また君と、今度はずっと 〜If you can Cross to tomorrow〜 作:Simca Ⅴ
2002年8月25日。
晴れて日差しの強い福岡の小倉競馬場。
時刻は12時35分。あと20分程でこの日の第6R、2歳新馬戦が間も無く始まろうとしている。
……その模様は、CSデジタル放送のグリーンチャンネルで放映されていた。
『小倉競馬場第6R、2歳新馬戦の時間がいよいよ迫っています。パドックでは来年のクラシックに挑まんとする若駒たちが今か今かと出走の時を待っているようです。解説の佐藤さん』
『はい』
『佐藤さんが注目しているのは?』
『うーん……そうですねぇ。フェスティブスカイ、と言いたいところなんですが、どうしても気になってしまう馬が一頭いましてね。1枠1番、クロススキッパーです』
『あぁ、クロスクロウの初産駒ですね』
『気にはなるんです。この馬の父は朝日杯と皐月賞、ジャパンカップも勝ち、イギリスから初めてキングジョージ6世&クイーンエリザベス・ダイヤモンドステークスの栄冠を持ち帰ってきた実力がありましたから。しかし、初産駒がそのまま勝てるとは必ずしも言えません。馬体重も425kgとやや小ぶりなのも気になります』
『そうですねぇ……他の出走馬たちが少なくとも460kgの大台を超えていますからね』
『しかも競走馬としては珍しい10月生まれ。遅生まれにさらに輪を掛けたような時期に生まれた点も不安要素ではありますね……』
『佐藤さんと同じ懸念を観客も抱いてるみたいですね、本日の第6R、9枠16番のジェムキャスケードが出走取り消し、15頭で競うことになりますが、クロススキッパーは現在12番人気』
その競馬中継を自宅のマンションで見ていた美鶴は、思わず持っていた鉛筆を折ってしまう。
(こんの解説……!言いたい放題!事実だけど!!だけど余計にムカつく!)
今、美鶴は夏休みの宿題の追い込み真っ最中。それもいよいよ終わりが見えてきたので、忘れもしない自分の愛馬の晴れ姿をテレビ越しにでも応援しようとリビングに備え付けられたテレビを点けてみたら、自分の愛馬が解説にボロクソに言われていたという有様だった。
ちなみに、美鶴は今年高校生になり、それに伴って母と一緒に東京で暮らし始めた。
ここは元々父・雄馬が東京に持っていた物件の一つだったが、今では美鶴の通ってる某有名私立女子校に近かった上に、物件を雄馬が生前に契約して購入し、それが遺言書で娘の美鶴、もしくはその母である梓に譲ることが明記されていた。
お陰で、都心にも関わらず管理費用の三万円と月々の光熱費諸々を払う程度に家計が抑えられ、私立高校に通う分学費も高くなるため非常に重宝されていた。
立地も駅まで歩いて10分以内なので交通の便も悪くない。
そして、肝心の美鶴の母・梓は今、自分の代わりに小倉競馬場の馬主席に秘書の大川と共に行ってるはずだ。
故に、今日一日、この家は美鶴の王国となるわけであり、夏休みの日中に彼女が競馬中継を見るのを止める人間はいない。
共犯者はいるが。
「ねぇ、美鶴のお馬さんってあの白い立髪の?」
「そう……うん、あれがクロススキッパー」
「へぇ……周りのお馬さんに比べると小さいなぁ……」
高校生になった美鶴にも友達が出来ていた。
名前は中嶋春菜という。
春菜の言う通り、クロススキッパーは周りの新馬たちに比べても小振りだったのは否めなかった。
しかし、そんなに小さい体であっても、クロススキッパーがここまで来るのに苦労していたことを当然馬主である美鶴はよく知っていた。
思えば、あれからまだ一年も経っていないことを今更ながら美鶴は思った。
『小倉レース場第6R新馬戦、今、スタートしました───』
───遡ること、10ヶ月前。
「……それ本気ですか?」
場所は滋賀県の栗東トレーニングセンター。
その内の厩舎の一つに、美鶴は母の梓と、父の生前の社長秘書だった大川を伴って駆け込み同然で訪れていた。
「うーん……他ならない君の頼みだからこそ引き受けたくはあるんだが……」
「お願いします!他に頼れそうな人がいません……!」
美鶴は必死で目の前の職人然とした調教師の男性に頭を下げていた。
男の名を、
この人こそ他ならぬ、現役時代のクロスクロウとスペシャルウィークの調教師だった人物だ。
生前の宮崎雄馬───美鶴の父と臼井の間には少なからぬ確執があったことは否めない、が、雄馬と共にクロスクロウのレースを間近で共に見てきた人物でもある。
それに、美鶴としては知っている調教師というと臼井しか思いつかず、故に頼れるのもこの人しかいないと思っていた。
臼井も当然、美鶴の一家に降りかかった悲劇を知っている。たった数週間前の雄馬の葬儀でもお焼香を上げに行った。
しかし、それでも臼井にとっては無茶振りもいいとこだった。
「美鶴の嬢ちゃん、その頼ってくれる気持ちはありがたい。でも、よく考えて欲しい。ホッパー……今では「クロススキッパー」か」
一息ついてから、捲し立てるかのように言った。
「日高の牧場でもあの馬の様子を度々見させて貰っていたから余計に分かる。確かに素質には光るものが見えるし、馴致や調教にも素直だ。父馬の才能を仮に半分でも引き継いでいるなら、いずれはG1を獲ることも夢ではない。それは調教師として断言してもいい」
そこにはある種の希望が混じっていたことは否めない。それ故、これから現実を直視させ落としにかからねばならない。
「でも、クロススキッパーを本当に競走馬にするとしても、これからあと半年で新馬戦に行かせるなんてのは無茶振りだ。ましてや、クラシックに出走させるには時間がなさすぎる。あの馬は遅生まれに、さらに輪を掛けた生まれの遅さだ。他の馬に比べて数ヶ月も遅れを取っていてその分、時間をかけられる調教もできなくなる。そんな状態で出走させるわけにはいかん」
それはプロの調教師としてのプライドと決断だった。
どんなに光るものが見えていても、調教の仕方や走らせるレースなどを誤ればそれを潰してしまいかねない。
ましてや、競走馬というのはレーシングマシンではない、生き物なのだ。キットカーのようにはいかない。
「でも、皐月賞を……」
「確かにクロスクロウは皐月賞を勝っていた。でも、だからといってクラシック三冠をクロススキッパーに走らせたいのはただ単なる君のエゴではないか?」
「……!」
そう言われると黙る他なかった。
事実、美鶴が臼井にレースローテの草案として持ってきたものには、クロスクロウが現役時代に走ったレースが散見された。
特に、クラシック期の皐月賞と日本ダービー、それに、諸事情によりクロスクロウが結局出走できなかった菊花賞。それらが予定に組み込まれていた。
出来れば、クロススキッパーに皐月賞親子連覇を夢見たい。あわよくば、日本ダービーと菊花賞を勝たせて三冠を。
そんな淡い夢をついつい美鶴は抱いてしまった。
「南半球ならともかく……日本でクロススキッパーをクラシック期に出すのは無茶すぎる」
それが臼井の結論だった。
そんな時だ。
「……Acest lucru ar putea funcționa.」
日本語ではない、ましてや英語でもフランス語でもない奇妙な言語で喋る男性が、美鶴のレースローテを見てそう呟いた。
「ディミトリ?今何て言った?」
臼井がその男をディミトリと呼んだ。
するとディミトリ、
「Acest lucru ar putea funcționa.」
先ほどと同じ言葉を繰り返した。
「えっと……彼はこう言ってます。「出来なくはないだろう」って」
側にいた通訳の男性がディミトリという男の言葉を大雑把に訳した。
「何を言ってるんだ?無茶だ」
それを通訳の男性が翻訳してディミトリに言うと、
「Ce zici de restrângerea curselor în care este înscris calul? Doamna de acolo nu vrea ca acest cal să apară în toate cursele clasice, nu-i așa?」
そう返事が帰ってきた。
「えっと……ディミトリはこう言ってますね、「出走させるレースを絞ればどうでしょうか?」って。続けて、「そこのお嬢さんの真の望みがクラシック三冠制覇でないのなら、の話ですが?」と」
そこまで訳し終わると、当事者たちの視線が美鶴に全部向いた。
「……臼井さん。せめて、皐月賞には出せませんか? 日本ダービーや菊花賞は流石に夢を見過ぎちゃいました」
「……つまり、ハナからクラシック三冠は諦めるをつもりで?」
「……そうします」
美鶴も冷静になって考え直すと、それがクロススキッパーにとってはベストかもしれない、と思い至った。
そこまで言われると臼井は根負けしたように溜め息を吐いて、
「……いいでしょう、やってみます。せめて皐月賞は走れる馬にしましょう」
「え?臼井さん、クロススキッパーを競走馬にするべきではないって言ってたのに……」
「クラシック期は出せないかもしれないと言っただけだ。クロススキッパーを競走馬として走らせること自体には反対してない。その代わり、その道のりは過酷なものになる。馬も君も覚悟をしてほしい」
「……はい」
こうして、クロススキッパーの臼井厩舎入りが決まった。
だが。
「ヒヒィーン!!」
いざ旅立とうとしたら、クロススキッパーは牧場から出るのをとても嫌がった。
なお、周りの馬たちはその光景にどこか呆れ顔だったのは気のせいでないだろう。
「どうしよう」
その様子に厩務員の一人が呟いた時だ。
「おーい、スペシャルウィークを馬房に入れるの誰か手伝って……っておい、スペシャルぅ!?」
スペシャルウィークの引き綱を握っていた厩務員が応援を頼んだ矢先、その厩務員を振り切って、スペシャルウィークが駆け寄ってきた。
「ヒヒンッ!ブルッ、ヒンッ!」
スペシャルウィークの姿を見たクロススキッパー、まるで「叔父さん助けて」と言わんばかりの懇願だった。しかし、スペシャルウィーク。
「ブルルルッ……ブモッ」
「ヒィン?」
「ブモブモ」
……何と言ってるんだろうか。
残念ながら馬の言葉はルーマニア語みたいに翻訳はできない。
しかし、
「……ヒィン!」
先ほどまで馬房から出るのを心底嫌がって暴れていたクロススキッパーだったが、スペシャルウィークに何を言われたのか、急に大人しくなる。それどころか引き綱を持とうとした厩務員を振り切って、扉の開いたままの馬房からそのまま馬運車に飛び乗ってしまった。
「ヒヒィーン!」
まるで「早く行こうよ!」と言わんばかりの変わり身の速さ。
そして、クロススキッパーは生まれ育った牧場を旅立つことになった。
そんな彼が乗った馬運車の後ろ姿を、馬房に入ったスペシャルウィークは見送るように嘶いた。
「ありがとうな、スペシャル」
あの時、スペシャルウィークがクロススキッパーに何と言って説得したのかは馬同士しか知り得ない。それでも牧場長はスペシャルウィークがあの場にいたお陰でクロススキッパーが旅立つことに乗り気になってくれたことに感謝しつつ、強請られたニンジンをスペの口に運んでやった───。
『───間も無く第3コーナーに入りますが、おっとクロススキッパー、大外から捲って上がってくる!?』
「おぉ」
それから約10ヶ月後の今日に至る。
小倉レース場からの中継を見ていた美鶴は思わず感嘆の声を漏らす。
レース運びとして、クロススキッパーは追い込みを選択したらしく、最初飛び出した時は三番手ぐらいだったのに、第1コーナーに差し掛かった辺りで一気に後ろから五番手ぐらいまで後退していた。
ところがレースが終盤に差し掛かるとクロススキッパーはいきなり大外に膨れたかと思えば、そのまま急加速を始める。
あっという間に10頭をごぼう抜きして見せ、そのまま先頭で1200mを駆け抜けた。
『強い強い!クロススキッパー、今1着でゴールイン!小倉競馬場第6R新馬戦、勝ったのはクロススキッパー!クロスクロウ産駒初勝利を飾った!!』
「よっしゃぁぁぁぁっ!!!」
美鶴も思わず立ち上がってガッツポーズ。
なお横から見ていた友人、ドン引きである。
だが、クロススキッパーにとっても、美鶴にとっても、これはただ単なる始まりに過ぎなかった。
同じ頃。北海道の某牧場でもその新馬戦の様子をテレビの前で見ている者たちがいた。
『クロススキッパー、今1着でゴールイン!小倉競馬場第6R新馬戦、勝ったのはクロススキッパー!クロスクロウ産駒初勝利を飾った!!』
「クロスクロウ初産駒初勝利、か……。我々も負けてられませんね」
「そうだな。だが、青嵐のデビューは早くても来年か……」
「実現したら兄妹対決。きっと盛り上がること請け合いです」
部屋で二人の男性がそんなことを話している。なお、部屋の窓の外では、鹿毛の牡馬と併せ馬をしている青鹿毛の牝馬が牧場を駆けていた。
臼井厩舎にいた外人の厩務員には、特に元ネタはありません。
ただし、たまたまルーマニアを調べていたら、「ウルサリ」という遊牧民族がいたので使ってみたくなった。
1990年代から2000年代というのは、東西冷戦の終結や、それに伴うソ連崩壊、東欧では共産主義国家が次々に崩壊して、さらにはユーゴスラビア紛争まで勃発、トドメと言わんばかりにアルカイダによるアメリカ同時多発テロの発生など、日本は平和でもヨーロッパや欧米はかなり揺れていた時代でした。
もしかすると、今回出てきたウルサリ系ルーマニア人もそうして日本にやってきたのかも……?
クロススキッパーのヒミツ①
実は、ルーマニア語が喋れる
今作に望むものは?
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コメディ!
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シリアス……!
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スポ根!
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哀愁……
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ハッピーエンド!
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曇らせ、鬱展開……
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