戦争が終わる
噂話を聞いた時、ケニーは北の戦線に居た。
この土地は冬が厳しく夏は極端に暑くなるらしい、ここの生まれだと言う魔道砲兵の仲間には懐かし気にそんな事を話す者が沢山いて、多くの場合はそのまま兵科を問わずその場にいる全員で故郷の自慢話を始めて盛り上がっていく、飲酒が許されていればそのままその場で思い思いの歌や軍歌を大合唱、雪が積もり出すと寒さに関する何もかもが際限のないこの土地で唯一の暖かな時間で、この時ばかりは何時も憂鬱そうに眉間に皺を作っている上官も柔らかな、ほんの少しだけ柔らかな笑顔を作ってのける。
この時間がケニーには酷く居心地が悪かった。
ケニーには故郷などないのだ。
幼少の頃に記憶にも薄い両親に捨てられ、その後は孤児院で過ごしたが生来の運の無さゆえか、どの孤児院も戦争の切っ掛けにもなった経済の悪化を原因に経営が悪化していき、統合され閉鎖されるか脱走したくなるほど劣悪な環境になって行く。
ケニーは脱走を繰り返した、誰が悪いのでも無い、しいて言うのなら金の無い時代や、元は善人であったのであろう院長達すら跡形もなく悪人に変えてしまう酒や貧乏が悪いのだ。
しょうがない、初めて孤児院から脱走してのけた10歳の頃にはもう両親の記憶など薄れ始めていたが、母の背中とよく思い出せない母の声でなんどもそう唱えていた事を思い出しながら、ひたすらに夜道を駆けた。
何人かと一緒に脱走し、何人かは捕まりまた別の何人かはそのまま運よく逃げおおせた。
逃げおおせた連中が今何処か知らない土地で幸せにやっているといいのだが。
周囲が故郷の話で盛り上がるとケニーは何時もそんな事を考えていた、特に思い入れのある関係でもない、ただ、居心地の悪さから逃げ出せる記憶がケニーには少なかった。
何度かの脱走の果てにケニーは逃げ切った、とは言えケニーには生きていく術など無い。殴られるのが嫌で、殴り返すのはもっと嫌で逃げ出したのに今更じろじろとこちらを見て来る路上の悪童達に混じって生きられるとも思えない。
知らぬ土地まで歩いたり列車に飛び乗ったりして、何日かしてもういいかと諦めてケニーは横になる。暖かい土地で良かった、何が良いとも分からないが、兎も角良かった、もう良いだろう。
ただゆっくりと横になりたかった。
起きなくてもいいやと目を閉じて、目を覚ました時。ケニーは軍営の孤児院の中に居た。
ーーーーー
どうやら本当に戦争は終わるらしい。
そんな事を深刻そうに魔道砲兵の仲間がひそひそと話していて、誰からともなく国家や軍歌を歌い出す。
勝った負けたは関係ないらしい、上官が珍しく眉根に皺を寄せずやってきて、明日正式に布告があるが俺たちは故郷に帰れるのだと、そんな話をして歩き去っていく。
軍歌や国家が更に盛り上がり、ケニーはただただ、どうしようという感慨だけが深まっていく、戦争が好きだった訳ではない、だけど故郷に帰れると言われてもケニーには故郷など無いのだ。
国に戻れた所でどうする事もありはしないのだ。
何となく外に出てぼんやりと歩き出す、そうして陣地のどこかしこからも風に乗って聞こえる声を避け、歩き続けてみれば冷たい鉄条網の前まで来てしまう。
どうしよう
そんな事を撃たれかねない様な場所で考えていると、鉄条網の向こう、そのまたずっと向こうの鉄条網すら越えて知らない言葉の歌が聞こえて来て、ケニーはまた宛ても無く歩き出した。
戦争が終わるらしい、俺たちは故郷に帰れるのだと皆が歌っている。だけどケニーには故郷など無いのだ、会いたい人も会うべき人も、行きたい所も行くべき所も、やりたい事もやるべき事も。
「どうしよう」
口に出してもまだ歌は聞こえて来る、ケニーは歩いた。
ーーーーーー
希望者には仕事と新しく住む家を紹介してもらえるらしい、中央から来た役人風の男が寒そうな顔で言うにはそういう事だという。
故郷に戻れると言ってもそもそも故郷は記憶の中ですら定かではないからケニーは軍営の孤児院があった街に帰るしかない、だが帰ったところで仕事や家や友人がある訳でも無い、あーだこーだとそんな事を考えながら日々を過ごしていると、そう言う段となったものだから一も二も無くケニーは希望を出した。
暫く待ったのち、故国までの列車、脚の置き場も無いような帰還兵達による酷い混雑の中で上官がケニーを見つけ一通の辞令を渡して来た。
斡旋された仕事だと、そんな言葉に開いてみれば中には聞いたことも無い街の名が書かれている、どうやら同盟国の街らしい。上官は暖かい所だ良かったなと、眉根に皺の跡が残る笑顔でバンバンと肩を叩いて何処かへと歩いて行った。
手当たり次第に聞いてみるにこのままこの列車で中央まで行き更に南に向かう列車に乗り換える、そうして最後の街まで乗り続けて行き止まるとこの街らしかった。
丁寧に答えてくれた幸せそうな笑顔の若い男に周囲の同じ兵科らしき人間が肩を叩いて女でも居たのかとからかう、自分には妻が居ますからと照れた様子で応えるその男の胸元からは僅かに誰かと撮った写真が見えている。
ケニーはまた言いようの無い居心地の悪さを感じる。
祖父が船乗りで良くこの街の話をしてくれたんです。それで一度自分でも行って見た事があって、大きな港があって暖かくて良い街ですよ、とそう言って握手を求める男に応えながらケニーはなんとか奥さんとお幸せにと言う。
居心地が悪い、顔を隠し身に巻き付ける様に軍服を寄せる。
何年着込んでも慣れなかった軍服だが居心地の悪さを少しだけ遮ってくれる、そうして、まんじりともせず言い難いものに耐える。耐える内、最初は混みあっていた列車の中も中央に近づくにつれて徐々に人の姿が減っていく、一日二日と列車に揺られ続け中央で列車を乗り換える段となれば周囲に軍服を着た者の姿は数える程に減る。
混みあった状況が改善され少しだけ息がしやすくなった様な気がする、どうだろうか?それともなにかのふりをする必要が無くなって気が楽になっただけだろうか?寒冷地に合わせて作られていた軍服では既に暑すぎる程の気温になっている、外套を脱ぎ膝の上に畳んで置いた。
窓の外では見たことも無い形の木が流れていく、赤身の強い大地に畑が広がっている、空の青さが一駅毎に強くなって行く。
軍営の孤児院に送られた後、話を聞くにケニーは倒れたままそのまま二、三日程眠り続けて居たらしい、らしいと言う他ない、実際日にちなど数えられる様な状況では無かった。
ともあれその日からケニーは将来的に軍属となるべく職業訓練の様なものを孤児院の中で受ける事となった。
また一つ駅を発つ、次の駅まではかなりあるらしい。
終点まではまだ長い。
軍営の孤児院での生活は今までより余程落ち着いたものであった、言われた事を言われた通りにこなす、そうすれば今までの様に理不尽に殴られる事は無い。
長々と繰り返される思想教育についても同じようなもので、最初の内は何か不興を買う度に殴られたとしても、繰り返しながら覚えた要領で殴られない答えを言う様になる。
そうすればもう殴られない
どうにも酷く眠たい、窓の外を眺めてただまんじりともせず耐える。殆どの事は耐える内に終わる、そう学んだ筈なのにどうにも居心地が悪い、酷く眠たかった。
孤児院で暮らす内ケニーには僅かにではあるが魔法の才能がある事が分かった、とはいえ何か大層な事が出来る程のものではない、一通りの事は出来るがどれも一つ幾らで手に入る道具で代用できる事ばかりである。
そうだ、そういえば、魔法の才能があるのだという話になった時少しだけ嬉しかったのを思い出す、そんな事を思い出し、それと同じぐらいそれ程の才能ではないのだと分かり居心地が悪い様な気持ちになったのを思い出す。
寝よう、起きねば、飯を食わねば、そんな事を繰り返す内、やっと列車は終点へと着く。
正午を少し過ぎた頃であろうか?駅へ降りると少しだけ湿った匂いのある風がケニーの頬を撫でた、遠く遠く、坂を長く下った先の海を照らした太陽が反射してこんなにも遠く離れた自分を眩しい様な気持ちにさせる。
居心地の悪さが少しだけ和らいだ気がした。
ーーーーー
使用人の仕事と言うのはどういうものであろうか、何となくだが軍について孤児院で学んでいた時似た様な仕事はしていたのでは無いかと思う。
少なくとも今までやれと言われた多くの事よりは大変では無いと良いのだが、まぁどうあれ覚えるのに掛かる時間が多少変わるだけだ、坂を下る、人通りの多い場所に向かえば辞令の場所も分かるかもしれない。
道行く人に辞令の住所について伺うと妙にはっきりとした二つの反応に別れて応えるのが気にかかった。
何故だろうか?陽射しと共に僅かばかりに陽気な心持ちであったのにまた少しずつ居心地の悪さが顔を出して来る。
一様に人間種に関しては妙に不愉快そうに顔を顰めるかケニーの方を怪訝そうに何度も見返して来る、対してそれ以外の人種に関しては妙に嬉しそうにこちらに教えて来るばかりか素性も知れないケニーを送ろうとするものまで居る。
それが妙に感じてまた居心地が悪くなる、蒸す様な湿度とは関係なく妙な場所から汗を掻く。
「しようがない、しようがない」
記憶に残る母の口癖を繰り返し、慣れた調子で歩みを進めた。考えずに歩くのは慣れている、兎も角歩けば何処かに着くのだ。
駅から続く坂を下り、終戦の活気に溢れた港を抜けその先にひっそりとある細い道を通って遠く東に向かって伸びる坂を歩いてゆく。
陽光は頂点からやや傾いたがそれでもまだ燦燦と輝いている、蒸す様な湿度はあるがそれでも海と山から絶えず風が吹くので過ごすに不便は無さそうだ。
珍しく記憶の中に逃げ出して居ないと、そんな事に思い至ってケニーは少しだけまた居心地の悪さが薄れた気がする。
そうして体感で三十分程歩くと開けた場所に出た、
ここがこれから働く場所だろうか?そうならば良いのだけれど、今来た坂を戻るなら職場より先に宿を探した方が良い時間になってしまう。
何となくだが要件があるとは言え夕食時に誰かの家を訪ねると言うのは気が引けた。
建物自体は古そうだが庭も屋根も良く手入れされている、なにを思うでもなく見回して綺麗な花が咲いているのを見つけた、何という花だろうか?ケニーには花の名前など分からないがその花の綺麗な事は良く分かった。
花の傍に屈み込んで眺めてみる、いい匂いがする。
知らない匂いだが嫌いでは無い、手折るでもなくケニーはそれをじっと眺めていた。
「綺麗な薔薇でしょう?」
そう声を掛けられてようやく傍に人の居ることに気づいた。
慌てて立ち上がり振り向くと長毛犬種の老獣人がケニーの方を見て微笑みかけてきているのに気づいた。
「はい、そう思います」
老獣人の体毛から僅かに伺える優し気な瞳、同じ部隊のアイツなどなら過剰でない程度に褒めて見せたりも出来るのだろうか?名前もはっきりとしない元の仲間を思い出すが、ケニーにはそれが出来ない。
軍隊ならば余計な口を利かないとそれで褒められたりもするのだが、ケニーは自分の不自由さに少しだけ居心地の悪さを感じる。
「とてもそう思います」
繰り返すように言うしかない己の不自由さにまた優し気に瞳を細めてくれる、その様がどうにも居心地が悪い。
「もしかして、ウチで働いてくれる方かしら?」
退役軍人省から紹介された?そう言って、柔らかに首を傾げる様子にケニーは慌てて外套の中から辞令と紹介状を取り出した、それを老獣人がゆっくりと読んでいる間ケニーはそうと習った様にまっすぐと気をつけの姿勢まま待っている。
風が止んでじっとりと汗が滲むが特に不愉快でもない、寒さよりはずっと良かった。
ふふふ、そんな風に悪意無く笑う声が聞こえてこれからの雇い主になるらしい相手を思わず見る。
「軍人さんって本当に綺麗に立つのね、それがなんだか可笑しくって」
そう言って柔らかに微笑まれるとまた、今度はどうにも抑えようがなくケニーは居心地の悪さを感じてしまった。
気を悪くさせてしまったかしら?と問いかける声にいえ、そんな事はありません、そう答えて家の中に案内されるに任せて着いていく。
気の利いた事を何か言えれば良いのだが、そう思ったがケニーはただ着いて行った。