困惑するケニーを置いてトコトコと屋敷へ向かったアンナはそのまま何だかんだの末にマダムの許可を得てしまった、楽しそうにこちらへ微笑むマダムへ沸き上がった気持ちを何と言葉にすれば良いのかケニーには分からない、しかしマダムが楽しんで来るようにと言ったのだ、ケニーには是非もない。
車を使っても良いからね?とマダムが言う、言葉に出来ない気持ちは何とも晴れないまま心に居座っているが小さく脆いアンナにもう一度あの坂を歩く様に言うのは気が引ける。そう言う事で今、アンナを助手席に乗せながらケニーは車を運転している。
「どこへ向かえば宜しいんでしょうか?」
問う他ない、坂はもうすぐ下りきる。助手席のアンナがこちらを見るのを感じるが振り向く訳には行かない。どうしました?ただケニーは問いかけた。
「綺麗な花が咲いたんですよ、懇意にしてる農家の方の農場でね?」
それを、見に行こうかと思いまして。先ほどまでとは違う温度の声でそんな事をアンナが言う。
温度が違う、しまった。坂を下り速度が出ていて運転で両手が塞がっている、この状況から対応するにはある程度の代償は覚悟せねばならないだろう。身体かマダムの車か、悩む必要は無い、マダムのよく言うあの人なる人物が大事にしていた車だと言う、マダムの思い出が詰まった車だと言う、ならばそれは恐らくケニーの命よりも優先されるだろう。
「場所が分かりませんので、農場までの誘導をお願いします」
そうして覚悟を決めながら運転するが一向に襲い掛かって来る様な様子はない、人質に取るつもりか、あるいは待ち伏せなのだろうか、そうして指示に従い運転する内に海が見渡せる高さに広がる農場に着いた。
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親し気な様子でアンナは農場の主であろう巻き角の獣人夫妻に話しかけている、それをケニーは遠く眺めていた。空気に海以外の匂いが混じっている、塩の香り自体はマダムの屋敷で暮らす内慣れたがこれは何の匂いだろうか?不快感がない、天気の良さに海の青さ、吹き抜ける風に何となく爽やかな気分がする、居心地の悪さがどんどんと薄れて行く。
「行きましょうか、すみません、お話してたら長くなってしまって」
二人ともお話好きで、私も話してたらすぐに楽しくなっちゃうから。駄目ですよね、デート中なのに。そう言って申し訳なさそうに笑顔を作る。特に何もケニーは感じていなかった、待っていた時間もこの場所ならばいい様に思える。北では次の指示を待っている間、凍えて震えだす身体に耐える他ない、それがここには無い。
「大丈夫ですよ、ここは待ってる時間も楽しい」
楽しいという言葉であっているだろうか、マダムが良く口にする。楽しいといい人、意味は何となくだが分かる、しかしそれの使い方にケニーは自信が無い。だけれどここは本当にいい街だと思う。そう言う気持ちの少しでも彼女に伝われば良いのだが、そうすれば、アンナの居心地の悪さを減らす事が出来るかもしれない。誰かに謝ると言うのは居心地の悪い気持ちにさせるから。
少しだけケニーは微笑めた気がする、アンナはマダムのそれとはまた違う、ケニーには見たことの無い顔でケニーを見つめ、こっちです、と振り返らずに歩き出した。
暫く歩いた先、一面に花が咲いた畑に案内される。綺麗だ
「どうですか?ジャガイモの花は季節が違うので無いらしいんですが、綺麗でしょう?」
聞きたい事は多くある、だけれどそれを言葉に出来る自由さがケニーにはどこにも無い。
「綺麗だ、とても、とても綺麗だ」
ただ思う所を繰り返す他ない、なんと己は不自由なのだろうかと嘆くにもこの場所は全てが綺麗すぎる。きっとこの場所にある全てはケニーに興味など無いだろう、それが心地良い。顔を出そうとした居心地の悪さが何処かに消えて行く、そんな感覚は恐らく初めてだ、そんな事に思い至り驚くが、ケニーはそれを言葉に出来ない、ケニーは言葉に出来るならただ世界と言うものの無関心な美しさに感動している。
けどそれはケニーだけが純粋に感じた、言葉にならないケニーの秘密となって心の中に消えて行った。
「何の為にマダムに近づいたんですか?」
アンナがこちらを見ている、目だ、見覚えのある目でケニー睨んでいる。人を殺す目だ、恐らく人を殺す時のケニーがしている目で、ケニーを殺そうとした言葉の分からない兵士がしていた目。
「政府の人間ですよね?あなた、マダムをどうするつもりなんですか?」
ただ行くべき場所が無くてここに来ただけだ、そう答えられるだけの自由さはケニーには無い。