怒られると思っていた、そうでなければ酷く面倒臭がるか嫌がるか、だけれどアンナは不安そうにケニーの顔を見た。
怪我はまだまだ治りそうもなく、魔法の出力も戻りそうには無い、だが見た目にはボロボロでもそこまで身体は酷いものでは無いのだ。
そうと伝えてもアンナは不安そうな顔をしてケニーにすがり付く。
「帰ってきてね」
ただそれだけを言われた、その言葉にケニーは勿論だと答えながらアンナの頭を撫でて、冬の冷えた風が二人の間を過ぎていく。
帰れるだろうか、帰りたい。
そんな言葉を飲み込みながらケニーはただひたすらにアンナの頭を撫でた。
1
クイントは海兵であった、ここよりも遠く北の国で起きた戦争。それを発端とした一連のドタバタとした沢山の国家を巻き込むあれやこれやはこんな遠く南の土地にまで影響を与える、だけれど悪い事ばかりでも無かった。
この国は政治の上で参戦を決めたが、戦争の上では何の価値も無い国であったから、参戦したとて主な任務は馬鈴薯や南京、たまに綿の輸送があるだけで殆ど何も重要な任務は無い。
その中でもクイントは海鳥種の獣人であったから、元々海兵であった連中からは陸に帰れる幸運の、その象徴であったと可愛がられるし前任の水兵の内の性根の悪い連中からは守られる、ただただ水兵として学ぶだけの日々で戦争は終わった。
元々実家の漁師を継ぐつもりも無かったクイントであったから、終戦後は戦時中稼いだ金を元手に自分の船を買い、旅行者向けの船会社を始めた。
特に何をしようと目標があった訳でもない。
そんな調子ではあったものの人に物、時によっては違法なものも運びはするが不思議と運よく仕事はトントン拍子で話は進んでいく。これが海鳥種の有難られるところかと、そんな風なジンクスを漠然と感じながらなんだかんだの末にクイントが海兵として過ごした日々から気づけば間もなく一年が過ぎようとしていた。
奇妙な三人組を乗せる事になった、方々へ旅に出ているのだと言う三人。背の低い人間種の女に老人と言って間違いの無い長毛犬種の女、そして人間種の男。
春が迫って来たとは言えまだまだ船旅をするには厳しい季節が続いていて、例えば幾らここが南の海であっても海に落ちれば五分とせぬ内に海の冷たさは人間の体温を奪い心停止へと追いやるし、まだまだ日照時間の少ない海は吹き抜けて行く風を冷やしていく。
一体どんな理由で三人は旅しているのだろうか、生来の話し好きであるクイントは酷く気にはなったが流石にこの仕事を一年もしている内、自分の様な中途半端な大きさの船に仕事を頼むのはどうにも、そういった事情を説明せずに済む分も踏まえているのだと察する様になる。
「もうすぐ着きますよ!」
大きな声で船室の三人に伝える、水平線に目的の港が見えて来た、自分の生まれ故郷。僅かにクイントの中に郷愁が湧き上がる、久しぶりに両親に会うのも良いかもしれない、何時もならあれやこれやと乗客に話をするのだけれど今回の乗客は話せそうも無かった、五日間の旅路で殆ど話しかけられたりもまともな話もした記憶が無い。
まぁいいさ、クイントは生来の話好きではあったが同じぐらい幼少の折から父の漁に付き添って沈黙にも慣れ親しんで居たから沈黙も苦では無かった。
「まぁいいさ」
ここまでの船旅を見たものが居れば不思議に思ったであろうほど陽気な響きでクイントは呟いた、もうすぐ港に着く。
故郷に帰ったら何を食おうか。
そんな事を考えながら順調に船は港へと向かって行った。
港に着くと奇妙な三人組は特に何と言う事も無く船を降りて行く、料金は何時もの様に前払いで貰っているから特に声を掛けねばならないと言う事も無い、降りる姿を見送って船を係留し港の係に幾つかの書類と金銭を払う。
そうすれば後は問題ない、港の担当が見張ってくれてクイントは自由に過ごす事が出来る。
特に帰りの仕事は予定が無いし、暫くはゆっくりと過ごす事が出来るだろう、幸い日頃から女にも賭博にも特別興味がある性質では無かったから金に関しては問題ないほど溜まってきている、長ければ二週間、短くとも四日暇に過ごせるだろう。
「久しぶりに実家に帰ろうかな」
海鳥が高く飛んでいて、特に考えずにクイントは海鳥に敬礼を送った。
船と言うものはどうしても手入れと切っては切れない縁を持つ、潮風と言うのはどうしようもなく木や鉄を錆び付かせるものだと戦時中に習った。
父と共に海に出て居た頃はどうにも分からなかったが、先任や上官達に気に入られる内に元々船や海の事に興味があったのも有りどんどんとクイントは船乗りとして必要な知識と言うものに詳しくなっていった。
陸に出て、幾らか酒や飯を食った後なには無くともフラリと船に帰って来る、もう夜もかなり更けて居るがそれでも出来る作業はある。
係留の為の太い綱を編んでいく、元々は小さな索を編んでいき、幾つか充分な数が出来たらそれをもう一度編み込み綱に仕上げて行く。
何もクイントだけではない、港に係留された船にはどこも夜が更けているとは言え明かりが点いていて、船は違えど船乗り達が何かの作業をしている事が見て取れた。
クイントは父が良く歌っていたハミングを口ずさむ、何か歌詞がある訳では無いが船乗りにとって縁起の良いらしいそれ。漁が遅くなるたび父が星空を見上げながら歌っていたそれ。
ハミングに合わせて奇妙な連帯感がクイントの心を覆う、今、港と船と海の三つを糧にしてクイントやそのほか港に係留している船乗り達は一つの意識を持って居る。
そんな気がするだけではあるのだけれど、多分そうだと思うのだ、クイントは頭の良い方では無かったがこの時間が好きであった。
昇る人間も降りる人間も予定は無いものだから、船の横腹、簡易的な階段である舷梯は船の内側にしまい込んで居たのだけれども、それでも掻き昇る様に上がって来た影がありクイントは慌てて明かりにしていたランタン片手に傍らに置いていたリボルバーをその影に向ける。
「悪い、無法を働く気は無い、少しだけで良いから匿って貰えないだろうか?」
昼間の客だった、三人組の内の一人、背の低い人間種の女が老齢の長毛犬種の獣人を背負ってこちらに両手を挙げていた。
クイントは荒事や修羅場と言うものにとことん縁が無かった、生来の運の良さと言うかこれもまた船乗り達が有難がる海鳥種の縁起の良さと言うか、あるいはそうと思う内は力を発揮するジンクスの様なものか。
兎も角クイントは海の上やそれに纏わる場所に居る内はとことんまで不運と言うものに巡り有った事が全く無かった、そんなクイントの船に怪しい連中が乗り込んで来たのだ、酷く狼狽するのは当然だった。
「ちょ!ちょっとアンタら一体どうしたってんだ!悪いけど動いてくれるんじゃねぇぞ!」
そう言ってクイントが再度、定まらない照準そのままに女にリボルバーを向けるが正直な所クイントは全く弾丸を当てられる気がしない、どうだったか、記憶を探るがそもそもリボルバーの中に弾丸が込められて居るかすら怪しかった。
クイントの突きつけたリボルバーに何とも、怯える様子すら無く女はただ迷惑そうに眉を顰めた。
もう少しクイントに余裕があればその様子に何かを感じ取ったり不快に感じたりする事もあっただろうが、今のクイントにはそんな余裕も無くただただ慌てた様にブンブンとリボルバーを上下させた。
「出てけ!!とっとと俺の船から降りろ!!」
そう言って手に持ったランタンを女の方向に向けた所でクイントは気付いた、女が酷く出血している、それに女の足元に広がる血、女のものなのか?いや、違う。
戦争に関しては何も大きな戦闘を経験せず過ぎて行ったクイントであったが、船乗りとしての経験は今や一流のものである、絶えず危険の付きまとう海の上の生き方で知っていった様々な経験と知識が眼前の女の血では無い事を知らせた。
「後ろのおばあさんの血か?それ?」
問い掛けたクイントの言葉に女は悔しそうに俯いた。
なるほどそう言う事なのだろう、どうする、問題の無い相手なら医者や交番に逃げ込めば良いだろう。そうせぬのならそう出来ないだけの理由があるのだ。
「分かった、客室だと見つかるかもしれないから船倉に隠れてろ、普段はそこで俺も寝泊まりしてるからそこまで汚くも無い筈だ」
良いのか?と目線で女が問いかけた、構うものか俺は海鳥でここは港だ、そうするべきだと思ったならそれに従えば良いのさ。
女の視線に何もクイントは答えず
「どこかの船から医者を呼んでくるよ」
と、だけ答えた。
いつの間にかクイントを覆っていた震えも焦りも何処かへ消えている、そうだ、ここは海で俺は海鳥、怖がる事なんて何も無いのさ。
ケニーはマダムと旅をする、少佐はきっと怒るだろうが、その怒りこそがケニーの求める所であった。
マダムの力が要る、戦争と暴力では少佐を殺す事は出来ないだろう。
だけれど、平和があれば少佐は死ぬのだ。