首都の酒場はそんな話で持ち切りで、キエラはただ取り残されたような気持ちで酒を飲んで居る。
どうして飲んで居たのだったか、そうだ、書類を見たのだ。
戦死者についての書類、なんて事の無いものだ、毎日大量に送られて来てただキエラは必要な場所にその書類を送って行くだけ、そう言う何てことの無い日常の一部。
そういう書類の中に見知った顔があったのだ、書類の名前を見ても思い出せないような関係性で、別に親しかった訳では無くて、当然友人だったり恋人だったりそう言うものでは無かったのだけれど、そう、強いて言うならば良い人だった。
軍人としての初期教育の時、兎に角よく話し掛けてくれたのだ、商家の生まれで体力的に訓練について行くのが厳しく、辛い思いをしていたキエラに沢山話しかけてくれたのだ。
そんな事でもなぜだか、よく覚えて居た。
故郷に兄弟が居るのだと言っていた、婚約者が居るのだとも。
何年か従軍すれば奨学金が出る、それを使っていい教育を受けて婚約者と良い生活を送るのだと、沢山働いて家族を幸せにするだと彼女はとても幸せそうに照れながら話しかけてくれて。
「…何て答えたんだっけな?」
そういう事が思い出せない位の、そう言う関係で。
だけれど良いヤツだったのだ。
そう言う人の死を、何の感動も無くキエラは処理していたのだ、言葉に出来ないものが心に生まれるのを感じた、どうしようか、死にたい気持ちともまた違うどうしようも無いものが湧いて来る。
段ボールいっぱいに似た様な書類が置かれている、誰かの死だ、箱の中に誰かの死が詰まっているのだ。
そういうものに気づいて途端、キエラは上手く息が吸えなくなった、周囲は慣れた様にそんなキエラの処理をしていく、何時もの発作、戦場で壊れたヤツがまた誤動作を起こしている。
ただ医務室に連れてかれ、このまま調子が戻るまで医務室に寝て居ろと、落ち着いたらそのまま帰って良いと、それだけ。
そうしてキエラは今酒場に居た。
「…なんて言ったんだっけなぁ?」
あの時一体何を言ったんだろうか?それが思い出せない、周囲の人間はいつの間にか立ちあがり、肩を組んで終戦を歌っている、それが妙にキエラを孤独にさせた。
そうして只管にキエラは酒を飲み続ける、頭は酷く痛んだがこのまま続ければ気を失うぐらいは出来るかもしれない。
酒は嫌いだったが構うものか、兎も角嫌だった、なにが嫌なのか自分でも分からない程嫌だった。
だけれど、何が嫌だったのか、キエラには分からなかった。
「とりあえず拉致ったら良いんじゃないか?」
船倉、胡坐をかきながらキエラが言う、要するとそれは元々の交渉の窓口であったジンネマン商会の番頭を拉致して必要な情報を得ようと言うもので。
「イカレてんのか?」
クイントは正直さは美徳だと母親に教えて貰ったのだ、その教育に従おうと端的に伝えた。
なんだテメェは馴れ馴れしいな馬鹿野郎、そんな言葉と共にキエラに蹴り上げられ、それをクイントはけだるげに避ける。
面白そうだし一度付き合うと決めたのだ、幸い独り身で迷惑をかける様な相手も居ないからなんら条件無く協力はするつもりだがそんなにも無計画に死へと向かって行くのはごめんだった。
「もう少しだな、頭ってものを使ってみてもバチは当たんないんじゃあ無いかい??」
羽毛より柔らかにクイントは言葉を選んでキエラに伝える、どうにも、海鳥種の獣人である自分の骨よりはよっぽどキエラの拳の方が硬そうであるから、兎も角、角の無い言葉というものを必死に選んで話掛けてみる。
クイントは痛いのは嫌いである、特にそれが他人の拳に依るものなら猶更である。
「アァ??ぶち殺すぞテメェこら」
前言撤回、全力撤退。
クイントは正直さは美徳だと母親に教えて貰った、その教育に従ってクイントは大丈夫だ、何でもない忘れてくれ、そう言ってどんよりと俯いたのだった。
ーーーーー
「お待ちしておりました、クイント様、キエラ様」
予想外と言う事は何にでもある、晴れたと思えば雨が降るのが海の天気であるし、機嫌が良いと思ってもいつの間にやら不機嫌になるのが女心と言うもので、そういうモノが世の中にあるのだから何事にも予想外だとか推測通りだとか、計画通り等と言うものは早々存在しえないのであって。
さぁ、まぁここまで来たらなる様になれ。
そんな気持ちでキエラの先導に従って番頭の何某の家に忍び込もうとしてみればどうだろうか、全体的に白い、珍しい猫種の獣人メイドが裏庭にてキエラとクイントを待ち構えていた。
「ど」
どうするんだ?そう問いかけるより早くキエラがその獣人に飛び掛かる、体格的には同じ程であろうが彼女は全身を機械で強化した機械化兵である、体重と言うのは基本的には覆らないものであって、ある種の、毎日太陽が昇るような、落としたものは下に向かう様な絶対さをもって有利を生み出す。
クイントはそれを軍隊で習った。
「どうか、大人しくついて来て下さるようお願い申し上げます」
珍しい猫獣人の女がキエラを片手で吊り上げながらそんな事を言う、クイントはただ目の前の光景にやんわりと腰を抜かしていた。
マジか!?
荒事だの戦争に関わるとんでもない技術に詳しい訳では無い、だけれどこんな、小柄で、やんわりとした体形の、それでもって色気のすっげぇ女がまさか片手で人間を持ち上げるとは。
しかも持ち上げられてる相手はとんでもないレベルの高い技術でもって生み出された戦争機械なのだ、最もクイントにそう言ったのはアル中のレッサーパンダであるから全部丸々嘘である可能性はあるが。
「なぁ、分かった、黙ってついて行くからさ?それ、止めて貰いたいんだけど良いかい?」
そのまんまだと死んじゃうからよ?そう、声を掛けると猫獣人の女はキエラを地面にゆっくりと転がす様に降ろした、夜明け前の冷たく乾いた空気にキエラの咳き込む音が響き渡る。
「なぁ、アンタなんの獣人なんだい?」
キエラの背中をさすりながら何となくクイントは猫獣人の女に問いかけて居た、特に狙いだとかこうしたいだとかの要望や目的があった訳では無い、純粋に、生来の口の軽さから来るものであった。
「マヌルネコだそうです、この辺りでは見かけませんがもっと北に行くとたまに見かけるそうですよ」
冷たい調子でそういう女にそうなのかい、とクイントは返す。
言わなくて良い事が頭に浮かぶ、良い、止めろ、余計な事を言うな、そんな言葉がクイントの頭に浮かぶが緊張のせいだろうか、漏れ出る様にクイントは言葉にしてしまう。
「アンタみたいにさ、マヌルネコ?の獣人は皆美人なのかい?」
そんなクイントの言葉に猫獣人の女はニンマリと笑った、何と太い犬歯だろうか。
股間に鎮座している、誰にいうモノでも無いし普段は大した要件も無いそれが彼女の笑顔を見ただけで酷く縮み上がって行くのをクイントは感じる。
「えぇ、どうやら、そうらしいですね、奴隷狩りには人気らしいですよ?金よりも価値があると」
そう言って女がじっとりと、足音一つ立てずにクイントに近づいて来て溜まらずクイントはキエラを見るが、まだ彼女は地面に四つん這いになり酷く激しい呼吸をしている、どうにも、ハッキリ言うとキエラはクイントの身を守ってくれそうにはない。
猫獣人の女の、その指がサラサラとクイントの顔を撫でる、何と鋭い爪なのだろうか、心底クイントは慄いた。
全身の羽毛が逆立つのを感じる、そんなクイントの様子を見て猫獣人の女は妙に嬉しそうな様子で笑いかけて来て。
「海鳥種の獣人の方は、」
皆さんそんなに美味しそうな見た目をしておられるのですか??
女のそんな言葉にクイントはいよいよ抵抗する余裕の様なものが全てすっかりと奪われてしまって、ただただ俯いて。
「アンタは美人だけど、食われるのは勘弁してくれよ」
ただ、ようやくそれだけを絞り出したのだった。
次回
老いた陸亀は大きな窓の外、夜の海を眺めていた。
何を考えているのだろうか?伝説の男が目の前に居るのだ、自分の見えて居る海と、伝説の男、ジンネマンの見ている海。
同じなのだろうか?それとも、何か、決定的な違いが有るのだろうか?
雪国の猫獣人が見張る中、そんな事をクイントは考えて居る。
甲羅を叩き割ってやれば必要な情報を話し出すだろうか?
それには後ろの猫獣人が邪魔だが構うものか、纏めてぶちのめせば何の問題もない。
兎も角時間が無い、腕を組んでそんな事をキエラは考えて居た。
そして老いた陸亀の獣人は窓の外、夜の海に死別した妻との約束を、彼女の柔らかな笑みを思い出していた。
遠い妻を思っても老いた亀の心は微塵も揺らがない、それは屈強さと言うよりただ、時間の経過に依る心の硬化の様なもので、もはや生きているだけで老いた陸亀は既に人間よりも海の方に近い様な生き物で。
ただ、眼前の二人に対して、遠い妻との約束を果たすため、話し出した。