また君と、今度はずっと 〜If you can Cross to tomorrow〜 作:Simca Ⅴ
新幹線でも同様に。
ちなみに、曲のレパートリーは矢萩と同じ。
8月の北九州、福岡の小倉レース場。
キンキンに冷えたスポーツドリンク、ミネラル補給用の麦茶や塩分不足対処用の塩キャンディ、濡れタオルと乾いたタオルなどなど、夏装備を万全に整えて……。
『夏の小倉はより暑くなる! 寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 今日の小倉の芝レースは夏の重賞第三弾、G3北九州記念をお送りします!実況の古賀です』
『今日の天気は快晴で、バ場状態も良バ場の発表ですが、連日の猛暑日で蒸し暑いですね。解説の井上です』
『さぁさぁ、今日は第1Rから第3R、未勝利戦が続き、第4Rで平地のメイクデビュー、そして第5Rでは障害物の未勝利戦が今終了。第5Rの勝者はなんと人気最下位だったビバリーホリデー』
『いやはや、やはり障害レースは何が起こるかわからないスリリングさがありますね……さながらF1レースのように。だからこそ、事故なく終われてホッとしてます』
『そうですね、当初の出走予定者は12人。芝2900mでの開催でしたが、出走直前にメガマンジュデンが足に違和感を覚えたとのことで競走を中止しています』
『えぇ……ここで大会主催者より、出走者、及びその担当トレーナー様だけでなく、レースをご観覧中の全ての方へのお願いです。少しでも体調に違和感を感じた場合は遠慮なくレース場スタッフにお申し出ください』
『お伝えしてます通り、連日の猛暑が続く小倉レース場からお送りしています。皆様、小まめな水分と塩分補給、適度に日陰で休むことを心掛けてください』
そこまでアナウンスを続けた後、実況と解説の二人はいつも通りの仕事に戻る。
『さて、次に控えているのは第6R、芝1200mメイクデビューをお送りします。井上さん、今日の注目株はズバリ?』
『そうですね……5番のクロススキッパーでしょうか』
『ほう、クロススキッパーといえば、姉にクロスクロウの?』
『正確には従姉妹だそうです』
『なるほど、やはり期待も大きいですね?』
『個人的には、です。ただこの娘の場合、模擬レースや選抜レースでのデータが一切ありません。そのため、どのような走り方を見せてくれるのかは未知数です』
『しかし、所属チームはあの逃げ専門店を自称する[ライジェル]。そして、従姉のクロスクロウも逃げウマでしたからね』
『えぇ、逃げでアタマを奪ったままレースを進行させることはあり得るでしょうね、でも、そのクロスクロウは追い込みも得意でした。果たしてどちらを繰り出してくるか───』
【───今日の第11R、G3北九州記念、発走時刻は15時45分の予定です。次走、第6R。芝1200mメイクデビュー発走までは残り10分です】
同じ時刻、鹿児島のとある運動場。
その正面モニターでは、リアルタイムで小倉記念が放映されている最中だった。
それをスタンドやグラウンドから見ている人、人、人、たまにウマ娘。
そんなスタンドに赤いジャージを着たウマ娘の一団がおり、彼女らの胸には、紛うことなき、「中央トレセン学園」の
そんな彼女たちの引率者は、青い柄が入った紺色のジャージを着ており、髪の色は栃栗毛。胸の部分には、銀に横倒しにした「C」をイメージした蹄鉄に金の「ST」というワッペンが縫い付けられている*1。
そんなウマ娘たちに混じって、緑色のジャージを着た幼い2人の小学生ウマ娘がいた。
片方は、前髪に白く薄く伸ばされたタイ米のようなメッシュが入ったまだ幼さの残る鹿毛のウマ娘。
もう片方は、左耳に赤紫のリボンを結んだ純朴な雰囲気の濃い鹿毛のウマ娘。
その2人の背丈は、一緒にいたオレンジ寄りの栗毛のウマ娘とあまり変わらない感じである*2。
彼ら彼女らは小倉レース場からの生中継の映像に大半が釘付けになっていた───。
───時は2週間ほど遡って7月の初旬。*3
晴れた青空に、白い雲が浮かぶ夏の情景。
東京から遥々新幹線のぞみ号「博多」行きに乗り、一路チーム[ライジェル]は西へ西へと。
小田原を越えて熱海を越え。
熱海の海岸にはビーチパラソルが一面に広がり、海に目を向ければ遠いが、ヨットやジェットスキーなどの海のレジャーを楽しむ人々の姿も見える。
気付けば新幹線は海沿いを離れて内陸へ。
窓辺に夏の富士山が暫く浮かんだ後、トンネルを越えて山を越え。
静岡、名古屋を越えて、京都近くまで来ると大文字山や五重塔で有名な東寺が遠くに見える。続けてたった15分で新大阪に到着して程なく出発し……あっという間にそれらを通過して、東京から4時間52分で終点博多に到着。
その博多から、さらに九州新幹線さくらで鹿児島中央を目指す。
この鹿児島中央からは国分駅までJR日豊本線が繋がっており、チーム[ライジェル]が目指すべき旅館の最寄駅は鹿屋駅。
国分駅と鹿屋駅はJR大隅線*4で繋がっているため電車での移動も出来るのだが、今回は敢えて鹿児島観光も兼ねてフェリーで移動することにした。
鹿児島中央から鴨池港までタクシーで約20分。
この鴨池港から垂水港を結ぶ「鴨池・垂水フェリー」*5に乗ったチーム[ライジェル]の一行は短い船旅を満喫することになった。
ビルの立ち並ぶ鹿児島市と鴨池港を後にすると、息を呑むような雄大な桜島の風景が待っていた。
フェリーは鹿児島湾北部の海域をゆっくりと南下していき、45分間の航海の後。
先ほどまでいた鹿児島市とは打って変わって、垂水港は牧歌的な雰囲気を伴って訪問者たちを出迎えた。
「ふえー……、着いたぁ!」
「ひゃぁー長かったぁ……」
「夏だー!」
「海だー!!」
「「鹿屋だー!!!」」
夏の九州、場所は鹿児島の大隅半島。
カラッと晴れた海、北に見える桜島、それらが遥々長旅を超えてやってきたチーム[ライジェル]の一行を歓迎してくれているようにも思えた。
「ヘリオス、パーマー、悪いがまだ途中だぞ」
「「えー?」」
「ここから鹿屋駅行きのバスに乗ります」
その鹿屋駅に着いたならそこから鹿屋旅館前まで行く循環バスに乗る。
しかし、垂水港から鹿屋駅への道中で車窓から見えたものはチーム[ライジェル]のメンバーたちの心をくすぐるものだった。
不思議と夏という季節は元気が出る。
夏空の下、しっかりとクーラーの効いた路線バスはしばらく鹿児島湾に面した海岸線の道路を辿っていくが、そこから鹿屋市に達するとバスは左へ曲がる。
その先には市街地が広がっていたが、しばらく行くと、
「あ、見えてきた!」
バスの車窓から、市街地を抜けた先に大きなグラウンドを備えた、学校のような施設が見えてきた。
アナウンスが流れる。
『間も無く、鹿屋ウマ娘軽運動場前。鹿屋ウマ娘軽運動場前』
「これが?」
「はい。鹿屋ウマ娘軽運動場です」
否。学校というよりは、レース場そのものだった。
実に広大で、矢萩自身の大雑把な見立てではあるが、大井レース場*6とほぼ同規模に見える*7。
おまけに、ダートコースだけでなく芝コースもあるように見えた。しかも、整備がしっかりと行き届いている。
規模は中央トレセン学園のメイントラックにも引けを取っていないようであり、クロススキッパーのすぐ横に座っていた宮松サブトレーナーは思わず自らの足が疼いているように感じた。こんな気分になるのは
そして、バスは正面入り口前らしき場所のバス停を通り過ぎて行くが、そこには大きく、〔鹿屋ウマ娘軽運動場〕という看板が掲げられていた。
「ね、フレアカルマさん、すごいでしょ?」
横に座っているフレアカルマにそう言ったクロススキッパーの目は、懐かしい物を見ているかのように輝いていた。
「えぇ、ホントに……悔しいけど浦和レース場*8よりも大きくて立派だわ。今にも走ってみたい」
釣られるかのように、フレアカルマの目も輝いていた。
運動場を過ぎると、路線バスの終点のアナウンスが流れた。
『間も無く、終点、鹿屋駅前。鹿屋駅前。JR大隅線ご利用のお客様はこちらが便利です』
『このバスは禁煙車です。皆様のご協力をお願いいたします』
どこか懐かしいが、聞き慣れた車内のアナウンスが流れる。
それから5分もせず、共栄町にある鹿屋駅前のバスターミナルに路線バスは入って行く。
「この鹿屋駅前で降りますけど、循環バスは左回りのものに乗ります」
「右回りはダメなの?」
「さっき来た道を逆走するだけになっちゃいますし……そろそろ旅館でゆっくりしたいですよね?」
「お前の案内に任せるよ、スキッパー」
そうしてクロススキッパーをガイド役に、チーム[ライジェル]の一行は、上部の行き先表示に「鹿屋旅館前」とLEDで大きく描かれた、水色と白の塗装を纏ったバスを見つけて乗った───のだが。
出発まで時間があって他の乗客を待っていたら、前髪に流星のメッシュが入ったスーツ姿の少年が、ウマ娘4人を連れて乗ってきた。
その少年が誰なのか、矢萩も含めてチーム[ライジェル]の全員がよく知っていた。
「……って、え? 何で射手園くんたちがここにいるん?」
「あ、お嬢。やっほ?」
「……ごきげんよう」
鹿屋駅前*9から鹿屋旅館へと走り出した循環バスの車内でチーム[ライジェル]のメンバーたちと矢萩トレーナーは、なんとここで射手園トレーナー率いるチーム[セントーリ]と遭遇した。
矢萩は射手園に「君たちがどうしてここに?」的な反応でそんな質問を繰り出し、ヘリオスもダイイチルビーの存在に気付いて軽く挨拶を交わす。
「そういえば……確か君らも今年の小倉レース出るんだったよな?」
「あ、はい。元々は中津トレセンに宿泊するつもりだったんですが……」
「何があった?」
「その……」
「中津トレセン側がチーム[プロクシマ]に
「それで、丘部トレーナーに「宿泊場所を代わって欲しい」って言われたんですよね……トレーナーさん?」
「うん……」
「そこまではまだ良かったんだけど……今度は宮崎トレセンに行こうとしたら、チーム[マタリキ]の天井トレーナーからも同じことを頼まれた、んだったよね?」
「そうなんだよね……」
「えぇ……?」
言い淀む射手園トレーナーだったが、ルビーとケイエスミラクル、それにマヤノトップガンが軽く状況を教えてくれた。
溜め息を吐く射手園と、
「全くひっどいタライ回しよね!」
今まさにスイープトウショウが言ったような、酷いタライ回しを見た矢萩は唖然とした。
(何だそれ、抽選とか言っておきながらガバガバかい……)
矢萩はそう内心毒突く。
「もう、何よ何よ何よ! 中津に泊まろうとしたら、「出来ればもっと有名なチームに来てほしい」って! 思い出したら腹立ってきた……」
「……中津トレセン側も、〈中央の老舗チームが来るなら集客アップですから全然OK〉とか言って、ノリノリで。二つ返事で了承したらしくて」
「おいおいマジかよ……」
(抽選ガバガバどころか何これズブズブかよ。……え、しかも何。それって「知名度の高くないチームはシッシッあっち行け」と? バチあたれ。……まぁ、冗談はさておき)
「……それだけ中津トレセン学園も必死なんだろうな」
「どういうこと?」
「スイープ、そもそもなんで九州のウマ娘協会がこんな大規模なイベントを開催しているか知ってるか?」
「そりゃぁ……夏祭りだから?」
「じゃあ、夏祭りと言えば?」
「もう! 勿体ぶらずに教えなさいよクソトレーナー!」
「こら、スイープちゃん!」
「いいんだよ、確かに勿体ぶった。お祭りってのは、まず開催したら人が集まる。人が集まるってことは、それだけ訪れた人がお金を落としてくれる確率が増えるってことだ」
「つまり、中津トレセンはお金儲けがしたかったってことなの?」
「厳密には違う。お祭りに人が集まるってことは、それだけお金と同時に注目が集まるってことだ」
「注目が集まる……?」
「そもそも九州のウマ娘レースってのは最近持ち直してきてるって言われてるが、一昔前は酷いもんだったらしいぞ」
「酷いって?」
「そうだなぁ……」
『鹿屋旅館前行き左回り循環バス、発車します』
矢萩は出発進行するバスの中で、軽く、九州のウマ娘レースの歴史の講義を始めた。
数年前。
現在の九州ウマ娘協会の会長は、就任当時、ある計画を自らのマニフェストとして掲げた。
その名を「九州地方レース活性化計画」。
九州にはかつてレースに強いウマ娘が集まっていたものの、この50年間でその栄光は過去のものになっている。
原因は2つ。
かつてのKAU上層部が長期的なシミュレーションを誤り、
もう一つは、近年叫ばれている
ウマ娘は人間以上に暑さに弱い生き物であり、夏場にG1が少ない、もしくは無いのもこれが関係している。
よって、小倉レース場は中央の管理下にあるレース場の1つであるが、最近まで集客の悪さに加えて出走者不足にも悩まされていた。
夏の目玉レースの一つであるはずの小倉記念も、フルゲートであれば18人が出走できるところ、前述の計画をKAUが実行するまでの10年間を見ると最高が17人、最低だと(出走取り消し者を除いて)9人でレースを行なっていたこと、平均すると12人前後での開催を余儀なくされることもあったため、その頃は小倉記念での抽選漏れが起きにくい環境だった。
当然だが、出走者は全員が中央のウマ娘であるはずなのに、である。
だが、苦しいのは同じ九州の地方レース場も変わらなかった。
地方レース場は地方トレセン学園が併設されていることも少なくない。
今でこそ話題が浮上するようになった中津トレセン学園と佐賀トレセン学園、荒尾トレセン学園もこのタイプであるが、例の計画が始まるまでは閑古鳥が鳴いてるような有様だった。
ちなみに、中央の管理下にある宮崎トレセン学園も似たような状況であり、ここには地元宮崎や九州を離れられないワケありのウマ娘たちがいるものの、そうでなければ、宮崎トレセンへ入学しても、その後、中央で欠員が出れば抽選で選ばれた者がすぐ府中に飛んで行ってしまうため、宮崎トレセンは「滑り止め校」という印象が拭えないままだった。
「「
皮肉にも、昔から客の奪い合いを繰り返してきた地方ウマ娘協会と中央ウマ娘協会はこと九州においては同じ結論に行き着いていた。
問題は誰がこの状況に対して音頭をとって立ち上がるのか。
そんな矢先、比較的若手だった元佐賀トレセン学園理事長がKAUの新会長として就任すると、風向きが変わり始めた。
KAUの新会長は、先ず中央との協力関係の下で、「九州レースの利便性の悪さ」の解消に乗り出した。
中央所属のウマ娘や所属チーム、担当トレーナーらは、中山や
しかし、同じレース場で出走するレースが数週間に渡って集中する時は、それだけでは足りない。それも、小倉や札幌や函館、ないしは京都・大阪となると、
その数週間で府中から遠征にやってきたウマ娘たちは、遠く離れた街の道をランニングしている場合が多く、それを運良く見つけたファンが写真に納めてSNSにアップしてバズることもしばしばある。
だが、街中といえば、足元はアスファルト、下手すればコンクリートジャングルであるため、
アスファルトは芝やダートよりも遥かに硬く、夏場は焼けるように暑くなる。
こんな地面でレース場で走るのと同じパワーを出してしまうとどうなるか。
下手すれば怪我をするだろう。
また、夏場にアスファルトの上で走り続けると、前述したアスファルトに籠った熱のせいでさらに脱水症状に陥りやすくなる。
さらに路上となれば、自転車や自動車との接触事故、死亡事故の危険が常につきまとう。それも、現役の競走ウマ娘たちの巡航速度は時速60km前後。最悪はウマ娘側が加害者にもなり得る。
このような問題はだいぶ昔から続いていたのだが、ある人物が思いついた───件のKAUの新会長である。
新会長曰く、
「中央の夏合宿でウマ娘たちの練習に地方トレセンや地方レース場を貸し出したり、宿泊できるようにしてしまえばいいのでは?」と。
九州の難点は、中央のウマ娘たちが小倉の重賞に挑む場合、(それまでケースは少なかったにしろ)日を跨いで、ないしは2〜3週間続けて小倉のレースに出る際の宿泊施設の手配や交通費、それらの費用の捻出に担当トレーナーが苦労することに加えて、京都や阪神に近い滋賀トレセンのように本番前の追い込み練習が出来る施設が宮崎トレセンぐらいしかないこと。
その宮崎トレセンも、小倉までは気軽に行けるほど近い距離にないこと───具体的には小倉レース場のある「小倉レース場前駅*10」から宮崎トレセン学園から近い「宮崎神宮駅」までは、JR日豊本線や北九州モノレールを使って片道だけで5時間。もはや飛行機を使った方が早いのだが、それにしたって4時間はかかる。
何より、同じく交通の弁が悪い北海道と比べても、九州はさらに暑い。
レースがある日は小倉へ、そうでない日は宮崎トレセンへ───しかしこれを(中央重賞は土日のみだが)最大で6往復もするとなれば、これでは移動するだけで疲れるというものだ。特にトレーナーは疲労が取れない。
これに、「もっと近いところに宿泊施設とトレーニングできる場所があれば、小倉の重賞も走りやすくなるし、直前の調整もやりやすくなるのではないか?」という発想にKAUの新会長が至るのにそう時間が掛からなかった。
そして、新会長にとって
それが、先程から頻繁に話に出ている「中津トレセン学園」だった。
この地方トレセン学園がある大分県中津市は、すぐ北が福岡と県境を接している。
また、中津トレセン学園兼中津レース場は東中津駅と中津駅が最寄り駅であり、この内、中津駅から小倉駅まではJR日豊本線を使えば乗り換えなし。特急で40分ほど。普通電車であっても1時間半掛からずに移動できることだった。
これにより、中央のウマ娘たちは中津トレセンを使うことで小倉へ移動しやすくなる上に交通費も安く上がり、宿泊施設とレースのための練習場を借りる事ができ、中津トレセン側も、中央のウマ娘たちが中津レース場で公開練習を行なうことで、話題性や集客率の向上、出来れば入学者が増えてくれることに期待を寄せた。
その結果は、中津トレセンが抱えていた財政赤字をたった3年で黒字ギリギリにまで引き戻すことができ、入学者もそれまでの1.2倍に増えた、といえば聞こえはいいが、やはり施設の古さなどがネックになり、せっかく補填できた費用は、それらの改装や改築、ないしは建て直しに用いられることになったため、今の状態は
とはいえ、中津トレセンも中津レース場も、KAU新会長の計画のお陰で施設の一新にようやく乗り出すことができ、地域の活性化に繋がっていったわけだ*11。
一言だけ一応書いておくが、中津で実行した案は新会長の古巣である佐賀にも持ち込まれたため、今や中央のウマ娘たちにとって、夏の小倉への遠征での宿泊と練習には、宮崎の他、新たな選択肢として中津と佐賀が追加されたため、これらの施設は夏合宿において無くてはならないものに昇華していた。
さらに付け加えて言うと、KAUの発案により夏の小倉では中央重賞を土日のメインに、平日は佐賀、中津、宮崎などなど九州各地から集まったウマ娘たちによるオープン戦もいくつか増え、小倉記念と北九州記念の間の平日に「九州ウマ娘杯」といった
これにより中央と九州のウマ娘による交流戦も活発になり、夏の九州の各地方レース場や
故に現在進行形で、中津トレセン、佐賀トレセン、それに宮崎トレセンの宿泊施設の枠の争奪戦が勃発している(なお、荒尾トレセンは宿泊施設用の建物の改修が間に合っていない)。
逆に言えば、九州の各トレセン学園からすれば空前の売り手市場の到来であり、少しでも自分たちの知名度を上げるために中央トレセン学園から出来得る限り有名なチームを招致したい、という思惑も出てくる。
そして、そんな有名チームが公開練習または実際にレースに出走して人々を
それに魅せられた子供たちが将来、競技ウマ娘やトレーナーを目指して地方・中央問わずにやってくる。
それはすなわち。
「つまりはそういうことだ。KAUとURAが九州のレースを盛り上げるために組んでいるのは、小倉や中津を潰したくないこと以上に、日本におけるウマ娘の競技人口を増やしたい、という意図があるんだ」
「競技人口を増やすために私たちこんな所に送り込まれたっていうの?」
「海外を見てみろよ。東側諸国や元々裕福ではない国ではウマ娘レースが衰退してレース場が取り壊されたりしているし、イタリアなんてまぁマフィアとかが絡んでの違法賭博が酷くて八百長やそれによる競技レベルの低下まで起きていた。今のイタリア競馬を見たら恐らく
矢萩はなおも不満を漏らすスイープにそう言い、オロールクロアットを見やりつつ、このお祭りに隠された真の目的の推測についてそう述べた。
オロールクロアットは、矢萩のその推測が実に真実味を帯びていたため、言葉に詰まった。
「……トレーナーさん。僕らは一体どうすればいいんですか?」
クロススキッパーは、このあまりにも壮大な計画が隠れている状況で自分たちが何をすべきか分からなかった。
だが、矢萩の答えはあっさりしていた。
「そんなの単純明快だ。俺たちはその祭りに乗っかって全力で楽しむだけだ」
「祭りに乗って……」
「全力で……」
「……楽しむ、ですか?」
「そうだ。何のことはない。いつも通り全力でレースを走ればいいだけさ」
『間も無く、鹿屋旅館前、鹿屋旅館前』
「おっと、降りるぞ。みんな荷物を持て」
温泉宿というから山道を走るものだと持っていたが、そのまま平坦な道を循環バスが向かった先に「鹿屋旅館前」というバス停が置かれていた。
2チーム合計15人の大所帯で一斉にバス停に降り立てば、循環バスの中は一気に空っぽになった。
そこから数分、彼らが道なりに歩いていくと、
「あ。見えてきましたよ!」
クロススキッパーが示した先に、あった。
「鹿屋旅館」と描かれた看板と正面エントランスが*13。
ところが、それを見た一行は、
「え、マジ!?」
「何これ」
「人がいっぱい……?!」
マイクロバスが停車しているロータリーの正面エントランス前には、なんと、「鹿屋温泉旅館」の水色の法被や着物を着た恐らく従業員や仲居さんたちだろうか。10人前後の人々が今か今かと一行の到着を待ち侘びてるようだった。
そして、
「「「「「お待ちしておりました」」」」」
待ち構えていた従業員たちが一斉に歓迎してくれた。
「ダイイチルビー様……お久しぶりでございます。チーム[ライジェル]様、チーム[セントーリ]様のご到着、お待ちしておりました」
「ありがとうございます、支配人様」
さすがは令嬢。華麗にカーテシーによるお辞儀をし、歓迎してくれた支配人らしき中年男性と会話を交わす。
「え? お嬢、ここのお得意様だったりするん……?」
すごく間の抜けた質問が口からポロリと出るヘリオス。
それに対してサバサバとした態度でルビーは答えた。
「えぇ。正確には支配人様はお父様と個人的な親交のあるご友人でして」
「ご友人だなんて……とんでもない、私にとってご恩人です。……おぉ!」
ダイイチルビーに恐縮する中年の支配人だったが、そんな時クロススキッパーの姿を目にすると、そんなスキッパーに歩み寄り。
「羽黒飛鳥さん、お待ちしておりました」
「あ、あはは……おじさんが元気そうで良かったよ」
2人は握手を交わした。
支配人の手は年相応に表面はゴテゴテで痩せ細ってこそいたが、何処か力強さが残っていた。
「羽黒……飛鳥?」
「クロススキッパーの戸籍上の名前だよ」
今更だが、この世界のウマ娘たちは《出生時の作る戸籍に記された名前》と、後にウマソウルが覚醒した後に《舞い降りてきた名前》の2つを生涯自分の名前として用いる。……世の中には後者の「ウマソウル」が備わっていないウマ娘というのも少なくないため、大人になった時の生活に困らないように予め両親の苗字と名前で戸籍を作っておく習慣が日本やアジア圏では一般的となっている。
「羽黒……羽黒……どこかで聞いたような……?」
「うーん……?」
パーマーとヘリオスは聞き覚えのある名前に頭をフル回転させるが、何も出てこない。
……唯一ダイイチルビーだけは察したのだが、クロススキッパー自身にも事情があるだろうと考えて敢えて顔にも出さず口を噤む。
そんな時だ。
「「スキッパーちゃーん!!!!」」
「え? うわ……!?」
旅館からクロススキッパー目掛けて突進してきたのは、2人の幼い鹿毛のウマ娘。
片方のウマ娘の前髪には、白く薄く伸ばされたタイ米のようなメッシュが入っており、もう1人は素朴な顔立ちをしたロングヘアーのウマ娘。
なお、彼女たちの今の背丈は、マヤノトップガンや、射手園トレーナー、ダイイチルビーらとあまり大差がないように思えた。
「あっはっはっは、いらっしゃーい!!」
「待ってたよスキッパーさん!」
「こら、サム、エナ、よしなさい!」
クロススキッパーに飛び付いて押し倒した鹿毛のウマ娘2人だったが、支配人の男性は慌ててその後ろ襟を掴んでスキッパーから引き離した。見た目によらずこの人もパワーがあるな、と、衝撃を食らって思考停止気味の矢萩トレーナーはそんなことをボーッとした頭で考えていた。
「なはははは」
「あぁ、ホントに申し訳ない、うちの
「い、いえいえ、良いんです」
立ち上がったスキッパーは、支配人に引き離されたウマ娘たちがしっかり地面に足をつけたのを見ると2人の頭を撫で始めた。
「サムちゃん、エナちゃん、久しぶりだね、元気にしていた?」
「うん!
「遊んで遊んで!」
「コラコラ、サム、エナ。すみませんね、聞き分けのない子で……」
薩摩弁が強い幼い鹿毛のウマ娘は「サム」、遊んでとせがんでくるロングヘアのウマ娘は「エナ」という愛称で呼ばれているらしく、その2人は、どうやらこの旅館の看板娘っぽい感じだった。
だが、この2人とクロススキッパーとのふれ合いに、アローキャリーは違和感のようなものを感じた。
「うーん……?」
「キャリー、どうした?」
デュランダルにそう尋ねられて、ワンテンポ遅れてキャリーはこう答えた。
「え? いやその……やけにスキッパーちゃんが2人と親しい感じがするなぁって」
「そりゃこの旅館にスキッパーが泊まったことがあるからだろ」
「でもたった数日でここまで親しくなるかしら?」
「……確かに、言われてみれば」
キャリーにそう言われると、
なのでここはシンプルに、クロススキッパーを問い質した。
「スキッパー。その娘たちとはどんな知り合いなの?」
「え、あ、はい。幼馴染です」
「え? 幼馴染ってスペちゃんだったはずじゃ……?」
「……それはまだ自分が幼い頃のことです。小学校低学年ぐらいの頃はここに住んでいたんです」
「……」
今衝撃的なワードが出た気がする。
恐る恐る、矢萩は聞き返した。
「今なんて言った?」
「え?
…………………………。
……………………。
……………。
………。
「「「「「「「「えぇーっ!?」」」」」」」」
その驚愕の事実にチーム「ライジェル」の一行は驚きを隠せなかった。
非常に今更な話。
クロススキッパーは孤児院で育ったことは既に語ったと思う。
皐月賞バで、日本初のイギリスG1勝者であるクロスクロウの従姉妹であり、彼女とは同じ孤児院で育ったこと。
その後養子で引き取られたこと、スペシャルウィークと幼馴染だったこと。
クロスクロウのレースに脳を焼かれた経験があること。
そのクロスクロウとメイクデビュー時に僅差まで張り合ったフレアカルマの走り方に惚れたこと。
それぐらいしか矢萩も、チーム[ライジェル]のメンバーたちも知らなかった。
矢萩としては、過去を詮索したり、他人の事情に首を突っ込みすぎたりすることはタブーだと考えており、「いずれ話せる時までは深くは聞かないし、深くは考えない」ということにしている。
仮にもしも自分の担当がどこかのお嬢様だったとしても、その事情はあえて知らないほうがいいだろうし、その方が気楽だと考えていた。それが彼自身のチーム運営のスタンスであり、チーム[ライジェル]のメンバーたちの暗黙の了解でもあった。
だからだ。
「「……あーっ!思い出した!!」」
「な、何だよ2人とも……」
「トレーナー! ハグロだよ、ハグロ!」
「羽黒がどうしただって?」
その名前で矢萩に心当たりがあったのは重巡洋艦やその元になった山の名前ぐらいだ。
しかし、メジロパーマーにとっては強烈に既視感のある名前だったが、その正体がわかった。
「ちょ、兄貴ぃ!? ハグロ家って知らん!? パマちんの実家の分家さん!!」
「……あ」
「えっ!?」
「ええーっ!? スキッパーって、あのハグロ家の関係者なん!?」
「ちょ、アイル先輩にヤマト先輩まで」
「一体どうしたんですか?」
「デュラン、キャリー、ほんまに知らへんの!?」
「ハグロ家って言ったら、九州の豪族ですよ! しかも超大物政治家までいる!」
ハグロという名前を九州では聞かぬ者はいないとすら言われている。
しかも、アイルの言うように、ハグロ家は昨今の日本の政治や経済では比較的頻繁に話題が出てくる一家だという。
だが、いまいちその凄さがキャリーにもデュランにも理解が及ばない。
「というか、何でアイル先輩にヤマト先輩までハグロのことに詳しいんですか?」
「そりゃ、横浜トレセン学園の近代地方レース史の授業で頻繁に登場する名前そやし」
「それに厳密には、ハグロというよりも、黒松家だね。超大物政治家ってのは」
「「黒松……あっ!」」
「黒松家」。また別の家の名前がアイルの口から出たが、そこまで来るとさすがにデュランとキャリーも理解した。
如何にその「ハグロ家」とやらが凄まじい財閥なのかを。
まさか、クロススキッパーがその「ハグロ家」の養子だったなど、誰も考えもしなかったのだが。
「いやぁ……豪族とは言っても、九州から一歩外に出たらローカルチェーン店みたいなものですよ」
クロススキッパー本人は少し照れくさそうにそう言っただけだった。
さて、いよいよ鹿屋に入りました。
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