ジンネマンは若い頃から海で生きて来た、見習い船員の時分から誰よりも早く働きだし、誰よりも遅く眠りにつく、そして働いてる間は人の三倍働いて、不平不満は口にしない。
そういう風に働き続け、そうして若くして自分の船を任せられるに居たったのだ。
だが海賊連中は違う。
これが陸の事なら理解も出来る、戦争戦争戦争、こんなにどこもかしこもで不況なら犯罪に手を染める様な、魔が差す事もあるだろう、だけれども海賊になるような馬鹿どもに魔が差した等という事はない、船乗りと言うのは高度に訓練された専門職で、船と言うのはそういう連中が集まって漸く動かせるもので。
だから、海賊に容赦する必要等決してない。
帆が風を受けぐんぐんと海を進んでいく中、船尾からどんどんと縛られた海賊達が海に放り込まれて行く。
慈悲はある、生きて陸に辿り着けたならジンネマンはそれ以上追わない。
「船長!」
慌てた様子で副船長が、妻であり自身の一番信用する補佐官でもあるイルカ種の獣人がジンネマンを呼ぶ。
「どうした?」
「それが、見て貰った方が早いです」
困惑した調子でそんな事を言う副官に着いて行くと海賊から接収した宝の中に檻があって。
「これです、船長」
あぁ、何てことだ、こんな。
「こう言うのはだなぁ、もっと早く報告する様にしろ!!」
檻の中には北で戦争に紛れて捕まえられて来たのだろう、珍しい白の猫獣人が、二人。
どうぞお掛け下さい
雪猫の獣人メイドに屋敷を先導され、そうして応接間と思わしき一室に案内され着席を促される。
豪華な部屋だ、クイントにはこの様な場所とはどうにも縁が無いというか、全体的に派手過ぎず、それでいて少し威圧的な高級感を放っていて、計算され尽くしたものが帯びる圧を感じる。
もそもそと、落ち着かなさもそのままにクイントは少し左右に揺れる、別段高級な場所に来た事が無い訳では無いがどうにも、この場所は酷くケツが落ち着かない、もぞもぞと蠢きながらクイントはそんな事を考える。
先程雪猫の獣人メイドに撫でられた頬がどうにもむず痒く感じて、クイントは思わず頬を掻いた。
「おい」
短く横に座ったキエラが軽く肘でクイントのわき腹を突く。
「いや痛っ、強いのよ、力強すぎるのよ、いやほんともっとさぁ?」
クイントは軽く抗議をしながらキエラが緩く指を指している方を向き、そこに人が居る事に気づいた。
陸亀種の獣人、恐らく男性だろうか?なんとも、酷く大きな甲羅と皮膚の厚くなった四肢の皮が年齢の判断を難しくさせる、そんな人物が応接間の窓際に静かに、そして窓から飛び込んでくる闇に紛れる様に立って居るのだ。
「あーえっと、なぁ、あの人知り合いか?」
少しだけ悩んだ末にクイントはずっと視線を感じて居た背後の雪猫の獣人メイドに問いかけた。
先程クイントの事を美味しそうと評した表情のまま、ただ女が楽しそうにこちらに静かにするようにボディーランゲーシを示した。
「何卒、お静かにお願い致します」
メイド、メイド?名前を聞こうか、そこまでの必要は無いのだろうか?
「アンタ、そういや名前は?」
問い掛けにメイドが僅かに片眉を吊り上げる、確かに黙っていろとは言われたけれども、だけれどどうにも生来のものとしてクイントは口が軽くなって来ているのを感じている。
夜の海が妙にクイントを陽気にさせる、そうだ、結局はここも海みたいなもんさ。
だったら何を恐れる事があるものか。
「静かにしてくださいと、申し上げた筈ですが?」
雪猫の女がズイとクイントに近付いてくる、だけれど、不思議ともう怖くはない、どいつもこいつも肩肘張りすぎなんだよ、キエラをチラと見る、キエラまでが不思議な目でクイントを見ていて、それがまたクイントを愉快な気持ちにさせた。
「気が変わったんだよ、アンタみたいな美人が相手なら喰われるのも悪い気がしないって言うかさ?」
椅子から立ち上がりクイントは女に近付いた、一歩、二歩と歩いても女は、メイドは微塵も動揺した様子は無い。
そりゃそうだわな!
俺みたいなヤツが百人襲い掛かろうがこのメイドならなんの問題もなさそうだ。
それでも、どうにも楽しくて堪らなくなってきている、まぁいいさ、そうと決めたなら思いっきり喋るだけだ、難しく考えたってしょうがないけども、そもそも海鳥種の獣人ってのはそう言うものだしね!
そう言う開き直りの末にクイントはメイドに近付いていって、そうして、口付けでもするような距離でクイントはメイドの顔を見詰めた。
「アンタ、スゲェ目が綺麗だ」
にんまりとメイドが笑う、今までこの手の連中が居なかった訳ではない、ゴマスリにおべっか、助命の嘆願、恐怖と言うものは目と耳と肌から始まり心まで染み込んで行くのに恐ろしい程時間が掛かるのだ、それがやっと、コイツの心に届いた。
この美味しそうな男は一体どんな風に囀ずるのだろう?楽しみだ。
まぁどうあれ、似た様な連中はどいつもこいつもサメの餌にしてきたが。
「私はイレオスと言います、素敵な海鳥の方」
私の瞳を綺麗だと言った方は三人目ですよ、一人はサメの餌にしました、もう一人は。
「殴り殺した、ような?よく覚えてませんが」
余り美味しくはありませんでしたね。
そう言ってゴロゴロと喉を鳴らしながらイレオスはクイントの頚に鼻先を寄せる、しかし、なんなのだろう?妙にこの男は人を陽気な気持ちにさせる、そう言う何かがある気がする、どうにも、不愉快では無いがいつも通りでも無い。
ゴロゴロと、本来意図して居ない喉が鳴るが、まぁ良い、そんな気分にさせる何かがコイツには、クイントにはあった。
「ハハハ、刺激的だねなんとも」
クイントは女を、イレオスをグッと抱き寄せた、触れただけで分かる程みっちりと筋肉の詰まった身体、成る程肉食獣ってのは皆こんな風なんだろうか?
「…不思議な人ですね、何かの魔法でしょうか?しかしそう言った痕跡は無い」
貴方と居ると、妙に陽気な気持ちにさせられる。
ゴロゴロとクイントの喉を撫でる手に、参ったな、魔法も使えるらしい、と、どこまでも陽気な気持ちのままクイントはそんな事を考える。
収拾の付け方を考えて始めた事では無いが、どうにも口は止まらない、どうなるか?
分からないがどうあれ、いいさ、きっとキエラか誰かがどうにかする筈だ、とりあえずやりたいようにやろうじゃないか。
「なぁ」
クイントは抱き寄せたイレオスに話し掛ける、何を言おうか、まぁ、なんでも良いさ、口に任せよう。
「そりゃあアンタ、俺に恋しちまったのさ、俺だって詳しい訳じゃ無いけどね、オヤジが言うにはそう言うもんらしいよ?」
自分で話しておいてだが、そりゃあ無いんじゃないか??
少し黙って見るのも今後も人生が続くとしたら良いかもしれない、そんなことをクイントは思わず思った。
ーーーーー
「まぁまぁ、クイントさん、その辺りで勘弁してあげてください」
陸亀の獣人が話し出す、チラリとキエラを見るとキエラは腹を抱えて笑っていて、どうにも暴れだす様子は無い。
何でもいいさ、ともあれ状況は動き出したらしい。
「それは、確かにそうですね!離れますわ!」
そう言ってクイントはイレオスから離れようとするが、彼女は左腕をクイントの腰に回しており、腕一本で完全に身体を抑え込んでしまって居る。
「いやぁ、あの、ほら、静かに座ろうかなぁ?なんて、離して頂いてもぉ?」
恐る恐る声を掛けるが反応は返ってこず、中々、クイントには眼前の危険と目を合わせる勇気が出ない、それに、気づいてしまった、先程まで聞こえて居たゴロゴロとした猫種の獣人らしい音が止まっている。
いや、アンタの出番なんだけどねぇ!?キエラさーん!!??
どうしよか?口に出す訳には行かなかった、現状、イレオスの爪が届く範囲に居るのはクイントなのだ、キエラでは無い。
クイントの視線に笑い続けているキエラは気付きそうには無く、もう駄目だとクイントが諦めて視線を戻すとうっかりイレオスと目が合う。
「あー、やぁ」
曖昧に微笑むとニンマリとイレオスが微笑み返して来て、もしや、とクイントは気付いた。
もしやコレ良い感じに俺人質にされてるのか??
思えば確かに、こうも完全に抑え込まれて居たらキエラも動く訳には行かないだろう、キエラとクイントとの間にそう言うやり取りが成立するだけの関係性があるとは思えなかったが、それでも確かに動き出すには難しい状況かもしれない。
と言うかそれが理由であってくれ、クイントは海兵になった後船乗りとして過ごして来たのだ、危険を避けた事も危険を恐れた事も無いがそれでもフライドチキンよろしく頭からバリバリ食べられる死に方は御免だった、クイントは船乗りで海鳥なのだ、ニワトリでは無い。
大丈夫だよな?
そこまで考えると途端、どうにもヤバいかもしれないと全身の羽毛が逆立って行く、クイントの怯えた表情にイレオスは肉食獣然とした獰猛さを感じさせる笑顔を深めて行った。
「あんまりイジメてくれるなよ、ソイツはアタシが無理やり連れて来ただけだ」
半分笑い続けた様な、浮かれた言い方でそんな事を言うキエラの声にクイントは半ば本気で涙を浮かべる。
良かった!大丈夫だ!
どうやら頭から食われる事はなさそうだ、どうかそのままの調子で話を進めてくれと、一心に思いながらキエラを見るとまた噴き出して酷く楽しそうに笑い始めて。
「おぉい!そりゃないぜ!!」
たまらずクイントは声を上げた。
「しょうがねぇだろぉ?オメェよぉ、あんまりにも情け無い顔してっからさぁ?大丈夫だよ、殺すんなら態々ここまで連れ込む必要なんかねぇ、外で適当にやっちまってそのまま通報、大陸中に影響力があるんだろ?天下のジンネマン商会ってのはよぉ、強盗未遂の間抜けな二人として正式に処理されてそれでお仕舞だよ、新聞にすら載らねぇわな」
分かったか?と、何が楽しいのかさっぱり分からないが楽しそうに声を掛けて来るキエラにクイントはコクコクと頷いた。
だとしても人生で出会った中で上から数えた方が早い様な狂暴な女に固く抱きしめられている、そう言う状況は変わらないのだ、どうにも落ち着かない。
「…とりあえず、離して貰ったりとかってぇ??」
やんわりと問い掛けると、ちくりとクイントの背中をイレオスの爪が突いた、どうやら返事は否らしい、背中を爪が突くに合わせて目が細められるのが見えて、クイントは大人しく諦める事に決めた。
「っすよねぇ、ダメですよねぇ」
何とは無しに窓際の老獣人に目を向ける、状況からみてイレオスの主か、少なくとも上司なのだ。
何とか彼女を止めて貰えないかと目をやればゆっくりと老獣人が振り返ってこちらを見た、しかしクイントをちらりと見ると別段イレオスの事を止める訳でも無く、そのままゆっくりとキエラ達の対面に腰掛けた。
「イレオス、お客様にお茶を入れて来て貰って良いかな?」
おぉ、何とかなるかもしれない、なんとかなった。
身体が自由になるのに合わせクイントは慌てて元の場所に腰掛けた。
「中々笑えたぜ、食われなくて良かったなぁ?」
笑えねぇよこの、クイントはキエラに言い返そうとしてしかし黙る、俺の出番じゃあなさそうだ、兎も角目の前の老獣人が一体誰なのか、求める所の情報を引き出せる相手なのか。
「…笑って貰えたなら何よりだよ、それで、貴方は一体?」
キエラに答えつつ、視線を向け問いかけたクイントに老獣人は僅かに目を細めてキエラに視線を送った。
答えを促す様な、教師の様なその姿にキエラはくつくつと笑い始める。
「元々アタシらが会う予定だった商会の番頭ってのは羊のだな、まぁなんだ、ともかく亀の獣人では無かった、その情報は間違いない」
「じゃあこの爺さんは誰か?屋敷の使用人?違う、嫌って程デカい屋敷なのにさっきのメイドとこの爺さん以外には誰の気配も無いんだ、そんな普通な答えじゃないだろうよ、じゃあアタシらが追いかけてるテロリストか?それも違う、軍隊経験がありゃ同じ軍隊経験のあるヤツってのは見りゃ分かる、追ってんのは軍人崩れどもだよ、さっきのメイドは暗殺者かなんかだとしても軍人じゃあ無い、この爺さんも見たまんまただの爺さんだよ」
ま、中々鍛えちゃ居るがな。
「番頭の屋敷を好き勝手に使えて、今日この街に着いたアタシらの情報をバッチリ掴んでる立場の人間で、そしてほんの何時間か前に無理矢理巻き込んだアンタの情報まで知ってる」
キエラがめんどくさそうに話し続けているが、クイントには全く眼前の人物が誰なのか想像も付かなかった。
いや、考え事とか得意なタイプじゃ無いし?
どうしたものかとクイントは老獣人の方を見て、気づいた。
「…まさか、貴方はジンネマンさんですか?」
誇らし気に父の語っていた人物、人種がどうのと言う話は聞かなかったが一度、目の色について語って居たのを思い出したのだ。
眼前の老獣人の細めた瞳から覗く色。
静寂を感じさせる夜明けの海、口下手な父が珍しく私的な表現を使ったものだからクイントの記憶に妙に残って居たそれ。
キエラは先に答えを言われたものだから口をパクパクとさせて居て、クイントは慌てて姿勢を正し真っすぐに座り直した。
眼前の人物が本当にジンネマンだとしたらそれは船乗りとして最大限の敬意を払うべき相手なのだ、寄りにもよって押し込み強盗の真似事をした瞬間から全てを見られて居たとは。
「驚いたね」
正解だったのだろう、はたはたと陸亀特有のふしぎな拍手の音を響かせて老獣人、ジンネマンは話し出した。
「そうだ、私がジンネマンだ、参考になぜ私だと分かったのか教えて貰っても良いかね?ここ三十年人前に立つ様な仕事はしていないからね、何故だい?」
やんわりと、だがそれでも強い口調でジンネマンがクイントに問いかけた。
「それは、」
クイントが話出そうとした所でイレオスが応接室へと戻ってくる。
「まぁ、それもこれも先ずはお茶飲んでからにしようか」
夜明けはまだまだ先だからね。
その言葉にクイントは慌ててお茶を口に運んだが、それが何だったのか、クイントには緊張で味も匂いも全く分からなかった。
父が歌っていた、海の男よ、自由の男よ。
父が語っていた、誇らしい記憶、海の男の中の海の男。
父が信じていた、偉大な人物、偉大な船乗り。
あぁ海に帰りたい、陸なんて大嫌いだ。