老獣人と帰還兵   作:来海杏

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普通の食事と言うのは存外お腹が膨れるものなのだなと、ケニーはそう思う。

 

空腹と言うものはよくよく馴染みのある感覚だったが、それと反比例するように満腹と言うのも縁遠い感覚だった。孤児院に入る前は酷く何時も飢えていて孤児院に入った後は満腹になるまで食べるには他の誰かから奪うしかなかったし、軍人となった後は絶えず何かしらの命の危機が身近にあったので心底油断できる程落ち着いて食事を取ったことは無い。

 

「今日は楽しめて貰えた?」

 

嬉しそうにアンナがケニーの顔を覗き込む、聞かれずとも答えは決まってる、知らなかった事を知れるというのはとても楽しい事だ。

 

ケニーの答えにクスクスとアンナが笑って、その笑顔にケニーの心が温かくなる。そうして二人で港の近くにあるレストランからアンナのお店までの道を歩いていると、坂道の途中、人が言い争う影が見えてきた。

 

「メリィ!いい加減にしてくれお前に売る酒は無い!」

 

街灯はあるが戦争の後遺症の様なもので明かりは制限されているし、住人達の就寝時間は早い。そんな暗さが覆う街中で、片方が押したのだろうか?言い争う人影の片方がよろよろと倒れ込んだ。

 

 

トラブルだろうか?思わず駆け出そうとして路上に倒れ込んだ方の影が叫ぶ。

 

 

「だったらここはなんなんだ!?酒屋って看板が出てるじゃないか!酒を売らない酒屋なんて道理が合わないだろうが!いいから売れよ!看板出してるんだから自分のやるべき仕事ってものを確り果たせ!」

 

 

無事で良かったとは思うがどうにも状況は剣呑だ、対するもう一つの影が何か、周囲を気にした様子で言い返したが聞き取れなかった。だが何か良くない事を言ったのだろう、倒れた方の影が酷く腹立たし気に立ち上がろうとして再度倒れ込んだのが見え、今度は迷わずにケニーは駆け出した。

 

軍人だった時にも似た様な状況は何度もあった、大概は制御の聞かない状況に発展していって最終的には良くない結果を生み出すのだ。何度か似た様な状況に出くわす内、思考と経験から至った選択としてケニーは毎度仲裁に入る様にしていた。

 

 

一体どうしたのかと、アンナの手を引き駆け寄って影に問いかける。道に倒れ込んだ影がこちらに振り向いて、それで初めてその影が女性だとケニーは気づいた。

 

 

「おう?アンタ!聞いてくれよ!コイツが酒屋なのに酒を売ってくんないんだよ!おかしぃだろう?酒屋なんだぞ?歩く魚が居るか?泳ぐ鳥がいるかよぉ?酒屋なら黙って酒を売れってんだよぉ!!」

 

 

泳ぐ鳥は居るのではないだろうか?ケニーはそう思うが目下の問題は眼前の女だ、酷く酒の匂いを漂わせていて明らかにこれ以上お酒を飲むべきではないのがケニーにも分かる。戦時中で無くとも飲みすぎは命に係わる。

 

しかもそれが一晩での事ならなおさらだ。

 

 

 

 

 

「貴女は飲み過ぎの様に見える、お酒はもう止めにして今日は帰った方が良い」

 

 

 

正直にケニーは見て思ったままを伝えた、そうして言い切る前にそういえばと思い至った。大抵の場合飲み過ぎた人間に正直に飲み過ぎていると伝えてもまともに取り合おうとしない、戦争が終わってしばらく、お酒を飲むより重要な事が多い人間ばかりだったからここまで酔っ払った人間の相手をする事がなく、要するに忘れていた。

 

酔っ払いに酔っ払いと言ったところでどうしようも無いのだ。

 

 

「アンタ、マダムの所の使用人だろう?大丈夫だからさっさと帰ってくれ、何時も酒に酔うとこうなんだしばらくすると勝手に帰っていくから!」

 

 

 

そういう言い方をされると対応に困る、酒屋の男の言う通り、周りの住人等の反応を見るに突発的なトラブルと言う訳ではなさそうだしアンナは大丈夫だからとなんどもケニーの手を引いて歩いて行こうとしている。

 

 

ならまぁ、いいのかもしれない。

 

 

そう思えても染みついた習慣がそれを阻む、人は簡単に死ぬのだ。ゆえに常に備えねばならない。そうしなければ殴られる、殴られるだけならまだ良い。死ぬ、死ぬのだ。それは困る。

 

 

しかしだ。

 

 

戦争は終わった、全員が最大限の努力をする時代、そうしなければ容易に誰もが死んでしまう時代。

 

 

そうだ戦争は終わったのだ、多少のトラブルは無視しても良い時代なのかもしれない。

 

 

 

ケニーはアンナの手に従い歩みを進める、

 

 

 

良い夜だった、マダムに話すお土産話がまた出来た。

 

 

そうして歩いて行こうと手を進めた所で、女の声がケニー聞こえる。

 

 

「無駄だ、何もかも無駄だったんだ、戦争なんて無駄さえなけりゃアタシだってあの子とよォ!」

 

 

出会いと言うには短すぎる、さらに言うならば良い思い出となる類のものでも無かった。

 

 

だが、これがメリィとケニーとの、画家と帰還兵の出会いであった。

 

 

 

 

 

 

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