また君と、今度はずっと 〜If you can Cross to tomorrow〜   作:Simca Ⅴ

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 前回(#12)の続きになります。


#13『オロールクロアットというウマ娘(立ち塞がる障壁)

 それは1941年春のこと。

 

『先頭はラグナだ、ラグナ! そのままゴールイン! やりました、ラグナ! 周回遅れを出すほどの圧倒的な実力を見せつけてセルビアダービーを制覇した!』

 

 ユーゴスラビア第一王国時代の首都ベオグラードで行なわれたセルビアダービー。

 ダート2400mでの激戦を制した栗毛の少女は勝者として天に拳を突き上げた───。

 


 

 ───時代は流れ、現代。

 場所は日本の府中にある中央トレセン学園。

 時期は初夏の迫る5月中旬。

 日本ダービーまであと1週間にまで迫った今日も今日とて、

 

「はぁぁぁぁっ!!」

「やぁぁぁぁっ!」

 

 マヤノトップガンとクロススキッパーはダートコースの最終直線で互いに末脚を爆発させ、2人のすぐ後ろには砂埃が舞う。

 

 そして、先にゴールを駆け抜けたのは、

 

「や、やったぁ……僕、初めて、マヤノさんに勝ったぁ……」

「はぁ……はぁ……はぁー……スキッパーちゃん……よく、頑張った……よ……!」

 

 2人の併走の距離も日によってまちまち。

 ただし、クロススキッパーのスタミナを考慮して、短距離から2000mまでの中距離の間が2人の併走トレーニングに使っている距離だ。

 そして、今日走ったのは、

 

「1600m……これならきっと……」

 

 ダート1600m。今のスキッパーがマヤノを最終直線で差し切れた練習コースの長さであり、小倉で走ることができない距離*1

 

 トレーニングを監督していたサブトレーナーのフレアカルマはさいたまトレセン学園時代の紺色のジャージの上下を着込んで、タイムを測っていた。

 

「スキッパー。よく頑張ったわ。()()()おめでとう。記録も更新出来たわね」

「え、カルマさん、タイムは?」

「1分45秒2。船橋のB2クラスの平均タイムとほぼ同じぐらいだわ*2。このまま練習を重ねればかしわ記念制覇も夢じゃないわね」

「ねーカルマちゃん、マヤのことも褒めてよー」

「マヤちゃんもよく頑張ったと思うわよ。ダートはともかくマイルはあまり得意じゃないでしょ?」

「うーん……そうかも」

「でも、これまでスキッパーに短距離でもマイルでも先着を許さなかったんだから自信を持って。大丈夫よ」

「……ふふふ。ありがとね」

「しばらく休憩したら、同じ距離で芝を……」

 

 とそこへ、

 

「すみません、サブトレーナーさん。次のクロススキッパーさんの併走、私にやらせていただけませんか?」

「オロールクロアットさん?」

「あれ? クロアちゃん? アイルちゃんと併走していたんじゃ……?」

「今ちょうど休憩中です」

 

 さすがに2週間も経つとマヤノもクロアの存在に慣れてきたのか「ちゃん」付けで呼ぶようになった。

 

 しかしダート1600mを併走トレーニングとはいえ途中から本気を出して走っていた2人は流石に疲れていた。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

「はぁ……はぁ……うーん……カルマちゃん、それって大丈夫なの?」

「……前々から思っていたんですが、他の方々はその日その日で併走相手が違っていますよね? でもマヤノさんとスキッパーさんはここ2週間ずっと同じペアで併走をしていて、これってどのような意味が?」

 

 そんなオロールクロアットからの質問だが、フレアカルマによる説明は大体こうだ。

 

 マヤノトップガンとクロススキッパーが併走をしているのは、デビュー戦(メイクデビュー)が近い者同士というだけでなく、お互いの脚質が似ていることと、マヤノの方がスキッパーよりも早く中央トレセン学園に来て、射手園トレーナーによる指導をこの数年に渡って受けてきたことから各脚質の使い方を理解している(わかってる)ためである。

 つまりは逃げ・先行・差し・追込での足の使い方や息の入れ方を、マヤノがスキッパーに教えているマンツーマンの形を取っている。

 しかし、ここにオロールクロアットが加わるとその体制が崩れてしまうので、マヤノは「本当に良いの?」とフレアカルマに確認を取っているというわけだ。

 

「なるほど……つまり、マヤノさんがスキッパーさんの特訓のスパーリングパートナーなんですね!?

 

 「クロススキッパーの特訓」……そのワードが出た瞬間にクロアは目を輝かせて、有無を言わせなかった。

 その目を見て、マヤノは直感した。

 

「あ……マヤ、わかっちゃった」

「え……あの、マヤノさん?」

 

 「マヤノさんは一体何が分かったんだろう?」……クロススキッパーには分からなかった。そして、クロアの視線が自分に向いていることにすら気付かなかった。

 そんな最中でオロールクロアットはさらにフレアカルマに畳み掛けた。

 

「じゃあ尚更です。私にお二人のお相手をさせてください!」

「でも……」

「日本のバ場には慣れてきました。……それに、生意気なことを承知で言わせていただきますが、こう見えても私、本国ではマイルから中距離が得意距離でした。デビューするのはまだまだ先の若輩者ではありますが、腕試しをさせてください」

「……どうする?」

「マヤは……カルマちゃんが良いって言うなら構わないよ?」

「……それなら僕も。クロアさんと走ってみたいです」

「……わかった。でも今すぐはダメ。アイシング、ストレッチ、それにクールダウン、全部で30分休憩すること。いいわね?」

「はい」「は〜い」

「オロールクロアットさんは?」

「え、あ、一応やりました」

「それなら一緒に休んでいて。休憩が終わったら、模擬レース形式で併走トレーニングをしてみましょう」

 

 そうしてフレアカルマの指示通り。

 30分の休憩の間にクロススキッパーとマヤノトップガンの2人は熱を持った各間接のアイシングと、2人組で行なうストレッチ運動とクールダウンを行ない、しばらくして息も心拍も、発熱も落ち着いた2人は、近くのベンチに座り、水分補給のために麦茶やスポーツドリンクを飲んでいた。

 


 

「はぁ、はぁ、はぁ……ふっ!」

「やあぁぁぁっ!!」

「はあぁぁぁあっ!!!」

 

 30分の休憩の後、マヤノトップガン、クロススキッパー、そしてオロールクロアットの3人はフレアカルマの監督の下で模擬レースを始めた。

 バ場は芝、長さは1800m。

 クロススキッパーには若干不利な距離だったが、「それでも構わない」と本人が言ったため、どちらかと言えば中距離や長距離走者向きのマヤノとクロアにとって少し有利な条件の下で3人の追い比べが始まった。

 

「やってるなぁ」

「あ、チーフ……ごめんなさい勝手に」

「何だ? 怒られると思ったのか?」

「怒ってます……よね?」

「いいや、別に。むしろあいつを留めるほうが大変になってただろうさ」

 

 矢萩の視線の先にいる「あいつ」とは、オロールクロアットのことである。

 

「クロアちゃんを留める……?」

……ここだけの話。あいつぁ、スキッパーにお熱のようだ

え!?///」

「あぁ、いや、そういう意味じゃないぞ。……どういうわけか、クロアットはスキッパーにご執心のようなんだ」

「ご執心……?」

「その顔わかるぞ。「何で?」って言いたいんだろ。俺も同じこと思ってるわ」

「はあ……」

 

 矢萩とフレアカルマは、スキッパーたち3人が芝コース(左回り)を走行している姿を遠目に見ていると、3人は第3コーナーにちょうど差し掛かった辺りだった。

 

「……ぉ?」

「?」

 

 その時だった。

 マヤノとスキッパーから6バ身ほど後ろに控えていたはずのクロアがダッと力強く足を芝に踏み付けて、加速を始めた。

 

「残り600mでラストスパート……?」

「どうやらオロールクロアットの得意脚質は差しか追い込みらしいな。それに見てみろ。スキッパーはともかくマヤノと比べても外面(そとづら)だけは冷静だ。明らかにあれは練習で併走慣れしてるな」

 

 オロールクロアットの得意な脚質については、実は矢萩は何も聞いていない。

 というより、オロールクロアット自身が自分の得意な脚質をわかっていなかった、という方が正しいだろう。

 

 だが、曲がりなりにもトレーナーの端くれを自称するだけあって矢萩には、オロールクロアットの得意脚質が見えてきた。

 

 そして、マヤノとスキッパーにクロアを加えた3人の併走は───、矢萩はそれを見て呟くようにこう言った。

 

「全く、何てこった……」

「チーフ?」

 

 クロアの切れ味に矢萩が着目していた3人の併走だったが、着順の結果はマヤノが1着、2着にスキッパー、そして3着はクロア。

 

「……現時点では順当、か」

 

「はぁ……はぁ……はぁ……ま、負けたぁ……!」

「はぁ、はぁ、はぁ……ふっふっふ……ま、まだまだだよ、スキッパーちゃん……!」

 

 スキッパーはマヤノに一時はハナ差にまで迫れていたものの、結局はスタミナが持たず、ゴール時には1バ身差を開けられての明白な敗北。

 それでも息を切らしながら上体を前に屈めて両手で自らの両膝を掴んで辛うじて立ってる状態のスキッパーに対して、

 

「はぁ……はぁ……はぁ……や、やっぱり、まだまだですね、私なんて……あははは……」

 

 そうクロアはターフに大の字に倒れ込んで力無く笑うのだが、矢萩はクロアの伸び代や才能の片鱗を感じていた。

 

 クロアがチーム[ライジェル]に加わってから2週間。日本のバ場に慣れるために悪戦苦闘していたはずが、それよりも練習量が多いはずのクロススキッパーとマヤノトップガンにあと一歩まで迫ってみせた。

 

 これでまだ本格化していないというのだから、もしこのままデビューまで育てたら一体どうなる?

 

「こりゃ……大変なことになりそうだな」

 

 矢萩はそんなことを漏らした。

 1年後にこのオロールクロアットを一体どこのトレーナーが指導しているのだろうか。

 自分がこのままオロールクロアットを育て切れないことを惜しいと感じると同時に、このような逸材を1年間とはいえ預かることになってしまったプレッシャーを今更ながら重く受け止めることになった。

 ……そして、そんなオロールクロアットの凄みは、前を走って先頭を抜かせなかったマヤノも分かっていた。

 

「クロアちゃん」

 

 マヤノは疲れてターフに寝転がっているクロアに手を差し伸べて立ち上がらせた。

 

「マヤノさん。……ありがとうございます」

 

 立ち上がったクロアと目が合ったマヤノ。

 彼女───マヤノトップガンの瞳の奥に、燃えているものがあることを瞬時にクロアは感じ取っていた。

 


 

 その日の夜。

 中央トレセン学園のすぐ近く。

 その日の夕方から明け方にかけての時間帯にラーメン屋台が開かれており、そこで夕飯を食べてる者が3人。

 ちなみに、その屋台は通称「自主練」と呼ばれている。

 

「矢萩さん……大丈夫ですか?」

「あぁ、何とかな……」

「本当に? 矢萩さんが奢ってくれるなんて珍しいから何事かと思いましたが、そこまでげっそりした顔なんて初めて見ました……夕飯は喉通りますか?」

「あぁ……腹ペコで仕方がないさ。親父さん、塩ラーメンにチャーシュートッピングで」

「はいよ。いつも通り麺柔らかめで良いな?」

「はい」

「坊ちゃんと嬢ちゃんはどうするかね?」

「あ、じゃぁ僕は豚骨ちゃんぽんらーめん。味は薄めで麺柔らかめ」

「私も同じもので。あ。ご飯とビールください」

「あいよ。ちょっと待ってくれな。坊ちゃんたちは飲み物どうするかね?」

「あ、はい。烏龍茶で」

「俺は水でいいです……」

 

 水はセルフサービスであるが、それを一杯飲み干して大きな溜め息を吐く矢萩。

 

「はぁ〜……まさかユーゴスラビアのロイヤルファミリーがうちのチームに来るなんて……」

 

 トレセン学園の生徒たちには、オロールクロアットのことは「イギリスから来た留学生」として知られているが、彼女がユーゴスラビア王室の第二王女殿下であると知ってるのは学園の生徒たちの内でもごく少数である。

 

 しかも、アイルランドの王女であるファインモーションが中央トレセン学園に留学してきた時はニュースに取り上げられたものだが*3、今回のオロールクロアットの場合は、彼女自身の意向もあって報道されていない。

 

 そのため、オロールクロアットがユーゴスラビア王室のお姫様である事実は学園中のトレーナーたちに通達が成されているものの、公然の秘密として扱われることになった。

 ちょうど飲み物の烏龍茶を受け取った射手園は尋ねた。

 

「しかし何故、突然に矢萩さんのチーム(ライジェル)にオロールクロアット殿下が入ってきたんですか?」

「理由か? 教えてもえらんかった」

「そうですか」

 

 射手園トレーナーとしては、今の矢萩の姿は数年前の自分の姿(ダイイチルビーの担当になった頃)を見ているような感じがした。

 尤も、当初はマヤノトップガン以外の担当を持つつもりが無かった射手園に矢萩は半ばダイイチルビーから出題された試験を押し付けるような形をされたため、同情できない気持ちが4分の1くらいある*4

 ただ、射手園 優にとっては、ダイイチルビーの存在は今やマヤノトップガンと同様に自身の中の「大切な人」にまで昇華していて、自分が今、マヤノの指導をする上でルビーの存在と経験は欠かせないものになった。その代わり、ルビーのご実家である「華麗なる一族」からのプレッシャーは凄まじいものでもあった。

 

「はぁ〜……誰がいきなりこっちに来るって予想出来たよ?」

「まぁ……そりゃそうですよね」

 

 しかし、矢萩が溜め息を吐きたい気持ちも分からないでもない。

 オロールクロアットの名前が出る前の段階でイギリスのニューマーケットトレセン学園からの留学生2人は当初チーム[リギル]に所属する予定になっていたからだ。

 それに対して待ったを掛けて、他に候補として名乗り出たのが、チーム[プロクシマ]率いる丘部トレーナーと、チーム[マタリキ]*5の天井トレーナーだった。

 矢萩と射手園のチーム[ライジェル]と[セントーリ]は?

 そもそも手を挙げなかったので候補にすら入らなかった……はずだった。

 

 そして矢萩にとっては寝耳に水&針の筵を同時に味わう羽目になった。

 というのも、やはりというか当初の予定ではオロールクロアットは帯同兼護衛のナタリアと共にチーム[リギル]に短期ながら在籍する算段で纏まっていた話が、肝心なオロールクロアットの鶴の一声で突然の変更を余儀なくされ。

 お陰で矢萩は東条トレーナーや秋川理事長から嫌というほど、最低限のマナーと禁止事項についてを叩き込まれる羽目になった。

 

「生まれ育った国の習慣とか? 宗教上食べちゃいけないものとか? 例えば左手でものを食べちゃいけない、みたいな文化上のタブーを教え込まれたのはまだ良いさ……マナーは正直言って自信がない」

「はぁ……」

 

 前言撤回。射手園にとって矢萩に同情できない気持ちが3分の1ぐらいになった。

 それは優自身も、ダイイチルビーによる選抜試験を受けた時に社交マナーや社交ダンスのレッスンなどを朝から晩まで叩き込まれたことがあるためだった。

 

「……話は戻るが、クロアットがうちに来た理由なんだが、ある程度推測は出来る」

「推測できた、というと?」

「あの殿下のお目当てはクロススキッパーのようだ」

「え……? 何故?」

「分からん。な、宮松」

「はい?」

 

 注文したビールを一口飲んだ宮松は一瞬状況を見失うが、すぐにあの事だと思い出して答えた。

 

「うーん……そうなんですよね。何故、クロアちゃんがスキッパーちゃんに興味を持ってわざわざうちに来たのかがわからないですよね。……」

「だよなぁ……」

 

 ただ、その時、宮松ことフレアカルマの脳裏に過ぎったのは───白髪で、全身を白い勝負服で覆った親友の後ろ姿だった。

 

(スキッパーはクロの従妹で……クロはヨーロッパで広報活動、だったっけ? ……ははは。まさかね?)

 

 ビールを飲み始めたフレアカルマが、ほろ酔い気分の頭でふと思い浮かべた推測はこうだ。

 それは、まず何らかの理由で、スキッパーの従姉クロスクロウがオロールクロアットと出会い、そのクロスクロウからクロススキッパーの存在を聞かされていた、というもの。

 ……しかし、

 

(……まぁ、そんな都合の良い事なんて世の中早々ないもんね。うん、忘れよ忘れよ)

 

 それが酔った自分の頭から出てきた単なる妄想、と思ったフレアカルマはビールを飲み干しつつ、その考えを頭の奥底に追いやって忘れることにした。

 

 そんなこんなの内に、注文していたラーメンがやってきたので、3人は漸く夕飯を食べ始めた。

 


 

「くかー……くかー……」

「はあーぁ、ったく、いくらウマ娘が酒に強いったって、酔い潰れるほど飲むなよ……」

「宮松さんがこんなベロンベロンになってる姿なんて初めて見た……」

 

 ウマ娘フレアカルマこと宮松はビールを四杯か五杯ほど飲んで酔い潰れてしまい、そんな彼女を矢萩が背負って夜道を行く。

 トレーナー寮への帰路の最中、矢萩はこんな一言を溢した。

 

「……懐かしいな」

「懐かしい?」

「あぁ。昔は妹が公園で走り疲れたら背中によくおぶって帰ったなぁ、って」

「ヘリオスさんとそんなことが?」

「何だ、羨ましいのか?」

「……いいえ。……いや、うん、その、別の意味で」

「……あ。うん、その、悪かったよ」

 

 矢萩の身長は日本人の平均男性程度*6

 一方で、射手園はマヤノトップガンと同じぐらいの背丈しかない*7

 そのため矢萩は色々と察して、それ以上茶化すのをやめた。

 しかし、マヤノと射手園が語った将来のビジョンが頭を過ぎり、こんなことを尋ねた。

 

「……なぁ射手園くん」

「何ですか?」

 

 また身長のことを弄られるのかと不服そうな返事をした射手園だったが、

 

「……君の家系に、確かイギリスの人っていたよな?」

「え? あ、はい。僕のお母さんのお母さん、つまり、お婆ちゃんが昔イギリスで走ってたウマ娘だって聞いてます」

「それに、マヤノの目標はキングジョージ6世(KGⅥ&QE)ステークスを勝ちたい、だったよな?」

「……はい。でも、それを今どうして尋ねるんですか?」

「そうか……となるとだ。射手園くん。お前さんもオロールクロアットのトレーニングをしっかりと見ておいた方がいいぞ」

「え?」

「……俺がゲッソリ顔していたって、君言ってたろ? その原因は単にクロアットが王族だからって理由だけじゃねぇんだよ」

「……」(ゴクッ

 

 矢萩の真剣な表情に思わず唾を飲み込んだ。そして、矢萩は言った。

 

「あの殿下様……ハッキリ言って、化け物級になるぞ」

「……それ、本気で言ってますか?」

「あぁ。大マジだよ。今日の併走を見ていて思った。日本の練習コースを2週間走らせたらあっという間に足元の使い方のコツを掴んできた。それに、クロアットは国籍こそユーゴスラビアでも、同時にイギリスのトレセンに在籍するウマ娘でもある。……ということは君らが目指す頂点を阻む最大のライバルになるだろう」

 

 大切なあの娘との誓いが優の脳裏を過ぎった。

 2人がお互いに担当ウマ娘と担当トレーナーとしての二人三脚を始めて、その最大の目標(頂点)として掲げたレースに、最大の障壁が立ちはだかる。しかも、自分のすぐ目の前に現れたウマ娘が、それだというのだ。

 

「……そんなウマ娘の手解きを矢萩さんがするんですか?」

 

 優───射手園トレーナーは「(色々な意味で)信じられない」と言わんばかりに、今にも瞳から光が消えそうな顔をしていた。

 それに対して矢萩は遠慮なく、

 

「あぁ。その通りだ」

 

 と答えた。

 ……同時に矢萩は背筋が凍るような感覚を覚えた。

 そして改めて(……そうか。これが勝負の世界だったよな)と思い、自身がまだまだトレーナーとしては半人前である事実を思い知らされた。

 矢萩は、射手園とマヤノの夢を何度も何度も聞いていた。

 その夢を叶えるために応援もしていたし、協力も惜しまなかった。

 けれども、いざ自分がその夢を阻止するような立場に。もしくは直接関わる羽目になるなど思いもしていなかった。

 かと言って、矢萩は前職からもトレーナーになってからも変えなかった姿勢がある。

 それは、

 

「……俺がオロールクロアットの指導をするのはこれから1年間だけだが、手は抜かない」

 

 射手園に対して矢萩が向けた眼差し、それは。

 

「……だから、今のうちにクロアから盗めるものは全部盗んでおくんだぞ、いいな?」

「……はい」

 

 射手園とマヤノに対して彼が初めて向ける宣戦布告の意思だった。

 それと同時に、職人としての気概と、「夢を叶えるチャンスがなくなったわけではない。あとは2人の努力次第でどうとでもなる」という思いを少なめの言葉の中に込めていた。

*1
小倉競馬場のダートコースは、発走距離が1000m、1700m、2400mの3種類しかない。

*2

*3
ファインモーションのウマ娘ストーリー第1話より

*4
アイルトンシンボリ編②を参照。

*5
ニュージーランドなどに住むマオリ族の間でのプレアデス星団の呼び名。

*6
171.1cm

*7
144〜145cm




 本来は前回の分と合わせて12話のつもりでしたが、11話の場合とは異なり分割をしやすいことに気付いたため、このようにしました。

 ちなみに、冒頭に登場するラグナというウマ娘についてですが、実馬がちゃんといます。

※2024年3月18日追記……ラグナについて。うみねこ博物館様が運営されている『奇跡の名馬』シリーズに記載されている当該のブログページ、『ラグナ―Laguna―』を参考にさせていただきました。
 また、今回の後書きへのリンク記載についても許可をいただきました。
 この場で、改めて御礼を申し上げたいと思います。

Special thanks
 うみねこ様
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