女はただ心底愉快にそれを見ていた、遠く海の上、水平線上に軍用艦が浮かんでいる。
坂を上って愛しい生徒が駅へと向かう、魔法で何重にも強化された視覚がそれを捉える。
不出来な子こそ愛おしいと言うがどうだ、確かに現役であった頃は腹が立ってしょうがなかった不器用さも多くの同志達が死に絶えた今、生きる為に必要なものだったのかもしれないと思えばこんなにも愛が胸の内に湧いて来る。
幾らかこうするべきだと新参の鬼人種の同志にアドバイスはしたが、こんなにも早くあの子が覚悟を決めるとは思わなかった、あの子は何時も決断が遅かったから。
最初に見た時、あの子は孤児院のベッドの上だった。
口さがない同僚等は牧場と呼んで憚らなかった軍営の孤児院、偉そうな白衣を来た売国奴の実験場。
いや、余り言い過ぎるのも良くないだろう、実際私はあそこで多くの同志達を育てる事が出来たし、その結果、国家の、信じるべき旗に裏切られようとも今この場にいる事が出来るのだ、あそこは牧場等では無い、愛国心の揺籃機だった。
兎も角、孤児院のベッドであの子がぐっすりと眠りこけて居たのを昨日の事の様に思い出せる。
痛ましいゲッソリと瘦せこけた姿、話を聞くにここより街三つ分も離れた孤児院から脱走し、捕まる事も餓死する事も無いままこの街までたどり着いたらしい、私は、私は運命だと思った。
何と言う生存への欲求か、何と言う命の躍動か。
私は主導教官の地位と物理的な脅迫でもってあの子を孤児院に招き計画の中へ無理やりねじ込んだ。計画を進めるにあたってこんなにも理想的な個体は無かった。
北の連中は機械化された兵士を開発しているという、その機械化兵達の目撃例も続々と前線で上がっている、それに対抗するためには我々は同じ機械分野で競争を図るのでは無く我が国が長じている魔法分野において起死回生の手を打たねばならない。
求められる通りに命を懸けて行動する魔法だけで構成された戦場機械、その理想の為にどこまでも凡才でありながらここまで生き残ったこの子はどれだけふさわしいだろうか。
教育の末、他と比べた上での汎用性、量産性の低さを盾に政治的圧力が掛かり私自ずから失敗作の烙印を押したが、あの子を忘れた事は一度も無い。
愛しい私の失敗作、戦時中さえ一度も目を離した事は無かった、常々送られてくるあの子に関しての報告書、報告書を見る度にあの子の勇壮な姿が目に浮かぶ、愛しい殺人機械、私の分身、死ぬかもしれない等と言う無意味な事に心を割いた事は一度も無い、あの子には生き残る事以上に人を殺す為の全てを教え込んだのだから、そんな心配はするだけ愚かと言うものだった。
あの子なら誰かが自分を殺そうとするより早く人を殺す事が出来る。
遠く海の向こう、潮風が少し目に染みて何度か瞬きをする。
坂を上りきったあの子が新参の鬼人種が泊まる宿の周りを変装してぐるぐると嗅ぎまわる、可愛い、まるで大型犬の様、そのまま近くの背の高い建物に向かい、高層階へ外壁の突起を頼りによじ登る。
素晴らしい、教本通りの対応、あの子はまだ私の教えた事を忘れていないのだ。
増援は居ない、あの新参の同志が言ったのだ、あんなトロ臭いヤツ一人位自分だけで勧誘してのけます、いけそうならそのまま対象までぶち殺して見せますよ、と。
愚か者の尻拭いの為に同志に危険を犯させる訳には行かなかった。
ーーーーー
充分に用意をなさい、ケニーはそうと習った様に全てに備える。
戦争中ならケニーが死のうが何の問題も無かった、だが今はどうだ、マダムの下に帰らなければ、ハンバーグを作って待っているのだ、マダムの料理は美味しい、ハンバーグはまだ二度しか食べた事が無いが美味しいのだと思う、気づけば何時も全て平らげてしまっていてこれが美味しいと言う事なのだと思う、自信は無いが、これから知って行きたい、きっと今日も美味しいだろう、何時もの様に気づけば全て平らげてしまうだろう、それに、それに何よりきっとケニーが死んだと聞いたならマダムは酷く落胆するのではと、恐ろしい。
時間より早く約束の場所に訪れたケニーは周囲の建物を調べる、狙撃はどうか、建物の影はどうか?周囲の山からの狙撃はどうか?
死ぬ訳には行かない、今はもう、ケニーの死はきっと多くの人を落胆させる。
必死であった、ケニーに自覚はない、だがケニーは必死であった。習った事から類推してジョアンに対しての増援が無い事や昨日出会った際に周囲に仲間の影の無かった事は理解している、今までケニーの感覚に間違いがあった事はない、だが安心できない、死にたくない、幾つも必要な下調べを終えケニーは菌類のそれを応用した魔法で作った網の様なものを地面を通して建物や駅や小さな排水溝に巡らせる、死にたくない。
簡単な要塞をケニーは築いた、死を避けたい一心でそれを作りただ腕を組んで宿屋の前でジョアンをまった、考えるのはどうやって自分を殺すだろうかとそれだけである、影を追う様に頭の中で自身の死にざまをケニーはひたすらに妄想する、一つ思いつく度酷く吐き気がしてそれをケニーは飲み込む。
「よう、偉く早かったな?」
宿屋からジョアンが出て来る、色々な言葉が頭を駆け抜けて、ただケニーは話をしようと、それだけを口にした。
ーーーーーー
なら良い所を知っている、と、そんなジョアンの言葉に従って二人は歩き出した。
街の西に向かって二人で歩く、特に会話は無い、ジョアンがケニーの後ろを歩いているが問題は無かった。
一度魔法の菌糸を広げたならそれは蛸の様に地下を這いずりケニーの周囲十五歩の重量の変化を機敏に感じ取って肌で触れた様にケニーに危機を知らせてくれる、大砲や銃弾の一切を感じられぬそれも今の様な状況なら心強い。
このまま街の西を通り抜けたならそこに民主化テロ以降廃墟となった公園があるのだとジョアンが言う、ケニーは細かな事は聞かずただそこに向かって歩く、背後のジョアンに不審な動きは無く、ただどうとも無い雑談をケニーに投げかける、戦争中の危なかった記憶、それにケニーが幾つか答えを返してあれは本当に危なかったと二人で笑う。
そうして、幾らか歩いて行く内、ジョアンが言う公園の廃墟へと二人はたどり着いた。
公園の中心、テロで砕けたのであろう何か宗教的なモチーフの石造、爆発で砕け飛んだそれの柔らかな笑顔の頭部が転がったままになっていて、苔と何か稲の様な雑種の植物が石造の頭部を覆って笑顔だけがかろうじて読み取れる程緑で包まれている。
幾らか歩いてケニーは立ち止まる、遠く水平線が良く見える、夕日が海に反射してケニーの目に飛び込む。
公園の真ん中でケニーはジョアンに言った。
「このままなにもせず帰って貰えないだろうか、私は君を殺したくない」
最初の内、口の中で何を、や、勘違いだ、と、もごもごと呟いたジョアンもケニーの右手が腰にさしたリボルバーから離れないのを見ると完全に黙り、ただ落ちくぼんでぎらついた目のままケニーに諦めた様な目で問うのだった。
「戦争中、俺たちはずっとこの国の為に戦って来たじゃないか」
ジョアンがじいとケニーの目を見る、ケニーは地面に張り巡らせた菌糸によってジョアンの懐に自動装填式拳銃があるのを知覚している。
「頼むから帰ってくれ、殺したくないんだ、ジョアン、私はもう殺したくない、戦争は終わったじゃないか、もう誰も殺したく無いんだ」
ケニーの言葉にジョアンは少しだけ身体を傾け、銃弾の一撃で致命傷に至る可能性を減らす、ケニーは自然に頭に湧き上がる思考にあらがえずジョアンの首元に想像の射点を合わせ間違いの無い様に射撃の精度を上げる。
「殺せるつもりかよ、殺してどうにかなるのかよこの世の中が、俺達は必死にあのクソ寒い戦場で戦ったのに、戦友の血やクソに塗れて塹壕で震えて来たのに、お前だけ何も無かった様な顔をするのか?」
ジョアンがケニーの苗字を呼ぶ、軍営の孤児院の名前からそのまま付けられた認識番号の様な軍から離れられぬその苗字、ケニーはただ胸の内に生まれた不愉快さに小さく眉を顰める。
「国家の為にと言われて、この国の歴史の為にと散々偉そうに殴られながらそれにも耐えて!戦争に行っていざ故郷に帰ってみたらどうだ!戦争なんて無かったって顔をして幸せそうに誰も彼もが暮らしていて!俺達だけが戦場から帰ってこれちゃいない!それなのに世間の連中は戦争なんてものがそもそも無かった様に幸せそうな顔をして平気で生きてやがる!!おい!おいおい!だったら!だったら!!あの寒さは何だったんだ!?あの恐怖は何だったんだ!!!こんなのフェアじゃないだろう!」
「俺達は、俺達は!!戦場で払った献身の分だけこの国の呆けた連中にツケを払わせていい筈だろぉ!!そうだろう!!なぁぁ!違うのかよぉ!!」
ジョアンが懐から自動装填式拳銃を抜こうとする、それよりも早くケニーは動けたがそうと習った通り一番確実にジョアンを殺せる首元に照準を合わせてしまう。
殺したくない、殺したくないのだ、それはきっと美しさや料理の美味しさを知った今一番避けるべき事なのだ、ケニーは照準をジョアンの銃を持つ肩にずらそうとして、そうしている内ジョアンの方が早くケニーへと照準を合わせる。
死にたくない、死にたくない、怖い、嫌だ、死にたくない、それを効率的に行えるように習ったケニーにはこれから訪れる死がとてつもないリアリティでもって想像出来た、だが、死にたくなかった。
「クソォォォ!!」
ジョアンが叫び何度か引き金が引かれる、それが恐怖を拡大するだけのものだと理解していてもそうと習った以上、反射的にケニーは魔法を発動させ、自身に迫る銃弾を酷くゆっくりとその視野で捉える。
死が、死が迫る、死が、死が、死が。
そうして恐怖に怯えるケニーと銃弾との間に飛び込んでくる影があった
覚えのある香り、焦げた油に木、細かく砕かれた土、デニム生地のエプロンが視界の端にちらつく、煙草の匂いがケニーの鼻に飛び込む。
撃ちだされた銃弾の五発全てが画家の、メリッサの身体に飛び込み、画家はただ小さく苦しそうな咳払いをして地面に倒れ込んだ。
「そっ、はぁッ!?え、誰だよ!?」
ジョアンがそんな言葉を吐こうとしてケニーはそれを言い終わるより早く地面を這うように四足で駆けてジョアンの顔を掴み地面に叩きつける、少佐、と、そんな言葉を残してばしゃりとぐしゃりの間の様な音がしてジョアンは動かなくなる、ケニーはただ必死に画家の下へと近づいて、彼女の身体を抱き上げる。
如何様な奇跡も画家の最期の瞬間には起き無かった、ただ画家は最後に誰か、女性の名前を呟いて。
酷く、ケニーが困惑するほど幸せそうに死んだのだった。
カモメの鳴き声が遠くに聞こえる水平線上、軍用艦の甲板に女の拍手だけが響いている。
「あーあ、まぁ構わないがね、何時だって君は落第ギリギリだな、マイボーイ」
小さく呟かれたそんな言葉が潮風に消えて行く。
次回
幕間【メリッサ・私が愛した画家】