どうして俺は絵を書いているんだろう、誰かを喜ばせたかったんだと思う、でも誰を?
思い出せないんだ、ただただ必死だった、届かないものに手を伸ばして、そこにはちゃんと奇跡や愛ががあって、そんな中で彼女に出会って。
人生の光、希望、夢、呼び方なんかどうでもいい、でも確かに彼女と過ごしたあの日々の中、俺の手の中には光が有ったんだ、俺の手の中には命ってものだったり人生ってものの一番素晴らしい何かが有ったんだ。
生きてて良かった、違うな、ただ生きて来ていずれ誰にも訪れるその日みたいなものが俺にもちゃんと来たんだ。命の意味なんかどこにも無かったさ、それでも生きてた、しょうがない、生まれたなら生きるしかない、意味が分からない?しょうがないもう二本は空けてる。
光が有ったんだ、この手の中に有ったんだ、彼女と出会った瞬間から何もかもが意味を持ったものになった、俺はただ強く強く手の中の光を抱きしめて。
俺にはもう何も無い、俺の手の中にはただ、酒瓶と無価値な何かがあるだけだ。
もう二年、一枚も絵は描けてない。
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最近、会う度にケニーが浮かれている。アンナからそんな話が合ってマダムは何となくケニーの後ろ姿を目で追う。
ツナギを着て庭仕事をするケニー、花やジャガイモに水をやる後ろ姿、冬の冷たい日差しがケニーの撒く水に反射してキラキラとして遠く屋敷の中のマダムの目に飛び込んだ。
ケニーが浮かれていると、言われて見ればそんな気もする、どうにも表情の乏しい使用人ではあったがそれでも長らく庭の花を手入れしてきた経験が生きたのか、確かに何となく決まった曜日になるとそわそわとし出し、そうして仕事が終わると少しだけ嬉しそうに何処かへと出かけて行くのだ。
今日もそうだ、妙にそわそわしていて仕事の終了した報告もそこそこに仕事が終わるとすぐに服を着替えに部屋へと戻って行くのだ。
何か良い人でも出来たのだろうか?だとしたら問いかけるのも憚られるがが、アンナの事もある。いずれはそれとなく話を聞いてみなければ。
だが、とりあえずは嬉しそうな姿をしばらくは見守っていよう、マダムはそう考えてケニーの背中を見送る。
何か、いい事があったならばそれは良い事だ、間違いがあったなら私が力になれば良い。
マダムはただ、そう考えてケニーの背中を見送ったのだった。
仕事終わり、週に一度アンナに会う前にケニーは海岸まで出向きスケッチブックを彼女から受け取る。
そうしてその後は何も話すことは無く、ただ小さな持ち運べる椅子に座りケニーはただ真っすぐに背を伸ばしてスケッチブックと青々とした緑色のリンゴにせわしなく視線を往復させる、鉛筆を握った手は迷いなく動き続けるが、スケッチブックにはどうにも霧の様なものが纏わりついた、微かに見えるリンゴらしき影が描かれているのみであった。
それを見て画家は酒の混じるため息を吐く、画家に絵を習い始めてからもう一か月が経とうとしている、季節は徐々に冬の強さを増していき本格的な冬が訪れようとしていた、春の前の一番冷たい空気が街には満ち始めている。
絵の練習を始めるならばまず物を正確に描く所から始めるのだと、画家はケニーにそう、最初に教えた。
画家の名前はメリッサと言うらしい、メリィとは呼ぶなと言われた、響きから考えるにここよりももっと南の方の名前に思えるが正確な所は分からないし重要では無かった、ただ、彼女の絵は美しかった、彼女の絵を見た時に思わずケニーは涙を流し、そのまま問いかけたのだ。
どうすればこんなに綺麗なものを生み出せるのか?と。
その後、問答の末にケニーは画家に絵を習う様になった、ケニーは絵など一度も書いた事が無かった、小さな落書きすら見咎められて激しい折檻を受けるような軍営の孤児院の中ではそんなものに何かを見出す贅沢な可能性はケニーやその周りに居る、同じ人間未満の孤児達には認められて居なかったのだ。
ともあれである、ケニーが週に一度始めた画家との時間は新鮮ではあるもののある程度苦痛でもあった、ケニーは孤児院で魔法の才能を見出されてから常として魔法を発動してきた、それは簡単なものではあるが自身の五感を拡張して周囲の状況を人間以上の視野で捉えるものであり、幼少の頃から続けて来たそれは完全にケニーの感覚に馴染んていたのだ、しかもそれは感覚以上に明確に表せるものでなく、それ故にただ物を正確に捉え描くだけであっても多くの苦労をケニーに強いるものとなった。
命には魔法が溢れている、時には死体にすらまとわりつくそれを一本の鉛筆で描き出すというのは、ただの帰還兵でしかないケニーには苦痛に近い努力を必要とさせた。
だがケニーは消して弱音を吐こうとはしなかったし、苦痛が漏れ出す事すら無かった。
画家はただ淡々とケニーの描いたものを見て批評を下すだけだ、常に酒瓶を手に持った状態ではあったがそれでも彼女の行う事の多くは正確で、間違いの無いものの様に思えた。
時間だ、行くよ。
そういうと画家はケニーを一瞥し、酒瓶に口をつけ絵を見せる様にと片手をケニーに差し出す。
荷物をまとめスケッチブックを画家に渡し、批評を待つ。大した挨拶は無い、ケニーの絵に関して幾つかの指導を画家が行い、それに対してただケニーは分かったと答えて幾つかの疑問を問う、それだけ。
そうして名残惜しむことも無く二人は別れ、ケニーはアンナの家に向かって歩き出した、
画家に絵について教わった後はいつもアンナに会う、一か月程ではあるがアンナと会う度にケニーは絵についての話をしそうになった、だけど何となくそれを口にするのは憚られた、初めて画家の書いた絵を見た時、それが彼女の書いたものだと知った時からケニーは何時かマダムの絵を描きたいとは思っていた、しかし言葉には出来ず、ハッキリと自覚する事も無かったがケニーが一番に描きたいのはアンナだった、だが今のまま何も思えない様な絵をアンナに見せても失望させるかもしれない、ケニーは未だ自分の書いた絵を美しいと思えた事は無い。
誰かに失望されるのは、想像するだけでもケニーを居心地の悪い気持ちにさせる。
約束の場所に歩く内、ケニーはアンナに何を話そうか考える、絵の話をしたい、しかしそうもいかない。
どうしようか?ジャガイモの話、それに応える様にきっと彼女は楽しそうに色々な話をケニーにしてくれるだろう、ケニーの知らない話ばかりであるそれは楽しい筈だ。
だけど、ケニーの側は同じ様な話を何度もしてしまって居る、彼女を飽きさせはしないだろうか?何の話がケニーに出来るだろうか?薔薇や絵の話を除けばケニーには乾いた人生に基づく戦争と死についての話しか出来そうに無い。
まだあるか、歩きながらケニーは思いつく、そうだまだある、人の殺し方ならば少しは話せる。
だが、アンナがそんな話を喜んで聞いてくれるとは思えなかった、戦争中ならば良い、死や殺し方は重要な事であった。
殺せと言われたから殺すし殺されてもケニーは文句など言いはしなかっただろう、ある種のルールがある、もっとも死人が不平不満を口にする事が出来るのかケニーは詳しくは無かった、魔導砲兵だったので殺した敵兵は遠く塹壕の中であったし、死んだ味方を気にする余裕は戦闘中には無く、そして戦闘が終わると僧兵や手の空いた、他に使い道の無い新兵を中心に死体は片付けられていく。
もうすぐアンナとの約束の場所に着く、そういえば、とケニーは思い至った。
画家はここの所気を失うほど酒を飲んで居ない気がする、以前は魔法を使わずとも匂った酒と腐った内臓の匂いが徐々に薄くなっている。
だがそれだけだ、ケニーにはそんな事はどうでも良かった。