、昨日中に無理して帰ってきて正解だったなぁ……」

「そうですね……チーフ、今日のトレーニングはどうしましょうか?」

 

 雨の中、敢えて練習コースを走らせて、足元の悪いレースを想定したトレーニングも悪くは無いのだが。

 

「今日はプールとジムトレーニングにするぞ」

「即答ですね?」

「まぁな」

 

 どうしても練習コースを使いたい、あるいは天気予報が外れることを祈って屋内施設の使用許可を出し損ねる、というのはトレーナーあるある話。

 しかし、今のクロススキッパーには色々と足りないものがある。

 コースの位置取り然り、脚質の使い方然り……そしてスタミナも足りていない。

 

 スタミナを鍛えるのにプールトレーニングは最適解かもしれない。

 それは、メジロパーマーを菊花賞と天皇賞・春で勝利させた経験のある矢萩が一番よくわかっていた。

 もちろん、雨の日でも屋内の温水プールが使用可能なことも。

 

「あのぅ、トレーナーさん……」

「どうした?」

 

 だが、いざプールサイドに来てみると、クロススキッパーはビート板を握りしめたまま水面に躊躇してプールに入りたがらなかった。

 それを見て矢萩はストレートに問う。

 

「……もしかして、水が怖いのか?」

「!」

 

 図星であった。

 その反応を傍から見ていたヘリオスが名乗り出た。

 

「ねぇ、兄貴ぃ。スキっぴーはアタシに任せてくんない?」

「ヘリオスお前もトレーニングだろ?」

「そうだけどさー。パマちんとサブトレぴが兄貴ぃのこと呼んでたよ、()()()()()?」

「マジか。あいつらは今……ジムだったな。わかった、行ってくる」

「ほいほい、行ってらー。……じゃぁスキっぴー。来てちょ」

「え? あ、はい……って」

 

 言うが早いか聞くが早いか。そんなたった一瞬でダイタクヘリオスは、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「え、あの、ヘリオス先輩、そっちは……」

「わかってるよぉ。スキっぴーにはこっちが良いかなって」

 

 ヘリオスがプールに入ると……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 実は中央トレセン学園のプールには大きく分けて3種類ある。

 1つは、一般的な深さのプール*2

 2つ目はジャンプ台が付いている水深が1.5mとやや深めのプール。

 この2つはトレーニングでよく使われているが、前者は遊泳用、後者は爪先立ちになることが多いため、ダンストレーニングやシンクロナイズドスイミングなどにも使われている。

 そして、残る3つ目は水深が60〜80cmほどの浅いプール。

 こっちは泳ぎがあまり得意ではなかったり、体躯が小さかったりするウマ娘たちがよく使用している。ここでの泳ぎに慣れてから前述した2つのプールでトレーニングする、という感じである。

 

 クロススキッパーも恐る恐るヘリオスのいるプールに入ると、

 

「……あ。本当だ。深くない」

「でしょ。だから、はい」

「え?」

「手、繋いで。泳ぎの練習に付き合ったげる⭐︎」

 

 そうして、ヘリオス指導の下、クロススキッパーの泳ぎの練習が始まったのだが……。

 

(うぅ……何だか恥ずかしい……)

「良いじゃん良いじゃん! やっぱスキっぴー飲み込み良いじゃん! そのままバタ足ぃー!」

 

 スキッパーはビート板を前側に両手で持つが、その両手をヘリオスが持ち、浅いプールの水面上でスキッパーを曳く形になっていた。

 羞恥心から目がグルグルになりそうなクロススキッパーは時折水に顔を付けて誤魔化していたが、ヘリオスの励ましと、持ち前の飲み込みの良さに背中を押され、苦手意識のあった水泳も徐々にではあるが克服しつつあった。

 

「良いよ良いよー」

「あ、あの、ヘリオスさん、恥ずかしいので……」

「うん?」

 

 頬が微妙に赤くなっているクロススキッパーの顔を見て、手を離してほしいことを察したヘリオスはスキッパーに問う。

 

「……いいけどぉ、大丈夫?」

「た、多分……」

「じゃあ、はい」

 

 そう言ってヘリオスはスキッパーの両手を離す。

 すると、一瞬溺れるのだが、直ぐにビート板の浮力とバタ足で泳ぎ始めた。

 

「おぉ。スキっぴー、やるじゃん、やるじゃん! あとは顔を付けながら泳いでみて」

「は、はい!」

 

 そうしてヘリオスの目の前をクロススキッパーはスイスイと泳いでいく。

 

「ほぉら頑張れ頑張れ」

「うぅ〜……」

 

 そんな時、隣のプールから水飛沫の音と、誰かを励ます少女の声と、それに対して何処か不満気な少女の声が漏れていた。

 そっちの方に顔を向けると、自分と同じように両手を引かれ、プールで足をバチャバチャと音を立てながら泳ぐ練習をしている芦毛のウマ娘の姿が見えた。

 浅いプールの端っこから折り返してヘリオスの元に戻ってきたスキッパーが尋ねた。

 

「……あの、ヘリオスさん。あれは?」

「あ。ミラ子とセイちゃんじゃん、チィーッす」

「あ、ヘリオスさん、はーい」

「ちょ、セイちゃ、ごぼごぼごぼ……」

「あ、ごめん」

 

 ヘリオスに挨拶を返した際に片手を離しただけで芦毛のウマ娘はすぐ水に沈んで溺れる。

 慌てて彼女のトレーナー(?)らしき芦毛のウマ娘は離した手を取り、水面から顔を出させた。

 


 

「うぅ……酷いよぉセイちゃん……」

「ごめんって……」

 

 暫くしてプールサイドに上がったミラ子というウマ娘とそのトレーナーらしきウマ娘。

 よく見ると2人とも芦毛のウマ娘であり、

 

「あの……ヘリオスさん、この方達は?」

「あ。そいや紹介してなかったね。この子たちはチーム[マタリキ]の」

「セイウンスカイでーす」

「ど、どうもー……ヒシミラクルです」

 

 ミラ子ことヒシミラクルの髪の色が白灰色ならば、セイウンスカイというウマ娘の場合は同じ芦毛でも薄緑掛かっているように見えた。

 ちなみに、溺れていたのはヒシミラクルの方である。

 

「ヒシミラクルさんっていうと……」

「……え、えっと……何か?」

「……いいえ、ごめんなさい。僕はクロススキッパーっていいます」

「クロススキッパー……ちゃん?」

「えっ……と……僕たち、どこかで会いました?」

「うーん……」

 

 何かを感じたのだが、気のせいだったか。とお互いに納得する。

 だが、セイウンスカイについてはまた事情が違った。

 

「それにセイウンスカイさんって……確か、菊花賞と有馬記念を勝利したあの?」

「ふふふーん、そうだよー。ご本人でーす。それにしても、君が()()クロススキッパーかぁ」

 

 のんびりしたような、それでいて芯があることを感じさせる口調のセイウンスカイは、まるで品定めをするかのようにクロススキッパーを見ていた。

 

「あの……何か?」

「うーん……いや、別にぃ。あ、でも、強いて挙げるとすれば……あの頃よりも君は成長したね」

「ん? あれ、2人は顔見知り、的な?」

「えっと……?」

「私はよく覚えてるよ。……皐月賞のパドックで、私に手を振ってくれたでしょ? ()()()()()()()()

 

 そこまで言われてクロススキッパーは漸く理解した。

 皐月賞のパドックを見に行った時、クロスクロウが現れる直前にお披露目に出ていた芦毛のウマ娘───つまりはセイウンスカイに、自分が手を振ったことを今の今まで忘れていたことに。

 

「……あ。あぁ! あの時の!?」

「にゃははは。やっと思い出してくれた。改めてよろしくねー」

「ど、どうも!」

 

 そう言ってセイウンスカイが差し出した手をクロススキッパーが握って。2人は握手をした。

 

「ま、まさかそんなレジェンドに会えるなんて……!」

「れ、レジェンドだなんてー、あ、はははっ、何だか照れ臭いなぁ」

 

 とそこへ。

 

「あ。いたいた。ソラ……じゃなくて、セイちゃん」

「おにぃ……じゃなくて、トレーナー」

「トレーナーさん、どうしたの?」

 

 彼女たちの前に現れたのは、優しく陽だまりという言葉の似合うような爽やかな好青年だった。

 しかし、クロススキッパーは3人のやり取りを聞いて誤解していた。

 特に、ヒシミラクルからの呼ばれ方で。

 

(おに? ……鬼トレーナー? ……えっ、この人が?)

 

 どうやらそれが顔に出ていたらしく、ダイタクヘリオスが空かさずフォロー(ネタバレ)した。

 

「この人ね、チーム[マタリキ]の天井(あまい)トレーナー。実はミラ子の生き別れのお兄ちゃんさんらしいよ?」

「……あぁ、なるほど」

 

 真相を早く知れたお陰で、クロススキッパーの抱いた誤解は一瞬にして霧散した。

 

「へぇ。ここがあの中央トレセン学園のプールかぁ」

 

 しかし天井トレーナーと一緒に別の人物が現れた───これまた芦毛のウマ娘だった。

 その他にもう1人、今度は鹿毛のウマ娘が視界に入った。

 その芦毛と鹿毛のウマ娘たちの服装は、明らかに中央トレセン学園の制服とは違うものであり───上半身は黒を主体としたワンピースで、その下からは後ろで二股に分かれた燕尾のようなものが見えた。

 また下半身を見ると、芦毛のウマ娘は少し短めのタイトスカートで、鹿毛のウマ娘のほうは普通のスカートを履いている。双方とも艶やかな緑色であり、そのため実に目立っていた。

 

「……ん? 何処かでその服、見たような……?」

 

 ヒシミラクルにはその制服に見覚えがあったので思い出そうとする。

 

「あぁ、ミラ子、セイちゃん。ちょっとやることが増えちゃってね。この2人に学園を案内しているんだ」

「学園案内?」

「申し遅れました。私はナタリア。イギリスのニューマーケットトレセン学園から来ました」

「ニュ、ニューマーケットぉ!? あ、あの、世界最大のウマ娘競技学園都市からぁ!?」

「えぇー!? あぁ、通りでその服見覚えがあると思ったぁ!」

「は、初めまして。僕はクロススキッパーっていいます。……日本語お上手ですね、ナタリアさん?」

「え、えぇまぁ。知り合いに()()()のウマ娘がいましたので」

 

 ダイタクヘリオスとヒシミラクルが驚いてたじろぐ中で、唯一クロススキッパーだけはナタリアの握手に応じて言葉を交わした。

 だが、2人が驚いたのは無理もない。

 ニューマーケット。

 イギリスの首都ロンドンから北に約100km離れたその都市は、もはや「町がウマ娘競技場の敷地を間借りしている」とまで言われるほどに、ウマ娘競技を経済の中心として成り立たせた世界最大級のレースの町。

 そこに位置するニューマーケットトレセン学園は、日本で言うと中央と同義の存在。つまり、ウマ娘競技界でいえばイギリスのフラッグシップに当たる学校である。

 

「へー、ニューマーケットかぁ……」

「? あの、何か?」

 

 一方のセイウンスカイは先ほどまでのゆるふわな雰囲気を引っ込めて、鋭い目付きでナタリアを見た。

 

 ……イギリスといえば、セイウンスカイにとってはある意味因縁の土地でもあった。

 何故ならあの地で……。

 

「……あれ? さっきの芦毛のウマ娘さんは?」

 

 セイウンスカイが例の件を思い出して黒いオーラを出しそうになったところで、クロススキッパーがある「異常」に気付き、そっちに意識が向くと、

 

「ひゃー、こ、これ、凄い! こんなおしゃれな制服を着れるなんて……!」

 

 そこには、イギリスのトレセン学園の服を着せられているチームメイト(ヒシミラクル)の姿と、

 

「はっはっは。気に入っていただけたようで何よりだよ!」

「あっ!?」

「いつの間に!?」

 

 目を離した一瞬の内に、何と、紹介がまだの芦毛のイギリスウマ娘が、トレセン学園指定のスクール水着に着替えてプールサイドに立っていた。

 

「ちょ、殿()()! あ、いや、()()()……じゃなくて、()()()()!! お待ちになってください!!」

「ナタリアも着替えて泳ごう! はい、どーん!」

 

 芦毛のウマ娘は「クロア」というらしいが───その前に色々と気になる呼び名があった気がするがそれは一旦置いておく───、ナタリアの追跡を振り切って、あっという間に一番深いプールに飛び込んでしまった。

 

「もぅ、殿下!!」

 

 残念ながら聞き間違いではなかった。まさかこのウマ娘がイギリスの王女様だなんて。……いや、それともイギリスの隣国アイルランドのお姫様?

 

「あーっ! クロアちゃんだ! おーい!」

 

 充分にカオスな雰囲気のプールサイドに新たな珍客が現れてしまった。

 これまたプールトレーニングのためにスクール水着を着た鹿毛のウマ娘が、クロアと呼ばれた芦毛のウマ娘に手を振っている。

 その芦毛のウマ娘が泳ぐ姿にクロススキッパーは、

 

(……何でだろう、何だか懐かしい。まるで……)

 

 何故かデジャヴを感じた。

 


 

「やぁ」「はーい」

 

 お互いに軽く言葉を交わして挨拶した後にハイタッチをする()()()()()たち。

 そう、先ほど「クロアちゃん」と呼んでいた鹿毛のウマ娘───クローバーをあしらった髪飾りをつけていて、後ろ髪をお団子ヘアで纏めているこのウマ娘こそが、ファインモーションであり、今年のティアラ路線を駆けている最中のウマ娘であり、そして、アイルランド王室の王女様である。

 そんな仲の良い2人の姿を見て、ナタリアは頭を抱えていた。

 

「あの……2人はどういったお知り合いで?」

 

 天井トレーナーがそう尋ねると、

 

「あぁ。ファインとは幼い頃、()()()()()()()()()使()()のパーティーで知り合ったんだ」

「なるほどパーティーで……え、あの、今、何て言いました?」

 

 クロススキッパーは今、予想外の単語を耳にした気がしたので思わず聞き返した。

 

「ユーゴスラビアのアイルランド大使館……あぁ。まだ名乗っていなかったね。改めて初めまして。私の名前はオロールクロアット。ユーゴスラビアからイギリスに留学して、さらに日本に短期留学してきた変わり者だよ」

「……えぇぇぇぇっ。つまりは、えっと……」

 

 そこまで言われてクロススキッパーと、セイウンスカイはある事実に気付いた。

 

「……つまり、オロールクロアットさんは、ユーゴスラビア王室のお姫様、ってこと?」

正解(točan odgovor)*3。と言っても、王位継承権はだいぶ下なんだけどね……」

「何を仰いますか、()()()()殿()()

「いやいやいや……兄が3人もいて、しかもピート兄様とフィル兄様はもう結婚してるし。妾の娘みたいな私に出る幕ないでしょ」

「いや、そんなことないよ」

「ファイン?」

「私ね、クロアちゃんのお陰でここにいるようなものだから」

「いやいや、日本への留学は君が決めて努力した結果でしょ?」

「でも、きっかけをくれたのはあなただったでしょ?」

「……そうだったっけ……?」

「そうだよ。初めてイギリスに来た時、右も左も分からない私をエスコートして下さったのはクロア、あなただった」

 


 

 ───数年前のこと。

 ユーゴスラビア王国の首都()()()()

 この地にあるアイルランド大使館の完成と両国の末長い友好を願っての祝賀パーティーが催された。

 

 幼き日のファインモーションは、国王である父の名代としてこのパーティーに参加していた。

 

 彼女はアイルランド大使館の祝賀パーティーの件を聞いた時、最初はユーゴスラビア王国という遠く離れた異国の地を訪れることに胸を躍らせ、国王である彼女の父は「これも経験」と言って送り出してくれた。

 

 しかし、いざ現地に着いてみると、他国の姫君を一目見ようとサラエボ市内には人々と見物客で溢れかえり、パーティーが始まってみれば、アイルランド大使や家臣たちは、ユーゴスラビアの重鎮たちと何やら話をし始めている。

 ファインモーションも出発までに繰り返し勉強を重ねてきたが、ユーゴスラビアという国が、実に特殊だということも理解していた。

 何故なら、この国の正式名称は「ユーゴスラビア立憲君主社会主義連邦共和国」。

 つまり、社会主義体制を持つ国に王室が存在するが、連邦議会は開かれた存在であり、今の大統領は国民投票によって選ばれているため、民主主義体制の側面も内包している。

 ただし、王室以外の貴族や財閥は解体されている。

 それ故、ユーゴスラビアは王室を持っていても、貴族は少なかった。

 

 そのためか、元々王室育ちでしかも幼かったファインモーションは、このパーティーでは浮いた存在になっていた。

 しかも、運悪くファインの姉がここにはいなかった。

 

(こんな時に姉様がいてくだされば……)

 

 社交的な姉ならば、きっとこの場に上手く馴染めていただろう。

 でも今日のアイルランド王室の関係者は自分だけ。

 

 王女である自分の行動1つで国の印象を左右することは父や母、それに姉からも口酸っぱく言われていたため、中々声が掛けづらい。

 

「これはこれは、アイルランドの第二王女様」

 

 そんな時、隅っこにいたファインモーションをダンスに誘ったのは、自分と同じ歳ぐらいの帽子を被った少年。

 

「どうか、私と踊っていただけませんか?」

「……はい」

 

 そうして差し出された手を取り───、

 


 

 そんな昔話を語ったファインモーションの頬は紅色に染まっていた。

 

「おぉぉぉ……御伽噺みたい……」

「甘酸っぱ……!」

 

 話を聞いていたヒシミラクルとダイタクヘリオスは目を輝かせていた。

 そこに質問を切り出したのは、クロススキッパーだった。

 

「んー……? そうなると何故、()()()()()()は男装していたの?」

 

 その質問に対して、オロールクロアットは遠い目をしながら答えた。

 

「一つ上の姉と母に遊び半分でやられました……」

「あぁー……」

「……」(ジーッ)

 

 だが、話の途中からセイウンスカイはずっとオロールクロアットを見つめていた。

 その視線に漸く気付いた彼女は、

 

「あの……何か? えっと……」

「……あぁ、そういえば自己紹介がまだだったね。私はセイウンスカイ」

「え……セイウンスカイさん!? あなたが?」

「う、うん、そうだよ」

「わぁ! まさか本物に会えるなんて!」

「ちょ!?」

 

 ジーッと見つめていたことを謝り、その理由を話そう……としたら、名前を名乗った途端に予想以上の食い付きを受けてセイウンスカイは圧倒された。

 

()()()()()()()()()()、クロスクロウさんへの()()()()()()()()()()()を果たしての4バ身差の快勝はお見事でした!」

「ど、どうも……」

 

 万葉ステークス。

 年明け早々の1月に京都で開催されるレースであり、日本に存在するOP競争では最長の3000mを誇る。

 そう───あの()()()()()()()()である。

 


 

 クロスクロウは菊花賞へ出走しなかった───そのレースでセイウンスカイは勝利した。

 代わりに天皇賞・秋に出走したクロスクロウは───競技中に故障したサイレンススズカを、スペシャルウィークと共に死から救ってみせた。

 だが、セイウンスカイも、クロスクロウも、()()()()()を抱えたままだった。

 そこでクロスクロウが万葉ステークスを頂上決戦の場として選び、挑戦状を叩きつけてきた。

 あれは4年も前のジャパンカップの後。

 懐かしいが、今でもセイウンスカイはよく覚えている。

 ジャパンカップを勝利したクロスクロウと、逆に4着という結果で疲労が抜け切らないスペシャルウィーク。

 2人は一緒に北海道へ。一足早い冬休みに出掛けることにした。

 その直前に、クロスクロウはセイウンスカイに宣戦布告した。

 

《ウンス! 万葉ステークスで会おう!!》

 

 汚い字で〈挑戦状〉と書かれた手紙を携えてきた。

 それを受けない理由がセイウンスカイには無かった。

 代わりに(クラシック期の)有馬記念への参戦を取りやめるという()()は伴ったが、それだって大したことはなかった。

 


 

 あの時の姿を回想しつつセイウンスカイはオロールクロアットを再び見て言った。

 

「その……ごめんね。ただ、君を見ていると、クロちゃんを思い出しちゃってね」

「!」

 

 セイウンスカイにそう言われると、クロススキッパーは先ほどオロールクロアットが泳いでいる姿から見えた既視感の正体に気付いた。

 

「え、いやいやいや! とても私なんてクロスクロウさんの足元にも及びませんよ! デビューもまだなのに!」

「……まぁ、雰囲気は似ているかもよ?」

「いやいやいや……」

 

 照れながら否定するオロールクロアットだったが、ここで予想外にも背中から差された。

 

「……実はクロア様は、クロスクロウ様のレースを実際に見て即座にニューマーケット学園への留学を現国王様に直談判されたんですよ?」

「ちょ、ナタリア!」

「へぇ……」

 

 きっとそのレースというのはキングジョージ6世(KGⅥ)クイーンエリザベス(QE)・ステークス───クロスクロウが勝利したものの、引退を余儀なくされるほどのダメージを受けたあの熾烈なレースだろう、と。セイウンスカイは思った。

 そのレースを見てすっかり魅了された子が、ユーゴスラビアからイギリスに渡って、そして今短期留学でここにいる───気分は複雑だが、これは何という運命の悪戯(トリックスター)だろうか。

 

「この際だから白状してしまいましょう殿下。そもそもクロア様は日本ダービーと天皇賞・秋とAJCCを実際に見に行きたくて短期留学を選んだんですよ? ユーゴスラビア大使代行の実務も兼ねて」

「……ナタリア、怒ってる?」

「怒ってません」

 

 そうは言うも、ナタリアの目元がピクピクしていた───これは彼女と親しい者であればすぐにわかる。これは「(内心)お怒り中だ」と。

 

「ナタリア……心配を掛けてすまなかったよ」

「……」

 

 オロールクロアットが真摯に謝ると、真顔で怒りを押し留めていたナタリアは、途端、怒り半分呆れ半分といった表情を出した。

 

「ホントにそうですよ。クロスクロウが練習していた同じ場所に来て、いくらテンションが上がったとはいえ、水着を勝手に拝借して、しかもプールに飛び込むなんて」

「悪かったよ……君にも申し訳ない」

「は、え、い、いえいえ!」

 

 オロールクロアットが拝借している水着も、実はミラ子から借りたものだった。

 ただ、プールトレーニングがあまり好きではないミラ子にしてみれば、「今日はもうプールトレーニングしなくて良いよね?」という一抹の望みを抱かせた(もちろん、そうは問屋が卸さないが)。

 また、水着を勝手に借用されたよりも、「ニューマーケットトレセン学園の制服ってすごくお洒落だなぁ」という感想ぐらいしかミラ子の頭には浮かばなかった。

 

 一方、セイウンスカイはもう1つ、気付いたことがあった。

 

「……ちょっと気になったんだけどさ、スキッパーちゃん、オロールちゃん」

「はい?」

「何でしょう?」

「ちょっと、私の前に2人とも並んでみてくれる?」

 

 そう言われるがまま、スキッパーとオロールの2人が並ぶと、

 

「あれ……?」

「何だか……似てる?」

「ほらね」

「「えぇ?そんなに?」」

 

 髪の色こそ、スキッパーは金髪っぽい尾花栗毛で、オロールは藤紫の色味が混ざったような芦毛であったが、今この瞬間の2人は同じスクール水着を着用している。

 それが余計に2人の雰囲気をそっくりに見せていた。

 ファインモーションは思わずこう口にした。

 

「……まるで、『王子と少年』*4みたいだね」

「……そんなに僕たちそっくりかな?」

「うーん……分からないなぁ……確かに私の母上は日本からやってきたウマ娘だったらしいけど……」

「名前は?」

「えっと……選手として出ていた時の名前は忘れちゃったなぁ……姓を変える前はイクエとか言ってたような……」

「イクエ……」

 

 どこかで聞いた名前だが、クロススキッパーにはイマイチ思い出せなかった。

 


 

 暫くして、忍法・早着替えの術(オロールクロアットによる命名)で、一瞬にして自身が着ていたスク水と、ミラ子に着せたニューマーケットトレセン学園の服を文字通りの目にも止まらない早さで入れ替えた後。

 

「それでは私たちはこれで」

「もし会えたらまた今度」

「……六太さーん? 案内なんて他の人に任せればいいのにー」

「そうも行かないよ……ソラちゃん? 君にはミラ子の監督を任せていただろ?」

「ちぇー……」

「えー……」

「こらミラ子。露骨に嫌な顔しない」

「むー、トレーナーさんのおにぃ!」

「はいはい、君のお兄さんは僕ですよー?」

「ぶーぶー!」

「……じゃぁ、うちらもトレーニングに戻ろっか」

「は、はい、ヘリオスさん」

 

 プールサイドでの談笑も終わり、天井トレーナーはナタリアとオロールクロアットを連れて、学園の案内に戻っていき、その場は解散となる。

 ヘリオスとスキッパーは再び浅いプールに入るが、今度はビート板を使わない。

 まずスキッパーは蹴伸びの練習。

 

「いいよいいよ」

 

 蹴伸びした先にヘリオスが待機し、スキッパーの両手を取る。

 

「ぷはぁっ……どうでした?」

「まずまずかな? 今度はバタ足だけで泳いでみようか」

「は、はい……」

 

 そうして今度は蹴伸びで両手を前に伸ばした状態で、両足はバタ足。

 

「うーん……もっと足をピーンっと張って」

「は、はい……」

 

 ヘリオスの目の前を通り過ぎる際に、思ったよりも進んでいないので、原因を調べてみたヘリオスは、スキッパーが足をつま先立ちのように張っておらず、水泳のフォームが乱れていることに気付いた。

 そこで、スキッパーの胸辺りに片手を添えて溺れないようにし、もう片手で足の張り方を矯正した。

 

 その後のスキッパーはそれまでの鈍足ぶりが嘘だったかのように一転してプールをスイスイと泳ぎ始めた。

 

「そうそうその調子! スキっぴーはやれば出来る子!」

 

 ヘリオスがそう励まして、スキッパーは25mプールの奥までバタ足で泳ぎ切ると、そのまま反転してヘリオスの元に戻ってきた。

 

「ぷはぁっ……ど、どうでしたか?」

「うんうんうん。バッチリ! 今度はクロールやってみようか」

「はい!」

 

「いいなー。あっちは飲み込みが早いみたい」

「むー……セイちゃんさんだって泳ぎあんまり上手くないのに……」

「はいはい。ミラ子ちゃんはお兄ちゃんと一緒がいいんだよね」

「な、な、な、そ、そんなわけ…がぼぼぼ……っ!」

「ちょ、ちょっと!ミラ子ちゃん足届くでしょ!」

 

 結局、ミラ子は浅いプールでも溺れてしまい、慌ててヘリオスとスキッパーのアシストを受けてプールから上がることになった。

 なお、ヒシミラクルの兄こと天井トレーナーの名前を出された時、ヒシミラクルが溺れるまでの一瞬セイウンスカイが顔を赤らめていたことは、2人だけの秘密になった。

 


 

 一方、オロールクロアットとナタリアの2人はトレセン学園の施設を天井トレーナーによる案内で再開しようとするのだが。

 

「うーん……やっぱり目立ちすぎる」

「そうですね……」

 

 鮮やかな緑色のインナーと煌びやかさを醸し出す白い燕尾服の上着。

 知識がない者が見れば「勝負服」と言われても納得してしまうような華やかさを誇るニューマーケットトレセン学園の制服。

 やはりどこへ行っても注目の的になってしまうので、オロールとナタリアもいよいよ学園内を動きづらく感じるようになってきた。

 

 しかし、食堂の近くまで来た辺りで、天井トレーナーはあることに気付いて、こんな事を提案した。

 

「……あぁ、それなら。ちょうど近くにあるので購買部へ寄りましょうか」

「「購買部?」」

「はい」

 

 食堂のすぐ近くに購買部はある*5

 ここには、生徒たちの勉強に必要な文房具から、走行練習時にシューズに付ける蹄鉄とハンマーや固定具類、数は少ないが練習用のシューズなどが取り揃えられている。

 また、学校指定のジャージやスクール水着、そして予備の制服までもが各サイズ用意されている。

 

 天井トレーナーから購買部の女性店員に話が行き、女性店員はナタリアとオロールクロアットのサイズを測った。

 

 ウマ娘の中には体系に特徴のある者も多く、たまにここにある予備の制服では足りずにオーダーメイドになる場合もあるのだが、幸い今回の2人にサイズの合う制服はすぐに見つかった。

 

「わぁ……! これが……日本の中央トレセン学園の制服……!」

「凄い……見た目は日本の女子中学か高校生たちが着ているような一般的なセーラー服ですが、着てみると、やはりウマ娘用に頑丈な生地で出来ていますね……」

 

 着替え終わった2人はどこからどう見ても中央トレセン学園のウマ娘にしか見えないだろう。

 これで変に目立つこともなく学園を見て回ることができた。

 

 その後は、購買部の隣にある食堂でラーメンに舌鼓を打ち、校舎を見て回り、図書室に立ち寄り、トレーニングジムで汗を流すウマ娘たちの姿を見て、最後は、雨空の下(一応天井トレーナーは止めたのだが)、練習用コースを見に行った。

 基本的に雨の日に外コースを走ってるウマ娘というのは珍しいのだが、「CB」という飾りがついた白い帽子を右耳に付けたウマ娘がびしょびしょの泥だらけになりながらコースを駆けていた。

 

「あの……あれって……」

 

 ナタリアはその状況に絶句した。

 雨の中。春先とはいえ肌寒く、濡れて汚れたウマ娘が1人でコースを走っていたならトレーナーによるネグレクトか、悩みを抱えて走っているようにも見えてしまう。

 

 だが、天井トレーナーの反応は「いつものことだ」と言わんばかりであり、

 

「あぁ……またやってるなぁ先輩とシービー。……心配しないでください」

「こんな状況のどこが安心できるのですか?」

「彼女と、彼女のトレーナーなりの練習ですよ」

 

 少なくとも日本のウマ娘のレースに「雨天中止」という文字は基本的にない。

 ならば、雨の中濡れながら、または足元が悪い状態を想定した走行練習を行なわせるトレーナーも珍しくはない。

 

「なるほど……レース当日にどのようなバ場や天候状態になるかは分からないから、そのための練習なのですね?」

「その通りですよクロアさん。でもこれはそろそろ……」

 

 先ほど「雨天中止はあり得ない」とは言っても、もちろん限度がある。

 雨や雪が降ってる中で強風が吹いたりした場合は、足元の不安と視界不良を理由にレースを中止とすることもある。

 例えば、台風や吹雪で開催予定のレースが中止になることもある*6

 現に今も小雨ならともかく雨足が強まりつつあったため、

 

「おーい! ミスターシービー! 危ないから中止だー!」

「えー?」

 

 彼女の担当でこそないが、トレーナーとして見過ごせないと感じた天井は、雨の中を走っていたウマ娘、ミスターシービーに走行練習の中止を呼びかけた。

 その指示に一歩遅れて、彼女のトレーナーらしき中年の男性がやってきた。

 

「おい天井、何してるんだこんなところで?」

「あ、先輩。先輩こそ、一体どこに行ってたんですか?」

「すまんな、お腹痛くてトイレ入ってた……お前こそこんな雨の中なんで練習コースなんかに来たんだ?」

「僕はこの2人の見学に……」

「そうか。で、俺の代わりに中止を指示したわけか」

「あ……すみません、勝手に。でも、雨が強くなってますし……」

「わかってる。今ちょうど同じことを言おうと思ってたところだよ。シービー、今日はもう終わりにしよう!」

「トレーナー?」

「午後からは屋内練習で発散だ。シャワー浴びてこい」

 

 そのやり取りを見届けた後、天井トレーナーは案内中の2人を再び連れて、ついにこの学園のトップ2人に対面させることになった。

 

 ───コンコンッ

 

「失礼します、トレーナーの天井です」

〈了承ッ。入ってくれたまえ〉

 

 ドアの向こうからやや幼めな女性の声がした。

 その部屋の主の許しを得て、天井は理事長室のドアを開き、イギリスからやってきた留学生たちを連れてきた。

 

「待望ッ! 君たちを待っていたぞ。改めて歓迎しよう。私がこの日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称《中央トレセン学園》の理事長、秋川やよいである! そしてこちらが」

「初めまして。理事長秘書の駿川たづなです。実際にお会いするのは初めてですね、オロールクロアットさん、ナタリアさん」

「ど、どうも……」

「初めまして、理事長、秘書さん」

「天井トレーナー」

「は、はい。理事長」

「すまないが、席を外してほしい」

「……分かりました。あ、じゃぁ、チームの練習(トレーニング)に戻ってもよろしいですか?」

「うむ。異存は無いぞ。こちらこそ急な仕事を頼んでしまったな」

「天井さん、2人の案内をありがとうございました」

「いえいえ。それでは」

 

 そうしてオロールクロアットとナタリアの応対は天井トレーナーから秋川理事長と駿川たづなにバトンタッチされ、2人と秋川理事長は応接用ソファーに腰掛け、たづなは飲み物の準備をする。

 

「オロールクロアットさん、ナタリアさん。お飲み物でも如何ですか?」

「あ、では、紅茶を」

「私は……アイスコーヒーをお願いします。ガムシロップがあればみっ……いや、2つください」

「……クロア様、無理をなさらない方が」

「しなければならない。これからお二方に()()()をお伝えせねばならない。なら、コーヒーでシラフになっておく必要があるでしょ?」

「……知りませんよ?」

 

 ナタリアは流石オロールクロアットの従者だけあって彼女の好みや苦手なものを把握していた。

 普段はイギリス暮らしの影響で好きになった紅茶を嗜むところだが、今回の彼女は敢えて苦手なコーヒーをチョイスした。

 さらに、お昼も回ってそろそろ3時のティータイムという時間にコーヒーを飲んでしまうとオロールクロアットは夜寝つきが悪くなる体質だった。

 

 だが、そのようなデバフが後々待ち構えていると知っていても、クロアが頭をクリアにしておきたいことに理由があることを知ってもいるので、軽い忠告だけに留めてナタリアは飲み物のチョイスについてこれ以上口出ししなかった。

 

 暫くしてたづながコーヒーを持ってくると、それを一口飲んだ上で、クロアは如何にも「苦い」という顔を一瞬するが、すぐに表情を整えて、中央トレセン学園を見学した感想を述べた。

 

「……先ほどまで、トレセン学園(ここ)の施設や校舎を色々と見学させていただきましたが」

「如何だったかな!?」

「理事長」

 

 やや食い気味に秋川理事長が感想を求めると、クロアはコーヒーの苦味がやや引いた口でこう述べた。

 

「流石、日本のフラッグシップ(中央)……。トレーニング施設も充実しているし、食堂も大きかったです」

「食堂でご馳走になった食べ物ですが、あれはラーメンと言いましたか? 美味しかったですね」

「そうだねナタリア。それに、学園の至る所を見ても目立つようなゴミが落ちておらずに清潔で、施設のあちこちに補修こそあれどちゃんと整備もされている。……確かに、秋川理事長が以前お話しされていたように、ここはまさに『日本一のトレセン学園』と言っても差し支えありません」

「えぇ。ここでなら短期留学中でもニューマーケットに劣らない質の高いトレーニングを積めそうで期待できます」

「そ、そうかそうか。それは良かった!」

 

 流石に世界一の規模と設備の充実度を誇るニューマーケット・トレセン学園と比べられると見劣りする部分はあるかもしれないが、とりあえずは2人からの評価は上々といったところだろうか。

 だが、クロアはまた別の角度から中央トレセン学園を高評価した。

 

「いいえ、施設の充実度だけではないですね。秋川理事長の熱意はここに通う生徒たちを見れば一目瞭然です。みんなやる気と活気に溢れ、レースに情熱を注いでいるのが分かります。……本音を言えば、実に羨ましいですね」

「羨ましい、と?」

「もちろん、私はニューマーケット・トレセン学園の生徒です。しかし、それ以前に私の故国はユーゴスラビアなのです。その……ユーゴスラビアでは、日本やイギリスほどウマ娘レースが盛んではありません。……これを見てください」

 

 やや遠慮がちに言いつつも、クロアは写真を数枚用意した。

 

「これは……さいたまトレセン学園では?」

「その通りです。でも。この1枚は日本のではありません」

 

 ナタリアに指摘された1枚の写真に目を通した秋川理事長とたづなは思わず絶句した。

 

「……うわぁ」

「うーむ……これは酷い……」

「……その写真は、ベオグラード従騎手学院……つまり、ベオグラード・トレセン学園の、ほんの2、3年前の状況です」

 

 さいたまトレセン学園の校舎や練習コース。それに浦和レース場。

 そこは地方にあるいくつかのトレセン学園のように、設備がいくらか古びたり老朽化しているのが垣間見えたのだが、浦和レース場での練習風景にはウマ娘たちの活気ある様子が写真に収められていた。

 

 それに対して、ベオグラード従騎士学院の校舎は、老朽化しているどころではなく、落書きだらけだった。

 

 ユーゴスラビアや東欧では、古くは軍人を志すウマ娘たちが通う学校を「従騎士学院」と言った。

 だが、第二次世界大戦後、特に冷戦崩壊後は、レース競技に参加するウマ娘たちの育成学校としての役割を負うようになっていた。

 とはいえ、その転換は東欧の多くの国にとって困難が伴った。

 東欧の国々の戦後は、その多くが共産主義と一党独裁制による暗黒時代を迎える中、ユーゴスラビアは東欧の国家の中では共産主義の衛星国になることを免れた。そして、戦後25年間は東西冷戦の狭間に位置する「第三世界」の首班とも言える国家になっていた。

 それ故、本来であれば、ルーマニアやポーランドのようなレース場の大量閉鎖やレース文化の衰退といった出来事は回避できたはずだった*7のだが、やはりそれらの国との対立や緊張状態ゆえに「ウマ娘のレース」という大衆娯楽が中々根付かなかった。

 そのままユーゴスラビアは1978年にEUへと加盟するのだが、EU国家間での人の行き来が自由になった結果、ユーゴスラビアにはドゥブロブニクなどの観光地が潤った一方で、競技ウマ娘たちの大量流出が起き、さらに、冷戦崩壊後の1990年代前半に起きたアルバニアの帰属問題と、ネズミ講によるアルバニア経済の崩壊、それに伴うコソボ地方への難民流入と治安悪化などが引き金になって発生したユーゴスラビア不況が人口流出に拍車をかけてしまう。

 ちなみにベオグラード以外だとザグレブやポドゴリツァ、プリシュティナなどにもトレセンはあるのだが、ユーゴスラビア国内ではこの写真の状況とあまり変わらない状態である。精々見た目上まともなのはリュブリャナやドゥブロブニク、そして60年代の王政復古で遷都した首都サラエボぐらいだった。

 

「……でも、彼女が現れてから明らかに変わり始めました」

 

 そう言って、オロールクロアットはもう2枚の写真を出してきた。

 それは……。

 

「これは……!」

 

 そこには、雑巾を片手に校舎のスプレー塗料による落書きを消そうと奮闘するクロスクロウと、沼崎トレーナーの姿が確かに写っていた。

 

 2枚目には、落書きを綺麗さっぱり消し終わった校舎を背景に、ベオグラードトレセン学園の教職員と生徒、それにクロスクロウたちが集合写真に写っていた。

 そこには、ナタリアの姿もあった。

 

「秋川理事長。改めてお礼を言わせてください。故国ユーゴスラビアの代表として、また、私の父であるユーゴスラビア国王の名代として」

「クロスクロウ様に何があったのかは我々も存じております。その経緯故に、日本ウマ娘協会が揺れに揺れたことも。しかし、我々にとって、クロスクロウ様の存在は、まさに天からの助けでした」

「そうか……その話を聞いて……これを見て、少し安心したよ。こちらこそ礼を言わせて欲しい。クロスクロウと沼崎トレーナーがそちらでも元気そうで役に立てているようで何よりだ」

「我々も、クロスクロウさんの引退や……いくら本人の希望とはいえ、それに伴う東欧への宣伝活動については心苦しいものがありました」

「えぇ……ご本人からお話は伺っています。クロスクロウ様はご自身の引退やその原因についてをご家族やご友人に知らせたくなかったそうですが、それが余計に彼女の周りの人々を心配させることになってしまったことに彼女はとても反省していました」

「……特に彼女の同期の方々には『私はまだ走れるんだ』っていうメッセージフラグ(?)とやらを折りたくなかった、とお話されていました」

 

 そこまで言われて秋川理事長と駿川たづなはこの2人が……いや、正確には()()()()()()()()()()、何故二重留学などという面倒な手を使ってまで日本へとやってきたのかを凡そ察した。

 

「では、クロスクロウが引退を打ち明けるきっかけになった理由もご存じなのですね?」

「え?」

「……えぇ」

 

 その問いに対して、ナタリアとオロールクロアットの反応は対照的だった。

 ナタリアは質問の意味を理解できなかったが、オロールクロアットは静かに肯定した。

 ナタリアはオロールクロアットに問い掛けた。

 

「クロア様……どういうことですか?」

 

 それに対してオロールクロアットは、こう答えた。

 

「ナタリア。君だって()()()()()()? 私が王子なら───」

 

 そこまで言われてナタリアは理解した。

 「王子と少年」の話。王子がクロアなら、少年は───、

 

「なるほど……あのプールにいた尾花栗毛のウマ娘がクロスクロウ様のお話しされていた従妹様なのですね」

「その通りだ。しかも、本人は今年がデビュー予定なのだ」

「……ほぅ。なんと……」

 

 ここまで来て、初めてオロールクロアットは尾花栗毛のウマ娘───クロススキッパーのデビューが今年だと知り、俄然興味が湧いた。

 

「さて、ナタリア、オロールクロアットの2人には短期留学中、チーム[リギル]に所属してもらう予定で、東条チーフトレーナーと新堀サブトレーナーらには話を通してある」

「あの、理事長。土壇場で差し出がましい申し出になるかもしれませんが、よろしいですか?」

「クロア様!?」

「ナタリア。君はチーム[リギル]で自身のスキルに磨きをかけて欲しい。……秋川理事長。お尋ねしたいことがあります」

 

 そしてオロールクロアットは頬を吊り上げて、こんなことを言った。

 

「クロススキッパーが所属しているチーム、もしくは担当されているトレーナーはどなたですか?」

 

 ───後日。矢萩トレーナーの胃に穴が開いたとか、開かなかったとか。

 それはまた今度語ることにする。

*1
国際セリ名簿基準委員会による、実際の日本のパート1国認定は2007年。それ以降に主に地方交流重賞にJpn表記のレースが登場している

*2
Wikipedia調べではプールの水深は一般遊泳で1.2m程度とされている。参照→プール

*3
クロアチア語

*4
マーク・トウェイン著の『王子と乞食(原題:The Prince and The Pauper)』より。なお、「乞食」は差別用語にあたるとして日本語訳では『王子と少年』、もしくは『放浪の王子』と訳出されている。

*5
外見はアプリ版に登場するショップと同じ。

*6
最近の一例として、2024年2月5日の船橋競馬場での開催は、第3レース以降は吹雪のため中止となり、後日に振り替えとなった。

*7
例えば、ルーマニアにも王政時代には凱旋門賞(Premiul〝Arc de Triumf〟)が存在したのだが、1947年のバネアサ競馬場解体や王政廃止と共産主義体制の確立などに伴って休止に追い込まれた。




 ごめんなさい、ここまで読んでいただいた方々に申し訳ない。クッソ長かったですよね。

 元々はチーム[マタリキ]のトレーナーと、ヒシミラクルがプールトレーニングしているだけの回を作るつもりでした。
 (ウマ娘三期に「何でプールシーンがないんじゃオラァ!」と思ったこともきっかけ。)
 しかし、それだけだと尺が足りなかったので、先日から温めていたイギリストレセンの設定をここで使うことにしました。

 同時に。これまで温めていたウマ娘版のオロールクロアットの設定とか、この世界でのユーゴスラビアがどんな愉快なことになってるかなどをほぼ全部ぶち込んでしまいました。
 某リジチョーの話とかユーゴスラビアの話とか、ずっと前に作ったことのあるオリジナルウィッチの設定画とかを読み返して触発されたせいです。

 そのために一話の文章量としては……いつもは10000〜15000文字ぐらいで制限を掛けなきゃならないところ、1.5〜2倍増しになっています。本当は8話と9話みたいに真っ二つにした方が読みやすかったかもしれないですが……今回ばかりはキリの良いところで切れないと分かって諦めました。ご了承ください。

 それに今回でついに確定しましたが、前にアンケートを取った結果を反映させていただき、やはりここでもクロスクロウは秋天を走っていました。
 しかし、セイウンスカイとクロスクロウは原典だとあのまま再戦することなく終わってしまうので……「何とかならないものか?」と考えた時にレースローテをパラパラと捲っていたら、「万葉ステークス」を見つけまして……ややクソローテの臭いこそしますが、このようにしてみました。

 つまり、ここでのクロスクロウの生涯戦績は、

実馬編では「13戦7勝」だったところ、
ここでは、「14戦7勝」ということになります。

 ウマ娘の育成シナリオでいうところの、ボーナスイベントみたいなものだと思ってください。

※2024年6月29日追記……挿絵機能が回復したので、作中で登場したニューマーケットトレセン学園の制服を着たオロールクロアットを貼ります。
{IMG}
「イギリスらしさ」を出す為に絵師さんと試行錯誤を重ねた結果、作中の表現が二転三転してしまい、申し訳ありません。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。