また君と、今度はずっと 〜If you can Cross to tomorrow〜   作:Simca Ⅴ

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物語をどう紡ぐべきか悩み、馬視点をどうやって描くか悩みに悩んだ挙句、今回からは描き方を変えてみることにしました。


#04『英雄譚①』

 北海道日高地方の某所。

 日高は日本におけるサラブレッドの一大産地として知られており、牧場やのどかな田園風景が広がっている。

 それらの牧場の一つで、その一角で離乳した当歳馬〜1歳馬による数頭の群れが牧場内を歩いたり、草を食んだりしていた。

 そのリーダーらしき馬は、栗毛で、立髪と尻尾の毛先以外が真っ白。いわゆる尾花栗毛と呼ばれる体色である。なお馬齢は10歳だ*1*2

 当歳馬*3や馴致を行なう前の1歳馬たちは、人で置き換えて言うなれば幼稚園児や小学生の集団のようなものだ。

 で。そのリーダーはジャイアンみたいなガキ大将……ではなく、現役を引退した牝馬が充てがわれることが多い。例は少ないが、稀に騸馬がこのリードホースの役目を果たすこともある。

 

 しかし。この尾花栗毛のリードホースは牝馬でもなく、かといって騸馬でもない。

 立派なイチモツをぶら下げたオス。牡馬である。

 

 牡馬が去勢されていない状態でリードホースをしている例というのはとても稀である。

 何故なら、去勢されていない牡馬というのは、個体によっては若い牝馬を見ただけで馬っ気を出してしまうこともある上に、体が大きく力も強くて、ここでさらに気が荒いと、若馬と喧嘩になった時が恐ろしいことになる。

 

 だが。この尾花栗毛の牡馬については、数少ない例外と言える存在かもしれない。

 10歳になり、騸馬でもなく、それどころか種牡馬として今も現役。

 にも関わらず。

 

 例えばやんちゃな幼駒が尻尾を引っ張っても、軽く嘶く程度。

 嘶きを聞いた幼駒は申し訳なさそうに離れる。

 ……これは、普通ならば穏便には済まない。尻尾を引っ張られて驚くと、どんな馬でも、もっと驚いた反応をするか、もしくは尻尾を引っ張った相手に蹴りを入れてしまうところだ。

 

 他にもこの尾花栗毛の馬には、馬にしては賢すぎると思えるような奇妙な行動が付き纏う。

 例えば、地面に生えた牧草を食む姿も、まるで幼駒たちに「こうやって食べるように」と見せるように食べていて、しかも、幼駒たちもそのほとんどがこの栗毛の牡馬に注目している。

 まるで学校の先生と生徒たちのように見える。

 

 たまには盛って調子に乗った若い牡馬がこの尾花栗毛の馬にちょっかいをかけたりもするが、それを栗毛の馬は軽くスルーした上で、「わからせる」。

 

 故にこのリードホースに逆らう馬はいない。

 

 ここまでであれば、単に「賢い馬」というだけで済む話かもしれない。

 

 しかし、さらに奇妙なことは、リードホースとしての仕事が終わって一息ついた時の行動である。

 

 夕方の時間帯になると、この尾花栗毛の牡馬が向かうのは、なんと、牧場の待合室だ。

 

 その部屋には、数々のトロフィーや、それらを獲得したであろう馬とその馬主たちの姿が写った写真が多数飾られていた。

 

 その一角には、銀色に輝くフランスの凱旋門を模したトロフィーもあった。

 

 しかし、この尾花栗毛の牡馬が目詰める先にあるのは、「第63回皐月賞優勝」という銘板が付いた、大きな盃を象った皐月賞のトロフィー。

 夕日に照らされて燦然と輝いて見えるそのトロフィーの横には、馬主である女性二人や関係者、騎手、調教師らが尾花栗毛の馬と一緒にトロフィーと共に写った写真が飾られている。

 

 それを窓の外から、尾花栗毛の馬が眺めているのである。

 

「ホッパーくーん?」

 

 尾花栗毛の馬は女性の厩務員からそう呼ばれて、声のする方向に頭を向ける。

 

「おー、よしよし。ごめんね、もう時間だよ」

 

 女性の厩務員にそう撫でながら言われた尾花栗毛の馬は、「そんなバカな」と言いたげに嘶いて、部屋の中の時計に目をやった。

 

 時間は、午後5時に差し掛かろうとしていた。

 

「ホッパーくん、ホント皐月賞のトロフィー好きだよねー。毎日1時間ぐらいは眺めてない?」

 

 恥ずかしそうに嘶いて俯く、「ホッパー」と呼ばれている尾花栗毛の牡馬。

 厩務員に促されて大人しく自分の馬房へ歩いて帰ってきた。

 

 しかし、自分の馬房に入ってみようとすると、

 

「ヒヒン……」

 

 まるで溜め息を吐いていそうな嘶きを漏らす。その原因は、

 

『……坊や。おい、坊や?』

 

 尾花栗毛の馬は鼻先で優しく「坊や」を揺する。

 彼の馬房らしき部屋には寝藁が敷かれているのだが、その上に疲れて眠ってしまったであろう青鹿毛の子馬が横になっていた。

 

『こら、起きなさい』

 

 しかし、ここは彼のベッドでもある。彼が揺すって起こそうとしていた「坊や」は、もはや幼駒とはいえずもう1歳になる。

 体重は300kg前後に達するため、やはり大きい方だ。

 こんなところで横になられてしまうと彼の寝る場所がない。

 だが、揺すっても揺すっても、ダメだ、起きない。

 ……仕方がない。

 

『起きろーっ!!!!』

『うわーっ!!!』

 

 中年に片足を突っ込みかけてるとは思えない大声で嘶いた結果、やっと目の前の1歳馬は飛び上がるように起き上がったのだが、その結果、周りの馬房の馬たちまで驚かせてしまったらしい。

 周りの馬たちは「なんだ?なんだ?」と言いたげに自分たちの馬房から頭を出して周りをキョロキョロと見回している。

 

 だが、その音の発信源が尾花栗毛のリードホースの馬房からだと知るや否や、こちらも「あぁ、またか」と言わんばかりに状況を理解した馬たちはそのほとんどがすごすごと頭を自分の馬房に引っ込めた。

 

『お、お父ちゃん……!』

『全く……疲れてるのはわかるが、せめて自分の部屋で寝なさいな』

 

 ごもっともである。

 1歳馬の馬房は、尾花栗毛の牡馬のすぐ目の前に空いてる馬房だった。

 なお、その尾花栗毛の牡馬の嘶きを聞いて、牧場の職員たちも慌てて様子を見にきた。

 

「ホッパーくん、いったいどうしたの……って、あぁ……」

 

 いち早くやってきた女性厩務員は嘶きがホッパーのものだとよくわかっていたので、すぐにホッパーの馬房を覗きに来た。

 そして、様子を見にきたら、ホッパーの馬房に1歳馬が潜り込んでいた、というわけである。

 

 この1歳馬には既に馬名が付いている。

 その名を「ハグロミッシーレ」。

 2010年生まれ。

 当然、実父はホッパーだ。

 

 ちなみに「ミッシーレ」とは、イタリア語で「ミサイル」という意味だが、これはイタリア空軍にかつて配備されていたF-104戦闘機の別名でもある。

 来年にはジュニア期、再来年にはクラシックデビューを控えているサラブレッドの一頭であるのだが……。

 

『やだ……お父ちゃんと一緒にいたい……!』

 

 職員がハグロミッシーレをホッパーの馬房から出そうとすると、嫌がって、父であるホッパーから離れたがらない。

 

「どうしたの、メッシ? いつもは言うことを聞いてくれるのに……」

 

 某サッカー選手と同じ名前なのは単に女性厩務員がこの1歳馬に付けたあだ名。

 ただし、この子のオーナーの冠名「ハグロ」に対して「メッシ」の組み合わせだと語感が悪い、と判断したオーナーが、「ハグロメッシ」ではなく「ハグロミッシーレ」と名付けたという。

 

 しかし、命名の経緯はどうあれ、それよりもホッパーとしての疑問は、この子はどうして自分から離れようとしないのか?である。

 女性厩務員が溜め息を吐いていたように、息子のハグロミッシーレは、普段は厩務員たちの言うことをちゃんと聞くだいぶ素直な馬だ。

 ところが今日はこれだ。

 どうしたことか……。

 このままでは自分が寝れないので、嫌がるハグロミッシーレを前から厩務員が引っ張り、後ろからホッパーが押す形になり、5mもない通路を横切るような感じでホッパーの目の前にある馬房にハグロミッシーレを押し込んだ。

 

 嫌がって馬房を出て行こうとしても、今度は職員が馬房に南京錠を掛けたため、簡単には開けられない。

 

「全く……早くこれを標準化してほしいもんですよね……」

 

 女性厩務員に続いてやって来た若い職員が、そんなことを漏らしたら、

 

「ブフンッ」

「わっ!?」

 

 後ろから不意に引っ張られて若い厩務員は驚いた。

 

「あーぁ。ホッパーくんが怒ったよ? 田所くん、謝りなさい」

「その……ごめん、つい疲れていたから……」

「フンッ」

 

 田所。若い厩務員の苗字である。

 彼の失言にホッパーは気を悪くしたらしい。

 だが、ホッパーの面倒をよく見ている先輩である女性厩務員が田所に謝らせると、もう気にしてない素振りでホッパーは自分の馬房に戻り、漸くスペースの空いた寝藁に我が身を預けた。

 

 馬に悪口を言ったとしても、大抵の馬は聞き流してるか理解していないかのどちらか。

 故に厩務員が馬に対して謝るなど普通は無いことなのだが……幸か不幸か、ホッパーも、そして今馬房に押し込んだハグロミッシーレも、人の言葉を理解できるだけの賢さを持っている。

 ちなみに、彼らの賢さは人間が言ってる言葉を理解できる以外にも色々あるのだが、ここでは割愛させていただく。

 ハグロミッシーレの馬房のドア、下扉は木製で南京錠で閉めたが、上扉は塗りラッチで止めているだけの簡素なもの。

 下扉を閉めたので、上扉も閉めようとした厩務員たちだったが、それに気づいたホッパーが短く嘶いた。

 

「……待て、ってこと?」

 

 人間が馬に真意を尋ねる?

 普通ならあり得ない光景だろう。田所も「そんな問い掛けを馬が理解できるのか?」と半信半疑だった。

 しかし、ホッパーは首……いや、正確には頭を縦に振った。それも2回。

 

「……うん、わかった。じゃぁ、夜になったらまた閉めに来るからね。田所くん、行こう」

「は、はい……」

 

 言われるがまま、田所は先輩の女性厩務員について行った。

 

 馬房を出てから、田所は女性厩務員に尋ねた。

 

「あの、先輩、今のって……?」

「……今のは内緒にしておいてね?」

「は、はぁ……」

 

 女性厩務員は口に人差し指を当てて、田所に今見たことを口止めさせた。

 とはいえ田所自身は、「こんなこと、言ったところで誰も信じちゃくれないよな」と一人で納得してしまった。

 

 厩務員たちも去り、自分の寝床も確保した。

 しかし、ホッパーにとって真の意味で本番はここからだった。

 

『……さて、メッシ。一体どうして俺の馬房に潜り込んできたんだ?』

 

 そう問い掛けたホッパーの目線の先では、自分の馬房に戻されて不貞腐れて寝たふりをしているハグロミッシーレの黒い馬体があった。

 その隣の馬房には同じくハグロミッシーレを心配してか、顔を出して頭をキョロキョロさせてる同じく1歳になる牝馬もいた。

 

『メッシ、どうしたの?』

 

 牝馬が優しく問いかけるのだが、

 

『……別に……』

 

 メッシは不貞腐れたかのようにそう答える。

 だが、ホッパーは早くも核心を突くことにした。

 

『出る時にあんなに嫌がったのも初めてだっただろう?』

『……』

 

 ハグロミッシーレ───「メッシ」という幼名で呼ばれているこの馬は、幼い頃から父であるホッパーに懐いており、その姿はまるで人間の親子のようにも見える。

 授乳が終わって母馬から引き離されたのだが、その母馬はこの牧場のふれあい用兼繁殖牝馬として養育されていることもあり、オーナーの意向で父親であるホッパーの近くに置かれている。

 より幼い頃には馬房に潜り込んでいることも珍しくなく、いつもは渋々ではあるが大人しく自分の馬房に戻っていくメッシだが、今日は様子が違った。

 その原因について、ホッパーは心当たりがあった。

 

『……わかったぞ。再来週にはここを出て行かなきゃならない、それでゴネてたんだな?』

 

 そう問われるとメッシは観念したかのように呟く。

 

『……さすがお父ちゃん、お見通しだね……』

『えぇ……ちょっと。メッシ。それはないんじゃない?』

 

 メッシの隣の馬房にいた牝馬は呆れた顔をしていた。

 

『だって……ミラー姉さんは平気かもしれないけどさぁ……』

 

 メッシの馬房の隣には同じ1歳馬だが、二ヶ月ほど歳上の「姉」がいる。

 愛称は「ミラー」。

 そして馬名は「ハグロミラージュ」という。

 

『そりゃ、ね……生まれてすぐに私はお母さんからも離されたからね。慣れちゃったかも』

 

 再来週にはメッシと同じくここを出なければならないハグロミラージュ───「ミラー」の態度はかなりドライだった。

 姉の助け舟は期待できないと思ったメッシは父ホッパーに縋るかのように問う。

 

『……僕、来週にはここを出ていかないといけないんだよね……?』

『それが競走馬として活躍する者の定めというものだよ。人間は、私たちが走るレースに情熱を傾けて熱狂して応援してくれる。そして私たちは、並み居るライバルたちを出し抜いて1着を獲り、ウィナーズサークルに立つ。あの興奮は今でも忘れられんよ』

『でも……お父ちゃんやお母ちゃんと離れ離れになるなんてヤダ』

『……』

 

 メッシがそんなことを言ったのを見ていて、ホッパーは思わず天を仰いだ。

 『どうしたの?お父さん?』とミラーが問いかけてくると、ホッパーは、あることを思い出していた。

 

『……ちょうどいい。なぁ、メッシ。ミラー。俺の現役時代のことは聞いているな?』

 

 それを聞かれてメッシは頭を上げて目を輝かせながら、

 

『うん!何度も!』

『耳にタコが出来るぐらい聞いてた』

 

 と、2頭は自信たっぷりに答えた。

 

『そうだったな。だが、今まで大事なことを話してなかったことを今になって思い出したんでな』

『大事なこと?皐月賞やミラノで勝ったことや、マイルチャンピオンシップで連覇を達成したことよりも?』

『そうだ。二つ。どうしても話しておかなきゃならないことがある』

『本当に?どんな話?』

『そうだなぁ……』

 

 馬耳をピコピコと動かしながら、ホッパーはどう切り出すべきか悩んだ。

 ミラーもメッシも、そんな父が語る、いや、まだ話してくれたことのない「お伽噺」を楽しみにして目を輝かせていた。

 

『……よし、こうしよう。まず、俺のお父さん、つまり、君らのおじいちゃんの話をしよう。そして、俺がデビュー戦に行くまでの話を。これから君たちがここを旅立つまで毎晩語ってあげよう』

『『やったーっ!』』

『シーッ。静かに』

 

 興奮する姉弟に、周りの迷惑にならないよう静かにするよう促しつつ、ホッパーは咳払いをしてから、沸々と語り始める───。

 


 

 ─── 1999年7月24日。イギリス。アスコット競馬場。

 

 今日の大一番たる大レースの出走時刻が迫っていた。

 

 この日、このレースのために調教を積んできた騎手たちとその愛馬たち。

 

 その中に、まだ騎手人生が始まったばっかりの若者がいた。

 

 その男の名は、「生沿健司」。

 

 このレースに出走する9人の騎手の内の一人であり、この中では間違いなく最年少である。

 この青年、実に驚くべきことに去年19歳にして31勝してG1での騎乗権を得ただけでなく、最年少で日本のG1、ジャパンカップを制してしまった。

 そして、つい昨日が彼の誕生日であり、今日のレースが彼にとって成人後、初のレースでもあった。

 

 控え室で今では着慣れた勝負服に袖を通すと、

 

「……よしっ、やってやるぞ……!」

 

 自身を奮起させ、今日の大一番を制するべく気合いを入れた。

 

 目指すは、かつて日本馬たちが挑戦するも悉く頂点を逃してきたヨーロッパのG1の一角、 キングジョージ6世&クイーンエリザベス・ダイヤモンドステークス。

 

 それに挑むは自分と、共にジャパンカップを制覇した愛馬、その名を『クロスクロウ』。

 

 検量室で愛馬と合流を果たすと、

 

『……生沿、覚悟はいいな?』

「あぁ、もちろんさ。お前こそどうなんだ?」

『……当然できてるさ』

 

 嘶く愛馬にそう答える。

 ここが外国故か、それに対して驚いたような顔をする者はいない。

 

「?」

『どした?』

「……いや、なんでもない」

 

 馬の嘶きに対して、人間にするのと同じような返事をする騎手というのはそう多くない。

 それが、ここではほとんど誰も気に留めていない。

 日本で自分がこういうアクションをすると、周りの人たちによく驚かれたものだが、幸か不幸かここに連れてきた日本人のスタッフ以外、母国語は大抵が英語、もしくはフランス語だ。つまり、生沿がクロスクロウからの問い掛けに、まるで人と話すかのように反応する姿を見ても、何を言ってるのかはわからない、というわけだ。

 

 ……一人を除いて。

 

「生沿クン?」

「あ、はい、なんでしょう?」

 

 フランス人ジョッキーであるオリヴィエ・ペリーオは怪訝そうな顔をして生沿に尋ねた。

 今日のレースでペリーオはフルーツオブラブ(FruitsOfLove)という馬に騎乗するのだが、彼は生沿の先輩である(たく)勇鷹(ゆたか)とも親しく、それは勇鷹がアメリカ・ジョッキー・クラブ・カップ(略して「AJCC」ともいう)の際に海外遠征中で騎乗できなかった時、彼のお手馬であるスペシャルウィークの代理騎手を任せられるほどに信頼関係がある。

 

 それ故にペリーオは日本語にも明るいので、生沿がクロスクロウと会話しているようなやり取りを聞いてて思わず尋ねてしまったというわけだ。

 

「君……もしかして自分の馬に話しかけているのかい?」

「? そうっすけど、何か?」

「いや、その……あまりにも馬と人という感じではなく、人同士の会話っぽく思えたから、つい気になってしまって」

「あぁ、大丈夫です。僕らにとってはいつも通りっスから」

「あぁ、いや、タッケさんに聞いた通りだったから、ちょっと驚いただけさ。……さぁ行こうか」

「ブルルッ」

 

 そう言いながらペリーオはフルーツオブラブに跨り、そのまま厩務員に引かれてパドックへと歩み始める。

 

「więc pójdziemy?」

「ブルルルッ?フンッ?」

 

 同じく生沿がクロスクロウに跨ると、クロスクロウを引くのはハンチング帽を被ってるアスコット競技場の職員。

 クロスクロウは職員が何を言ってるのか理解していない感じだった。

 ……ある意味では当然かもしれない。彼が喋った言語は英語ではないからだ。

 そこで職員はハッとして、

 

「……sorry.Let’s Go?」

「ブルッ、ヒヒンッ」

 

 ようやくクロスクロウは職員が言ってたことを理解したらしく、大人しく引かれていく。

 

「〜♪」

 

 慣れない土地、慣れない競馬場、日本からの飛び入り参加も同然の白い馬体をした馬に観客の注目がいく。

 生沿は自らの緊張を解すため、何より慣れない観客からの視線を気にしていそうな様子のクロスクロウのために、パドックの周回中は口笛を吹いていた。

 

 流石に白い馬体が目立つとはいえ、このレースでは同じように白い馬体をした葦毛の馬が他に2頭いる。

 

 例えば、その内の一頭はまだ黒っぽい斑点が残ってる様子のデイラミ(Daylami)という牡馬。

 

 もう一頭はより白毛に近くなってるシルヴァーペイトリアーク(SilverPatriarch)。こちらも牡馬である。

 

 パドックが終わり、ゲート入りまで目前に迫った時のことだ。

 

『Hi Japanese. Did you come all the way to see me win?』

『?』

 

 デイラミが突然話しかけてきた。

 だが、クロスクロウには「おい、日本人」と声をかけられた以外は理解出来てなかった。

 

 なお、クロスクロウへの挑発を理解していた別の馬がキレ気味に介入した。

 

『Hmm! Who said you would lose?』

 

 デイラミに食ってかかったのは、もう一頭の葦毛馬であるシルヴァーペイトリアーク(長いので以下「シルバー」)である。

 

 実はこの二頭。

 両者前走のコロネーションカップでちょっとした因縁があったりする。

 

 去年のコロネーションカップでの優勝はシルバーだったが、今年の同レースは連覇をデイラミに阻まれたばかりだった。

 

 デイラミは日本からの訪問者に軽い挨拶を、という気持ちだったのだが、それがシルバーにとっては「お前なんて眼中にない」とでも言われてるような気がして、気に障ったらしい。

 

『Ah!? Even though I finished 4th in the previous race!』

『I won't lose this time, you b○stard!』

『 [検閲済]! [放送禁止用語]! [自主規制音]!』

『[ズキュン]! [バキュン]! [ズドンッ]!』

『△△△△!××××!』

『F○ck!!』

 

 日本語しか解さないクロスクロウには半分以上聞き取れなかったが、理解出来なくて幸いだったかもしれない。事実上、会話の中身は罵詈雑言と放送禁止用語の応酬という有様だった*4

 ここでクロスクロウが2頭の喧嘩を止めようとして声を掛けた。

 

『あ、あの!』

『『Ah!?』』

 

La victoire est à moi!

 

 ……。

 その一言に場の空気が凍った。

 クロスクロウとしては「今日はいい勝負をしましょう」と、両者を宥めるために声をかけたつもりだったのだが。

 

『……あれ?』

『……Hey, did you hear that? Daylami.』

『Yes,Silver. ……We'll make this kid cry!!』

 

 心なしか、二頭は怒った様子で去っていき、程なくゲートに収まった。

 

『……あれ?俺、やっちまった?』

 

 クロスクロウ、やらかしに気付いたが、手遅れっぽい。

 鞍上からは生沿の溜め息が漏れた。

 

 間も無くクロスクロウもゲート入りした。

 枠順は9番。

 今回のKGⅥ&QEダイヤモンドステークスは9頭立てでの競走になるため、クロスクロウがゲートに収まると、スターターの合図で、レースが始まった。

 

【さぁ、スタートしました。まずハナを奪ったのはクロスクロウ!おっと、シルヴァーペイトリアークも上がっていきます!ダリアポール(Daliapour)、騎手がバランスを崩したせいか出遅れたが、持ち直した】

 

 逃げで突っ走るクロスクロウ、彼の後ろでは熾烈な2番手争いが馬群の中で繰り広げられている。

 

【シルヴァーペイトリアーク、一旦下がり、ダリアポールが上がり現在2番手。3番手にネダウィ(Nedawi)が続きます!】

 

 先ほどのクロスクロウとデイラミのダブル挑発に掛かり気味だったシルバーは、冷静さを取り戻して一旦下がったらしい。

 

インディジェノス(Indigenous)のすぐ内側から見るようにデイラミと、一旦下がったシルヴァーペイトリアークここにいた、それに続くはオーフ(Oath)、フルーツオブラブ、最後方にサンシャインストリート(SunshineStreet)

 

 実はアスコット競馬場は、日本でいう競馬場とは様相がやや異なり、メイントラックは言うなれば「おにぎり」のような形をしており、このキングジョージ6世&クイーンエリザベス・ダイヤモンドステークスのスタート地点は、第1コーナー手前の直線。ここから右回りで走り、第2コーナーと第3コーナーを曲がって直線を駆けてゴールなので、メイントラックをギリギリ一周しないことになる。

 

 当然、日本で一般的なオーバル型のコースと比べて、このコースは曲がり角がやや急である。

 

『!』

 

 実際、クロスクロウも走り慣れた日本のコースと異なる、このカーブの洗礼を受けることになったようだ。

 

【クロスクロウ、相変わらず先頭でしたが、おっと、第2コーナーに入って少し外に膨らみました】

【日本のコースと同じ感覚で曲がろうとしたんでしょうか】

【その隙を突いてここで先頭がダリアポールに入れ替わった】

 

 クロスクロウのすぐ横を馬群は駆けて行ってしまう。

 

 

 

 なんだ、イキってたくせに大したことないな。

 

 デイラミはそう思っていた。

 

 

 

 日本のガキなんて所詮こんなものか。

 

 シルヴァーペイトリアークはそう思った。

 

【馬群固まったまま、間も無く1200mを通過】

 

 残り1206m。レースも中盤から大詰めに入る。

 

【先頭はまだダリアポール、2番手にネダウィが続く。3番手争いはデイラミとシルヴァーペイトリアーク!5番手の位置にインディジェノスが続く。さっきまで先頭を走っていたクロスクロウ、一気に7番手まで後退、これは厳しいか!】

 

『That kid is no big deal!』

『I agree! Come on, let's settle our deal!!』

 

【先頭ネダウィに変わった、3番手の位置でデイラミとシルヴァーペイトリアークが追走中!!間も無く第3コーナーを抜けて最終直線に入ります!!】

 

 デイラミとシルバーは、先頭にいる二頭を中々抜けずにいた。

 

『……!』

『here!!』

 

 しかし、最終直線に入る直前で運よく隙間を見つけた二頭は、その隙間に自身の体を押し込む。

 デイラミとシルバーはダリアポールとネダウィを交わして先頭に躍り出た。

 ここはもうこの2頭で決まりか。

 誰もがそう思っていた。が、

 

【あ、あぁっ、なんということでしょう!来た来た来た、大外から一気に上がってきたぞクロスクロウが!!】

 

『What!?』

『impossible!?』

 

 最終直線、デイラミとシルバーの叩き合い、1対1の接戦を繰り広げていたところで、「脱落したはず」の相手が大外から捲り返して上がってきた。

 

【クロスクロウ、一気に3番手に上がった! 先頭デイラミとシルヴァーペイトリアークの叩き合いから僅か1馬身半、いや1馬身!どんどん差が縮まっていく!!】

 

『Damn!』

『I can't lose!』

 

 とっくに沈んで、来るはずのなかった相手に驚愕するデイラミとシルバー、互いに叩き合いハナを譲らない中に、もう一頭の挑戦者が乱入してきたのだ。

 

【残り200m!】

 

『in the way!』

『Don't come here!』

 

 二頭は悪態を吐くが、それでも白い馬体は全く止まらない、全速力で足を動かし、自分たちに並び、そして……、

 

【シルヴァーペイトリアーク、僅かに届かない!デイラミ、クロスクロウ、デイラミ、クロスクロウ、いや、クロスクロウが僅かに伸びた!?そのまま二頭、もつれたままゴールイン!これは分からないぞ、両者一歩も譲らずゴール板を駆け抜けた!あぁっと写真判定のランプが点きました───】

 

 シルヴァーペイトリアークはアタマ差で届かず三位確定、クロスクロウとデイラミがほぼ同時にゴールしたように観客には見えただろう。

 

【写真判定の結果出ました、ハナ差です、ハナ差10cmでクロスクロウ1着!日本馬が初めてキングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスを制した!!】

 

 その実況に、アスコット競馬場は響めきと歓声に包まれた。

 遠く日本で見ていた人々も歓声に沸き立った。

 しかし、白い馬体がゆっくりと減速して歩き始めたと思ったら次の瞬間には倒れ……。

 

【あぁっ、なんてことだ! クロスクロウが転倒、クロスクロウが転倒!?一体どうしたことでしょう!?】

 

 イギリスG1の栄冠を日本に齎したクロスクロウ。

 しかし、それは同時に、彼の選手生命を文字通り引き換えにして得た、苦い勝利でもあった───。

 


 

『え?じゃあ、クロスクロウはどうなっちゃったの!?』

『落ち着きなさいよメッシ。クロスクロウは私たちのお祖父様じゃないの。イギリスでくたばってたら、私たち生まれてないわよ』

『さすがミラーは鋭いな。そう、クロスクロウ……つまり、俺の父ちゃんは、イギリスで勝利したはいいものの、その代償として肺に問題を抱えて生活する羽目になった。……それでも日本には戻ってきたんだ。そして、君らのおばあちゃんと子供を作って、それで俺が生まれた、というわけさ』

 

 すると、そこに女性厩務員が姿を見せた。

 

「あら、ホッパーくんたち、まだ起きてたの?」

 

 そう声をかけられると、ホッパーは、厩舎に備え付けられた時計に目をやった。

 時間は既に夜の9時半になるところである。

 

『あぁ……もうこんな時間か。悪いね二人とも。寝ようか』

『ふあ〜ぁ……そうだね……お父さん、おやすみなさい』

 

 そうホッパーが言うと、ミラーは、眠気を自覚した途端、あくびをしながら首を馬房に引っ込めた。

 しかし、

 

『ねぇ、お父ちゃん、それでおしまいなの?』

『いいや。続きはまた明日話してあげよう。今日はもう寝なさい?』

『……うん……』

 

 一方、メッシは物語の続きが気になって仕方なかったが、やはり眠気には勝てないようであり、父ホッパーに促されてようやく馬房に首を引っ込めて眠り始めた。

 

『さて、俺も寝るとしますかねぇ……』

「ホッパーくんも寝るんだね。うん、わかった」

 

 女性厩務員は、ホッパーが自身の馬房に引っ込んで、寝藁の上で寝転がり始めたのを見ると、厩舎の明かりを消した。

 他の馬たちも、既に夢の中である。

 

 なお、ホッパーの馬房には競走馬としての馬名が彫られたプレートが飾られており、そこには『クロススキッパー』と書かれている。

 

 そして、眠りにつく直前にホッパーこと、クロススキッパーはこんなことをふと思った。

 

『……父ちゃん。今になって僕、父ちゃんがどれだけ大変だったのかが理解できたよ。父ちゃん。僕はちゃんと父親できてるよね……?』

 

 そんなことを天にいるはずの誰かに語りかける内に、クロススキッパーも夢の中に意識が沈んでいった───。

 

『英雄譚②』へつづく

*1
なお2001年度から馬齢は数え年から満年齢に変更されている

*2
一般的に馬の平均寿命は25〜30年と言われており、馬齢が10〜15歳となると、人間で言えば40〜50歳代に匹敵するという

*3
2001年以降は0歳馬のことを指す

*4
なお、ご視聴の皆様の前では2頭の暴言は自主規制音でお送りします




なお、ハグロミッシーレとハグロミラージュはお互いに姉と弟として関係を認識し合ってるクロススキッパー産駒です。母が違うため、残念ながら厳密には「半姉」と「半弟」という関係ではありません。

二人がクロススキッパーと誰との仔で、どんな戦績を残してしまうのかは追々語らせていただきますが、多分吹き出すかもしれん?

※2022年10月3日追記……感想欄でご指摘いただきありがとうございました。

ところで、追記ついでに、1999年のKGⅥ&QEステークスについて解説いたします。

実はこの1999年のKGⅥ&QEステークスって、YouTubeにレース動画が残っているんです。これがなかったら、恐らく本作で見せたような描写は出来なかったかと思いますんで助かりました。
ただ、解説が英語オンリーで聞き取りが大変だったり、字幕の自動生成をさせても「なんやこれチンプンカンプンだわ」ってなったり、実況に合わせて動画を戻したり進めたり、(後述の理由から)一々、スタート時に映像を戻したり……史実にあったレースを文章に起こしてストーリーに組み込んでる人たちって、こんなに苦労してるんですね……。

しかもさらにややっこしいことに、このレースだと日本のように枠番に沿って馬番も順番通り、ってわけではなく、完全にバラバラでした。
日本だと、普通なら1枠1番、1枠2番、2枠3番……って感じになりますよね?
しかし、このレースに出走したデイラミを例に挙げるなら、8枠にいたのに、ゼッケンは、8番じゃなくて1番だったり、他にも6枠にいた馬のゼッケンが5番だったり……。
それで荒い画質から、「ここに○○がいて、ここには△△がいるな」とか、「このジョッキーさんのヘルメットの色は◇◇のだな」とか、一々判別しながらストーリーに描き込まなければならなくてちょっと大変でした。

ただ、このレースに出場していた馬に、芦毛が二頭もいた(クロスクロウを加えたら三頭)ため、デイラミともう一頭のシルヴァーペイトリアークの経歴を調べたところ、面白いことが判明し、あの放送禁止用語の応酬シーンが出来まして、ついでにクロスクロウが(悪気は無かったとはいえ)二頭を煽ったもんだから……お陰さんで、レース展開と着順が微妙に異なっているんですが、途中からは自由に描かせていただきました。

……ところで、ジャスタウェイ(たぬき)がこのレースを見たら終盤のスパートでゲーミングレインボーしてそう。(小声)

今作に望むものは?

  • コメディ!
  • シリアス……!
  • スポ根!
  • 哀愁……
  • ハッピーエンド!
  • 曇らせ、鬱展開……
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